春日井市高蔵寺の整体院「空」

春日井市高蔵寺の整体院「空」

2007年12月30日
XML
カテゴリ: 随想的話題
去る12月20日、母方のばあちゃんがなくなりました。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



ばあちゃんは2,3年前から体調がすぐれなくて、
入院しては退院し、また入院ということを
繰り返していました。


もともと、ばあちゃんは歩くのがとても好きで、
すごく壮健で、はつらつとしていました。

電車やバスで席を譲られると、


80歳のころに、
趣味の太極拳のクラスで「70歳くらいに見える」
って言われるのよ、なんて自慢していました。
違いがよくわかりませんでしたが・・・。

世間のばあちゃんの例にもれず、
孫にはとても甘かったです。

家にくるたびに、お小遣いをくれたり、
モノを買ってくれたりするので、
おかんが困っていたのを覚えています。

多趣味な人で、ぼくが知っているだけでも
太極拳、ボトルシップ、革細工、かな(書道)などなど、


ばあちゃんに作ってもらった筆箱(ぼのぼのくんの柄)や財布は
学生の頃ずっと大事に使っていました。


それからすこし俳句や川柳もやっていたらしく、
病院に見舞いにいったときに、
むかし俳句の先生から誉められたという自信作を



バスが揺れ 孫へのみやげ しかと抱き


たしかにこれはイメージが自然とわいてくる名句でした。
しかも自分がその「孫」の一人なわけです。
そうなると、その情景だけでなく
ばあちゃんの気持ちまでも浮かんでくるのです。


ぼくが見舞いにいくと、
入れ歯をとってしまったふにゃふにゃの声で
「あんたがくると、ホっとするわ」と言ってくれたのを
すごく覚えています。

それでぼくは、すこしでもばあちゃんの力になれればと思い、
お見舞いから帰ったあと、色紙と手紙を書いて、
ばあちゃんに渡してくれるようおかんに頼みました。

色紙に書くことばは、なやんだあげく
「あした天気になあれ」
にしました。

それをいつもの筆ペンで書いたのです。

そうしたら、やはり孫パワーは強いらしく、
ばあちゃんはとても喜んでくれ、
その色紙をいつも見えるところに飾っておいてくれたそうです。

いつも「元気になれ!」「がんばれ!」「病気に勝て!」
と励まされていたばあちゃんは、
「天気」というのはラクでいいね、と言ってくれたそうです。

入院中のばあちゃんは、
ちょっと会話のはっきりしない部分もありましたが、
ぼくの意図したところが見事に伝わったのには
正直おどろきました。
そしてとても嬉しかった。

でもそれからすぐに茨城に転勤になって、
なかなか名古屋にも戻れなくなりました。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



そして今月の半ばのことですが、
家族からばあちゃんの容態が急に悪くなっているという
報せをうけ、急遽実家に戻りました。

そのときばあちゃんは、
もう退院して家に戻っていました。

というのは、もう病院ではいかんともしがたい
状態になってしまったため、
いわゆるターミナル(終末)ケアの段階だったわけです。

ぼくがベッドで寝ているばあちゃんに顔を見せると、
はじめぼくが誰なのかさえはっきりしない様子でした。

「俺だよ、直人だよ」というと
ばあちゃんは「ああ、直くん」と言い、
ぼくの手を握り、そしてその手の甲に頬ずりをしました。
その肌が存外にもつややかで、潤いに満ちているのに驚きました。
老人のかさかさの感じではないのです。
それがとても不思議だった。

クリスマスプレゼントとして買ってきたスカーフを渡しました。
もちろん、これを身につけておでかけしてね、
おでかけできるくらい元気になってね、という意味です
ばあちゃんは、入れ歯のない、ふにゃふにゃの名古屋弁で、
「ありがとう、ありがとう」と言ってくれました。

でもやはり、動きひとつひとつがとても苦しそうでした。
それでぼくは何も言えなくなってしまった。

何か言いたいと思うのだけれど、言葉が出てこない。
なんと言ったらいいのかぜんぜん分からなくて、まさに言葉がないのです。
大人たちは、いろいろともののみごとに話しかけ、そして励ますのだけど、
ぼくはただ、ばあちゃんがゆっくりと語りかけてくれることばに
うんうんとうなずくだけでした。
そうしようと思ってそうしたわけではない。
ただそうすることしかできなかったのです。


そしてそれが、ばあちゃんとの最後の会話になってしまいました。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



12月20日、ぼくが茨城に戻って2日目の昼です。
母からメールが来て、ばあちゃんが亡くなったことを知りました。

でも実感がわかなくて、仕事もあったし、
我慢すれば涙は流れませんでした。

22日がお葬式でした。
空っぽになったばあちゃんに会ったけれど、
やっぱり何も言えなくて、心の中で、
ただただ「やっとゆっくり休めるね」と繰り返していました。

それからお坊さんも来て、葬儀も順調に進んでいました。
いよいよ最後のお別れです。
みんなが、やせてしまったばあちゃんのまわりを花でかざっていきます。

そのときもやっぱり言葉がなかった。
何か、手向けの言葉でもかけてあげればいいのですが、
なんにも言葉が浮かんでこないのです。
それでぼくはだまって、空っぽのばあちゃんを見ていた。

そうしたらじいちゃんがそっとぼくのほうに来ました。
じいちゃんは、達観した様子で、いっけん冷静に喪主をつとめていました。

いつもと同じような歩き方で、いつもと同じ顔で
いつもと同じしゃべり方をしていた。

ただ、背中だけが、すこしさみしそうだった。
でもそれは当たり前で60年連れ添った人がとつぜんいなくなるというのは、
たとえある程度の予想と覚悟はできていたとはいえ、
ぼくには想像もできないくらいのかなしみに違いない。

だからこそ、そのかなしみは涙ではなく、
身体のありかたそのものとして表現されたのかもしれない。

そんなじいちゃんがぼくのそばにきて、言いました。

「おまえがばあちゃんにくれた、あの色紙な、
 ちゃんとこの(棺桶の)中に入っとるでな」


その言葉を聞いたとたん、ぼくはとつぜん泣き出してしまいました。
身体をぶるぶる震わせて、涙をぽろぽろこぼして泣きました。
なぜその言葉が契機になったのかよくわかりませんが、
とにかく、じいちゃんの一言で涙が止まらなくなった。

おかんが見かねてハンカチを貸してくれました。


それから火葬があって、ついで初七日もすませてしまいました。
最近は初七日も一緒にやるのが一般的なのだそうです。

そのあと、親族でごはんを食べて、その日は終了でした。

しとしと雨の降る日でした。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


ばあちゃんという近しい人が亡くなったのははじめてだったので、
いろんなことを考えました。

なんかまだうまくまとまっていなくて、だから、
ここには書きません。

それよりも、今はばあちゃんにありがとうって伝えたいんです。
他には言うことないです。
今まで25年間かわいがってくれてありがとねって、
それだけ言いたいんです。

たぶんあっちの世界からブログ見れると思うんで
ここに書いておきます。


ありがとう、おばあちゃん!!
天国で、またいろいろ趣味を楽しんでね!


合掌。

というわけで、これを見て間に合った方だけでけっこうですので、
年賀ハガキはご遠慮くださいませ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年12月31日 01時38分37秒
コメント(2) | コメントを書く
[随想的話題] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

ozekey

ozekey

コメント新着

頑固者@ Re:素直になるメリット(01/23) 頑固じゃないと根気強く物事を続けられな…
スマオプ@ Re:ブログを閉鎖します!(01/08) www.smartoption.jp.s2.gvirabi.com/ スマ…
どうも@ Re:ブログを閉鎖します!(01/08) iforex.jpn.com.s2.gvirabi.com/service-m…
ozekey @ Re:おつかれさまでした(01/08) 和風犬さん コメントありがとうございま…
和風犬@ おつかれさまでした ついにブログ終わるんですね。 読んでて…

バックナンバー

2026年10月
2026年09月
2026年08月
2026年07月
2026年06月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

お気に入りブログ

■今の人生の横に走っ… New! まゆ3281さん

Expansion20瞑想会参… New! mamadocterさん

部下はこうして働い… New! よびりん2004さん

『笑顔の魔法♪~毎日… Yukito_Hさん

購入履歴

お買いものレビューがまだ書かれていません。

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: