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こんちは!尾関です!「さけるチーズ」を食べています。さて、今日のテーマは「感謝チェックリストを作ってみました」です。最近、「俺はダメだなぁ」と思うことがよくあり、いろいろ考えておりました。そのなかで、「やっぱり感謝が足りないかも」と思い、「ありがとうチェックリスト」を作ってみようと思ったのです。自分は恩知らずだけれども、チェックリストを作って毎日確認すれば、すこしは感謝を思い出すかもしれないと考えてのことです。そこで、思いつくままに感謝することを書いていきました。□生んでくれた母親に感謝しているか□養ってくれた父親に感謝しているか□支えてくれる嫁さんに感謝しているか□生まれてくれた子供に感謝しているか□五体満足の身体に感謝しているか□呼吸ができることに感謝しているか□歩けることに感謝しているか□話ができて、耳が聞こえることに感謝しているか…そうやってチェックリストを作っていったら、すごくビックリすることがありました。チェックリストの作成が終わらないのです。感謝することを数えていったら、キリがないのです。この事実には驚きましたね~。いかに自分が、ふだん感謝を忘れているかということに気づかされました。ちなみにリストには、他にもこんな項目があります。□あたたかい布団に感謝しているか□電気・上下水道に感謝しているか□胃袋と肝臓と心臓に感謝しているか□大家さんに感謝しているか□車に感謝しているか□お金に感謝しているか□パソコンに感謝しているか□かつての師に感謝しているか□先輩に感謝しているか□印刷業者に感謝しているか□インクとプリンターに感謝しているか□デジカメに感謝しているか□筆記用具に感謝しているか□自動ドアに感謝しているか□トイレに感謝しているか…etcホント、キリがないですね。そうやって考えていくと、「プライド」ってやつは、メチャくだらないなと思えてきました。「俺はこうやって努力して成功した」なんて、めちゃめちゃ恥ずかしい言い方だということです。ぼくは「誇りある人生」を目指してきたのですが、もうやめにします。アホらしくなってしまいました。「ひとつくらいは胸を張れるものを」と思っていましたが、「胸を張れることなんて、ひとつもなくていい。 それよりも『おかげさま』を忘れないようにしたい」と今は思っています。それに気が付けたので、感謝チェックリストを作ってみて本当によかったです。そんな11月26日です。
2011年11月26日
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こんにちわんこそば!尾関です。ものすごい暑さです。夏ですか?夏ですね。さて、今日のテーマは「何の必要があって?」です。最近は、この言葉がやたらぼくに響いてきます。この言葉は、ある本で読んだのですが、すごく深いことばだと思います。どんな状況でも、「何の必要があって?」という問いをしていく。ふつうは不幸だとか不運だと思われることに対して、「何の必要があって?」と問いかける。それは「なんでこんなことに・・・!」という嘆きとは違う。嘆くというのは、行動力や実践力がないけど時間が余っている人がすることです。「何の必要があって?」という問いかけをしていくと、ちゃんと答えが出てくる。これが面白いところです。いつでも「何の必要があって?」と問うていくと、いろんなことが「起こるべくして起こっている」ということに気が付いてきます。先般お亡くなりになった小林正観さんは「人生のシナリオはあらかじめ決まっている」と繰り返し著書に書かれていました。「すべての出来事が、ベストのタイミングで起こる」とよく言われますが、たしかに、振り返ってみると、「あの時でなければいけなかった」と思えるような、ベストタイミングの出来事がたくさんあります。それはきっと「何らかの必要性」があって、起こっているからなんですね。どんなことが起こっても、「この出来事は、どんな意味で必要なんだろう」と問うていくこと。これはすごく大事なことだと思います。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年10月23日
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こんにちは、尾関です。昨日は暑いし、今日は寒いし、日本はいろんな気温を楽しめて最高ですね♪さて、今日のテーマは「お金を払って情報をゲット」です。先ほど、先日買ったアクオスが納品されました。テレビが壊れて以来、数か月テレビなしの生活をしていたのですが、ついに買ってしまいました。というわけで、今日は「情報」について考えてみたいと思います。情報というのは、自分で選んでゲットしていったほうがよいのです。放っておくと、いろんな情報が入ってきてしまいます。インターネット、新聞、テレビ…。情報をゲットしようとしなくても、知らぬ間に情報が頭の中に入ってしまうのが怖いところです。そしてその現実を「おそろしい」と思っている人が少ないことが、実はもっと恐ろしいことなのです。ある種の人たちと話をしていると、ぼくにとって「どうでもいいこと」にばかり詳しい。芸能人のゴシップから、コンビニの新商品、ウワサのオシャレカフェから、話題のスマホの機能などなど、「それがどうしたんだろう」ということにやたら詳しい人がいる。もちろん、それらの情報も生きるために必要だ。たのしい話題、くだらない情報、意味のない話が出来ない人は、どこか味気ない。けれどもぼくは、それらの情報しか知らない人と話している時間をムダに感じる。個人的に、ぼくは「幸せに楽しく生きたい」と思っているんです。そしておせっかいなことに、ぼくに関わる人たちも、「幸せに楽しく生きてほしい」という思いがあるんです。そして「幸せに楽しく生きる」ために何が必要かといったら、まずは情報なんですね。「幸せに楽しく生き」ようと思っても、何が幸せなのか、どうすれば楽しいのかが分からないことには、どうにもはじまりません。だから、まずは情報をゲットしにいかないといけない。でも、「幸せになるための情報」って、ほとんど世間には出ていないんですね。まぁ、ここで言う世間というのは、新聞とかテレビのことですけれども、いわゆるマスメディアは、「あなたは不幸だ。これを買って幸せに」とか「あなたは時代遅れだ。このサービスを受けて最先端に」とか消費をあおることは多いんですが、「あなたは、そのまんまで幸せなんですよ」というような情報はほとんど流していない。ですから、垂れ流されている情報ばかりを無意識に取り入れている人は、けっこう不幸になっている気がするんです。ぼくが知る限りでは、幸せな人は、きちんと自分から情報をゲットしにいっています。自分の生きる目的にかなった本を読む、セミナーや講演会に参加する、質の高いブログやメルマガを購読する、などなど、情報に対して意識的な取り組みをしている。これが数年続くと、「幸せ度」はものすごく差がついてきます。もちろん「別に幸せになんてならなくてイイワ」という人は、努力なんてする必要はないんです。けれども、「幸せに楽しく生きたい」という人はやはり、それなりの努力というか、「幸せであるため」の情報を取りに行く必要がある。まぁ、まずは「本を読むこと」をオススメいたします。ぼくの場合は社会人になってから、数百冊の本を読んできましたが、だんだんと良い本がすぐに分かるようになりますし、あとは「本を読む人かどうか」ということも、話しているうちにだんだん分かるようになってきました。あとは、やっぱりすごく人生が楽しくなりましたね。もちろん学生のころも楽しかったですが、本を読んでいちばん気が付いたことは、「たのしさは自分で作るもんなんだ」ということです。それに気が付いたら幸せ度がかなりアップしましたね。つまり、自分で「幸せだ!」と決めちゃえばいいんだ、ということが分かってしまうと、どうやっても不幸になれないのですね。そういう情報というのは、ふつうにしてたら、なかなか入ってきません。ふつうの情報に振り回されるのは不幸です。(幸せになるために)価値ある情報を選んでゲットすること。そして不幸になるために必要な情報を頭に入れないということ。その2点が情報を選ぶうえで大切なんじゃないかなぁと思います。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年10月17日
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おはようございます、尾関です。今日のテーマは、「過去を一瞬で変える方法」です。未来は変えられないが、過去は変えられるのです。言い間違いではありません。未来は変えられないが、過去は変えられるのです。未来は、「まだ起こっていないこと」なので、変えるもクソもありません。まだ生まれてもいない赤ちゃんに、言葉を覚えさせられないのと同じです。ただし、過去は変えることができます。もちろん、直接的には変えられません。間接的には変えることができるのです。それには「いま」を変えるということなのです。たとえば学生時代にガリ勉していたとしましょう。そうして今は、ふつうのサラリーマンとして、会社につとめているとします。その人が、「いま」に対して満足していないとします。たとえば残業ばかりで苦痛とか、給料が上がらないとか、なにか不服なことがある。もしくは彼女がいないとか、そういうこともあるでしょう。そういうときに過去を振り返ってみると、どうにも過去が憎らしくなるのです。「あーあ、学生時代にもっと遊んでおけばよかった」とか「ガリ勉ばかりしていたから、 周りの気持ちが分からなくなってしまった。 だから出世できない」とかそういう残念な思考になってしまう人がいるのですね。これは、「いま」の不幸を過去のせいにする、という考え方で、とてももったいないのです。しかし、「いま」に満足している人だったらどうでしょうか。今度は女性バージョンでいきましょうか。やさしい旦那さんと結婚し、一男一女をもうけ、子育て、趣味、お友達とのランチを楽しみ、もう幸せいっぱい、という女性がいるとします。その女性が過去を振り返ると、どう思うでしょうか。「あー、色々あったけど、 あの経験があったからこそ、今の私がいるんだな」と思うのではないでしょうか。そうやって、おだやかに、懐かしく昔を思い返せるのは、「いま」が幸せだからです。どれだけ嫌なできごとを過去に抱えているとしても、「いま」が幸せであれば、過去なんて関係がないのです。「いまが幸せ」というのは、とてもパワフルなのです。「いまが幸せ」であれば、過去の苦い思い出などなくなるのです。「あの過去のせいで・・・」という恨み節はなくなる。さきほどのサラリーマンに話を戻しましょう。彼が「いま」、幸せだと感じたならどうなるでしょう。きっと、こう思うはずです。「あー、あのガリ勉時代があったからこそ、今の俺があるんだな」と。つまり、過去にあった出来事はたしかに変えられないのです。しかし、過去をどう思うか、どう感じるか、ということは変えられるのです。どう思うかということは自由なのです。あなたが選んでいいのです。この事実に気が付くかどうかが、幸と不幸の分かれ目です。もちろん「いまの不幸」を過去の“トラウマ”のせいにするのも自由です。ただそれは、あんまり得する話じゃありませんね、ということです。そんなことよりも、「いま」幸せになる、ということに焦点を当てていくと、ぜんぜん違う世界が見えてくるのです。過去にも未来にも幸せにはなれません。「いま」、幸せになるしかないのです。そして「いま」、幸せになれば、過去は一瞬で変わってしまうのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年10月14日
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おはようございます!今日もツイてる曇り空。雲もいいですね~♪まずは「自分が世界の中心です」これは、わがまま勝手ホーダイやっていいということではないのです。どう見るか、ということによって、世界はまったく変わってしまうということです。「良い出来事/悪い出来事」というのはありません。ある出来事を、良いと感じるか、悪いと感じるか、なのです。そして何を良いと感じるか、悪いと感じるかは自由です。あなたが、自分じしんで選んでよいのです。そしていつでも、選んでいるのです。ですから、「良いなぁ~」と感じることが増えると、身の回りに「良いことばかり」が起きます。多くのことを「良いなぁ~」と感じられるようにするには、すこし訓練が必要です。それは「どんな言葉を使うか」という訓練です。いつでも「よい言葉」を使うことは、脳の訓練です。常日頃から「よい言葉」を使っていくと、すっかり世界が変わってしまうのです。なぜなら、良い言葉を使うと良い心が育つ。良い心が育つと、良いことがたくさん起きているように感じるからです。良い言葉というのは、ありがとううれしいたのしいきもちいいだいすきだいじょうぶなどなど、人の心が明るくなるのが良い言葉です。あかるい言葉で、人のこころに明かりを灯す。そういう意識で言葉を選んでいると、いつのまにか自分も幸せになるのです。自分の口からでる言葉には、めちゃくちゃ気をつけたほうがいいのです。なぜなら、自分の口から出る言葉で、ぼくらは世界を作っているからです。その意味で、自分が世界の中心なのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年10月14日
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おはようございます、尾関です。今日はすこし曇り空です。曇り空もまた、オツなもんですなぁ。さて、今日のテーマは「恥ずかしいと思う気持ち」です。「恥ずかしい」というのは、あんまり気持ちのよいものではないですね。けれどもぼくは、「恥ずかしいと思う気持ち」はとても大切なものだと思っています。先日、とても恥ずかしい思いをしました。といっても恥をかかされたのではないのです。ある人の「ものすごい実績」と「ものすごい能力」を目の当たりにして、とてもショックを受けたのです。とにかく「スゴすぎる」と思いました。で、何がショックだったかというと、このお人、めちゃめちゃ謙虚なんですね。実際にお会いしたのは2度ほどなんですが、2回とも「いろいろ教えてください」ということを、ぼくにおっしゃるのです。ふつうのスゴイ人は、「教えてやろうか?」となる。もちろんスゴイ人から教えてもらえるのは嬉しいことです。けれどもホンモノのスゴイ人になると、「教えてください」になるんですね。何の構えも「てらい」もなく、ふつうに、「教えてください」と。それは簡単そうでなかなかできない。古語の「恥ずかし」という言葉には、「恥ずかしい」という意味と、「こちらが恥ずかしくなるほど立派だ」という意味がありますが、まさに後者の気持ちになりました。ちょっとうまくいくと、すぐに調子に乗ってしまうぼく。スゴすぎる結果を出していながら、つねに謙虚で学ぶ姿勢を忘れないホンモノのスゴイ人。この差に、正直かなりのショックを受けました。自分が、恥ずかしくなったのです。しかし、傲慢になってきていた自分を変えるチャンスです。井戸の中のカエルが、自分を「かえる」チャンスに出くわしたということです。この「恥ずかしい」という気持を忘れずに、日々、学んでいきたいと思います。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年09月29日
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【前回までのあらすじ】他人は、あなたの短所を気にするほどヒマではないんです。前回の記事はコチラ=======================とにかく、他人はそんなに気にしていないんです。というか、他人はあなたの短所に興味がないんです。どうでもいいんです。そういうことを実感してくると、「隠す」ということがただ面倒くさくて疲れるだけで、何にも良いことがない、ということが分かってきます。誰も見ていないのに、一人で取り繕って、バレないようにヒヤヒヤして、疲れて、そして誰にも興味を持たれない。ちょっとアホらしいですね。「隠す」のはニセの自分を見せたいからです。ほんとうの自分をさらけ出すのが怖いのです。しかし、自分をさらけ出してみなければ、好かれるか嫌われるかなんて分かりません。それをやってみないのは、「食わず嫌い」ならぬ「さらけ出さず嫌い」ということです。「さらけ出さず嫌い」を続けていると、どんどん怖くなります。これがバレたらおしまいだ!というくらい怖くなります。けれども、ちょびちょびとでも小出しにしていくと、ちょっとずつ怖さが減ってきます。そうして全部さらけ出してみると、「ああ、いったい何を怖がっていたんだろう」というふうに思うと思います。そして「ああ、受け入れてくれた。周りはけっこう温かいな。やさしいな」と思うかもしれません。けれども実際には、あなたに興味がないだけなんです(笑)もちろん、さらけ出してみたらドン引きされることもありますよ。頭が固くって、ドン引きするのが好きな人っているんですね。ただ、そういう人は相手にすることはありません。心が狭い人と付き合っても疲れるだけですから。心をさらけ出すことで、付き合うべき人の選別ができるんです。素晴らしいことでは、あーりませんか!!さぁ、みんなで心のカツラを外しましょう(笑)ちなみに、ぼくの父はたまに会うたびにツルンツルンになっていきますが、まったく隠そうとする気のない立派な人です。(手立てがないだけかもしれませんが…)ぼくはといえば、おでこが広いのが気になるので、髪を切る時に、美容師さんに言って「そり込みの部分が隠れるように」とお願いしております(笑)まだまだ父にはかないませんね。まぁ、かように自分をギャグにすることができれば、何にも怖くないのだ!ということです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年09月29日
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こんばんみ!尾関です。ダジャレを言います。骨盤がビッグバン!いろんな意味でヤバいです。さて、今日のテーマは「隠そうとすると、弱くなるね」です。ぼくらは、弱い部分を隠そうとするクセがあります。あるものをないように見せたり、ないものをあるように見せたり、いろいろと涙ぐましい努力をします。ハゲの人は、ときにカツラをかぶります。ぽっちゃりお腹が気になる人は、体型をごまかせる服を着たりします。自信がない人は、えばります。お金がない人は、あるように見せたがります。でも、そういう努力は不毛です。そして、とても疲れます。そもそも「隠す」ということは、すごく疲れることなんですね。温泉でチンポコをわざわざ隠す人がいますが、それではいくら温泉につかってもリラックスできない。自分の弱い部分は、隠せば隠すほど、人にさらけ出すのが怖くなる。大したことでもないのに、「隠す」ことを続けるうちに、絶対にバラしてはいけないことだと錯覚する。ハゲの人のカツラが台風で飛んでいく。本人は慌てるかもしれないけれど、周りにとっては大爆笑。そう、本人がめちゃめちゃ気にしていることって、ほとんど周りの人は気にしていないのです。なぜなら世間の人は心が広いから?違います。誰しもが、他人なんかにそれほど興味はないからです。みんな自分が大好きで、自分ばかり見ているから、他人の短所やコンプレックスなど見ているヒマはないのです。みんな、鏡の中を覗き込んでウットリしています。ハゲの人が思い悩むというのも、「ウットリ」の一種です。ハゲの人ばかり槍玉にあげましたが、女性のぽっちゃりお腹もそうです。たしかにウエストが締まっている女性は素敵ですが、別にぽっちゃりお腹だからどうだとも思いません。それはそれで可愛い場合もある。<続く>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年09月29日
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【前回までのあらすじ】個性に合わせて、どんな努力をしてもいい。活かされる場所を見つけるか、その場で活かされるよう自分を変えるか…。どちらを選ぶかは・・・・・・自由だ!努力isフリーダム。======================どんな努力をしてもいい。けれども尾関的には、気を付けるべきポイントが2つある、と考えています。ひとつは、「楽しんで努力する」ということ。努力というと、どうしても刻苦勉励のイメージというか、額にシワをよせて必死の形相で、と考えがちですが、あくまで楽しむということが大切だと思っています。真剣なうちはよいけれども、深刻になると視界がせまくなる。そうなるとアブナイですね。あくまでも冷製パスタで、いや冷静に、淡々と自分を見ながら楽しむ。「自分を変える!」と気合を入れすぎずに、ゲーム感覚でやっていけばいいと思うんです。うまくいかなくても、「失敗しちゃった。てへ」と言って、舌を出しながら自分の頭をコツンとやればいいんです。それからふたつめは、「自分を知る」ということ。「自分を知る」ということは、意外に怖いものです。誰しも、自分は「いい人間」だと自分で思いたい。けれども、奥深く自分を見ていくと、かならず「悪い自分」に出合ってしまうのです。「悪い自分」はとは「ずるい自分」であったり、「弱い自分」であったり「セコイ自分」であったり、「我利我利亡者の自分」であったり「わがままな自分」であったり、「あまり見たくない自分」が奥のほうに潜んでいます。この「見たくない自分」「知りたくない自分」に目をそむけてい人は、どうもうまくいっていないようです。なぜなら、自分とは「良い自分」と「悪い自分」をふたつ合わせて「ほんとうの自分」になるからです。「良い面」と「悪い面」をくっつけて、深くふかく、見ていく。奥の方にかくれている、恥ずかしがり屋で怖がりの「自分」を見つける。そういう作業が、努力をする前に必要だとぼくは考えています。まぁ、これはぼくの考えなので、とくに真似することはないですけれども、どなたかの参考にでもなれば嬉しいなぁと思い書いてみました。ひさびさにたくさん日記を書きました。最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年09月27日
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【前回までのあらすじ】あまりに個性的であるがゆえに、子供のころは苦労続きだった画家のHさん。その才能が花開いたきっかけは、絵の師匠のある一言だった…=====================Hさんのお話を聞いてぼくが思ったのは、「そのままでいいんだな」ということでした。ぼくらは凸凹です。長所と短所があります。そして長所と短所はオモテとウラです。何かすごい才能を持っている人ほど、何かすごい欠けている部分があります。あまり欠点が見当たらない人は、そこまで才気あふれるということはない。きっと、プラスマイナスゼロになるようになっているんですね。というか長所=短所なのだから、当たり前なんですが・・・。そうなるともう、「すべての人は、そのままでいい」ということになります。長所も短所もそのままに、ありのままに認める。それが大事なのだということになります。しかし、この話には反駁がつきもので、「では、人間は努力しなくていいのか」と言う人がかならず出てきます。ぼくが思うに、努力は必要です。しかし、努力の方向性がとても重要なのです。ここにも個性が関係してくるのですが、あまりに個性が強い場合、どうしても組織や集団に順応しない場合があります。もう、そういう人は無理に合わせないほうがよい。「自分(の才能)が活かされる場所」を探したほうが早い。しかし、それほど個性が強くない人の場合、言い方を変えると順応性が高いということですから、組織やコミュニティに合わせて自分を変えていけばよいのです。ですから、その人の個性に合わせて、自分が活かされる環境を探すことを努力してもいいし、自分を変えていくことを努力してもいいと思うのです。どんな努力をするのも、自由です。ただ、努力するに当たって、気を付けるべきポイントが2つあるとぼくは考えています。【続く】=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年09月27日
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おはようございます、尾関でござる。パルコのバザールに行きたいでござーる。さて、今日のテーマは「『そのまま』でいいのかな」です。ぼくらには長所と短所があります。それをどうやって活かそうかという話です。昨日、Hさんという、画家さんとちょっとお話しました。この辺りでは色んなところに絵を飾ってあるらしく、なんとぼくの母校(高校)にも、その方の絵があるらしいです。ほかにも華やかな受賞歴や上海万博に絵を出展した話など、ご活躍の様子をお聞きしています。そんなHさんですが、けして順風満帆の人生ではなかったそうです。子供のころは、みんなと一緒に何かをやるのが苦手で、学校の勉強が苦痛。絵は好きだけど、運動が嫌いなので、体育も苦痛。できないのに、先生は無理にやらせようとする。みんなの前で恥をかかされる。それがまた苦痛。そして放課(休み時間)にも一人で砂に絵を描いていたそうです。「なんで私は生まれてきたんだろう」Hさんは、幾度となくそう思ったそうです。それほど、生きるのが苦しかったんですね。そんなHさんが救われたのは、絵の師匠に出会ってからのこと。「きみの性格は絵を描くのにぴったりだ」と言われたとき、「生きていて良かったんだ」と感じたそうです。そして今、Hさんは芸術家として八面六臂のご活躍。「活かされる場所」を見つけた人は、輝いています。さて、そんなお話から、何を学ぶことができるでしょうか。ぼくが思ったのは、「そのままでいいんだな」ということでした。【続く】=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年09月27日
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こんにちは!タイフーン★尾関です。フェイスブックやミクシー、メールなどで、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、9月1日の午前3時ごろ、2900gぐらいの女の子が生まれました!名前は琴音(ことね)です。ちなみにぼくの名前は直人(なおと)です。写真がでかくてスミマセン。はからずも実物大になってしまいました。母子ともに健康のようです。嫁が茨城で出産したので、まだ本人に会ってません。早くわが子を抱きたいなぁと、次の休みを首長族のように首を長くして待っています。嫁さんいわく「陣痛は思ったよりも痛くて死ぬかと思ったが なんとか死ななかった」とのこと。そしてわが子をその手に抱いた瞬間、自然と「ありがとうございます」という言葉が出てきて、号泣したそうです。という感じでまずはご報告です。おいおい親バカ育児日記を書いていきたいと思います。というわけで早速こちらを読みました。楽しい子育て孫育て (単行本・ムック) / 小林正観/著正観さんの子育て本です。「子育ての究極は、子育てしないこと。 その子のそのままを認め、ほめてあげること。 優れた人よりも優しい人を育てると、 その子も親も幸せになるよ」という教えです。新米パパ・ママだけでなく、じじ・ばばもどうぞ♪
2011年09月02日
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おはようございます、尾関です。さて、今日のテーマは「ギャルの荷物をどかしましょう」です。お盆のことですが、茨城からの帰り道、ぼくはとても疲れていたのです。それで名駅から高蔵寺駅までおよそ30分、できればイスに座りたいなぁと思っていました。ホームで列にならび、ひょいと電車に乗り込むと、けっこう人が多いのです。座れるかどうかビミョーなところ。キョロキョロと見回し座席を探すと…なんと!2人のギャル(たぶん中学生?)が3人分の席を陣取り、真ん中に荷物を置いているではあ~りませんか!ぼくはちょっと「カッチーン」と来て、「おい、ネーちゃん、ちょっと荷物をどかしてくれねぇか!」と言わんばかりの勢いで、そーっと横に立っていました。しかし、なかなか念力は通じないものですね(笑)さっぱり荷物をどかしてくれる様子はありません。けっきょく高蔵寺駅までずっと立ちっぱなしで帰ってきました。さて、こんな出来事から少し考えてみましょう。ツイてない人・頭の固い人はこういう出来事に遭遇すると、「最近の若い奴はどうなってるんだろう」なんて言っちゃいます。「親の顔が見てみたい」とか「社会がおかしくなっている」とか「教育が間違っているんだ」とか、「ゲームばっかりやってるから想像力が欠如してる」とか根拠もないのに威張って言ってみたり、やたら大仰な問題にしたがる人もいますね。しかしツイてる幸福道の実践者は、ちょっと違った視点から考えてみるのです。それは、「おい、ネーちゃん、ちょっと荷物をどかしてくれねぇか!」って、なんで言えなかったの?っていう自分の問題として考えてみるのです。こういう視点は頭の固いオッサンやオバサンにはありません(笑)まぁ、上のような言い方をしなくても、「悪いんだけれど、疲れているから座らせてくれないかな?」とか言ってみても良かったと思うんですね。けど、ぼくは言えなかった。なんでかってことを考えてみると、ひとつには「周りの目が気になる」ということがありますね。あとはギャルが怖い、と(笑)怖いというのは冗談ですが、どんな反応されるか分からないので、それに対応するのが面倒くさいなぁという感じです。まぁ、いずれにせよ、自分で自分を守っているんですね。こころの鎧、こころのお化粧です。「自我」というのは、そうそう消えるもんじゃないなと実感しました。そして、今度そういう出来事があったら、言ってみようかなとも思いました。でもですね、たとえばそれがギャルじゃなくて、怖い職業の人だったら、荷物をどかしてくれなんてとても言う気もおきません。そう思うと、ギャルに対して「荷物をどかしてくれ」と言ってみようかという気持ちは、ちょっと「弱いものイジメ」の気持ちも入ってるんですね。年下だし、女だし言ってやろうか、みたいなスケベ心です。そんなスケベ心で言うんだったら、カッコよくない。相手がガキんちょであれ、怖い職業の人であれ、間違ったことは言うのだ、というのであればカッコいい。ただ、そんな態度を取るのはほとほと難しいです。まぁ、今回のテーマはそこではなくて、「自分の問題として見てみる」というお話なのです。イラっとするときは、だいたい「他人の問題」として見ているものなのです。ですから、イラっとするときほど、「他人の問題」を「自分の問題」として見るようにする、学びのチャンスなんだなぁ、と。そんなことを電車の中で思いました。
2011年08月26日
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こんばんは、尾関です。昨日は昔バイトしていた居酒屋で、昔バイトしていた仲間と飲んできました。10年経っても変わらず付き合える仲間。ほんとうに縁に恵まれていると感じます。さて、今日のテーマは「愛が足りないぜ。」とつぜんですが、愛って、大事ですよね~。でもなかなか愛が満足にあることはありません。世界にはまだまだ愛が不足していると感じます。ぼくは整体師なので、毎日人のカラダを観ていますが、ほとんどの人がゆがんでいます。ゆがみというのは、一日遊んだり働いたりすると、誰でも出てくるものなのですが、眠っている間にゆがみが取れてくるのが自然です。子供は寝相が悪いですが、あれでゆがみを取っているのです。大人になると、寝相がよくなってしまったり、「眠れない日々」が続いたりしてゆがみが取れにくくなります。それが長くなってくると、痛みになるわけですね。ところで、なんで寝相がよくなってしまったり、「眠れない」ということが起こるのでしょうか。その一つには「考えすぎ」というのがあります。大人になればなるほど、「いらんこと」を考えますね。「いらんこと」を考えまくると、頭が空っぽにならなくなるのです。なんで、「いらんこと」を考えてしまうかと言えば、ほとんどの場合は「心配」や「恐れ」なのです。「○○になってしまったらどうしよう」「○○にはなりたくない」そういう「恐れ」が意識的・無意識的にあるときに、「眠れない」というふうになってくるのです。なんで「恐れ」が出てくるかと言えば、「愛」が足りないからなんです。「愛が足りない」というのは、どういうことかと言うと、「自分の付属物を認められている感じ」なのです。たとえば金持ちの人が、「もしお金がなくなったら、妻は愛想をつかしてしまうだろう」と思うとすれば、「愛が足りていない」のです。「まっさらな自分」「ゼロの自分」を認めてもらっていない感じ。「~であれば愛する」という条件付きの愛情感。こういうものが多いと、「恐れ」が多くなります。愛が足りないと、色んなよくないことが起こります。愛が足りない状態というのは、自分をゆるせていない状態です。自分をゆるせないから、他人をゆるすことができない。とはいえ、そんなにすぐに自分をゆるせるものではありません。ですからまずは、「自分を許せない自分」をゆるすことからはじめます。いきなり自分をゆるせなくてもいいんです。自分をゆるすということは、難しいことです。だから、無理にゆるさなくてもいいんです。そのかわり「自分をゆるせない自分」だけはゆるしてあげてください。認めてあげてください。そして「自分をゆるせなくてつらいよね」と言ってあげてください。その一言は愛です。自分に対する愛です。焦らなくてもいい。そうやって一滴ずつ愛を垂らしていって、いつしか心のコップを愛で満たせばいいと思うんです。【送料無料】斎藤一人神的な生き方一人さんの新刊です。(著者は「みっちゃん先生」)これはまた良い本ですね。ひさしぶりに本を読んで涙してしまいました。オススメです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年08月12日
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改めまして、おはようございます。尾関です。さて、「イワシの頭も信心から」の続きです。カラダは脳の「思い込み」の通りになる。だから、脳に「得な思い込み」をさせることが大事なのです。そのための方法として、「ことば」があります。斎藤一人さんは、「天国言葉」として、ツイてるゆるしますありがとう愛してますうれしいたのしい感謝してますしあわせというのを挙げています。たとえばこういう言葉を繰り返し使うようにする。これが脳をうまく洗脳する方法なんです。言葉を使っていると、脳が理由を後付けするんです。どういうことかと言うと、「しあわせ~」といきなり言ってみます。そうすると脳は、「なんでしあわせなんだろう?」と幸せである理由をさがしはじめます。すると、いくつか見つかるわけですね。「ああ、健康に息ができるからだ」とか「あったかい布団とあったかいご飯があるからだ」とか「大切な家族がそばにいるからだ」とか、幸せな理由が見つかってきます。脳はスゴイですから、なんとか理由を見つけちゃうんです。でも暴れ馬ですから、その逆は怖いですよ。地獄言葉と一人さんが言う、ついてない不平不満グチ・泣きごと悪口・文句心配ごとゆるせないばかりを口にしていると、地獄な理由が見つかってしまいます。とにかく、まず結果があって、理由はあとからなんです。その脳の仕組みを理解しないともったいない。だから、「ダメな理由」を探しちゃいかんのです。「どうして僕はモテないんだろう」とか「なんで仕事ができないんだろう」とか、すでに質問の時点で負けです。そんな問いかけをしたら、「モテない理由」や「仕事ができない理由」がたくさんでてきてしまいます。誰にだって欠点はありますからね。問いかけの時点で自爆、という死ぬほどもったいない状態なわけですね。「わたしはなぜ、不幸なんだろう」というのも同じです。だから、言葉に気を付けてください。入ってくるものより、出し方に気を付ける、という意味では、お金とおんなじですね。稼ぎ方より使い方とはよく言われます。言葉が脳を作っているんです。ちなみに、最近一人さんの言葉で感動したのがあったのでご紹介します。一人さんはいわゆる「中卒」だそうです。世間一般では、「中卒だから社会で損する」と言われることが多いですが、一人さんは違いました。「俺はみんなより7年も早く社会に出ているんだから負けるわけがない」と、そう言い続けていたそうです。だけど、これは「正しいこと」ではないと一人さんは言います。「大学出の人は、たくさん勉強してきたら負けるはずが無い、と言えばいいんだよ」とのこと。つまり、どんな境遇にあっても、「得だ。俺は得なんだ」と言い続けることが大事なんだということですね。そうすると、脳が働き出す。これが脳をうまく使うコツなんです。ちなみにぼくが思う最強の言葉は、「これでいいのだ」です。バカボンのパパは、脳という観点で考えて、本当に天才なのです。というわけでイワシの話しからちょっとそれましたが、「良いことばで、よい思い込みをつくる」ということが大事だとお伝えしたかったのです。「自分がふだん、どんな言葉を多く使っているか」を振り返ってみてください。ほとんどは、怖いくらいに、その言葉の通りの毎日になっていると思います。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年08月09日
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おはようございます、尾関です。まだ外が暗いです。泣きたい夜はcry,cry,cry…さて、今日のテーマは「イワシの頭も信心から」です。【いわしのあたまもしんじんから】意味:イワシの頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われる。物事をかたくなに信じる人を揶揄(やゆ)するときなどにもいう。信じるということは、大事なことだとぼくは信じています。とくに、カラダというのは「信じている」通りになります。こんな例があります。人間は、血液の三分の一が出血すると死ぬそうです。そこで、死刑囚を使って実験した人がいたそうです。注射か何か知りませんが、血を徐々にチューっと抜いていく。すると、だんだん血の気がなくなってきます。そして「はい、いま三分の一です」と言ったところで、死刑囚はバタっと死んだそうです。しかし実はまだ出血量は3分の一に達していなかったのです。つまり死刑囚は自分で自分を殺したということになります。他にもこんな話もあります。むかしむかし、ある田舎で、病気を治すのが得意なおばあさんがいたそうです。「生麦なんたら米なんたら」という呪文を唱えて、どんな病気も治していたそうです。しかしある識者が、「おばあさん、生麦じゃない。 南無妙法蓮華経だよ」と教えてあげた。そうしたら、そのおばあさんは治せなくなってしまったそうです。また現代でも、いわゆる「プラシーボ(プラセボ)効果」という単語が、浸透しはじめてきました。お医者さんが、薬の変わりに小麦粉を渡しても、それで良くなるというアレです。患者が、「この薬でよくなる」と思えば良くなってしまうのですね。そういう例は枚挙にいとまがないのです。だから「カラダは信じている通りになる」とぼくは信じているのです。しかし、これは証明できない。なぜなら「そんなことがあるはずがない」と思っている人のカラダには「そんなこと」が起こらないからなんです。だから「カラダは信じている通りになる」ということが「正しい」と証明することはできない。ただ、ぼくはその説が「たのしいなぁ。すごいなぁ。」と思うので、それを信じているだけなんです。この説は、「脳」に非常に関係しているんですね。「信じる」というのは頭でやることですから、脳の関係なんです。そして「信じる」、というのは「思い込む」とも言えます。だから、けっきょくは脳をどれだけうまく使いこなして、どれだけ「得な思い込み」を頭に植えつけるか、なんですね。それにはやり方があります。そのやり方は、次回お教えします。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年08月08日
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こんばんは、尾関です。今日は高木ブー、じゃなくて雷がすごかったです。そういえば「修羅の門」に「雷(いかずち)」という技がありましたね。さて、今日のテーマは「こころの奥をのぞいたら」です。ぼくらは、「ホントは自分が何が欲しいのか」ということをよく分かっていません。ついつい、こころの奥をのぞく前に、表面的に欲しいものに目がいってしまう。「欲しい。欲しい」と言うわりに、なかなか行動しない人は、たぶん「欲しいもの」を勘違いしているのです。仕事が欲しいのに就活しない人。結婚したいのに婚活しない人。体重を減らしたいのに、食事は減らさない人。お金が欲しいのに、勉強しない人。そういう人は、10m先まで行くのに歩いて行かないで、なんとか「念じるパワーでいけないか」と考えているようです。しかし残念ながら10m先にいくためには、自分の足で歩くしかありません。自分の足が無い方、自分の足では歩けない人は、誰かにお願いする必要があります。いずれにせよ、念じるだけではダメなのです。行動しない人は「その場所にいること」が好きなのです。「歩く」ということをすると、別の場所に行ってしまいます。それが怖いという人は、結構多い。だから、その場にとどまる。けれども口ではいちおう、「○○が欲しい」と言う。「なかなか痩せられない」と人は言う。けれども、たとえば悪の軍団に捉えられて、「もし、1か月後までに体重を10kg落とさなかったら、 あなたの家族を殺します」と言われたら、きっと10kgぐらい減量できますよね?そう、けっきょく一生懸命やっていないのです。願いがかなわない、願望が達成できないという人は、どこかで自分を守っているのです。「一生懸命変えようとしているつもり」になっていて、本当はそのままの自分が好きなのです。「いいえ、私は太っている自分が嫌いです」と言う人がいるかもしれません。けれどもそういう人は、「自分が嫌い」と口にしている自分が好きなのです。だからその人の「本当に欲しいもの」というのは、「このままでいたい」ということなんです。だから、その願いが叶っている。誰もが、自分の願いを叶えています。「お金が欲しい」と言い続けている人は、来年も「お金が欲しい」と言えるような状況になります。つまりお金が足りない状況になります。「お金が欲しい自分」を見事に守っていますね。もちろん口では、「この状況から脱したい」と言っている。見た目にもがんばっている感じに見える。けれども「本当にほしいもの」が「そのままで認めてもらいたい」という願望である場合は、その願いがかないます。明日も3か月後も来年も、「そのまま」でいられるのです。ぼくなどもそうです。ぼくは体質的に太らない。太れないのです。それでガリと言われるたびに、「もうすこしガッシリしたいなぁ」と表面的に思うのですが、本気でビルドアップしようとは思っていない。けっきょく「ガリな自分」が好きなのですね。ガリレオ・ガリオゼキです。でも家族の命がかかったら、きっと10kgぐらいは増量してムキムキオゼキになりますよ。だからこころの奥を覗いたら、「本当はただ、ごろごろサボりたい」ということは多いんです。表面的にはポタージュを飲みたい!と言いながら、本当はサボタージュしたい。それならそれで、ゴロゴロするのはありだと思います。のんびりするのは良いことです。あとは価値観の問題ですね。幸せなのはバリバリやりたい人がバリバリやって、ゴロゴロしたい人がゴロゴロする、ということです。さてさて、あなたは、「ほんとうは、なにがほしいですか?」=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年08月08日
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んちゃ!アラレです。もとい、尾関です。さて、今回のテーマは「現在・過去・未来」です。ぼくらの「いま」というのは、「過去」に作られたものなんです。そして「いま」、「未来」を作っている。種をまいては、実を摘み取り、そしてまた種をまく、という営みを繰り返しているわけです。ですからぼくらは、「いま」に責任を持たねばなりません。なぜなら「いま」というのは、「過去」の自分が作ったからなんです。「過去」の自分が思い描いていたように、もしくは、「過去」の自分が口にしていたことが「いま」になっています。たとえば「過去」に、「つまらないことだらけだなぁ」と言っていた人は、「つまらない」世界のなかで「つまらない」人生を送っていると思います。「なんで嫌なことだらけなんだろう」と言っていた人は、「嫌なことだらけ」の毎日を送っているはずです。だから愚痴というのは言わないほうがお得です。もちろん愚痴を言ってもいい。言うか言わないかは、その人の自由です。けれども、ぼくは愚痴を言わないほうが得だと思う。世界はバラ色でも灰色でもありません。あなたが、どういう色のサングラスをかけるかが問題なんです。自分で好きな色を選んじゃっていいのです。自分の口から出る言葉は、自分で選べるのです。プラスの言葉を出してもいい。マイナスの言葉を出してもいい。それは本人の自由です。ただ、幸せになりたい人は、幸せになるための言葉を使わないといけない。人類史上、マイナスの言葉をはいて幸せになった人はいないはずです。なぜなら、つまるところ、幸せというのは、自分で「幸せだ」と口にすることに他ならないからです。幸せかどうかは、自分で決めていいのです。だから「不幸だ~」と嘆いている人が、幸せになるはずがないのです。この世界では、いろいろ自分で決めていいのです。自分の仕事から、自分のパートナー、自分が発する言葉、自分が食べる食事・・・。かなり多くのことを自分で決められるのです。けれども、多くの人は、「自分では決められない」と勘違いしている。がんじがらめになっていると思い込んでいる。でも実は、自分がしがみついているのです。手放せないで、苦しんでいるのです。というわけで、「いま」は過去の自分が欲した姿そのものです。カミサマという人が、あなたが欲するものを与えてくれたのです。だからそれに感謝したほうがよいのです。たとえば自分がカミサマになったとしましょう。下界の人が、「○○が欲しいです」と口にしていた。それで「よし」と言って「○○」をプレゼントしたと。そうしたら下界の人が「なんで○○なんか。こんなもん要らないよ」と言っている。そうしたらカミサマ大ショックです。あまりのショックに寝込んじゃいますね。ナイーブですからね。カミサマも人間っぽいところがありまして、「ありがとう」って言われたいのです。カミサマはスゴイので、人間が欲するものは何でもくれます。だから今、あなたが所有しているものやことは、あなたが過去に願ったものなんです。願ったものが手に入ったのだから、「ありがとう」と思うのがふつうで、「なんで○○なんか」というのは仁義に反するでしょう。まぁ、こういう話はちょっとスピリチュアルなので、信じられる人と信じたくない人がいると思います。もちろん無理に信じる必要はありません。ただぼくは、こういうことを信じていて、昔から毎日たのしいので、楽しい毎日を送りたい人はよかったら実践してみてください。ではでは。
2011年08月01日
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こんにちは、尾関です。夏なので、セミの鳴きマネをします!ミンミン。さて、今日のテーマは「ありがとうを忘れない」です。なんか卒業しちゃいそうなテーマですね(笑)「ありがとう!君たちを忘れない」みたいな。ところで、ぼくらはけっこう恩知らずです。というか普段、いろんなことを忘れていると思います。たとえば「もしかしたら明日はないかもしれない」という事実。たとえば「誰かに育ててもらった」という事実。たとえば「ふつうに息ができている」という事実。そういうことをすっかり忘れたうえで、「給料が少ない」だとか「上司がどうだ」とか「ダンナや嫁がどうだ」とかそういうことをぺちゃくちゃ話しています。そういうことをぺちゃくちゃ話していいますけれども、実はいろんな事実の上に、ぼくらの生活というのは成り立っているのです。「農家の人がお米を作ってくれる」とか「生き物が命をぼくらにくれている」とか、そういうことは、あまり思い出されないのです。「かならずいつか死ぬ」というのは、ほんとによく忘れちゃいますね。ついつい。だから逆に「死ぬ」というところからはじめると、けっこう良い考えが浮かんだり、選択を間違えなかったりします。たとえば起業するのだって、正直こわいというのはあると思います。けれども、成功しようが失敗しようがどうせいつかは死ぬんだから、人生は1回きりなんだから、まぁやってみたらいいんじゃない?愉しんじゃったらいいんじゃない?とぼくは思うのです。「死ぬ」というところからはじめる。つまりゼロから考えて加点法で人生を観ていく。そうすると「ありがたい」ことがたくさんあります。その逆に、「理想の人生」みたいなのを描いてしまうと、その100点満点の人生からの減点法になってしまい、「足らない部分」ばかりが強調されますよね。「足らない部分」を観る生き方は、ぼくはつらくてできません。まぁ、手に入るものなら手に入れますが、今さら「二重まぶたがよかった」とかそういうことは思いません。もう十分、足りています。そういう意識で生きる。「ただ、吾、足るを知る」ですね。とある本に書いてありましたが、ぼくら庶民の生活でも、徳川家康よりも豪華な食事を食べているわけです。こりゃエライことですよ。ないものねだりはつらくなるだけ。「あるもの感謝」が幸せへの近道だと、ぼくは思います。
2011年08月01日
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こんばんは、尾関です。今日はドクターフィッシュというのを体験しました。足の角質を小魚が食べてくれるのです。なんとなく足がつるつるになった気がします。さて、今日のテーマは「実践するのは楽しいよ」です。最近、「実践」という言葉が好きです。なんでもやってみることは大事だなぁと感じます。もちろん知識ということも大事です。けれどもその知識を実践する知恵がもっと大事です。というか知識と知恵のどっちが大事かということは、決めることができません。知識と知恵は順序が違うのです。まずは、知識が大事です。何も知らないままにやってみる、というのは非常に危険なことですし、無駄が多すぎます。運転免許もそうですが、まずはルールや規則をしっかりと覚えていきます。車もどっちがアクセルでどっちがブレーキがわからないのに、とりあえずどっちかを踏んでみようというのは、危険すぎます。ですから、まずは頭で学ぶということ。しかしそれをカラダで使うということは、まったく別物です。クルマの構造や法律をどれだけ知っても、運転できるようにはなりません。運転がうまくなるためには、運転をたくさんすることが大切です。こう聞くと、とても当たり前に聞こえると思います。しかし、この当たり前のことを実践している人は少ない。ある人は勉強もせずにいきなり体当たりして失敗する。ある人は「勉強マニア」になり、実践しないで終わっていく。評論家になってしまう。そうではなくて、「まず知識を学び、そのあと知恵を学ぶ」という順序を踏めばいいだけなんです。「勉強して実践してみる」のは、世界一間違いのない成功法則だと思います。もちろん成功したい人だけに限らず、幸せになりたい人もそうです。「自分は不幸だ」と思う人は、基本的には勉強不足です。「どういうふうに考えたらいちばん得するか」という勉強が足らない。勉強していくと、「幸せになる方向」というのが分かってきます。あとはその方向に向かって、トライ&エラーを繰り返していけばいいだけです。「なにかスゴイ方法」をずっと探し続けている人は、地道に努力している人に追いつくことがない。そして地道な努力をしている人の中にも、知識がないばかりに回り道をしている人もいる。「まずは知識を学び、そして実践する」という基本法則にのっとれば、そんなにヒドイ間違いは犯さないと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか?実践は実験です。実験してどうなるかな、と観察する。それほど楽しいことはないと、ぼくは考えています。
2011年07月29日
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おはようございます、尾関です。ミンミンゼミが鳴いています。ただ、聴き方によってはシュyワシュワ~って聴こえます。さて、今日のテーマは「ゴールがあるから、やり方が決まる」です。ぼくらは、たまに迷います。その迷い方というのは、「何が正しいか?」というのが結構あると思います。二人の男性からプロポーズされた・・・「どうすればいいの?」取引先からヘッドハンティングされた・・・「どうすればいいんだ?」仕事上での大決断・・・「どっちを選ぶのが正しいのか・・・」毎日、いろんな迷いがあります。迷いというのは、「どっちの道を選ぼうか」ということですね。で、なぜ「道を選ぶのを迷うか」というと、その道がどこに続いているか分からないからです。だから、怖いのですね。ただ、「いったい何処へ行きたいのか」というのが分からないことには、道を選ぶに正解もクソもありません。人によっては、行きたい場所も知らせずに、「どっちの道がいいですか?」と聞いてしまう人もいる。答えは「知らんがな」ですね。まずは「行先」を決めることです。バスに乗るにも行先が重要ですね。A地点行きとB地点行き、どちらが正しいですか?というのはおかしい。Aに行きたい人はA行きのバスへ、Bに行きたい人はB行きのバスへ。それが「正しさ」ではないでしょうか。それほどに「行きたい場所を決める」ということは大事なのです。あなたの、「行きたい場所」はどこですか?そこへ行くためには、どんな乗り物のチケットが必要ですか?=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年07月21日
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こんにちは、尾関です。なでしこが優勝しましたね!そういえば中学校のとき、「もじゃしこ」というあだ名の友達がいました。その名の由来はここには書けませんが…。さて、今日のテーマは「後悔なんてしたくない」です。みなさんは、後悔するの好きですか?ぼくは、後悔するのが嫌いです。あの、どうにもならない「もどかしさ」が嫌で嫌でたまらないんですね。「あの時、好きだといえばよかった…!」「あの時、あの仕事を選べばよかった…!」「あの人と別れなきゃよかった…!」「あの時、ちゃんとトイレにさえ行っておけば…!」いろんな後悔があります。後悔ほど切ないものはありません。とはいえ、誰しも後悔のひとつやふたつは持っているもの。みんなに公開するかしないかは別として。まぁ、「悔やんだって後の祭り」ですから、今後、なるたけ後悔しないような「今」を生きればいいわけですね。後悔しないために大切なことは、想像力だと思います。未来を想像する力ですね。「もし、今のこれを続けたらどうなるだろう?」これは大事な質問です。たとえば夫婦ゲンカ。ついついくだらないことで言い争ったりしますね。たとえば一日一回ケンカする。となれば一日一回以上は相手を傷つけるわけです。そんな「今」がずっと続いたらどうなるでしょうか?10年後、30年後、50年後…お互いがどれだけ傷つけあうことでしょう。そして何より「お別れ」です。人は皆、いつか死にます。自分が死にゆく時、パートナーが死にゆく時、ぼくらは何を思うでしょうか?「もっと、お前を大切にすればよかった」「もっと、あなたを大事にしてあげればよかった」そんなふうに思いながら、死にたいと思う人がいるでしょうか?けれどもぼくらは、すぐそばにもある「死」のことをすっかり忘れていたりする。だから、相手を傷つける暴言を吐くことができる。ケンカだって、いつかくる「お別れ」のことを忘れているからできるのです。「誰もがいつか死ぬ」という事実を忘れていると、実際に死ぬ間際になって後悔すると思うのです。ぼくらはこの世に咲いた花のようなものです。いつか散りゆくまで、誰が見ていようといまいと、「ただ咲く」ということしかできないのです。ただ、咲いて咲いて一生懸命に咲き誇る。もう、それしかすることはないのですね。それをやりきれば、きっと後悔は少なくなるのでしょう。もう一度問います。後悔したいですか?今の生活を続けていて、死ぬときに何を思うでしょうか?後悔なんてしたくないですよ。「ああ、よかった」と言って死にたい。だから、「いま」やるしかないんです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年07月20日
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こんにちは、尾関です。梅雨が明けたみたいですね。初夏です。ちなみにショッカーの鳴き声(?)は、「ヒーッ」だと思いますか?「イーッ」だと思いますか?さて、今日のテーマは「一生懸命じゃないと不安になる」です。ぼくらは、色んな不安を抱えています。その中に、「よく思われないと嫌だ」という不安があります。「きちんと評価されているんだろうか」という不安と言い換えてもいいでしょう。けれども最近思ったんですが、他人の評価が気になるときというのは、えてして「一生懸命やっていない」ときなんですね。「これでいいんだろうか?」そんな不安にさいなまれ、誰かに褒められたい、誰かに「それでいいんだよ」と言ってもらいたい、そんなときもあります。けれども、そのような他人の評価を求める前に、まずは自分を振り返ってみると、案外、答えを自分が持っていたりするものです。ぼくらは何かに一生懸命になり、がむしゃらに頑張っているとき、他人の評価など気になりはしません。「そんなヒマあるかいな」という話です。逆に心のどこかに、「自分は一生懸命じゃないな」「余力が残っているな」と感じるとき、どこか不安になるものです。不安というのは、エネルギーの一種ですから、エネルギーが余ると不安になるのです。ですから不安になるエネルギーがなくなってしまうほど、一生懸命やってしまうということが大事です。「もうこれ以上できない!」というところまでやりきると、不思議と不安がなくなります。「あれだけやったんだから、 もしダメならそれで仕方ないや」そんな気分にもなれます。その良い意味での「あきらめ」の境地が、良い結果を生むということは、往々にしてあります。「これ以上はできませんぜ、兄貴」と思うくらい一生懸命やっちゃう。そんな気概でがんばろうと思います。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年07月12日
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こんばんは、尾関です。今日は久々に早めに施術が終了したので、ブログでも書いてみます。アップルジュースを、飲みながら。今夜のタイトルは「感情を安定させたい」。最近のテーマは「不動心」です。けれどもなかなか不動心になれないなぁ、という悩みがありました。落ち込んだり、怒ったり、はしゃぎたくなったり、すぐに心が波立ってしまうので、「ぜんぜん不動心じゃないがな!」と、自分が嫌いになっちゃう感じだったのです。けれども昨日、近くのコンビニに行った帰り道に、ふと、「動き続けるがゆえに不動心」という言葉がポッと降りてきたのです。ちょっと武道の話になりますが、武道というのは技うんぬんよりも、「立ち方」というのをとても大事にするのです。なぜなら立ち方がしっかりしていないと、足運びがおかしくなり、足運びがおかしくなると、まともに技がかからないからです。そこで昔から「立ち方」がずっと研究されてきているわけですが、その理想は「コマ」だとされているのですね。「コマ」は高速回転しているがゆえに、まっすぐに立っていられます。勢いがなくなると倒れます。とはいえ、これはあくまで比喩なので、武道家が伊藤みどりのように、ずっとグルグル回っているわけではありません。そうではなくて、しっかりと大地に立っていながらも、それでいて軽やかに動ける立ち方があるのです。ただ、どっしり構えているのは、「居着く」といって武道をする人は嫌います。「スキあり!」の「スキ」が出来てしまうのです。で、話を戻しますと、たぶん「不動心」というのは、心がどっしりと安定しているのではなく、すぐに「ゼロ」の状態に戻ることだと気が付いたのです。「こころ」は「コロコロ」が語源とも言われるくらい、すぐに変わってしまいます。乙女心と日本の首相はよく変わると言われていますが、心もたちどころに変化していきます。変化するのが自然なのです。だから無理に感情をガマンするのは、なんか違うなと思ったのです。怒りたいときは怒ればいい。悲しいときには泣けばいい。落ち込みたいときは、ぞんぶんに落ち込めばいい。無理をしないで感情を解放していく。それでスッキリして、こころが「ゼロ」になればそれでよいのです。その解放のさせ方がどれだけ上手か。どれだけ早く感情を消化できるか。それが不動心のコツなのではないかと思ったのです。ちなみに感情をガマンすると、カラダが面白いくらいにゆがみます。ですからガマン比べではなくて、どのようにして感情を解放するか、ということを工夫していくのがよいのではないかと思ったのです。ちなみに感情をガマンしてしまういちばんの原因は、「自分を守るため」です。「自分」を守りたい、壊したくない。嫌われたくない。それがゆえに感情をガマンしてしまう。そしてその結果、「じぶん」を壊してしまう、という矛盾。握っているものを手放せば、いろんなものが「手に入る」のです。もうだんだん何が言いたいかわからなくなってきました。すみません、今日は寝ます。おやすみです。
2011年07月06日
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【前回までのあらすじ】みんな、「そのまんま」でいい。みんな、東国原さんでいい。==================ただ、「そのまま」でいると、「みんなとおんなじ幸せ」は手に入らないですね。「そのまま」で、良い学校、良い会社に入る人もいる。「そのまま」で、ふつうの学校、ふつうの会社に入る人もいる。「そのまま」でいると、その人に「合う」ものを自然と選ぶのです。「合う」ものと「合っている」状態だとキモチイイのです。それで、いいのです。それが、すべてなのです。ただ、そこで「色気」を出すと、不幸になりやすい。「比べる気持ち」が出てくると、本心を見失う。自分が楽しく働けるかどうかよりも、「名前のある会社」「収入の多い会社」を選んでしまう。「一緒にいたいかどうか」よりも「見た目がよいかどうか」で結婚相手を選んでしまう。そうすると「そのまんまでキモチイイ」というふうにはなりにくい。どこかカリカリしてくる。求めても求めても手に入らない状態が続く。ちょっと、話がズレますけれども、「幸せ」というのは、いつも心の中にあるのでした。つまり、「みんなと同じしあわせ」というのは変なのです。Aさんは、収入が低くても、イキイキしています。Bさんは、収入が高くても、イライラしています。Cさんは、収入が低いし、イライラしています。Dさんは、収入が高くて、イキイキしています。この中で、AさんかDさんになれば、イキイキと生きられるわけです。でも「みんなと同じしあわせ」を求める人は、まず「高い収入」を得ようとする。「高い収入さえあれば幸せになれるだろう」と。これでは、考え方がアベコベです。幸せでない人がお金を持っても、幸せにはなれない。寝ても覚めても、幸せは心の中なんです。ぼくは思うのですが、「社会的成功」というのは誰もが手にできるものではない。どうも「成功」するには才能や運が必要なようです。誰でも努力すれば成功できる、というのはウソだと感じます。30%が運、30%が縁、30%が才能、10%が努力。こんなところではないでしょうか。「社会的成功」のためには、生まれながらに決まっている部分、人間の手には及ばない部分、自分ではいかんともしがたい部分が多すぎる。このように「社会的成功」は誰もが手にできるものではない。まぁ、オリンピックの金メダルのようなもんですね。みんなが金メダルだったら、おかしいでしょう。「成功」や「勝利」というのは、「失敗」や「敗北」の上に成り立つのです。つまり、「くらべる」という価値観の上に成り立つのです。だから、大したものではない、とぼくは思う。なぜなら、おおもとは、すっからかんの「空(くう)」だからです。みんなが金メダルだったらおかしいけれども、みんなが金目鯛を食べて「おいしいね」というのはアリなのです。それが、幸せなんです。金メダルより、金目鯛です。成功は誰しもが手に入れられるものではありません。けれども幸せは、誰もがなっていいんです。誰でも、幸せになることができるんです。そのコツは「自分のしあわせ」を見つけて、「みんなとおんなじ幸せ」に惑わされないことだと、ぼくは考えております。
2011年06月30日
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こんばんは、尾関です。ひさびさの更新です。夜もお暑うございますねぇ。こないだ、朝起きたら、あまりに暑かったのか、不思議とスッポンポンになってました。自分のアグレッシブさにビビりました。さて、今日のテーマは「誰でも幸せになれるんだなぁ」です。ぼくは最近、よく思うのです。「人には『合う』とか『合わない』とかってあるよね」って。そりゃぁ人間、努力も大事ですよ。ボヤーッとして一生過ごしたらもったいないと思いますよ。それよりも壁にぶつかって、乗り越えて、自分を変えて成長して…。そういう楽しみが人生にはあると思います。ただ、それだけでもないと思うんですね。やっぱり「合う」とか「合わない」とかがあると思うんです。「すき」とか「きらい」とかは、割とどうでもいいと思うんですが、「合う・合わない」は天性のものがあるんじゃないかというのが最近のぼくの考えです。合わないものに、無理に自分を合わせようとすると苦しいですね。合わないものは、合わないんです。もう、それは仕方がないです。あきらめるしかないです。無理はしないのがいちばんです。性格なんて、そうは変わらないですからね。ぼくなど根暗で、ついつい自分の中に閉じこもっていくクセがありますが、それは昔から変わらんですよ。人によってはそれを見て、「そんなことではいかん。もっと社交的に!」というかもしれない。たしかに社交的なことによって、得をしている人はいると思います。けれども、「社交的でなければならない」ということはないよいうのが、ぼくの意見です。社会というのは面白いもので、ちゃんと一人一人に役割分担があるのですね。だから社交的な人には社交的な役割があるし、内気な人には内気な役割がある。その役割を「使命」とか言うんでしょうけれども、それさえ見つければ、「自分を変える」必要なんてないのでは?と思うのです。自分を変えようとして、変えられなくて、苦しんでいる人は多い。けれども、ぼくは言いたい。「あなたは、そのままでいいんだよ」と。<続く>
2011年06月30日
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おはようございます、尾関です。今朝はちょっと涼しいですね。さて、今日のテーマは「求めたものが手に入っても」です。ぼくは最近思うのです。「何かを手に入れることと、『幸せ』というのはあんまり関係ないのかもしれないなぁ」と。ぼくらはいつでも、「欲しいもの」というのがあります。生活に必要なモノから、ぜいたく品まで、「あれ、ほしいな」ということを考えます。そしてそれを手に入れるために、まぁ色々がんばったりするんですが、実際に、「欲しいもの」を手にしてみると、「なんだ、大したことないな」というのがほとんどです。よしんば「うわー、これを求めていたんだ!」と感動したとしても一瞬のできごと。数日すれば、その感動も薄れてきます。そしてまた次の「夢」へ向かって歩みだす。なんか、キリがないんですよね。そして「求めたものを手に入れる」というのは、どこかしら「自己満足」なニオイがするんです。「夢」といえば聞こえはいい。けれども、「欲しいものを手に入れるゼ!」なんて他人にとっちゃどうでもいいこと。勝手にやってくれという話です。「求める」ということは悪いことではないかもしれません。けれども、「求める」という行為には、かならず代償が必要です。代償は、犠牲とも言い換えることができます。「何を犠牲にするか」はその人次第ですが、ぼくらは時に、本当は必要のないものを得ようとして、ほんとうに大切なものを失ってしまいます。そして、失ってからではもう遅い。だからこそ、日ごろから、「本当に大切なものってなんだろう」ということを考えておいたほうがよいと思うのです。その意味で「惑わされない」ということが大事だと思います。中医学では「怒・喜・思・憂・悲・恐・驚」を「七情」と呼び、それらが強すぎると病気になるとしていますが、ここに「喜び」が入っていることがポイントです。「過ぎたるはなお、及ばざるがごとし」ということわざもありますが、「喜び」であっても、度が過ぎると病気のもとになるのです。「求めて手に入れる」ということは、動物的本能かもしれません。けれども人間には、「与えて幸せになる」という新しいやり方があります。「求めずに与えて幸せになる」という方法を学んでいくと、非常に面白いと思います。
2011年06月26日
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おはようございます、尾関です。昨日は、暑かったですねぇ~。ぼくが雪ダルマだったら、完全に死んでましたね。さて、今日のテーマは「イライラフィルター」です。こないだ、骨盤が締まってくる時期がありました。骨盤が締まってくると、睡眠時間が少なくても済むようになり、あまり疲れなくなり、仕事がガンガン進むのですが、ちょっとイライラしやすくなるのです。そのとき気が付いたのですが、そういうときは、何を見てもイライラするのです。ララライ、ララライ、ライラライ♪なら良いのですが、イライラしてしまうのです。この、何を見てもイライラするという状況を、ぼくは「イライラフィルター」と名付けました。このときは、非常に面白いですね。けっきょく何を見てもイライラするクセに、いちおう、「イライラする理由」を見つけてくるのです。「その言い方はないんじゃないか」とか「誰々のこんな言動は、常識的にはありえない」とか何かしら理由をつけちゃうのですね。これが人間の面白いところです。でも、本当は理由など後付けなのです。実際には「フィルターの問題」なのです。イライラフィルターを付けているカラダでは、何を見ても何を聞いてもダメです。自分がそうなった場合には、「ああ、カラダがイライラ状態になったなぁ」と考えるとラクだと思います。「イライラしちゃうアタシが嫌い!」って思うと、ちょっと苦しくなります。誰でもイライラはするもので、それも必要な時期です。ところでフィルターというのは面白いものです。空海のことばで、「鼻の前にウンコを置いたら、 どんなすばらしい花もウンコ臭に感じる」というような言葉があるらしいのですが、ぼくは非常に感銘を受けました。これは、世界がどうあるか、ということより、どんなフィルターが目の前にあるかのほうが重要だ、ということを空海が言っているように思うのです。たしかにイライラフィルターを外して、喜びフィルターを付けてみると、すっかり世界が変わります。こないだのイライラした時期に、ぼくは八つ当たりをしてしまって小さな夫婦ゲンカになりました。それで、「は~、俺はまだまだダメだなぁ。未熟だなぁ」と思い知らされたのですが、そのあとに落ち着いてきて、いろいろ考えていたら、そのときのぼくは「感謝フィルター」や「喜びフィルター」をどこかに忘れていたようなのです。それで「イライラフィルター」を付けたまんま、それをぶつけてしまったので、ケンカになってしまったのです。けれどもあとから「感謝フィルター」を通して考えてみたら、・毎日おいしいごはんを作ってくれる・整体院の受付、事務を笑顔でやってくれる・そもそも関東から、ついてきてくれた・ぼくの子供を宿してくれたなどなど、数えきれないほど、ありがたいことがあることに気が付きました。イライラしているときは、相手のせいで「怒らされた」と思っていましたが、ほんとは感謝を忘れていたぼくが悪かったんです。あらためて「他人のせいにしちゃいけないな」と思いました。知らぬ間に「あたりまえフィルター」をかけちゃうから怖いですね。ご飯が出てきて当たり前。妻なんだから仕事を手伝って当たり前。あたり前田のクラッカーを食べるよりは、「ありがとうフィルター」をかけていたいものです。それは誰のためでもなく、自分が幸せを感じるために、いちばん必要なことだと思うのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月24日
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おはようございます、尾関です。昨日は「午後の紅茶 ブラック」というのを飲みました。苦かったです。さて、今日のテーマは「ワクワクしない幸せ」です。そもそも、最近のテーマが「ワクワクしない」なんですが、非常に調子がいいです。いろんな面で。ポジティブ思考、プラス思考の罠にハマっている人にはオススメです。ぼくが思うに、けっきょく「ワクワク」っていうのは、「ストレス解消」の一種なんですね。ふだんの生活で、「なにか」がたまってくる。それを発散させるために、ワクワクするような楽しいことをやらないといけない。しかし「ワクワク」を求めないようになると、ストレスじたいがあまりたまらなくなります。ふだん、「ガマンしている」という感じがなくなってくるので、「ストレス解消したい」という思いも、あんまりなくなってきます。それにワクワクしすぎると、ワクワクしない人の気持ちが分からなくなるのですね。「なんで、ワクワクしないのさ?」「もっと、人生を謳歌しようぜ!」的な押し付けのプラス思考がニョキニョキと出てきます。そういう思考は、落ち込んでいる人を傷つけるのです。ぼくはずっと、そういうことをやってきましたから、よく分かるのです。でも、そうじゃない。そうじゃなくて、落ち込んで、傷ついて、今しも心が折れそうな人にそっと寄り添い、「つらいよね。大丈夫だよ。信じてるよ」と言ってあげられる人。そういう「優しい人」こそが、ワクワクする人よりも尊いと、思うようになってきたのです。「優しい」とは「人」を「憂う」こと。「人」の「憂い」が分かる人です。どんなに「スゴイ人」であっても、人の気持ちが分からなければ、きっと幸せではないと思います。ワクワクしすぎるのは、いまのぼくの考えで言えば、「夢依存症」です。自分の「やりたいこと」ばかり、求めてしまうのです。たしかに「やりたいこと」をやる人生もいいかもしれません。でもぼくは、目の前の人を大切にする喜びに、最近は目覚めてきているのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月21日
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今日はブログを書きまくりです。超ストレス解消になります。空海「折れない心」をつくる言葉最近、ちょっと「空海」が流行ってるみたいですね。空海関連の本が増えてきています。この本も良かったですよ。仏教好きの方はぜひどうぞ。さて、最近のぼくなんですが、どうも難しい読み物がぜんぜん読めなくなってしまいました。あとはカタカナ用語を敬遠している感じです。むかしは難しい本を読むのが嫌いではなかったのですが、なんだか最近はダメです。読めません。というのは、しょせん、難しい本というのは、そんなに頭が良い人が書いた本ではないのでは?と思うのです。ほんとうに頭の良い人は、けっして難しいことばを使わずに、難しいことをカンタンに説明してくれます。「むずかしい」を「わかりやすい」に変える頭の良さ、相手のレベルに合わせる知恵があります。しかし難しい本は、わかりにくいのです。その著者は、わかりにくい文章しか書けないのです。カンタンに伝えられないということは、本人もあまり理解していない可能性があります。相手がどう思うかということを考える感性がないのかもしれません。そうすると、その本はあまり良い本とは言えません。と、ぼくは思います。それと同様にカタカナ用語ばかり書いてある本も、なんだか読む気がしません。難しすぎる本も、カタカナ用語も本も、なんだか「自分大好き」な人が書いている気がするんです。「俺、むずかしいこと理解しちゃってるよ」「俺、カタカナ用語知ってるよ」みたいな雰囲気です。まぁ、ぼくがそう感じるというだけですが。やっぱりカンタンなことがラクでいいなぁと思います。難しくて使えないものよりも、カンタンで使えるもののほうが役に立ちます。生きていく上では、「どのように人間が声を発するか」ということよりも、元気な「おはよう」のほうが大切なんだと感じます。万の理論よりも、ひとつの笑顔がどれだけ人の心を癒すことか。なんにも難しいことは要らない。周りを喜ばせ、周りに喜ばれ、自分が幸せならば、それでいいと思うんです。理屈ばかりのバカよりも、理屈を忘れたアホになりたい。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月20日
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【前回までのあらすじ】「なんでアイツはやらないんだ」と考えると腹が立ち、腹が立つと、猛毒がカラダのなかに発生する!========================コブラの14倍の毒となれば、マングースが何匹いても足りません。できれば、腹は立てたくないものですね。そのためには、「他人を変えようとしない」ということが、どうもいちばん効率が良いようです。「放っておく」のがいちばんラクです。「放っておけない」のは、その人のなかに焦りがあるからです。「○○になったらどうしよう」「このままじゃ××になっちゃう」と困る状況になる前から、困っている。くだんの本人は困っていない。だから動かない。変わらない。放っておいて、その人が良いことをしていれば、勝手に幸せになります。悪いことをしていると、不幸になります。幸せになったのなら、その人は正しいのです。けれどもし、その人が不幸になってとても困っていたら、その時あなたが手を差し伸べるのです。そしたら相手は変わります。ですから、「放っておく」というのは、すごく楽しいことなのです。禅では、「得ることでなく、捨てることによって幸せになる」のだそうですが、これを「放下(ほうげ)」と言うそうです。ですから「調子こいてるなぁ」という人を見ると、ついつい腹も立つものですが、せっかくですから楽しんで放っておいて、その人がどうなるか見てみるのは、いかがでしょう。よーく見ていると、かならず因果応報で、面白いくらい自分が蒔いた種の実を摘み取っています。そういうのを淡々と見ていると、「あ~、こういう法則があるんだな」というのが見えてきて面白いです。「放っておく」「それ、面白そう」と思った人は、ぜひやってみてください。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月20日
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こんにちは、尾関です。昨日は父の日ですが、そこは無視して母に感謝の気持ちを伝えるべく、素敵なフレンチのお店にご招待。親孝行って、ちょっと恥ずかしいけど、なんか愉しい気持ちになります。お店は、春日井市中心部の閑静な住宅街にある隠れ家的な名店で、友人のお父さんが経営しています。席数は多くないので、とても落ち着くし、料理はとてもおいしいのにリーズナブルでかなりオススメです。春日井にお住まいの方はぜひ行ってみてください。フランス菓子と料理のお店「風(ふう)」さて、本日2つめのテーマは「押し付けたほうも苦しい」です。なんだか最近、どんどん頭の中が変わってる気がするんですが、「押し付けるのをやめるとラクだなぁ」ということをよく感じます。もともとぼくは、すごく「押し付け」が強いほうなので、そう感じるのかもしれません。「○○すべきだ」「~しなければならない」というのに縛られることが多かったんです。それは「いい子」で育ったというのが、たぶん大きいんですね。「お勉強」というのは得意でしたから、先生に叱られるよりも褒められることが多かった。そうすると、「もっと褒められたい」と思ってしまい、ついつい「いい子ちゃん」になってしまうのですね。そして「褒められて育ったいい子ちゃん」は、「自分は正しい」と思いこみます。子供は自己評価などできないですから、「先生が褒めてくれたんだから、ぼくは正しい」というふうに思ってしまったんだと思うんです。そうすると「べき論者」になりやすい。「こうしたほうがいいのだ」「これがよいのだ」「こうすべきなのだ」そういう思考ばかりになる。そうすると、めちゃくちゃ苦しいのですね。まずは自分を嫌いになってしまう。「べき論者」の素は「いい子ちゃん」ですから、理想が高いのです。ですが、現実は理想のようにはなりません。そうすると、理想通りでない自分を責めます。「なぜ、できないんだ」「ぼくは、理想が達成できないダメなやつだ」となります。それから他人にも厳しくなりますね。「なぜ、あなたはこうしないのか」「人間なら、こうすべきではないのか」というような雰囲気が、そこかしこに出ます。自分では優しい顔をしているつもりでも、そういう雰囲気になってしまうのです。隠せません。こういう人は、「なぜ」で自分や相手を責めるのですね。「なぜ、できないのか」って言われてもできないものはできません。「知らんがな」って感じです。という感じで押し付けられると苦しいのですが、実は、押し付けたほうも苦しいのですね。他人を変えようとする人は、かならず苦しんでいます。相手の長所を見るクセのある人は、いつも楽しそうにしています。「なんでアイツやらないんだ」と思うと腹が立ちます。そうすると、すごい毒がカラダに発生するそうですね。ノルアドレナリンという物質で、コブラの毒の14倍だと聞いたことがあります。仏教では、この毒のことを知っていたのか瞋恚(しんい=いかり)と言うそうです。<つづく>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月20日
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こんにちは、尾関です。今日もいい梅雨ですね。ナメクジがハッスルです、たぶん。さて、今日のテーマは「困った人だけが救われる」です。「困る」ってあんまり嬉しくないですよね。できれば、困りたくないとふつうは思います。けれども最近の考えでは、「困る」というのは、変わるためのチャンスなのではないかと思うんです。人間というのは、なかなか変わりません。変われません。変えられません。「できればそのままがいい」という本能が、ぼくらのココロとカラダには刻みこまれているからです。たとえばうちの整体院に来院されるかたは、99%くらいお困りでいらっしゃいます。そして、ほぼ全員が姿勢の問題を抱えています。そこでぼくが調整するわけですが、それ以外にも、ふだんの姿勢を気をつけるようにお話するのですが、ほとんどみなさん、きちんと守ってくださいます。それは困っているからですね。どんなに姿勢が悪い人でも、とくに症状が出ていなければダメです。何にも困ってない人に、「姿勢をよくしなさい」と言っても、「うるさいなぁ」と思われることはあっても、ありがたく思われることはありません。これは色んなことに当てはまります。勉強をしなくても、とくに困っていない子供に「勉強しないとあとで困るよ」と言っても、本人が困っていないのだから、勉強するはずもありません。その場合、困っているのは親です。ですから、親自身が変わったほうがラクなのです。このように、人間というのは、「困ってもいない人を、無理やり変えようとして、 かえって自分が困っている」ということが結構あります。「困っているのは、ほんとうは誰なのか」ということを考えていくと、変わるべき人が見つかります。たいがいにおいて、「困っていない人」は「しあわせな人」であり、その人は「正しい道」を歩んでいる、とぼくは考えています。いろいろな考え方があっていいんですけれども、「しあわせ=ただしい」というのが、尾関直人の考え方です。まれに「調子をこいた人」が幸せそうに見えることもありますが、早晩、かならず没落しますから、黙ってみていればいいんです。「調子をこいた人」が幸せであり続けることはありえません。もしその人が、ずーっと凋落せずに楽しそうで、だのに、あなたがずーっと苦しいというのであれば、それはきっとあなたが間違っています。自分じしんが変わったほうが早いし、気持ちがいいです。他人を変えることはできません。ただし、困った人を変えることはできます。けれどもそれは自分のために変えるのではないのです。あくまでも、相手を救ってあげるというのがその眼目なのです。というわけで、困った人だけが救われるのです。もしあなたが今お困りならば、それは変わるためのチャンスが到来している、ということなのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月20日
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おはようございます、尾関です。昨日、やっと「ココ壱」に行きました!ココ壱のカレーは、旨いですねぇ。さて、今日のテーマは「生かされている」です。今朝、目が覚めたらなんだか、「生かされていて、ありがたいなぁ」という気持ちでした。たぶん、寝る前に斎藤一人の不思議な「しあわせ法則」を読んだせいです。これは一人さんのお弟子さんの柴村さんという人が書かれた本です。最近は正観さんと一人さんの本が、やたらと心に響きます。この本で心に残ったのは、一人さんのことばで、「ちいさな幸せを数えていくと、それが感謝に変わるよ」です。さて、タイトルの「生かされている」というのもこの本に書いてあったことです。「生かされている」って、いい言葉ですよね。ぼくにとっては、この言葉が、いちばんホッとできる言葉なんです。ともすれば、ぼくらは自分の力を過信してしまいがちです。ぼくなど、年も若く我が強いですから、「なんでもできるゼ!」みたいな感じで、すぐに調子をこいてしまいます。けれども、その反面、やはりいろんな不安もあります。「もし~になったらどうしよう」という心配です。そういった、心の浮き沈みを安定させてくれるのが、「生かされている」という言葉なんです。けっきょく、うまくいっているときも、うまくいってないときも、それは天の采配なんだと。そして天は、ぼくらを悪い方向に運ぶことはない、ということに気が付けば、そこでホッとするのです。「悪い方向に運ぶことはない、といっても、 人生では嫌なことも起こるじゃないか」と思う方もいるかもしれません。そこで、「嫌なこと」とはなんだろうかと考えてみたいのです。いつもブログで言っているとおり、「しあわせ」という現象はなくって、「しあわせだ」と思う気持ちがあるだけです。文章を書くのが苦痛になる人もいれば、文章を書くのが楽しい人もいる。モノゴトそのものではなくて、心の中に「価値」というのはあるんです、とぼくはいつも書いています。そこで「嫌なこと」というのを観ていくと、「嫌なこと」という現象があるのではなくて、「嫌だなぁ」という気持ちがあるだけだ、ということに気が付きます。そのときに、「なんで嫌なのかなぁ」ということを考えてみるのです。子供みたいに、「イヤイヤ」と言うのではなく、「なんでかなぁ?」と頭をひねってみるのです。そうすると、思った以上に深い、たとえば、自分のルーツなどが見えてくることがあります。そのルーツをひとつ見つけることは、またひとつ自分を「わかってあげる」ということになるのです。奥のほうの「じぶん」は絶対に喜びますよ。ずっと「わかってほしい」と思いながらも、奥の奥にしまいこんであって自分が出てきたとき、ぼくらはひとつ、素直になるのです。それは成長であり、向上であります。学びを得たということですね。つまり「嫌なこと」というのは、学びを得るには絶好の機会なのです。ぼくも「嫌いな人」に出会った年ほど、あとから振り返ると、「あの年には成長できたな」というふうに思います。「すべての出来事は、完璧なタイミングで起こる」と言われています。一言でいうと、「縁」というやつですね。ぼくも30手前にして、徐々に「縁」を感じることが増えてきました。その気づきを、みなさんにもおすそ分けできたら、と思い、このブログを書いております。タイトルの「生かされている」からは、ずいぶんとズレてしまいましたが、そのあたりは気にしないでください。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月17日
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「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉良い本に、そして良い言葉に出会いました。タイトルの「いいことがいっぱい起こる」だけが「くだらんなぁ」と思いますが、まぁ、「売れる本」に仕立てるには仕方がないのでしょう。さて今日ご紹介したい言葉は「八風吹けども動ぜず」です。「寒山詩」という書物の言葉だそうです。意味は、以下の8つの「風」が吹いたとしても、心を動かされないほうが幸せだよ、ということらしいです。その8つとは…「利」=思いが叶うこと「衰」=思い通りにならないこと「毀」=陰で悪口を言われること「譏」=目の前で悪口を言われること「誉」=陰でほめられること「称」=目の前でほめられること「苦」=つらい経験をすること「楽」=たのしい経験をすることで、この8つに対して「惑わされちゃいけないよ」という教えだそうです。これがちょうど今のぼくにバチっとハマったのですね。4月の末に開業し、自営を始めてみますと、自分の一挙手一投足が生活に直結しますから、毎日がジェットコースターみたいなんです。けれどもそれに心まで付いていってしまうと、疲れて仕方がないんですね。それで「不動心」って大事だなぁとつよく感じました。良いことがあっても浮かれない。嫌なことがあってもヘコまない。もちろん多少の浮き沈みはありますが、なるべく色んなことに対して「静かに対処する」ことは大事だなと感じています。禅か何かの言葉に、「川の水は流れゆくが、そこに映る月は流れない」というのがありましたが、そういった境地になれるとなおさらラクなんだろうと思います。明鏡止水というやつですね。それはきっと、先ほどの記事の「ワクワクしない」に通ずるものがあると思うんです。なんだか最近のぼくは、そんな方向へ進んでいる気がします。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月16日
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こんにちは、尾関です。雨が降ってきました。カエルが小躍りしています、たぶん。さてさて、今日のテーマは「ワクワクしない人生」です。このごろ、ぼくは思うのです。「別にワクワクしなくてもいいなぁ」と。数年前のぼくは、ワクワクすることを求めていました。「ワクワクしなきゃ人生じゃない!」とばかりに、「やりたいこと」を探していました。そして会社員をやめて整体師になった。その後、ご恩とご縁のおかげで、地元で開業させていただくことができました。まァ、ひとつの「夢」がかなったと言えます。しかし「人の夢」は「儚」く、叶ってしまうと夢じゃなくなるのですね。開業するまでは、「開業したらどんなかな?」とワクワクしていました。けれども開業してみたら、「うむ、こんなものか」という感じで、正直そんなにワクワクしない。それで一旦ぼくは戸惑ったんですね。「こんなにワクワクしなくていいのかな?」と。けれども、思い直した。「別にワクワクする必要なんてないじゃん」と。おかげさまで、整体院のほうはずいぶん安定してきて、当院でつらい症状から回復し、笑顔を取り戻した人が増えてきました。もうそれで、十分しあわせなんですね。別にぼくがワクワクしなくても。小林正観さんいわく、人生には3つの種類があるらしいです。ひとつは「やりたいことをやる人生」ひとつは「やりたいことをやらない人生」そしてもうひとつは、「淡々と生きる人生」だそうです。はじめ読んだときは、よくわからなかったんです。「え?やりたいことやる人生がいいじゃん。 淡々と生きるなんてつまんないじゃん!」って思ってたんです。でも「やりたいこと」をやってみたら、案外ワクワクしなかった。そこで気付いたんです。「やりたいこと」よりも「求められること」をやるほうが楽しくて幸せなのだと。「我」をなるべく少なくして、相手の「思い」に応える。その「思い(重い)」がすこしでも「軽い」に変わったとき、そこにぼくの価値が生まれるのです。「やりたいこと」とか「やりたくないこと」とかそういうことは関係なくて、「求められること」に応えられるか、それが大事なんじゃないかなと思う、今日このごろです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月16日
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おはようございます、尾関です。昨日は映画「ブッダ」を観てきました。いやー、さすがに手塚作品、重みがありますねー。ぼくは仏教って好きなのでよいですが、ふつうの人にはあんまり受けないんじゃないだろうか・・・さて、今日のテーマは「ほめられる極意」です。ぼくらは、ほめられるのが好きです。ほめられると、嬉しくなります。けなされると、かなしくなります。ですから、願わくば、ほめられたいものです。ですが、なかなかほめてもらう機会はありません。子供のころならまだしも、社会に出るとほめられる機会が減ります。しかしほめられる数が少ないと、やっぱり寂しいものです。だんだんと自己評価が下がっていきます。「自分はダメだ・・・」というのがどうしても出てくる。本には「自分を認めましょう」「自分をゆるしましょう」と書いてある。けれど、「じゃあ、どうやって自分を認めるのか」については書いてないことが多いのです。それが分からないで、「自分を認めよう」とがんばってみても、「やっぱりダメだよね」が出てきてしまう。じゃあ、どうすればよいのか?それは、ほめてもらえばよいのです。ほめてもらうと、自己評価があがります。「自分はこれでいいんだな」と安心することができます。他人から評価されるというのは、すごく効果があるのです。「他人の評価なんて気にするな」ということを言う人もいます。けれども、他人の評価が気にならない人なんていますか?誰からも評価されていなかったら、会社勤めでも、自営でも、生活していけません。ぼくらは評価を求め、社会に認められる方向をさぐっているわけです。ですから他人の評価は気にしたほうがよいのです。「ほめられる」ようにしていくということは、自分のためにも他人のためにも良いことなのです。とはいえ、冒頭に書いたとおり、ほめてもらうということは少ないのです。では、どうやってほめてもらうのか?良い仕事をすること?誠実に生きること?努力すること?良い人であること?たしかに、そういうこともほめられる要因のひとつだとは思います。けれどももっとカンタンなことがあります。それは、「他人をほめること」です。これは非常にカンタンな方法です。人はほめられたら嬉しいのです。ですから、目の前の人を褒めて喜ばせてみるのです。そうしたら、目の前の人はあなたをちょっと好きになります。そうした「ちょっと好き」がたまっていきますと、ある日だれかがほめてくれます。もちろんほめ方が上手ければ、「ちょっと好き」が一気にたまり、その場で、「いやいや、あなたこそ素敵ですよ」なんてほめてもらえることもあります。人間には「お返ししたい」という本能があるみたいなんですね。かなりのアホでないかぎりは、「もらうだけでは申し訳ない」という意識があります。「もらうだけもらってやろう」なんて奪う意識が強い人を褒めることはありません。自分の好きな人だけほめればよいのです。そうしたら、あなたもほめてもらえます。逆に「ほめてほしい」という「思い」が強くなりすぎて「ほめてほめてちゃん」になると、とたんに誰もほめてくれなくなります。もしほめてくれる人がいても、「かわいそうね」と思われてるだけです。ですから「ほめられよう」「ほめられたい」という気持ちで相手をほめてもあんまり効果はありません。皮肉なことですが、「ほめられたい」という気持ちをなるべく捨てて、すなおに相手の良い部分を観て「いいなぁ」と感じ、それを伝えるというのが大切なようです。「ほめる」ということは、モノゴトの良い部分を観る訓練でもあるのです。モノゴトの良い部分を観るクセがつけば、幸せ度はかなりアップします。その目線でほめれば相手も喜ぶし、こちらも喜んでもらえて嬉しいし、よい部分をみつけるトレーニングにもなるし、一石三鳥ですね。ちなみに「ほめ道」においては、ウソは悪いことではありません。2枚舌はよくありませんが、相手を喜ばせ、相手の自己評価があがるのならば、「ウソ」だって構わないのです。けっきょく目に見えているものは、すべて「からっぽ」なんです。だったら、ウソもクソもありません。相手が喜ぶかどうか。その一点にかかっているのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月13日
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【前回までのあらすじ】子の世でもっとも良い行いは「わかってあげること」この世でもっとも良くない行いは「ばかにすること」==========================じゃぁ、どうやって「わかってあげる」のかと言うと、「あなたはそれで良いんだよ」と伝えてあげることです。ただ、これが難しいんですね。口で言うのはカンタンですが。なぜ、「あなたはそれでいいんだよ」ということさえ伝えることができないのか。それは「じぶん」というのがあるからなんです。もっと言えば「じぶんが正しい」という気持ちがあるから、「あなたはそれでいいんだよ」が心からは言えない。じぶん「も」正しいなら良いのですが、じぶん「が」正しいとなると、「あなたは間違い」というふうになります。そうしますと、「じぶんをなくす」ということがなんだか大事なような気がしてきますね。そうなりますと、昨今の「じぶん探し」とは反対の方向になりますね。むしろ「じぶん捨て」のほうが尊いということになります。ただ、こりゃぁなかなかできやせん。どうしても「じぶん」にしがみついてしまう。「おれが」「ぼくが」「わたしが」「わしが」どこまでも「じぶん」がくっついてくる。ただ、そういう修行の方向性が分かっている、というのはラクです。基準があるというのは、道を歩くうえでありがたいことです。「ちゃんと成長できているのかな?」と振り返るときに、お金があるとかないとか、社会的な地位とかどうとかでなく、「じぶんを捨てて、他人をわかってあげられているかな?」というふうに考えていくと、「さっきの行為は間違っていた」とか「喜んでもらえて良かったな」とか、しっかりわかります。というわけでちょっとまとめてみますと、▼だれもがさみしい。▼だから、さみしさを癒してあげる人は尊い▼さみしさを癒してあげるには、認めてあげること。▼他人を認めるには、じぶんをなくすことということです。そう、やすやすとはできませんが、そんな人になれたらなぁとは思っております。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月13日
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おはようございます、尾関です。今日の目標は「COCO壱」のカレーを食べることです。目標達成できるよう、がんばります!!さて、今日のテーマは「さみしさと向き合う」です。あなたは、寂しがり屋ですか?ぼくはけっこう、寂しがり屋です。というか、寂しがり屋じゃない人って、あんまり見たことがないような気がします。多かれ少なかれ、誰しもが寂しがり屋だと言える気がします。「さみしい」って感じたことがない人がいたら、ぜひご連絡ください。「さみしさ」というのは、いろんな形であらわれます。怒りん坊の人がいますが、けっきょく構ってもらえなくて、さみしくて怒っている人は結構います。スネるのが得意な人は、わりと分かりやすく寂しがり屋ですよね。もういっぱい持っているのに病的にお金が欲しい人も、内心は「さみしい」はずです。あとは「うざい」と周りに思われている人は、間違いなく「さみしい」のです。「うざい」と思われてでさえ、なんとか「さみしい」を解消したいわけです。じゃぁ、この「さみしい」って何やねん?と考えたときに、まァ、いろんな答えがあると思うんですが、ぼくは、「存在を認められてない感じ」というふうに考えています。たとえば5人グループで話していて、自分以外の4人が盛り上がっている。そのときの「存在を認められてない感じ」は「さみしい」ですよね。そこで怒る人、かなしむ人、スネる人、表現の仕方はさまざまですが、「存在を認められてない感じ」を覚えたというのは、共通しているのであります。逆に言えば、「存在を認めてもらった感じ」があると、ぼくらはすごく嬉しくなります。「ああ、よかった」とホッとします。思うに、この世の中でいちばん寂しいのは、「存在を認められてない感じ」であり、この世の中でいちばん嬉しいのは、「存在を認めてもらっている感じ」なのではないでしょうか。そこから考えていきますと、この世の中で最も尊い行為は、「他人を認めてあげること」「わかってあげること」であり、この世の中でもっとも良くない行為は、「他人をさげすみ、無視する行為」「バカにすること」だと言えるように思います。<続く>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月13日
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こんにちは、尾関です。今日は隣の喫茶店さんに昼ごはんを食べに行ってきました。ドライカレー、旨かったです。さて、今日のテーマは「不安の消し方」です。ぼくらは、日々、いろんな不安を抱えて過ごしています。健康に対する不安。金銭的な不安。社会的な不安。(人間関係や出世など)「あーなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」などなど様々な不安や心配ごとがあります。できれば不安や心配はないほうがいいですね。安心して暮らせれば、それは嬉しいことです。でも、どうしたって不安は出てきます。そんなときにうってつけの考え方があるので、ご紹介いたします。そもそもですが、不安なときというのは、「自分のことばかり考えている」ということがほとんどです。もちろん身内の心配をする人も多いでしょうが、身内というのは基本的に「自分」なんです。その自分に対して、「自分が嫌な目にあったらどうしよう」「苦しいことにはなりたくない」という方向にばかり頭が働いてしまう状態を「不安」と言います。つまり「不安」というのは、実際に起こっている現象のことではなく、アタマのなかで起こっている考えの方向性なのです。だったら、その方向性を少し変えてやれば、「不安」がなくなりそうですよね。では、どんな方向に変えたらよいのでしょう?もちろん、どんな方向に変えても「不安」がなくなればよいのですが、ぼくがオススメするのは、「他人に喜ばれる」という方向に持っていくということです。「どうしたら喜んでくれるだろう?」その一点にのみ絞って考える。考え続ける。そうするとまったくキリがないことに気が付きます。他人の心などわかりっこないのですから、「どうしたら喜んでくれるだろう?」と考え続けることは永劫のテーマなのです。そうやってズーっと考えていますと、自分のことを考える暇がないのです。自分のことを考える暇がなくなると、「不安」になるヒマもないのです。そうなれば「不安」は消えたも同然です。もともと実際に存在したのではなく、アタマのなかにあっただけなのですから。そんな感じで、「不安の消し方」をご紹介してみました。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年06月08日
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おはようございます、尾関です。沖縄が梅雨入りしたそうです。ハッピーバースデー梅雨。さて、今日は「感情のコントロール」のお話です。感情というのは、非常におもしろいものですね。すごいエネルギーがあって、なかなか理屈じゃ解決できないシロモノです。こないだ、ちょっと嫌だなと思うことがありましてヘコみました。日ごろから、そういった感情をよく観察するようにはしているのですが、なかなか普通の状態に戻ってこれません。30分以上はヘコんでいたでしょうか。しまいには、嫁にまで当たる始末。そして、29歳にもなって、八つ当たりをしてしまう自分に自己嫌悪、という悪循環。なんと自分は未熟なんだろうと、思い知った一日でありました。逆に言えば、自分の未熟さに気付けたよい一日だったとも言えます。感情をコントロールするのは難しいものですねぇ。じゃぁ、どうしようかと考えて、ぼくが出した結論というのは、「何にもしない」です。「何にもしなかったら感情が暴走するじゃないか」と思われるかもしれませんが、ぼくが思うに、「あるひとつの感情から マイナスの感情が次々と出てくる」のが問題だと思うんです。感情は理屈では、はかれません。それを理屈でなんとかしようとするとき、感情が暴走してしまうのです。だから、「ヘコんだらヘコんだままでいい。 怒ったら怒ったままでいい」というふうに考える、ということです。ヘコんだら、「ああ、自分はヘコんでいるなぁ」と、認める。それは「じぶんをゆるす」ことにつながると思うんですね。誰でもヘコむときはあります。それを「ヘコんじゃいけない。がんばらなきゃ」ってばかり思っていると、疲れてしまいます。それよりも、「ああ、ヘコんだなぁ。膨らむのを待とう」とのんびり構えていたほうが、案外、回復も早かったりするものです。のんびりのほうが早いなんて、世界は不思議なものですねぇ。そんな「感情のコントロール」のお話でした。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月25日
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おはようございます、尾関です。昨日、パイレーツオブカリビアンの新作を観てきました。完全に気分はジャック・スパロウです。さて、今日のテーマは「世界にひとつだけの○○。」ぼくらは、自分に対して何らかの「評価」を持っています。「ぼくはカッコイイ」とか「わたしはぽっちゃりだ」とか「俺は仕事ができないんだ…」とか「あたいは、せっかちなの」とか何かしら、「ぼくは」「わたしは」ではじまるフレーズがあって、そのフレーズを多用しているものです。そして、ごくごく大ざっぱに言ってしまうと、優越感を持っている人と、劣等感を持っている人に分かれます。(けっきょく優越感は劣等感の裏返しなのですが…)その感情をもとにした「じぶん自身の評価」があって、ぼくらはそれを「正しい」と思っているのです。「自分のことは自分がいちばんよくわかっている」というセリフもありますね。だから「あたいカワイイ♪」と思っている人に、「ぼくはブスだと思うよ」というと怒るのです。ところで、あなたがもし、ジャック・スパロウ船長のように、無人島に置き去りにされたとしましょう。そこで、一人になってしまったとします。そしてそのまま一生暮らすことになったと考えてみてください。そうすると面白いことに、今まで積み上げてきた「評価」が、いっぺんに崩れ落ちることがわかります。「ひとり」になってしまったら、スレンダーもぽっちゃりもありません。金持ちも貧乏もありません。黒人も白人もありません。背が高いとか低いとか、頭がいいとか悪いとかもないし、カッコイイとかカワイイとかもないのです。まぁ、そこらにいるゾウガメに比べて「あたしはカワイイ」と思う人もいるかもしれませんが…そうしたら、「今までの評価はなんだったんだ」ということになりますね。「ぼくはダメなやつなんだ…!」とか落ち込んでいたのは幻想だったのか、という話になってしまいます。そう、幻想なんです。なぜなら、けっきょく「評価」というのは、「くらべる」ということからはじまっているのです。身長170cmのぼくは160cmの人から見れば高くて、180cmの人から見ると低い、ということなんです。つまり、「くらべる相手」が問題なのですね。ですから、「ぼくはダメなんだ…!」と思っている人は、自分より優秀な人と比べるクセがあるというだけです。じゃぁ、自分より能力の低い人と比べればいいのか、と思うかもしれませんが、そうではありません。そうじゃなくって、「けっきょく一人になってしまったら、評価もクソもないんだよ」ということをぼくは言いたいわけです。ぜんぶ、幻想なんです。単なる、頭の中の運動会なのです。もともとは、ぜんぶ空っぽなのです。それが「空」の思想であり、哲学であるとぼくは考えています。そうなると、「自分はダメだ・・・」と落ち込むだけ無駄、自分を悲劇のヒーローに仕立て上げるストーリーも作るだけ無駄ということになりますね。「もしも世界に自分ひとりしかいなかったら・・・」そんなことを空想していくと、いろんなことの「ほんとう」が見えてきます。「いま目の前にある現実」って、ほんとうに現実なのかな?って考えてみると、またひとつ視点が増えると思いますので、やってみてください。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月24日
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おはようございます、尾関です。今日は29回目の誕生日。英語でいうと29thバースデーですね。「尾関直人生誕29周年記念」というと、急に偉くなった気がします。それにしても、半端なくアラサーです。さて、今日のテーマは「苦いグレープフルーツ」です。言葉を覚えたてのころ、幼いぼくは、「グレープフルーツ」が言えずに、「れいふく、れいふく」と言っていたそうです。(母談)ただ、それは今日の話とは何にも関係がありません。こないだ、嫁と車ででかけたときに、コンビニでグレープフルーツジュースを買いました。ぼくは、かんきつ系が好きなのです。飲んでみたら、おいしかったので、嫁に「ひとくちあげる」と言って渡しました。そうしたら嫁がひとくち飲んで、「ぐえっ、にがい」と言いました。ぼくは「にがくないよ。おいしいよ」と言いました。嫁は「ほんと?」と言って、またひとくち飲みました。そうしたら「ぐえっ、にがい」とまた言いました。2回もやるなんて、なんて滑稽なんだろうとぼくは思いました。でも、ぼくが飲んでみると、やっぱり苦くありません。ぼくが飲むとおいしくて、嫁が飲むとにがくなるので、グレープフルーツジュースはふしぎだなと思いました。つまるところ、グレープフルーツがおいしいかにがいかは、ぜったい的に決まっているのではなく、その人の「感覚」が決めているんだなと思いました。だったら、「おいしいもの」をさがしもとめて歩くよりも、じぶんの舌を変えてしまって、いろんなものをおいしく食べられるようになったほうがお得なんじゃないかなーと思いました。そして、ぼくたちが誰しも持っている「にがい経験」とかいうシロモノも、考え方しだいで「おいしい経験」になるんじゃなかろうか、と思った春の午後でありました。<苦いグレープフルーツ おわり>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月21日
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こんにちは、尾関です。今日はニュー白衣なので、嬉しい気持ちです。さて、今日のテーマは「夫婦ゲンカをなくすには?」です。ケンカというのは、そんなに気持ちのよいものではないですね。けれども、どうしても起こります。だったら、「嫌なこと」と捉えるよりも、「お互いが成長するチャンス」と捉えたほうが、得です。損得主義で考えるとそうなります。ところでケンカというのは、勝つために行いますよね。自分の主張を通したい、正しいのだと分かってもらいたい、そういう思いが双方にあるからこそ、ケンカというのが生まれるわけです。けれども不思議なことに、ケンカというのは勝っても嬉しくないのです。自分の言い分がすごく正当で、相手はグウの音も出なくなってしまった、ということになっても、なんか嬉しい感じがないのですね。むしろ嫌な気分です。勝とうと思ってはじめたことなのに、勝ってみると嬉しくない。これは不思議なことですね。しかし考えてみれば当たり前のことで、そもそも相手は大事なパートナーです。一蓮托生・一心同体の相手を傷つけたら、自分も傷つくに決まっています。そうするとケンカの目的というのは、実は「勝つこと」でなくて「分かり合うこと」、なのではないでしょうか。つまり、ケンカというのを、「戦い」や「ぶつかりあい」ではなく、「分かり合うためのひとつのプロセス」と捉えることで、成長のチャンスに変えることができるのです。そうなるとケンカという概念がなくなりますね。何か意見の違いが出てきたときに、「あ、成長のチャンスだ」とか「分かり合うためのプロセスがまた来てくれた」というふうに考えられるかもしれません。頭の中をすっかりこの考え方にしてしまうと、「夫婦ゲンカ」というのはなくなってしまうのです。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月14日
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【前回までのあらすじ】不幸なシンデレラの物語に洗脳されるな!心にしみついたクセを取らないと…?=====(^0^)=============このように、モノゴト多面的に見ていくクセをつけていきます。これは考え方のトレーニングなのです。その中で、自分にしみついている潜在意識に気付き、良いものは残し、悪いものは変えていく、そういう作業が大切になってきます。この作業はシンドイですね。それこそ、自分で自分の考えを否定しないといけない場合もありますし、いろいろと起こる問題を「自分のせい」にしていかねばならないからです。けれどもぼくは、そここそが「がんばりどころ」だと思うのです。そうやって考え方を変えていく。モノの見方を変えていく。いろんなものが幸せ色に映るような眼を作っていく。幸せな言葉が出てくる口を育てていく。そういう部分で、がんばるんです。そうすると、どんどんラクになります。それは状況が変わったからではなく、自分の心が育まれてきたからです。状況を突破するがんばりよりも、自分を変えるがんばりのほうが、ずっと収穫が大きいとぼくは思うのです。しかも自分を変えれば、たいていは状況も変わってきて突破できるものです。一石二鳥ですね。心を育てるってことは、脳の仕組みを変えることだと思います。仕組みを変えることで、インプットが同じでもアウトプットが違ってきます。そんな考えでいくと、煮詰まったりすることも少なくなると思うのです。そんなふうに、ぼくは考えています。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月12日
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こんにちは、雨です。恵みの雨は嬉しいのですが、雨がやんでくれないと看板の設置工事が進まないので、できれば早めにやんでいただけると助かります。よろしくお願いいたします。さて、今回のテーマは「がんばる方向性」です。ぼくは昔から「がんばる」ということをテーマにいろいろと考えているんですが、「がんばる」ということほど、方向性が大事なこともないなぁと最近とくに実感しています。ぼくが大事だと思うのは、「がんばらなくてもよくなるように、がんばる」ということです。つまり「がんばる」目的が、「ラクになる」ということです。「がんばるためにがんばる」というのは、あまり意味がないのでは?と個人的には考えています。「がんばる自分」に酔ってしまう人は多い。それは「がんばる自分」を褒めてもらいたい人です。そのような考え方の根底には、いわゆる被害者意識がないとは言えない。「あゝ、あたいは不幸…!なんでこんな目に。 それでもあたいがんばるわ。」そういう意識です。これを「シンデレラ症候群」とでも呼んでおきましょうか。「不幸にめげずにがんばる少女。なんでいけないの?」と思う人もいらっしゃるかもしれません。けれども「自分は不幸」という「思い込み」に関してツッコミを入れてみてもいいと思うのです。「いやいや、勝手に決めんなよ」と。潜在意識というのは怖いもので、それに気が付いてあげないと、一生どこまでもずーっとくっついてくるのです。ですから「あたしは不幸」という潜在意識が抜けない限り、どんな幸せな状況になっても、「あたしは不幸」と感じてしまうのです。なぜなら、幸も不幸もその人の心の中にあるもので、目には見えず、「感じる」類のものだからです。だから逆に心さえ変われば、どんな状況にあろうとも幸せを感じる、ということは理論的に可能です。Mr.childrenいわく、「どんな不幸からも喜びをすくいあげ、 笑って暮らす才能を誰もが持ってる(center of universeより)」のです。それでもやっぱりシンデレラは「かわいそうな子」なのでしょうか?いじめをしていたお姉さんたちは、絶対的に加害者なのでしょうか?いじめはよくないことですが、お姉さんたちにも感情はあるわけです。いたいけなシンデレラをいじめるくらいですから、おそらく何か満たされないものがあったのでしょう。それはおそらく、母の影響とみえ、その家系は誰もが気づけない血というべき、業(カルマ)を背負っているのです。なんだか話が変な方向になってきましたが、「シンデレラ=かわいそうな子」という判断は、物語に洗脳された独断であり、一面的な見方でしかないということです。<続く>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354詳細は↓こちら↓をクリック!自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月12日
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おはようございます、尾関です。日に日に暑くなってきていますね。今年も梅雨将軍がやってきそうです。さて、今日のテーマは「依存症。」依存症といえば、ニコチン依存症やアルコール依存症が有名ですけれども、今日はもっと身近なお話です。「依存」というのは、言うまでもなく「頼っている」ということですね。「自分ひとりで立とうとせず、 何かに寄りかかっている状態」です。たしかに、人は誰しも一人では生きられず、誰かに頼りながら、助けあいながら生きています。けれども、「どうせ頼るんだから、自立心なんていらないや」ということではないと思うんです。あくまでも他人や環境は補助をしてくれるのであって、ハンドルは自分でにぎらないといけません。帆船は風にたよって動きますが、けっきょく舵取りをしないことには航海もできないのです。ところで、依存症だなぁと思うセリフのひとつに、「あの人が○○さえしてくれれば幸せなのに」という言い方があります。これは完全に「あの人」に依存してしまっている状態ですね。「あの人が○○してくれる→幸せ」「あの人が○○してくれない→不幸せ」という構造はまさに依存状態です。主語が「あの人」になってしまっていますから、言い換えれば「あの人」の奴隷になっている状態です。人から「奪う」ことばかりに意識がいっていて、「あれをしてくれない」「これをしてくれない」とばかり言っています。「くれないの豚」ですね。成長の過程というのは、「自分が否定される」という状態を認め、受け入れ、そこから自分を変えていく、ということだと考えていますが、「くれないの豚」はまったく正反対の考えを持っているようです。まずは「あの人が~」と他人のせいにする。それから愚痴を言って、自分を正当化してもらい、「自分=正しい あの人=悪者」という構図に安住します。こうなると、もう自分を変えるどころではないですね。「自分=正しい あの人=悪者」で固まってしまって思考が停止し、どんどん頑固になっていくだけです。何にも良いことがありません。「自分のせいにしない」という選択肢はもったいないことばかりです。「自分のせい」にして、自分の背中で背負うことで、人間の器が大きくなるのだと思うのですが、「あの人が」と他人に重荷をなすりつけることで、自分は「軽い人間」になってしまうのです。この人生を終えたとき、地獄の閻魔さまは言い訳など聞いてくれません。依存仲間は愚痴を聞いてくれるかもしれませんが、閻魔さまに「あの人のせいでこんな人生になったんです。 ぜひ天国に行かせてください」と懇願しても、「しかしその人生を選んだのはお前だろう」と地獄に落とされて終わりです。「自分は自由な存在である」ということをしっかり認識すること。そして自分の選択しだいで、すっかり世界は変わってしまうということに気が付くということ。ミスチルの言う「センターオブユニバース」に自分が立っているのだと理解すること。それが依存症を抜け出す、第一歩なのではないかと思います。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月10日
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【前回までのあらすじ】過去は断片のつなぎあわせだった。それをひとつひとつ手放していけばよいのです。================とはいえ、「じゃぁ、どうやって過去を手放すんだ」と思っちゃうと思います。またこれもダジャレなのですが、「放す」には「話す」のがいちばん良いんです。「声にする」とも言えますね。「声」は「越え」です。自分や相手の壁を越え、届く。それが「声」です。声にして、思いを話す。それは、「重い」を「放し」て、(乗り)「越え」る、ということなんです。そのためには「重い思い」がカラダ(ココロ)のどこにへばりついているかを見つけなくちゃいけませんね。その作業は絶対的に必要です。それは自分自身でやっていくしかないんです。他人の心などわかりませんから、でも探していくと、あるとき、「あっ」という感じで見つかります。自分自身に対して、「さみしかったんだ」とか「くやしかったんだ」とかそういう自分の種みたいな感情に気が付きます。これは「本当の自分」に気付いてあげられた瞬間なんです。そうしたら自然と「思い」がポロリと取れるんですね。取ろうとしなくても自然と。なぜかというと、「過去」の問題だと思っていたものはほとんど、「過去」の問題なのではなく、「過去の『感情』」の問題だからなんです。よく、過去は変えられないと言いますが、過去に対する感情は「いま」も持っているのだから、それを変えることはできるはずです。ですから、過去に対する感情を変えるための、何らかの行動をすればいいという話になりますね。その行動は人によって違うので何とも言えませんが、たとえば、その過去に関するものを捨ててみたり、くだんの相手に「バカヤロー!」と言ってみたり、そういった「手放す行動」が何なのか、当時うまく解消できなかった感情を、どうすれば今、解消できるのか、それも自分で考えにゃぁいかんのです。逆に言えば、そういう「手放す行動」を取ることさえできれば、その行動にともなった結果がついてくるというわけです。ただそれも、すぐにというわけにはいきません。長年こんがらがった過去は、解くのにもある程度は時間がかかります。けれども、やまない雨がないように、解けない結び目もないんです。時間はかかるかもしれない。けれどもじっくりやっていけば、きっと解ける日がくるんです。それが全部ほどけると、「ほどけ(ほとけ=仏)」になれる。つまり「お悟り」の状態というわけです。まぁ、そこまでいかなくても、徐々にほどけていくことは、きっとぼくらにとってとても嬉しいことだと思うんです。そんなふうに過去の悩みに対処してみてもいいんじゃないかなとぼくは考えています。長くなりましたが、最後まで読んでくださったあなたは天才です。ありがとうございます。ではでは。=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月08日
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【前回までのあらすじ】過去に縛られているのではなく、自分が過去を縛っていた?!======================ふつうは、「過去」という場所に自分が居るようにイメージしているかもしれません。悩みや恨みはその「過去」という広大な大地に縛られている状態と考えられています。けれどもぼくは、たぶん人間というのは「過去の断片」を自分にくくりつけているのだ、と考えます。イメージがぜんぜん違うんですね。どうですか?ぼくはいつも「思い」は「重い」と言っているのですが、過去の思いを背負っているほど、どうしても気持ちは重くなります。ところで、「過去」というのにはおもしろい特徴がありまして、「自分が覚えていること」だけをつなぎあわせてできているのです。けして「過去=事実」ではありません。これは非常に大切なポイントです。たとえば、昨日おかんと昔話をしたのですが、小学生のころの思い出など、1学年にひとつあるくらいだったりします。めっちゃ忘れてますよね。1年365日、8760時間もあるのに、そのうち、ほぼ一瞬の記憶しかないのですから。残りの8759時間48秒くらいのことは、楽しかったことも悲しかったことも、何にも覚えていないのです。「宇宙から見れば人間の一生など一瞬だ」なんて言われますが、その一瞬のことでさえ、99%以上忘れてしまうのです。これはかなりの忘れっぷりです。と、その中でも、ほんの少し覚えていることがあるわけです。それが過去ということです。その意味で、「過去=事実」ではなく、「過去=過去の出来事の断片をつなぎあわせたもの」と表現することができるでしょう。そして、重い思いは、その断片の重さであるということが見えてきます。でも、そうなると、「そうか、この過去の断片を手放せばいいじゃん」というふうに気付くはずです。縄をほどいて、自分にくくりつけてある過去を捨てればいいわけです。とはいえ、「それができれば苦労しないよ」「それができなくて悩んでいるんだ」というふうに思われるのではないでしょうか。でも、大丈夫なんです。<続く>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月08日
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おはようございます、尾関です。今日は母の日です。英語で言うとマザーズデイです。今日も英語が堪能です。昨日、実家にいって、おかんに、流行りの「プリザーブドフラワー」をあげました。プリザーブは「保存する」という意味らしいです。ずっと「ブリザード」で凍らせたのかと思っていました。今日も英語が堪能です。さて、今日のテーマは「恨みをどこで手放すか」あなたは、「ずーっとゆるせない恨み」を持っていますか?すぐに「いいえ、ありません」と答えずに、よーく考えてみてください。どうでしょう?本当にないですか?ぼくは、どうだろう?自分では、「ない」と思います。けれども、きっと、完結していない感情のひとつやふたつはあると思います。ただ、なかなかそれには気付けないものです。「完結していない感情」なんてサラッと言ってしまいましたが、これは「長年すっきりしない思い」のことです。誰しも「心の闇」として、こういう「スッキリしない思い」を持っています。そこに光を当てていくということは、とても大事なことだと、ぼくは感じています。というのも、心に根差している「スッキリしない思い」を解消するために、ぼくらは、ついつい理屈では考えられない行動を取ってしまうからです。「頭では分かっているのに、どうしてもやってしまう」「わかっちゃいるけど、やめられない」というのはたいてい、心の奥にひそむ「スッキリしない思い」が原因です。そしてまた解決するたびに起きてくる、似たような問題も、自分が抱えている「スッキリしない思い」が目に見える形になっただけなのです。それにしても、「なんで長年スッキリしないのかな?」というふうに思います。Mr.childrenの「くるみ」では、「時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば、 生きることは実に容易い」という歌詞がありますが、「スッキリしない思い」というのは、どうも時間が解決してくれる、というタイプの問題ではないようなんです。これはなんでかなーと考えていました。そうしたらひとつ思いついたんです。よく「過去に縛られてしまう」と言いますね。よくも悪くも、過去があって今があります。ですから人が過去が気になるのは仕方がありません。「もう済んだことだ」と理屈で片付けられるくらいなら、この世に悩みなど存在しません。ただ、ぼくが思うのは、きっとぼくらは「過去に縛られている」のではなくて、過去「を」縛っているのです。言い換えれば、「過去が自分に縛られている」のです。<続く>=========================春日井市高蔵寺の整体院「空」の公式HP予約受付中! 0568-51-2354自然治癒力を120%引き出すブログ フォロー/友達申請大歓迎です!!ポチっと押していただけると、めちゃ嬉しいです!!
2011年05月08日
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