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2日目の食事については、昼、夜2軒の店のことを書きたい。まず昼食。長城に向かう前、軽く腹ごしらえをしようとお邪魔したのは、故宮から北へ約3kmほどの場所にあるレストラン。 レストランと言っても街中の繁華街ではない。その店は古い胡同(ふーとん)が建ち並ぶエリアの中、中国風の豪華な邸宅を使ったホテルの中にあった。 聞けば、ここはもと清朝末期の女帝、西太后の側近だった(「愛人だった」という説も)郵政大臣・盛宣環の邸宅だったという。それが今は、そのままホテルになり、異彩を放っている。 その名は「北京竹園賓館」(英語名では「バンブー・ガーデン・ホテル」)=写真左。その名の通り、竹を数多く配した庭園が自慢のホテルで、中国の伝統的な、中庭を囲む「四合院」という建築様式だ。 友人の勧めで、我々はこのホテルの1Fにあるレストランに入った。お昼時なのに、なぜか客は誰もいない。店員もめちゃヒマそうである。 店内は、富豪の邸宅のダイニングルームといった落ち着いた雰囲気。街の喧騒もここまではほとんど聞こえてこない。 壁には、西太后と一緒に写った盛宣環らしき人物も写真も。建物は、盛亡き後も大事に守られてきたようで、手入れもよく行き届いている。 我々は名物というジャージャー麺(写真左)、それに盛り沢山な野菜炒め(写真右上)、水餃子、シュウマイ、汁そばの五品を頼み、もちろんビール(燕京)も! 旅先で昼間から飲む酒の、なんと旨いこと! どの料理もレベルは高く、旨かった。ジャージャー麺のゴマダレはやや辛かったが、北京の人たちにとっては、これくらい味付けが普通なのだろう。 ホテルの各部屋は、中国の伝統的な邸宅をイメージした内装になっており、海外からの観光客にも人気だとか。次回、北京に来るときはここに泊るのも悪くないなと思う。 ただしこのホテル、幹線道路から正面玄関へ通じる道がおそろしく狭いのに舗装されておらず、しかも相互通行! 運転手さんもすれ違うのにひと苦労だった。 さて、夜の食事の話に移る。長城見学を終えた僕らは、2日目の夜は、伝統的かつ庶民的な北京料理の店を選んだ。 場所は、我々のホテルのある建国門エリアからも近い日壇公園の中。店が公園の中にあるのがなんとも不思議である。その名は「北京小王府」という=写真右(市内には他に系列店が3軒あるとか)。 店は北京人の家庭料理をウリにしており、肉や魚、野菜などの素材を生かした一皿が自慢というが、実際、味わってみてその通りだと思った。 我々が頼んだのは、蒸し鶏の香味ソース(写真左)、クラゲの酢のもの、エビとナッツ類の炒め物、青菜炒め2種(空心菜、ケール)、香味ビーフンの6品。 とくに野菜の種類、メニューが豊富で、20種類もの野菜をお勧めの様々な調理法(炒める、茹でる、煮る、蒸す、焼く等々)で食べさせてくれるサービスが嬉しい。 香辛料がやや強めなので、日本人にも食べやすい味かどうかは好みが分かれるところだろうが、僕には十分合格点の味わだった。 改めて思うのは、素材をうまく生かす中華料理の奥深さ。多彩な香辛料と調理法など、現地に来て初めて実感、経験できることがある(写真右=クラゲの酢のもの。クラゲは日本のものとは違って、大ぶりで歯ごたえがある)。 さて、青島ビールをひとしきり飲んだ後は、この店は紹興酒を置いているというので、ボトルで頼んだ(初日の店にはなかったので、ぜひ飲みたかった)。 友人が「ロックで飲みたいので、グラスと氷を」と伝えたが、従業員が持ってきたのは、普通のビールグラスとお椀に入った小さな数個の氷だけ。 元々、北京ではあまり飲まれていないという紹興酒だが、聞けば、普通はそのまま飲むか燗して味わうのが一般的で、ロックではまず飲まないという(写真左=空心菜の炒め物。ニンニク風味が効いて旨い)。 しかし、我々はくじけず「グラスは低めの口の広いグラスで、氷をもっとたくさん」と重ねて頼む。従業員はようやく理解したのか、その通り用意してくれた。 しかし従業員は、紹興酒に氷を入れて飲む日本人の所作を、興味深げに、不思議そうに見ている。おそらくは初めて見る光景なのだろう。 ちなみに、北京で飲食の店で働く若者は、ほとんどが広い中国各地からやって来た人たちである。従って、言葉もいちおう標準語(普通話)を話すのだが、その地方、地方の方言、なまりを色濃く反映する(写真右=エビとナッツ類の炒め物)。 中国で1年以上暮らす友人は、かなり中国語も話せるのだが、友人のきれいな標準語は地方出身者には時として通じないうえに、「(地方出身者の)なまりのきつい標準語は聞きとれない」とも言う。 まぁ北京語と広東語、上海語、福建語、四川語などを比べると、日本の標準語と東北や九州の方言の違いをはるかに超え、ほとんど外国語同士のようなものという。 だからこそ、中国政府はこの半世紀、北京で話される言葉を標準語(共通語)として全国民に普及させることに必死で努力してきたのだろう(写真左=香味ビーフン)。 その成果は確かに出て、公教育は普及し、経済は発展した。次なる国家的な目標は、言うまでもなく、貧富の格差是正、公共マナーの浸透だろう。中国がより魅力的な国となり、世界中から観光客を集めるには、それは避けては通れない大事な課題と思う。 <次回へ続く>こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/29
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2日目の午前中、故宮(紫禁城)と景山公園を見学した僕らは、午後から、いよいよもう一つの世界遺産、万里の長城へ向かった。 中国大陸の北部を東西に貫く長城を観光するには、別に北京からでなくともいいのだが、やはり北京郊外の長城が一番保存状態がよく、アクセスもいいので観光スポットとして人気だ。 もちろん、近いとは言っても一番有名な「八達嶺(パーダーリン)長城」まででも、車で高速道路を飛ばして1時間半ほどかかる(鉄道でも行けるが、時間は同じくらいかかるという)。 北京郊外にはもう一つ、観光用として「慕田峪長城」という名所もあるが、我々は初めての訪問なので、やはり一番有名な「八達嶺」を選んだ(写真左=「八達嶺」長城に登るにはまずこの門をくぐる)。 「八達嶺」へ向かう高速道路で、目に付いたのはモンゴルへ向かうトラック。そのどれもが、過積載間違いないというほどいっぱいに建築資材等を積んでいる。おまけにスピードが遅いので、高速なのに渋滞に拍車をかける。運転手さんの話だと、モンゴルは今建築ブームなんだとか。かつてはこのルートを騎馬の兵士が行き交ったのだろうか。 長城の起源は春秋戦国時代(紀元前770~)にさかのぼるという。北方の匈奴の侵入を阻止するために造られた。そして、最初に本格的な長城を築いたのが秦の始皇帝と言われる。 この長城建築プロジェクトは、漢代にも引き継がれたが、宋や元などもともと北方民族である王朝では、その必要性が乏しく整備されなかった(写真右=視野に見える長城はごく一部。山の向こうまで延々と続く)。 現在残る長城は、元を滅ぼし巨大な帝国をつくった明代に主に築かれたものである。長さは約2万kmにもおよび、日本列島の長さ(約3000km)をはるかに凌駕する。「宇宙から肉眼で見える地球上の唯一の構築物」とも言われる。宇宙からではないが、実際、僕も欧州帰りの航空機の窓から山の尾根に連なる長城を見たことがある。 ようやく「八達嶺」の駐車場に着く。平日でも中国各地や海外からの観光客が数多く訪れるので、いつも凄い混雑ぶりだと聞いていたが、我々が訪れた日はなぜか比較的すいていた。 入場門に向う坂道の途中、毛沢東の筆になる石碑があった。「不到長城非好漢(長城に到らざれば好漢に非ず)」の文字=写真左。凄い達筆。詩の一節らしいが、どういう意図でこれを書いたのかは聞きそびれた。 入場門でチケットを買って、いよいよ長城を登り始める。チケット代は大人45元(約680円)。入場口からは2つのコースがある、右へ行けばやや傾斜のゆるい「女坂」、左へ行けば「男坂」。我々は当然傾斜の緩い方を選んだ(笑)。 だが、緩いとは言っても、路面は石が敷き詰められた坂道。ところどころが階段となっており、延々と歩くと足にくる。途中200~300mくらいおきに砦があり、そこでは日差しから逃れて小休止も可能だが、そう広くない砦の中で、長く留まることはできない。 さらに尾根の長城を上へ、上へと登る。当たり前だが、北京市中心部から北西へ約50kmも離れ、標高も高いこの辺りは気温も5~10度ほど低く、風も強い。帽子は飛ばされそうになるので被れない(写真右=長城観光には寒さと風への対策が必要)。 長城に登って、遥か向こうの山々にまでつながる長城を眺めていると、改めて、そのスケールの大きさに圧倒される。よくもまぁ、皇帝はこんな馬鹿げた建築物をこんな場所に造ったものだと。 そして、長城が初めて築かれた戦乱の時代のことを思う。広い国土に群雄が割拠し、争いを繰り返し、この長城を挟んでどれほどの血が流されたのだろうかと。 現在残る長城は、ほぼ明代に築かれたものである。石造りの城壁は、高さは7~8mはあろうか。砦も部分さらに数m高い。それが尾根に延々と、何百キロという長さで築かれている(写真左=長城にはこのような砦があちこちに。ここから迫り来る北方の騎馬隊を眺めたのだろうか)。 600年も昔に、この壮大な長城を築くために、おそらくは、名もなき庶民が数多く動員され、重い石を山の尾根まで運ばされ、積み上げる作業に従事させられたのである。その建設の辛苦を思うと言葉もない。 ピラミッドも、アルハンブラも、ベルサイユなど、世界遺産として現在観光名所になっている多くの建造物は、結局のところ、名もなき職人と庶民の血と汗の労苦の結晶である。そのことを僕らはいつも忘れないようにしたい。 さて、言うまでもないことだが、この長城見物。どこまでも歩いていけるから、終点がないというか、行っても行ってもきりがない。しかし、帰りはまだ入場口まで戻らなければならない。 1時間歩けば、帰りは同じだけ時間がかかる。帰りは下り坂だが、下りは下りでまた結構きつい。きりがないので、我々は砦3つほど行った辺りで引き返すことにする(写真右=路面のところどころにこのような地下の部屋に下りる階段もある)。 長城でもやはり、日本人にはまったく出会わなかった。中国各地からのおのぼりさんか西洋人ばかりだった。日中関係の悪化は、確実に観光に影を落としている。こういう時こそ、市民レベルの交流が必要だと僕は思う。 政治や外交を絡めて、交流に障壁をつくることは決して、長い目でみて両国民の利益にならない。経済的には今や、日中(日韓も同様だが)間の相互依存は壊しようがない。政治がギスギスしている時こそ、日本人はもっと中国各地を訪れるべきだと思う。 再び北京への帰路につく。車からは再び、山の頂きに連なる長城が見えた。情報過多の現代、観光地に行って、心から感動することは、最近は少なくなったが、万里の長城は間違いなく、その壮大さがゆえ心底の感動をもたらす場所だった。 <次回へ続く>こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/22
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北京観光で誰もが必ず訪れるのが、故宮と万里の長城である。滞在2日目は、今回の旅のメーンイベントとも言える、この二大名所を訪れる。 ホテルで朝食を済ませた我々は、早速故宮へ。友人からの「見学ポイントを効率良く、無駄なく見て回るために、故宮だけはガイドを雇おう」という勧めもあり、我々は日本語に堪能な中国人ガイドさんを頼んだ。 故宮の周辺には、中国政府の中枢機関が集まっていることもあって、警備が厳重だ。いたるところ公安(警察)だらけ。制服もいるが、明らかに私服の公安もうじゃうじゃいる。 天安門から1km近く南へ離れた交差点で車を降り、そこから天安門の入り口まではだだっ広い広場をひたすら北へ向かって歩く(写真左=天安門前は中国人にとっても人気No1観光スポット)。 広場の後方には、今も遺体が保存・公開されているという毛沢東主席記念堂。左を見れば、中国の国会にあたる、有名な人民大会堂。右には中国国家博物館(写真右=あの溥儀も通った?「端門」下の通路)。 天安門前の広場は無駄に広いという気もするが、あの文化大革命で紅衛兵の若者が100万人集まったというのだから、やはり広さは必要が生んだものなのかもしれない。いずれにしてもここは数々の歴史の舞台である。 天安門の前は、長安街という広い幹線道路(10車線!くらいある)横切る。そこには横断歩道などはなく、地下道を渡って天安門の入り口ゲートまで行く。 さて、ここが第一の関門。金属探知機やX線検査機による手荷物検査がある。「荷物を持ち歩くといろいろ面倒だよ」という友人の勧めで、僕らはカメラなど最低限の持ち物だけを持ち、残りは車に預けた(友人の車には運転手も居る)。 金属探知機は問題なくクリアしたのだが、そこで警官に呼び止められた。ガイドが「観光でやって来た日本人だ」と説明しても、「パスポートを見せろ」と言う。 北京では観光客だけでなく、ビジネス等で在住している日本人でも普段、路上や駅などで公安警官から突然、パスポート提示を求められることがあるという。 持っていなければ、別の所へ連行されてややこしいことになるので、「外出の時は手放せない」と友人は言った(写真左=故宮入口の案内板。反日の空気が漂う中で、日本語での説明もあったのはやや意外だった)。 僕らは当然「あやしい人間」でもないので、パスポートはすぐに返され、「行ってよし」と目で合図された。ただし、「すみません」の一言はなし。 まぁ、付近を歩く他の西洋人とかは一切調べられていないので、日本人への嫌がらせも半分はあるのかもしれない。でも、そんなことを気にしていては観光はしてられないので、前へ進む。 毛沢東や周恩来も立った天安門の上を見上げながら、僕らは門の下をくぐる。しばらくまっすぐ歩くとまた門があり、さらに歩くとまた門のような建物がある。これが午門(写真右=故宮の中心は世界最大の木造建築・太和殿。映画「ラストエンペラー」の皇帝の即位式シーンもここで撮影された)。 「ラスト・エンペラー」での有名なシーン、紫禁城から追放される溥儀が門を出ていく場面は、この「午門」で撮影されたのであろうか。そこをくぐると、ようやく故宮への入場券売り場がある。 そして、そこでまた手荷物検査と金属探知機。テロ警戒だというが、いささか過剰な気もする。ちなみに、友人の話だと、北京市内のすべての地下鉄の駅の改札口でも、乗る際に手荷物検査があるという。移動するにも、実に煩わしい国である。 さてようやく、本来の故宮への入り口を越えた。広大な故宮は、丹念に見ていたら3時間も4時間もかかる。我々には2時間くらいしか余裕がない(写真左=故宮内の大きな建物の内部には、必ずこのような皇帝用の玉座がある)。 ここでガイドさんがこう言った。「故宮の宝物が見たいのか、それとも建物や歴代皇帝や皇后の暮らしぶりが見たいのか、どちらかに重点を置いた方がいいと思います。宝物は実際、台北の故宮博物院の方が良いものを所蔵している」と。 我々は「台北の故宮博物院へは以前行ったある」とを告げ、建物や暮らしぶりを重点にガイドしてもらっていいと言った。ガイドは「分かりました。じゃぁ、そうしましょう」と言って、ツアーはスタートした。 故宮にある現在の紫禁城は、明代に建てられ、幾度も増改築を繰り返してきた。漢民族の明から、次に王朝を奪い取ったのは満州民族の清だった。 清朝の時代は、ここで十二代の皇帝が暮らした。現在の紫禁城は、おおむね清の時代の姿をとどめているが、明代の名残もあちこちに見られる。 面白かったのは、城内の小さな建物や門の看板に、しばしば漢字と満州文字が併記されていたこと=写真右。多民族、多言語の中国だが、王朝が変わるたびに政権の公用語も変わったのであろうから、宦官や一般の役人たちも大変だったに違いない。 さて、紫禁城と言えば、やはり西太后(せいたいごう)である。清朝末期、幼い傀儡(かいらい)の皇帝を皇位に付けて、裏で政権を牛耳っていた事実上の女帝。 我々を案内したガイドさんも、日本人にも馴染み深い西太后の居住エリアを詳しく説明してくれたが、土間にじゅうたんが敷かれただけの、意外に小さく質素な建物が多い。冬が厳しい北京でこれでは、室内も相当寒かったのではと思う。 洋風のベッドもシルクを使っているが、めちゃくちゃゴージャスという風ではない。かつて見たベルサイユ宮殿のマリーアントワネットの部屋の方がはるかに豪華だ。 紫禁城の、いわゆる皇帝のプライベート・エリアは建物がやたら多くて、広い。小さな建物が幾棟も連なり、道は軍事上の理由からか、迷路のようになっている(写真左=西太后のプライベート・エリアは意外と質素だった)。 唐の時代から、「後宮の佳麗三千人」としばしば言われる。一般庶民から選ばれ、あるいは指名されて宮廷に上がり、そしてここに住まわされて、皇帝の子供を生み、短い命を終えた女性も多いだろう。部屋の数だけ様々な人間ドラマがあったはずだ。自分の人生はまがりなりにも自分で決められる現代に生きる我々は、幸せに違いない。 さて、駆け足の故宮見物を終えた我々は、故宮のすぐ北側にある人口の山、「景山公園」へ。高さ43mの山(海抜は約100m)がまるまる公園になっていて、あちこちに東屋(あずまや)が建てられている。 この公園は、故宮・紫禁城を上から見下ろして眺めたいという皇帝の命で造られた。皇帝に倣って山の頂上から紫禁城を見る。黄金の甍(いらか)が限りなく美しい。洋画家・梅原龍三郎が描いた「北京秋天」という名作があるが、それがまさしくこの光景である。 我々が登ったのは正午すぎ。残念ながら逆光であった。夕陽を浴びた紫禁城の方がより綺麗に違いない(写真右=景山公園から見た故宮。逆光だったのでこの美しさは伝えきれないが、甍は黄色に輝く)。頂上へ行きつくには少々時間はかかるが、景山公園から眺める価値は、十分すぎるほどある。言いすぎかもしれないが、「ここ(景山)から紫禁城を見ずして北京を語るなかれ」と言いたい。 <次回へ続く>
2013/10/15
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明日14日(月)=祝日=は、いよいよNBA(日本ばーテンダー協会)コンクール神戸支部大会で、「成田一徹ブース」が出店します(午後12時半~@ANAクラウンプラザホテル神戸10F)。僕も終日、そのお手伝いに行きます。奇しくも14日は、一徹さんの一周忌です。個人的にはまだ1年経ったような気がしません。 ブースには成田さんの奥様も終日詰められます。公認複製画、本や雑誌、ポストカード、そして今回が初となるオリジナル・コースター5種セット(800円)も販売します! お時間のある方、ご興味のある方はぜひお越しいただければ嬉しいです。お待ちしておりまーす!
2013/10/13
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大阪・梅田の阪急百貨店で、毎年10月開催される恒例の「英国フェア」に行ってまいりました。個人的には、いつも英国のアンティークグッズやツイード製品、ウイスキー関連商品などをお目当てにしています。 そんな中、今年は僕が家族じゅうで応援している大阪のNPO法人の動物愛護団体「アニマルレフュジー関西(アーク)」が出店ブースを出していました。代表のエリザベス・オリバーさん(英国人)は、20年も前から関西で捨てられた動物たちの保護活動を、献身的に続けてこられました。阪神大震災のときは、約600匹の被災ペットを保護されました。 「アーク」のある大阪府北部の能勢町には大規模な保護施設もありますが、運営には当然膨大な経費もかかります。長年、家族同様の存在として、ペットの猫(いずれも保護された野良猫でした)を飼っている僕らは、オリバーさんの活動に共感していることもあって、半年ごとに一定額の寄付を続け、アークの活動を応援しています。アーク活動に対しては、昨年、エリザベス女王が勲章を贈っています。 「アーク」のブースには、オリバーさんの姿もあったので、僕はせっかくだから、ご挨拶しました。テレビや新聞では有名な彼女ですが、ご本人と会うのは初めてです。僕はアークの活動を支援している一人であることを伝え、「貴方を心から尊敬しています。これからも生きている限り応援したいと思っています」と話しかけました。 オリバーさんは「有難う。英国フェアでブースを出すのは10年ぶりくらいですが、また来年も出したいです。今後ともよろしくお願いします」と嬉しい言葉も。ほんとに、ほんとに素敵な女性で、彼女と出会えて幸せでした。写真は、「アーク」のブース。左端に映っているのが、エリザベス・オリバーさんです。
2013/10/10
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グランフロント大阪のリュミエールでランチ。これは、そのうちの一皿。その名も「野菜の遊園地」。 約20種類もの野菜。味付けはあっさりで野菜の旨みを引き立てています。ボリュームも十分で結構お腹がいっぱいになります。歳をとると、野菜が美味しいと思えるようになりました。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/09
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北京市内は広い(東京23区内とどちらが広いだろうか?)。到着初日に歩き回っていたら、お腹もすいてきた。滞在中はすべて中華で貫徹するつもりだが、中華料理と言っても、広い国土もあって実に幅広く、奥が深い。初日の晩御飯は雲南料理の店となった(というか、今回は3回の晩飯は、すべて友人夫妻にチョイスをお願いしている)。 雲南料理と言えば、もちろん雲南省(地方)の料理なのだが、僕ら日本人は、場所もよく分からず、昆明という名の省都の街の名前くらいしか知識がない。 地理的には中国中央部の最南部、ベトナム、ラオス、ミャンマーと国境を接する広大な省で、漢族が多いが、様々な少数民族も住むバラエティ豊かな地域である。 この店、名前が「Lost Heaven」(写真右)と変わっている(名前の由来は聞き損ねた)。場所は天安門からすぐそば、かつての米国大使館の建物&敷地を利用した一見、高級そうなお店(敷地内の他の建物もフレンチなどのレストランに変身んしている)。 道路から入る玄関は元・大使館らしい門構え。いちおう門番によるチェックがある。お店の雰囲気も素晴らしく、おしゃれなので、初めて食べる雲南料理への期待はいやでも膨らむ。 雲南料理はすぐ北に四川省という地理的な影響もあって、四川料理と同様に唐辛子を多用するものが多いとのことだが、山が多いことからキノコ類の種類が豊富なのも特徴という。 我々が頼んだのは、前菜キノコがいろいろ入った春雨サラダ、雲南風のチヂミ、宣威火腿(雲南ハム)、汽鍋鶏という鶏のあっさりしたスープ、それに雲南風の焼き飯&焼きそば(ただし、この二皿はそれほど個性的な味ではなかった)。 そしてお酒は、ビール(ここでは青島=チンタオ)とワイン。北京ではこの後もそうだったが、なぜか、中国産ビールはほぼ「青島」か「燕京」の2種しか置いていないところが目立った。これだけ広い国だから、もう少し種類があってもよさそうと思ったが。 そして意外な発見は、雲南料理には白、赤のワインがとても合うこと! 僕らはボトルで頼んで、4人で2本開けた(それはそうとこの店、なぜか紹興酒は置いていなかった。友人の話では、紹興酒は北京で置いていない店も結構多いとか)。 気が付けば、テラス席も含めて店内はほぼ満席状態でにぎやかだ。客はやはり西洋人のグループが目立つ=写真右。ここが中国国内であることを一瞬忘れそうになるが、一方で身なりの良い中国人の若いグループやカップルも見えるので、これが2013年の現実なのかもしれない。 ちなみに、北京の飲食の店では地方出身の若者が働いていることが多いため、英語だけでなく中国の標準語(北京普通話)も通じないことがあるという。実際この日も、地元に住む友人の中国語がよく通じないスタッフがいた。国が広いというのは面白い。 地元では人気のレストランなのだろうが、日本で言えば、東京の永田町、霞が関のど真ん中に、こんなおしゃれなレストランがあるのがなんとなく不思議だ。 しかし、場所柄とは関係なくお値段は意外とリーズナブル(飲んで食べて5000円もあれば十分か)。北京に行かれたらぜひ、この店はお勧めしたいと思える店だった。 食事を終えた我々は、このレストランからすぐそばのビルの最上階(と言っても3階建だが)にあるバーへ移動。「Capital M」という名のこのバーも実に素晴らしい。 この店もやはり、客層は西洋人か、セレブっぽい中国人が多い。スタッフにも白人が目立つ。今は、一般庶民には無縁の場所なのだろうが、20年後の北京は果たしてどうなっているのか、興味がわく。 僕らは最上階のテラス席を選んだ。席からは、昼間見た「正陽門」がライトアップされて、最高の眺めだ(写真右)。他にも多くの歴史的建造物が、夜はライトアップされている。 歴史的な建物だけでなく、幹線道路交差点の分離帯等もライトアップするような、観光客へのサービス精神は少し過剰かとも思うが、北京市当局の努力は大いに評価したい。 帰り際、お店の名刺をもらって分かったが、このバーは、数年前上海の旧租界(外灘)でお邪魔したバーと同じ系列。道理で内装などのセンスの良さも納得した。お値段もリーズナブルだし、ここもぜひ北京観光の夜の締めくくりにお勧めしたいと思う。 <次回へ続く>こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/07
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10月14日(月)=祝日=に、ANAクラウンプラザホテル神戸10Fで開催されるNBA(日本バーテンダー協会)神戸支部大会の会場に、同支部のご厚意で「成田一徹ブース」が登場します。 ブースでは、先の神戸・海文堂展でも好評だった「公認複製画」の購入申し込み窓口となるほか、著作やオリジナル絵葉書なども販売されます。 そして、今回は「せっかくのご厚意で出店させてもらえるのだから、神戸大会の記念に何か新しい商品を」ということで、限定版のオリジナル・コースターの5枚セット(800円)が販売されることになりました。奇しくも、10月14日は一徹さんの一周忌の命日です。 限定版オリジナル「成田一徹・切り絵コースター」(9×9cmで 1mm厚)の図柄は、奥様の素子様が選ばれました。1枚ずつデザインは違います。 とりあえず、1枚だけこっそりご紹介します。ほかの4種もとても素敵なデザインです。お楽しみに! 当日、会場に来てくれた皆さんがたくさん買ってくれたら、とても嬉しいと思います。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/06
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さて、建国門駅近くのホテルにチェックインした僕らは、早速友人らの案内で、北京市内観光へ。とりあえず向かったのは、北京の北西に広がる、市民の憩いの場「前海」「后海」というエリア。 「海」という名だが、ここは中国の王朝が人工的に造った池である。今では、市民がそこでボート乗りを楽しむ。池の周辺には、古い胡同(フートン)【注1】を生かして再開発したショッピングエリアもある。 付近には、明の時代の鐘楼=写真左、元の時代の鼓楼という歴史的建造物も残り、観光名所にもなっている。日曜日ということもあって、家族連れやカップルなど人出が凄い。西洋人の外国人観光客も目立つ。 しかし、なぜか日本人らしき観光客はほとんど見かけない。上海や香港には日本人はそこそこ訪れているが、首都の北京には今なお少ない。 友人の話によれば、昨年端を発した尖閣問題、靖国参拝問題での政府間対立以来、日本からの観光旅行が激減しているのだという(写真右=ボート遊びが好きなのは世界中どこでも同じ)。 表面的には友好的だった北京市民だが、確かにひと頃は、買い物の際、日本人というだけで白い目で見られたり、無視されたりということもあったという。 現在は、反日デモもほとんど見られず、いちおう平穏な日常を取り戻している。ショッピングエリアをそぞろ歩く我々が、白い目で見られることは皆無で、居心地の悪さを感じることはまったくない。 現地の人々は、「(僕らを)明らかに中国人ではない。たぶん日本人か韓国人だろう」という程度の認識だろうが、買い物をしても、普通の観光客として接してくれる。 いったん広がった風評はなかなか消えない。日本で「現地は安全だ、観光もOKだ」とPRしても、なかなか客足は戻らない。 北京は首都であり、今や国際的な近代都市だ。インフラ(都市機能)はまだまだ不十分だが、決して危ない戦場でもない(写真左=「前海」「后海」エリアのそばにある「胡同」は賑やかなショッピング・ストリートに)。 大気汚染もあるけれど、ずっとここに住むわけではない。旅行で短期間滞在する健康的リスクなど、ヘビー・スモーカーが肺がんになる愚に比べればどうってことはない。 僕はむしろ、どこの国であれ、行ってみたいと思うなら、現地にやって来て自分の足と目で確かめることが今は必要ではないかとも思う。 国家や政治家は何かと問題を起こして、対立することもある。過去の歴史は、もちろん正しく認識しないといけない。加害も被害も忘れてはいかない。 しかし、よく言われることだが飛行機に乗って、空から見る地球には国境線などない。領土をめぐり国家同士が武力で争うことなど、実にバカバカしいことに思えてくる。 僕には中国人の友達も多い。いつも信じているのは、国同士がどうこうというより、一個人同士の友好とか、友情とか、信頼とかいうものの方がはるかに大事だということだ。国の方針とか価値観と個人が同じである必要はない。 国家がいがみ合っても、人間同士がケンカする必要はないと思っている。逆に、国家がケンカしている時ほど、僕はかえって仲良くしたいと思う。さて、「前海」「后海」エリアを後にした僕らは、今度は天安門広場から真南へ1kmの辺りへ移動する=写真右上。 ここには、北京・故宮の最も南にある「前門(正式名称は「正陽門」)」という歴史的建造物がある。北京城の遺構でも、十五世紀の明代の城門は北京市内でもあまり残っていないが、この城門は貴重な建造物である。 そして、その「前門」の南側に広がるエリア「前門大街」が、ここも見事なテーマパークなような、おしゃれな繁華街に生まれ変わっている。ここも家族連れやカップルであふれんばかりの人だ(写真左=「前門大街」の街並み)。 二階、三階建ての石造りのレトロなビルが目立つが、おそらくは1920年代前後に造られた建物を再利用したものだろう。おしゃれなエリアを創るにしても、いちおう歴史と伝統は大切にする姿勢は評価したい。 SWATCH、ユニクロ、ハーゲンダッツなどのお店もそうしたレトロま面構えで迎えてくれる。中には、老舗の北京ダックの専門店やシルクの専門店も。 シルクの老舗は、「1949年、中国人民共和国建国宣言時の五星紅旗(国旗)はうちの店で作ったもの」とPRして、レプリカを店頭に展示している=写真右。他にも、西大后が愛したというカモ肉料理の店とか由緒ある店も。 この「前門大街」に代表されるように、古い時代の北京の街並みは、急速に姿を変えてゆく。それが良いことかどうかは、部外者が言うべきことではない。しかし、昔の面影を残す北京もまだまだ数多く残る。月並みな言葉だが、古さと新しさが同居しているのが、今の北京だろう。 <次回へ続く>【注1】胡同:北京市の旧城内を中心に点在する伝統的家屋が集まるエリア。細い路地に面して、「四合院」という名の共有の中庭を持つ四軒長屋が一つの単位となった家屋が多い。古き良き時代の中国の面影をしのばせているが、近代化に伴う開発で次々と姿を消しつつある。現在では観光名所として保存されている地区もある。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/04
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日本にとっては、近くて遠い存在。そして、隣国だけれど、近年の過去の歴史もあって、複雑な感情を抱く。それが、今や世界第二のGDPを誇る大国・中国という国だろう。 かつては遣唐使も向かった、日本が教えを乞う国であった。漢字を生み出し、仏教も日本に伝えた。麻雀というゲームは大衆の娯楽として定着し、21世紀の今なお、中華料理は我々の食生活の一部となっている。 どんなに嫌いでも、お互い、地理的には引っ越しはできない隣国。仲良くしていくしかない。話し合って、理解し合って、解決していくしかない(写真左=北京首都国際空港。大阪(関空)からは空路でわずか3時間。時間的距離はまさに「近くて近い国」だ)。 万一、難しい問題が起きて、一触即発の事態になっても、軍事力という力でぶつかり合う愚は、1945年でもって終わりにすべきだろう。そうでなければ、人類は成長・進歩したことにはならない。 2013年秋。僕は連れ合いとともに三泊四日で、友人夫妻が暮らす中国・北京を訪れた。中国語文化圏は、台湾も含めると5度目(上海、香港など)であるが、首都・北京は初めてである(写真右=建国門そばのホテルの部屋から見た北京市内)。 北京は何よりも四千年の歴史の都。名所旧跡には事欠かない。中国全土から集まる食の楽しみもある。好奇心と期待をいっぱいに抱いて、僕らは首都国際空港へ降り立った。 首都国際空港から北京市内中心部までは、車で1時間弱。近代国家と変貌した中国では、高速道路網が急ピッチで整備されている。2008年の北京五輪が終わった後も、開発はなお続いている。 地下鉄網は20路線も整備され、高層ビル、マンションも建設ラッシュ。中国全土から仕事を求めて、多くの人々が流入し、人口も2000万人を超えたという(写真左=習近平・国家主席ら政府要人が居住するエリア「中南海」の入り口。警備は厳重なので、隠し撮りで1枚)。 しかし、経済発展と人口膨張に伴って、マイカーがこれほど急増するとは、政府や北京市当局も予想外だっただろう。かつての自転車、バイクに代わって、今や北京も道路はマイカーで埋め尽くされている。 増えすぎたマイカーに道路網の整備が追い付かず、地下鉄網が整備されても、世界で最も深刻な都市と言われる交通渋滞はなかなか改善されない。交通マナーも国際的な基準には追い付かない。 さらに、近年国際的にも大きな問題となっている大気汚染。周辺工場の排煙対策の不十分さに加えて、多くの家庭がいまだに化石燃料を使っていることや、急増したマイカーによる排気ガス(写真右=天安門広場そばの路上に残るこの黒い部分。1949年、中華人民共和国建国記念式典で集まった数十万の人民のためのトイレの跡=穴だったところに蓋をした=という)。 北京で青空が見える日は、今や「4日に1日あればいい方」とも聞く。急速な発展にインフラ整備や環境対策が追い付かないというのは、まさに40年前の日本の姿に他ならない。日本は深刻な公害被害から学び、数多くの犠牲は伴ったが、なんとか克服した。 日本が、中国へ漢字や仏教など様々な文化伝来への恩返しをする機会や能力はたくさんあるはずだが、今や大国となった中国には、日本の力を借りるなどは、そのプライドが許さない。かくして中国は、いびつで急速な発展の中で、もがき苦しみ続けている。 さて、長い前置きはともかく、僕らはそんな中国の現実をしっかりと見つめながら、友人夫妻との旧交を温め、市井の人びととも友好を深め、世界屈指の文化遺産の数々を、自分たちの目で見るという貴重な時間を楽しむことにする。 <次回へ続く>こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/10/02
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