おしゃれ手紙

2017.08.09
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カテゴリ: 八百八橋散歩

栴檀木橋(せんだんのきばし)は、大阪市の土佐堀川に架かる、北区中之島と中央区北浜を結ぶ橋。


江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、船場との連絡のために土佐掘川には多くの橋が架けられていた。

橋名の由来は『摂津名所図会』ではこの 橋筋に栴檀ノ木の大木 があったためとしているが、詳らかではない。

明治になっても木橋のままであった栴檀木橋は明治18年の大洪水で流失した。

再び架けられたのは大正3年のこととされる。
これは明治37年に、大阪府立図書館が建てられ、明治末には大阪市庁舎の建設が決定されるなど、橋が再び必要となっていたためであろう。

その後、昭和10年に架け替えられた橋は桁の高さが一定のシンプルな美しさを強調した設計であったが、当時の設計者はこれを理想としていたようである。

昭和60年9月、新しい橋に架け替えられたが、旧橋のイメージを大切にしながら橋面などは府立図書館や

中央公会堂など、背景にある歴史的建築物との調和を考えてデザインされた。

また、センダンノキをモチーフにした欄間パネルが取付けられている。
由来碑と大正時代の親柱は橋梁の橋詰に設置され、橋の歴史が一目でわかるようになっている。


「この脇差はせんだん(栴檀)の木の橋から川へ、沈む来世は見えぬ沙汰」とは、天満で隣家の油屋の女房・お吉を殺し、金を奪った極悪人の与兵衛が、その凶器を土佐堀川に捨てるときに吐く台詞(近松門左衛門作・「女殺油地獄」の下之巻より)。


(▲カフェから、正面に公会堂、左に栴檀の木橋を見る。)


(栴檀の木橋より見た下流には、淀屋橋が見える。)

(▲栴檀の木橋から船場を南に行く道を栴檀の木筋といい栴檀の木が植えてある。)
栴檀の木筋

「栴檀は双葉より芳(かんば)し」 のことわざでよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指す。



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Last updated  2017.08.09 23:30:01
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