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本日、5万アクセスを突破しました。ここのところアクセスが増えてきて嬉しいかぎりです。夏場は仕事が忙しく、週に1~2回の更新がやっとですが、ぼちぼちと続けて行きます。今後もよろしくお願いします。 ←こちらも宜しく。一日一回のぽちを。
2008.08.31
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病気の治療中、主治医以外の医師(多くは他の施設の同科の医師)に「自分の今の治療はこれでよいのか」ということを尋ねに受診することをセカンドオピニオンといいます。直訳すると「第二の意見」ですが、現場レベルでの語感をはっきり言ってしまうと「他の医師にも診て貰いたい」というほどの意味になります。日本人の悪い癖で、横文字化した言葉は正当化されると同時に、正しい意味を履き違えてしまうところがあり、head&neckは無条件に賛成するわけにはいかないというのが正直なところです。 正しいセカンドオピニオンの提案方法はどういったものか、といえば、患者さんが自分の病気を理解し、それと戦うために、目の前の医師とは違う方法と方向から説明してもらい、病気に対する対応法を自分自身の中で練り上げるために他医の診察を受けたいという意志を明確にすることです。ところが、この意味を実践できる日本人は少数派です。日本人のセカンドオピニオンの求め方というのは、「もっと良い治療法がないか探す」ための転医なわけで、そういう意識で紹介状を求められることもしばしばです。 癌診療に携わる医師は、多かれ少なかれ時代の最先端の治療に対して敏感です。head&neck自身も年に数回は学会に顔を出して議論に加わりますし、自分が5年前に行っていた医療よりも進歩していることは間違いありません。患者さんに提案するのは、十数年かけて自分の専門分野として蓄積してきたノウハウの中から、その人の病気と人間性に合った選択枝です。もちろん、最初からこれでなきゃだめという言い方はしませんし、選択枝は常識的に複数です。そうして、こちらなりに考え抜いた治療法を「もっと良い方法があるに違いない」と否定されるのは辛いことではあります。誤解を防ぐために書いておきますが、辛いのは、自分が信用されないこともそうですが、何より目の前の癌の患者さんを治療するための時間が喪われてゆくことです。現在のような医師不足の状況では、専門病院の予約をとること自体にかなりの時間を要し、その間に病気が進行してしまうということをしばしば経験しています。 もちろん、セカンドオピニオンも悪いことばかりではありません。多くは、紹介先の病院から、言葉は悪いですが「追い返されて」きます。言いかえれば、こちらが提案したのと全く同じ意見であるから、早く治療を開始したほうがよいと言われて来る方がほとんどです。頭頸部癌に専門に携わる医師は実は日本中でも少数で、全国で200人は居ませんから、有名どころの半分以上は顔見知りです。そういったこともあって、逆に紹介先で患者さんは軽くたしなめられて戻ってくることもあります。素直に紹介状を書いて、よその医師の話を聞いて、逆に以前より信頼していただける場合だってあります。 ただ単に、患者さんは「医師に納得していない」のではなく、「病気に納得できない」ということなのは明白で、我々はそれを分かっています。しかし、医師や患者の側からの言葉が足りず、コミュニケーションに齟齬があると両者は混同し、患者さんの怒りの矛先が容易に医師個人に向けられてしまうことがあります。医療訴訟の多くは、このギャップから生まれてくるものであると思っていますが、残念ながら多忙を極める勤務医にとって、一人一人の患者さんに十分理解を得られるだけの時間はありません。そのためには、せめて現在の3倍くらいの医師数が必要だと思うのでした。 ←なんと26位まできました。ありがとうございます、でも一日一回のぽちを。
2008.08.25
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医療者が注目していた裁判の判決が本日、言い渡されました。帝王切開死で産科医に無罪 福島地裁、医療界に影響 2008年8月20日 10時35分 東京新聞(共同) 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(40)に対し、福島地裁(鈴木信行裁判長)は20日、無罪判決(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。 「基本的な注意義務に反し過失は重大」とした検察側に対し、弁護側は「可能な限りの医療を尽くした」と無罪を主張、全面的に争っていた。 医療行為の過失を問われ医師が逮捕、起訴された事件は医療界の反発を招き、全国の産科医不足に拍車を掛けたとされる。この日の司法判断は医療界に大きな影響を与えそうだ。 公判では、子宮に胎盤が癒着した極めて珍しい症例をめぐり、被告が胎盤をはがす「はく離」を続けた判断の是非などが争点になった。 論告によると、加藤被告は04年12月17日、女性の帝王切開手術を執刀。子宮摘出など危険回避措置を怠り、クーパー(手術用はさみ)で癒着した胎盤をはがし、大量出血で死亡させた。「異状死」なのに24時間以内に警察に届けなかったとして医師法違反の罪にも問われた。(共同) もし有罪判決が出ていれば、おそらく抗議行動に出るという勤務医はhead&neckの周りでもかなりの数になります。 検察、警察は自分たちの権力がいかに社会に影響を及ぼすものなのかを良く肝に銘じていただきたい。また、マスコミの方々にも報道のあり方を見直していただきたいと思っています。加藤先生、まずはおめでとうございます。 ←なかなか30位を突破しません、一日一回のぽちを。
2008.08.20
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前回のエントリではがん治療の集学的治療、姑息的治療について話し、学会の流行として手術が縮小手術の方向へ向かっているという事をのべました。 もともと、癌ができた組織を切り取るのに全く後遺症が無いということはありえません。身体の一部分を失うと考えれば、手術の大前提として出来る限り余分な切除は避けたいというのは自然な考え方です。 一方、癌というものの特性を考えると、なるべく大きくきりとればそれだけ根治の確率は高くなります。癌は、悪性の細胞の集合体です。手術の最中に癌の原発巣や転移がある場所に近づいたり切り込んだりすると、術野に癌の細胞を残して撒いてしまいそうだということは普通の感覚として理解できると思います。 話を頚部に限ると、例えば下咽頭の癌が頚部のリンパ節に転移した症例では、原発である下咽頭と、転移巣である頚部のリンパ節の間には癌の細胞の通り道があると予想できます。これは古典的な外科医の考え方で、これにしたがって我々は転移巣と原発を一塊に摘る方法で頚部の組織を郭清しています。リンパ管は組織の中に縦横無尽に走っており、特に脂肪組織と血管の周囲に多いため、可能な限りこれらを筋膜という膜で包み込んで、その中にある癌の細胞をこぼさずにとりたいのがホンネです。生きてゆくのに最低限必要な臓器(頚動脈、迷走神経など)は残さざるを得ませんが、例えばその他の臓器は切除することになります。これを根治的頚部郭清術といいます。 ところが、縮小手術、機能温存の方向に目を向けると、肩を動かす神経や、首の筋肉を残してあげたほうが術後の後遺症は格段に減ります。中には皮膚の感覚をつかさどる神経まで掘り出して残そうという医師もいます。こういう手術を、機能的頚部郭清と呼んでいますが、head&neckはこのやり方は行っていません。出来ないわけではありません。やろうとすればいつでも可能ですが、郭清する術野の中にピンセットや鉗子を入れると言うことは、それだけで細胞を撒き散らす可能性があり、再発しやすくすると思っているからです。 学会での議論では、「機能的頚部郭清を行った場合と根治的頚部郭清を行った場合に予後に差は無い」というエビデンスを出している施設が多いようです。この結論をもって、現在頚部の癌の手術は縮小手術の方向に流れています。head&neckは、これには賛成していません。なぜならば、発表されている施設での手術をみると、根治的頚部郭清といっている手術が非常に甘いと考えられるのです。ビデオやポスターでの術野の写真をみても脂肪は残っているし、下方や上方の郭清も不十分です。「根治」を目指すならば、脂肪一粒たりとも残さず切除しなければ全く意味がありませんし、出来る限りそれに近づく努力をすべきですが、どうやら「結果は変わらない」というエビデンスのごまかしに逃げて、技術の向上を怠っているように感じられてなりません。 こういう技術論を学会の場で反論として出すのは非常に困難です。極端ですが、「あなたの手術は下手なのじゃありませんか?」といっているようなものですし、じゃあ自分はどうなのかと聞かれたとき、勿論不可抗力ではありますが不十分な手術となってしまう場合だってあります。head&neckは技術者として出来る限りのことをしようと思っていますが、学者ではないので統計処理やデーターをいじって実績を宣伝したいとは思っていないので、議論はかみ合いません。往々にして現場一辺倒の医師は同じような性質を持っているようで、手術が上手いといわれる先生と話をすると、「学会ではお偉いさんがああいう風に言っているけど、実際はね・・」という話になるのです。印象ですが、一言で言うと、常識的に治りそうな癌は、「きちんと手術してあげればかなりの確率で治る」のです。 ただし皆が皆、功名心ばかりの医師ではありませんから、細かいところまで検討して発表してくる人たちも出てくると思っています。実際、今年あたりからちらほら方向が変わり始めた発表や論文を目にするようになりました。要約すると「いたずらに機能温存に走らず、手術で取りきれると判断すれば徹底的に根治手術をしたほうがよい」という内容です。来年はhead&&neckもこの方向で発表する予定があります。 皆が真面目に取り組んでいるので議論も白熱しますが、進歩進展していく過程で、このような全国的な流行に翻弄されるのが医学であり、医療であると思うのでした。 ←なかなか30位を突破しません、一日一回のぽちを。
2008.08.19
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がん治療は集学的治療といって、化学療法(抗がん剤)、放射線、手術の3つの治療法が組み合わされることが多いのですが、この組み方やどれを治療の根幹とするかにはいろいろな変遷があります。ここ数年の頭頸部がんの治療の流れは、縮小手術に向かっています。 もともと、頭頸部がんの手術治療はかなり失うものの多い分野です。喉頭や下咽頭癌を摘出すると声は失われますし、進行した上顎癌を摘出すれば顔の形が変わったり目を失ったりします。そうして、病気が治癒すればまだしも、癌である以上はかなりの確率で再発しますから、患者の側としても医師の側としてもやり切れません。そういったことを何例も経験してゆくと、言葉は悪いですがある程度のところで根治はあきらめてなるべく手術等はせずにもたせるという考え方が出てきます。 ある意味、この選択肢も正しいのです。手術は、一時に厳しい身体侵襲を伴います。すでに末期の患者さんにとっては、それを乗り切ることすら難しい場合もありますし、死期を早めてしまうことだってあります。それよりは抗がん剤と放射線で癌の勢いを減らし、体調を整えたほうが元気で長い間入院せずにすごせることだってあるのです。 しかし、残念ながら放射線と抗がん剤で進行した癌が治るのは、ごくごく一部の例外的なものを除いてほとんどありません。逆に言うと、手術をしないと治癒を目指せない癌は依然として多いのです。どういう治療法がもっともよいかは、結局のところ一言で言えば「現状での癌の進行度の正確な診断」に尽きます。 癌の現状を把握したら、それに対する治療法を医師の方から患者さんに提示します。このときにも、話し方にはかなりの注意を要します。 たとえば、ある癌に対して<1>手術をして放射線を併用すると5年生存する確率は60%<2>抗がん剤と放射線のみで治療すると5年生存する確率は40%だったとしましょう。(判りやすくするために話と数字は単純化してあります)<1>の場合は、声がでなくなります。<2>の場合、音声は温存できます。これは、いわゆるエビデンスに基づいた話し方ですが、head&neckの経験上この話し方では患者さんは圧倒的に<2>の方法を選ぶ方が多いのです。事実だけを淡々と述べると、人間は多くは物事を自分にとって都合のよい方向に捕らえるようです。患者さんの心理としては、「手術をしても4割は駄目、それなら4割の確率でも声が出せるほうがいい」とその時点で考えるのでしょう。一方、我々医師としては患者さんに治ってほしいわけで、当然治癒率の高い方法を薦めることが多く、ここにかなりの葛藤が生まれます。さらにいろいろと経験をつんでゆくと、声を失っても根治した患者さんが「治してもらって生き延びてよかった」と感謝してくれる場合が多く、どうしても患者さんに生きていて欲しくなります。癌を告知された時点では患者さんの精神状態はまともではありませんから、しっかりと話をして、「私はあなたに長生きして欲しい」という気持ちを伝えてあげることも重要になってきます。 少し、言いたいことがずれました。治療の「流行」についてです。縮小手術とは、たとえば頸部で言えば機能を温存して悪いところを切除して行こうという方法です。これについては、現在学会でさまざまに議論があり、現場は混沌としています。 話が長くなりそうなので、次回につづくのでした。 ←現在30~40位、一日一回のぽちを。
2008.08.16
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手術をするときは、通常頚部の手術ならば2人から3人の医師が術野に入ります。うちの科ではそれぞれ「術者」「前立ち」「鈎持ち」と呼んでいます。それに加えて「器械出し」と呼ばれる看護師さんも術衣を着て手術に加わります。手術全体をコントロールするのは勿論術者です。前立ちは、術者との関係にもよりますが、器械の先端のサポートや糸結びを担当し、鈎持ちは主に術野の展開を担当します。その全ての医師が要求する器械をテンポ良く手渡してゆくのが器械出しの看護師です。 手術が綺麗に進むかどうか、勿論医師同士のタイミングも重要ですが、それと同じ位に器械出しの看護師の能力にかかっているところがあります。原則は、医師が「メス」とか「メッツェン」とか道具の名前を言って手を出すと、その器械を手渡すのですが、器械の向き、角度、手渡す時の強さなどが微妙に狂うと、術野の操作に僅かな遅れが出ます。それが重なってゆくと思わぬ時間と手間を取ったりするのでなかなかに重要な作業です。 器械出しの上手な看護師が付いてくれると、鮮やかな手術の進行が得られます。時にはこちらが言う前に自分の欲しい道具を渡してくれたり、達人になると何も言わなくてもドンピシャのタイミングで器械が次から次へと手渡され、全体のリズムとテンポがよくなり、スムーズに手術を終えることが出来るのです。 あるとき、この器械出しの名人の看護師さんに、「どうしてこちらの欲しいものがこんなに的確にわかるの?」と聞いたことがありました。彼女は「全体の流れと先生の手の形で反射的に器械を手渡しているんですよ」と答えました。 ところが、手術の前にそのことを聞いて、head&neckは手の形に妙な意識が向くようになったようです。「器械出しがやりやすいように手を出して、この道具が欲しいときはこの角度かな・・」などと考えました。そうすると不思議なことに、いつもは何も言わなくても道具がきちんと出てくるのに、その日の手術ではいつもと違ってメスが欲しい場面でモスキート鉗子が出てきたり、道具の角度が違ったりしてタイミングがいまひとつ合わなかったのです。 手術の後に彼女と話をしたら、「今日は先生の手は何も語ってくれなかった」と言っていました。どうやら、こちらが無意識のうちに差し出す手だけが彼女の能力を引き出すということらしいです。それ以来、手術のときは術野のみの進行に集中するように心がけると、器械はいつもどおりのテンポで渡されるということに気づいたのでした。 ←またまた苦戦中、一日一回のぽちを。
2008.08.10
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医療現場では、医師や看護師だけでなく、色々な職種の人たちが働いています。英語では医療一般のことをmedicalと形容しますから、コメディカル(co-medical)というのは医療関連の職業一般を意味します。CE(clinical engineer、臨床工学士)もそのうちのひとつです。head&neckの病院では、やく30名のCEさんたちが働いています。 ひと昔前の病院では、職員は医師、看護師、臨床技師がコメディカルのほとんどを占めていました。医療で行う行為は注射、手術、投薬、検査等が主なものなので、その多くをこれらの職業の人間が分担して行っていれば充分だった時代です。ところが、機械工学の進歩によって複雑な医療機器が登場するようになって来ました。古くは人工呼吸器から、最新の医療用ナビゲーションシステムまで、現在の医療現場で使用されている医療機器は多岐にわたります。こういった複雑な医療機器を扱うには医師や看護師のような人種より、機械の専門家の方が適しています。そんなニーズにこたえてCEという職業が登場してきました。 head&neckの科はもともと医療用の器械の種類は少なかったのですが、近年鼻の内視鏡手術が普及してから、光学機器も多用するようになりました。大学病院などではこのCEさんが居ないため、自分たちで操作しなければなりません。転勤の激しい職場で、同種の機械でも少しずつ操作の詳細が違い、戸惑うことがよくありました。携帯電話を機種変更すると操作がわかりずらくなるのと同じようなものです。録画したはずの映像が録画されていなかったり、動作が不安定だったり、無理にいじると壊れることさえあります。精密機械なので修理にも時間とお金がかかります。こういった出費は病院にとっても馬鹿になりませんし、何より貴重な診療や手術の時間を無駄にしてしまいます。ところがCEさんがいるとこういったトラブルが極端に減ります。「録画してください」「顕微鏡の動作をもう少しやわらかく」「光源を少しだけ暗く」といった術中の要求にも即座に応えてくれますし、簡単な故障や不具合ならばその場で修理してくれます。彼らの存在は現場を円滑に進めるだけでなく、医師や看護師の能力を存分に引き出す役割があります。 ところが、公立病院でこういったCEさんをたくさん雇っているところは少ないのです。上でも少し述べましたが、医療機器の移動、操作は多くは医師(研修医)の役割です。もちろん、自分がしようする機器の詳細を知っておくことは必要で、その意味では自分たちが研修医の時にこき使われた経験も役に立っていないとは思いませんが、やはり患者さんのことや医療の質を考えると医療機器専門の人間がいた方が効率的です。基本的な仕組みは彼らに教われば良いだけのことです。かつて大学病院から今の病院に転勤したときには、公立病院と私立の大病院の効率の差をまざまざと感じましたが、その多くはコメディカルの質の高さからくるものです。 ひとりひとりは大学病院でも私立病院でもまともな医師であり、看護師であり、コメディカルです。それが集団となると高品質な病院と低品質な病院に大きな隔たりができてしまう。この格差の原因は一体何なのかと考えてしまいます。各論は色々あるとは思いますが、一言で言うとすれば病院の上層部の人間に仕事をする環境を整える気概と能力があるかどうかということかもしれません。 そんなことを考えつつ、さらにはよく働いてくれるCEさんに感謝しながら、今日も手術をするのでした。 ←またまた苦戦中、一日一回のぽちを。
2008.08.07
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多忙によりなかなか更新ができませんでした。前回のエントリで新しく耳鼻科の外来を非常勤で立ち上げる際の監修についてお話しました。多忙の原因は、この病院の立ち上げ前のトラブルです。 日本医師会という組織がありますが、これは実質は開業医の組合です。むろん勤務医も医師会加入していますが、日常業務の忙しさと年齢の若さ等から、名前だけ籍をおいているだけの場合がほとんどです。このことは医師会の役員と言われる人たちは全て開業医で勤務医は居ないことからも判ります。 病院での医療と、開業医での医療は質が違いますが、ある程度の範囲でオーバーラップはしています。とくに、今回のように外来のみ非常勤で新規開始となると、診療の内容は街中で個人開業している先生たちと同じ事をやるわけで、従業員を抱える事業主としては商売敵が出現することになるとあって、心穏やかではないのかもしれません。 さて、現場の状態をやっと整え、あとは週明けの外来開始を待つばかりのこの病院の事務長に、木曜日の午後、電話が入りました。電話の主は地元の医師会のお偉いさんです。(ここからはやや創作が入っています。念のため)偉い先生「あ~、来週から耳鼻科の外来やるんだって?」事務長「はい、前にもご挨拶させていただきましたが、来週月曜日から週2回の非常勤となります。宜しくお願い致します。」偉い先生「ああ、まあがんばってね。ところで、医者は誰が来るんだね?」事務長「はい、うちの系列のA病院と、B病院から週に一度ずつお願いしています。」偉い先生「そりゃ知ってるよ。だから誰が来るんだね!?」(ややキツめ)事務長「は、それは・・いちおう日替わりで、向こうの都合もございますし・・」偉い先生「ほほう、わしらに教える気はないと?」事務長「い、いえ、そんなつもりは毛頭・・ただあちらでも少ない人数をやりくりしていただくので、色々急遽変わったりすることもございますし。。」偉い先生「そうかね。じゃあどこの馬の骨かわからん医者が診療してるってことか?それじゃあ紹介もしにくいな!」(さらにキツめ)事務長「いえいえ、その、あくまで概ねは決まっています。ただ個人情報もございますし・・」偉い先生「わかった、まあいい。それで現場の責任者は誰になるんだね?」事務長「は・・いちおうA病院のhead&neck先生が監修と統括をなさってくださってます」偉い先生「ああ、あいつか。」事務長「あの、なにか問題がございますでしょうか??」偉い先生「いやいや、あいつなら顔は知ってるよ。でも最近の若造は挨拶にも来んのかね?head&neckは何か言ってなかったか??」事務長「え。。いえその・・そうだ!今週末にできればご挨拶に伺うようなことをおっしゃっておりました。はい。」(事務長独断暴走!head&neckはそんなこと言ってないよ~)偉い先生「ああそうかねそうかね、やっぱりな。じゃあこっちも空けておくよ。土曜日だね」(急にマイルド)事務長「はははい。ありがとうございます。また詳細はご連絡いたします」・・・で、事務長さん、head&neckになきついてまいりました。 要するに、自分のなわばりに割り込んできた若造が挨拶に来ないのが気に食わないだけの様子です。別にこちらは非常勤なので困りはしませんが、無用に事を荒立てる気もありません。仕方なく、土曜日の午後にまたまた出かけて行きました。行く以上はやはり仲良くしたいですし、向こうは年長者なので気分を害しないように気をつけねばなりません。一席設けてくれるというので、こりゃーお酒になるなと覚悟しました(head&neckはお酒激弱です)。 実際行ってみると、偉い先生たち数人がかりでの飲み会に無理やりつれこまれ話題に苦労します。しかし、こちらが下手にでて年長者にたいする礼儀を失わないように気をつけている限りはよい爺さんばかりです。こちらが彼らの縄張りをあらす気はないこと、あくまで病院としての外来に終始し、むしろ彼らの助けをしたい気持ちはあること等が伝われば、あとはそう険悪なムードになるわけもありません。 しかし、やはりこういっては失礼ながら現在のような過酷な時代に勤務医であるhead&neckと、十年以上前に現場を離れた開業医の先生には意識の乖離は否めません。酔いつぶされて結局帰れず、翌日も付き合わされることになり閉口しました。崩壊する医療現場の足音はまだまだ彼らの耳には届いていないようです。 とくに古い時代に開業された先生たちのなかには、やはり昔の「お医者様」の感覚が抜けない人たちが居ます。いまや、医師という存在そのものに職業としての尊敬が失われつつある時代に入ってきているということを理解していない。一人ひとりはいい人たちですが、微かに感覚のずれがあるように感じます。そういうhead&neckの感覚と先達たちとの感覚のずれこそが、今のような難しい情勢を作り上げ、現状打破の抵抗勢力となるのではないかと思ったのでした。(あくまで、一部の開業医の先生についての感想です。危機感をもたれている先生がたがこれを読まれて気を悪くなさらないようにお願いします) ←またまた苦戦中、一日一回のぽちを。
2008.08.04
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