全10件 (10件中 1-10件目)
1
もう叱らなくても大丈夫 3ちょっと、待ったー。ずっと ずっと さぼりぎみだった大学の勉強ちょっと おしりに火が付いてきて なかなか更新することができません。本当にごめなさい。さて 前回は すぐに叱らないといけない行動。そうでない行動。この二つに わけましょうということで 終わっていました。良く世間では 子どもが何か悪いことをした時にはその場で叱りましょう。と、言われています。でも、私はそうは思いません。犬や猫ではあるまいし そんなに急いで叱る必要はないのだと感じる場面は本当にたくさんあります。例えば 食事の行儀が悪い。これって 急いでなおさないと 行けない事だと思いますか?別に そんなに急がなくっても大丈夫ですよね。ある程度 大きくなるまでになおれば それでいいじゃないのかな。なのに 世間のお母さんたちは 食事のたびに子どもにお小言。それは どうしてなんでしょうね。実は うちの息子もとても行儀が悪いです。でね 私も言いますよ。でも 私が言う内容は 「服を汚されると困る。」洗たくが大変やし 汚れてシミになった服うちの息子 着なくなっちゃうんですよね。もったいないですよね。で、ぽろぽろ こぼされるのも嫌なんです。後の掃除も大変だし 我が家には室内犬が居るのです。エジソンがぽろぽろこぼすことを知っている犬。食事のときは いつもエジソンの下を陣取っていますからね。犬が食べて大丈夫でないものを落とされると下痢をしちゃって 困るのです。でも この内容 楽しい食事時間に伝えなくても いい内容だと思いませんか?ふだんに伝えても ぜんぜんOKですよね。かえって 食事中に言うよりも 普段に言った方が実は 効果が高いのです。お互いに リラックスして 怒りの感情抜きで話しできますから子どもの心も開くのです。私の母は 口うるさいです。食事の行儀に関しても 口うるさく言っています。それも 食事中にです。で、どうしてか聞くと「ちゃんと 教えといてやらな かわいそう。 外で 恥かくやんか」と、言うのです。結局は 孫の恥は自分の恥のように感じて ある意味 自己防衛なんですけどね。ですが、子どもの心が閉じる言い方をするのでお互いに気分が悪くなるだけで 全く効果はありません。時々 テレビなんかを見ていると 食事場面が出てきますよね。そんな時に「この人 行儀いいね。一緒に食べてると 気持ちいいだろうね。」「この人 お箸の持ち方変だよね。」などを しゃべっていると それがもう充分に教育になっているわけなのです。外食事も しかりです。いろんな人の食事風景にふれて それについて 親がどう思っているか伝える。それだけで 充分に教育になるのです。そうして 学んだ子ども。対外的に ええかっこしたい時には きちんと気をつけるようになるのです。このように たいていの場面 よくよく考えてみれば急いでは叱らなくてはいけない場面では ないと思うのです。では 急いでストップをかけないといけない場面て どんな時でしょう。危険なこと。命にかかわること…。だけでは ないでしょうか。小さなお子さんが お醤油をこぼして そのこぼした醤油で遊んでいたとします。もし それがシミにならないような場所だったりしたらその遊びを 急に止める必要はないと思います。しばらく 放置しておいて 後片付けを一緒にやってお母さん お醤油で遊ばれると困るんだけどな…。と、わかるように話してあげれば すむことなのだと思います。実は 命にかかわる場面 危険な場面も叱る必要はないのです。止めればいいだけです。叱ると 止めるは違いますよね。止めておいてから 今 子どもがした行動は こんな事であるからこんな影響がでる。相手の気持ちはこうで お母さんの気持はこうなる。と 言うような事を話してあげると自分を否定されているのではなく 行動について学んでいる事になりますので自己肯定感は下がらないのです。ですが 叱りぐせ…。ついているお母さん 多いですよね。これは これで いいと思うのです。同じ失敗を 繰り返さなければそれでよし。叱ってしまったら 本当に叱らないといけない場面だったのか他にどうしたらよかったのかしっかり考えておくこと。できれば メモをとっておくなどされると叱りぐせは どんどん抜けてくると思います。こんな努力をせずに 子どものせいにばっかりして叱っているお母さん。これこそが 本当に恥じるべき行為だと思います。子育てって 本当にめんどうですよね。でも 実はこれが 自分育てにも すごくつながっている事になります。頑張って やってみてください。何度 説明しても やまらない問題行為。これも 子どもには結構多いと思います。次回は この事について触れたいと思います。少し 間が相手しまうかもしれませんが お許しください。
2008.10.30
トドが遅刻をしました。 朝 決まった時間に行けなかったら 絶対に その日はお休みなっちゃっていたトド。 でも 今日は朝から 4時間目から行くと自分で宣言して そして その通り行けました。 宣言・実行に びっくりです。 エジソンの 爪の垢でも飲んだのかしら? (奴は 遅刻の帝王です)
2008.10.28
もう叱らなくっても大丈夫 2叱るってどういうこと子育ての大きな勘違いに 「叱る」はいいけれど 「怒る」はダメが、あると思います。「怒る」は 親の感情を押し付けているだけ。だからNGで 悪い事をした時は 叱らなくてはいけない。そう思ってらっしゃるお母さん とても多いと思います。でもね 私は「叱る」もNGだと考えています。叱るときに使う言葉の代表格ってどんなものがあるのでしょう。「ダメ」「やめなさい」この二つでしょうか。この二つの主語は何でしょう。「そんな事をあなたはしてはダメ」「あなた やめなさい。」そうなんです。二つとも 主語はあなたなのですね。これは 相手を否定している事になるのです。そして この言葉は 親の決定で子どもを動かそうとしているものです。子どもが自分の考えや意見をはさむすきを与えない言葉なのですね。相手の意見を聞こうとしないで 行動を決めるなんて人格無視もいいところです。人格否定・人格無視の言葉を 浴びせられ続けた子どもは自己肯定感を下げてしまいます。「私はだめな人間」「私なんて どうせ」こんな考えになってしまうのです。もし このブログを読んでくださっている皆さんがご主人に「こんな洗濯物のたたみ方は駄目だよ」「そんな変なお箸の持ち方するのやめなよ」って 言われたらどう感じられますか。ものすごく嫌な気持ちがしませんか。自分を責める気持には ならないでしょうか。こんな言葉が 子どもたちの自分を受け入れる気持ちを少なくしどんどん行動するエネルギー・自分で考えるえねるぎーを奪っている事になっているのです。躾けなければいけない。そんな気持ちで必死になってらっしゃるお母さんほどついつい 叱る言葉が多く出ていると思います。叱るということ 少し考え直してみませんか?子どもの行動の決定権は子どもにあるのです。親だからと言って 子どもを否定してもいい権利はありませんよね。次回は すぐに辞めさせたい行動 と そうでない行動 について考えてみます。
2008.10.24
もう叱らなくっても 大丈夫。はじめに娘が学校に行けなくなっちゃって、息子が 超個性的。そんな環境で 子育てや教育に関して いろいろと勉強をしだしてもう3年近くたちました。そして 最近つくづく必要だなぁ…と 感じる事は子ども社会の環境改善です。子どもたちの環境。特に 学校と言う環境は今、決して安全なところではありません。子どもたち疲れています。そして 自己肯定感が低く 心がぎすぎすしている子がすごく多いです。で、学校に中には 陰とも言える空気が立ち込めているように感じます。心に余裕がないから 何かあれば すぐに切れ出してしまう子もいます。弱い子を ストレスの公衆トイレと勘違いしている子もいっぱいいます。思った事を口にすると すぐにKYなどと言われてしまいますので学校に居る間は どの子も 神経をすり減らしています。そして、そんな、子どもたちを抑え込むのに いまだに 上下関係の力を使う先生もほとんどです。「内申書」と言う 凶器を振りかざして 抑制の檻に入れ込んでしまいます。なので 余計に子どもたちは ストレスをためます。私には 超個性的な 息子がいます。この子が学校で楽しく 自分の持っている力を伸ばしていくためにはどうしたらいいのか。一応 私も親のはしくれなので ずっと、ずっと、考えていました。で、行きついたのが 穏やかで 安全で いじめなどのない学校づくりです。人間のエネルギーは一定です。なので、人間関係にエネルギーを費やしてしまうと当然 勉強に身が入るはずがありません。特に 最近は 家に帰ってまでも 携帯電話が人間関係を切り離してくれませんから、ほっと 息つく暇もないでしょう。どんどん、どんどん、ストレスがかさんできます。なので 学校環境もどんどん悪くなってきていると言えるでしょう。じゃぁ どうすればいいのか。子どもたちに 自己肯定感を持たせてあげる事ではないのかな。と、私は思います。で、そのためには…。親が子どもを叱らない事だと感じているのです。幸いにも? うちの息子は とっても元気で 衝動性の強い男の子です。小さい時は 寝ている時と 食べている時以外は ずっと目を光らせていなくては危険な子どもでした。今は 多少はましになったものの、それでも 大きくなったら大きくなった分行動も大胆になり、行動範囲も広がって 危険度は増してきています。失敗も とても多いです。思った事が口から全部出ちゃうので 私はしょっちゅう恥をかいています。時間の感覚が全くありません。普通だたら ノイローゼ(@_@;) に なるところですが私はこの子のおかげで 叱らなくても大丈夫な方法をマスターしつつあります。そして この事を皆さんにお伝えできればこの方法を 皆さんに知っていただければ子どもの自尊心は上がって 子ども社会が少しでも良くなるんじゃないかなー。安全で穏やかな学校で 子どもたちは自分の持っている力をどんどん伸ばしていけるようになるんじゃないかなー。そんな 風に考えて ブログの中にこのシリーズをはさんで行こうと決めました。自分の子どもの居心地のよい社会を作るためには自分の子どもをなんとかするのではなく社会全体に 働きかけていかないといけない。そんな 自分勝手な下心が 見え見えのシリーズですが興味があれば ぜひぜひ お付き合いくださいませ。そして、もし 私の思いに 共感してくださる方がいらっしゃいましたらこの方法や考えを 世間に広めていくことに ご協力していただけると嬉しいです。次回は 叱るっていったいどういうこと?について、書きます。
2008.10.22
昨日 大阪小児科医会主催の 講演会・リトミック遊びに行ってきました。講演会の方で 私の先輩インストラクターが講演なさるということだったので…。まだ 1歳にも満たないお子さんを連れたお母さんもたくさんいらしていました。託児もあったのですが なぜか 数人の元気な子どもたちが会場を走り回っていました。少し前までの私だったら あんな小さな子を 人の多い所に連れ出して 病気にさせたらどうする気?講演の間は 自分の子どもぐらいしっかり見ておいてほしものだわ。公演も聞かないで 必死にしゃべっている若いお母さん。おい。おい。。。何て 感じていたのですが昨日感じた事は この若いお母さんたち 本当に大変なんだ…。と、言うことです。たまたま 隣り合わせて ロープレを組ませていただいたお母さんは3か月の赤ちゃんを連れてらっしゃいました。2歳のお兄ちゃんもいらっっしゃってお兄ちゃんの方は 託児に預けていますと…。「この子を連れて 始めて外出したんです。 主人は 今日も明日も出勤で…。 ずっと 家に閉じこもっていたら おかしくなりそうです。 この子が生まれてから 上の子がやりにくくなっちゃって…。 先生はいいお話をしてくださいますが 実行する余裕がありません。」私の事を インストラクターだとは知らずにぽつ。ぽつ。と 話してくださいました。こんなに 一人で頑張ってらっしゃるお母さんになんと 言葉をかけてあげていいのかわからなくなりました。「どのくらいで 楽になるのでしょう?」そんな 事も質問してこられました。私も通ってきた道です。トドが生まれた時は 11月に出産して あったかくなる次の春まで夫以外の誰とも 会話せずに ずっと家で過ごしていたのを思い出します。月に1度ぐらい 実家へ帰るのが 楽しみでした。帰る実家が比較的近くにあった私はまだ幸せだったんですよね。今 思い返せば 懐かしい思い出ですがやっぱり 当時はきつかったのでしょうね。それに 上の子がいるとなればなおさらだと思います。今、親元を離れて 孤独に子育てしている若いお母さん。辛いこと。大変なこと…。自分ひとりで抱え込まないで もっともっと 世間にアピールしてほしいなと思いました。そして、がんばっている自分を 認めてあげて欲しいなと思います。みんなが頑張ってるんだからと 我慢しないで私 頑張ってるよ。辛いよ。しんどいよ…。もっと もっと 自分を認めて 自分をなぐさめてあげて欲しいなと思います。若いお母さんを見つめる世間の目は 年々厳しくなっているような気がします。「母親やったら 当たり前」そんな言葉も よく聞きます。でも 時代は変わったのです。昔のように 近所で子どもを育てるという雰囲気はなくなっています。「孤独」この言葉を 彼女たちはひしひしと感じているのかもしれません。子どもの将来は 自分の肩にかかっている…。そんな重圧に もがき苦しんでいるのかもしれません。これからは 若いお母さんを見たら 優しい目で見つめてあげたい。そして 少しでも彼女たちのストレスを 受け止めてあげられるような人間になりたいなって感じながら 帰ってきました。
2008.10.19
トド 本当に元気になりました。今まで なんでも私に聞いてからやっていましたがどんどんと 自分で前へ進めていけるようになりました。で、気づいたのですが衝動性が結構強いです。もしかしたら 私より強いかもしれません。何かをしていて ふっと思い立ったら 何をしているのかを忘れて 次の事をしています。と、言うことで 前へ進むのですが 何も終わりません。ものも しょっちゅうなくなってしまいます。金遣いも相当荒いです。あっちゃっちゃ~。元気になって トド姫本来の姿を取り戻してきたら私の若い時と よく似た女の子が 出てきました。私がじゃいあんタイプなのに対して トドは完全なるのびちゃんです。以前から ○○ぱなし…は しょっちゅうだったのですがあまり 気に留めていなかった私。ですが 家の中だけではなく エネルギーが外に向かい出してしまいました。私の若いころは こだわりが強く 超きっちりした母親に鍛えられていたのである程度学習ができていましたが トドの場合、学習はこれからになります。大丈夫かしら?一抹の不安はあるものの 今から心配しても仕方がないので問題が起きた時に 対処していくしか仕方がないのだと思います。大きな問題に至らないように 気をつけながら見守っていきたいなと思います。トドちゃん お願いだから 学習してね。
2008.10.15
ブログの編集の仕方が あまり良く分からなくって とても読みにくい画像になってしまっていたらごめんなさい。右へドラッグしていってみてください。現在の特別支援教育に関してまとめてみました。法的には これだけの決まりがすでに決められています。例えば 学校には校内委員会を設置しなくてはいけなくなっています。委員会のメンバーは学校に任されています。そして 特別支援コーディネーターを必ず一人置かなければいけなくなっています。コーディネータの役割り 研修校内委員会の役割に関しては 文科省のガイドラインを見ていただければご理解いただけると思います。個別の指導計画は 一人一人の子の目標ややりたいことなどを具体的に考慮して専門家や医療関係者 保護者 福祉関係者 担任 校長 コーディネーターなどがみんなで話し合って決めていくようになっています。学校教育法を見ていただけるとわかりますが通級の対象者で 自閉症者が情緒障害から独立した事ADHDとLDが 新たに支援の対象となった事がわかっていただけると思います。特別支援学級には 知的障害とは別に 情緒障害・言語障害の生徒も対象となっています。当然 肢体不自由 身体虚弱 弱視 難聴も入っています。地域の特別支援学校が センター機能を果たしておりそれぞれの学校のコーディネーターの相談に乗ったり 情報提供をしてくれる仕組みになっています。個人の相談に乗ってくださるところもあるようです。この他にも 学校に行けなくなってしまった子は身体虚弱の範囲に入るという考え方もあります。ですので ぜんそくなどの児童たちと一緒に 身体虚弱のための学校へ行っている地域もあるようです。学校に行けない子には 訪問の教育システムもあるそうです。基本 重度肢体不自由の子に 使われているようですがその仕組みをうまく利用できれば もしかして 何らかの原因で学校へ行けなくなってしまった子も活用できるのではないかなーなんて ふと考えてしまいました。彼らも 決してさぼっているわけではなく 行きたくても行けない状態なのですから…。これだけの決まりができているにもかかわらずそれぞれの地方自治体 学校では まだまだ機能している状態とは言えないでしょう。ですが 保護者が 行政や学校に相談に行かれる時にこの 特別支援法を知っているのと知らないのとでは大きな違いが出てくると思います。先生方も 公務員も まだまだ把握できていないと思います。皆さんに少しでも参考にしていただければと思い私のまとめたものを UPさせていただきました。少しでも 皆さんの参考になれば幸いです。
2008.10.11
昨日から あべのandでの 秋開講の講座が始まりました。今回はみなさん 比較的お子さんの年齢が低い方ばかりです。お子さんが小さいうちにお勉強なさるということは本当にいいことだと思います。我が家のように うーんと大きくなってからでは 今まで不足していたものを取り返すこと 本当に時間がかかります。真剣にお勉強に来ていただいている皆さんに できるだけたくさんの物を持って帰っていただける事を考えると私も身が引き締まる思いです。自分自身の勉強にも身が入ります。さて、最近の我が家です。トド 試験中。本日は5日間のうちの4日目今のところ お休みせずに行けています。勉強はあまり出来ていないようですが・・・(笑)勉強ができていない。悪い点数を覚悟でテストが受けられることになりました。どんどん 親に似て つわものになっているようです。そして 色気も付いてきました。こちらの方は 困ったものです。オープンな我が家 トドはあからさまに 自分の気持ちを吠えております。私が聞く分には 全然かまわないのですが正直に言うと エジソンにはあまり聞かせたくありませんで、エジソンはというと先日久しぶりに 学校のカバンの中をのぞいたら何やらきれいな包装紙が・・・。中からは 新品の下敷きと消しゴム母「これ どうしたん?」エジ「誕生日にもらった」母「おかねに関係のあることは 大人も関係してるし、 お母さんに言ってもらわな困るわ。お礼言われへんやん」エジ「忘れてたー」母「だれにもらったん?」エジ「○○←女の子の名前」母「ぎょえー」困りました。男の子同士ならば 相手のお母様に堂々とお礼が言えるのですが相手が女の子となると もしかして 親に内緒で自分のおこずかいでプレゼントしてくれたのかもしれません。それを 無神経にお母様にお礼を言うのも 気が引けてしまいます。母「なぁ お母さん知ってはるかどうか 聞いてきて?」エジ「いややー」そうでしょうとも・・・。自分がもらったプレゼントの事 相手に突っ込んで聞くのは嫌やろな・・・。どうしたものかと 頭を悩ませております。あ、それと 私、生まれて初めて 子どもからお金のかかったお誕生日プレゼントをもらいました。トドがケーキを買ってくれたのです。覚えていてくれただけでも 大感激。なのに、ケーキまで・・・。やたらめったら ろうそくの本数が多いケーキですこんなに美味しいケーキを食べたのは はじめて・・・。そんな味のケーキでした。深夜に主人も電話をかけてきてくれました。これもびっくり。覚えていてくれたんですよね。結局 誕生日を忘れていたのは 私だけのようです。(忘れたいという 深層心理が働いていたのでしょう)そんなこんなで 相変わらず 楽しい我が家です。
2008.10.10
本日も大学ネタです。前期は発達に関係する科目を 中心に履修していましたが今期は 教育に関するものも いくつかとっています。学校の先生になりたいわけではないので あまり興味はなかったのですがまぁ 単位の関係でとらざる終えないというか・・・でも これが又 おもしろい。今まで興味がなかったということで 知らなかったことが多くエキサイティングの連続なわけです。本日は 「教育社会学」教育と社会の関係を勉強する科目です。教育の目的は ある社会に適合した知識や価値観、あるいは規範などをその社会の構成員との相互作用を通じて身につけるあるいは 身につけさせる過程である。「どっひゃー!」です。確かに そんな面も必要だとは思うのです。でもね でもね そうじゃないでしょーと言いたい。アルカイダの組織員の家に生まれた子はアルカイダとして育てる。これと同じやん。私たちの自由は何処へいったー。洗脳するな~。そして、ここで 前期に学習した「子ども・青年の生活と発達」という科目の一説を思い出してしまいました。グローバル化が進む社会の側は 労働能力やパーソナリティーを柔軟に変化させ社会状況に適応していく人間を求める傾向が強くなっている。しかし、社会がそのように求める流動性・柔軟性は 若者が一人の人間として成長し 経験を積み上げ、確固たる自己と人間関係を確立していくプロセスと矛盾するようになっている。要するに 個性はいらない。右向け右と言われれば ずっと右を向いていられるような自分の意思を主張せず まわりにひたすら合わせられる人間。自己抑制ができるというよりは自分の欲求を感じられない ターミネーター型の人間が今の世の中必要。そういうことじゃないのかーってうっすらとはわかっていましたが これが 社会の上層部によってもしかしたら 仕組まれていたことなのかもしれないと思うとめっちゃ ムカついてきました。考えたら そうなんですよね。今の世の中 大人の監視がめっちゃきついんです。親は 自分の枠の範囲で子育てしようとして指示や命令のオンパレード。そうして自分で考えることなく育った子どもたちが次は学校社会に入って 先生の指示という生活で もっと抑制になれる。中学校へ行きゃ 周りの友達と違うことをすれば許してもらえない。みんな 抑制の中で生活しているので ストレスはパンパン。だから ちょっとしたことでも 許してもらえない雰囲気。本当は みんな心の奥底に きちんとした欲求を持っているはずなのにそれを 抑え込んで気付かずに生きてるって 生物としてあまりにも不自然。高校なんか、コミュニティーの中で価値観も統一されていて勉強のできる子がよし…とする コミュニティーではその一つだけ。おしゃれである事がよしとされるコミュニティーでは又 それだけ。あまりにも おそまつな…。世の中いろんな人がいて いろんな価値観があるんだよということを学べば自分自身もよしと思う事が出来るのに・・・。それができない社会。自己肯定感をあげることができない社会。国のお偉いさん。会社のえらいさん。あんたらが思う通りの子どもたちが きちんと日本では育っています。安心してください。でもね それに気がついて こんなのおかしいって気がついて反旗を振りまわしている子どもたちもいることもお忘れなく。枠にはまらない子どもや きちんと自分の欲求を考えられる子も世の中には いるのですから・・・。そして 今 増え続けていますから・・・。今は そんな子たちは逆に「なんで 私はほかの子と同じことがでけへんねやろー」って 悩んでますけどね。それが 吹っ切れたときに 必ず 逆襲に出てくると思いますよ。私は そんな子どもの親としての役割をもらえた事今 胸を張りたい気分になりました。テキストにあった一文「教育は社会の奴隷」この言葉が 重く心にのしかかりました。
2008.10.06
10月です。いよいよ 大学の後期の授業が始まりました。今回とった科目のうち 「生涯学習と自己実現」の1回目の授業でいきなり衝撃的な文章と出会ってしまったのでここで紹介したいと思います。・教育は人生の一定の時期において行われるというよりは むしろよりいっそうの自分自身になるという目的をもって 生涯にわたって展開され その人の人生に編まれていくものだということである。・「学校に行くこと・教授されること」と「学習をしたり教育を受けたりすること」とは 別のことなのであるが 我々は制度化されたサービス(=学校教育)を受けることと 学習することを混同してしまうのである。 ちょうど 病院へ行くことと病気が治癒することとを同じことだと錯覚してしまうように。・学校教育の基盤にあるもう一つの主要な考え方は、 大部分の学習は教えられた結果であるという考え方である。 しかし、大方の人は彼らの知識の大部分を学校外で得る。 ほとんどの学習は偶然に生じる。 そして、意図的学習でさへ そのほとんどは計画された教授の結果ではない。・自己実現論を軸とする生涯学習論を目指す者にとっては、 学校型知を超えた学習論や教育論を構想していくことが不可欠となる。・学習の本来の意味が「経験による行動の変容」であるのに対し、 教育は、当該社会の教育的価値による、「指導された学習」なのである。 その意味では 自己の選択した教育的価値のもとに自らを律する自己教育も 生涯教育だということになる。実はこの科目 単位数の関係でとりあえずとってみた科目ですが最初の理念だけで テンションが上がりまくり…。学習は自己実現のもの・・・。「そーよ。そーよ。もっと言って…」病院の例え「勘違いしている親が 山のように…」学校型知を超える「そやー。押し付けられても 意味ないんやー」学習は教えられた結果「そんなん学校で習って来たことは ご丁重にお返ししたわー」学校型知を超えた学習論や教育論を構想していくことが不可欠となる。「学者がぐちゃぐちゃ言ってんと はよ現実化しーや」なんて 興奮しながら読んでいたわけですが…。そして 最後に極めつけ。ロバート・ハッチンスの『ザ・ラーニング・ソサエティ』よりすべての成人が学ぶこと、何かを成し遂げること、人間的になることを目的としあらゆる制度がその目的の志向するように価値の転換がなされた社会…。=学習社会学ぶのは子どもじゃなく成人なんです。学ぶことは何かを成し遂げることであり、人間的になることなのです。学ぶことを子どもたちに押し付け、自分は機械の歯車と化し深く考えることすらおろそかにしている人間。世間の価値観に押し流され 自分自身を見失ってしまった人間。それは もしかしたら もう人間ではないのかもしれませんね。「人間らしく」この言葉に 妙に感動してしまった私でした
2008.10.04
全10件 (10件中 1-10件目)
1