おしゃれ手紙

2018.02.03
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カテゴリ: 国内旅行
■2018年1月19日(金)

ひめゆりの少女 十六歳の戦場 [ 宮城喜久子 ]
沖縄戦開始の日の夜、「赤十字看護婦の歌」を歌いつつ陸軍野戦病院へと出発したひめゆり学徒隊。
16歳の少女は、そこで何を見、何を体験し、何を感じ、何を思ったかー。
砲弾の下の3ヵ月、生と死の境界線上で書き続けた「日記」をもとに戦後50年のいま伝えるひめゆり学徒隊の真実。


【目次】(「BOOK」データベースより)
沖縄戦のはじまった日/“軍国少女”の日々/
父の反対、母の涙を振り切って/戦場へ、夜の行進/
約半数が死亡した学徒隊/陸軍病院での壕掘り/
三角兵舎での卒業式/砲弾の下の決死の水汲み作業/
トラックでの食糧集め/ふえつづける負傷兵〔ほか〕

「ひめゆりの塔」に行った。
かつて、沖縄の美ら海は血に染まっていた。
1945年3月26日からおよそ90日間。
非戦闘員であるはずの「ひめゆり学園」の320余名は日米両軍が激突する戦場へ動員され、13歳~19歳までの227名が死亡した。
ひめゆりの塔のある場所は、“人間が人間でなくなっていく”戦場でのむごい体験の舞台になった。



ひめゆりの塔(ひめゆりのとう)は、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑。
「塔」と名はついているが、実物は高さ数十センチメートルでそれほど高くはない。
これは、 終戦直後の物資難な時代に建立された事と、アメリカ軍統治下に建立されたという事情によるものである。

現在の沖縄県糸満市にある。
1946年4月7日除幕。

慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいる。

ひめゆりの塔から外科壕跡を挟んだ奥には慰霊碑(納骨堂)が建てられており、さらに、その奥には生存者の手記や従軍の様子などを展示した「 ひめゆり平和祈念資料館」 がある。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。
最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。


このことを聞いて、日本兵の無責任ぶりに、腹が立った。
兵隊でもない女学生をさんざん危険なところに連れまわし、負けるとなると、勝手に解散・・・。
日本兵のトップは、自決するのだが、自決する前に、アメリカ軍のところまで白旗を持って進んで、
「どうか、女学生の命は助けてください」というべきだろう。
そうすれば、その後、アメリカ軍によって殺されても、犬死にはならなかったのに・・・。
自決なんて、自己満足以外のなにものでもない。



花を供えて、無念のうちに散ったひめゆりたちに祈った。

「ひめゆりの塔」の前に、水鉢がある。
水鉢の下の方を見ると、植物が緑の葉をつけていた。

これを見て、ひめゆりの女学生たちがどれだけ、生きたかったことかと思い、涙がでた。

「ひめゆりの塔」の近くにある横断歩道は、幅が広い。
修学旅行生が、並んで、一時にわたるためだ。


■沖縄ツアー2018年1月17日(水)~1月20日(土)■

■2018年1月17日(水):移動日

■2018年1月18日(木)
■ナゴパイナップルパーク■
■森のガラス館■
琉宮城蝶々園
美ら海水族館
古宇利大橋


世界遺産:首里城(沖縄県・那覇)

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Last updated  2018.02.03 16:57:26
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