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〇大阪城天守閣に蔵されている宝物に混じって、浪速のことも夢のまた夢と詠んだ太閤殿下の手紙が保存されています。宛名はまんところ殿つまり正妻のおね様。<返々、久しく御訪れなく候まゝ、心もとなく候て申しまいらせ候。懇ろに返事待ち申し候。こなたは、再々雨降り候て、道悪く候。敵八州に持ち申す城五つまではこれなく、早、城々百ばかり取り申し候。五つの城も大たわら(小田原)はじめて城を渡し申すべく間、命を助け候へと申し候へども、なかなかとりつき候物も曲事(者)の由申しつけ候間、誰々もけよう申さず候。いよいよとめでたき左右申すべく候。この間は、文にても申しうけ給はり候はず、御ゆかしく候まゝ、申しまいらせ候。そなたより御訪れなく候まゝ、御心もとなく思ひまいらせ候て、わざと筆を染め申し候。又申し候。大政所殿・そもじ・若君・小姫・金吾息災に候や。大さか殿も久しく。 政所殿 てんか最後の4行を解り易く直すと、<このところ、そちからの手紙が来ておりません。そなたの手紙が久しくないものですから、心配になって筆を染めました。母上大政所様、そなた、鶴松君、養女の豪姫(又は信雄の娘おひめ?)、小早川秀秋(のちに関が原の戦で西軍から東軍へと裏切った人物)も達者でいますか?この小田原の戦でも先に城を建てておきながら、前面にある林を伐り取って、一夜の内に出来たと思わせたり、一晩の間に白壁が出来ていたと思わせたけれど、それは白い和紙を貼り付けた秘策とも。遥か大阪に居る正妻へ宛てた手紙には家族への秀吉の気遣い、優しさが感じられますね。
2026.08.30
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〇2007年9月20日の日記では<寝室の出窓から眺める天王山の稜線に、ひときわ抜きん出る大樹が見えます。視力のコンディションが良くない時など、恰も天文観測所の円形建物にすら見えてしまうほどの出っ張り具合です。ガイドの折、天王山山頂近くの酒解神社本殿前にあるこの樅(モミ)の樹は30メートルほどありますと説明していますが、大山崎近辺よりも、少し離れた長岡京地区から眺めた遠景の方がより鮮明に見えるのです。 まるでクリスマス・ツリーのような形をしたこの樅の樹と天王山との取り合わせを一つの絵画として季節の移ろいを愉しんでいます。天王山に限らず、京都へと向かう西山山系の頂きにも大きな樹木が時折抜きん出ているのを目にします。>と書いていますが、新関西空港、大阪地区に爪痕を残した2018年の台風21号で見るも無残な姿に変貌しました。もう僅かしか残っていないわが寿命では、あの素晴らしいツリー形は目にすることができません。
2026.08.29
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〇在籍していた頃の日記ですが、大山崎ふるさとガイドの会では、外に出る学習会と室内で行う学習会を各班の輪番制の割り当てで実施しています。例えば6月19日は1班の現地学習で「鳥居前古墳見学」、7月18日の2班室内学習は「日本神話と酒解神社」そして3班の現地学習は9月18日の「平安京創生館」見学と元本能寺界隈探訪、といった具合で、12月18日の1班の学習会は「ご神領を守った大山崎惣中の智恵」と題して過去67枚に及ぶ「禁制」の幾つかを採り上げ、勉学したいと思っています。特に明智光秀公が信長公を襲ったと聴くや早々に明智の禁制を莫大な寄贈と引き換えに手にし、また、秀吉公が「中国大返し」で姫路を目指していると聴くや即刻羽柴秀吉公の禁制を掌中にしてご神領内を守りました。
2026.08.28
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〇東の隣家との境には酔芙蓉や白夾竹桃、時計草などが一角を占めていますが、その陰に抜きんでいる十本ほどの茗荷、先日家内が折よく見つけ、かそけき花の咲いているのを一つ摘んで来、昨夜の薬味として味わいました。高橋治著『くさぐさの花』の「茗荷」からそっくり引用すると<どこかで、柿と茗荷は仲が良いという文章を読んだ。拙宅に毎年休まず実をつける柿の木があって、勤勉さに感嘆していたのだが、どうも茗荷の側面援助らしい。・・略・・そもそも庭に植えたのは、韮、大蒜、辣韭、匂いのするもの一切御法度の父が、茗荷だけは大好物だったからだ。父が出張に出かけると、それっと、母が韮の味噌を作ってくれる。母子で賞味して首をすくめている。・・・略。 * 茗荷掘る市井の寸土愉しめり 西島麦南 人しれぬ花いとなめる茗荷かな 日野草城迂生食うばかりに精出して、とても花を楽しむ大悟には程遠い。> ショウガ科の多年草、日影を好む。春の若芽を茗荷竹、晩夏に根元から出るタケノコ状の花穂を「茗荷の子」と言って、共に食用。ランに似た淡黄色の花。
2026.08.27
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〇神前でお祓いをする時、必ずや榊をお供えしますね。なら、どうして榊は神聖なのでしょうか。古事記を繙けば、天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時、大御神を岩戸から誘い出す為、 イホツマサカキ天の香具山の五百筒真賢木を根こじにこじて、多くの枝に八咫鏡、勾玉、木綿や麻布をかけ、岩戸の前にかけたと記されています。日本人が古来より崇める神は、透明で目に映らないので、 ヨリシロ神様の拠り所となる依代に降臨して戴きます。天照大御神の依代として五百筒真賢木が立てられています。このことから真賢木が神聖な境の木として考えられました。この境の木が神に関係の深い木ということで木偏に神を充てて、サカキと読ませ、神に捧げる木の意味を持たせるに至りました。 なお伊勢神宮などで用いられている榊はツバキ科の常緑樹でマサカキと呼ばれるもの。長楕円形の先が尖った葉には光沢があって、ギザギザがありません。近畿以西に自生します。(参考図書:瓜生 中著「神社と祭り」)
2026.08.26
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〇大山崎山荘に因む加賀正太郎の叔父、加賀豊三郎の集めた蔵書庫が東京都立図書館内にある「加賀文庫」(洗雲亭文庫)で、凡そ2万4千点を数える貴重な収集品が所蔵されています。その目録を木版刷りのものに纏めたのが『洗雲亭清賞』で、戦前における木版印刷技術の最高水準を示す美しい書物で、表紙などには京都竜村に特注した布を使用、装丁も凝っているとか。題字等は清浦奎吾・市島春城、序は徳富蘇峰という著名人が参画しています。例えば『箔の考』山東京伝自筆・・・深川生れの本名岩 瀬醒。浮世絵を学び、黄表紙の画工を皮切りに 黄表紙の作者に転じました。谷文晁の直筆画・・・”なんでも鑑定団”でお馴染み。柳亭翁雑録・・・『偐田舎源氏』の著者、柳亭種彦の日記や雑録2冊。元は3代目種彦(高畠藍泉)が所蔵していたものです。画工歌川国貞と一緒に隅田川花やしきへ出かけた様子など。『南総里見八犬伝』曲亭馬琴自筆。あの壮大な物語の稿本。全9輯106冊の大作は、その執筆途中で馬琴は失明、一子宗伯の未亡人お路に口述筆記させ、完成まで28年もの時を要したようです。図書館だから、ここで挙げきれないほどの貴重な文献の集積庫なのです。
2026.08.25
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〇明治以降の画壇の巨匠の一人、横山大観画伯は、その名の通り、雄大な風景と荘厳な世界を遺しました。東京美術学校(現東京芸大美術部)の一期生として入学し、岡倉天心の薫陶を得、菱田春草らと新しい美術の先駆者として努めました。昭和33年に享年90歳で没したのですが、彼の脳を保存しようと医師たちが働きかけ、執刀した医師によると、その脳は60歳前後、重さも平均値を越え、動脈硬化の兆候さえ無かったようです。大観のほか、夏目漱石や斎藤茂吉らとともに東京大学医学に脳が保存されているようです。(参考図書『日本史「その後」の謎』・雑学総研)
2026.08.24
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〇花押には草名体、二合体、一字体、別用体、明朝体の種類があって、能書家と言われた藤原行成のような柔らかな書体や王と義を組合せた二合体、実名の一字だけから成る平忠盛の花押のほか、時代と共に複雑化したものまであるようです。足利一門は、三十四代・義輝、その次の義昭の二人を除けば、初代の尊氏の花押からそれほど変わらないものを踏襲。信長を翻弄した義昭公は五度も書体を変更。一方疑り深くならざるを得なかった信長公は七種類の花押を残し、のちは天下布武の印に。信長公から一字貰った長政(旧賢政)は「長」の字を右に倒した花押を作りました。勝海舟公の花押は信長公五度目の花押にそっくりな花押にして居たり、三好某の花押はまるで水鳥そっくり、徳川歴代将軍は慶喜公を除けば、家康公の書体を忠実に守っています。また明治から昭和に至る政治家や文豪、画家なども花押を愛した人たちでした。
2026.08.23
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〇長岡京市の図書館では、最近一度に10冊も借り出せるシステムになっています。家内が借り出した8冊のうち、先般話題にした日本手ぬぐいの他、新名史典編『洗浄と殺菌のはなし』・・・画像に あるように、汚れが落ちる仕組みや菌とウイ ルスの違いなど解り易く解説。 汚れの判断 と洗剤の選び方など親切に解説。 ベニシア・スタンリー・スミス著『ベニシアの庭づくりノート』・・・黒谷友香さんの「お庭つく ります」という番組はとても楽しい。同じ雰 囲気の書物、左頁に画像と解説、右頁は自由 に書き込めるメモ・ノートになっています。 新津春子著『1か月に1回物を動かせば家はキレイになる』・・・掃除と片付けとのバランスや、 整理どきのポイントなど。いずれも親しみやすい書物です。
2026.08.22
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〇縦15センチ余り、横11センチ、厚味3センチほどの紙のケース(表にはトランプのダイヤのQ、箱の裏面は柳川、沖ノ端の風景写真)に容れられた北原白秋の抒情詩集。これは明治44年6月5日、東雲堂書店から90銭で発刊されたものを彼をこよなく誇りに思う野田宇太郎氏が昭和53年2月15日東京堂筑後柳川版として復刊されたもので、<この書物は故郷柳河を生涯愛した詩人北原白秋を永久に記念するため、日本郷土文芸叢書の趣旨により柳川市に於てのみ発売するものである。>という但書きが付されています。頒価1500円。白秋自身がカット絵を施した、実に洒落た詩集です。亦<この小さき抒情小曲集をそのかみのあえかなりしわが母上と、愛弟Tinka Johnに贈る。>とTonka Johnのサインをしています。Tinka(ちんか)=小さい、 Tonka(とんか)=大きい、John(じよん)=坊ちゃんという意味の筑後全般の方言のようです。 序のページ数はローマ数字で表記、9頁の<わが生ひたち>に始まって、序詩からはアラビア数字表記に変えています。骨牌(カルタ・トランプ)の女王・・・11編断章・・・・61編過ぎし日・・・20編おもひで・・・19編生の芽生・・・36編TONKA JOHNの悲哀・・・19編柳河風俗詩・・・4編酒の黴・・・・・25編其の他18編など2百編以上網羅されています。大切にしたい贅沢な詩集です。
2026.08.21
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〇NHK大河ドラマ「光る君」が現代人に解り易いようなタッチでお茶の間に届けられていたので、往時にも女性が職業婦人として活躍しておられた史実が生ま生ましく感じ取れますね。文学にみる『日本女性の歴史』(吉川弘文館)の中の、黒田弘子さんの『女性職人の活躍』七十一番職人歌合の論評を見ると、「職人歌合」なる史料が鎌倉期に二点、戦国期が二点残されていて、戦国時代の七十一番職人歌合には、 右:ー紺掻koukaki 壺こうの只一しほのそら色に 光そへたる秋の夜の月 shikama左ー機織hataori 飾磨川逢瀬もいつとちぎらぬに あながち人の恋しかるらん前者の歌意~一度だけ染汁に浸して染める一しお染 のそら色が秋の月夜に映えて美しい。後者の歌意~いつ逢いましょうと約束したわけでは ないのに、何故あの人が恋しいの?これらは働く女性を観て、貴族たちが詠んだ歌なのです。男女比は男百三人、女性はその約四分の一の三十四人。第一グループに 縫物師、機織、紺掻などの衣料関係第二グループは 魚売、米売、豆腐売、素麺売など食品関係第三グループには 炭売(大原女)、灯芯売などの日常生活物資第四グループは 白物売などの化粧関係第五には、 白拍子や巫などの芸能関係さてさて驚くなかれ、亀屋五位女という女性は帯座の座頭職というトップの座に居ましたし、布袋屋玄了尼という後家さんは、扇の販売の専売権の半分を掌握していたという事です。更に宣教師ルイス・フロイスは、日本では妻が夫に金を貸して利息を取っていると記述していて、中世の女性たちが自己の労働の主人公であり得たことを証しているのです。
2026.08.20
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〇ほおずきには二通りあって、植物のほおづきと巻貝の卵のうからできた海ほおずき。後者は何の加工の必要もなく、クリーム色または赤紫色のもので、神社の夏祭の夜店でも売っていて、しょっぱい味覚と鳴らせ易さが特徴。盂蘭盆が近づいて来ると大型スーパーでは盆用品が大々的に積み上げられますが、そのグッズの一つに茎ごと売り出される「ほおずき」が挙げられます。父が勤めていた職場の社宅は二十坪ほどの敷地に客間、居間、台所、洋間、和室がありましたが、子供部屋の濡れ縁から正面に見る黒塀の前に、この時期ならダリアやカンナが咲いていて、そばに鬼灯も毎年彩りを見せていました。緑色と赤、オレンジ色の織り成す鬼灯は視覚的にも黒塀によくマッチしていました。赤く色づいたものをちぎり、萼を除いた実の部分を掌に包み、辛抱強く袋が破けない程度に優しく揉みます。実の皮越しに幾つかの種が泳ぎだす頃合を見て、楊枝を使い、実の中から種を取り出します。種は甘酸っぱい味がしました。揉むことによって浮遊した種は容易に取り出せますが、全ての種を取り払っても、最後の軸になる部分を小さな穴から抜き取る工程が大変なのです。荒っぽくやると穴が壊れてしまい、これまでの苦労はすべて水泡に帰してしまいます。穴の状態を警戒しながら、軸の部分を取り出すのです。見事取り出せたら、これで鬼灯の完成です。 口の中に含み、穴の部分を唇に押し当てながら、舌を巧みに使いながら、ほおづきの中にある空気を押し出し、鳴らせるのです。やはり姉たちは殆ど失敗もなく上手に取り出し、私より三十分も早くから鬼灯を鳴らしていました。夜店などで買った鬼灯は一周り、二周りも大きく、種を巧く引き出せた後は、音色も大きく、喜びも一入でした。
2026.08.19
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〇今朝は火曜日、燃えるゴミを出す日。軽い傾斜がありますが、起床後2時間足らずでは心臓への負担を感じ乍ら捨てています。その復路、東側の建物(ご近所のご居宅)の陰が随分延びてきて、私の身体がはみ出ないことに、ふと気が付きました。週に2回もあるのに・・・・。起承転結の転になる訳ですが、昔の人は時間に急かされ事が少なかった筈で、たっぷりとある無駄な時間に頭脳を巡らし、新たな発見、法則を手にしたのではあるまいか?人間一日の持ち時間は等しく(明暗はあれど)、公平に享受しています。無駄な時間を無駄に過ごすか、試作や、散歩、或いは実験等に費やすかで、その人物の一生に中味の濃淡の差が生じて来るように感じます。星座や太陽の位置の変化から古代の人々は一種の法則を導き出しました。わたし達はその恩恵の中に、生かせて貰っている事を忘れないで居ましょうね。
2026.08.18
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〇「ヤバイ」という言葉が新旧両方の意味で使われ、同時に飛び交う局面に居たとすれば、理解する側は大変。古語でも「なかなか」という語は、中途半端、なまはんか、かえって、とうてい、かなり、その通りという具合に時代によって意味が変化しています。全然という単語もつい最近までは否定的な意味を持つ言葉を誘引する使い方が主流であったものが、程度を表わす用法となって肯定の言葉を伴うようになりつつあります。平成10年3月第3版発行の鈴木棠三著『日常語語源辞典』(東京堂出版)は父が亡くなる1、2年前に購入したと思われますが、俳句を嗜む者として言葉の語源を知っておくべきと父も考えていたのでしょうか。鈴木棠三氏は中世から近世の庶民生活風俗研究家のようで諺や語源に明るい人。興味あるジャンルの書を沢山書いておられます。太古の頃に生まれた言葉が万葉、平安、鎌倉…と時代を経て表現が直されたり、或いは埋もれてしまったり、逆に新語として根付き現代に及んでいるなど、言葉の歴史が日本歴史の一面を物語っているようです。幸い、この本は五十音順にならべてあり、愛敬、相槌、敢えて、青、あかぎれ…と続き、田舎、稲妻など、どれ一つをとっても面白そうな内容です。俳句という十七文字の芸術・文学に身を置く者として、日本古来の言葉を知ることは、いわゆる温故知新を地で行くものと思われます。毎日少しずつ味わってみる積りです。
2026.08.17
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〇1995年に発刊された大沢在昌著『天使の牙』が裏面にあることでこの新聞の切抜きシリーズ「こども俳景」も時代が解りました。鈴鹿呂仁「京鹿子」主宰や坪内稔典氏らと京都新聞の紙上俳句の選者である岩城久治氏の玉梓に触れることができました。シリーズは21回続いています。祭、遠足、父の日、梅雨、螢、七夕、水泳、祇園祭、盆、炎、地蔵盆などが各表題で、いろんな例句とそれにかかわる文章が快く届きます。例えば「水遊び」では片山由美子氏の 水遊びする子が庭にひとりきりご自身の句 ひとり子の遊びいきなり浮いて来いまた吉田成子氏の 木漏れ日の衰へはじむ水遊び最後にまた 一夜経し水生臭き浮いて来い 久治でこの項を締めておられます。
2026.08.16
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〇小学校や中高生の時はクラスメートの名前を覚えるのが早い方だったと思っていますが、哀しいかな、今や覚えることよりも、記憶から呼び戻すことに難渋しています。おそらく脳内の海馬という組織の衰えに拠るものでしょう。それはさておき、目的地に辿り着くまでに、阪急電車や京都市バスにのる道すがら、対面に座っておられる人や傍に立っておられる人のお顔を見て、即座に、直感であだ名をつけてしまいます。例えば、阪急の河原町駅下車寸前に見たお嬢さんは、はっきりとした両目を持っておられた美人→ツタンカーメン。あの黄金の人面の棺にそっくりだったから・・・。また、市バスの上品な老婆さんは、動物のアルパカ、その後ろのやや鉤鼻の高齢さんは魔法つかい。もうひとり、六角形の輪郭をお持ちの老婆は、元阪神タイガースの小山投手似、山鉾の龍紋といった具合にです。
2026.08.15
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〇亡父の新聞の切り抜きにある高橋治さんの文章。挿絵は色鮮やかに風間完氏。宝物にしたいような素敵なシリーズで大事に仕舞い過ぎたから、今となっては所在不明。さて以下にある本文は全てわが拙文です。 祭笛吹くとき男佳(よ)かりける 橋本多佳子 普段パッとしない男だが、紺色の浴衣を着て、首をかしげるように一心不乱に祭笛を吹く様は、男の色気を感じさせる。 顔寄せて団扇のなかの話かな 下田 実花 寄り合いの席や夕涼みの縁台に並んだ女性同士の秘密めいた話。表情が隠れてしまって尚更気になる内緒ごと。 身にひしと乙女の頃の水着着る 赤松 恵子 脂肪がのった身体に無理やり通した水着。ひしとの一語に女性の覚悟のほどが表現されている。 手加減のなき夫のあと泳ぎ行く 成田 清子 男の身勝手さをよく捉えた句。 単衣きりりと泣かぬ女と見せ通す 鷲谷七菜子 夏浴衣の女性は美しい。日本の女性は栄養が足りているのか、欧米並みにグラマーな体形になった。残念なことに、着物はズンドウに近い、細身の小柄な女性の方が似合うとは皮肉なことである。 籐椅子の飴色の艶離れの間 吉田 星子
2026.08.14
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〇鯔(ぼら、いな)に背と書いていなせと読みますが、広辞苑をひきますと、<一説に、江戸日本橋魚河岸の若者が髪を「鯔背銀杏」に結っていたところから粋で、いさみ肌の若者やその容姿、気風を言うとあります。 さて1975年の季刊「銀花」第二十三号の特集には印伴纏・江戸庶民の旗印と銘打って、粋な伴纏を数多く載せています。纏に伴うものとして町火消しの揃いの伴纏から始まり、職人、商人たちに至るまで、印伴纏は、江戸八百八町を屋台骨のところでぐんと支える人たちが掲げた旗印でした。祭り用は神輿、鳶職はそのまま纏、乾物屋には萬、漁師なら大漁、材木屋は山垂れに木、獅子舞なら渦紋に朱色の獅子、大工の司の中がト、 ヲトコ料理屋の蓴菜など主力は黒地に白抜の紋が漢ぶりを増しますね。
2026.08.13
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〇大昔から日本人の暮しの中には籠がありました。子供の頃、母に代わって市場への買い物には買物籠を提げて行った記憶があります。山仕事に携わる人々には背負い籠が無くては生活が成り立たないでしょう。蔦などの植物の蔓で編んだ籠は雨に濡れても重くはならないし、乾きも早い。その上、籠に弾力があるので身体に馴染み易く、入れたものも傷みません。或る写真集にはアケビの実が詰めてあるものや蕨などが入った籠が写っています。海浜に於いては魚を、畑にあってはピーマンや南瓜など・・・。整然と並んだ編み目の美しさ。ぎっしり編まれた籠にはいろんな模様さえ組み込まれています。子供の頃には、竹を編んだ大きな籠に鶏を入れて育てていた光景もありました。そう言えば、祇園祭鶏鉾の浴衣の柄は竹籠の模様でしたね。
2026.08.12
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〇先日の西陣産業会館での吟行会場で句友が1冊の本を見せて下さった。縦11センチ、横15センチ、幅1センチほどの小冊子「俳句吟行用語集」杉本直猪偏(博文社)、ケース入りですが、先ず吟行用語として施設部門では *神社・仏閣・教会・城郭・港湾・船舶・道路橋・鉄道・町・学校自然部門では *山・樹木・海・波・河川・滝・湖沼・野原・空・鵜飼・漁・島・住居・厨事・茶事・風呂出湯・花火・便りなど文法的用語として *詠嘆・限定・添加・程度・禁止・否定・推量・断定・反語・その他、擬音や擬態語など全て網羅されています。例えば「町」でも *城下町、武家町、寺町、門前町初め、十字路、交差点、街頭、老舗、花舗、書肆、茶房、画廊、昇降機、夜店、苗木市、陶器市、羽子板市などなど。 *例句も適宜添えてあって頗る便利な手帳でしたから、アマゾン経由で安く手に入れました。
2026.08.11
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〇十二支をテーマにした推理小説として「十二支殺人事件」(山前譲編、天山文庫)によれば、 *子・・・「ねずみ穴」泡坂妻夫丑・・・「牛に引かれてお礼まいり」赤川次郎寅・・・「人食い虎」遠藤周作 *卯・・・「うさぎさんは病気」仁木悦子辰・・・「切手収集事件」中町信巳・・・「蛇の環」高木彬光 *午・・・「幻の馬」皆川博子未・・・「二匹目の幸せな羊はいま」新羽精之申・・・「踊る手なが猿」島田荘司 *酉・・・「東宮鶏」日影丈吉戌・・・「白い騎士は歌う」宮部みゆき亥・・・「イノシシを買いに来た男」斎藤肇 *と言った作品が挙げられ、また、今西錦司著「自然と山」(筑摩書房)には、子ノ泊山(三重、907m)、牛松山(京都、627m)、虎子山(滋賀・岐阜、1181m)、赤兎山(福井・石川、1629m)、竜門ケ岳(奈良、904m)、蛇谷ケ峰(滋賀、901m)白馬山(和歌山、958m)、羊蹄山(北海道、1893m)、 *猿ケ山(富山、1448m)、鶏冠山(滋賀、491m)、犬伏山(広島、791m)、白猪山(三重、620m)など記されているとか。
2026.08.10
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〇紺のれん 吹く秋風になよなよと しるした文字も柳屋の 香う楊子がすんなりと 銀杏娘の立姿 あはす両手や白魚の 指も切りましょ願いごと 観音様へ願かけて そっと見上げるまなざしは 江戸紫の藤の花 娘千両色ざかり<お家取り潰しで町娘になったお藤の話。浅草寺の境内には大銀杏があって、仲見世や茶屋の看板娘を銀杏娘と呼んでいました。浮世絵師・鈴木春信のモデルにもなった美人でした。花見の頃に酔っ払いに絡まれたお秋という娘を助けた時の、投げの見事さに、江戸界隈で評判の娘になったとか。小唄の歌詞の語調が快いのは、七五調になっているからです。私も調子の良い日は、朝から晩まで鼻歌やリズムに乗って生活しています。
2026.08.09
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〇中川弘文著『小倉百人一首と古川柳』によれば、クスッと笑いが込み上がってきます。 鶯も蛙も鳴かぬ小倉山『古今集』の仮名序に、やまと歌は、人の心をたねとして…略・・・花になくうぐひす、水にすむかはづの声をきけば・・・>とあるのに、百人一首には、鶯の歌も蛙の歌が一首も無いと揶揄しています。 <秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇 庶民の生活を気遣われた天皇の御歌から 百人のかつゑぬやうに詠みはじめ <春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 持統天皇お二人の和歌を参考に詠んだ川柳が 干すは夏ぬれるは秋の御製なりでは 花の色はうつり替りて卒塔婆なりと川柳が皮肉ったのは <花の色はうつりにけりないたづらに わが身よにふるながめせしまに 小野小町昔の人は教養が深かったゆえ、このように詠めたのでしょう。
2026.08.08
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〇河出書房新社編集部による『かわまぬ手ぬぐい百科』はこれどもかこれでもかと懇切に日本手ぬぐいの至便性と江戸気質の「粋」、恰好良さについて手を抜かずに説いてあります。ハンカチの代わり、風呂敷の代用品、頭のかぶりもの、布巾・塵除け、下駄の鼻緒、ショール・肩掛け・前掛け、日除け、ランチョンマット、壁掛け美術品、鉢巻、ネクタイ風、半分をおしぼり(暖・冷)、応急手当(血止め)、手ぬぐい運動、アイロン掛けの焼け防止、おしめの材料、雑巾、そしてハタキの材料・・・。小粋でお洒落センスのある小道具としていろいろ使い勝手のよい切れとして是非お手元に。
2026.08.07
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〇大山崎には重要文化財が沢山ありますが、千利休が作ったとされる「待庵」は国宝に指定されています。子どもや団体の拝観は対象外で、駅前にある妙喜庵宛、事前の往復ハガキでの予約が必要とされています。 + + 利休について書物を繰っている中で、秀吉公の黄金の茶室の件があったので、少し引用します。<1586年9月、秀吉は宮中の小御所に黄金の茶室を持ち込み、天皇や親王方に手づから茶をたてました。 + +吉田兼見は日記に前代見聞の見事さと記しています。それから4年後の九州名護屋城の茶会でこの茶室で雑煮を食べ、茶を飲んだ宗湛は、茶室から道具類までが黄金づくしだった>と書き残しています。 + +<金の御座敷のこと、平3畳なり。柱は金を延べて包み、敷居も鴨居も同前なり。壁は金を長さ7尺ほど、広さ5寸ほどずつに延べて雁木にしとみ候。縁の口に4枚の腰障子にして、骨と腰の板は金にして、赤き紋紗にてはりて、畳表は猩々緋、へりには金襴ー萌黄小紋(宗湛日記)> + + 何かの催し物で一度、この黄金の茶室を見たことがありますが、明るい場所で見れば、なるほどけばけばしいものですが、仮に大山崎にある”待庵”の内部を黄金づくしにしても、採光が充分では無いので、それほど派手ではないのかも知れません。(参考図書『京のかくれ話』の児島孝氏の一文)
2026.08.06
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〇京の街角を歩いていると、町屋の門口に貼り付けてある奇妙な紙に目が行きます。どんぐり眼にカギ鼻、耳まで裂けた口、にょっきり生えた角、怒り肩にあばら骨。この木版刷りの護符は、角大師と呼ばれ、何と比叡山延暦寺を中興した18世天台座主慈恵大師良源さんの仮の姿。永観3(958)年の正月に入寂されたゆえ、元三大師として崇拝されています。何でも投げる豆を箸で挟み取る妙技を持ったお方だから、閻魔庁の権現とも、天狗の師匠とも称されたお人でした。 角大師の起源は、疫病神が良源を襲ったところ、逆に良源自ら降魔の姿となって、疫病神を追い払った、その姿を模したもののようです。京の町では、この角大師と並んで、門口には豆大師の護符を貼ることも。それは袈裟姿33体の元三大師だとか。
2026.08.05
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〇暮れ行く夕景は何と言っても、夏の宵ですね。子供の頃、亡父に連れられ歌舞伎をよく観ました。舞台で演じる役者さんの芸の力量は尤もながら、舞台装置に携わる陰のスタッフの技も楽しめますね。 + +私は今頃の夕方の空が好きなンです。淡いブルーから次第にコバルト色に移り行き、 歌舞伎の舞台では一番星を追っかけてあちらで一つ、こちらに一つ、星が黄色に輝き始めます。 + +まるで、空に星型の挟みで剪り取ったような星(舞台ではどんな手法を使っているのだろう)が十(とう)、二十と増える頃には、夏の空もすっかり深い藍色になってしまいます。
2026.08.04
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〇先日の西陣産業会館での吟行会場で句友が1冊の本を見せて下さった。縦11センチ、横15センチ、幅1センチほどの小冊子「俳句吟行用語集」杉本直猪偏(博文社)、ケース入りですが、先ず吟行用語として施設部門では *神社・仏閣・教会・城郭・港湾・船舶・道路橋・鉄道・町・学校自然部門では *山・樹木・海・波・河川・滝・湖沼・野原・空・鵜飼・漁・島・住居・厨事・茶事・風呂出湯・花火・便りなど文法的用語として *詠嘆・限定・添加・程度・禁止・否定・推量・断定・反語・その他、擬音や擬態語など全て網羅されています。例えば「町」でも *城下町、武家町、寺町、門前町初め、十字路、交差点、街頭、老舗、花舗、書肆、茶房、画廊、昇降機、夜店、苗木市、陶器市、羽子板市などなど。 *例句も適宜添えてあって頗る便利な手帳でしたから、アマゾン経由で安く手に入れました。
2026.08.03
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〇俳句を詠むには心を無にする必要があります。私が小説や童話、作詞、作曲をしていた時、陸治という人物から別人(雅号・星子)になってしまい、言葉やメロディが自然に湧いて来るように<自分自身を空っぽ>にした時、初めてそれが可能になると思うのです。一種の臨死のような、自分というものから遊離する魂で以て言葉やメロディを落とし込む、呼び寄せる訳です。人からの賞賛などから一切意識を遠避けて、無心になってこそ、漸く句作の心や作曲の心に移って行くのでしょう。で、これを最も濃縮した表現に直すと→透明人間になるのです。俳句にせよ、作詞にせよ、小説や童話を綴るにせよ、作曲にチャレンジするにせよ、自分から離脱した透明人間にならないと、それは叶わないらしいのです。一旦、「無」の心になれば、そうした創作が無意識にできるようになります。では一旦、心を無にし、透明人間になったとしても、頭から詩の言葉やメロディが浮かんで来ないとおっしゃる方には、次のように申しましょう。 「それは日々感動したり、情報を集めたり、反省していないからだ」と。 <自分以外のあらゆる対象が自分の師> 小さな赤ちゃんからも動物の行動からも、勿論成人の言動からも、そして一番大切なことは<自然の摂理>から学び、吸収する前向きな姿勢が鍵を握るとね。
2026.08.02
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〇某日家内が5年前、生後5か月の孫をあやすのに、「指の歌」を歌っていました。1)これはわたしのとうさまえらいかた これはわたしのやさしいかあさまやさしいか たよ2)これはわたしのにいさませがたかい これはわたしのねさましんせつよ3)これはわたしのにこにこあかちやん みんなわたしのおうちのかたよ家内は私と結婚する前は、幼稚園教諭。大学で学んだようです。戦前の日本は旧態依然としていて、一家の主人、父親の権威は強かった。私も母から人をさしていう場合、「方」と言うのですよと教えられていました。時々使います。 昭和29年10月再版、山下道子編『幼児歌曲集』にも載っています。NHKの「幼児の時間」という番組で、歌のおばさんが歌っておられました。 佐藤義美作詞の「よいおへんじ はい」では、「おやりなさい」といわれたら、いつでもどこでもなにしていても よいおへんじ「はい」すぐにやりますよいこども 独裁政権の隣国の教科みたいですね。
2026.08.01
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