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もちろん、間違い英語、by娘。 くもんでうろ覚えのものを使ったようで、苦笑しながらも、涙がこぼれた娘の素直な希望のメッセージ。 PTAが終わった。 実質あと2つ対外の仕事が残っているけれど、学校内のものはみんな終わった。 わたしは学校内で起こった事故がきっかけで会長になった。 聡明な、この世界をみんな見通しているようにサードアイが通った、娘の同級生の女の子がなくなり、多くのかなしみがわたしたちを包んだ。 女の子の親御さんは、それでも生きている者の務めとするかのように、強い信念で、前を向き、ご自身のできるとこを続けている。 想像してもしきれないようなかなしみ。 日々、愛らしかった娘がいないことに慣れていってしまうことの、なんとも言い難いかなしみ。 それでも、ご家族はかなしい時は肩を寄せ合い、お互いの存在で勇気づけ合い、明るく一生懸命、生きていると感じている。 家族としての深い結びつき。 つよいし、勇気をもらっている。 かなしみのもう一つは、担任だった先生のこと。 この春退職され、もう先生になることはないかもしれない。 最後に、元クラスメート、保護者の有志で手紙を書き、校長先生に託した。 間違い英語のメッセージは、その手紙の最後にあった。 元2組のフルメンバーで集まって、 また先生の面白い話が聞きたいよ。 いつか実現できると思う。 Sちゃん(なくなった女の子)もそうなったら うれしいと思うよ! You are able to teacher こどもは、大人が勝手に引いてしまっている線を、信じられないくらいの素直さで超えてしまえることがある。 この不思議なこどものちからが、実は大人の疲れや鈍感さを浄化してくれることがあるんじゃないか。 娘やこどもの存在をかみさまに思ってしまうのは、そんな瞬間を何度となく経験しているからだ。 もちろん、現実はそんなに容易くないだろうけれど、担任だった先生が、いつの日かまた自分の人生を歩き始める、そんなきっかけになるのは、こういうこどもたちの不思議な愛のエネルギーなんじゃないだろうか。 You are able to teacher 先生、あなたを待っているひとたちのために、また生きてください。 そして、ありがとう、先生。
2014.04.26
オフになった日、PTA資料をほぼ捨てたら火がつき、ずっと見過ごされてきた懐かしい資料をこれまた、ほぼ捨てられた。 あぁ、こうして目に見える形で肩の荷を降ろして、リセットして次へいくのだ。 息子の禁断の部屋もさりげなく掃除をし、お風呂場の排水溝周辺もすっきり汚れを落とし、ピアノは処分したのにまだたくさんあった楽譜も処分し、燃えない文具ごみもかなり捨てた。 この前もPTA室の膨大なごみを大量に処分して、「立つ鳥後を濁さずね〜」なんて言ってたんだけど、目に見えるところをすっきりさせることはだいじね、と再確認。 子どもの成長とともに、儀式というものはだいじなことだと初めて気づいた。 結婚式もあげてないし、必要なんてないと思っていたけど、あれは親への感謝のために必要なのだ。 七五三も面倒くさいな〜と思っていたけれど、親を続けてきたねぎらい、そしてまた肚をくくり直して親を続けていく覚悟を持つ、そんな儀式だと思った。 大学の卒業式には出席していない。 卒業式の日にはもう仕事をしていた。 母には悪いことをしたと思う。 オットもそうだったけれど、わたしも卒業式で表彰される予定だったから。 貧乏で苦労しながら4人の子を大学や専門学校まで出して、あぁ、親って本当に苦労ばっかりだな、と親不孝者の我が身を振り返ってそう思う。 PTA会長になって、卒業式と入学式の祝辞を読んだ。 入学式の方がうんと緊張した。 この先6年間の始まりを汚さないようにとものすごく緊張した。 明後日、総会があって、わたしの小学校のPTAが終わる。 翌日は役員の打ち上げ。 役員を疾走した仲間ともお別れ。 はじまりがあって終わりがある。 ずっとこのままでいたい、という言葉があるけれど、ずっとこのままでいていいわけがない、ともどこかから返ってくるのは、わたしがオトナになったからか、それとも生来の反抗心からか。 オットがでがけにスマホを忘れて、終始落ち着かない感じだった。 「なんかつながっていない落ち着かなさなんだよ」と。 わたしは携帯を忘れても気にならない。 (そして財布もかなりの率で忘れることよ!) 「携帯なんてなくなればいいのに」とオットに言ったら、「なくなるならみんな一斉になくなってほしい」とオットは言った。 もう人生になくてはならないツールなんだなぁ。 人生になくてはならない、それってなんだろう。 わたしは、「手」かな。 両手と感覚と、声はこの身にあってほしい。 いつかこの人生も終わりがあるけれど、できうるならば、最期のときまで、誰かとこの手で触れていたいな、と思う。
2014.04.23
今月末の総会まではまだまだ続くPTA会長のお仕事。 子を持つ父母の浅くはない歴史あるPTA。 スリム化を目指したかったけれど、これまでの積み重ねでがっちり固められた様々な仕事は、意味を見出そうと思えばいくらでも可能だ。 ちなみに、PTA会長になると、会長と校長が理事となるPTA連合会なる、さらに上の組織までもがあるのだ〜〜〜〜〜〜!!! 会長の仕事だけでもかなり膨大なのに、さらにその上の通称P連の会長、副会長ほか、役員で構成されている。 その役員になると、行政の会議やら他団体の会議やら、とにかくよく仕事を見つけてくるなぁといいほど、いろんな会議に出ていくのだ。 そんなことができるひとって・・・ いや実際綿々と続いてきた浅くない歴史があるから、誰かが時間を割いてやってきたのだ。 P連などは、各校とのつながり、情報交換などが迅速にできる組織として、なにかあったときに組織の意見として行政に意見することができる、そのためにあるのだろうけど。 だけどなぁ。 意味を見出そうと思えばいくらでもできる。 わたしはたまたまご一緒した同期の会長たちがとてもユニークで面白かったから、なんとかできた。 今日も我が子が卒業した小学校で、委員や年間お手伝いを決めてきただけど、それにしても仕事あるなぁ、学校安全のため、教師の負担を少しでも軽くするため、細かなお手伝いがたくさんある。 確かに、教師の負担を軽くすることで、現場のこどもたちにより意識を集中できるなら、親のできることはしたい。 実際に、現場の先生が悲鳴を上げていたこと気づけなかった経験があるから、それは今も少しトラウマ的に痛みが残っている。 だけど。 本当にこの組織がなければ学校が成り立たないかといえば、そんなことはない。 なかなか決まらない委員、役員は毎年の風景。 そうまでして選出しなければならないのかな、と思う自分がいる。 組織の中で動くことは楽なこと。 前年を踏襲するのは楽だ。 それが本当に必要ならば、学校が声をあげればいい。 どんなときに助けてほしいか、学校が助けを求めていたら、無視できない、心ある親は必ずいる。 PTAは任意のボランティア団体なのだから、必要なときにできるひとが手を挙げればいい。 助けてほしいという声は、必ず誰かに伝わる。 こどもたちのため。 こどもたちを導こうと努力している先生のため。 そして父母として成長する自分自身のため。 滞りなくスムースに運営できるための、いくつもの約束事は、本当に必要なのだろうかと、1年間会長を経験した今も、感じてしまうのだ。 もっとスリム化できたらと思いながら、微々たるマイナーチェンジしかできなかった。 今でも思う。 会長って必要かしら。 本部役員って必要? 学校をよく知るため、そして先生方と他の父母とのつながりを深めるため、こどもたちのためにある組織、PTA。 できるひとが、できるときに、できることを。 その通りのPTAであれば、もっと風通しがよくなるのにな、と思う。
2014.04.15
大切な友人と話しているときに、ここ一年モヤモヤと上手く言葉にあがらない思いの正体がわかった。 それは、悲しむことは可哀想なことではないということ。 悲しむことは可哀想、という世間で思い込まれていた意識に、なにか引っかかって、物事がスムースに運ばないことがあった。 悲しむことは、悲しみを誰かと交わし、悲しみきることは、その先に癒しがあることを、この友人から教えてもらった。 悲しむことは可哀想という意識が、誰かの心と心の距離を生み出してしまう気が、この一年ずっと感じてきた。 だけど、悲しみきることは、ある意味普段から自分自身というものをもっていないとすんなりフィットするものではないのかもしれない。 刺激しないように、悲しませないようにという配慮が、誰かの成長を阻むような。 経験したことを生かせないままに、もやもやを残したまま、生きていく少しの残念さ。 一番心に引っかかっていたことが、ようやく腑に落ちた。 ねぇ、いかようにも生き直しなんてできるんだけどな。 何度となく「世間」に当たるけれど、心通じるひとたちからもらった新しいちからを、巡りあう誰かに伝えていけたらと思う。
2014.01.19
先週土曜日、今年度の家庭教育セミナーを開催。 講師は児童心理司の山𦚰由貴子さん。 テーマはこどもを巡る安全、学校と保護者との協力関係。 「教室の悪魔」「震える学校」などの著者である山𦚰さん、いじめ、虐待などの相談、治療を年間200家族ほどされている。 週末は全国各地、講演にでかける。 別府日帰り、とかあったそう(これはしんどい、やったことあるわ) PTA会長をしようと覚悟を決めたのは、山𦚰さんの言葉があったから。 こどもたちに信頼される大人であろう こどもたちに、楽しく元気に生きることを伝えたいなら、まず大人が楽しく元気に生きること。 いじめ問題は、実がわたしたち大人が生きる姿勢を変えることで初めて解決する問題。 生きていく上で嫌なことや辛いこと、悲しいことはたくさんあります。 でも、まず身近にいる大人の一人一人が、楽しく元気に生きる姿を見せること。 それこそが、いじめをなくす最大の取り組みにつながるでしょう。 手帳に書き留めて、折りにふれ、目にし、支えてもらった言葉。 濃密で、息をするのも忘れるような、凄まじい、心が興奮しているのを隠せないような講演。 もし子どもを持っているなら、教師をしているのなら、学校を巡る大人であるのならば、一度は山𦚰先生のお話を聴いたほうがいい。 彼女の何がすごいって、臨床から基づいた様々な現状と、こどもたちから信頼を得、回復を支えた経験値、その本当の根本にあるものをしっかり捉えて、わたしたちにきちんと希望を示してくれることに合わせ、(まだあるよ、まだまだ、いろいろあるんだけど)何よりも、覚悟を決めた大人を、まさに彼女が体現し続けているところなのだ。 なんだかここ数年急激に、覚悟を決めた豊かな大人にたくさん出会っている。 そのひとたちは本当にわたしの支えだ。 とにかく、一度聴いてみてほしい。 これが真剣に生きている大人。
2013.12.09
行き詰まったかのようなこと多しなPTA活動だったけど、やはりどこかに神様というものはいるのよね。 わたしの神様はチャーミングなひとたちです。 どれほど助けられているのだろう。 それでも、いま一番起きるべきことが起こっている、というスタンスでいるので、わたしが歪まなければ、良い方向へ自然と向かうのだろうともうすぼんやり思っています。 今日マタニティクラニオのセッションがとても気持ちよく、ひとのからだは海だなぁ、液だなぁ、宇宙だなぁ、としみじみやわらかくなりました。 妊娠するだけで、こんなにも筋膜も組織もみずみずしくやわらかくなるのだと、感動的でした。 ふっと思うのだけど(何度となく思ったことだけど)、PTAのことで頭がいっぱいで、仕事に向けるエネルギーは1割位。クラスアナウンスも何も出来ずじまいで終わろうとしているけれど、そんなわたしを助けてくれたのは、やはりクラスやセッションで巡り会えた生徒さん。 アナウンス力ゼロに近いわたしのもとに、お友達をご紹介してくださいましたし、新しい場を設けてくださったり。 そして、その仕事の一つ一つが、なんとも豊かな時間をともに過ごすことができているようです。 支えられっぱなしな平成25年。 だから一見困難に思えることも越えられると信じられるし、前を向けます。 まぁ、これが何の根拠もないんだけど。 静かに良い方へ向かっています。 いまこの瞬間も。 こっそり言いますが、PTA会長、とっても面白いです! あと1年欲しかったなぁ。 やること満載で、年を越します。
2013.12.04
盆踊り初日でした。 明らかな夕方からの傘マーク。 もう祈るばかりだったけれど、降ってきたのはこどもたちが踊った後、間もなく。 ぎりぎりセーフ。 太鼓のクラブさんにも協力してもらい、あの練習量の少なさをこどもたちの威勢の良さでカバーできました。 なんてみずみずしいんだろう! この学校の保護者で幸せな瞬間でした。 もう小学校生活は半年だけど、こどもたちのいのちの輝きを引き出したい。 おとなのちからを引き出したい、よろこびの魔法を使って。 役員や地域のおじさまおばさまたちと力を合わせ、明日もいい夏祭りになりますように。
2013.07.27
気がつけば頭の中は盆踊り一色。 ソーラン節の子供集めとか、ソーラン節の練習のこととか、ソーラン節の後のおやつのこととか、ソーラン節の踊るスペースのこととか、ソーラン節を踊る時間帯とか。 いえいえ、他にも山ほどもある懸案事項、大きな山はこれからなんだけど、ひとつひとつの行事によろこびを見い出したい。 どうせ使うエネルギーなら、面白く使いたい。 一日一日が精一杯だけど、思わぬ贈り物はやってくる。 ソーラン節のこどもたちの躍動とか、大学時代の親友の結婚式の案内とか。 余興は何やろうかなぁ〜 すっごい恥ずかしいやつがいいよね〜 まずは無事に盆踊りが成功しますように。 夏休み中は余興の練習をするわ。 いろんなひとからちからをもらってる。 夕方の第三会議室(PTAね)、役員のみんなと盆踊りの諸々を詰めながら、人生の半ばを通過しているおんなたちが、いい感じで何かを生み出そうとしている。 いい感じなんだよね。 ひとがいいと、ささいなこともなんて面白いんだろう。 いやぁ、ほんと、あたしは見る目があるよ! このひとたち最高だな、と心のうちでニマニマする。 こうしてちからはわいてくる。 もくもくと、モリモリと。
2013.07.18
不登校のケーススタディの中、カウンセラーの森田直樹さんの考えがしっくりきた。 胸には、見えないけれど、自信という名の水の入ったコップがある。 不登校のときは、自信の水がほとんど入っていない状態という。 どうするかというと、毎日毎日、親がその子の良いところを褒め続ける。 不登校になると、褒めるところも見つからない、という親もいるけれど、その子が部屋から出てきた、その足音さえも褒めるのだという。 あなたの足音が聴けて、わたしは本当に幸せな母親だと。 怪訝そうな態度を取る子もいるけれど、毎日親から自分の存在そのものを肯定され続けると、コップの中の自信の水はだんだん溜まってきて、溢れる頃になると、自ら学校に行きだすという。 世界一幸せだ、という思いをこめて子を褒める、というのはシンプルでいてとても難しい。 なぜなら不登校の親は、自分の子育てが間違っていたんじゃないかと自分を責めるから。 よく言われることだけれど、不登校、うつに家族がなったら、周りの家族がカウンセリングを受け、家族の自信の水を注ぎ足していく。 森田さんの本を読んだとき、これは親と子のケースだけじゃなく、大人対大人としても当てはまるんじゃないか、と感じた。 例えばわたしは今PTAど真ん中なので、中心のひとつに「学校」がある。 どうしたら健康な学校になるだろうといえば、保護者と先生のつながっている感が感じられるかどうか。 はじめからつながるなんていうのはなくて、どちらから、幸運ならば双方の少しの意識によって、だんだんとつながって、信頼が生み出される。 大人同士に信頼があれば、こどもは大概OKなのだ。 誰かと誰かの関係性の中で、互いに互いの胸にある「自信」の水を少しづつでも増やすことは可能だ。 そんなことを思っていたら、まぶだちマキさんとお茶をしたときに、同じように彼女からも「自信」について、同様な解釈を聞いた。 うーん、素直に生きてると、すごいシンクロ率なんだなぁ。 この世界に生きる大人が、ほんの少し何かと誰かとつながろうというレッスンを重ねたら、いまいる場所にもっとフィットして生きやすくなると想像する。 あぁ、とてもフィットして、深呼吸できる。
2013.07.03
PTAの本部をしていると、普段の仕事、というものが、なんて楽なのだろうと思ってしまう。 決して仕事をナメてるわけじゃなく。 仕事は報酬もあるし、やりたいことを自分のやり方でできる。 よろこびも、学びもある。 自分のステージ外の、こういった組織の中に入って世界をみることは、自由人なわたしにとっては本当に修行なのだけど。 誰かの声に、どんな学びがあるのかと、時間をかけて深めてみる。 その声は自分の中にある何かの鏡であることも。 セラピストとして仕事をしているけれど、PTAの仕事は、自分自身の器をさらに広げてくれるものと思ってやっている。 まぁ、修行続きで、たまに大の字になって、 あ〜〜〜〜〜〜めんどくさ! とぼさっとゆるんだりしている。 今夜は地区の方たちと防災の話し合いに。 それにしても、仕事が多すぎる〜〜〜〜〜〜〜〜
2013.06.12
まだ終わっていないけれど、5月のPTAは長かった・・・ いや、やること満載だから、もう一年もないのに課題満載だから、これからの過酷さを思うと、頭のどこかが重くなるのだ。 本部のみんなにもPTAに費やした時間をカウントしてもらっているのだけど、わたしの5月の総計は、39、5時間。 4月は16時間。 6月はいまのところ、32時間の予定。 でもPTAの資料や本を読んだり考えたりする時間は入っていないから、いやぁ〜、これは、よほど暇じゃないと無理でしょ! になっても仕方ない。 39、5時間を、そうだなぁ、例えば時給800円(って高い?安い?)換算で、31600円かぁ。 なんて邪な会長。 この39、5時間の中の16時間は会合(飲み有り)。 いまは家庭教育学級の講師探し、そして専門部の選考委員会の廃止に関するアンケートを考えている。 家庭教育学級、24000円が上限なので、なかなか限られているんだよね〜 金沢に住む金森俊朗先生を呼びたいのだけれど、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜む! 他の役員仲間からも、ちょっと仕事が多すぎるとの声も上がっていて、あぁPTAストレス第1期のピークだ〜〜〜(涙) 歴代の役員さんも何とか乗り切ってきたからといって、それはすごい負担があってのこと。 この地域と密接に関わっているPTAの負担を解いていくにはかなり話し合いが必要。 うわ〜〜〜〜〜〜 って叫びたい日々。 世間、めんどくさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
2013.05.29
春の嵐、みなさん、お元気ですか。 ご報告したいことは盛りだくさんでしたが、ブログを書く余裕も、メールもなかなか開けない日々でした。 この春は、ママゴコロくらぶさん主催のマタニティヨガクラスを、親友のアリカイさんから引き継ぎました。 主催の栄養士のふみさんの、さりげない心配りあふれるクラスです。 ヨガの後に、ふみさんお手製のおやつとお白湯で、参加者同士、つながれる時間です。 ふみさんは、知るひとぞ知る「めがねジャム」を作るひとであり、調布子育てネット、通称「ちょこカフェ」のメインディレクターです。 昨日も別の方と、食べることは生きることね〜、としみじみ確認し合ったのだけれど、ふみさんを思うと、「食べることは豊かに生きること」だと、お腹や胸の辺りはほっこりするのです。 実は「めがねジャム」をいただいたことがあるのですが、かりんジャムのうつくしさにうっとりするばかりでね。 スプーンにすくっては、自分の中の女の子の部分が満たされる。 わたしは宝石には全く興味がないけれど、ふみさんのジャムを見つめていると、ひとが輝く石に惹かれる理由がストンとわかる気になります。 マタニティクラスはとても新鮮で、フィードバックの多い時間です。 いつかクラスの風景をご紹介しますね。 産後クラスでは、あちこちで卒業、お別れの日々でした。 約一年間通ってくださった方たちが、歩けるようになったお子さんとともに、職場に復帰されたり、新しいステージに向かいます。 歩けるようになるまでの、その母が注いだ心と手を尽くした時間とエネルギー、それは確実に、みなさんのバイタリティと寛容さを引き出すでしょう。 どうぞ、どうぞあなたらしく、これからも。 巡り会えて幸せでした。 クラニオのセッションも細々と続けています。 長く通ってくださる方は、どんどんと必要でないものははがれ、自分にとって大切なものがとても近く感じられるようになっています。 回復するちからはあなたの中にある。 クライアントさんから、わたしは何度も何度も学んでいます。 そして、年明けから心の真ん中にあった、PTA。 今日、総会を無事に終了しました。 普段あまり緊張しないのですが、とても緊張していました。 いつもキャミソール&トレパンなわたしが、ワンピースにジャケットのいでたちに、笑う主人、「PTA会長っぽいよ」 「あぁ、こうして似合わない服を着ながら、 年をとっていくのね〜〜〜〜〜」 一緒に役員をやってくれるメンバーは、本当に誇りに思うひとたちばかり。 情熱があり、冷静さもあり、こまやかな愛を配ることもでき、全力を出すことを厭わないひとたちばかり。 すてきなのよ。 こんなひとたちと一年できるって、どれだけ幸運かしら。 全国のPTA会長の中でも多分5本の指には入るわ。 問題は山積み。 専門部のみなさんや会員のみなさんと力をあわせて、いまの学校と親にとって本当に必要なPTAの在り方を動きながら考えに考えに考えてみようと、腹をくくりました。 これまでのPTAの歴史に感謝しながらね。 年を明けてからずっとわたしの心の支えにあった、まぶだちマキさんから教えてもらった言葉を、会長挨拶で伝えました。 どれだけちからになったことか。 卵は外側の力で殻を破る時、命は終わり、 内側の力で殻を破る時、命は始まる。 全ては内側から生み出ずるものなり。 このPTAのメンバーのエネルギーは、みんな内側からの熱で、世界を作っていけると思っています。 やっとスタートしたばかり。 本当にあっという間でしょう。 総会が終わり帰宅したら、仕事に出勤する主人に、多分お疲れさまという気持ちをたっぷりこめて、抱きしめられ。 たくさん背中をなでられ、キスもいろんなところにしてくれ。 (ちょっと顔をよけたりしたけどね) 「一年間よろしくお願いしま〜〜〜す」と、もうヘロヘロなわたし。 彼は、ここ数週間、PTAの可能性に悶々としていたわたしが夕方ため息をついていると、夕ご飯を作ってくれたり、目の前の焼き肉屋さんに連れて行ってくれたり。 会長になると言ったときに、「なぜこの時期にあなたがしなければいけないんだ!」と怒らせ、二日口をきいてくれなかった後に、「夜出るときは仕事調整するから言って」と言ってくれた、このひとなしでは、もうわたしは立ち行かない。 愛をたくさんもらっている、この春。
2013.04.26
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