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6度目の妊娠が初期流産に終わり、7度目の妊娠を考える前に、出来ることはしたいと思い、不育症の専門医でもあるF先生のクリニックを尋ねました。F先生のクリニックで原因不明だったら、それはそれで納得できるだろうって思っていました。やはり原因不明で、今まで通りの薬(漢方など)の処方で変わりませんでしたが、自分でも納得していたつもりです。ところが、いつもの様にモチベーションが上がってこないんです。いつもなら、「もう1回、妊娠したら♪」そう思えていたのですが、今回に限っては、そう思えないんです。そして、ついに"禁断の感情"が湧いてきました。「主人は治療を続けて欲しいと言うだけで、何故、私だけがこんなに苦しまなくてはいけないのか!?」そう思っていることを自覚した時、あぁ~もう私はダメかも、もう治療を続けられないんじゃないかと思っています。でも、答えが出せず、無気力な日々だけが過ぎていきます。
2009年08月28日
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今日は、Fクリニックの再診日。 診察室に入ると、 「(不妊治療の主治医に)言ってくれた?」と聞かれ、 手紙はどうなっているんだろうと思いながらも、 移植前には、いつも膣の培養検査はしていて、殺菌のための クロマイ膣錠も使用していたという事を伝えると、 「そうか、やってたんかぁ。」とカルテに記入されていました。 産科医によって見解が違うから、消毒して菌を殺しすぎるのも よくない、“神経質になるのはよくない”と言われたと言うと、 「そんなん、無理やんなぁ」と言われ、 こういう思いは、F先生のほうが分かって下さっているなぁ と実感しました。 妊娠後の消毒について産科医の見解が分かれることに関しては、 「まぁ、後で考えていこう。」とのこと。 この件に関しては、どういう見解を持った産科医に診てもらうか という事にかかってくるので、妊娠してから考えるしか ないかなぁと自分でも思いました。 そして、血液検査の結果は…、いつも通り異常なし。 気になっていた血液の凝固系因子にも問題は無く、 ヘパリン等の注射をする位、問題ある数値が見当たらないとのこと。 結局、母子センターで処方してもらった薬と同じものを 処方して貰い、次の妊娠を考えることになりました。 それでも、F先生に診て貰って現状に納得する事ができました。 妊娠はできるので、諦めるのは辛いです。 もう1度だけ妊娠を考えようと、今は、思っています。 凍結卵も残ってますし…。 でも、最近、「血の繋がった子」じゃないといけないのかって 考えるようになりました。 夫婦の間には血の繋がりはありません。 でも、私達は、強い“絆”で結ばれていると思います。 我が子とも強い“絆”で結ばれた関係であれば、 血が繋がっていてもいいのではないか。 今まで、具体的に「養子」について考えたことはありませんが、 それも選択肢の一つとして考えてみようかと。 まだまだ勉強不足なので、治療をしながら、 「養子」についても勉強していこうと思う、今日このごろです。
2009年08月15日
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先日、32歳の誕生日を迎え、"産まれた町"を見たくなって、 ゴマ夫を連れて行ってきました。 私は、小学校2年生まで大阪市此花区に住んでいました。 小学校3年生に進学した春に、父がマイホームを購入し、奈良へ 引越ししました。 大阪に住んでいた頃の友人で、現在も付き合いがある人は いませんが、今も実家がある奈良県とは違って、 少年時代ではなく、少女時代の戻りたくても戻れない 尊い場所のような、いつも頭の片隅にある場所です。 小学生の頃、住んでいた社宅から、バスで耳鼻科に通っていました。 四貫島商店街という、大きな商店街の近くにあります。 商店街のバス亭近くのパン屋から匂ってくるバターの香りが たまらなくて、病院代のお釣りでバターロールを買っていました。 現在は、そのパン屋はなく、小さい頃、あんなに大きいと 思っていた四貫島商店街も、簡素なものでした。 四貫島商店街をさらに進むと、春日出商店街があります。 商店街の奥まで行くと、坂が有ります。 私と弟を自転車にのせた母が、この坂をせっせと登っていたのが 思い出されます。 私が通っていた幼稚園です。 商店街の外れにありますが、お迎えのバスが有りました。 今では、何処で乗り降りしてたのか不思議です。 小学校2年まで通っていた小学校です。 下校途中に、大きな階段があって、 重たいランドセルを背負って、階段を登るのは大変でした。 今では、軽々登れそうな階段です。 当時、住んでいた社宅は、社員寮へと変わっていました。 社宅になかったエレベーターが珍しくて、エレベーターで 上り下りして遊んでいたマンションは当時のままだったりと、 町並みに何処となく面影がありました。 子供の頃の私が冒険していた範囲は、大人の自分から見ると とても小さい範囲で驚きましたが、 何ともいえない懐かしい思いがしました。 日曜になれば、少し先の常吉公園に連れて行って貰いました。 今回は行かなかったけど、海が見える公園だったと思います。 そして、小さい頃の懐かしい思い出の場所から、USJが 歩いていけるんです。ずっと住んでいたら、しょちゅう 行っていたかもしれません。 2度目のUSJになりますが、ゴマ夫と満喫してきました。 ジェットコースターにも久々に乗りました。 スパイダーマンの3Dに、目を回して気持ち悪くなりながらも、 次のアトラクションに並びました。 パレードの時間まで残っていました。 夫婦で童心に帰った1日でした。
2009年08月14日
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F先生が不妊治療の主治医に、 妊娠前から膣内の状態を診ていくように手紙を 書いてくださるとのことだったので、 今日の診察では、そのお話しができると思っていました。 ところが、主治医からその話しが出ることはなく、 まだ手紙が届いていないのかな~とも思いましたが、 F先生ならすぐ書いてくれているだろうと思い、 「F先生は、妊娠前から膣内の状態を診ていった ほうがいいと言われていたのですが...」 と聞いてみると、 「F先生がそう言っていても、あんまり神経質になるのは 良くないよ。」 「特別な菌はいないと思う。移植前には、膣培養検査もするし、 いつも通り膣錠を使って殺菌はしておくし、やれる事はやろう。 でも、菌を殺しすぎるのも良くないから。神経質にならずにね。」 と言われ、結局、手紙が届いたのかは聞けずに終わりました。 それ以上何か言うと、神経質になっていると思われ、 何より医師との関係が悪くなるのが恐かったのだと思います。 なんか、旨くコミュニケーションがとれませんでした。 「神経質になってるわけじゃないんですよ。ただ、もう 次は7回目の妊娠ですから、納得のいく治療がしたいんです。 不育症を研究されているF先生の意見を尊重して、 治療を進めていきたいんです!」と言えませんでした。 手紙が届いているのかどうか、主治医から何も言われていないので 分かりませんが、もし、手紙に不快な思いをされているのなら って思うと、自分の思いを口にすることは出来ませんでした。 ただ、膣培養検査はすると言ってくれているので、 このモヤモヤした思いは、とりあえず胸に閉まっておこうと 思います。 今週末はF先生のクリニックが再診ですし、 採血結果と合わせて、次の妊娠についてのお話しが出来たら、 気持ちも晴れるかもしれません。 どうしようもない、仕方がない、偶発的な事故と思うしかない ...不妊クリニックの主治医も今まで診て貰った産科医も、 妊娠が中断した時、そう言いました。 でも、6度も妊娠できたのに結果は出ませんでした。 偶発的な仕方が無いことは、後、何度続くのでしょうか。やっと原因を追究して下さる医師に診て貰えているのに、 思うようにいかないものです。
2009年08月12日
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思えば妊娠が悲しい結果に終わる度に、家電を新調したりして 気晴らしをしてきました。 1番最初の妊娠が流産に終わった時は、洗濯機をドラム式に 買い換えました。 今回、6度目の妊娠が初期流産に終わって、 7度目の妊娠に希望が持てず、残っている凍結卵を さっさと移植してしまって治療を終わらそうという気持ちに なっていました。 で、リビングに大きいテレビを買ったり、 オーブンもいいのに買い換えて...贅沢するぞぉ~!!って 思ってました。 お目当てのテレビとオーブンを購入すると、20万円以上はする筈です。 贅沢しても、治療さえ辞めれば貯金は増やせる! でも、結局、まだ諦めることは出来ませんでした。 たくさんの不育症患者さんを診られている先生に診て貰い、 7度目の妊娠へ向けて対策を検討して下さることになり、 捨てかけていた希望が、また膨らんできています。 この先も治療にはお金がかかるので、まだ使えるテレビやオーブン の買い替えはあきらめて、釜がボロボロになっていた炊飯器を 新調しました。 MITSUBISHIの蒸気レス炊飯器、炊飯器のわりに高額だけど 自分へのご褒美もかねて購入しました。 次に何かを思い切って購入する時は、我が子のためのお買い物で ありますように。
2009年08月04日
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