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転勤族にとって、その土地土地で暮らす楽しさはいろいろあるが、「食」の探求に加えて、僕は、方言とふれ合い、自分でも喋る面白さが好きだった。 かつて住んでいた徳島市では、阿波弁(徳島弁とも言う)が話されている。阿波弁と言っても、県内の地域によって、若干違いはあるのだが、有名なところでは、「~けんど」「~けん」に代表される語尾だ。(そう言えば、「けんど茶屋」という名前の居酒屋もあった)。 語尾の言葉も特徴的だが、接続詞の「ほなけん」(だから、だけど)、「ほなけんど」(しかし)なんて言葉も、頻繁に耳にする。女性は「です」の意味で、「~じょ」という言葉をよく使うが、これがすごく色っぽい。「ほうなんじょー」(そうなんですよ)と耳元で言われるととても艶っぽく、ゾクゾクっとする(と感じているのは僕だけかもしれないが)。 阿波弁は、関西弁とイントネーションはやや似ている。四国の他の3県と違って、関西の民放テレビすべての電波が届くという地理的な条件も影響したのかもしれない。だから徳島県人は、みんな小さい頃から「吉本新喜劇」を見て育っている(写真=徳島と言えば、やはり「阿波踊り」。老いも若きもお盆の4日間、踊って燃える)。 語彙にも関西弁と共通のものもたくさんある。例えば、「かく」(運ぶ)、「こすい」(ずるい)、「食べさし」(食べかけ)、「ちびる」(摩耗する)、「ちょける」(ふざける)、「なんぼ」(いくら)、「のーなる」(なくなる)、「見てくれ」(外見)、「よーけ」(たくさん)、「わや」(駄目、めちゃくちゃ)なんて言葉は、徳島の人は、阿波弁だと思っている人が意外に多いが、実は関西弁とほぼ同じ意味で、共に使う。 だから関西方面から転勤してきた場合、言葉の上では馴染みやすい土地とも言えるが、阿波弁でしか使われない意味で、使う言葉があるので要注意。 徳島へ転勤した僕が一番戸惑ったのは、ある病院に初めて行った際、看護師さんからいきなり、「せこいですか?」と聞かれた時。関西弁でも「せこい」という形容詞は使うが、「ケチ」とか「(お金に)きたない」「ずるがしこい」なんて意味でしか使われない。 しかし、徳島では(関西弁での意味で使うこともあるが)その「せこい」を、「苦しい」「しんどい」なんて意味で、かなり一般的に(!)使う。だから徳島でビジネスの相手から、「あんたの仕事もせこい仕事やねー」なんて言われても、決して怒ってはいけない。同情されているのだから…。 もう一つ忘れられない言葉。ある時、年配の男性2人連れAさん、Bさんと同席した。Aさんは「Bと僕はちんちんの仲ですけん」と僕に紹介した。僕の頭の中は混乱する。「えー! ちんちん??」。「この2人は、ひょっとしてゲイ友?」。 もちろん、そんな意味であるはずはない。答えを先に言うと、「ちんちん」とは阿波弁で「仲良し」という意味。ただし、このエピソードを徳島の30~40代の友人に話したら、「えー、そんな言葉、僕らの世代ではもう使いませんよー」と反応した。だから、阿波弁の「ちんちん」ももう死語になりつつあるようだ。
2004/12/20
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いま話題のドイツ映画「ヒトラー~最期の12日間~」を観に行ってきた。映画はタイトル通り、ドイツ帝国(ナチス)の総統であったアドルフ・ヒトラー最期の日々を、個人秘書だった女性トラウドゥル・ユンゲの目を通して描いたものだ。 大阪では7月30日から公開された。ただし、ややマニアックな性格の映画ということもあって、市内でもわずか1館だけの上映。それも、梅田から徒歩で20分以上もかかる場所にある、「梅田ガーデンシネマ」という客席約200ほどの小さな映画館。 僕は、夏期休暇をとった平日、午後1時からの2回目の上映を観ようと出かけたのだが、15分前に行くと、何ともう「満席」の表示が(こんなに入りがいいのなら、もっと上映館を増やせよー)(写真左=ヒトラー役のブルーノ・ガンツが凄い! 仕草も喋り方もまるで生き写しです)。 券売所に聞くと「立ち見券」ならあるとのこと。映画は2時間半もの長編。4時からの次の回にしようかと迷ったが、3時間も時間をつぶすあてもなく、覚悟を決めて立ち見券を買った。 ヒトラーはドイツ国民にとっては、忘れてしまいたい存在。ナチスの時代は負の歴史であり、誰も触れたらがらない。だから、映画で人間ヒトラーを描くなんてタブーで、これまでは誰も考えなかったという。それが今回、オリバー・ヒルシュピーゲル(監督)と、ベルント・アイヒンガー(プロデューサー&脚本)という勇気ある2人によって、映画化された。 映画は、ヒトラーが亡くなるまでの2年半、秘書だったユンゲの回想録など残された歴史的資料に基づいているうえ、全編ドイツ語でやってるが故、リアリティにも溢れる(ハリウッド映画なら、「アマデウス」のように、英語のセリフにしてリアリティを台無しにしただろう)。 秘書や愛人にはとても優しい半面、側近や部下には病的に怒鳴りまくるヒトラー、晩年パーキンソン病をわずらい(僕は、初めて知った事実)、左手が震えるヒトラー…、ヒルシュピーゲル監督は、そんな独裁者を美化することなく、出来る限り史実や証言に忠実に、一個の人間として描いている。 映画に登場する場所は、ほぼ二つだけ。ベルリンの首相官邸地下の地下要塞(司令部)と、ソビエト軍の侵攻で陥落寸前のベルリン市内。地下要塞にはヒトラーを始め、側近の閣僚、愛人のエヴァ・ブラウン(写真右の左端。エバはヒトラーと運命を共にした)、そして女性秘書のユンゲらがいる。 暗い地下で、ドイツ帝国崩壊のドラマは淡々と進んでいく。敗北を確信して逃げる者、裏切る者、ヒトラーが死んでもなおナチスに殉じる者…、側近たちの人間心理劇はとても興味深い(ちなみに、1945年の首都ベルリンのシーンは、ロシアのサンクトペテルブルグで撮影され、ドイツ兵士役のエキストラはロシア人がつとめたという。これも歴史の皮肉)。 現代では、ヒトラーは「変人」「狂人」「怪物」というイメージで語られることが多い。ユダヤ人を600万人も強制収容所へ送り、虐殺したのだから、当然と言えば当然かもしれない。しかし、そんなヒトラーを熱狂的に支持し、合法的な選挙で首相に選んだのは普通のドイツ国民だった。 彼が本当に「狂人」であったのなら、1933年から終戦まで、12年間も国のトップであり得たはずはないだろう。彼を支持した国民。そして、彼を「怪物」に仕立て上げていった側近たちの存在があってこそ、ヨーロッパを恐怖に陥れることができたのであろう(写真左=秘書を演じたのはアレクサンドラ・マリア・ララという女優さん。清楚な美しさに溢れていた)。 そういう意味では、我々もいつ同じような過ちを犯すかもしれない。「ヒトラーは過去の存在だ」「極めて例外的な人物だったのだ」と単純に考えるのは極めて危険なことだろう。ヒトラーの登場を熱烈に歓迎したのは、きっと善良な父や母であった人間だったのだから。 ユダヤ人の大量虐殺について秘書のユンゲは、「戦後のニュルンベルグ裁判まで知らなかった」と語る。イスラエルのメディアは、この映画が強制収容所のことにほとんど触れていない点を批判する。ただ、そうした部分が少なかったとしても、なぜヒトラーという怪物が存在し得たのかは、我々の理解を十分助けてくれる。 映画は、冒頭とエンディングに、晩年に録音されたユンゲの独白を入れて、終わる。「怪物の正体を知らなかった自分を今でも許せない」「若さは無知の言い訳にはならない」と。そうした構成にした点はおそらくは、監督やプロデューサーの良心であり、未来への誓いでもあろう。 ドイツ映画なんて観るのは本当に久しぶりのこと。だが、ハリウッド映画にも負けない(いや、ハリウッドを凌ぐ)完成度の高い映画である。ヒトラーを見事に演じきったブルーノ・ガンツには、ただただ称賛の言葉を贈るしかない。機会があれば、ぜひ一見をお勧めしたい。
2005/08/06
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雑誌「TOYRO BUSINESS(トイロ ビジネス)」からの転載 連載コラム【愉しみは酒の数だけ…第16回】 カクテル、バーのもう一つの「主役」この連載では過去15回、ウイスキーやジン、ワインなど主に単独のジャンルの酒をテーマにしてきた。しかし、オーセンティック・バーで提供される酒には、もう一つ重要なスターがいる。それは、言うまでもないが、「カクテル(Cocktail)」である。だが、そもそも「カクテルって何?その定義は?」「なぜカクテルって呼ぶの?」と思う読者も多かろう(写真左=世界中で毎年様々なカクテルブックが出版されている。誕生の由来を知ると楽しい?)。まず、歴史的にみれば「カクテルの定義」はこうだ。「ある酒と別の飲料(酒類を含む)等を混ぜて提供されるもの」。これは洋の東西を問わず、一般的に定着している。なので、ウイスキーとミネラル・ウォーター、炭酸水を混ぜたハイボールや水割りも広義の意味では「カクテル」である。そして、私もお客様からよく聞かれる「なぜカクテルと言うの?」という質問への答え。「Cocktail」は「Tail of Cock(雄鷄の尾っぽ)」から生まれた言葉と伝わる。しかし、なぜそう呼ぶようになったのかには諸説あって、いまだ定説はない。有名な説には、その昔、メキシコの港町の酒場にイギリスの船員がやって来た。少年が木の小枝を回してつくっていた飲み物を見て、船員は「それは何だ?」と尋ねた。すると少年は、小枝のことを聞かれたと思い、「コーラ・デ・ガジョ(La cola del gallo=雄鷄の尾っぽ)」とその愛称を答えた。船員たちは以来、ミクスト・ドリンクのことを英語風に「Cocktail」と言うようになったというのがある。他にも、「アメリカ独立戦争の時代、独立派兵士のパーティーでふるまわれた酒の瓶におんどりの尻尾の羽根が差してあったことから」「18世紀初め、米陸軍とメキシコ軍との休戦協定の宴席で、メキシコ王の娘コクテル(Coctel)がつくった酒が美味しかったことから」「ニューオーリンズで薬局を営んでいた男がラムベースの卵酒を売り出し、フランス人が多かったニューオーリンズではこれを『コクティエ』と名付けた。それがいつしか英語風の『コクテール』に転じた」等々。諸説入れ乱れているが、かえってカウンターでの“酒の肴(話のネタ)”にもなるので、面白いのではないだろうか。さてもう一つ、私が尋ねられることがとても多い質問は、「星の数ほどあるカクテルは、どう選んだら、どう頼んだらいいのか?」(写真右=「カクテルの女王」の異名を持つマンハッタン<Manhattan>。一度は味わってみたい)。確かに、オーセンティック・バーでは様々なカクテルが飲まれている。有名なものでは、マティーニ、ギムレット、マンハッタン、モヒート、マルガリータ…。「スタンダード」と言われているものでも200~300はある。初心者が戸惑うのも無理はない。そこで、せっかくなのでバーでのカクテルの注文の仕方、楽しみ方をご教授したいと思ったが、紙幅が尽きてきたので、具体的なことは、次回から。どうぞお楽しみに!
2026/09/22
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久しぶりに言葉の話題。関西以外の方は、関西弁なんて、関西へ行けばどこでも話されているし、地域でそう大きな違いはないと思っている人も多い。 確かに、いわゆるイントネーションだけで言えば、奈良出身の明石家さんまも、兵庫・尼崎出身のダウンタウンも、大阪市出身の綾戸智絵も、三重・名張育ちの平井堅(生まれは大阪だそうです)も、みんな同じ関西弁を喋っているように聞こえる。 しかし、実はそうではない。関西弁と言っても、地域ごとに微妙に、かなり違うということを知ったのは、なかでも神戸弁というのがあることを知ったのは、大学生になってからである(写真左上=神戸は港から発展した。海から見る景色は今も魅力的だ) 生まれは京都の僕だが、高校までは大阪だったので周りの友達も、大阪弁を話すエリアに住む友人がほとんどだった。たまに東京から転校生があると、クラスは、それは凄い騒ぎだった。聞いたことのない東京弁を、面白がって真似する子も多かった(写真右下=元町の旧外国人居留地には、今ではおしゃれなブランド・ショップなどが集まる。唯一今も残る洋館は、阪神大震災で全壊したが、部材を再利用してよみがえった)。 大学には、兵庫県の高校出身の同級生がたくさんいた。とくに神戸、長田、御影という有名な3つの県立高校から進学してきた人が多かった。彼らが話す関西弁は、もちろん僕には理解できたが、ところどころに、僕がそれまで聞いたことのない言い回しや単語があり、「あれ?」と思うことが時々あった。 それが「神戸弁」という、関西のある地域でしっかりと確立している方言であることを、僕は程なく知った。神戸弁のなかでも、僕が聞いて一番驚いたのは、(典型的な神戸弁でもあったのだが)例えば、動詞の語尾変化の「~とう」。 「~とう」は、標準語では「~ている」という意味。「知っとう」「書いとう」「来(き)とう」「見とう」「取っとう」などと言う。話すとき語尾を上げれば、そのまま疑問文にもなる。この「~とう」という言葉(表現)は大阪や京都では絶対に使わない。 また、標準語で「来ない」を、大阪弁では「けーへん」、京都弁では「きやへん」と言うが、神戸弁になると「こやへん」になるということも初めて知った。あと、「べっちょない」(心配ないよ、大丈夫だよ)という言葉も、(播州方面でもよく使うようだが)最初は意味が分からなかった(写真左=神戸と言えば、異人館。その代表格とも言える「風見鶏の館」) 「アホ」「バカ」に当たる言葉にも、「ダボ」という神戸弁独特の単語があるが、「ダボ」には、相手を威圧・軽蔑するというよりは、自虐的な意味もある(だから、自分に対しても使う)。あまり食べるところは少ないけれど、すぐエサに食い付いてくれる「ハゼ」のことを、「ダボハゼ」なんて言うこともあるが、これも語源は同じかもしれない。 神戸弁には、他にも面白い言い回しや言葉がたくさんある。「どないしょ(ん)?」(=どうしたの?)は、知り合い同士なら、挨拶代わりにでも使える。よく似た言葉で、「なんどいや?」(なんですか?)というのもよく使う(写真右下=開港以来、多くの外国人が住み着いた神戸。中華街=南京町=は今や神戸観光の人気スポットだ)。 「せんどぶり」(ひさしぶり)、「なしたまぁ」(おやまぁ)、「やっと」(たくさん)、「だんない」(大丈夫だよ)なども、神戸エリアでしばしば耳にする(最後の「だんない」は、地理的に近い徳島でもよく聞かれるけれど…)。 では、大阪弁と神戸弁はどの辺りが境界線なのか。阪神間の芦屋はどちらかと言えば、神戸弁。尼崎はほぼ完全に大阪弁。芦屋と尼崎の中間の西宮市辺りになると、神戸弁と大阪弁を喋る人々が混ざり合い、コミュニティを形成し、両方の言葉を聞くことができる。だから、この辺りが神戸弁と大阪弁の境界かもしれない。 神戸弁を聞きたければ、三宮か元町辺りを歩くといい(異人館の辺りは他県からの観光客も多いので、あまりおすすめはできない)。旧居留地辺りをゆっくりと散策して、これらの「神戸・お国言葉」が聞けば、きっと「あぁ、港町・神戸に来たんだなぁ…」と実感するはずである。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2005/08/30
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週末、仕事で出張があったのを機会に久しぶりに四国・松山でBAR巡りを楽しんでまいりました。以下、簡単にご報告です。【Cafe & Bar MARINECCO】前回もそうだったが、松山のBAR巡りのスタートはここが多い(笑)。市の中心部にあって、ここは早い時間からやっていて、お酒が飲めるので重宝する店。オーナーのYさんとも久々の再会だ。 お酒は一応、ビールとワインがメインだが、他にもいろいろある。何よりもフードが充実しているのが嬉しい。パスタやソーセージ、フィッシュ&チップスがとくにおすすめ。 加えて、キャパが広いのでグループでの二次会にも丁度良い。松山城へのロープウェー駅にも道後温泉へも近いし、旅の途中の一休みにも最適な店だと思う。【Bar 露口】松山に来てここに寄らないことはまずない。老舗の中の老舗。今年で53周年を迎える。こんなに居心地の良い店は、全国を探しても少ないと思うほど素敵な酒場である。 50年以上営むBARは全国にいくつかある。しかし、ほとんどは2代目、3代目。創業者のご夫婦が店を切り盛りし、50年過ぎた現在今も続いているという店は他にはないだろう。 露口の素晴らしさは、老舗であることをひけらかさない、謙虚で優しい接客姿勢、そしてご夫婦の絶妙な存在感とバランスだと僕は思う(静かで落ち着いた貴雄マスターと、明るく、トークが絶品の朝子奥様!)。 この夜、僕はある目的を持って露口にお邪魔した。実は、先日家で福西英三さんの古いカクテルブックを見ていて、「サマー・クイーン(Summer Queen)」というカクテルに出会った。そして、その説明書きを見たら、なんと「1981年のサントリー・トロピカルカクテル・コンクールのグランプリ作。作者は松山の露口朝子さん」と書いてあるではないか! 僕は腰が抜けそうになった。これまで何度も露口に行っているのに、この「サマー・クイーン」を飲んだことどころか、その名前すら知らなかったのだ。あぁ、情けない。 で、早速この日は、お願いすることに。「サマー・クイーン」=写真左=は、ジン・ベース(30ml)で、ホワイト・キュラソー(30ml)、グループフルーツ・ジュース(60ml)、レモン・ジュース(10ml)。シェイクしてクラッシュド・アイスを入れた大ぶりのグラスに注ぎ、生ミントを飾る。 現在、露口ではお酒づくりは主としてマスターが担当し、もっぱらトークで客を魅了してる朝子さんだが、昔は結構シェーカーをがんがん振っていたらしい。その姿を想像するだけで楽しい(グランプリの表彰式は東京の帝国ホテルであったとか)。 朝子さんは「そうそう、その時の写真があったかな」と言って見せてくれた一枚が、グランプリのご褒美(副賞)のニューカレドニア旅行の際のショット=写真右。「向こうのホテルのパーティーで、浴衣を着てカクテルつくったんですよ」と懐かしそうに話す。 懐かしさついでに、マスターが見せてくれたモノクロ写真がまたとても貴重なショットだ=写真左。あの伝説のジャズ・ピアニスト、デューク・ジョーダンが、松山でのコンサートの帰りにメンバーらと露口に立ち寄った際の一枚。 来店したのは1983年9月4日。露口の店内にあるJBLのスピーカーには、この時、彼が残したサインもある(他にも、僕も大好きなピアニスト、ケニー・ドリューのサインも)=写真右下。その時、もしたまたま店で一緒にいれたらどんなに幸せだったろう…。 歴史と伝統を感じさせるBARは全国にたくさんあるが、経営者夫婦の人柄が素晴らしくて、なおかつ「上質の空間」も今に伝えている酒場を、僕は他には知らない。「あと5年はなんとか頑張るつもりです」というマスター。僕が「そんなこと言わずに、札幌のやまざきさんの記録を抜いてください」と返すと、苦笑いを浮かべた。 全国の露口ファンの皆様、「Bar 露口」はまだまだ大丈夫です。今や松山だけでなく、「日本の宝」のような酒場です。一日も長く続くことを心から願うのは僕だけではないでしょう。マスター、朝子さん、またお邪魔しますのでよろしくお願いしまーす! ちなみに2軒目に行こうと思っていた「Bar 独奏」はこの日は臨時休業。Hマスターの携帯に電話をすると、間もなく露口に駆けつけてくれた。再会を喜び、しばし一献をかたむける。「独奏」にもお邪魔したかったが、次回への楽しみに置いておこう。【Bar Y2】3軒目にお邪魔したのは、初めての店。岡山で僕が馴染みにしている「Utena Bar」のFマスターから教えてもらった。 Fマスターはとくに店長のSさんについて僕に話していた。「日本全国のBARを巡ったという凄くマニアックで、面白い人」という評判だった。僕は早速、自己紹介してSさんのBAR巡りの旅のことをあれこれ尋ねる。 すると、なにやらアルバムらしきものを出してきた。それは旅日記。しかもヨーロッパやアメリカのBARやPUBを巡った詳細な記録。細かい字でびっしり書かれていて、自筆のイラストも。凄くマメな性格の方なんだなぁと思う(そういううらんかんろも似たような性格かな)。 Sさんからは、オリジナルのカクテル「ビエント(Viento)」をつくってもらった。シェリーとカルバドス、グレープフルーツ・ジュース、トニック・ウォーターを使った爽やかな味わい。スペインでの旅でヒントを得たという。最近、シェリーを使ったカクテルが気に入っている僕だから、なおさら嬉しかった。次回はもう少しゆっくりお邪魔してみたい。【Bar JuJu】最近、松山でのBAR巡りでは、ここが締めの店になることが多い。まぁ、それだけ居心地が良いという証だが…。店はビルの2・3Fにあり、3Fにはテーブル席もあるが、僕は2Fのカウンター席で飲むのが好きだ。 ビールでもワインでもカクテルでもウイスキーでもなんでも来いというお酒の品揃えに加えて、フードもめちゃ充実している。僕はJuJuにたどり着く時間帯になると、小腹がすいてくるのでとても有難い店だ。 Fマスターにご挨拶して再会を喜ぶ。マスターはそう口数の多い方ではないが、接客はいつも実に親切でスマートだ。木曜の夜なので、店内は結構賑やか。地元の人にいつも愛されているなぁと実感できる店だ。 松山のマスターの皆様、そして朝子様、素晴らしい夜を有難うございました! いつ来ても懐かしくて、心地よい時間を提供してくれて感謝しています。近いうちの再会を楽しみにしていまーす。【番外編:鶏舎】BAR巡りの前に腹ごしらえをしたのは、今回は、一緒に同行した友人が「おすすめ」という、おしゃれな鶏がメインの串焼き屋さん。その名は「鶏舎(こっこや)」というが、いいネタ、いい仕事、まさにお手本のような店。鶏肉は歯ごたえがあって旨いし、ニラを薄い豚肉で巻いた串も絶品だ。 ご夫婦で営んでいるが、地元でのあまりの人気で忙しいため、電話に出るヒマもない。「だから、申し訳ないけど電話を外してしまったんですよー」とご主人。お値段もめちゃリーズナブルで、僕も自信を持っておすすめできる店です。電話がないので早めに行ってくださーい(松山市二番町2-7-15 YOSHIDAビル1F 午後6時開店)。【Cafe & Bar MARINECCO】松山市大街道3-1-3 089-935-5896 午後5時~午前0時 日休 【Bar 露口】松山市二番町2-1-4 921-5364 7時~0時 日祝休 【Bar Y2】松山市一番町1-2-7 大森ビル1F 945-9818 7時~4時 日休 【Bar JuJu】松山市一番町2-4-2 モナーク2F 932-4536 6時~2時 日休 ※【Bar 独奏】松山市二番町2-2-3 まるはビル2F 935-6800 6時~深夜 不定休・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/07/30
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その18:BARと酒をめぐる雑学(2) ◆洋酒に出会った最初の日本人は? 1549年(天文18年)8月、宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する。ザビエルはワインを数多く持参していた(ただし、当時は保存技術も発達していなかったこともあり、長い距離を運ぶことを考えれば、おそらくは温度変化に強いポート・ワインかブランデーに近い酒精強化ワインではなかったか)。 そしてザビエルは1カ月後、薩摩藩主の島津貴久に謁見する。布教の許可を得るために、ザビエルがワインを献上したことは十分に考えられる。従って史実にもとづく可能性という点では、日本で最初に洋酒を味わったのは、おそらく藩主・島津とその重臣らだったのではないかと、うらんかんろは想像している。 ザビエルはその後、約1年間鹿児島で宣教活動した。ワインはミサで使うだけでなく、布教のための“道具”として家臣らの接待に使ったに違いない(来日翌年には、周防・長門の大名・大内義隆にワインを献上した記録も残る)。他にも織田信長や豊臣秀吉らが、謁見した宣教師や南蛮貿易の商人らと一緒にワインを楽しんだという話は有名だが、一般庶民がワインを味わえるようになるには江戸末期まで待たなければならなかった。 ◆日本の酒に出会った最初の西洋人は? 一方、外国人が最初に飲んだ日本の酒は、おそらくはザビエルが来日する6年前の1543年(天文12年)、種子島に鉄砲を持ち込んだポルトガル人が味わった焼酎か「どぶろく」だったのではないか。江戸期の長い鎖国時代は、オランダ人などごく一部の外国人が長崎・出島などで日本酒をたしなんだのだろうが、母国へ持ち帰って紹介するということはなかった。長い輸送時間中の保存技術がなかった時代だから、やむを得ないだろう。 その後、1853年(嘉永6年)と翌54年(同7年)、日本に開国を迫るため、米国からペリー艦隊が黒船を率いて浦賀沖にやって来た。ペリー提督一行をもてなすために、幕府が出した料理や酒の記録が残っているが、その酒とは「保命酒」(ほうめいしゅ)という備後・福山生まれの酒だった。「保命酒」についてはかつてブログで一度取り上げたが、熟成感のあるリキュールのような酒である。ロックで飲むとなかなか旨い。米国人が飲んだ初めての日本の酒であったが、果たしてペリーは「旨い」と言ったのかどうか。 ◆正倉院とワイングラス ワインは古代エジプトやローマの頃から飲まれていたことが分かっている。ただし、当時のワインは葡萄酒にハチミツやスパイスを壺の中で熟成させ、時には温めて飲んだというから、今のワインとはかなり趣の違った酒だったろう。我が国でも奈良の正倉院に保存されている御物のなかに、聖武天皇(701~756)愛用のワイングラス(白瑠璃碗)=写真右 ( C )宮内庁正倉院事務所=が残っている。 シルクロードを通って伝えられたササン朝ペルシャ(西暦226~651)時代のグラスで、御物の中でも「螺鈿紫檀(らでんしだん)五弦琵琶」と並ぶ超一級の文化財だ。ワインそのものはペルシャや唐の都・長安などではよく飲まれていたらしいが、残念ながら、聖武天皇自身がこのグラスでワインを飲んだかは定かでない。もし飲まれたという記録があるなら、洋酒を飲んだ最初の日本人ということになる。 正倉院御物の中にはワインの瓶のようなものもあるが、当時宮中でワインは飲まれていたのだろうか?(どなたかご存じでしたらご教示を!)。もし8世紀当時、渡来人によってワインが日本へ持ち込まれていたとしても、前項でも書いたように、長期輸送のための保存技術が発達していなかった時代。どんな味わいだったのか興味は尽きない。 ◆有名人とカクテル 有名人にまつわるカクテルはいろいろある。代表的なものを少し紹介しておくと――。 (1)マティーニ 英国の元首相ウィンストン・チャーチル(1874~1965)が愛したカクテル。彼はとてもドライなマティーニが好きで、最初は、ジン1に対して10~15分の1のドライ・ベルモットを加えるレシピ(普通はジン5に対しドライ・ベルモット1の割合)で飲んでいたが、そのうちドライ・ベルモットは加えずに、ただボトルを眺めながらマティーニを飲むようになったという逸話が伝わっている。 「007」のジェームズ・ボンドが愛したのもマティーニ。だが、ボンドのマティーニは、ジン90ml、ウオッカ30ml、キナ・リレ(ベルモットに似たワインベースのリキュール)15mlというちょっと変わったレシピ。ちなみに考案したのは原作者のイアン・フレミングという。映画では、ボンドの「Vodka Martini, shaken, not stirred(ウオッカベース、シェイクして)」という決めゼリフで有名なシェイク・スタイルのマティーニもよく登場する。 (2)フローズン・ダイキリ(マルガリータ)、モヒート ともにキューバのハバナに暮らした文豪アーネスト・ヘミングウェイがこよなく愛したカクテル。彼がフローズン・ダイキリ(またはマルガリータ)を飲むためによく通った「バー・フロリディータ」と、もっぱらモヒートを飲むために訪れた「バー・ボデギータ」では、今では観光客が、これらのカクテルを競い合うように頼むという。 (3)シンガポール・スリング シンガポールのラッフルズ・ホテル内の「Long Bar」で生まれ、このホテルに滞在した文豪サマセット・モームが愛したカクテルとして、あまりにも有名。しかし今日我々が飲んでいるレシピは、その後ロンドンのサヴォイ・ホテルのバーテンダーが改良したもので、オリジナル・レシピとは違う部分が多い。「Long Bar」では今もこのカクテルが人気No1という。 (4)ギムレット 創作上の人物だが、レイモンド・チャンドラー作の推理小説「長いお別れ」に出てくる探偵、フィリップ・マーロウが好んだカクテル。「ギムレットには早すぎる」というセリフがあまりにも有名。 (5)テキーラ・サンライズ ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが、1972年のメキシコでのツアー中に好んで飲んだことから、その後世界中に大ブレイクしたカクテル。その後、イーグルスがこのカクテルの名前を曲のタイトルにし、これがヒットしたことからさらに有名になった。 ◆日本のBARで人気のカクテルは? NBA(日本バーテンダー協会)の2007年度の会員アンケート調査によれば、各店でオーダーの多い人気のカクテル「総合ベスト10」は(1)ジン・トニック、(2)マティーニ、(3)ギムレット、(4)ソルティ・ドッグ、(5)モスコー・ミュール、(6)サイドカー、(7)ジン・リッキー、(8)ダイキリ、(9)スプモーニ、(10)マルガリータという順位になっている。最近の傾向として、ジン・ベースのきりっとしたカクテルが好まれる傾向にあるようだ。 これが女性客だけに限った調査だと、(1)スプモーニ、(2)ソルティ・ドッグ、(3)ジン・トニック、(4)チャイナ・ブルー、(5)カシス・オレンジ、(6)ファジー・ネーブル、(7)モスコー・ミュール、(8)カルア・ミルク、(9)カシス・ソーダ、(10)シー・ブリーズ、ホワイト・レディ(同点)だったそうな。ご覧のように、甘口、中甘口の飲みやすいカクテルにやはり人気は集まっていて、辛口、中辛口なのはマティーニ、ギムレット、ジン・リッキーくらい。貴方がカクテルの初心者であれば、こうした有名かつ人気のあるものの中から一つずつ制覇していくのがいいだろう。 上記以外で人気ランキングによく顔を出すカクテルは、ジン・フィズ、スクリュー・ドライバー、シンガポール・スリング、マンハッタン、XYZ、グラスホッパー、トム・コリンズ、カンパリ・ソーダ、カンパリ・オレンジ、キール、ボストン・クーラー、ブルー・ハワイ等々。しかしあまりポピュラーでないカクテルの中にも、美味しいものはたくさんある。知らないカクテルの中から、旨いカクテルを見つけた時は、砂金探しで金を見つけた時のような嬉しさがある。 ◆世界で・日本で人気のウイスキー 洋酒をまだ「舶来の酒」と言っていた1950~60年代の頃、酒には特級、一級、二級という格付けがあった(「従価税」制度=1990年に撤廃された)。その頃、日本国内の酒屋で売っていたウイスキーと言えば、ジョニー・ウォーカーの赤、黒、シーバス・リーガル、オールド・パーくらいで、値段もジョニ赤で6~7千円、黒だと1万円前後、シーバスやパーは1万5千円~2万円くらいする貴重な酒だった。 今では従価税も撤廃されて関税も下がり、並行輸入品も増えたおかげで、3分の1くらいの値段になったのは非常に嬉しい。さらに、国産でも素晴らしい味わいのモルトやブレンディドが造られるようになり、洋酒好きにとっては、今ほど幸せな時代はないかもしれない。 ちなみに、大阪のある有名酒販店での最近のウイスキー売れ行きベスト10は、モルトだと(1)山崎12年、(2)ラガヴーリン16年、(3)マッカラン12年、(4)余市12年、(5)グレンリベット、(6)タリスカー10年、(7)グレンフィディック、(8)ボウモア12年、(9)ラフロイグ10年、(10)白州12年という順位だった。ベスト10にアイラ島産のシングル・モルトが3本。ここまで人気が定着してくるとは…隔世の感がある。ちなみに世界一の販売量を誇るモルトは7位のグレンフィディックという。 一方、ブレンディドのベスト10は、(1)バランタイン、(2)シーバス・リーガル、(3)カティー・サーク、(4)響17年、(5)ジョニー・ウォーカー黒、(6)オールド・パー、(7)ニッカ・クリアブレンド、(8)デュワーズ・ホワイトラベル、(9)角、(10)ホワイト・ホースという。日本ではこのようなランキングだが、世界に目を向けてみると、J&B、フェイマス・グラウス、ベル、ブラック&ホワイト、ヘイグという銘柄も今なお根強い人気を保っている。【御礼&おことわり】「BARと酒をめぐる雑学」の項の執筆にあたっては、ここに記しきれないほどの数多くの先人の書物のほかに、様々な会社、団体、個人のホームページ(HP)を参考にさせていただきました。ここに改めて深く感謝の気持ちを伝えたいと思います。定説がないものについては断定的な記述をするのは避け、諸説あるものについてはできるだけ紹介したつもりですが、間違い・勘違い等がありましたら、遠慮なくご指摘くだされば幸いです。謹んで修正させていただきます。【その19へ続く】 ※20回で終了予定です。【おことわり】「正倉院の白瑠璃碗」の写真以外は本文内容とは直接関係ありません。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/02/13
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家で深夜、独りで静かに飲みたい時は誰にでもある。夜はすべての苦しみを癒し、酒はすべての悩みを一瞬忘れさせてくれる。そんな夜に、貴方は何を飲みながら、どんな音楽を聴くのだろうか? 僕なら、まず迷わずジャズを聴く。それもジャズ・ピアノの演奏が多い。できればトリオで、そしてバラードのような、スローなゆったりとした演奏がいい。ピアノ・トリオの次には、サックスの入ったクァルテットも、好きで、よく聴いている。 ピアノ・バラードが一番好きな僕は、ジャズと言えば、昔はほとんどピアノ・トリオばかりを聴いてきた。管楽器をやっている人には申し訳ないのだが、トランペットの、あの甲高い音をメインにしたジャズは苦手だ。だから、ファンには怒られるかもしれないが、マイルスのレコードはほとんど持っていない。 そんな僕だけれど、管楽器でもサキソフォーンの入ったはジャズも、結構聴く。レコードも何枚か持っている。有名なソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」などは愛聴盤だ。でも、僕が一番好きなのはやはり、ジョン・コルトレーン(写真左上=コルトレーンのアルバムで最も人気があり、僕もやはり一番好きなのは1962年発表の、この「バラード」。聴けば心がとろけます)。 コルトレーンと言えば、わずか12年間のプロ活動の間に、創造的なジャズを作り上げ、歴史に残る数々の名盤を残した巨人。ジャズを志したミュージシャンで、自分の演奏する楽器が何であれ、コルトレーンに畏敬の念を払わない人はいないだろう。 1926年9月、米国ノース・カロライナ州ハムレットに生まれた彼は、高校時代からバンドを始め、後にフィラデルフィアに移住後、プロ楽団のサックス奏者になる。その後50年代半ばにマイルス・デイビスに認められ、彼のクインテットのメンバーになった。 マイルスのバンドで音楽的にも大きく成長したコルトレーンは、バンドの脱退・再加入を繰り返しながら、基本的にはソロ活動の中で、自ら理想とするジャズを築きあげていく。コルトレーンの革新性は、独特の音階(スケール)によるアドリブ・フレーズ、そして、まるで神が乗り移ったようなテンポの演奏(写真左下=コルトレーンのもう一つの代表作「Blue Train」=57年発表)。 それまでのジャズでは、どちらかと言えば、脇役っぽい感じだったサキソフォーンという楽器を、一躍主役に立たせた功績は計り知れない。加えて言えば、ソプラノ・サックスという、それまでジャズ奏者がほとんど使わなかった楽器を積極的に取りあげたことも特筆されるだろう。 アルバム「バラード」の1曲目で、テナーで吹いた代表曲「Say It」はもう、涙が出るほど美しいが、ミュージカルの名曲をアレンジした「My Favorite Things」も、彼のソプラノ・サックスなくしてはあり得ない素晴らしい演奏だ(写真右上=「My Favorite Things」の収録されている同名タイトルのアルバム=60年発表)。 残念ながら、コルトレーンは1967年7月、肝臓病のため40歳の若さで世を去った。晩年(?)の彼は、インド音楽に興味を示したり、即興演奏中心のフリー・ジャズにも傾倒するなど、常に時代の一歩先を行ったミュージシャンだった(写真右下=ジョニー・ハートマンのボーカルとのコラボで録音した「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」は、その後、ジャズの歴史に残る演奏となった=63年発表)。 コルトレーンのことを「20年か30年くらい、早く生まれ過ぎた天才」と評した音楽評論家がいたが、全力で走り過ぎて、そして早く逝きすぎてしまった天才だと、僕も思う。悔やまれぬのは生前の彼の生演奏が聴けなかったこと(今さら言ってもどうしようもないが…)。 僕が大人になった頃、コルトレーンはもうこの世にいなかった。21世紀の今、僕は、彼の残した素晴らしい伝説(演奏)を聴き、その音楽的な革新性に驚き、ただ至上の幸福を感じるしかない。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/12/22
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ジャズのヴォーカル・アルバムでは聴くのは女性歌手が多くて、男性歌手のアルバムはわずかしか持っていない。別に男性を毛嫌いしているわけじゃないんだけど、ジャズの歌ものは、なぜか女声の方がしっとりくる。 そんな男性ジャズ・ヴォーカルだが、トニー・ベネット(Tony Bennett)だけは別格で、アルバムをいくつか持っていて、比較的よく聴く。 ベネットはあまり奇をてらった歌い方をしない。原曲のメロディーを大切にしながら歌う、正統派のジャズ歌手と言ってもいいだろう。 だから、安心して聴ける彼のアルバムは、ジャズ・ヴォーカルの入門アルバムとしてはぴったりかもしれない。 1926年8月、米国ニューヨーク生まれというから、ことし80歳。10歳の時からステージに立っていたというから、音楽生活はなんと70年! 「霧のサンフランシスコ」(写真右下=同名のタイトルのアルバム)という大ヒット曲の生みの親。そして、80歳にしてなお精力的な音楽活動を続ける偉大なエンターテイナー。その彼が、超豪華なデュエット・アルバムをつくってくれました。 10月24日に発売されたばかりの国内盤(タイトルもそのものずばり「Duets:An American Classic」)=写真左上=を、早速買い求めました(輸入盤には歌詞が付いていません。だから買うなら絶対国内盤!)。 この「Duets」、1曲を除いてすべてデュエット。とにかく共演しているアーチストの顔ぶれが凄い! 長いキャリアもあって、他のアーチストから尊敬されているベネットだからこそ実現できたアルバムだろう。 ポール・マッカートニー、バーブラ・ストライサンド、ジェームス・テイラー、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、セリーヌ・ディオン、ダイアナ・クラール、スティービー・ワンダー、エルビス・コステロ、スティング、ボノ、ジョージ・マイケル…と、まだまだいるんだけど書ききれないので、あとはCDを見てください。 曲は、ベネットが長年歌ってきた美しいスタンダードからの選曲だから、文句なし。唯一、スティービー・ワンダーとは、スティービーの曲「For Once In My Life」を歌っているけれど、これがまためちゃいい感じに仕上がっている。 ベネットは全編とてもリラックスした感じで歌っている。歌の合間には、共演者にジョークを飛ばしたりと実に楽しそうな録音。その雰囲気がまたいい(円熟っていうのはこういうのを言うんだろうなぁ…)。 しかも20曲も(輸入盤は19曲)入っていて、定価は2520円だから、凄いお買い得感! ジャズ好きな方はもちろん、日頃ジャズを聴かない方でも、きっとお気に入りの1枚になること保証します。 最後に一つ。ベネットと言えば、以前にブログのトップ・ページで紹介したビル・エバンスとのヴォーカル・アルバム「The Tony Bennett/Bill Evans Album」(写真左)も不朽の名盤。名曲「My Foolish Heart」をこれほど美しく歌い上げた歌手を、僕は他には知らない。まだ聴いていない方はぜひこちらもどうぞ! 80歳にしてなお輝き続けるトニー・ベネット。何歳になっても音楽への情熱を失わず、新しい挑戦をする。僕も、彼みたいなおじいちゃんになりたいなぁ。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/10/28
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44.ジョン・コリンズ(John Collins)& トム・コリンズ(Tom Collins)【現代の標準的レシピ】ジョン・コリンズ= ジンベース・ヴァージョン → オランダジン(60)、レモン・ジュース(20)、シュガー・シロップ2tsp、氷、ソーダ(適量)、マラスキーノ・チェリー、レモン・スライス ウイスキーベース・ヴァージョン → ウイスキー(60)、レモン・ジュース(20)、シュガー・シロップ2tsp、氷、ソーダ(適量)、マラスキーノ・チェリー、レモン・スライス(ウイスキーはバーボンを使うケースが多い) トム・コリンズ= ロンドン・ドライジン(45~60)、レモン・ジュース(15)、シュガー・シロップ1tsp、ソーダ(適量)、飾り=レモン・スライス&チェリー【スタイル】ジョン・コリンズ=ビルド、トム・コリンズ=ビルドまたはソーダ以外をシェイク ※グラスは、トール・グラス(大ぶりのコリンズ・グラス)を使うのが一般的です。 「ジョン・コリンズ」と「トム・コリンズ」という紛らわしい名前の2つのカクテルがあります。それぞれに由来があり、また関係しているので、この稿ではまとめて取り上げたいと思います。 「ジョン・コリンズ」は、「1860年代(少なくとも1869年以前に)、ロンドンのリマーズ・ホテル(The Limmer’s Hotel)にいた英国人、ジョン・コリンズ(John Collins)というバーテンダーが考案。カクテルも彼の名前にちなんで『ジョン・コリンズ』と呼ばれるようになった」と伝わっています(出典:Wikipedia英語版ほか多数)。 当初の「ジョン・コリンズ」はオランダ産の「ジュネヴァ・ジン」を使うことが多かったのですが、英国産の「オールドトム・ジン」を使うのが主流になっていく過程で、いつしか「トム・コリンズ」と呼ばれるようになったと言われています(出典:欧米の複数の専門サイトほか)。 そして、「ジョン・コリンズ」の方は、従来のオランダジンを使う場合に限定して使われるようになりました。一方で、1950年代頃からは、ウイスキー・ベースの「ジョン・コリンズ」も登場するようになり、現代ではこの2つのベースの「ジョン・コリンズ」が混在している状態です(出典:Wikipedia日本語版や欧米の複数の専門サイト等)。 文献で確認できる最も古い「ジョン・コリンズ」のレシピは、英国で1869年に出版された「The Steward and Barkeeper's Manual」と言われていますが、「オールドトム・ジン1Wineglass、レモン・ジュース半個分、パウダー・シュガー1tsp、ソーダ(ボトル1本分)」となっています(出典:Wikipedia英語版)。 カクテルについての著名な歴史研究家デビッド・ワンドリッチ氏は「1850年代にはニューヨークに伝わっていたジョン・コリンズのレシピは、19世紀前半にロンドンの社交クラブで飲まれていたジン・パンチのレシピに極めてよく似ている」として、ジョン・コリンズもジン・パンチも、「ジン&レモンジュース&ソーダ」カクテルの延長線上で生まれたドリンクではないかという見方を示しています(出典:同)。 「ジョン・コリンズ」が「トム・コリンズ」と呼ばれるようになったのは、上記で述べたようにオランダ・ジンが英国産のオールドトム・ジンにとって代わられたことが大きな理由と考えられていますが、「トム・コリンズ」の名前の普及に最も大きな影響力を持ったのは、”カクテルの父”とも言われる米国人バーテンダー、ジェリー・トーマス(1830~1885)です。 「トム・コリンズ」というカクテルは、トーマスが1876年に出版した「How To Mix Drinks」改訂版で、(印刷物として)初めて紹介されたと言われていますが、「トム・コリンズ」の名がトーマス自身の命名なのか、それ以前から(英国でも)こう呼んでいたのかはよく分かりません(Wikipedia英語版は、「18世紀末のアイルランド独立戦争時の政治家トム・コリンズに捧げられたカクテルという説もある」と紹介していますが、その根拠は示していません。結局のところ、誰が「トム・コリンズ」と最初に呼び始めたのかは、現時点では謎のままです)。 ちなみにトーマスのレシピを紹介しておきますと、「ジン1Large Wineglass、レモン・ジュース小1個分、ガム・シロップ5~6dash、氷2~3個、ソーダ」となっています(※ジンの銘柄は指定していません)。 なおWikipedia英語版は、「チャールズ・スキナーという米国人作家が1898年、『トム・コリンズは、米国人のつくったカクテルだが、欧州人の好奇心を刺激し、英国やフランス、ドイツにアメリカン・バーを根付かせることに大きく貢献した』と記している」と紹介していますが、このスキナー氏が何を根拠に米国発祥説を唱えているかには触れていません(まぁ、我々日本人には、トム・コリンズの発祥が英国であれ、米国であれ、それはどうでもよいことかもしれませんが)。 いずれにしても、ニューヨークなど全米の大都市では、オールドトム・ジンを使った「トム・コリンズ」は、1878年までには普通に飲まれるカクテルになっていたとのことです(出典:Wikipedia英語版)。 参考までに記しておきますと、有名なハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)のカクテルブック「ABC of Mixing Cocktails」(1919年に英国で初版刊)では、ジョン・コリンズ(ベースはオランダ・ジン)は登場しますが、トム・コリンズはありません。 また、「サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)」(1930年に英国で初版刊)には、ジョン・コリンズ、トム・コリンズの両方が収録されています。ベースはそれぞれオランダジン、ロンドン・ドライジン(※1920年代になると、甘口のオールドトム・ジンに代わって辛口のドライジンが主流になってきたためか)となっています。 なお、ウイスキー・ベースのジョン・コリンズは、欧米では少なくとも1950年代には誕生していたと考えられていますが、カクテルブックに登場するのはかなり後になってからです。現時点で確認できた限りでは、ポケット・バーブック(M.ジャクソン著、1981年刊)の掲載例が最初です。ちなみに、ベースのウイスキーがスコッチなら「サンディ・コリンズ」、バーボンなら「カーネル・コリンズ」、アイリッシュなら「マイク・コリンズ」という別名のカクテルとなるとのことです。【確認できる日本初出資料】ジョン・コリンズ=「カクテル(混合酒調合法)」(秋山徳蔵著、1924年刊)=ジン・ベース。※ウイスキー・ベースのジョン・コリンズについては「カクテール全書」(木村与三男著、1962年刊)が現時点では日本初出 / トム・コリンズ=「洋酒調合法」(高野新太郎編)。レシピは「オールドトム・ジン1杯、ライム・ジュース3~4dash、シュガー4分の3tsp、ソーダ、氷」となっています。
2017/04/09
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コロナ禍のため、約1年も開催できていなかったバーUKの音楽ライブが帰って参りました。以下の日程で、参加者限定のジャズライブを開催いたします。過去に2度、バーUKで楽しいライブを聴かせてくださった戸倉洋子さんが、ジャズ・ギターの名手・能勢英史さんとのコラボで久々の出演です。皆様のご来場を心よりお待ちしております。日時:12月24日(金)午後7時半から2ステージところ:大阪市北区曾根崎新地1-5-20 大川ビル地下1階 Bar UK(電話06-6342-0035)出演:戸倉洋子(Vo)& 能勢英史(Gt)MC:2500円(別途ドリンクの料金が必要です)参加定員:8名お申込み:店(バーUK)まで営業時間中にお電話でお願い致します(早期に満席になることが予想されます。お早めにお申し込みください)。【お願い】店内のスペースに限りがあるため、ライブ当日は大きなお荷物のお持ち込みはお断りさせて頂きますので、何卒ご協力を宜しくお願いいたします。【出演者紹介】戸倉洋子:本職(同時通訳業)のかたわら、関西各地を拠点にライブハウスなどで精力的に活動する異色のシンガー。ジャズを中心に幅広いジャンルをこなす。本職で培ったスキルを生かしたジャズナンバーの英語での表現力も高く評価されている。絶妙のトークも人気で、ついつい喋り過ぎてしまうが、それがまた大きな魅力でもある。能勢英史:19歳の頃より演奏活動を始め、国内外様々なプレイヤーとのセッション、ギグを経験してきた。メロディックでスインギーなプレイでサイドメンとして多数の録音に参加。7弦ギターの演奏にも取り組み、ソロやヴォーカルの伴奏など小編成でのギターワークも追求している。「宮下博行DUO」「魚谷のぶまさTRIO」「THE SKYGATE TRIO」などに参加し、関西を中心に活動中。
2021/11/14
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バーUKにお越しになる若い世代のお客様から時々、「オーセンティック・バーのマナーとして絶対に知っておいた方がいいルールとかマナーはありますか?」という質問を受けることがあります。バーでのルールやマナーは、永遠に変わらないものもありますが、その時代に応じて変わるものもあります。 最近、SNS上でいろんな方々(オーセンティック・バーのマスターや通い慣れている年配のお客様など)から、ルールやマナーについて様々な投稿がありました。そこで、そうした投稿も参考にしながら私自身も、2022年の現在、世代に関係なく覚えておいた方がよいと考える20のルールとマナーを挙げてみました(他の方の提案で私も同意できるルールについては、ほぼそのまま採用させてもらっているものもあります)。 おそらく、これだけを覚えて実践すれば、貴方はきっとオーセンティック・バーで「大人」として丁重な扱いを受け、楽しく充実した時間が過ごせるはずだと信じています。 <知っておきたいバーでの大人のマナー20カ条>1.酒場に相応しい服装で出かけ、いつもより「ちょっとカッコいい大人」であろうと努力する。2.店に入った時、または席に着くまでに店主やスタッフと挨拶を交す。3.言葉遣い・会話は人格、品格を映す。丁寧な言葉遣いをし、場に相応しい会話内容に注意する。4.お酒は大切に、美味しい状態のうちに飲む。ショート・カクテルはだらだらと飲まず、1杯20分を目安に味わう。バーは無料の休息空間ではない。概ね30分に1杯は何か注文する。お酒を残すときはひとこと言い添える。5.バーテンダーの方を「バーテン」と呼ばない。「バーテンダーさん」と呼んであげよう(「バーテン」とは、80年代以前に客が使っていた「蔑称」であり、現代の仕事に誇りを持つバーテンダーは嫌がる呼び方である)。6. お酒の話で知ったかぶりをしない。知らないことは店主に聞く。7.マスター(バーテンダー)を一人で独占しない。お酒をつくっている時はできるだけ話しかけない。8.カウンターや棚のボトルは、勝手に手に取ってはいけない。手に取って見たいときは店主の許可を得る。9.カウンターには鞄などの物は置かない。また、できるだけ肘はつかないで飲む。10.店内で男女でベタベタしない(同行した人の身体には触らない。キスは店外でする)。11.会話の声の大きさに注意する。大声で喋らず、騒がず、静かに飲む。12.むやみに他の客に話しかけたり、他人の話に絡んだりしない、話題に入る場合も批判はしない。また、他の客をじーっと見ないこと(感じが悪いし、喧嘩の原因になることもある)。13.バーで異性を口説くのはご法度。バーはナンパの場ではない。14. 飲んでも飲まれるな。カウンターで眠らない、泣かない、吐かない。自分の適量を知り、ペース配分に気を付け、限度を守る。飲み過ぎたと思う時は、店に迷惑をかける前に素直に帰宅する。15.トイレの利用は短時間できれいに(次に待っている人がいます)。16.長居は無用。混んできて、満席になったら、新しく来た人に席を譲る。17. 喫煙はその店のルールを守り、許されている場合でも隣客に気遣い、煙の行き先を注意しながら嗜むこと(葉巻やパイプ煙草は臭いがキツいので店主の許可を取る。バーUKのように、店によってはNGである場合も)。18.携帯電話は基本、店内ではNG。店の外で使うこと。19.店内風景やボトル、カクテルなどを写真に撮る時は店主の許可をとること。フラッシュはたかない。20. できるだけ現金ですっきり払う(十分な現金の用意をし、割り勘でぐずぐずしない)。
2022/04/24
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広島への出張も終わりに近づき、うらんかんろの広島BAR巡りもいったんは休止ということになった。で、最後に訪れてみようと思ったのは、「黒水仙」という少し風変わりな名前のBAR。東京在住のBARに詳しい友人からも、「やはり黒水仙ははずせないよ」と言われたこともある。 店は広島市内の盛り場「流川」のど真ん中にある。店にお邪魔すると、カウンターの中にはなぜか上品そうな女性が1人。客はソファ席に3人連れが1組。とりあえず、僕はカウンターに座り、グレンリベットの水割りを頼む。 「どちらからのご紹介ですか?」と聞かれ、「いえ、大阪から出張で来て寄らせていただきました。有名なお店なので…」と言うと、「マスターはすぐ帰ってきますので…待っててくださいね」とその女性。 マスターは確かにすぐに帰ってきた。マスターの名前は上野誠一さん。今年75歳になられるが、元気そのもの。創業52年といい、おそらくは広島の現役最古参バーテンダー。先ほどの上品な女性は奥様だと分かった(写真左=マスターとの2ショット)。 「一度来てみたかったんですよ」と伝えると、上野さんは「それはそれは、ようこそ。数ある店から、うちなんぞを選んでもらって有難うございます、**さん」と早速僕を名前で呼んでくれる。 「大阪と言えば、**さんとか、**さんはご存じですか? 仲良くさせてもらってるんですよ」と上野さん。もちろん僕も知っているバーテンダーです。こうなれば話ははずんで、僕が主導権をとれます(笑)。 上野さんは耳が少し不自由で、イヤホン付きの補聴器を付けておられる。しかもiPodのようなタイプの補聴器で、両耳からイヤホンがぶら下がっている。「若者のウオークマンみたいで、いっときは仕事中に音楽聴くなんてけしからんなんて誤解されてねー。ワハハ」と愉快な伯父さんだ。 2杯目はボウモアをストレートで頂く。店内は洋館の応接間のような雰囲気。椅子も高級そうで座り心地はとてもいい。「何度も聞かれて飽きてるでしょうけど」と前置きして、店名のいわれを尋ねると、「私の大好きな、映画の題名からとりました。デボラ・カーっていう女優が出ている映画です」という。なるほど。 実は、事前にネットでこの黒水仙を訪れた人の感想をいくつか読んでいた。「常連度が高い、サロンのような店」「少々値段が高い」「本当に酒の味が分かる歳になるまでは行ってはいけない」等々(写真右=カウンターは高級感あふれる雰囲気です)。 しかし、結論から言えば、そんなに肩肘張るようなBARではない。お値段も大阪・北新地の普通のBAR程度のお値段で、僕は良心的だと思った(広島にしては少し高いのかもしれないが…)。そして、歳に関係なく自然体で楽しめばいい酒場だと思う。何よりも、今行かなければこういう伝説的な店にはこれから出会えませんぞ。 上野さん、心からのもてなし有難うございました。貴方は「広島のBARの宝」のような存在です。次回またお邪魔できる日まで、どうかお元気でー! 【Bar黒水仙】広島市中区流川町2-20 SS館5F 電話082-242-2000 午後7時~午前1時 日祝休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/03/01
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成田一徹切り絵原画・販売用小作品の紹介(2)です。 ※絵のタイトルは、原則「仮のもの」です。絵のサイズの単位はミリ。 「マッチ売りの少女」 サイズ=147×112 価格=¥10,000 「男たち」 サイズ=203×136 価格=¥25,000 「クリ」 サイズ=84×90 価格=¥12,000 「椿一輪」 サイズ=265×150 価格=¥50,000(※価格が改定されました) 「朝顔」 サイズ=200×160 価格=¥60,000 「タンポポと高層ビル(都庁)」 サイズ=220×91 価格=¥40,000 「トンボと稲穂」 サイズ=200×135 価格=¥30,000 「サクラ①」 サイズ=113×95 価格=¥15,000 「サクラ②」 サイズ=105×94 価格=¥10,000 =SOLD 「紅葉」 サイズ=100×98 価格=¥10,000こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/01/14
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ブログでお店のことを書く際の法律上の注意点について、友人でもある弁護士のやまうちんさんがお忙しい中、私の度重なる質問に、法律家として的確な助言を下さいました。この場を借りて心から感謝いたします。 せっかくなので、頂いた貴重な助言に、その後私が改めて確認した(学んだ)名誉毀損罪等の一般的・基礎知識を参考にしながら、自戒を込めて自分なりにポイントを整理してみました。ブログなどSNSをされている方には、きっと参考になると思いますし、かつ常に頭の片隅に覚えておかねばならない大切なルールだと思います。 (※やまうちんさん、もし小生の理解・解釈が間違っていたら、ご指摘くださいませ。他にも、この辺りの法律に詳しい方がいらっしゃれば、よろしくお願いいたします)。1.訪れたお店を感想等を了解なくネット上で書いてよいのか? 店側の了解を取る必要はありません。私たちは公権力との関係では、「表現の自由」(憲法第21条)を有しています。私人の間においても、書きたいことを書くに際して了解を取らないといけないような義務などはありません。感想、意見、論評の程度であれば、まず何の問題もありません。「世間に出て自分の顔と名前で商売をしながら、『了解もなく書いてくれるな』と言うのは不合理」というのが法律解釈上の多数意見です。 ただし(※この段落は私の意見です)、了解なく書いたことを後に店側が知って、「了解なしに書くのは違法行為」という間違った認識を持っていた場合はトラブルことになります。しかし、もし好意的な紹介内容なら、書かれて困るという店はほとんどないでしょう。私もそういうクレームは過去一度も受けていません。そのためにも、普段から馴染みの店とは良好な信頼関係を保ち、旅先で初めて訪れた店には好印象を与えておくことも大切でしょう。2.書いた内容で問題になるケースは? 書いた内容が、誹謗中傷であったり、ことさらに他人の名誉やプライバシーを侵害するものであったり、虚偽の事実によって営業を妨害するようなものであったりした場合は、民事上または刑事上の責任を問われるのは当然です(侮辱罪、名誉毀損罪、偽計業務妨害罪等)。 しばしば問題になる「名誉毀損」の場合、名誉毀損罪が成立するのは、「公然と」「事実を摘示し」「他人の社会的評価が害される危険を生じさせる(た)」場合です。「公然と」とは「不特定多数に知れ渡る状態にした」ということで、ネット上に書いたり、本を出したりする行為等がこれに当たります。また、「事実を摘示」の「事実」とは「虚偽の事実」か「真実」かは問われないということです(※「摘示(てきし)」とはあまり耳慣れない言葉ですが、法律用語としては「要点をかいつまんで示すこと」「あばくこと」を意味するとか)。 ただし、(1)事実の公益性(2)目的の公共性(3)事実の真実性の証明――の3つの要件を満たせば違法性は免れ、罪には問われません(「違法性阻却事由の規定」=刑法230条第2項)。例えば、「A議員は万引きした」とネット上で書くと、たとえ事実であっても(通常であれば)「名誉毀損」の要件が成立すると思われるかもしれませんが、A議員は公人であるために、当然「公共性」「公益性」があるので書いても罪には問われません。言い方を変えれば、「公共性」「公益性」があれば相手が一般人であったとしても、「名誉毀損」は成立しません。 なお、侮辱罪、名誉毀損罪は親告罪なので、「被害を受けた」という告訴がなければ訴追されません。 【追記】たとえ店(相手)を匿名で表記し、内容的にも名誉毀損は成立しない、違法性がない論評・感想・意見であっても、(1)書かれた店(相手)の名前が、たとえごく一部の人にであっても推定できる場合で、かつ(2)店側が不快感を持つような内容が含まれている場合(批判的なことを書いている場合は当然といえば当然ですが…)は、トラブる可能性があります。店側から修正要求などのクレームが来た場合は、弁護士さんに相談することも必要ですが、裁判で争う手間や労力を考えれば、当事者間で直接話し合って解決するしかないでしょう。3.特定の店(BAR等)を論評したり、批判したりすることに公共性・公益性があるのか? まず、その文章が「名誉毀損的な内容でない」「あくまで事実や真実を書いている」ということが前提です。そのうえで、そのお店を論評することの「公共性」「公益性」を考える必要があります。 「公共性」とは、そのテーマや問題が他の人(お客さん)にも関係あるのかがポイントです。貴方とそのお店(マスター)との個人的な関係のなかでの話なら、微妙です。論評した問題が他の人にも影響を及ぼす可能性があることが必要です。 「公益性」とは、単なる悪口や腹いせ、個人攻撃ではなく、例えば、「この店は他のお客さんにも同じことをやっているかもしれないから、注意を呼びかけたい」という正当な目的がなければなりません。 有名シェフ(マスター)や有名人が経営するようなお店なら、当然、「公共性」「公益性」がある訳ですが、たとえ有名人でない人が営んでるお店でも、常連さんが多くいる場合は「公共性」がありますし、ネット上や出版物上でそのお店について感想・意見を述べたり、論評したりすることにも当然「公益性」があると言えます。4.その論評・批判において、相手を匿名にした場合は? 名誉毀損は「公然性」が必要ですから、実名をさらさなければ原則として名誉毀損は成立しません。しかし、その内容に本人の特定につながるようなデータが含まれておれば、「公然性」が認められ、論評内容によっては名誉毀損になるケースもあります。 批判的な論評を公表する場合に、「公共性」や「公益性」に100%自信が持てなければ、実名は出さない方がいいと私は考えていますので、ブログでも、本でも批判的な記述の際は、原則として相手は「匿名」にしています。5.ブログで書いたお店の訪問記・感想を、(1)本にして個人的なルートで無料で配る場合、(2)本にして個人ルートで販売する場合、(3)本にして一般書店ルートで販売する場合--のいずれも店側の「了解をとる」必要はあるのか? 上記3種の配布方法はいずれも、ブログ(ネット)上で書く場合と同じ考え方で、原則として「了解を取る」必要はありません。 ただし、内容に名誉毀損的なことが書いてあれば問題になるのは言うまでもありません。配布規模の違いはあれ、ブログと同様に不特定多数の読者を想定している以上、ネットでも、個人出版でも、書店販売でも、名誉毀損(罪)や侮辱(罪)は成立します。 言わずもがなですが、「了解を取る必要がない」のは、憲法第21条で認められている「表現の自由」が故であって、不特定多数の読者を想定していることが理由ではありません。 6.BARで撮った店内の風景(バック・バー等)や、お酒(ボトルやカクテル)の写真を、了解なくブログまたは本で公開(使用)するのは法的に問題ないのか? 違法性はありません(=やまうちんさんは「個人的な見解、解釈」と断っておられます)。自宅の中など、他人が出入りすることを前提としない場所は、プライバシー空間ということで、それを写して公開すればプライバシー侵害になります。名誉棄損罪という犯罪はありますが、プライバシー侵害罪という犯罪はないので(どこかの条例くらいには引っかかるかも知れませんが)、民事上の精神的苦痛に対する賠償の問題となります。 しかし、BARは、いちおうは開かれた場であり、プライバシー空間ではないので、撮影と公開は、違法とはなりません。これはあくまでマナーのレベルの問題です。仮に、店舗入り口に「撮影禁止」と掲げておけば、そこに来る客はその「条件」を承諾したことになり、一種の「契約」が発生して、撮影・公開してはならない義務を負うと解することもできます(寺社仏閣などにはこれが多いです)が、さすがにBARでそういう無粋な看板を掲げるようなところはないでしょう。7.BARで撮ったマスターの顔が写った写真(あるいはたまたま撮ったら写っていた写真)を、了解なくブログまたは本で公開(使用)するのは法的に問題ないのか? 人の容貌となってくると微妙です。公権力との関係では、国民は「みだりに容貌を撮影されない」という憲法上の権利を有します。根拠は「個人の尊重・尊厳」を規定した憲法13条で、幸福追求権にこれが含まれると最高裁も認めています。 しかし、私人の間においては、撮影・公開を禁止するような直接的な根拠規定は何もありません。結局、一般的な話に戻って、ことさらに当人に不快感、不安感を与えるような態様で撮影・公開したとすれば、プライバシーや人格権の侵害を根拠にして民事上の責任が発生します。また、写真とともにその人を誹謗中傷するようなことを書き加えれば、名誉毀損や侮辱罪といった刑法上の問題が発生します。あとはマナーの問題に委ねられます。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/07/09
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先日、「最近、Blogに書くネタ探しが結構大変なんだよー」と言う話を、親しいバーテンンダーにしていたら、「こんなネタはどうですか?」と教えられた。 それは、貴方もスコットランド・アイラ(Isle of Islay)島の土地の「生涯貸借権」が得られるという話。あのラフロイグ(Laphroaig)蒸留所=写真左=が、保有する蒸留所内の30cm四方の土地をプレゼントするという”愉快な”キャンペーンをおこなっているんだという。 ラフロイグ蒸留所の公式サイトから申し込めば、誰でもその土地の権利証明書を数カ月後に貰えるのとのこと。うれしがりの僕は、早速トライしてみた。公式サイト内の「ラフロイグ友の会(Friends Of Laphroaig)」というリンクへ飛ぶ。 そしてそのページの指示通り、手元にあるラフロイグのボトルの背ラベルにあるバーコードの13ケタの数字を打ち込むと、申込書のフォーマット(用紙)が現れる。 名前、住所、生年月日、Eメ-ル・アドレス、自己紹介、ラフロイグ歴など、書き込むところが結構あって、少々疲れるが、終わって送信(Submit)すればめでたく完了! 画面はただちに、「Mr. ※※※※、Welcome to Friends Of…」というものに代わり、「Your plot number:269328」という土地番号が送られてきた。ご丁寧に、権利を獲得した土地の衛星拡大写真(写真左=赤い点が僕の土地らしいです)まで!見られる。 蒸留所内の土地のオーナーになったからと言って、地代が貰えるわけではない。単なるお遊びと言ってしまえばそれまでだが、あのアイラ島の小さな土地のオーナーになった気分は、なかなかいいもんだ。 僕より先に会員登録した人の話によると、忘れられた頃送られてきた権利証明書「Lifetime Lease On A Square Foot Of Islay」(写真右)には、こう記されていたという。 「もし貴方が(この証明書を持って)ラフロイグ蒸留所を訪れたら、地代(つまり僕がこの土地をラフロイグ社に貸している形)として、年に1杯のラフロイグが与えられ、その土地にも案内してもらえます。野生生物から身を守る装備一式も提供いたします」と記してあったという。 キャンペーンのチラシには、こんな泣かせる話もあった。ある時、骨壺を持った未亡人がいきなり蒸留所に現れた。彼女は蒸留所の関係者に「夫に与えられた土地へ連れて行ってほしい」と頼み、そして、その30cm四方のヒースの土地にうらうらしく遺骨をまいたのだという。 僕も、死んだら「遺灰を自分の土地(No.269328)にまいてほしい」と遺言に記しておこうかなと思ったが、「残された家族が迷惑するだけやろ」という友人の声を聞いてやめた。 それよりも、近い将来、アイラ島を訪れたら、自分の土地を訪れて、その上に立って、記念写真くらいは撮りたいな。あー早く実現させたいアイラ島への旅。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/11/12
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69.ピーニャ・コラーダ(Piña Colada)【現代の標準的なレシピ】 (容量単位はml)ホワイト・ラム(45)、パイナップル・ジュース(20)、ココナツミルク(20)、クラッシュド・アイス、飾り=カット・パイナップル&チェリー 【スタイル】シェイクまたはブレンダー 「ピーニャ・コラーダ」は米国の自治州、プエルトリコの国民的ドリンクです。その「ルーツ」は1800年代にロベルト・コフレッシ(Roberto Cofresi)というプエルトリコの海賊が、部下たちの士気を鼓舞するために作ったラムとパイナップル、ココナツを使ったドリンクに遡るとも言われていますが、コフレッシのオリジナル・レシピは伝わっておらず、真偽の程は定かではありません(出典:海外の複数の専門サイト)。 一方で、Wikipedia英語版によれば、「1922年に発行された『Travel Magazine』という雑誌(12月号)に『ピニャ・コラーダという名のドリンク』が紹介されている」とのことですが、ラムとパイナップル・ジュースだけのドリンクで、肝心のココナツミルクを使っていないため、現代のピーニャ・コラーダの原型と言うには、少し無理がありそうです(出典:Wikipedia英語版)。 カクテル名は、スペイン語で「裏ごししたパイナップル」という意味です。潰したパイナップルを裏ごししてジュースを採ったことがその名の由来と伝えられています。ただし、当初は「ピーニャ・コラーダ」とは呼ばれておらず、現在の名で定着するのは60年代半ば以降とのことです(出典:Wikipedia英語版&日本語版)(「パイナップルの茂る峠」との意味だという説もありますが、真偽の程は分かりません → 出典:Kotobank.jpほか)。 さて現代版のピーニャ・コラーダの起源については、現在までのところ、3人のバーテンダーが「自らが考案した」と主張していて、決着はついていません。 1人は、プエルトリコの首都サンファン(San Juan)にあるカリブ・ヒルトンホテル(The Caribe Hilton Hotel)のバーテンダー、モンチート(Monchitoはあだ名で、本名はラモン・マレーロ・ペレス <Ramón Marrero Pérez>)。モンチートは、同ホテルの「ビーチコマー・バー」で働いていましたが、1954年、「Don Q」というゴールド・ラムをベースに、この年初めて商品化されたココナツ・クリームを使って考案したというのです。 モンチートはその後、1989年までの35年間、このピーニャ・コラーダをつくり続けました。同ホテルは、プエリトリコ州の知事から二度に渡って「ピーニャ・コラーダ誕生の地」というお墨付き(認証)をもらっていると言います(出典:Wikipedia英語版)。 もう1人は、同じカリブ・ヒルトンホテルのバーの支配人、リカルド・ガルシア(Ricardo Garcia)。彼も1954年に、当時入手できるようになったココナツ・クリームの缶詰をつかって、新しい「ウェルカム・ドリンク」として考案したとのこと(出典:Portions of the Caribbean<Jeff Berry著>、Meehan's Bartender Manual<Jim Meehan著>からの引用)。前述のモンチートと時期がまったく同じなので、ひょっとして、ガルシアはモンチートの上司で、両者が「自分が考案した」と主張している可能性も?)。 さらにもう1人は、サンファンの「バラチーナ(Barrachina)」というレストランのバーテンダー、ラモン・ポルタス・ミニョ(Ramón Portas Mingot) 。ブエノスアイレスの有名なバーからやって来て働いていたミニョは、「1963年に自らが考案した」と主張し、同レストランも外壁に「ピーニャ・コラーダ誕生の地」というプレートを飾り、ミニョの主張を支持しています。つまり現状では、3人が「自分たちこそが考案者」と主張しているようです(出典:同)。 なお、「ピーニャ・コラーダ」は1978年、プエルトリコ政府から「ナショナル・ドリンク」に認定され、毎年7月10日は「ピーニャ・コラーダの日」に制定されているとのことです(出典:同)。 「ピーニャ・コラーダ」が欧米のカクテルブックで初めて紹介されたのは、現時点で確認できた限りでは、米国で出版された1976年版の「Mr. Boston Official Bartender's Guide」です。そのレシピは「ホワイト・ラム3オンス、ココナツ・ミルク3tsp、パイナップルを潰したもの3tsp、クラッシュド・アイス2カップを一緒にブレンダーにかける」で、現代レシピに比べるとラムが多めです。 ご参考までに、80年代のカクテルブックから、ピーニャ・コラーダのレシピを少し見ておきましょう。・「The Pocket Bar Book」(Micheal Jackson著、1980年刊)米 ゴールド・ラム2~3オンス、ココナツミルク1.5~2オンス、潰したパイナップル(またはパイナップル・ジュース)3~4オンス、クラッシュド・アイス1杯分を一緒にシェイクするかブレンダーにかける。コリンズグラスにクラッシュド・アイスを入れ、注いだ後、カット・パイナップルを飾る」とあります。 ※著者は後にウイスキー評論家として有名になったあの方です。「1970年代に現れて地歩を固めたミックス・ドリンクの中で、ピーニャ・コラーダほど広範な人気を勝ち得たカクテルは他にない」とコメントしており、70年代に米国内で人気が急上昇したことが伺えます。・「The Vogue Cocktail Book」(Henry McNulty著、1982年刊)米 ホワイト・ラム(またはテキーラ)2オンス、ココナツ・クリーム(またはココナツ・リキュール)2.5オンス、パイナップル・ジュース3オンス、氷(ブレンダーまたはシェイク)・「Cocktails」(Hilary Walden著、1985年刊)英 ホワイト・ラム5分の1、ココナツ・ミルク5分の2、パイナップル・ジュース5分の2、氷(シェイクまたはブレンダー) 1970年代、全米で普及したピーニャ・コラーダは80年代に入ると、トロピカル・カクテルのスタンダードとしてその地位・知名度を不動のものにし、90年代以降のカクテルブックでは、欠かせないドリンクとなりました。なお、現代のバーでは、フローズン・スタイルでつくられることも珍しくありません。 ピーニャ・コラーダは、日本には70年代末までは伝わったと思われますが、当時はココナツ・クリーム(またはココナツ・ミルク)の入手が難しかったため、あまり普及はしませんでした。街場のバーのメニューとしてよく知られるようになるのは1980年代後半以降です。【確認できる日本初出資料】「カクテル入門」(福西英三著、1982年刊)。レシピは「ホワイト・ラム30ml、ココナツ・ミルク45ml、パイナップル・ジュース80ml、材料をすべてシェイクし、クラッシュド・アイスを入れたグラスに注ぐ。飾り=パイナップル・スライス&マラスキーノ・チェリー」となっています。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/10/09
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オーセンティック・バーでも提供されることの多い自家製の「漬け込み酒」。実は何でもかんでも好き勝手に造れる訳ではなく、一応、法的な規制が厳然と存在します。バー業界のプロでも意外と知らないこうした日本国内での法的ルールについて、(以前にも一度書きましたが)改めて最新情報も含めてまとめてみました。ご参考になれば幸いです。 ◆2008年に自家製造のお酒の規制が緩和 バーUKでは、4種の自家製造の酒(しょうがを漬け込んだウオッカ、7種類のスパイスを漬け込んだラム、ザクロを漬け込んだカルバドス、レモンピールを漬け込んだリモンチェロ<ベースはスピリタス>)をお客様に提供していることはご承知の通りですが、友人やお客様から「それって、法律的に問題ないの?」と聞かれることが時々あります。 日本国内では、お酒を製造・販売(提供)するには酒類製造免許が必要です。お酒のメーカーが業として行う「果実や穀物などの原料から酒類を製造する行為」だけではなく、バーや飲食店等がお酒に様々な材料や他のお酒等を混ぜ合わせる「混和」という作業も、法的にはお酒の製造(新たなお酒を造っている)と同じ扱いを受けます。そして、アルコール分1%以上のお酒はすべて課税されます。 従って、バーや飲食店が無許可で自家製のお酒を造って提供するのは、基本、違法行為です。違反した場合は、酒税法第54条《無免許製造の罪》の規定に該当し、10年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます(単なる無許可販売の場合は1年以下の懲役又は50万円以下の罰金=同法第56条)。 しかし現実には、許可を得ることなく自家製の果実酒等を提供している飲食店は、昔からありました。様々な果実やスパイス、ハーブ、コーヒー豆、茶葉等を漬け込んだ自家製のお酒を「店の名物」にしているバーも少なくありません。厳密に言えば、2008年の法改正までは、こうしたバーや飲食店等での「製造・提供行為」は限りなく「違法」行為でした。 国税庁もこれ以上「違法状態」を放置できないと考えたのか、それとも実態に合わせて少し制限を緩和すべきと考えたのか、2008年<平成20年>に租税特別措置法(酒税関係)が改正され、特例措置(例外規定)が設けられました。それは「客等に提供するため酒類に他の物品を混和する場合等、一定の要件を満たせば、例外的に酒類の製造に該当しないこととし、免許や納税等が不要となる」という特例です。 この結果、例えば「焼酎で作る梅酒」「しょうがを漬け込んだウオッカ」「ウオッカにレモンを漬け込んだリモンチェッロ」等は、酒類免許がなくても、バーや飲食店は法的な裏付けを持って堂々と製造し、提供することが可能になりました。 一方、個人が自分で飲むために造る酒(例えばよくある梅酒づくり等)は、かなり昔からとくに法的な規制はなく、旧酒税法(1940年<昭和15年>施行)でも禁止する規定はありませんでした。すなわち、個人の場合は事実上「黙認」状態でしたが、1953年<昭和28年>に施行された新・酒税法で初めて、「消費者が自ら消費するために酒類(蒸留酒類)に他の物品を混和する場合は新たに酒類を製造したとは見なさない」とする特例措置(酒税法43条11項)ができ、めでたく法的にも認められることになりました。 ◆使用が禁止されている穀物や果実に注意 このバーや飲食店等を念頭に置いた租税特別措置法の特例措置についてもう少し詳しく説明しましょう。適用対象は「酒場、料理店等、酒類を専ら自己の営業場において飲用に供する業」であり、具体的には、下記のようないくつかの条件を満たす必要があります。(1)酒場、料理店等が自己の営業場内において飲用に供することが目的であること(2)飲用に供する営業場内において混和を行うこと(3)一定の蒸留酒類とその他の物品の混和であること ※酒場や料理店等が客に提供するために混和する場合だけでなく、消費者(個人)が自ら消費するため(又は他の消費者の求めに応じて)混和する場合も、この「特例措置」と同様の規制を受けます。 また、使用できる酒類と物品の範囲は、以下の通り指定されています(この規定は個人が自分で飲むために造る場合も順守する義務があります)。(1)混和後、アルコール分1度以上の発酵がないもの(2)蒸留酒類でアルコール分が20度以上のもので、かつ、酒税が課税済みのもの(具体的には連続式蒸留焼酎、単式蒸留焼酎、ウイスキー、ブランデー、スピリッツ<ウオッカ、ジン、ラム、テキーラ等>、飲料用アルコール)(3)蒸留酒類に混和する際は、以下に示す禁止物品以外のものを使用すること (イ)米、麦、あわ、とうもろこし、こうりゃん、きび、ひえ若しくはでんぷん、又はこれらの麹 (ロ)ぶどう(やまぶどうを含む)=【末尾注1】ご参考 (ハ)アミノ酸若しくはその塩類、ビタミン類、核酸分解物若しくはその塩類、有機酸若しくはその塩類、無機塩類、色素、香料、又は酒類のかす (ニ)酒類(※国税当局に問い合わせたところ、「蒸留酒、醸造酒を問わず、ベースの蒸留酒と同一の酒類以外の市販の全ての酒類を指す」とのこと) ※なおこの特例措置は、前記のように店内での飲食時に提供する場合に限られ、お土産として販売するなどの客への譲り渡しは出来ません(個人が自宅で造る場合も、同居の家族や親しい友人等に無償で提供することはできますが、販売することは出来ません)。 ◆蒸留酒はOK、醸造酒はダメ 以上のように、例えばバーや飲食店等でよく見かける梅酒は、「蒸留酒である焼酎やウオッカ等(アルコール度数20度以上)に漬け込む」のはOKですが、日本酒は「醸造酒であり、通常アルコール度数も20度未満」ですから、二重の意味でNGです(まれに、度数20度以上の日本酒も存在しますが、バーや飲食店で提供する場合は「蒸留酒」しか使えないのでやはりダメです)。 また、梅酒に自然な甘さを出したいからと言って、氷砂糖の代わりに「麹」を使うのも「(3)の(イ)に抵触する」ため、当然NGです。また、ぶどう類を原料にして自家製ワインのようなものを提供すれば、ベースが醸造酒・蒸留酒等に関係なく、完全に違法行為となります。 さらに、年間に自家製造できる量の上限も、営業場ごとに1年間(4月1日から翌年3月31日の間)に1キロリットル以内と決められています(バーUKの場合は、4種類全部合わせても、たぶん月間で最大2~3リットルくらいなので、全然大丈夫です)。なお、この特例措置を受ける場合は、所管の税務署に特例適用の申告書を提出しなければならないとされています(バーUKも一応、申告書を提出しております)=【末尾注2】ご参考。 ◆「自家製サングリア」の提供は基本NG 気をつけなければいけないのが「自家製サングリア」です。サングリアとは「ワインにフルーツやスパイスを漬け込んだワインカクテル」のこと。アルコール度数も低く、フルーティで、お酒が苦手な女性にも飲みやすいので、「自家製サングリア」を食前酒やカクテルとして提供するバーや飲食店も少なくありません(私も何軒か知っています)。 しかし、ベースがワイン(醸造酒)なので前述した条件の「ベースが蒸留酒」にも「20度以上」というルールにも引っかかり、事前に漬け込むことが一般的なサングリアは、場合によっては「発酵」も起こるので、租税特別措置法の特例措置は適用されません。許可なく製造・提供すれば違法で、刑事罰(前述)が科せられます。 従って、現在の日本国内では、基本、自家製サングリアの提供はNG(違法行為)です。プロのバーテンダーの人でも、この規定を知らない人を時々見かけますので、本当に注意が必要です(ただし、自家製サングリアを公然と、あるいは内緒で提供していたというバーが国税当局に摘発されたという話は、個人的には過去聞いたことはありませんが…)。 なお、お客様が飲む直前にワインにフルーツを入れて提供するような場合については、「店舗内で消費(飲む)の直前に酒類を混和した場合(例えばカクテルのようなドリンク)は、そもそも酒類の製造に当たらない」という特例措置と同等に扱われるため、まったく問題ありません。 ◆目に余る行為でない限り、現実には「黙認」 くどいようですが、日本国内でお酒を製造するには、(そこがバーであろうとなかろうと)酒類製造免許(酒造免許)の取得が義務づけられています。なので免許を取れば、店内で自家製のビールやワイン、そしてサングリアを製造・提供することも法的には可能です=【末尾注3】ご参考。 しかし免許取得には、管轄税務署より「経営状況」「製造技術能力」「製造設備」等の審査、免許を受けた後も1年間の最低製造数量を満たしているか等の審査があります。製造しようとするお酒の種類ごと、また製造所(店舗)ごとに免許が必要です。普通のバーや飲食店等が独自で取得するのはかなり高いハードルがあり、そう簡単ではありません。 現状では、「自家製サングリア」を提供するバーや飲食店は時々見かけますが、それはかなりの部分で「グレーな行為」だと思われます。だが、国税当局は「年間通して常時、公然と一定量を提供したり、お土産で販売したりする」ような目に余る行為でもない限り、事実上「黙認」している状況です(いちいち摘発する手間も大変だからでしょう)。 個人的には、年に1~2度くらいの特別なイベント時なら、事前に申請すれば例外的に自家製サングリアの提供を認めてほしいと強く思います。しかし現状では、何かのきっかけで国税当局が厳しく規制してくることも十分考えられますので、まぁ基本的には、バーでは手を出さない方がいいと考えています。サングリアに近いアルコール・ドリンクを提供したい場合、前述したように、飲む直前にワインにオレンジやレモン、ライムなどのフルーツを加えるしかありません。 ここまで書いてきたことの要点(大事なポイント)をまとめておきますと、バーで提供できる自家製のお酒は、(1)20度以上の蒸留酒を使うこと(2)ぶどう類以外の材料を使うこと(米などの穀物類や麹もダメ)(3)店内で作り店内だけで提供すること(持ち帰り販売はダメ) ということです。この3つだけは常に頭に入れておきましょう。 ◆その場でつくるカクテルはOK では、バーの花形である「カクテル(Cocktail)」はどうでしょうか? バーでのカクテルは通常、お客様の注文を受けてその場でつくられ、飲む直前に提供されます。1953年に成立した酒税法には「消費の直前に酒類と他の物品(酒類を含む)を混和した場合は、前項の規定(新たに酒類を造ったものとみなす)は適用しない」(第43条10項)という例外規定があり、2008年の租税特別措置法の改正でも、この例外規定は受け継がれています。 従って、その場で作ったカクテルを提供することは全く問題ありません。提供の直前につくるカクテルなら、フルーツなどを混ぜても「発酵」することはあり得ないからです。また、店舗前のテラス、ベンチ等は、客がその場で短時間で消費する前提であれば、店舗内と同じ扱いとなります。ただし、店舗内・店舗前に関係なく、自家製酒や作ったカクテル等を容器に詰めたりして販売する(無償譲渡することも含む)などの行為は、「無免許製造」となるのでできません。 なお、個人が自宅においてカクテルを飲む直前につくる場合、家庭内で消費する限りは家族や来訪した友人にも自由に提供できますが、(別の場所に住む)他人の委託を受けてつくったりすると「違法」になるので注意が必要です(当然、販売行為もNGです)。 ◆「期限付酒類小売り免許」も一時制度化されたが… ちなみに、国税庁は2020年4月、コロナ禍で苦しむ飲食業を支援するため、バーや飲食店等が6カ月の期限付きで酒類の持ち帰り販売ができる「期限付酒類小売業免許」を新設しました(現在ではこの制度は終了)。昨年は、この「期限付小売業免許」を取得して、ウイスキー等を量り売りするバーもあちこちで目立っていました。 加えて、国税庁が「カクテルの材料となる複数の酒類や果実等を、それぞれ別の容器に入れて、いわゆる”カクテルセット”として販売することも、期限付酒類小売業免許を取得すれば可能」という見解を示したことを受けて、カクテルの持ち帰り販売(材料別に密閉容器等に詰めての販売)をするバーも登場しました。 ミクソロジストとしてバー業界でも著名なバーテンダー、南雲主于三(なぐも・しゅうぞう)氏は「期限付免許」を取得したうえで、自らの店舗で持ち帰り用のオリジナル・カクテルセットを販売されました。その後は、酒類製造免許を持つ会社とタイアップして、完成品の瓶詰めオリジナル・カクテルの販売(通販がメイン)も始められました。その南雲氏の体験談はとても参考になります(出典:食品産業新聞社ニュースWEB → https://www.ssnp.co.jp/news/liquor/2020/04/2020-0413-1634-14.html)。 ◆出来たこと・出来なかったこと ご参考までに、「期限付酒類小売業免許」で出来たこと・出来なかったことや許可要件等を少し紹介してみます。(1)瓶(ボトル)や缶のままでの販売は可能(※この場合の瓶や缶とはウイスキーやビール、ジン等の未開栓の商品を指す)。(2)来店時にその場で酒類を詰める量り売りも可。量り売りの場合、容器は客側が用意することが前提(店側が容器を用意する場合、容器代の伝票は別にすること)(3)来店前にウイスキー等の酒類を詰めておく「詰め替え販売」は、詰め替えをする2日前に所轄の税務署に届け出をすれば可能。(4)カクテルなどをプラカップに入れて蓋をして販売することはできない。(※ただし、事前にカクテルを材料別に密封容器に詰めておく「詰め替え販売」は、(3)と同様、事前に所轄の税務署に「詰め替え届」を出していれば可能)=【末尾注4】ご参考。(5)量り売りの場合はラベル表示は不要だが、詰め替えはラベルが必要。(6)2都道府県内にまたがる配送は不可。(7)酒税法10条(酒類製造・販売免許を得るための人的・資格要件)に違反していないこと。(8)新規取引先から購入したものは販売不可。既存の取引先からの酒類に限り、販売が可能。 ◆「期限付免許」は2021年3月末で終了 前述したように、期限付免許での「詰め替え届」が出ていれば、カクテルを材料別に密閉容器にボトリングまたは真空パックにしてセット販売することが出来ました。南雲氏は例えば、ジン、カンパリ、ベルモットを密閉容器に詰めて、オレンジピールと一緒にして「ネグローニ・セット」として販売。お客様も自宅で手軽に、プロ並み(に近い?)のカクテルが楽しめたのです。 南雲氏は当時、「小売と同じことをしても価値はない。バーにしかできない売り方が付加価値となります。例えば、ウイスキーのフライト(飲み比べ)セット、自家製燻製とウイスキーのマリアージュセット、クラフトジンとライムとトニックのジントニックセットなど、可能性は無限大です」と大きな夢を描いていました。素晴らしい取り組みだと思いました。 しかし、国税庁はこの「期限付酒類小売業免許」を2度の期限延長を経た後、今年(2021年)3月末を持って終了(廃止)してしまいました。4月以降も継続を希望する場合は、通常の「酒類小売業免許」を申請するように告知しています。コロナ禍がここまで長引くとは思わなかったということもありますが、せっかくの「期限付免許」はコロナ禍が収束するまでは存続させてほしかったし、一方的に終了してしまった同庁の姿勢はとても残念に思います。 その後も南雲氏は、日本国内のバーで、カクテルのデリバリー販売、テイクアウト販売が常時認められることを目指し、様々な団体やバーテンダーと連携して、国税庁への働きかける活動を精力的に続けられています。ぜひ応援していきたいと思っています。 ◆出張バーテンダーの扱いは? 時々見かける(そして、私自身もたまに依頼される)出張バーテンダーっていう営業は、出張先で用意された酒や材料を使ってカクテル等つくる場合においては、法律的な縛りはまったくありません(出張料理人・シェフも同じ条件ならば合法的な行為と見なされます)。厳密に言えば、食中毒を起こさないように注意する程度です。 ただし、出張先(店舗外)で提供するカクテルを、事前に作り置きして容器に詰めていくことはできません。租税特別措置法では、「当該営業場以外の場所において消費されることを予知して(事前に)混和した場合、特例措置にいう『消費の直前に混和した』こととはならず、無許可の酒類製造に相当する」とされています。 要するにバーにおいてのカクテルは原則として、「自らの店の中でつくって提供すること」「注文の都度つくること(作り置きすることはNG)」「注文した人が飲むこと」の3つの条件を満たす必要があり、出張先においても「(出張先は)自らの店と同じ扱いになる」ことも含め、この3条件を守らなければなりません。 以上、長々と書いてきました。2020年1月以降長く続くコロナ禍で、バーを含む飲食店は、非科学的なアルコール規制のために、苦境に立たされています。しかし、ピンチはチャンスでもあります。我々バーテンダーは、コロナ禍が収束した暁に、バー空間で味わうお酒の楽しさをお客様に実感してもらえるように、関係する諸法律には誠実に向き合いながら、より一層の創意と工夫を加えて新しい自家製酒やカクテルを提供していこうではありませんか。【注1】他の果物は混和してもいいのに、なぜ、ぶどう類だけは禁止になっている理由について国税庁は説明していませんが、おそらくは(正式の免許を受けて醸造している)国内のワイン用ぶどう栽培農家=製造業者の保護という観点があるのではないかと考えられています。【注2】特例適用申告書については、店で少量の自家製酒を不定期に提供している何人かのバーのマスターに聞いてみましたが、実際、個人営業の店で申告書を出しているところはそう多くないようです。現実には、少量で不定期ならば、国税当局も事実上「黙認」しているようですが、私は、妙な疑いをかけられるのも嫌なので、一応、法律に従って申告しています。 【注3】アルコール度数1%未満であればビールやワインを醸造するのに許可は必要はありません。市販の自家製ビール(またはワイン)製造キットがこれに当たります。なお、店内に小型の簡易な蒸留器を置いているバーを見かけることがたまにありますが、無許可でアルコール度数1%以上の蒸留酒を造る行為は「違法」になるのでご注意ください。【注4】南雲氏との2020年4月の一問一答で、国税庁酒税課は「カクテルは、仕様がグラスやカップ、プラカップ等で直後に飲むことを前提としている容器であれば(店舗内での)提供」と答える一方で、「結果として客側が持ち帰ったとしても、直ちに販売と言うのは難しい」との見解も示し、蓋のない容器での「テイクアウト」も事実上容認していました。しかし、期限付免許が終了した現在、カクテルの「テイクアウト」販売は残念ながら再びNGになっています。【2025年1月追記】コロナ禍収束後、ここ数年の間に、酒類製造免許を持つメーカーからは、ボトルに詰めたカクテル製品が続々と市場にお目見えしています(有名バーテンダーとコラボしている商品も目立ちます)。しかし消費期限等の制約もあり、現状ではマンハッタン、ネグローニ、マティーニなど度数の高いもので、劣化しやすいジュース類は使用しないカクテルに限られています。この類の「ボトル詰めカクテル」商品が今後定着していくかどうかは、現時点では未知数というしかありません。【おことわり&お願い】この記事は、バーにおける「自家製漬け込み酒」等について、現時点での酒税法、租税特別措置法上の一般的なルールや法的見解等をまとめたものですが、個別具体的な行為や問題についての適法性まで保証するものではありません。個別のケースにおける疑問や法的な問題、取扱いについては、バーや飲食店等の所在地を所管する税務署や保健所にご相談ください(※ご参考:酒税やお酒の免許についての相談窓口 → 国税庁ホームページ掲載リンク)
2021/06/04
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7月1日にオープンしたバーUKは、お客様に支えられて無事に2カ月が過ぎました。この間の店内の変化を写真で少し報告しておこうと思います。 店主の友人でもある、歌手の大西ユカリさんから届いたUKオープンを祝う花です。 ワイン(赤、白計6種類)やシェリー(計4種類)をPRする黒板が出来ました。 「今月のおすすめオールド・ボトル」として、とりあえず4銘柄がカウンターに並びました。 スタンディング・カウンターの下にあるキーボードの全容です。すでに予告なしのサプライズ&飛び入りライブは2回開かれました。 店主の似顔絵入りの絵が、開店祝いとして贈られました(とても似ていて、雰囲気が出ているという評判です)。 店主が考案(ブレンド)したオリジナル・ヴァッティド・モルトはとても好評です。エジンバラ・クリスタルのデキャンタに入っています。 冷蔵庫がパンパンになってきたので、補助用として小さな冷蔵庫が登場しました。主に果物やミント、クリーム系リキュールをおさめています。【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途、水曜と土曜に月1回程度お休み。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2014/08/29
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英国リバプール生まれのビートルズがアメリカへ進出し、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得していった60年代半ばのこと。このままでは英国人に音楽チャートは占領されてしまうと、米国の音楽ビジネス業界が立ち上がった。 そして、ビートルズに対抗するポップロック・グループをオーディションで誕生させようと、1965年9月、応募してきた約400人の若者から4人が選ばれた。 デイビー・ジョーンズ(Davy Jones ヴォーカル)、マイク・ネスミス(Mike Nesmith ギター)、ピーター・トーク(Peter Tork ベース)、ミッキー・ドレンツ(Micky Dolenz ドラムス)という4人。 約1年間、歌や演奏、そして演技のトレーニングを積んだ後、66年10月、彼らはモンキーズ(Monkees=写真左。(C)公式HPから)という名前でデビューした。 デビュー・アルバムは「The Monkees」(写真右下)だったが、日本では収録曲の邦題タイトルから「恋の終列車(Last Train To Clarksville)」と名付けられた。 モンキーズはレコードとともに、自分たちの名を冠したテレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」もスタートさせた。コメディ仕立てのドラマと歌を交えた番組だったが、これは全米だけでなく、日本でも結構人気番組となった。 初期に彼らが出したシングルは、次々とヒットした。「恋の終列車」「モンキーズのテーマ(Theme from The Monkees)」「アイム・ア・ビリーバー(I'm a Believer)」「スター・コレクター(Star Collector)」「デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)」「すてきなヴァレリ(Valleri)」…。 なかでも、1967年11月に発売された5枚目のシングル「デイドリーム・ビリーバー」(写真左)は、全米1位の大ヒット。世界で500万枚近いセールスを記録したというこの曲は、その親しみやすいメロディー、完成度の高さもあって、今ではモンキーズの代表曲というより、ポップスのスタンダード・ナンバーにもなっている。 モンキーズは日本にも68年秋にやって来てコンサートを開いたが、テレビで観た僕の印象は、演奏の実力も備えたビートルズとは違って、武道館という大きなキャパの会場では見劣りする稚拙な演奏だった。 その後、ある雑誌で読んだ暴露話によると、実は、ステージの裏で隠れてバックバンドが演奏していて、モンキーズ自体はほとんど演奏していなかったという(いわゆる「音パク」?)。真偽のほどは定かでないが、あの稚拙な演奏も本人たちじゃなかったとは…、日本のマーケットがなめられていたということか。 しかし、演奏技術はともかく、デイビーの歌は魅力的だったし、彼らに提供された楽曲は素晴らしいものが多かった(写真右=最近の4人。みんなええオッサンになってます。(C)公式HPから)。 ボビー・ハート、ニール・ダイヤモンド、キャロル・キングという当時、アメリカでも最高のソング・ライターたちが彼らのためにとっておきの曲を贈った。その名曲の数々は、今も色あせることはない。 モンキーズは、マイクやピーターが音楽性の違いなどを理由に次々と脱退し、1970年6月に正式に解散。グループとしてはわずか4年の短い活動だったが、8枚のアルバムと12枚のシングルを残した。 モンキーズを知らない人でも、「デイドリーム・ビリーバー」を知っている人は多い。「デイドリーム…」は、僕も大好きな曲の一つで、Bar 「M」でもよく弾き語りで唄う。 1980年代には、コダックのCMで「デイドリーム…」が使われたこともあって、再びリバイバル・ブームが起こった。昔のレコードもCDで再発されるようにもなった(写真左=ベスト盤は何種類か出ているが、これもその一枚)。 メンバーたちは80~90年代、グラミー賞やアメリカン・ミュージック・アウォードなどに久しぶりに登場し、ライブ・パフォーマンスを何度か見せてくれたこともあった(一度だけは、マイクも含めて4人で出てきた)。 マイクを除く3人は、その後何度か再結成をくり返し(最近では2001年に)、コンサートも開いているが、最近の音沙汰はあまり聞かない。おそらくは全員、60歳前後だろうが、どうしているんだろうか。 短命だった音楽活動には、人為的に作り出されたグループの悲哀も感じる。だが、娯楽性と完成度の高さを兼ね備えた、親しみやすい曲を数々送り出し、ポップ・ミュージック・ファンの裾野を広げたという意味で、モンキーズの功績は大きいと、僕は思っている。【追記】(2020年5月)4人のメンバーのうち、デイビー・ジョーンズは2012年2月(67歳)に、ピーター・トークは2019年2月(77歳)にそれぞれ死去。現在ではマイクとミッキーのみ健在ですが、公の場にはほとんど姿を見せていません。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/11/09
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前回の続き。「螢屋」での懐かしい再会を終えた僕は、あまり時間はないけれど、金沢最大の歓楽街、香林坊・片町エリアに戻って、BAR巡りをすることにした。 時間はもう夜の10時を過ぎているので、「今夜は3軒が限度かなぁ」と自分でつぶやきながら、最初に向かったのは、香林坊交差点から数分のところにある、Bar「マクリハニッシュ」(写真左=店の雰囲気は、BARというよりアイリッシュ・パブのよう)。 大阪で僕が懇意にしてもらってる複数のバーテンダーから、「金沢へ行ったらぜひマクリハニッシュへ」と勧められていた酒場である(店名は、スコットランドの湾の名前であり、現地の有名なゴルフコースの名前に由来するとか)。店長にHさんにご挨拶して、まずいつものようにジン・リッキーでスタート。 Hさんは、東京や大阪の帝国ホテルのBARでも仕事をしていたこともあって、BAR業界でもすごく顔が広い。「(僕が)大阪でよく行くBARはどこですか?」と聞かれてあれこれ答えたけれど、8割以上はご存じだった。 2杯目は「螢屋」から引きずった酔いをいったんクールダウンするために、「レッド・アイ」(ビールのトマトジュース割り)を頼む。するとHさんは「(レッド・アイを)ベースをギネスでやったことありますか?」と僕に聞く。 ギネスのレッド・アイは確か「レッド・ハット」と言ったが、一度は飲んだはず。でも、Hさんが「うちのは旨いですよー」と言うので、「それじゃ、久しぶりだし、お願い」と提案に乗る。う~ん、勧めるだけあって確かに旨い(写真右=マクリハニッシュ特製の「レッドハット」)。 さて、2軒目。片町交差点の方へ移動。「Bar・SPOON」(写真左下)という店にお邪魔する。こちらは、2週間前お邪魔した札幌の「Barやまざき」で、「うち出身のバーテンダーが切り回しているので、ぜひ一度覗いてみてください」と言われた酒場である。 完璧に近いようなオーセンティックBAR。マスターはHさん(偶然、「マクリハニッシュ」のマスターとイニシャルは同じ!)という。歳は50歳。郷里の金沢に帰って、このBar・SPOONを開いた。 オープンしてもう21年になるという。カクテルが得意というHさんだけれど、ウイスキーの品揃えも結構本格的だ。だから、僕は2杯目はシングルモルトを頼んだ。 カウンター席がメインのお店はとても落ち着いた雰囲気で、一人でも気持ちよくなごめる。「BarやまざきでSPOONのことも教えてもらいました」と伝えると、Hさんは嬉しそうな顔をした(写真右=Hさんとのツーショット)。 さて、今宵最後のBARはやはり、僕が四半世紀前に仕事をしていた頃からこの金沢にあった懐かしい「倫敦屋酒場」=写真左下=へ(偶然にもBar・SPOONから歩いて1分という嬉しい至近距離でした)。 あいにくマスターのTさんは不在だったが、店の雰囲気が昔とほとんど変わっていないのが驚くばかり。店内の壁に作り付けてある棚のミニチュアボトル・コレクションもそのままだ。 店にいたマスターの奥さんは「店内の部材(カウンターや椅子等)はほとんど変わってないんですよ。レイアウトは少し変えましたが…」と言う。2階建ての隣家を買い取って改造したこともあって、団体客にも十分対応できるスペースが増えていた。 僕は昔この「倫敦屋」でよく飲んだモスコー・ミュール、そしてバーボンのソーダ割りを頼んで、思い出に浸る。「あのテーブル席で金沢の同業の友人の婚約祝いをしたなぁ…」。僕は思わずつぶやいた。 帰り際、僕は「昔よくお邪魔していたので、きょうはとても懐かしくて、嬉しかったです」と奥さんに伝え、自己紹介をした。 奥さんからは、マスターのTさんがつづったエッセイ(人生相談的な内容)を収録した文庫本をお土産にいただいた(写真右=倫敦屋酒場の店内)。 倫敦屋は昔と変わらず、温かい雰囲気で僕を迎えてくれた。四半世紀前、金沢で通ったBARで今も続いているのはここくらいしかない。そんな酒場が今も残っている幸せ。僕はここに来ればいつでも、20代前半の頃にタイムスリップできる。 【Bar MACHRIHANISH】金沢市木倉町2-4 西野ビル2F 電話076-233-0072 【Bar SPOON】金沢市片町1丁目5-8 シャトウビル1F・2F 電話262-5314 【倫敦屋酒場】金沢市片町1丁目12-8 戸田ビル 電話232-2671(営業時間、定休日等は各店へお問い合わせください) 【追記】金沢の翌日25日に訪れた輪島のことを少しばかり記します。あの能登半島地震から1カ月。輪島市内は、一番被害のひどかった門前地区を除いて、ほぼ地震前に戻りつつあります。その門前地区でも仮設住宅への入居が28日から始まりました。 しかし、風評被害の影響もあって能登に観光客はまだ十分戻ってきていません。有名な輪島の朝市もさびしい賑わいでした(写真左)。 風評被害は地震の被害の少なかった和倉温泉にも及んでいます。大企業の立地が少なく、観光が基幹産業でもある石川県の場合、県外観光客の減少は県の経済にとって直接的なダメージになります。 復興支援といってもいろんな形の支援があります。物や救援金を送るのももちろんいいことなのですが、現地の人に話を聞くとやはり、「観光客が来てくれてお金を使ってくれることが一番の励ましになる」と言う人が多いのです。 僕も、25日の夜は輪島のお寿司屋さんでしっかり食べて、翌26日朝は朝市であれこれ買い物をして帰りました。「ここでお金を落とすことが今の自分にできること」だと思ったからです。皆さんもぜひ、元気を取り戻した能登へ遊びに行ってあげてください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/29
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ここ数カ月ほどの間、東京出張のたびにちょこちょこっとあちこちのBARを巡ってきました。その報告をすっかり書きそびれておりました(すみません)。そこで、まとめて紹介したと思います。くれぐれも一晩で回ったBARではありません(笑)ので、誤解なきように…。【バル・デ・オジャリア恵比寿】ご存知、日本のシェリーの第一人者、中瀬航也さんの店「バル・デ・オジャリア」(銀座)の2号店。だから、シェリーの品揃えも、味も、スタッフの接客も文句なしのレベルだ。 恵比寿に支店を出したという話を聞いていたので、一度ぜひ行ってみたかったのがようやく実現した。銀座の本店には何度かお邪魔しているが、恵比寿の店も同じような明るい、気さくな雰囲気で、とても居心地良い空間になっている。 シェリーをあれこれ沢山いただいて、美味しいアヒージョ、生ハムなどの料理も堪能して、お値段もリーズナブル。駅から比較的近いし、使い勝手もとてもよさそう。また来たいと強く思う。 【Bar松下】久しぶりに恵比寿まで来たので、もう1軒と考え、前から気になっていたこのお店へ。駅の西側へ数分歩いた辺り、看板らしい看板は何も出ていないので、気を付けていないと見逃してしまいそう。 急な石の階段を上がるとドアがある。そこを開けると、暗い、おしゃれなライティングに包まれた異次元のような空間が広がる(ただしキャパは15人程度か)。コの字型のカウンターなので、バーテンダーの所作が3方向から見える。 カウンターの中には炭火焼の鉢。お酒に合う一夜干しも焼いてくれるとのこと。ネットの情報ではお値段のめちゃ高い店という書き込みもあったが、普通にスタンダードなカクテルを2杯飲んでお勘定は約3500円。まぁ恵比寿という場所を考えれば妥当かな…。【Bar・Salvador(サルバドール)】このBARは久々(数年ぶりか?)の訪問。高田馬場という立地なので、普段、銀座界隈で飲むことが多い僕はなかなかお邪魔できていないが、気さくなSマスターと店の雰囲気もあって、とても気に入っているBARの1軒だ。 新宿の「Bar・ARGYLL(アーガイル)」の店長だったSさんは2005年に独立。研究熱心(ウイスキー、ワイン、カクテルにとても詳しい)なことに加えて、接客&トークも巧みで、インテリアへのこだわりも光る。その才能は、僕にはまだまだ伸びしろいっぱいに思える。 久しぶりにお邪魔した僕は旧交を温めながら、一緒に行った友人とともにカクテル談義なども楽しみ、マスターから極上の和みと癒しの時間をもらった。素晴らしい高田馬場の夜に乾杯!【Bar・Orchard Ginza】初めての訪問。だが、うらんかんろは、マスターのMさんとかつて神戸のホテルオークラで出会ったことがある。ある出版記念パーティーで僕が司会をし、その宴会を仕切ってくれたのが同ホテルのバーテンダー、Mさんだった。 Mさんはその後、ホテルを退職して独立を目指す。鹿児島出身だが故郷に帰るつもりはなかった。「店をやるなら、やはり銀座で」と、ホテルで同僚だった福岡出身の奥様と一緒に、2008年、念願の店を開いた。 お店のウリは、フルーツ・カクテル。産地や作り方にもこだわる。フローズン・カクテルを、わざわざ零下196度の液体窒素を使ってつくるなんて技は、Mさんならではだろう。お値段は少し張るが、払った金に見合う満足感が得られることは僕が保証する。【Bar・Talisker】東京のBARでは、うらんかんろが、もうかなり長く付き合っていて、銀座でも最もお気に入りの1軒だとも言える。1998年のオープン当初から、僕は出張のたびにしばしばお邪魔している。 シングルモルトにめちゃ詳しく、カクテルの技も確か(カクテルブックも出版しているほど)。モルトはそのこだわりもあって、レアで少々値が張るものが多いが、ここでしか味わえないものもあり、教えられることも多く、つい散財してしまう(笑)。 僕は何よりもUさんのさっぱりとした、嫌味のない人柄が好きだ。付かず離れずの接客も心憎い。表通りの喧騒が聞こえない静かで落ち着いた、ウッディな空間も心地よい。定宿のホテルからも近く、最近は銀座BAR巡りの締めの1軒に選ぶことが多いなぁ…。【Sunlucar(サンルカール)Bar】銀座の有名Bar・Tenderで長年修業したSさんが独立、ことし6月、神楽坂で「サンルカール」というこじんまりとしたBARを開いた。 神楽坂界隈は古い商店街・家並みの中に、新しいおしゃれな店が次々と生まれ、その渾然一体とした雰囲気がたまらない。いま、東京で最もトレンディなエリアと言っていいかもしれない。そんな神楽坂に、Sさんは「午後2時オープン、月曜定休」という面白いコンセプトのBARを開いた。 界隈には住人も多く、常連客が付くのにそう時間はかからなかった。店はいつも早い時間から盛況だ。カクテルは当然Tender仕込みのハードシェイク。腰の低い、優しく温かい接客も申し分ない。こんな素敵な酒場で昼間から飲めるなんて…。神楽坂の住人を羨ましく思うのは僕だけではないだろう。【Bar歯車】サンルカールと同じ神楽坂エリアに最近、もう1軒、評判のいいBARが出来たという話を聞いた。その名を「歯車」という。奇妙な店名の由来はさておくとして、店へ入って驚いた。うらんかんろがこれまで経験したBARの中でも、おそらく最も店内の照明が暗い店だ。 足元は真っ暗。店内もほのかな灯りで、ぼやっ~とにしか見えない。カウンターにいるマスターの顔もまるで分からない。1杯飲んで、20~30分経って、ようやく目が慣れてきて、周囲の状態やマスターの顔がなんとなくわかるようになってきた。 話していてとても驚いたのは、マスターのHさんは青山のサード・ラジオ、新宿のル・パランという有名BARの出身だったこと。僕は偶然、そのどちらの店にもお邪魔したことがある。だから、Hさんと“接点”があった可能性がある。 「いやぁ…昔、出会ってたかもしれないんですねー」というのが奇しくも、お互いの口から出た言葉だった。初めてのBARでこんな不思議な、嬉しい出会いがあることもBAR巡りの醍醐味だ。だからBAR巡りはやめられない。 【バル・デ・オジャリア恵比寿】東京都渋谷区恵比寿1-22-23 ヴェラハイツ恵比寿108 03-5402-0936 午前11時半~午後3時、午後5時~午前0時(土午後2時~) 無休 【Bar松下】渋谷区恵比寿南2-3-15 3711-6900 午後7時~午前4時 日祝休 【Bar・Salvador】新宿区高田馬場1丁目29-6 野菊ビル2F 午後7時~午前3時 不定休 【Bar・ORCHARD GINZA】中央区銀座6丁目5-16 3575-0333 午後6時~午前3時 日祝休 【Bar・Talisker】中央区銀座7丁目5-12 3571-1753 午後6時~午前2時 日祝休 【Sunlucar Bar】新宿区神楽坂6-43 6228-1232 午後2時~午前0時 月休 【Bar歯車】新宿区若宮町16 塩谷ビル2F 5206-8837 午後3時~午前0時 月休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/09
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【2022年4月1日改訂・追記致しました】 拙著「今宵も、BARへ--『私的』入門講座20章」へのご支援、本当に有難うございます。さて、このたび本文第19章「私の『おすすめ』BAR」を改訂いたしました。 以前からお伝えしていますように、「おすすめ」BARで名前を挙げた店は、原則として、私自身が実際に訪れた店や、個人的に人柄や接客ぶりを知っている店のなかから、あくまで「主観や好み」および、(「今宵もBARへ…」で紹介したような)私なりの「ルール」(基準)で選んでおりますが、今回は、こうした店だけではなく、親友でもあった切り絵作家の故・成田一徹氏から生前に「いい評価」をよく聞かされていたBARからも選びました。 結果として、「おすすめBAR」の数は、42都道府県の約300軒以上にもなりました。なお、過去の「おすすめBAR」リストにあったものの幾つかの理由で外した店もあります。また残念ながら、ここ数年の間に閉店した店は削除いたしました。 毎回書いていることですが、私の「大好きなBAR」「馴染みのBAR」が、他の方にとっても「いいBAR」であるとは断言できないことも、あらかじめご承知おきください。なかにはお値段が少し張るBARもありますが、私が「その対価に見合う価値のある店」と判断した場合は、掲載しています。 この「リスト」が貴方とBARとの良き出会いのための「手掛かり」になれば、これに勝る喜びはありません。連載時や本でも断りましたが、店の住所や連絡先はあえて記していません。「いいBAR」と出会うには、見つけ出すそれなりの努力も必要です。悪しからずご了解ください。【北海道】<札幌>Barやまざき、 Bar Proof、Bar Adonis、Barコオ、The Nikka Bar、ドゥ・エルミタージュ、Malt Bar Kirk Wall、<小樽>Bar HATTA【岩手】<盛岡>Bar BARON、Bar ニート、アルセーヌ・ルパン、<北上>The Slaintheva(スランジーバ)【秋田】Bar Le Verre(ル・ヴェール)、Bar Lady、The Bar 1980【山形・酒田】ケルン【宮城】<仙台>Andante、森羅万象、Bar Arcanciel、Le Bar KAWAGOE【福島・郡山】Bar WATANABE【群馬・高崎】カクテルバー・ポイント【栃木・宇都宮】バー・シャモニー、パイプのけむり本店、パイプのけむり・夢酒OGAWA【埼玉】<さいたま>Shot Bar Peace、Bar SAKAMOTO <春日部>Cooper’s <秩父>EAU DE VIE Hill's Top【千葉・船橋】Bar Cooperage【東京】 <銀座・新橋・有楽町>ルパン、 銀座サンボア、Barオーパ、JBA Bar洋酒博物館、JBA Bar SUZUKI、MORI Bar、Rock Fish、 Bar FAL、Bar Anthem、 数寄屋橋サンボア、Bar Orchard Ginza、 Bar草間ギンザ、 酒向Bar、 スタア・バー・ギンザ、Bar Four Seasons、Bar MUSASHI、酒仙堂、TOSTI、EVITA、Bar SLUGG’s、Bar R、バーBOOK、Syndycate、Bar Satin Doll、バー夕、SCAPA、アトリウム&アトリウム・エン、Bar T.O.、キャンベルタウン・ロッホ <その他のエリア>Bar Fingal、Bar Leaf、Bar 港、Bar RADIO、東京會舘・Main Bar、ガスライト、bar Salvador、Bar Sunface、Bar BenFiddich、Bar Algernon Synfonia、Bar BEE、Jus de Peche、Bar Smoke Salt、Bar Cielo、Bar dr(ディア)、Bar Somethin'、バーリィ浅草、OGURA is Bar、Barフラミンゴ、サンルカール・バー、ABE、琥珀、太陽と星のバー(現在は「あなろぐ村」と改名)、石の華、Bar Caprice、Le Zinc、カエサリオン、Speyside Way、Bar Woody、永楽倶楽部バー・コーナー、Bar Shanks、KAZZ、Bar ラ・ポポット、Bar Tenderly、Bar Heath、Mandarin Bar【神奈川】<横浜>スリー・マティーニ、 Bar Nemanja、Bar Casablanca、Sea Guarddian2、The Dufftown、Bar The Sheep、Bar Noble、Bar GLORY大倉山、Bar MATSUMOTO Bar Eau de Vie【静岡】<沼津>Bar Victory、Frank Bar <三島>Bar 奈良橋、 Bar YUMOTO【長野】メインバー・コート【富山】仏蘭西屋・洋酒肆、Barリクオル、舶来居酒屋・白馬館、Jazz&Liquor ジェリコの戦い【金沢】広坂ハイボール、エスト高橋、倫敦屋酒場、MACHRIHANISH、Bar Spoon【福井】Bar LOTUS、Bar Dufftown【岐阜】BAROSSA Cocktailier、貿易風ミグ、洋酒天国、サフラン【名古屋】<名古屋>Bar Kreis、Yoshino Bar、Bar Barns、酒肆・蘭燈(らんたん)、Bar 立礼(りゅうれい)、Bar ALBION、Bar Old Time、Barノクターン <豊田>Bar Ron Cana【三重】<津>British Pub Pige(ピゲ)、<四日市>Bar Vintage、<桑名>洋酒肆ふるかわ屋【滋賀・彦根】Salon Bar Thistle【京都】フィンランディア・バー、Bar K6、祇園サンボア、 フェロー&フェロー、Bar Rocking Chair、Bar YANAGI、The Common One Bar、K家、Bar Talisker、バードランド、Bar 玄、キャラメル・ママ【大阪】<キタ>Bar K、 Bar BESO、Bar Cluricaun(クルラホン)、北サンボア、 堂島サンボア、北新地サンボア、 Bar Arlequin(アルルカン)、スタンド・アルル、Bar TIME 天神、Bar Cadboll、Bar the Monarch、Bar Hardi、 ギルビヰ、十三トリス、ハイボール小路、Bar Savoy Osaka、Little Bar、Bar Arpeggio、Boby's Bar、Bar HIRAMATSU UMEDA、Bar AUGUSTA、MORITA BAR、天神橋サンボア、ムルソー・セカンドクラブ、オールドインペリアル・バー(帝国ホテル大阪) <ミナミ>OTIS、Just A Little Bit、EVE、 吉田バー、Bros Bar、スコッチバー・タロー、Bar Whiskey、デュエット <その他のエリア>Dramhouse the Root、バー立山、Bar 7th、Bar BABY、Rogin's Tavern、Shot Bar Keith <堺>Whisky Cat、Bar Kiln、Bar中原【兵庫】<神戸・三宮&元町>Bar Mainmalt、Bar YANAGASE、 Bar Savoy 北野坂、Sunshine Bar、Bar Sloppy Joe、Bar Savoy Hommage、Bar Moon-Lite、Bar Alco-hall、Papa Hemingway、Bar Logensitz、Bar Charlie Brown、AZABU Bar、The Avery's、Slice Bar、Bar SONORA、Bar Andante、Bar le Bateau、神戸ロバアタ商会 <その他のエリア>Bar THE TIME(西宮)、Bar Camphorwood(尼崎)、Bar TRIBECA(加古川)【奈良】Bar Cotton Club、Bar Dalwhinnie、Lamp Bar、The Sailing Bar(会員制)【和歌山】Bar Tender、Bar The BARMAN、Bar Roge【広島】<広島>Bar Slaintheva(スランジーバ)、Bar Oldies、Bar Fouque、Bar Brown、Bar Usquebaugh(ウスケボ)、<福山>ROHTA's Bar、暁(福山店)※尾道の本店は現在休止中【岡山&倉敷】Utena Bar、SAMSARA、Bar 北田、Onoda Bar(倉敷)【鳥取】Bar Style、Misty Bar【松江】Bar山小舎、Bar Loch Side、中村Bar【山口・岩国】Bar Prelude【徳島】Bar鴻(こうの)、Long Bar、Bar Glen K、JAZZ BAR SWING、Bar ARCHE(アルシェ)、KOZO's Bar【高松】Bar le Camarade(ル・カマラード)、Barダンク、Barふくろう【松山】Bar 露口、Bar JuJu、Bar 独奏【高知】Bar フランソワ、Walton Bar、Bar Pourer【福岡】<中州>Bar 七島、Bar HIGUCHI、Bar Heart Strings、Bar GITA、Bar倉吉、スタンドバーいしばし、<大名>Bar オスカー、Barセブン・シーズ、Barパルム・ドール、Bar粋七(いきしち)、MOMOTA BAR【長崎】Bar Waverly、Bar Strand【熊本】Bar States、Bar Village【大分・佐伯】カクテルバー玉井【鹿児島】Shot House ハイブリッジ、Bar宮元、池田バー【沖縄(本島/宮古島、石垣島)】バー・ラヂオ、Shot Bar Fox Hole、ハッチャーマン・クラブ、エレファントカフェ(2021年2月1日改訂)【追記(2021.2.1.)】今後も「今宵も、BARへ…」WEB版では、「おすすめ」BARを随時追加していく予定です(製本版は現在絶版です。再版予定は現時点ではございません。悪しからずご了承くださいませ)。 なお、上記に紹介したBarには、その後閉店・移転した可能性のあるBARもございます。ご訪問の際は、事前に現在の営業状態をご確認ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2016/02/11
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Bar UKからのお知らせです。 少し先のことですが、バーUKで久々にジャズ・ライブを開催致します。 今回は、井上朋子さん(サックス)とオカダトモヤさん(ピアノ)という若手実力派のお二人をお迎えし、熱い演奏をお楽しみ頂きます。日程等は以下の通りです。皆さまのお越しをお待ちしております。日時:5月8日(水)午後7時15分、同8時半の2回公演(原則入れ替えなし)。 ※当日のお客様の入店は午後6時半頃からとなります。 ※時間の都合でどちらかのステージしか聴けないという方は、マスターまでご相談ください。定員:最大12名(先着順)Music Charge:3000円(バーUKのサービス料込み。1ドリンク付き)。お申込み:バーUKまで営業時間中にお電話でお願いいたします。【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半(入店は8時まで)、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回不定休(月によっては変更されることも有り)。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円【出演者プロフィール】★井上朋子 5才よりピアノを、中学校入学とともにサックスを始める。高校卒業後、大阪音楽大学音楽学部に入学。クラシックを中心に学ぶ。在学中、ジャズに興味を持ちジャズサックスも学び始める。 大学卒業後、第16回長江杯国際音楽コンクールにて管楽器の部第1位受賞。また、オリジナル曲がプロダクションさきらの公演「ホームズ×ジャズ」のテーマソングとして使用される。ジャズ、ポップス、クラシックなど様々なジャンルを演奏し、レストラン、ライブハウス、バーなどで主に関西・関東で音楽活動を行っている。★オカダトモヤ 幼少時にドビュッシーなどのクラシックに触れ、その後一度ピアノを離れる。高校中退から紆余曲折を経て独学でピアノを再開し、大阪芸術大学に入学。以降ポピュラーミュージックに傾倒、在学中よりバンド活動や各所での演奏活動を初める。 ジャズとポップスを下敷きにした独自のサウンドで、メジャー、インディーズのライブやツアー参加、レコーディングなど精力的に行なっている。心に届く演奏を信条とし、喜怒哀楽全てを表現するプレイスタイルが好評を博している。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2019/03/04
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3.アレクザンダー(Alexander)【現代の標準的なレシピ】(単位はml) ブランデー(40)、クレーム・ド・カカオ(15)、生クリーム(15)、ナツメグ・パウダー 【スタイル】シェイク アレクザンダーと言えば、クラシック・カクテルの代表的存在です。ハリー・マッケルホーンの名著「ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)や「サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)」(ハリー・クラドック著、1930年刊)にも、当然その名が見えます。考案者の名前は伝わっていません。 考案の時期については、1863年、英皇太子エドワード(後の国王エドワード7世)とデンマークのアレクサンドラ王女の結婚式に捧げられたという説が有名でしたが、近年の研究では、当時は生クリームやクレーム・ド・カカオはカクテルの一般的な材料でなかったこともあり、この説には疑問の声が出ています。 石垣憲一氏の著書「カクテル ホントのうんちく話」(2008年刊)によれば、近年では、もう一つの説である「1901年のエドワード7世の即位式か、1902年のアレクサンドラ王妃の戴冠式の際に献上された」という方が、より信憑性があるということです(考案者は英国のバーテンダーでしょうが、名前は伝わっていません)。なお、当初は「アレクサンドラ」と呼ばれていたが、いつの間にか「アレクザンダー」という男性名に変化したという逸話も伝わっています。 欧米の文献で「アレクザンダー」が初めて登場するのは、冒頭でも紹介した1919年刊の「ABC of Mixing Cocktails」です。「アレクザンダー」は、当初はジン・ベースのものが一般的だったと伝わっていますが、「ABC of …」ではなぜかブランデー・ベースです(レシピはブランデー3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1です)。マッケルホーンがブランデー・ベースを採用した理由はよくわかりません(今後の研究課題です)。 ブランデー・ベースの「アレクザンダー」は欧州を中心に発展したのに対し、米国ではなぜか、(当初は)ジン・ベースのものが主流となりました。禁酒法以前から飲まれていたという記録もありますが、米国のカクテルブックに登場するのは、1935年刊の「ウォルドルフ・アストリア・バーブック」が初めてです。 禁酒法が廃止された1934年以降も、米国では40年代末までに出版されたカクテルブックでは、ジン・ベースのものがほとんどで、今日でも、ジン・ベースの「アレクザンダー」はよく飲まれています。 なお「サヴォイ・カクテルブック」では、ブランデー・ベースとジン・ベースの「アレクザンダー」が並列的に紹介されています。これは英国生まれのハリー・クラドックが長く米国でバーテンダーの仕事をしたことも影響していると考えられています。 ご参考までに、1930年代に出版された欧米の代表的なカクテルブックでのレシピを、少し詳しくみてみると――。 ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著 1934年刊)仏 ジン2分の1、クレーム・ド・カカオ4分の1、生クリーム4分の1 ※「アレクサンドラ」という初期の名前で収録されている ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ジン3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 No1. ジン3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 No2. ブランデー3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ジン3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 ブランデー・ベースの「アレクザンダー」は1950年代頃まで米国内ではあまりポピュラーではありませんでしたが、1962年公開の映画「酒とバラの日々」で、小道具として使われたことから、一気にブレイクしました(出典:欧米の複数の専門サイト)。 余談ですが、「ABC of …」では、「アレクザンダー」のベースをジンに換えただけのカクテルを「プリンセス・メアリー」という名で収録しています。そしてマッケルホーン自ら、「1922年2月、メアリー王女のラセル卿(Lord Lascelles)との結婚を祝って私自身が考案した」とわざわざ記しています。 まったく同じレシピの「プリンセス・メアリー」は、「サヴォイ・カクテルブック」や「カフェ・ロイヤル・カクテルブック」(1937年刊)にも登場しますが、「サヴォイ…」では、ジンの割合を2分の1にすれば「アレクザンダーNo1」、3分の1なら「プリンセス・メアリー」とジンの割合の違いで名前を変えているのが何とも奇妙なところです。 また、「アレクザンダーズ・シスター」というカクテルも知られていますが、こちらは「ジン、クレーム・ド・マント(ミント・リキュール)、生クリーム」がレシピ(出典:サヴォイ・カクテルブック)で、「プリンセス・メアリー」のバリエーションの一つとも言えるでしょう。 日本には1930年代に、ブランデー・ベースのものが伝わりました。日本では今なおブランデー・ベースが一般的です。今日でもジン・ベースのアレクザンダーが認知されている欧米では、わざわざ「ジン・アレクザンダー」「ブランデー・アレクザンダー」と区別して紹介しているカクテルブックもよく見かけます。【確認できる日本初出資料】「世界コクテル百科辞典」(佐藤紅霞著、1931年刊)。レシピは、ブランデー3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1、シェイクしてレモン・ピールをとなっています。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2016/11/11
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ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(以下、「ヘレス」と略す)旧市街の中心にある「アレナル広場」に、僕らは戻ってきた。広場は市民の憩いの場でもある。一角には、「ティオ・ペペ」のロゴも入った小型の市内遊覧バス(と言ってもかわいい電車の形をしている)=写真左=の出発場所もある。 広場につながる大きな通りの幾つかは歩行者天国。人間優先の思想になっているのが嬉しい。だから、広場周辺にはテーブルを出すバルやカフェも多い(写真左下)。パフォーマンスをする人、何かの抗議活動のためテント暮らしをする人も、みんな共存している。 散策をしながら、友人への土産物に何か良いものかないかなぁと、商店街などを歩いたが、ほとんどの店が閉まっている。開いてるのは飲食関係の店くらい。聞けば、「シエスタ(昼休み)」で、2時頃から5時か5時半くらいまできっちり休むのだという(写真右=ヘレスの街の中心にあるシンボル的なビル)。 マドリッドでもトレドでも、やはりシエスタをとる店は多かった。デパートなどは日曜・祝日はきっちり休む。スペインは今、ギリシャに続いて財政破たんしそうな国だと噂されているというのに…。 日本人の働き過ぎも問題だが、スペイン人には「もっと働いた方がいいんじゃない?」と言いたくなる。とくにヘレスは観光で生きている街である。観光客がいる昼間に店を開け、カネを落としてもらわなくてどうする!と言いたい。 さて、買い物もなかなかままならないので、カフェなどで時間をつぶした後、再びボデガ(醸造所)「ゴンザレス・ビアス(Gonzalez Byass)」(写真左下)へ向かう。そろそろ午後5時の見学ツアーの時間が近づいてきた。 「コンザレス…」のチケット売り場付近に着くと、外国人観光客があふれている。その数計70~80人くらいか。「次の回に回されたらいやだな」と一瞬思ったが、見学ツアーはスペイン語、英語、ドイツ語の3つに分かれる。だから程よい人数に分散して、5時からツアー参加は幸い大丈夫だった。 僕らは英語のツアーを選んだ。ツアーは言語とともに試飲の種類(2種か4種か)とタパスの付き・無しを選べる。僕らは晩御飯のことも考え、2種の試飲&タパス無しを選んだ(写真右上=「ゴンザレス…」の向かいに残るイスラム時代の城「アルカサル」)。 見学ツアーのことを記す前に、シェリーのことと、「ゴンザレス・ビアス」社のことを少し紹介しておく。シェリーとは酒精強化ワインとも言われ、アンダルシア地方のヘレスなど限定された地域で造られているものだけが「シェリー」と名乗ることができる。 原料となるブドウの約9割はパロミノ種(日本ではあまり馴染みのない品種だが)。他に甘口用としてペドロ・ヒメネス、モスカテルという2品種も使われる。 「ゴンザレス…」社は1835年、当時23歳だったマヌエル・ゴンザレス・アンヘル氏が創業。ゴンザレスは、「ティオ・ペペ」の名前の由来ともなった叔父の助力のもと、シェリー造りとその輸出に情熱を注いだ(写真右=見学ツアー客の待合所)。 1844年この「ティオ・ペペ」を英国へ輸出すると、その素晴らしさを高く評価する英国人が現れた。ロンドンで貿易代理店を営んでいたロバート・ブレイク・ビアス(英語では「バイアス」と発音するという)。それまで英国では甘口のシェリーが主流だったが、ビアスは「ティオ・ペペ」のようなドライ(辛口)タイプは、折からの酒類のドライ志向にぴったりだと思ったのだ。 ゴンザレスはまもなくビアスを共同経営者に迎えた。すると事業はさらに発展。1862年にはスペイン王室御用達のメーカーとなり、19世紀末にはすでに世界最大のシェリー醸造業者の地位を揺るぎないものとした。 ゴンザレス社は現在シェリーのほか、ブランデーやワインも生産。ワイン造りでも、シャトー・マルゴーの元醸造責任者をアドバイザーに迎えたほか、2006年にはヘレスの北のラ・マンチャという地に新たなワイナリーを設立するなど、“攻め”の経営でさらなる成長を続ける。 さて、見学ツアーの話に戻る。ガイド役のスタッフは優しそうな中年男性(写真右)。まず貯蔵庫を数カ所案内された後、15分ほど「ゴンザレス…」社の歩みを紹介する映画を見せられる。そして、その後は赤い見学用カート(写真左上)に乗って場内を回る。 場内には立派なぶどう畑(おそらくパロミノ種)=写真右=もあり、ちょうど実りの季節を迎えていた。カートを降りた後、さらに貯蔵庫を何棟か見学する(写真左)。古い時代の樽ばかり集めた貯蔵庫、王室御用達の樽、訪れた有名人がサインした樽を集めた部屋等々。 面白かったのは、貯蔵庫の中に住みついたネズミのために、小さな梯子をかけたシェリーのグラスが、エサと一緒に床に置いてあったこと(写真左)。実際ネズミは梯子を上ってシェリーを舐めに来る(額に入れた写真が飾ってあった)。 案内スタッフのおじさんは、日本から来た僕らにサービスしたいと思ったのか「このネズミは(シェリーを飲んで)酔っぱらうとフラメンコを踊ります!」と日本語で言って、笑わせてくれた。 さて、1時間余りの見学も終わり、ようやく試飲タイム(写真左下)。僕ら一行は宴会場のような場所へ連れていかれた。他の外国人客はほとんどが4種類を飲んで、タパスも食べている。やはり胃袋や肝臓のつくりが違う! 盛り上がる外国人たちをよそに、僕らは2種類だけ試飲して会場を後にし、ショップであれこれお土産を探す。 ボトルも買いたかったけど、これからまだグラナダ、バルセロナへと移動があるので重いから断念。あまりかさばらない物や軽い物を中心にお土産をたくさん買い込む。ゴンザレス・ビアスのスタッフの皆さん、温かいもてなしを有難う!またいつか来たいです! 「ゴンザレス…」見学を終えた僕らは「シエスタ」あけの旧市街の商店街へ。雑貨屋さんも兼ねる酒屋さんで さらに少し土産を買った後、今夜の晩御飯を食べる予定の店へ。ここもブログの友人から教えてもらった店だったが、予想外の事態が待ち受けていた。 教えてもらったお店「レイノ・デ・レオン」(Reino de Leon)はアレナル広場からすぐ近くにあったが、店の前に来てみると、なにやら張り紙がしてある。「CERRADO POR REFORMAS(改修中につきお休みしています)」。「まさか!こんなタイミングで!」と一瞬絶句したが、運が悪かったと思ってあきらめるしかない。 仕方がないので事前に選んでいた候補店のうち、広場からも近い「ファニート」(Juanito)=写真右=というバル&レスタウランテを選んだ(店は「レイノ」から歩いて1分ほどとめちゃ近い)。飲み物は、いつものパターンでまず「ドス・セルベッサ!」、そして2杯目からはもちろん、シェリー。それにしてもヘレスで飲むシェリーは、なぜこんなに美味しいんだろう。「ヘレスの神様」に乾杯! この夜僕らが頂いたのは、牛肉と野菜(と言っても豆類が中心)の煮込み料理(写真左上)、そして、まだスペインに来てから貝を食べていなかったので、アサリのシェリー蒸し(写真右)。前者は、スペイン料理にしては珍しくカレー風味の味付けだったが、意外といけた。後者はニンニクとシェリー・ビネガーが効いてめちゃ旨い。シェリーがすすむ。料理は例によってボリュームたっぷりで、日本人の胃袋には十分だ。 気がつけばヘレスの夜もすっかり更けているが、あちこちのバルから歓声が漏れ聞こえる。スペインの人たちにとっては、夜はまだまだこれからなのだろう。夜通し飲んで食べて疲れても、また翌日には長いシエスタがあって、疲れを癒せる(笑)。そうか! そのためのシエスタなのかと改めて実感。でも、観光客としては、交代で休みをとってでも、もう少しお店を開けてほしいなぁ…。 明日は午前中、ヘレスでさらに2カ所のボデガを訪ねる予定。ギフト・ショップで何か素敵なお土産があればいいなぁと思う。午後からはいよいよ長距離バスでグラナダへ出発だ。 【ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ編へ続く】こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/10/12
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吉田バーと言えば、誰もが認める大阪屈指の老舗BAR。大阪の旅行ガイドブックなら、まず例外なく紹介されるBARだろう。昭和6年(1931)の創業。ことし75年目を迎える。 創業当時は現在地(道頓堀川の南側、御堂筋から西へすぐ)より少し東方の、千日前という処にあったが、戦後、今の場所に移った。チーク材をふんだんに使った落ち着いた内装。長年集められたミニチュア・ボトルが棚狭しと並べられ、座れば少しきしむカウンターの椅子も歴史を感じさせる(写真左下は、店内カウンター席の様子)。 初代オーナーの吉田寿二さんは、もともと繊維関係の仕事をしていた。ところが、第一次世界大戦後の不況の余波で、経営していたメリヤス問屋を閉めざるを得なくなった。舶来のものに関心が強かった吉田さんは、当時まったく新しい業種であった、バー経営で再出発しようと心機一転、決意する。それが「吉田バー」の始まりである。 昭和初期、洋酒を仕入れるのは大変な苦労だったに違いない。だが研究熱心で、努力家の吉田さんを、常連客は海外出張の折などに珍しい洋酒を買ってきたりして支え、店は順調に発展してきた。 2代目オーナーとなった息子の芳二郎さんは、昭和26年(1951)、24歳から父親と一緒にカウンターに立ち始めた。芳二郎さんも、父親以上に研究熱心だった。その成果は、「洋酒入門」「洋酒入門2」(1968年、保育社刊)という2冊の著書に結実している。 実は意外と知られていないのだが、芳二郎さんは下戸で、お酒がほとんど飲めなかった。にもかかわらず、今も版を重ねる歴史的な本を著したのは、立派と言うしかない。本が出版された昭和40年代前半は、おそらく日本にはまともなカクテル・ブックなどなかった時代。年配のバーテンダーやBAR好きの方で、この芳二郎さんの本にお世話になった人も多いだろう。 残念ながら、芳二郎さんは2001年5月に78歳で亡くなられた。僕は初代の寿二さんは存知あげないが、芳二郎さんの仕事ぶりは、僕がBARで酒を飲み始めてからはずっと見続けてきた。いつも背筋をぴんと伸ばし、カウンターに立っていた芳二郎さん。無駄口はほとんど言わず、真面目で実直な人柄は、誰からも愛された。 店はいま、芳二郎さんの長女の啓子さんが3代目を継ぎ、カウンターを守る。長い歴史を持つが故、当たり前だが、常連客の年齢層は高い(50歳以上の比率がとても高い)。3世代で通うというファンも少なくない。店は一応午後4時開店だが、3時半くらいから常連客が集まり始める。そんなせっかちな客たちを、店は嫌な顔一つせず迎え入れるから、不思議なBARだ。 客たちは、BGMのない静かな店内で、新聞を読みながらウイスキー・グラスを揺らし、琥珀色の美酒を口に運ぶ。ミナミの繁華街の喧噪(けんそう)は、店の中までは聞こえない。吉田バーには今日も、昔と変わらぬ、ゆったりとした時間が流れている。【吉田バー】大阪市中央区難波2-4-6 電話06-6213-1385 午後4時~10時 第2・4土曜と日祝休
2005/03/28
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◆フェノール値 & ppm って何だ? モルト・ウイスキーの味わいを表現する形容詞に、スモーキー(smoky)、ピーティー(peaty)という言葉があります。そして、「スモーキーさ」「ピーティーさ」の程度を表す数値として、(あまり一般的ではありませんが)しばしばフェノール値という言葉が登場し、「ppm」という単位が使われます。最近では、ウイスキーのパンフレットやラベルの説明にもお目見えするようになりました。 しかし、「フェノール値とかppmとかって何なの?」と聞かれて、正確に答えることが出来る人は、ウイスキーに詳しいバーのマスターやバー業界関係者でも、意外と少ないのが現状です。そこで、自分なりに得られるだけの資料を使って、友人のサポートも受けながら、精一杯まとめてみました(※お読みになってもし何かお気づきの点があれば、ご指摘頂ければ幸いです)。 1.ピートが生むスモーキーさ スモーキーなウイスキーが誕生するためには、ピート(泥炭)、原材料の大麦、酵母、仕込み水、樽の種類などいろいろな要素が絡んできますが、なかでもピートと原材料の大麦の影響が大きいと考えられています。ピートはヒースなどの野草や灌木などが長い歳月で堆積して炭化したもので粘土状のものです。スコットランドでは昔から、掘り出して乾燥させ、冬季には貴重な燃料源として燃やして暖房に使ったりしています。 スモーキーなウイスキー造りの際には、発芽後の大麦(モルト)をしばしばピートを燃やしてその煙と熱で乾燥させます(逆に、最終商品として「スモーキーなウイスキー」を造らない場合は、ピートは使いません)。ピートはスコットランドの北部や南部、島部など広い地域で採掘されますがその成分は産地によって違います。アイラ島などはピートに海藻や貝殻、海の生物、海水が結構含まれているため、燃やすと燻製香、ヨード香が強く出ます。一方、内陸部のピートは灌木や草花(ヒースなど)といった植物系の成分が多いのでスモーキーさも穏やかです。ピートのどの部分(成分)が、どのようなスモーキーさを生み出すのかは、まだよく解明されていません。 2.製麦はほとんどがモルトスター頼み ただし、スコットランドでも現在はほとんどの蒸留所が、大手のモルトスター(製麦会社)から乾燥済みの原料大麦を購入しており、フロアモルティング&乾燥を自ら行っているところは稀です(ボウモア、ラフロイグ、キルホーマン、ハイランドパーク、スプリングバンクなど7~8カ所程度です)。そして、フロアモルティングしている蒸留所でもウイスキー造りに使う大麦の全量の製麦はできないため、多かれ少なかれモルトスターから購入しています。 モルトスターは蒸留所からの注文に応じて、ノン・ピーティド大麦、ピーティド大麦を販売し、ピーティド(焚き込み)のレベルも、例えば「40ppm程度で」などの注文に応じています(自社生産している蒸留所は、過去の経験値からピートを燃やし乾燥させる量や時間を調整し、目指すppmレベルに近づけます)。 3.スモーキーさの「一つの指標」 ウイスキー造りの世界では、このピート由来の香り=「スモーキーさ」はフェノール値の数字「ppm」という単位で表されます。すなわち、ppmは「スモーキーさの指標」であり、「フェノール化合物の濃度」です(ppmは「parts per million」の略。1ppmは0.0001%、1%は10000ppmに相当します)。 ピートを燃やして乾燥された大麦は、そのピートの種類や量、乾燥時間などで一般的に、ライト・ピーティド大麦(一般に5ppm以下)、ミディアム・ピーティド大麦(6~19ppm)、ヘビリー・ピーティド大麦(20ppm以上)、スーパー・ヘビリー・ピーティド大麦(概ね80ppm以上)と分けられます。 ピートの使用量は一般的に、ヘビリーの場合で麦芽1トンに対して20~30kg、ミディアムで15kg、ライトで10kgくらいです(この部分の出典:集英社新書「日本のウイスキー 世界一への道」輿水精一&嶋谷幸雄 共著から。※ちなみに、日本国内の蒸留所は現在、ウイスキー用大麦麦芽のほぼ全量を海外から=主にスコットランドから=輸入しており、国産大麦を一部使っているのは秩父蒸留所のみ、国産ピートはニッカの余市蒸留所や新興の厚岸蒸留所が使用していますが、採掘規制もあり、使用量はごく一部です)。 なお、ピートで乾燥させない大麦は「ノン・ピーティド大麦」と呼ばれますが、ノン・ピーティドでも、ウイスキーの製造過程でピート層を通った仕込み水を使ったりするので、アイラ・モルトなどでは1~5ppm程度のフェノール値が検出されることがあります。 4.「スモーキーさ」を生む化合物 ppmは「フェノール化合物の濃度」と先ほど書きましたが、この化合物には様々な種類のものが存在します。代表的なフェノール(phenol)、クレゾール(cresol)以外にも、エチルフェノール(ethylphenol)、グアヤコール(guaiacol)など。いわゆる「スモーキーさ」を生むのは、クレゾール、エチルフェノール、シリンゴル(syringol)、キシレノール(xylenol)、ビニルグアヤコール(vynylguaiacol)という化合物が要因です。 通常は、出来たてのウイスキーのフェノール値を測定する場合、様々なタイプの検査機器、例えばHPLC(High Performance Liquid Chromatography=高効率液体クロマトグラフィー)や、GC/MS(ガスクロマトグラフィー<GC: Gas Chromatography>と質量分析計<MS: Mass Spectrometry>を組み合わせた測定機器)などを使いますが、上記のような様々な化合物の含有量の総量がフェノール値としてppmで表示されます。 5.フェノール値(ピートレベル)は何で測るのか フェノール値は、完成したウイスキーの液体そのものではなく、通常、ピートの燻煙で乾燥させた大麦麦芽を使って測ります。フェノール化合物はそれぞれ特有のにおいを持っていますので、含まれる割合によってウイスキーのにおいも異なります。それがウイスキーの個性とも言えます。ただ、フェノール値だけで「どの化合物がどれくらい含まれているか」を判断(数値化)することはできません。また、フェノール値(ppm)が高いからと言って、最終商品としてのウイスキーの「スモーキーさ」が強くなるという訳ではありません。 この理由には、いくつかの要因が指摘されています。例えば蒸留後、冷却して出来上がった原酒は通常、最初に出て来る部分と最後の残りの部分はカットされて、真ん中の部分(ミドルカット)のみ樽熟成に回されます。「前後の部分」をどの程度カットするかは、各蒸留所の製造方針によって違います。また、どのような種類の樽でどのくらいの期間、どのような環境で貯蔵・熟成するかによっても、最終商品のスモーキーさは変わってきます。 従って、(大麦麦芽段階での)フェノール値が高いほど「よりスモーキーな(臭い)ウイスキーになる」というのは迷信・誤解です。フェノール値100ppmのモルトウイスキーより、50ppmのモルトウイスキーの方がスモーキーだったということもしばしば起こります(例えば、フェノール値が軒並み100ppm以上の「オクトモア」より、50ppmのアードベッグの方がよりスモーキーさを感じるように)。 6.フェノール値(ppm)は、麦芽の乾燥時間で経験的に決めている? ここで私の友人で、職業柄「サイエンス・ライティング」に詳しい、ウイスキー愛好家の安部祥輔氏の示唆に富む見解を紹介しましょう。 安部氏は「私の中での仮説でしかないのですが、(各蒸留所が目指す)フェノール値は『ピートで麦芽を※時間乾燥させたから**ppm』というふうに乾燥時間で決めているような気がしています」と話します。 海外サイトを見ていると、フェノール値は「麦芽の乾燥の度合い」とか「ピートを焚きこんだ度合い」といった記述がけっこう見受けられます。安部氏ならずとも、単位がppmなので、濃度にばかり意識が向きます(実際にほとんどのサイトは濃度について言及しています)が、「なぜ乾燥度合いがppmなのか?」と疑問に思います。 安部氏は「しかしながらフェノール値は、フェノール化合物が含まれている実際の濃度ではなく、単にピートを使った乾燥時間と考えると、腑に落ちることがたくさんあります。経験的に、製麦業者や蒸留所の製麦職人は、乾燥時間からおおよその数値を類推しているのではないでしょうか。乾燥時間が長ければ、麦芽に含まれるフェノール化合物量が増えてフェノール値が大きくなるのでしょうが、含まれる化合物の割合はこの値からはわかりません」と語ります。 なので繰り返しになりますが、ppm値が大きいからといってスモーク臭が強いわけではなく、「含まれるフェノール化合物の大半がクレゾールならボウモアのような香り、すなわち消毒薬のような匂い」になる、一方で、「グアヤコールが多ければ(ラフロイグのような)正露丸のような香り」がする、などという合理的な説明ができます。ppmは100万分の1単位という極微量単位だから測定誤差も考慮すれば、乾燥時間でppm値をざっくりと決めたとしても罪はないでしょう。 7.フェノール値の定義(算出方法)と測定方法は不明確 「どこを探してもフェノール値の定義と算出方法に関する記述が見つけられない」。ウイスキー愛好家から、しばしばこういう声を聞きます。フェノール値の算出方法としていくつかの手法が考えられますが、個々のメーカー(蒸留所)は、具体的にどのように測定・算出しているのかは公表していません。 安部氏は、以下のような手法を推測しています。 議論の前提として、そもそもフェノール値とは、測定対象(モルトやウイスキー)から検出されたすべてのフェノール化合物の濃度をすべて合算した数値なのか、何種類かのフェノール化合物をあらかじめ決めておいて、それらの濃度を合算したものなのか、それが判然としません。どのHPを探しても記述が見つけられません。いずれの方法でもない可能性もあります。 あるメーカー(蒸留所)が、例えば「以下のようなフェノ―ル化合物の濃度の合計値」を自社ウイスキーのフェノール値とするとあらかじめ決めていて、 フェノール(phenol)5ppm、 o-クレゾール(o-cresol)4ppm、 m-クレゾール(m-cresol)2ppm、 p-クレゾール(p-cresol)3ppm、 グアヤコール(guaiacol)8ppm、 4-エチルフェノール(4-ethylphenol)9ppm、 4-エチルグアヤコール(4-ethylguaiacol)10ppm だった場合、 合計値(合算値)である41ppmがそのウイスキーのフェノール値ということになります。 一つ手掛かりとなるのは、日本の大手メーカー(蒸留所)の手法です。先に紹介した輿水氏&嶋谷氏の共著のなかでは、「(サントリー社は)輸入された麦芽を、定性的にはガスクロマトグラフィー分析によって、ピーティングの度合いを調べ、定量的には全フェノール値、揮発性フェノール値を用いる」と紹介されています。 そこで、ここでは前者の算出方法、すなわち「検出されたすべてのフェノール化合物の濃度のすべてを合算」した場合を説明してみましょう。 ウイスキー中のフェノール値を算出すると、ピート由来だけではなく樽由来のフェノール化合物、さらに双方に由来するフェノール化合物とエチルアルコール(言うまでもなくウイスキーの主成分)との反応物であるフェノール化合物など、すべての製造工程で生成したフェノール化合物の濃度が算出されるわけです。 だとすれば(樽由来のフェノール化合物はスモーキーさとは縁遠いものもありますので)、フェノール値をもってスモーキーさを議論することはまったく不毛であることは誰にでも理解できることでしょう。 完成品としての(ニューポットではなく樽熟成後の)ウイスキーのフェノール値に言及している記事も多々あります。しかし、モルト中のフェノール値を算出するにしても、いったい何種類くらいのフェノール化合物が含まれるのか分かりませんが、スモーキーさの要因となる化合物とそうではない化合物のすべての濃度を算出することにあまり合理性が感じられません。従って、モルト(乾燥麦芽)中ではなく完成品のウイスキー中のフェノール化合物を、同じ指標で語ることはナンセンスだということです。 8.フェノール値の測定・算出方法とは? 「フェノール値の定義(算出方法)についての記述が見つからない」と書いているのは、ここまでの考察や推察を含んでの話です。ウェブサイト上でどんなに探しても「フェノール化合物の濃度」とか「ガスクロマトグラフィーを使って測定する」というレベルの域を超える記述は見当たりません。 もちろん分析化学や環境化学を専門としている研究者の文献を探せば、サイエンスに基づいて厳密に書かれた論文はいくらでも見つかりますし、ウイスキーの成分分析に関する論文もいくらでも見つけられますが、フェノール値の定義(算出方法)はどこにも書かれていません。 測定方法についても、やや専門的過ぎるかもしれませんが、改めて少し確認しておきましょう。専門家が紹介している様々な情報から推察すると、ウイスキーに含まれる成分の分析では、ガスクロマトグラフィー(GC: Gas Chromatography)単体ではなく、質量分析計(MS:Mass Spectrometry)を組み合わせた「GC/MS」や、高効率液体クロマトグラフィー(HPLC:High Performance Liquid Chromatography)と「MS」を組み合わせた「LC/MS(液体クロマトグラフィー質量分析法)」が用いられていることが多いのではないかと思います。GC単体やHPLC単体で調べるよりも、精度が高く分析も簡単だからです。 ただ、いろんな文献を検索して読んでいると、近年は、「GC/TOFMS(ガスクロマトグラフ飛行時間質量分析計=最新の分析機器です)」もよく使われているような印象です。 ちなみに、10社近くのモルトスターのサイトを調べてみると、多くの会社が「IoB Methods of Analysis」という測定手法を採用しているようです。これはイギリスの「The Institute of Brewing and Distilling」という業界団体が推奨する方法のようです(同法人のサイトには分析法の詳細が記載されているようですが、会員制サイトなのでIDとPWがなければアクセスができません。残念…)。 モルトスターは、IoB Method以外にもThe American Society of Brewing Chemists(ASBC)、The European Brewing Convention(EBC)という業界団体が推奨する分析法を使っていることもわかりました。国や業界(ビール、ウイスキー、ワインなどなど)ごとに基準があるようです(以上、測定方法については、しっかりとした「裏取り」はしていないうえでの記述であることをお含みおきください)。 ただしそもそも、こうしたモルトスターや蒸留所が、どのようにサンプリング(試料採取)しているのか、1回の測定に使用するモルトは何グラムか、どのような試薬を使って対象化合物を抽出するのかなどの測定手順やルールは公表されていません。微量成分の分析を行うのであれば、モルトスター間で分析手法を統一しなければ、測定データのバラツキが大きくなってしまいますが、それも不明です。 このように考えると、誤解をおそれずに言えば、本当にモルトスターや蒸溜所が(フェノール値の)濃度をきちんと測定しているのだろうか、データの信ぴょう性はどうなのかという疑問すら生じます。 9.結び 本稿を締めくくるにあたっては、やはり、安部氏の言葉を紹介しておきたいと思います。 「個人的には、やはりピートの焚き具合でppm値を決めていると思いたい。そのほうがサイエンスの手法で数値をはじき出すよりも、家内制手工業的なウイスキー製造にロマンを感じるからです。自社でフロアモルティングをやっている蒸溜所に、GC/TOFMSのような最新の分析装置がセッティングされていたら興ざめじゃないですか」。 私もまったく同感です。ウイスキーは数字で楽しむ(飲む)ものではないと思います。ウイスキーが嗜好品である以上、何でも機械や科学で決めてしまうより、蒸留所の職人たちが長年の経験を活かして、原材料や仕込み水、発酵条件、樽や熟成期間、風土等という様々な「偶然」と向き合いながら造る方が、より魅力的なウイスキーが出来ると信じています。 【御礼】この稿の作成にあたっては、本文中にも紹介したサイエンス・ライティングに詳しい安部祥輔氏のほか、堀正明氏(ウイスキー文化研究所認定ウイスキーセミナー講師)、大北賜氏(大阪「リトル・バー」マスター、※現在は「マスター・オブ・ウイスキー」)の御三方に貴重な情報、ご助言を頂きました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/03/08
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久しぶりに言葉(方言)をテーマに。「他県人を震えさせる大阪弁の”罵(ののし)り”フレーズ」14選。本当に腹の立つ相手に使ってみてください。ただし関西人以外の方は、使うときはくれぐれもよく注意して使ってください。後で、どうなっても私は一切の責任は負えませんから(笑)。 1.しばいたろか、このガキ(or オッサン)! 2.いてこましたろかー! 3.いてまうど(or いてこますぞ)、オラァ! 4.いわしたろか! 5.どついたろか、オンどれ! 6.なめとんのかー、このバッハやろう! 7.たいがいにせーや!ワレェ、血ぃ見るどー! 8.何さらしてけつかんねん(or けつかるねん)! 9.どたまかち割ったろかー、ワレェ! 10. ドラム缶にコンクリ詰めして大阪湾に沈めたろかー! 11. 何ごたごた ぬかしとんねん! 12. どたまかち割ったろかー、ワレェ! 13. どたまカチ割って脳みそチューチューしたろかー! (※吉本新喜劇・未知やすえの決めゼリフ) 14. ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろかー! (※同じく吉本のご存知、故・岡八朗の名ゼリフ)
2021/08/30
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WEBマガジン「リカル(LIQUL)」連載 【カクテル・ヒストリア第37回】 驚きの新事実、チェリー・ブロッサムの「起源」 「チェリー・ブロッサム(Cherry Blossom)」=写真左下=は、世界的にも知られるクラシック・カクテルで、かの歴史的名著『サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)』(ハリー・クラドック<Harry Craddock>著、1930年刊)にも収録されている。 ◆「日本生まれのカクテル」と信じられてきたが…標準的なレシピ(単位はml)は、いくつか知られているが、NBA(日本バーテンダー協会)のオフィシャルブックでは、ブランデー(30)、チェリー・ブランデー(30)、コアントロー2dash、グレナディン・シロップ2dash、レモン・ジュース2dashと紹介されている。考案者については、田尾多三郎氏という日本人だと伝えられ、日本国内だけでなく、国外でも一部ではそう信じられてきた。田尾氏は元々、1920年代まで貿易会社のブエノスアイレス(アルゼンチンの首都)駐在員だった。絹の輸出を担当しながらお酒のことも勉強し、帰国後の1923年(大正12年)、横浜・伊勢佐木町にバー「カフェ・ド・パリ」(現在は関内に移転し、バー「パリ」と改名)を開いた=写真右下(出典:geocities.jp/legend_bar/cocktail.htmlほか)。開業翌年の1924年、田尾氏は、日本を代表する花・サクラをイメージして、カクテル「チェリー・ブロッサム」を考案。それが当時横浜港を拠点にして世界と行き来した外国航路の客船を通じて、欧米へ伝わったと言われてきた。『サヴォイ…』に収録されている「チェリー・ブロッサム」も、長く田尾氏考案のレシピがルーツだと信じられてきた(しかし、著者のクラドックはなぜか、由来については一切言及していない。他の欧米のカクテルブックにも、「田尾氏が考案者」「日本生まれ」と紹介するものはほとんどない)。田尾氏が残した直筆のレシピカードは、現在でもバー「パリ」に残されていると伝わるが、過去に幅広く公開されたことはない。 ◆「考案者」のレシピ、実はウイスキー・ベースだったところが2020年5月、私も懇意にして頂いている横浜のバーテンダー、北條智之氏(バー「ネマニャ」オーナー)がご自身のブログ上で、独自の取材&調査研究に基づいて、現在一般的に知られている「チェリー・ブロッサムの田尾氏考案説」に疑問を投げかける記事を執筆された(北條氏は、カクテル史の研究にも熱心な、素晴らしいバーテンダーである)。(写真左=ブランデー・ベース<左>とウイスキー・ベース<右>では使われる酒類はかなり違う)。 北條氏のブログを要約すれば、以下のようになる。・北條氏自身が、バー「パリ」で田尾氏の奥様=現在は故人=から聞いた話によると、「多三郎氏は当時、カナディアン・クラブ(ウイスキー)のキャンペーンをきっかけに創作した。レシピは、カナディアン・クラブをベースに、チェリー・ブランデー(銘柄はピーター・ヒーリング)、スイート・ベルモット(同チンザノ・ロッソ)などを加え、チェリーを沈めたカクテルだった」という(※実際、ネット上では、北條氏の見解を補強するかのように、「店(バー・パリ)のオーナーの女性から、田尾氏の手書きレシピを見せてもらった。ウイスキー・ベースだった」という訪店者の証言もいくつか紹介されている)。・世界的に知られるブランデー・ベースのレシピは、一般的には、『サヴォイ…』が初出で、著者のクラドックが独自にアレンジしたと考えられてきた(※クラドックが1920年代後半、田尾氏のレシピを知ったうえで変えたのかどうかは分からない)。・しかし、古い文献を調べていたら、1900年にパリで出版された『American Bar』(Frank Newman著)というカクテルブック=写真左上=に、現代とほぼ同じブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が収録されていた(写真右)。1900年と言えば、田尾氏(1893年生まれ)はまだ7歳。「カフェ・ド・パリ」開業の23年前で、田尾氏がブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」の考案者ではあり得ない。 ◆カクテル史を書き換えざるを得ない新事実以上のことから、私たちは、「カクテル史を書き換えなければならない2つの新事実」にたどり着く。一つには、誰の考案かは不明だが、1900年頃(あるいは1890年代に?)現在のブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」は欧米ではすでに誕生していたということ。もう一点は、田尾氏が1924年当時、ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」を知っていたかどうかは知る由もないが、求められてウイスキー・ベースで、同じ名前のカクテルを考案した(写真左=日本国内で出版されるカクテルブックでは、いまだにこのような説明が…)。しかし、そのレシピが”門外秘出”だったため、国内の文献で紹介されることもなかった。そしてその後、日本に伝わったブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が、何かの理由で「田尾氏のオリジナル」と誤解されて国外へ伝わり、「サクラの花」という名の好イメージも加わって、逆に世界での普及に貢献することになったということ。当然と言えば当然だが、『サヴォイ…』以外の、1930~40年代の欧米のカクテルブックを見てみると、ほとんどがブランデー・ベースである(『World Drinks and How To Mix Them』=William Boothby著、1934年刊、『Mr Boston Official Bartender's Guide』=1935年初版刊、『Trader Vic's Bartender's Guide』=Victor Bergeron著、1947年刊、『The Official Mixer's Manual』=Patrick G. Duffy著、1948年刊=等々)。その後も、ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が「スタンダード」として定着することになる。バー「パリ」は田尾氏亡き後、奥様の幸子さんが継いでいたが、奥様が他界された後、店は一度閉じられた。しかし2004年、田尾ご夫妻の息子さんの奥様が店を再開、現在は息子さん自身が営まれてるという(出典:tabelog.com/kanagawa/A1401ほか)。 ◆それでも揺るがない普及への「功績」ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」の起源をめぐる従来の「定説」=田尾氏考案説、横浜生まれ説は、今後見直されるべきだろう。多くの国内のカクテルブックも間違った記述を修正せざるを得ないだろう。しかし、私はそれでも、田尾氏が日本のカクテル発展に果たした功績は計り知れないし、田尾氏の貢献がなければ「チェリー・ブロッサム」というカクテルがこれほど世界的に普及することはなかったはずだと信じている。そして、田尾氏考案の「カナディアン・ウイスキー・ベースのチェリー・ブロッサム」も、もっと広く知られるようになることを願う。なお、田尾氏のオリジナルと思われるカナディアン・ウイスキー・ベースの「チェリー・ブロッサム」が唯一、1933年(昭和8年)、日米で同時に出版された『Odell’s Book of Cocktails and Fancy Drinks』というカクテルブック=写真右上=で「Mr. Tao’s Formula」として紹介されているが(写真左)、田尾氏のご子孫によれば、「これは正確なレシピではない」という。個人的には、田尾氏のオリジナル・レシピと伝わる直筆カードを、ぜひ見てみたいと思う。ブランデー・ベースの「チェリー・ブロッサム」は1930年代には日本にも伝わっていたはずだが、初めて活字で紹介されたのは、戦後出版された『世界コクテール飲物辞典』(佐藤紅霞著、1954年刊)が初めてである。【感謝】この記事の執筆にあたっては、本文中にも紹介したバー・ネマニャの北條智之氏から貴重な情報提供、ご助言を頂戴いたしました。この場を借りて、心から御礼を申し上げます。・WEBマガジン「リカル(LIQUL)」上での連載をご覧になりたい方は、こちらへ・連載「カクテル・ヒストリア」過去分は、こちらへ
2026/09/23
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大阪ミナミの鰻谷エリアは、BAR業界において常に先進的で、革新的であったと僕は思っている。かつて、全国のおしゃれで、スノブ系のBARの先駆けとなった「Be-in」(あの空間デザイナー・杉本貴志氏の出世作)が生まれた場所でもある。 おしゃれなBAR(当時は、「Cafe Bar」という呼び方が一般的だった)が、街のあちこちに登場し始めた1970年代後半から80年代前半の頃。 ミナミの鰻谷界隈では、先に挙げた「Be-in」のほか、K2、Marble、Just a Little Bit、Dada、Emma、Luccino、Encore、Vulva…と、次々とオープンした。それまでになかった雰囲気にあこがれて、僕も友人らと次々と訪れた。だがその中で、今も名前も場所も変わらずに残っている店は、数少ない。 今回紹介する「Rue du Bar」はそんな1軒。コンクリートの打ちっぱなしのビル。1階はブティック。そのビルの中に入り、店の脇の細い階段を下りる。地下1階にもブティック。さらにその店の脇の細い階段を下りる。すると、突然とてつもなく高い(2.5mほどある!)鉄の扉が現れる。 その扉を開けると、天井の高い、広くゆったりとした店内。カウンター席は少なく、どちらかと言えば2~4人掛けのテーブル席がメインの酒場。ライティングは程良い暗さ。恋人たちにとっては、これほど和(なご)める空間はないだろう。だから当時も今も、2人連れの客が多い(僕は、今は独りで行くとちょっと恥ずかしい)。 歳月を経た僕にとっては、今は、単なる懐かしい空間(酒場)かもしれないけれど、この店が残っていることがただ嬉しい。いわゆるオーセンティックBARではないけれど、僕はこの心地よい酒場のカウンターに座り、感じる空気や時間が今も大好きだ。 大阪ミナミへ訪れる機会があれば、ぜひ「Rue du Bar」の謎めいたエントランスと店内の空間を堪能してみてほしい(ビルの前に置かれた「立て看板」=サイン=が目印です)。【Rue du Bar】大阪市中央区東心斎橋1-19-6 B2F 電話06-6251-6661 午後6時~午前2時 無休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/06/01
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吉村知事さま、「接待」を伴う飲食店と言うべきところを「接客」を伴う飲食店と言い間違えないでください!(きょうも、会見で少なくとも1回は間違えていましたよ)。 NHK(大阪放送局?)や民放テレビ局の担当者の方、テロップで「接客を伴う飲食店」と誤記しないでください。「接待を伴う」と正確に表記してください! 安倍首相や各都道府県の知事さま、「接客」とは一般的な用語です。問題になっている「接待」とは風営法に規定された「接待行為」のことです。「接待行為」とは何かを知りたければ、一度法律を読んでみて下さい。普通のオーセンティック・バーでは「接待行為」は致しません! 誤解のないよう言っておきますが、一般的な「接客」をする飲食店営業許可のバーは、4月8日の緊急事態宣言後も時間短縮での営業が認められています。 緊急事態宣言後、休業要請されているのは風営法に規定された「接待」行為を提供する風俗営業許可&深夜営業届出のバー(いわゆるガールズバーなど)やスナック、ラウンジ、クラブ、キャバクラなどのことです。 何度も言いますが、お願いですから、「飲食店営業許可」の普通のオーセンティック・バーと、「風俗営業許可」のガールズバーとを一緒くたにしないで下さい!もう、いい加減にしてほしいです! PS. それにしても、バー業界団体(NBAやPBOなど)のトップは、オーセンティック・バーが相変わらずガールズバーと一緒くたにされてるのに、世の中の誤解をただすために、一向に声を上げようとしませんね。トップは存在価値がいま問われていますよ!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/05/14
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私は2012年9月26日付の記事(リンクはこちら)で、SNS上の画像・写真の引用問題について記しました。その後、2018年と2019年に著作権法の改正がありました(2018年の改正は、主に環太平洋11カ国との「TTP協定」締結に伴うものです)。 今回遅まきながらですが、主な改正点を紹介するとともに、改正内容に合わせて前回の記事内容を追記・修正し、私たちがSNS上で「画像・写真を引用する場合」の注意点を、改めて紹介してみたいと思います(今回の追記・修正部分については、赤字で記しました)。【おことわり】前回同様の言い訳ですが、この記事は、あくまでSNS上での「画像の引用」ルールについて、現時点での著作権法上の一般的なルールや法的見解、マナー等をまとめたものです。しかし、私は法律の専門家ではありません。個別具体的問題についての対応・見解まで保証するものではありません。具体的なトラブルについては、私は一切の責任を負えませんので、疑問点等は文化庁や法律専門家にお尋ねください。なお、用語や解釈の間違い等のご指摘は歓迎いたします。→ arkwez@gmail.com まで宜しくお願いいたします)。 ◆改正・著作権法などの概要 改正著作権法は、2018年5月18日に成立し、2019年1月1日から施行されました。今回の改正は「デジタル・ネットワーク技術の進展により、新たに生まれる著作物の利用ニーズに的確に対応するため、著作権者の許諾を受ける必要がある行為の範囲を見直し、IT・情報関連産業、教育、障がい者、美術館等におけるアーカイブの利活用に関わる著作物の利用をより円滑に行えるようにする」のが狙いです。 具体的には、(1)一定の条件をクリアすれば、著作権者の許諾を得ないでも自由に利用できる範囲が広がった(2)IT技術開発・情報処理目的や検索エンジン(GoogleやYahoo等)のための著作物の利用は許諾がなくても可能に(3)授業などで教師が他人の著作物を用いて作成した教材を生徒に随時送信する行為も、公衆送信補償金の支払いで著作権者の許諾なく可能に(4)美術館などが収蔵・展示作品をデジタル化し、ネットワーク上で閲覧させる場合、許諾なく行えるようになりました。 また、ほぼ同時に、(5)TTP整備法を反映した改正(2018年6月9日成立、12月30日施行)も行われ、従来、作者の死後50年だった著作権保護期間は、米国の要請によって70年に延長され(末尾【注1】ご参照)、(6)海賊版の販売・送信行為への非親告罪化(著作権者の告訴がなくても起訴可能に)も導入されました。 ※(3)の補償金については、2020年4月からは年間1回のみの支払いで済む「ワンストップ補償金」制度が創設されました。この改正によって、オンライン授業における教材作成での規制や負担が大きく軽減されました(2020年度に関しては無料でしたが、2021年度から支払いが義務化されました)。「補償金」の料金体系や金額は以下の通りです。 ・学校種別の年間包括料金(公衆送信回数は無制限) 公衆送信を受ける園児・児童・生徒・学生1人当たりの額=大学720円/ 高校420円/ 中学校180円/小学校120円/ 幼稚園60円(※社会教育施設、公開講座等については、30人を定員とする1講座・講習を1回の授業として、授業ごとに300円) ・公衆送信の都度支払う場合の料金=1回・1人当たり10円(対象となる著作物、実演、レコード、放送、有線放送ごとに)。 ※「補償金」の支払い窓口・管理・著作権者への分配等は文科省から指定を受けた「一般社団法人:授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)」が担当します。料金等については3年ごとに見直しを行い、必要な措置を講じるとのことです。 ◆画像引用も基本は文章と同じだが… まず、基本的なことですが、写真やイラスト、絵画なども含むSNS上の画像についても、前回も紹介した「公正な引用のための要件」が適用されます。著作権法32条の「公正な慣行に合致し、報道・批評・研究など目的上、正当な範囲内で、定められ要件を満たしていれば、著作権者の了解なしに引用して利用できる」というのが前提です。 では、画像の合法的な引用・利用の基本要件はどうなるかですが、画像・写真の引用についても基本的に、「文章の引用」の場合と同じルールです。 (1)引用先は既に公表された画像であること (2)「公正な慣行」に合致すること =「公正な慣行」の定義は示されていませんが、判例等では、以下の(3)(4)(5)の要件がこれに当たるとしているケースが多いそうです。 (3)自分の著作物と、引用する画像との「主従関係」が明確であること =あくまで自分の文章が「主」で、引用された画像は「従」でなければなりません。「主」か「従」かは、著作物の目的・趣旨や引用した画像の大きさ、補足的なものとして使っているか等がポイントです。従って、小さな画像でもそれが「主」であれば違法となることもあります。 (4)引用する画像が、自分の著作物と明確に区別されていること(明瞭区別性) (5)引用する必然性があること(その引用が著作物の目的や構成上、必要・不可欠である) (6)出典・出所が明示されていること(著作権法48条) (7)画像に勝手な変更を加えないこと(加工したりしない) (8)引用しすぎないこと(過剰な枚数を引用したり、引用した画像のスペースが本文よりも大きいのは違法とみなされるおそれがあります) (9)報道・批評・研究などのための「正当な範囲内」であること(著作権法32条) ※(2)と(9)については、今回の法改正で追加された概念ではなく、旧法から存在した基準ですが、基本要件に含めている法律専門サイトが多いので、今回私も追加しました。 なお、「報道・批評・研究などのための『正当な範囲内』」という要件については、改正著作権法でも明確な定義は示されていません。唯一、判例で「社会通念に照らして合理的な範囲内のものであることが必要であり、具体的には、他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか、その方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合的に考慮されなければならない」と示されている程度です(大阪地裁・2013年7月16日判決)。 すなわち、「引用に必然性・必要性があって、引用の分量や引用個所が適切であり、引用部分が明確に区別されている」などの条件を満たす必要があるのは当然だと思われます。 ◆出版社等の「禁止規定」は合法か、違法か 私たち個人がネット上で一番よく画像を「引用・利用」するケースとしては、(1)本や雑誌の表紙(2)CDやレコードのジャケット(3)映画のポスターや1シーン(4)市販商品の外観(5)ネット・オークションでの商品――などが代表的なものではないかと思います。このうち(5)については現在は原則、無条件の引用・利用が合法化されています。 (1)~(4)については、著作権法32条を守り、9要件をクリアすれば、誰でも合法的に引用・利用できるはずです。ところが、例えば出版社のHPにはよく、画像に関して以下のような禁止事項が列挙されています。表向きは、著作権者の許諾なしに一切の画像の使用はまかりならんという姿勢です。 ・出版物の装丁の画像の全体または一部を掲載することはできません ・キャラクターの画像および写真等の全体または一部を掲載することはできません ・ホームページの画像の全体または一部を転載することはできません ・法人企業のHPであっても、許可なく転載することはできません ・非営利であっても、個人サイトでの転載は「私的利用」にはなりません ・著作権侵害が行われた場合には法的手段をとることもありますので、ご注意ください 私も、Blogで時々、本の批評やCD、映画の感想など紹介しているので、本やCDジャケットや映画の1シーンの画像を借りることはあります。出典・引用元は可能な限り明示するようにしています。こうした利用は、著作権法32条に言う「公正な慣行に合致し、報道、批評、研究など目的上、正当な」という要件に当てはまり、合法的な利用です。 ここで疑問がわきます。「著作権法では正当な目的であって、主従関係を明確にして、引用元もきっちり明示すれば、画像の『引用』はできると認めている。こんな禁止規定自体が著作権法違反じゃないのか」という疑問です。そこで、法律専門サイト等でさらに調べたうえで、専門家の意見も少し聞いてみました。 ◆現実的には、出版社等は「黙認」姿勢 結論から言うと、文章の引用についてはこれまで判例がいくつもあって、様々な具体的ルールや指針がかなり周知されているのですが、画像については、争われた裁判(判例)がまだ少なく、違法か違法でないのかの基準が曖昧なままになっています。 知的財産や著作権法に詳しい杉浦健二弁護士は「一般的には、引用要件には法文上の明確な基準があった方がいいという意見もあるが、過度に明確化すると、インターネット等を中心とした利用形態の多様化に法律が付いていけず、弾力的な運用がしづらくなるため、引用要件にはある程度の“あそび”がある、現在の程度が望ましいと考えている」と記しています(出典:STORIA法律事務所Blog) 近年唯一、画像の無断使用で争われたとも言える有名な裁判に「脱ゴーマニズム宣言事件」(小林よしのり氏vs上杉聡氏)というのがあります。この裁判では漫画の引用問題が争点でしたが、1999年8月に東京地裁が出した判決「批評の対象を明確にするためには、絵も引用する必要があることを認める」「引用の要件を満たす限りは、引用が必要最小限であることまでは要求されない」(1999年8月31日)が現時点では数少ない判例です(参考:Wikipedia「脱ゴーマニズム宣言事件」)。 しかしながら、出版社はこうした判決が出た後も、禁止規定は撤回・変更していません。禁止規定は「任意規定であるから合法」という学説がある一方で、「このような規定自体が著作権法違反だ」という法律家もいます。法的見解が分かれる中、現実には、日本だけでも個人のHPやBlogで膨大な数の画像が引用・利用されています。 出版社やレコード会社等はいちいち告発したりせず、黙認しているのが現状です(おそらく、訴えたあげく不利な判例が出て、自分で自分の首を絞めるのが怖いというのもあるのでしょう)。現実には、個人やNPOのHP、Blogのように非営利目的であればあまり目くじらは立てないという姿勢だと思いますが、私たちはやはり、節度ある引用・利用に徹したいと思います(ちなみに、著作権侵害した場合の刑罰は、10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金という結構重いものなので、くれぐれも安易な画像利用・引用には十分気を付けたいところです)。 ◆1、2枚の画像引用なら、まず問題なし 今回、法律関係者に直接尋ねたり、著作権問題を取り上げた法律事務所のWEBページの解説を調べたりしたところ、結論として、少なくとも以下のようなことは言えるかと思います。 ・SNS上の画像引用についても、冒頭にも挙げた、正当な引用のための「9つの要件」は最低限満たさなければならない。報道、批評、研究その他引用の目的上正当な範囲内であれば、原則として問題はないが、「正当な目的」と「正当な範囲内であること」が大事(単なる日常雑記のような文章に、権利者が存在する必然性もない画像を勝手にアップするのは避けるべきである)。 ・静止画については、「要件を満たしていれば、引用が正当な範囲内に収まる可能性が高い」(斉藤博『著作権法』236頁、2000年、有斐閣刊)というのが学界の多数説。音楽評論や映画評論で1、2枚の画像をコピーして載せるのはセーフ。しかし、「必然性もないのに、例えば、自分のブログのトップにミッキー・マウスの画像をコピーして載せるというのは危ない」とのこと(とくに、ディズニー社は著作権、商標権にうるさいことで有名なので要注意)。 ・引用する画像の色合い等を、画像ソフトを用いて改変してはならない(唯一、画像のサイズ拡大、縮小は認められている)。 ・「出所の明示は合理的な態様で」というのが法の規定。著作権者名があればベストだが、不詳であれば、出典WEBサイトのURLを明記することが望ましい。いずれにしろ、企業の公式HPならともかく、個人の私的なBlogに静止画を少し載せるくらいなら訴えられることはまずないだろう。 ・ただし、この問題に関しての最高裁判決はなく、下級審判決例も、上記の要件のそれぞれに対するウエイトのかけ方が異なるので、難しい面がある。そもそも、「公正」とか「正当」とか、必ずしも利用者にわかりにくい基準で、裁判になってみなければ、それに反しているかどうか結論は出せない。おそらくそのような現状からして、新聞社、出版社などの権利者側からは、原則に戻って、許諾がいるというように警告を発しているのだと思う。 ・著作権法の引用要件を明らかに満たしている場合は、利用者は権利者に事前に許諾をとる必要はない。権利者が「利用を認めます」と回答してくれる可能性は低く、かさねて許諾まで取りにいくメリットは皆無で、かえってリスクが高い行為になる(「ダメ」と言われた場合、身動きがとれなくなる)=上記STORIA法律事務所Blogより。 ◆画像転載が合法化されているもの なお、SNS上での画像の引用・利用が(条件付で)自由に認められているものもあります。例えば、以下のようなものです。 ・ネット・オークションに添える商品説明の写真掲載=インターネット・オークション等で売買する際、商品を確認するという必要性から、2009年の著作権法改正で、条件付き(著作権法施行令等で定めた大きさや精度等を遵守)でその画像を著作権者の許諾なく掲載することが合法化されました。今回の法改正ではさらに、美術品や写真の販売の際にも、カタログ等の図面として許諾なく掲載することが同様に可能となりました。 ・情報検索サービスを実施するために著作物の複製すること ・障がい者の教育・福祉活動等ために著作物を複製すること ・画素数を落とした画像、サムネイル(縮小)画像の利用 ※Amazonなどは「アフィリエイト」(【注2】)契約をすれば、画像を無料で利用できるというサービスをしていますが、私は利用していません。 ◆引用・掲載してはいけない画像とは 自分が撮った画像でもSNS上に掲載できないものもあります。例えば以下のようなもの――。 ・被写体から許可を得ていない画像(知らない人の顔がはっきりわかる状態で写り込んでいたら、肖像権の侵害だと言われるおそれがあります。モザイクをかけるなど個人を特定できないようにしてください。 ただし、友人らとの飲み会での写真なら許容範囲でしょう。いまどき、あなたがSNSをしていることを参加者が知っていて、携帯やデジカメで写真をとれば、参加者も「彼(彼女)のページに載るんだな」と了承したものとみなされるでしょうから)。 ・タレントなど著名人が写った画像(街でたまたま有名人を見かけて撮った写真を掲載すれば、場合によっては、「パブリシティ権」(【注3】)を侵害したと言われる可能性があります。店で女性と一緒のところを盗み撮りなどした画像なら、プライバシー侵害と言われる可能性もあります。 ・他人の著作物を撮った画像(滅多にないとは思いますが、著作権のある創作物を直接写真に撮ってSNS上に掲載すれば、著作権侵害と言われる可能性があるそうです)。 ・公序良俗に反する画像(これは当然ですね) ◆基本は自分の撮影にこだわりたい 私は基本的に、可能な限り、自分のSNS上では自分のカメラで撮影した画像を使うことにしています。自分の撮影を原則にしているのは、オリジナリティにこだわりたいことに加えて、リスク(転載を巡るトラブル)を減らしたいからです。 SNS上で無用なトラブルを招かないためには、安易に他のサイトから画像をコピーしてこないこと、そして引用・転載する場合でも、ルールやマナーをきちんと守ることが何よりも大切だと思います。私自身も現在、自戒の気持ちを込めて過去のBlogのページなどで使った画像について、順次、著作権法違反がないか再点検しています。必要な場合は、少なくとも「引用元」をきっちり明示したいと思っています。 【注1】1967年以前に著作者が死亡している場合: 著作者が亡くなったのが1967年以前であれば、2018年12月30日の改正著作権法施行以前に50年の保護期間(1968年1月から起算)が終了しているため、70年には延長されません(1967年に亡くなった芸術家で言えば、例えば、山本周五郎<作家>、壷井栄<作家>ら)。 なお、著作者が亡くなった後、著作権継承者がいなければ、原則として著作者死亡時点で著作権は消滅します。 【注2】アフィリエイト(Affiliate) 「成功報酬型広告」とも言われ、例えばHPやBlogである企業の商品の広告スペースを提供し、その広告を通じて商品が購入されたら、その企業や販売する店舗からHPやBlogの管理者(運営者)に成功報酬が支払われるという広告またはその形態を指す用語(出典:Wikipedia、All About「アフィリエイトとは?」 → http://allabout.co.jp/gm/gc/22964 ) 【注3】パブリシティ権 人に備わっている「顧客吸引力を中核とする経済的な価値」を保護する権利のこと(出典:Wikipedia、はてなキーワード → http://d.hatena.ne.jp/keyword/ ) 【御礼】この一文を書くにあたって、主に下記のWeb ページ上の解説やデータ、Q&Aから貴重な情報や示唆をいただきました。この場を借りて関係の皆様には心から御礼申し上げるとともに、そのページ(出典元)を紹介しておきます。 ・文化庁HP(著作権問題Q&A)→ https://chosakuken.bunka.go.jp/naruhodo/ ・「画像や情報の引用について 専門家Q&A」→ https://profile.allabout.co.jp/ask/q-46093 ・「画像の引用・転載に関する著作権について(Yahoo知恵袋)」→ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/ ・「ネット時代の著作権(大塚商会)」→ https://qqweb.jp/QQW/STATICS/it/pc_howto/200911.html ・「HPやサイトで著作権違反にならない方法」→ https://nanapi.jp/15604 ・「著作権法上合法な引用の条件」→ https://puple.noblog.net/blog/a/10056206.html ・「ネット・Webサイトでの著作権」 → https://uguisu.skr.jp/html/kenri1.html ・「画像の著作権侵害を回避するために最低限理解しておくポイント」(東京スタートアップ法律事務所HP)→ https://tsl-magazine.com/category05/image-copyright-infringement ・「著作権が自由に使える場合」(公益社団法人・著作権情報センター)→ https://www.cric.or.jp/qa/ ・「著作権法の引用要件を満たしているのに、かさねて許諾を得る必要があるのか」(STORIA法律事務所Blog)→ https://storialaw.jp/blog/6114 ・「著作物・著作権をめぐるルール改正(解説)」(GVA法律事務所HP)→ https://gvalaw.jp/6253 ・「著作権を侵害せずに文章や画像を引用・転載する方法」(ベリーベスト法律事務所HP)→ https://best-legal.jp/copyright-quotation-4942 ・「著作権保護期間、50年から70年に延長。一部非親告罪化も」(Watch Impress)→ https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1152341.html【おことわり】この日記は、画像「引用」のルールについて、現時点での著作権法上の一般的なルールや法的見解、マナー等をまとめたものですが、個別具体的問題についての対応・見解まで保証するものではありません。具体的な疑問やトラブルについては文化庁や法律専門家にお尋ねください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/06/20
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日本で初めて出版されたカクテルブックと言われる故・秋山徳蔵氏(1888~1974)著「カクテル(混合酒調合法)」=大正13年<1924>刊=について、私は先般、このブログ上で、その内容を詳細に「復刻連載」致しました。その後、出合った秋山氏に関する話題を2つ、余話として紹介致します。 秋山氏はご承知のように、この「カクテル」を著した後は、ほぼ料理人一筋の道を歩み、日本フランス料理界の先駆者となりました。そして宮内庁では、昭和天皇の料理番(料理長)にまで登りつめました。 しかし秋山氏がどういう風貌の方だったのかは、私も、まだ写真を拝見したことがなく、ずっと関心を抱いていました。不思議なことにインターネット上で画像検索しても、意外なことに秋山氏の写真はまったくヒットしないのです。 探しても探しても肖像写真が見当たらないということは、おそらく、秋山氏は昔気質の方で、裏方として昭和天皇に仕えることのみに徹して、表舞台に出るような晴れがましいことはあまり好まなかった人だったに違いありません。でもそうなると、どうしても見てみたいと思うのは人情です。 すると、秋山氏の没後2年の時(1976年)に刊行された豪華本「秋山徳蔵のメニュー・ブック」(宮中晩餐会等のメニューをまとめたもの。現在は絶版中ですが、古書市場では入手可能です)=写真左上=の中に、息子さんである秋山四郎さんが「父・徳蔵の思い出」という一文を寄せられ、そのなかで、おそらく唯一と言ってもいい秋山氏の写真を紹介していることを知りました。 写真そのものをこのブログに直接転載することは著作権に触れるかもしれませんので、ページ全体=写真右下=を紹介するに留めますが、写真はおそらく秋山氏が宮内庁を去る直前、晩年の頃の姿で、中央に写っているのはもちろん昭和天皇です。 秋山氏は昭和天皇の左側に寄り添うように立っていますが、いかにも明治生まれの厳格で、実直な感じの風貌です(ほぼ想像通りの方でした)。 それはともかく、このメニューブックには秋山氏が実際に関わった大正~昭和期の宮中晩さん会を始め、秋山氏が収集した明治時代の宮中晩さん会のメニューが約200種類も紹介されていて、とても興味深い内容です。西洋料理を志す方ならぜひ一度は見ておかれて損はないと思います。 ※ ※ 話は変わりますが、先般、バー業界の指導者として知られる重鎮、福西英三さんの著書「読むカクテル百科」(2008年、河出書房新社刊)という本をぱらぱらと読んでいると、「ブルー・ムーン」の項で驚くべき記述に出会いました。 少し長いですが引用しますと、「日本でもっとも古い『ブルー・ムーン』の収録書は、なんと1929年(昭和4年)に東京・赤坂の秋山料理研究所から発行された秋山徳蔵著『コクテール』というカクテルブックだった。(中略)秋山氏は1924年(大正13年)に『カクテル(混合酒調合法)』を発刊しており、彼にとって『コクテール』は2冊目のカクテルブックであった」とあります。 すなわち、私はこれまで、秋山さんが生涯で唯一度、最初で最後に著したカクテルブックがあの「カクテル(混合酒調合法)」だと思っていたのですが、その5年後に、またもう一冊別のカクテルブックを発刊していたという事実に、ただ驚くしかありませんでした。 この話を先日の東京出張の折、最近よくお世話になっていて、古いカクテル・ブックにとても詳しい銀座のAマスターに尋ねてみましたが、Aさんも「僕も聞いてはいるんですが、まだ現物を見たことがないんです」というのです。また、秋山氏の最初のカクテルブックの原本を貸してくれた神戸のMマスターも、「最近その本の存在を知ったのだけれど、まだ出合っていないんです」という返答でした。 これはまた一つ「宿題」が増えました。できれば、Aさん、Mさんならずとも、私も現物を見てみたいです。どなたか現物を持っていらっしゃる方がおられましたら、どうかぜひご一報くだされば幸いです(情報はメール<arkwez@gmail.com>でお願いいたします)。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/05/29
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ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(以下、「ヘレス」と略す)滞在も残り少なくなってきた。午後からはバスでグラナダへ向かう。残された時間はあと3~4時間ほど。ホテルで朝食を済ませた僕らは早速、タクシーで旧市街へ出かける。 とりあえず向かったのは、シェリーのボデガ(醸造所)「エミリオ・ルスタウ(Emilio Lustau)」(写真左)。ヘレスには、地元でつくられている観光地図に載っているだけでも20カ所ものボデガがある。「エミリオ・ルスタウ」は「ゴンザレス・ビアス」や「サンデマン」ほど有名ではないが、特別な存在感があるボデガだ。 「エミリオ・ルスタウ」は1896年、「アルマセニスタ(個人で代々シェリーの樽を受け継ぎストックさせている人たちのこと)」の一人ドン・ホセ・ルイスベルデホによって設立された。現在、社名になっているエミリオ・ルスタウは義理の息子(娘婿)に当たる。 「ルスタウ」社は、小規模な生産業者から優れた樽を買って瓶詰めし、自社のラベルにその造り手の名前や樽の数(「1/183」のように表示される)を表示して販売するという手法で知られる。大量生産のシェリー銘柄(多くは味を均一化させるためにブレンドする)と違い、樽一つひとつの個性的な味わいが楽しめる(写真右=「ルスタウ」の正面の門)。 「ルスタウ」社がつくり出す「アルマセニスタ・シリーズ」は、熟成期間も通常の3年より長く、5年を費やす。熟成が終わった後は、軽い濾過のみで瓶詰めするため、樽本来のリッチな味わいに仕上がる。しかし、小規模生産の樽であるため、出荷本数が少ないのがシェリー好きには残念なところだ。 僕らは「ルスタウ」のボデガに、オープン時刻の9時半に着いた。門は開いていたが、見学者らしき人は誰もいない。しばらくすると若い女性のスタッフが出てきた。彼女は「英語は話せますか?」とまず尋ねた。 僕は「はい、話せます」と答え、そして彼女が次の言葉を発する前に、こう伝えた。「日本から来ました。午後にヘレスを離れるので時間がなくてボデガはあまり見学できないけれど、ギフト・ショップがあるなら、せめて記念品を買って帰りたい」と(写真左=「ルスタウ」のエントランス)。 すると女性スタッフは「OK! じゃぁ、少し待っていて、準備ができたら呼びにくるから」と言って去った。そして10分ほどして再び現れた彼女に付いていく。貯蔵庫(写真右下)を通り、少し立ち止まって、見学する時間をくれる。そしてさらにいくつか場内の作業所を抜けて、最後にギフト・ショップに着いた。 「ルスタウ」のショップ(写真左下)は美術館の展示室のような落ち着いた空間だった。しかし、はっきり言って、「ゴンザレス…」のようには充実していない、というか、商品数も少なくてわりと地味だ。ウイスキーの蒸留所やワインの醸造所等のショップでよく売っているようなキー・ホルダーやピン・バッジの類もない。 見学時間が午前中だけという点でもわかるように、ビジターを積極的に受け入れるという風でもなく、あまり商売っ気はないのだろう。ただその代わり、個性的で素敵なグッズや一点物の高級そうな記念品(スカーフやネクタイなど)は、いくつかあった。 僕は、この「ルスタウ」の存在を再認識させてくれた友人のために、お土産をいくつか購入(もちろん自分用にも!)。歓待してくれたその女性スタッフに、「いろいろとありがとう! また必ず来ます」と御礼を言ってボデガを後にした。 「ルスタウ」を後にした僕らはもう一度、市中心部のアレナル広場付近へ。広場の近くにある酒屋兼雑貨屋をもう一度冷やかす。そしてシェリーをグラスに注ぐベネンシアのミニチュア(と言っても、40cmほどの長さがある)を購入(写真右=ヘレスはフラメンコ発祥の地。街には衣装屋さんも見かける)。 店主のおやじは、昨日に続いてなので、「また来たのか」と言うような顔をしてニヤっと笑った(それにしても、ヘレスには観光客向けの特産品を集めた土産物販売センターのような場所はないのだろうか。僕らは気がつかなかっただけ?)。 さて、ヘレス最後の訪問先は、ボデガ「サンデマン(Sandeman)」(写真左)。ここも大手ボデガの一つだ。サンデマンの名は知らなくても、トレードマークの「マントの男“ドン”のシルエット」が描かれたボトルはご存知の方も多いのではないか(ちなみに“ドン”が手に持っているのは赤いポート・ワインのグラス)。 サンデマン社はシェリーだけでなく、ポート・ワインやマディラ・ワインも造っているが、ポートやマディラは、ポルトガルにあるボデガで生産しているという事実を、恥ずかしながら、今回初めて知った。 すでにお気づきだろうが、サンデマンという名前からも分かるように、創業者はスペイン人ではない。ジョージ・サンデマンという名のスコットランド人が1790年にロンドンで創業した(写真右=「サンデマン」の見学受付。机とイスを置いただけの、のんびりした雰囲気)。 「ゴンザレス・ビアス」でもそうだったが、シェリーを世界的な飲み物に発展させたのは、スペイン人ではなく英国人である。在住の日本人も「スペイン人は商売が下手だから、おいしいところはすぐ外国人に持っていかれてしまう」と言う。 「サンデマン」社がヘレスとポルトガル北部のポルト(首都リスボンの北約300km)にボデガを設立したのは1810年。日本への進出も早く、30~40年前に日本で販売されていたシェリーの銘柄は、サンデマン社のものかゴンザレスの「ティオ・ペペ」くらい。ポート、マディラはほとんどサンデマン社の銘柄だったような記憶がある。 さて、ボデガ「サンデマン」の正面の門に着いた僕らは、そこにいたスタッフらしい男性にも、ルスタウ訪問時と同じような言葉を伝える。すると男性スタッフは「(ショップは)あそこだよ」と指差して教えてくれた(写真左=サンデマンの樽貯蔵庫)。 サンデマンのギフト・ショップ(写真右)はゴンザレス・ビアスほどではないにしても比較的充実している。グッズの種類も多い(ここではピン・バッジもキー・ホルダーも売っている)。 しかし、展示されていたサンデマンのロゴの入ったシェリー・グラスを買おうとした時のこと。「これはシェリーのボトル(フル・サイズ)とのセット販売なので、グラスだけでは買えない」と愛想ない表情で言う女性スタッフ。 日本なら、ロゴ入りグラスを単独で販売しない蒸留所・醸造所なんてあり得ないが、スペインではそういう常識は通じない。店員の愛想も、そうしたきめ細かいサービスも、何かが足りないような気がする(写真左=ヘレスのカフェ。滞在中、よくお世話になった)。 スペインでまだ4日目だが、概して商店の店主やスタッフは不機嫌な顔をして、愛想も悪い人が多い。公立美術館のショップのスタッフですら態度が悪い。例外はホテルのスタッフの方々、ゴンザレスの案内ガイドのおじさん、ルスタウの女性スタッフくらいか(バルの店主やスタッフやタクシーの運転手は平均点くらいかなぁ)。これはなぜなんだろう。 在住の日本人も「スペインは観光産業抜きにしては経済は成り立たない国」と言う。それなら、まず商店主やこうしたスタッフの教育から始めるべきだろう。観光客に粗末な扱いをしていたら、本当に国は破産するぞと言いたい。これはスペインを愛するが故の僕の苦言だ(写真右=ヘレスのスポーツ用具店のショー・ウインドウ。スペインではやはりメッシは人気者)。 さて、いよいよヘレスを離れる時間が近づいてきた。僕らはボデガ「サンデマン」を後にして、歩いてホテルへ向かう。途中、宮殿のような建物の前に観光客らしき人だかりが出来ている場所があった。 聞けば、「王立アンダルシア馬術学校」(写真左)という。ヘレスはカルトゥハーノという良馬の産地といい、ここでは騎手を養成しながら、観光客には馬術ショーを見せているという。馬にもさほど興味はないので、ここは前を通り過ぎるだけ。 ホテルで預けていた荷物を受け取った僕らは、とても親切だったフロントのおじさんに「グラシアス ポル トド、ロエ パサード ムイ ビエン」(いろいろと有難う、とても楽しかったです)と最大級の御礼の言葉を伝えた。 タクシーを呼んでもらい、昨日到着したRENFEのヘレス駅へ。長距離バスが発着するバスセンターは駅のすぐ隣にある(ちなみに、バスはスペイン語で「アウトブス(Autobus)」。日本ではちょっと言いにくい語感だ(笑))。午後1時発、セビージャ経由のバスで、いよいよアルハンブラの待つグラナダへ出発だ!【グラナダ編へ続く】こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/10/14
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約1カ月ぶりのご無沙汰でしたが、Bar UK写真日記です(By うらんかんろ)。 マスターはこの日、お客様から誘われて、シンガー・ソングライターのRay Yamadaさんのライブにお邪魔しました。ライブの後は、お客様3人と一緒に居酒屋へ。その店のメニューに「たこ焼きセット」なるものがあり、もちろん注文しました。関西人にはやはり、たまらない味です! バーUKのお酒のラインナップに初めて梅酒が仲間入りしました。しかし、そこは普通の梅酒ではありません。ウイスキー樽で熟成させた梅酒(95%)と梅酒樽熟成のグレーン・ウイスキー(5%)とをブレンドしたという「山崎・焙煎樽梅酒」です。甘さ控えめの上品な味わいです。ぜひ一度ご賞味を! 「初めて来られたお客様にバーUKのことをもっと知ってもらいたい」というマスターの願いを生かした小冊子(A6判、4頁)ができました。バーUKのコンセプトや特徴、主なドリンク&フードメニュー、そして営業日・営業時間等のデータも紹介しています。もちろん、口コミの大切さを重んじるマスターは、常連のお客様にもお渡しして、まだバーUKのことを知らない方にも宣伝してもらえればと願っています。 常連のお客様のご協力もあって、上記の小冊子の英語版もできました。これは訪日&在日の外国人(とくに欧米から来られた皆様)のために作成したものです。来阪する欧米系の外国人の方がよく利用するホテルでもバー案内の際、役立ててもらえると思っています。 マスターは、きょうは閉店後にモルトのお勉強です。スコットランド・セントアンドリュースにできた新しい蒸留所「Eden Mill」。まだ日が浅いのでウイスキーは販売できず、蒸留前のニューメイクスですが、なかなか良い味に仕上がっていたとのことです。 マスターの趣味の一つは、バラ栽培。ことしもお気に入りのチャールストンが咲きました。 きょうは開店前に、ウイスキーのお勉強。台湾のモルトウイスキー「カヴァラン(Kavalan)」のセミナーです。「美味しいし、クオリティも高いんだけど、値段がねぇ」とマスター。購入先として、中国本土の金持ちがターゲットになっているので、高級路線の経営戦略です(ほとんどが1本1万5000円以上)。バーUKでは一番低価格(8000円台)の「コンサートマスター(ポートワイン樽熟成)」という銘柄を置いていますが、マスター曰く「これでも十分美味しい」とか。 きょうはマスターの休日。去年秋に旅したチェコの郷土料理「クバ(Kuba)」に挑戦しました。大麦とドライマッシュルーム、玉ネギを使ったリゾットのような料理です。大麦はこういう形で食べるのは初めてだそうですが、「プリプリした食感が美味しい、不思議な味わい」なんだとか。皆さまも機会があればいかがですか?【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回不定休(月によっては変更されることも有り)。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2016/05/07
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32.ギムレット(Gimlet)【現代の標準的なレシピ】(容量の単位はml) ジン(45)、ライム・ジュース(15)、シュガー・シロップ0.5~1tsp(お好みで) 【スタイル】シェイク ギムレットと言えば、レイモンド・チャンドラーの推理小説「長いお別れ」(The Long Goodbye 1953年発表)に登場することでも有名で、現代のバーでも不動の人気を誇るカクテルです。 「長いお別れ」に出てくる有名なセリフ「ギムレットにはまだ早すぎる( I suppose it's a bit too early for a gimlet )」が、その名を広めた立役者とも言えます(ただし、このセリフ、主人公の探偵フィリップ・マーロウの言葉とよく紹介されがちですが、実は、マーロウの飲み仲間であるテリー・レノックスのセリフです)。 ギムレットに関しては、「1890年頃、英海軍いた軍医トーマス・D・ギムレット卿(Sir Thomas D. Gimlette 1857~1943)が、酒の飲み方を知らない新人将校の飲みすぎを防ぐために、ジンにライムを混ぜて飲むことを提唱したことから、彼の名がカクテル名で定着した」という有名な逸話が伝わっています。ギムレット卿は実在の人物ですが、残念ながら、こうした逸話を裏付ける資料・データは見つかっていません。 なお、「カクテル ホントのうんちく話」(2008年刊)を著した石垣憲一氏によれば、「現存する一次資料に登場する最古のギムレット(またはそれに類した名前のついたカクテル)は、1917年に出版された「!73 Pre-Prohibition Cocktails」(Tom Bullock著)に収録されている「ジレット・カクテル(Gillette Cocktail)・シカゴ・スタイル」で、そのレシピは、「オールド・トム・ジン1.5ジガー、ライム・ジュース2分の1個分、バー・シュガー0.5tsp(ティー・スプーン)」です。これが実質、ギムレットとほぼ同じカクテルであることに異論はないと思います。 石垣氏は「ジレット(Gillette)という綴りはGimletとは違うが、考案者と伝わるギムレット卿(Gimlette)の名前とは一文字違うだけ。生のライム・ジュースを使っている点は異なるが、だからこそシカゴ・スタイルという言葉を添えたのかもしれない」と推測していますが、僕もまったく同意見です。いずれにしても1910年代に、米国の大都市にもギムレットは伝わっていた傍証になります。 カクテル名については、「飲む人の体を突き刺すような鋭い味わいが、工具の錐(きり)=ギムレット(Gimlet)(コルクスクリューのような形をしている)を連想させた」ことから、その名が付いたという説もよく紹介されます(出典:Wikipedia英語版ほか多数)。また、当時の電報で「Give My Love To」の略語として使われていた「Gmlt」が転じて「Gimlet」となったという説(出典:Wikipedia英語版)もありますが、裏付けるデータは明示されていません。 なお、今日のギムレットは、生ライム・ジュース(好みでシュガー・シロップも少し加える)でつくるのが一般的ですが、誕生当初のレシピは、プリマス・ジン(Plymouth Gin)とローズ(Rose)社のコーディアルライム・ジュース(甘口系)が半量ずつというレシピ(ステア)でした。現代とは違って、かなり甘口だったことが分かります 【ご参考】現在販売されているローズ社のライム・コーディアルは、甘さがかなり抑えめになっています。故に、「オリジナル」ギムレットを再現するためには、シロップを少し足してやる必要があります。 ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)の「ABC Of Mixing Cocktails」(1919年初版刊)も、この誕生当初のレシピに従っています。従って、このレシピの「ギムレット」というカクテルは1910年代のロンドンやパリではすでに登場していたことは間違いありません(マッケルホーンは現行版の「Harry’s ABC …」でもこの等量レシピを採用していて、違いはステアがシェイクに換わったくらいです。生のライム・ジュースは使わず、ライム・ジュース・コーディアルにこだわっています)。 この頑固さについては「The Savoy Cocktail Book」を著したハリー・クラドック(Harry Craddock)も同じで、収録されているギムレットのレシピは、オリジナルを守っています(しかし、現在のHarry’s New York BarやSavoy HotelのAmerican Barでは、今なおライム・コーディアルを使っているのでしょうか? どなたか飲まれた方はおられるでしょうか?) ちなみに、1930~50年代の主なカクテルブックに登場した「ギムレット」は、どういうレシピだったのか、ひと通りみておきましょう。 ・「The Savoy Cocktail Book」(Harry Craddock著 1930年刊)英 プリマス・ジン2分の1、ライム・ジュース・コーディアル2分の1(ステア) ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ジン1グラス、ライム・ジュース1個分、パウダー・シュガー1tsp、シェイクしてお好みでソーダを加える。※1920~40年代はギムレットにお好みで炭酸水を加えるレシピも普通にあった ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(Frank Meier著 1934年刊)仏 ジン3分の2、ライム・ジュース・コーディアル3分の1(ステア) ・「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S.Crockett著 1935年刊)米 → 収録なし ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.Tarling著 1937年刊)英 ジン3分の2、ライム・ジュース・コーディアル3分の1、シェイクしてお好みでソーダを加える ・「Trader Vic’s Bartender’s Guide」(Victor Bergeron著 1946年刊)米 ジン5分の2、ローズ・アンスイートンド・ライム・ジュース5分の2、シュガー・シロップ5分の1、シェイクしてグラスに注ぐ。 ※同書には、ローズ・ライム・コーディアルを使ったギムレットも掲載されている。 ・「The Bartender’s Guide」(Patrick G.Duffy著 1948年刊)米 ジン2分の1、ローズ・ライム・コーディアル2分の1、ステアしてグラスに注ぐ。【ご参考】同書には「Gimblet」という名のカクテルも併せて掲載されています。レシピは「ジン4分の3、ライム・ジュース4分の1、ステアしてグラスに注ぎ、ソーダを加える」です。 日本にはおそらくは戦前に伝わっていたかと思われますが、文献に登場するのは、意外と遅く、戦後の1950年代になってからです。【確認できる日本初出資料】「壽屋カクテルブック」(1955年刊)。そのレシピは「ジン3分の2、ライム汁3分の1(シェイク)」となっています(この「ライム汁」とはこの時代、おそらく合成のライム・ジュース、またはライム・コーディアルでしょう)。 ※生ライムがとても貴重で高価だった日本では、70年代末までは、オーセンティック・バーでも合成ライム・ジュースを使うところが一般的でした。生ライム・ジュースに換わるのは、80年代以降です。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/01/24
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【2005年7月17日の記事の再投稿です。原則として、当時書いたままの文章を再録しています】 キリンのお茶「茶来」のCMに、芸能界に復帰した中山美穂が登場している。ミポリンには特別興味はない私だが、バックに流れている曲を聴いて、思わず「あぁ、懐かしいなぁ…。いい曲だなぁ…。でも、40歳以下の人はこの曲、誰の曲か分からないだろうなぁ…」と独りつぶやいていた。 曲名はCM画面の片隅にも出ている通り、「地球はメリー・ゴーランド」。1972年、GARO(ガロ)という3人組のグループが出した2枚目のシングル曲(デビューアルバム=写真左=にも入っている)である。GAROと言ってもすぐピンと来ない人でも、「『学生街の喫茶店』を歌っていたグループ…」と言えば、思い出されるかもしれない。 GAROは、1971年にデビューした。堀内護(愛称「マーク」、当時22歳)、日高富明(同「トミー」、同21歳)、大野真澄(同「ボーカル」、同22歳)の3人からなるグループ。当時は「フォーク・ロック」というジャンルに入っていたかと思う。アコースティック・ギターによるコーラス・バンドで、カバー曲以外の、オリジナル曲づくりも自分たちでこなした。 当時、同じくギター・バンドをやっていた私にとっても、GAROはお手本でもあり、目標でもあった。彼らの曲もよくコピーし、歌った(写真右=GAROが残した唯一のライブ・アルバム。CS&Nなどの洋楽を演奏したライブ音源も、ぜひCD化してほしいが…)。 当時GAROは、単に「フォーク・グループ」と呼ばれることが多かったが、私は今でもこの言い方には馴染めない。高いコーラス・ワークとギター・テクニックを誇った彼らは、メジャー・デビュー前から、「和製CS&N(クロスビー、スティルス&ナッシュ)」とも言われ、注目されていた。実際、彼らが目指していたのも、フォークとかいう狭いジャンルにとらわれない音楽だった。 デビュー・アルバムでは、曲づくりやコーラスで、その素晴らしい才能があちこちに垣間見れる。初期の頃は、冒頭で触れた「地球は…」のほかにも「1人で行くさ」「涙はいらない」など、音楽的にもレベルの高い、クオリティの高い曲が多かった。しかし、大ヒットという訳にはいかず、GAROは一部の熱狂的なファンの間での存在だった。 それが一転したのが1973年、3枚目(4枚目説も)のシングルとして発売された「学生街の喫茶店」の大ヒットだった。実は当初、この曲は「美しすぎて」というシングル曲のB面だった。それが、GAROの「大衆化路線」を目論むレコード会社やプロデューサーの方針で、発売直前、B面の「学生街…」がA面に差し替えられたという(このためジャケットの裏面の歌詞では、A面は元の「美しすぎて」のままだった)。 この曲をつくったのは、すぎやまこういちという当時の売れっ子作曲家・編曲家だった(代表曲にタイガースの「花の首飾り」、ヴィレッジ・シンガースの「亜麻色の髪の乙女」などGS<グループサウンズ>に数多くの曲を提供していた)。GAROのメンバーは、この「歌謡ポップス」のような曲を、最初あまり歌いたくなかったと聞く。しかし、デビュー間もない3人に大レコード会社、大作曲家に抵抗できるはずもなく、言われるがまま「学生街…」がA面として売り出された。 それが幸か不幸か、それがオリコン・チャートで1位になり、70万枚を超える大ヒットになってしまった。その年のNHK紅白歌合戦にも出場し、この曲を歌わされることになる。そしてそれ以後、GAROと言えば、「学生街…」というレッテルが付いて回った。もともと洋楽志向だった3人にとって、「歌謡ポップス」のグループのように見られるのは、辛い現実だったに違いない(写真左=GAROのアルバムはほとんどが廃盤になっていて、現在はこのベスト盤のみが発売されている)。 GAROはライブなどでは、思い切り、洋楽のカバーや洋楽をルーツにしたオリジナル曲を歌っていたが、テレビではやはり、「『学生街…』を歌ってください」ということになる。しばらくは我慢していた3人だが、結局は、「これは僕らの求めていた音楽ではない」と気づく。そして、12枚のシングルと8枚のオリジナル・アルバムを残して、3年後の1976年に解散。3人はそれぞれの道を歩むことになる。 マークは、その後3枚ほどソロ・アルバムを出したが、その後は芸能界から姿を消した。しかし、90年代半ばからは再び音楽活動も再開し、様々なユニットでアルバムも出した。だが、残念ながら2014年12月、病気(胃がん)のため65歳で亡くなった(この箇所は2015年に追記)。 トミーは解散後、ロック・バンドを結成し、ライブ活動をしていたが、皆さんもご存じのように、1986年、飛び降り自殺をして、36年の短い生涯を終えた。音楽的な行き詰まりが原因とも聞くが、本当のところは分からない(私も詳しいことは知らない)。 ボーカルは、レコード・プロデューサー、ディレクターに転じて、現在も音楽業界にいる。7、8年前にはテレビに出て、「学生街…」を1人で歌っていたのを見たことがあるが、私は切なくて、悲しくて、途中でチャンネルを変えてしまった(自分たちの音楽の原点を壊してしまった曲を歌うことに、心に抵抗はないのだろうか)。 実質5年余の活動で音楽界から消えた伝説のバンド、GARO。その解散も、トミーの死も、私は今でも残念でならない。もし彼らが「望む道」を歩んでいたら、きっと、60代の今も現役で活躍しているCS&Nのように、息の長いバンドになっていたにかもしれない。彼らを間違った運命へ導いたレコード会社の幹部やプロデューサー、そしてGAROのために「学生街…」をつくったすぎやまこういちなる作曲家を、私は今も恨む。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/05/23
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M マンハッタン・カクテル(Manhattan Cocktail) 小さい調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注(つぎ)、アンゴスチュラ・ビター二滴、イタリアン・ヴェルモット二分の一ジガー弱、およびブールボン・ウイスキー【注1】二分の一ジガー強を加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスにこしてうつし、レモン一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 マラスキノ・パンチ(Maraschino Punch) ソーダ水呑に、砂糖小匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次ぎにブランデー一ジガー、アラック【注2】二注、マラスキノ一ポニー、およびレモン半個分の露(つゆ)を搾りこみ、砕き氷を八分目まで入れて充分にかき混ぜ合わせ、季節の果実を浮かし、麦稈をさしてすすめます。 マーチニ・カクテル(Martini Cocktail) 小さい調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注、オールド・トム・ジン二分の一ジガー弱、およびイタリアン・ヴェルモット【注3】二分の一ジガー強を加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉してうつし、糖水煮の桜桃一つと、レモンの皮一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 マッキンレイ・パンチ(McKinley Punch) 大きいゴブレットに、グルナダン・シロップ【注4】二ジガーと、レモン一個の搾り汁、ウイスキー一ジガーおよび氷の塊二つ三つを入れ、サイフォン・ソーダを九分目まで次ぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせてオレンジの輪切一片を浮かし、麦稈をさしてすすめます。 もし、この「マッキンレイ・パンチ」からウイスキーを除けば「グルナダン・パンチ」と呼んですすめられます。 マッルーヒン・カクテル(McLoughin Cocktail) シャンパン・グラスに、クレーム・ド・コギャク【注5】一ジガーを入れ、アンゴスチュラ・ビター一注を加え、レモンの皮一そぎを押しつまんで浮かし、別の瓶のまま充分に冷やしたシャンパンをつぎ入れてすすめます。 メエレエ・ケシ【注6】(M?l? Casis) 利久酒盃に、クレーム・ド・ケシと、コギャクとを交じり合わぬよう静かに半々につぎ入れ、別に氷水をそえてすすめます。 ミカド・カクテル(Mikado Cocktail) これは「J」の項で説明しました「ジャパニーズ・カクテル」の別名です。 ミルク・パンチ(Milk Punch) 大きい調合器に砂糖小匙で一杯を入れ、水少しを加えて溶かし、砕き氷を二分の一位まで入れ、次にコギャク一ジガーと、セント・クロアクス・ラム【注7】一注、及び新しい濃い牛乳をソーダ水呑に九分目位になると思われるだけつぎ入れ、充分に振蕩(しんとう)してソーダ水呑に漉してうつし、ナッツメグ少しをおろしかけ、麦稈をさしてすすめます。 モンタナ・カクテル(Montana Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、アニゼット二注、オレンジ・ビター二注、およびフレンチ・ヴェルモット二分の一ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉してうつし、レモン一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 モーニング・カクテル(Morning Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、レッド・キュラサオに注、ガム・シロップ三注、ボカース【注8】またはアンゴスチュラ・ビター二注、アブサント一注、及びブランデーとウイスキー各二分の一ジガーずつを加え、充分にかき混ぜ合わせ、カクテル・グラスに漉しうつしてすすめます。 モーニング・スター(Morning Star) 大きい調合器に砕き氷を入れ、砂糖小匙で一杯、ポート・ワイン一ジガー、スコッチ・ウイスキー一ジガーおよび乳酪(クリーム)五勺(しゃく)【注9】を加え、鶏卵一個を割って落とします。充分に振蕩してソーダ水呑に漉してうつし、冷たいソーダ水を九分目までつぎ入れ、かき混ぜ合わせてすすめます。 ムーレット(ホット)【注10】(Mulled, Hot) 大きい鉢か甕(かめ)に熱湯三合を入れ、砂糖三十匁(もんめ)【注11】を加えて溶かし、レモン六個の搾り汁を加えます。次にポート・ワインまたは好みの酒一壜半をつぎ入れ、文火(とろび)にかけて静かに熱を加えて置きます。 別に鶏卵十二個を別の器に割って落とし、充分にかき立てて泡雪に仕立て、前のパンチの中へ、パンチを急いで、少しのゆるみもなくかく混ぜながら加えて、更に急にしかし静かに、充分にかき混ぜ合わせ、とろりとしたものに仕上げてすすめます。【注1】「ブールボン・ウイスキー」とはご推察の通り、「バーボン(Bourbon)・ウイスキー」のこと。【注2】「A」の項の【注9】をご参照。【注3】現代のマティーニの標準レシピはジンとドライ・ヴェルモットだが、この時代は欧米でもまだイタリアン(スイート)・ヴェルモットを使うレシピが主流で、日本でも同様だったようだ。【注4】「グルナダン・シロップ」とはご推察の通り、今で言う「グレナディン・シロップ」のこと。【注5】「クレーム・ド・コギャク」とはコニャック・ベースのリキュールのこと。現在でも何種類かが製造・販売されている。【注6】メエレエ(M?l?)とはフランス語で「混ざり合った」との意。「メエレエ・ケシ(現代の表記だと「メーレ・カシス」)はフランスの家庭では一般的に飲まれていたカシス・ブランデーのこと。【注7】「B」の項の【注4】をご参照。【注8】「ボカース」とは、1828年にドイツ系米国人のジョン(ヨハン)・ボウカーが製造・販売を始めたビターの銘柄「ボウカーズ・ビター」(Boker’s Bitter)のこと。禁酒法時代の1920年代に製造中止となったが、近年、その味わいを再現した製品が再発売されている。【注9】「一勺(しゃく)」は一合の10分の1で約18ml 従って五勺は約90ml【注10】「ムーレット」とは、ここでは「ムーレット・ワイン」のことを指す。ワインに甘味やスパイスなどを加えて温めたもの。現代では「マルド・ワイン 」という表記が一般的。【注11】「一匁(もんめ)」は3.75g 従って三十匁は約113gこちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/30
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テレビや新聞の報道ですでに皆さまご承知のように、昨日(3月7日)の大阪・十三(じゅうそう)駅西口エリアの火災で、「大阪の宝」とも言える名酒場「十三トリス」がほぼ全焼しました。残念で、残念で、言葉がありません。十三トリスは、半世紀以上同じ場所で続く、重要文化財のような歴史的な名店でした。それが一瞬にして灰になってしまいました。あの昭和レトロな雰囲気に満ち溢れた空間は、もう戻ってきません。火災の原因をつくった人間が、ほんとに憎いです。 十三トリスとうらんかんろは、大学生時代からの付き合いでした。うらんかんろの友人でもあった切り絵作家の故・成田一徹さんも、十三トリスとはプロデビュー前から30年以上もの付き合いがあり、店の内外の風景をたびたび切り絵にしてきました。江川栄治マスターは一徹さんの原画を数多く所蔵され、一徹さんもマスターのために、十三トリスの年賀状用の切り絵を、毎年、個人的に制作してきました。それほど親密な関係でした。 十三トリスの店内にあった、そうした一徹さんの切り絵原画の数々のほとんどすべてが燃えてしまったらしいと、知人から聞きました。店内に飾られていた絵や江川マスターが個人的にファイリングされていた絵の中には、うらんかんろも初めて見るような絵もたくさんありました。 幸い、一徹さんの神戸の家には、まだ十三トリスを切った原画がいくつか残されています。一徹さんの切り絵に関しては、今後の店の再建の過程で、きっとこの原画がお役に立てると信じています。もちろん切り絵原画以外でも、うらんかんろは今後の店の再建支援のために、できる限りお役に立ちたいと願っています。
2014/03/08
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2カ月ぶりに広島への出張があったので、仕事の後、再びBAR巡りをしてまいりました(前回の広島BAR巡りの日記は、こちらに)。 出張の日(13日)は全国的に大寒波が襲い、広島も日中から雪模様の天気でした。歩いていると震えるほど。「とにかく早く開いているお店に入りたい」と探したのですが、広島は6時オープンの店が意外と少ないのです。ほとんどのBARは午後7時か8時の開店です(広島のお客は出足が遅いのだとか)。調べた限りでも、「6時開店」は2軒しかありませんでした。 で、最初にお邪魔したのはそのうちの1軒、「Bar・Fouque(フーケ)」=写真右=というお店です。まぁ、この店も以前から訪れてみたいと思っていたので、若干予定外でしたが、丁度よかったのかもしれません。 「Fouque」ではマスターはまだ店にお見えになっておらず、サブのHさんがカウンターを切り盛りしておられました。店内はオーセンティックBARというよりも、落ち着きの中にもスタイリッシュさを兼ね備えた空間でした。 聞けば、オープンしたのは1989年というから、もう20年ほど前。スタイリッシュさもあってか、そんな古さを感じさせない居心地の良い店です。バックバーのデザインやライティングも上品で、デザイナーの方のセンスやこだわりを感じさせられます。 Hさんはバーテンダー歴8年で、30歳というお話でしたが、そうは思えないほど行き届いた接客&サービスです。初めてのBARでは第一印象が大事といいますが、「Fouque」の第一印象はHさんのおかげで最上のものとなりました。 さて、1時間ほど「Fouque」で過ごした僕は、帰り際に出勤されたマスターのUさんとご挨拶をした後、広島最大の歓楽街「流川」エリアへ向かいました。 2軒目にお邪魔したのは「BAR福澤」(写真左は、店の入り口横の壁に架かる素敵なプレート)。1996年のオープンで今年で15年目に入るお店です。あいにくマスターはまだお見えでありませんでしたが、話し好きなサブの方のおかげで退屈せずに済みました。 「福澤」では、オリジナル・ハイボールというのがメニューに出ていたので、頂きました。ベースはウイスキーの「白州」。よそのハイボールと大きく違うのはレモン・ピールではなく、オレンジ・ピールにしている点です。 サブの方曰く。「レモンだと少しとんがり過ぎて、白州本来の味わいを押さえてしまうので、オレンジでやってみたところ、ちょうど口当たりもいい感じになったんです」。確かに、オレンジ・ピールは合います。飲みやすい感じになるので女性向きかもしれません。 さて、日帰りの予定なので、早々と3軒目へ転戦です。訪れたのは「福澤」からもそう遠くない場所にある老舗の「Bar・Degas(ドガ)」=写真右。ここは、全国のBARに詳しい友人の推薦です。お邪魔してみると、カウンターが5、6人ほどで、あとテーブル席が一つという意外とこじんまりしたお店でしたが、ほぼ満員の盛況です。 「Degas」は1958年の創業なので、半世紀以上の歴史をもつ老舗です。両親と息子さんという家族3人で切り盛りされていることもあって、とてもアットホームな雰囲気です。メニューはドリンク、フードとも充実しているのが嬉しいです。 僕はカウンターの中にいた息子さんのSさんにご挨拶し、「先日広島でBAR巡りをした際には、(福山のBAR)さくまのマスターと『Slaintheva』でばったり会いましたよ」という話をしたら、Sさんは「そうでしたか、お客様のことでしたか。佐久間さん実はそのあとうちにお越しになられて、その話をしておられましたよー」と応え、僕もびっくり。世の中狭いですね。 「Degas」ではウオッカ・トニックとホット・ウイスキーを頂き、手作りのお通しも美味でした。Sさんは忙しいにもかかわらず、温かい接客で、僕の話し相手もしっかりしてくださり、感謝感激です(写真左=「Degas」のメニューブックの表紙にはあの柳原良平さんのオリジナルな絵が)。 さて、3軒回っていい気分になった僕は、後ろ髪を引かれる思いで、路面電車で新幹線の広島駅へ(広島の路面電車は本数が多くて、繁華街から広島駅まで10分ほどというアクセスの良さが嬉しい)。来月もまた広島出張の予定があるので、次はどこを回ろうかなぁ…と今からワクワクしています(それにしても、広島のBAR経営者の皆様、もう少し開店時刻を早くしてほしいなぁ…)。 【Bar・Fouque】広島市中区鉄砲町4-7 シティコープ幟町1F 電話082-227-5837 午後6時~午前3時(日祝~午前零時) 年末年始のみ休み 【Bar福澤】同市中区流川町3-4 フジヤマビル4F 電話246-8695 午後7時~午前3時 不定休 【Bar・Degas】中区堀川町3-8 イテザ3ビル2F 電話241-3076 午後7時~午前2時(日祝~午前零時) 無休 【追記】今回の広島BAR巡りの際、あるマスターから「夕方の5時から開いてるBARが1軒だけありますよー」と教えてもらいました。「Bar・Brown」という店です。この店についての報告は次回の広島BAR巡りでいたしますので、乞うご期待。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/01/16
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15.ブラディー・メアリー(Bloody Mary)【現代の標準的なレシピ】ウオッカ(50)、トマト・ジュース(100~200)、氷、レモン・スライス、ウスター・ソース、タバスコ、スパイス類(セロリ・ソルト等)、飾り=セロリ・スティックまたはバジリコの葉(お好みで)、氷 【スタイル】シェイクまたはビルド 「ブラディー・メアリー」は、現代でもかなり知名度のあるカクテルです。カクテルブックで「パリのハリーズ・ニューヨーク・バー(以下「HNB」と略すことも)のバーテンダーだったフェルナンド・プティオ(Fernand Petiot 1900~1975)が1920~21年頃に考案した」と紹介されることが多いです(プティオ自身も、後年、概ねそう証言しています)が、後述するように、プティオが後の渡米後、ニューヨークのセントレジス・ホテル(「キングコール・バー」)時代の1934年に考案したという説もあります(出典:Meehan's Bartender Manual<Jim Meehan著>)。 「ブラディー」(Bloody=血まみれ、血みどろ)という名前は、16世紀半ばに、宗教弾圧で約300人ものプロテスタント教徒を処刑したという英女王メアリー1世(1516~1558)に由来し、その冷酷なイメージを表現したというのが定説となってきました(珍説としては、ベースであるウオッカの創業者「ウラジミール・スミルノフ」の名前が欧米人には発音しにくく、「ウラジミール」が転じて「ブラディー・メアリー」になったという話もあります → 出典:Wikipedia英語版)。 しかし、1999年に出版された「Vintage Cocktails」(Susan Waggoner & Robert Markel著)や、2002年に米国の著名なカクテル研究家デイル・デグロフ(Dale Degroff)が著した「The Craft of the Cocktail」などは少し違う説を紹介しています。 曰く、「(Bloody Maryは)当初、ハリーズ・バーでは『Bucket of Blood』(「バケツ一杯の血」の意)という名だった。しかし、その後常連客だったメアリーという女性の名にちなんで、『ブラディー・メアリー』に変わった。その客は相手の男性にいつも待ちぼうけを食わされ、寂しそうにプティオのつくるトマト・カクテルを飲んでいた。その様子がまるで、長期間幽閉されていた女王メアリーの孤独に相通じるものがあった」というです。えっ? 残酷な女王の「無慈悲」というイメージ由来ではなかったのか? 極めつけが、2012年に出版されたハリーズ・ニューヨーク・バーの「100周年記念本(原題:HARRY’S BAR THE ORIGINAL)」。1967年発行の雑誌「News Week」の記事を引用する形で、プティオの驚くべき証言を紹介しています。プティオはハリーズ・バーを辞めた後、ロンドン・サヴォイホテルのバーを経て、1925年に米国へ渡り、1934年以降はニューヨークの「セントレジス(St. Regis)・ホテル」のバーでチーフ・バーテンダーとして活躍しました(このインタビュー時は66歳)。 プティオはこう語っています。「(カクテル名は)ハリーズ・バーにいた若いスタッフが提案してきたんだ。(禁酒法時代、血生臭い事件が数多くあったシカゴのナイトクラブ)『Bucket of Blood Club』を思い起こさせるって。そして当時、彼にはメアリーという名前の恋人がいたんだよ」。本当なのかと思いたくなる証言の数々。今まで信じていた「メアリー1世」説は何だったのでしょうか…。 なお、考案の経緯や作者については異説もあります。代表的な説として、以下のような4つの説が伝わっています。(1)ジョージ・ジェッセル(George Jessel 1898~1981)という米国人喜劇俳優が1939年に考案し、フェルナンド・プティオに教えた(プティオ自身の後年の証言→出典:石垣憲一氏「カクテル ホントのうんちく話」=2008年刊)。ジェッセルのためにプティオが考案したという説も(出典:Wikipedia英語版)。 ※同書によれば、プティオ自身は1964年、ある雑誌のインタビューで(ブラディー・メアリーが)自身の創作であることを否定し、「ジョージ・ジェッセルなる人物からレシピを教わった」と明かしているとのこと(ただし、一方で「現代的なブラディー・メアリーをつくったのは自分だ」とも語っている)。(2)パリ・リッツホテルの「ヘミングウェイ・バー」で誕生した。考案の時期については不明(出典:Wikipedia英語版)。 ※リッツホテルのチーフ・バーテンダー、コリン・ピーター・フィールド(Colin Peter Field)はその著書「The Cocktails of The Ritz Paris」(2001年刊)の中で、同ホテル内「プティ・バー」のバーテンダー、ベルナール・ベジタンの証言を元に、1940年代後半か1950年代初めに、常連客だった文豪ヘミングウェイのために考案したという説を紹介していますが、一方で、それを証明する証拠もないとも記しています。(3)ニューヨークの社交クラブ「The 21 Club」のバーテンダーHenry Zbikiewiczというバーテンダーが1930年代に考案した(出典:同上)。※上記のジョージ・ジェッセルもこのクラブの常連客だったそうです。(4)禁酒法時代(1920~33)に米国のもぐり酒場で生まれた「ブラディー・サム」(ジン&トマト・ジュース)のバリエーションとして、考案された。考案の時期自体は不明(出典:欧米の複数のカクテル専門サイト)。 ※禁酒法時代、米国ではウオッカはほとんど流通していませんでした。もし、「ブラディー・サム」のバリエーションとして考案されたのだとしても、禁酒法廃止後の1935年以降のことでしょう(ウオッカが米国で本格的に普及するのは、第二次大戦後<1945年~>です)。 前述のように、プティオが働いていたパリのハリーズ・バーでは、当初「バケット・オブ・ブラッド」と呼ばれていました。店ではそれなりに飲まれていたはずですが、1920~30年代(米国は禁酒法時代)の欧州で幅広く普及しなかったことは、この時期、欧米で出版されたカクテルブックに「ブラッディ・メアリー」を収録している例が見当たらないことからも明らかです。 個人的にはこれが不思議でしたが、探っていくうちその理由がいくつか見えてきました。まず、20年代前半の欧州では、特定の季節しか新鮮なトマトが入らず、「トマト・ジュースを使うカクテル」をバーで年間通して提供することはとても難しいことでした。米国で(カクテルにも使える)手軽な缶入りのトマト・ジュースが誕生し、欧州に輸入されるようになったのは、1925年以降です。 また、ベースとなる酒であるウオッカも、ロシア革命(1917年)後、ソビエト連邦が生産を一時禁止したため、西欧地域では急激な供給不足に陥りました。スミルノフ家などロシアから逃れた実業家が、ポーランドやフランスでウオッカ生産を再開するのは、1920年代半ば~後半になってからで、生産量もまだ需要を満たす程ではありませんでした。なので20年代、ハリーズ・バーで「ブラディー・メアリー」が提供できたとしても、その量はおそらくは限定的だったでしょう。 プティオにはさらにもう一つ、予期せぬ出来事が起こります。1934年、渡米後迎えられたニューヨークのセントレジス・ホテルのオーナーから、「ブラディーという名は印象が良くない。カクテル名を変えるように」と強く要請されます。プティオは仕方なく、「レッド・スナッパー(Red Snapper)」という名に変更します。加えて、当時の米国ではウオッカがまだ十分出回っておらず、ベースもジンに変えざるを得ませんでした(なので、30年代の本では「レッド・スナッパー」の名で登場することはあっても、「ブラディー・メアリー」で紹介されることはなかったのです)。 「レッド・スナッパー」は当初、米国では「味が平凡だ」と不評でした。そこでプティオは、塩、胡椒、レモンジュース、ウスターソースなどを加えて、味を複雑にする工夫を加えました。これが「トレンディ好き」なニューヨーカーに受けました。1939年、スミルノフ・ウオッカの米国内での輸入がスタート。翌年1940年には、米国で出版されたカクテルブック「The Official Mixer's Manual」(パトリック・ダフィー著)の第2版で、「ブラディー・メアリー」として初めて活字で紹介されました。 そのレシピは、「ウオッカ1ジガー、トマト・ジュース2ジガー、レモン・ジュース3分の1ジガー、ウースター・ソース1dash、塩、胡椒(シェイク)」となっています。第二次大戦後には、輸入業者から「ブラッディ・メアリー」が「販促カクテル」として採用され、プティオの米国流アレンジは、まもなく欧州にも幅広く普及し、再び注目されるようになりました。 ご参考までに、1940~50年代に欧米で出版された主なカクテルブックでの「ブラディー・メアリー」を紹介しておきましょう。 ・「The Stork Club Bar Book」(ルキアス・ビーブ著、1946年刊)米 ウオッカ3オンス、トマト・ジュース6オンス、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ジュース2分の1個分(シェイク) ・「Trader Vic's Bartender Guide」(ヴィクター・バージェロン著、1947年刊)米 ウオッカ1オンス、トマトレ・ジュース適量、レモン・ジュース2分の1オンス、ウースター・ソース1tsp、タバスコ1drop、塩、胡椒(シェイク) ・「Old Mr. Boston Official Bartender's Guide」(1953年版)米 ウオッカ45ml、トマト・ジュース45ml、レモン・ジュース1dash(ビルド) ・「Esquire Drink Book」(フレデリック・バーミンガム編、1956年刊)米 ウオッカ1ジガー、トマト・ジュース2ジガー、レモン・ジュース3分の1ジガー、ウースター・ソース1dash、塩、胡椒(シェイク) ちなみに、「HNB」のオーナー、ハリー・マッケルホーンが著した「ABC of Mixing Cocktails」(1919年初版刊)では、初版も含め20年代に何度か重版が出た際も「ブラディー・メアリー」は収録されていません。1986年の改訂版になってようやく初めて登場しました。 なお、プロのバーテンダーなら常識でしょうが、トマト・ジュースを「クラマト・トマトジュース」(貝のエキス入り)に替えると、「ブラディー・シーザー」という名に変わります。また、ベースをテキーラに替えると「ストロー・ハット」に、ビールに替えると「レッド・アイ」に、また、ブラディー・マリーそのものをビールで割ると「レッド・バード」というカクテルになります。 日本で比較的知られるようになったのは、終戦後の1950年代からと思われますが、文献で登場するのは60年代に入ってからです。【確認できる日本初出資料】「カクテール全書」(木村与三男著、1962年刊)。レシピは「ウオッカ45ml、トマト・ジュース200ml、レモン・ジュース1tsp、ウースター・ソース、塩、胡椒各お好みで」となっています。・こちらもクリックして見てねー! → 【人気ブログランキング】
2016/12/05
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先日のこと。ある海外のバー業界関係の方から「過去誕生したジャパニーズ・カクテルのなかで、知っておくべき重要なカクテルを教えてほしい」という依頼を受けました。 そこで、まがりなりにも長年カクテル史を研究してきた私が、独自の?視点で25のカクテルを選んで、DeepLの力を借りて(笑)英訳したうえでお伝えいたしました(うち2つは日本人の考案ではなく、滞日外国人が考案した or 関わったと伝わる日本生まれのカクテルですが…)。 以下はその日本語版です。「プロなら知っておくべきジャパニーズ・カクテル」と、その考案者(不明なものもありますが)、誕生の時期・由来等について簡単に紹介いたします(かつて私のBlog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話」で取り上げたものについては、その該当ページへのリンクも貼っておきます)。1.横浜(Yokohama)(19世紀末から20世紀初頭、考案者は不詳) ジン30ml、ウォッカ15ml、オレンジジュース15ml、グレナデン・シロップ10ml、アニゼット0.5tsp(ティースプーン) ※横浜・外国人居留地のバーもしくは欧州航路の客船内のバーで誕生したと伝わっている。いずれにしても欧州航路の客船を通じて1920年代には英国にも伝わり、サヴォイ・カクテル・ブック(1930年刊)にも収録されることになった。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:横浜(Yokohama)」】2.チェリー・ブロッサム(Cherry Blossom) 田尾多三郎(1923年) カナディアン・ウイスキー(カナディアン・クラブ)、チェリー・リキュール(ピーター・ヒーリング)、スイート・ベルモット(チンザノ・ロッソ)各3分の1、マラスキーノ1dash ※このレシピは、国内外で一般的に知られる「チェリー・ブロッサム」のレシピ(チェリー・ブランデー、ブランデー、オレンジ・キュラソー、レモンジュース、グレナディン・シロップ=1900年頃誕生。考案者は不明。かの『サボイ・カクテルブック<1930年刊>』にも収録)とは大きく違っている。 田尾氏(故人)は自らがオーナー・バーテンダーをつとめていた横浜・伊勢佐木町の「カフェ・ド・パリ」(現在は関内に移転し、バー「パリ」と改名)で冒頭の「チェリー・ブロッサム」を考案したが、そのレシピを公開してこなかったために、欧州発祥のチェリー・ブランデーベースのレシピが日本に伝わるにつれて、レシピが取り違えられてしまい、日本国内では田尾氏が考案者であるという「誤解」が定着してしまった。 近年の研究で、田尾氏による冒頭のオリジナル・レシピが徐々に明らかになってきた。従って、一般的に知られるレシピの「チェリー・ブロッサム」は日本発祥とは言えないが、偶然にもほぼ同じ時期に、田尾氏が同名のカクテルを考案し、普及に貢献した事実が消えることはない。 【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:チェリー・ブロッサム(Cherry Blossom)」】3.マウント・フジ(Mount Fuji) 東京帝国ホテルのインペリアル・バーで誕生(1924年)、考案者は不詳 ジン45ml、パイナップルジュース15ml、レモンジュース10ml、シロップ1tsp、マラスキーノ1tsp、 生クリーム 1tsp、卵白 ※「マウント・フジ」カクテルには他に2つのバージョン(JBAバージョンと箱根富士屋ホテルバージョン)が伝わっている。詳しくは、連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話」の「マウント・フジ(Mount Fuji)」の項をお読みください。4.ライン・カクテル(Line Cocktail) 前田米吉(1924年) ジン25ml、スイート・ベルモット25ml、ベネディクティン25ml、アンゴスチュラビターズ2dash ※前田米吉氏(1897年~1939年)は大正時代のバーテンダーであり、日本初の実用カクテルブック『コクテール』(1924年刊)の著者。【ご参考:拙Blogの記事「『コクテール』の著者・前田米吉氏の素顔とは」】5.會舘フィズ(Kaikan Fizz) 東京會舘内のバー発祥(1945年)、考案者は不詳 ジン45ml、牛乳60ml、レモンジュース15ml、砂糖1tsp、ソーダ ※敗戦後(1945年9月)、東京會舘は占領軍に接収され、1952年まで将校専用の社交場(「東京アメリカンクラブ」)として使用された。「會舘フィズ」は朝から酒を飲みたい将校が、バーテンダーに「お酒に見えないアルコール・ドリンクをつくってくれ」と頼んで、考案してもらったのが起源と伝わる。【ご参考:拙Blogの記事「東京會舘メインバー:歴史の重みに酔う」】6.カミカゼ(Kamikaze) 考案者不詳(1945~46年頃) ウォッカ30ml、コアントロー30ml、ライムジュース30ml、ライム・スライス ※第二次世界大戦後(1945年~)、東京の占領軍キャンプ(米軍基地)内のバー発祥と伝わる。 7.青い珊瑚礁(Blue Coral Reef) 鹿野彦司(1950年) ジン40ml、グリーンペパーミント・リキュール20ml、マラスキーノ・チェリー、あらかじめグラスの縁をレモンで濡らしておく。 ※1950年5月、戦後初めて開催された本格的なカクテル・コンクール「オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール」(日本バーテンダー協会=当時はJBA=主催)で1位に輝いた。考案者の鹿野氏は(当時)名古屋のバー「くらぶ鴻の巣」のオーナー・バーテンダー。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:青い珊瑚礁(Blue Coral Reef)」】8.キッス・オブ・ファイア(Kiss of Fire) 石岡賢司(1953年) ウォッカ30ml、スロージン20ml、ドライ・ベルモット、レモンジュース5ml、砂糖でグラスをスノー・スタイルにして ※1953年に開催された「第5回「オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール」(日本バーテンダー協会主催)でグランプリに輝いたカクテル。石岡氏は残念ながら、この受賞から数年後に他界された。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:キッス・オブ・ファイア(Kiss of Fire)」】9.雪国(Yukiguni) 井山計一(1959年) ウォッカ45~55ml、ホワイト・キュラソー10ml、ライムジュース5ml、ミントチェリー、砂糖でグラスをスノー・スタイルに ※1958年、山形県酒田市のバー「ケルン」のオーナー・バーテンダー井山計一氏が、川端康成の小説「雪国」をモチーフに考案。翌年の1959年に開催された「第1回寿屋(後のサントリー)カクテルコンクール」で最優秀賞を受賞した。 日本人が考案したスタンダード・カクテルとしては、「雪国」は日本国内では今なお最もよく知られている(日本生まれのカクテルとしては「バンブー」が世界的に有名だが、これは残念ながら、明治期に米国から来日した外国人によって考案されたもの)。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:雪国(Yukiguni)」】10. スカイダイビング(Sky Diving) 渡辺義之(1967年) ホワイト・ラム30ml、ブルー・キュラソー20ml、ライムジュース10ml ※1967年10月に開催された全日本バーテンダー協会主催の大会でグランプリを受賞したカクテル。海外ではあまり知られていないが、日本ではほぼ「スタンダード」になっており、国内で出版されるカクテル本にも頻繁に登場する。渡辺義之氏は大阪のバーテンダー。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:スカイダイビング(Sky Diving)」】11. レッド・アイ(Red Eye) (1970年代後半?沖縄発祥。考案者は不詳) ビール150ml、トマトジュース150ml、スパイス(セロリソルト、ブラックペッパー...) ※トム・クルーズ(Tom Cruise)主演の映画「カクテル(Cocktail)」(1988年公開)に登場する生卵入りカクテル「レッド・アイ」に似ているが、この日本発祥の「レッド・アイ」は全く別物で、映画公開前の1970年代後半には沖縄の米軍基地周辺のバーで流行っていた。その後、80年代半ばには東京や大阪などの大都市でも広く知られるようになった。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:レッド・アイ(Red Eye)」】12. メロンボール(Melonball) (1978年、考案者は不詳) ウオッカ20ml、ミドリ(メロン・リキュール)30ml、オレンジジュース80ml ※1978年、サントリー社がメロン・リキュール「ミドリ(MIDORI)」を米国で先行発売するに際して、提案したオリジナルカクテル(オレンジジュースの代わりにグレープフルーツジュース、パイナップルジュースを使うバージョンもある)。13. ソル・クバーノ(Sol Cubano) 木村義久(1980年) ホワイト・ラム45~80ml、グレープフルーツジュース60ml、トニックウォーター60ml、グレープフルーツ・スライス、フレッシュミント ※1980年に開催された「トロピカルカクテル・コンクール」(サントリー社主催)でグランプリを受賞。木村氏は神戸のバー「サボイ北野坂」のオーナー・バーテンダーとして今も活躍中。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:ソル・クバーノ(Sol Cubano)」】14. 照葉樹林(Shoyo Jurin=means Shiba Forest.) (1980年頃、考案者は不詳) 緑茶リキュール 60ml、烏龍茶 120ml ※サントリー・カクテルスクール東京校発祥と伝わる。15. 吉野(Yoshino) 毛利隆雄(1983年) ウォッカ60ml、キルシュワッサー0.5tsp、緑茶リキュール0.5tsp、桜花の塩漬け ※奈良県の吉野は桜の名所として有名。毛利隆雄氏は、東京・銀座「毛利バー」のオーナー・バーテンダー。16. スプモーニ(Spumoni) (1980年代半ば、考案者は不詳) カンパリ30ml、グレープフルーツジュース30ml、トニックウォーター ※日本のバーで最も人気のあるカクテルの一つ。アルコール度数が低く飲みやすいため、とくに女性に人気がある。日本のカクテルブックでは「イタリア生まれのカクテル」と紹介されることが多く、バー関係者でもそう誤解している人が多いが、日本生まれのカクテル。 1980年代半ばに、日本のカンパリ輸入業者と、イタリア料理ブームに便乗した外食産業関係者によって考案され、広まった。「スプモーニ」の語源は、イタリア語の「泡を立てる(spumare)」から名付けられたという。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:スプモーニ(Spumoni)」】17. キングス・バレー(King’s Valley) 上田和男(1986年) スコッチ・ウイスキー40ml、ホワイト・キュラソー10ml、ライムジュース10ml、ブルー・キュラソー1tsp ※1986年に開催された「第1回スコッチウイスキー・カクテルコンペティション」での優勝作品。作者の上田氏は、東京・銀座「Bar TENDER」のオーナー・バーテンダー。18. サケティーニ(Saketini) (1980年代半ば~後半に登場、考案者は不詳) ドライ・ジン40ml、日本酒(SAKE)30ml、オリーブ19. フォーリング・スター(Falling Star) 保志雄一(1989年) ホワイト・ラム30ml、パイナップル・リキュール15ml、オレンジジュース10ml、グレープフルーツジュース10ml、 ブルー・キュラソー 1tsp、レモンピールは星型にくり抜く。ブルー・キュラソーで銀河のようにコーラル・スタイルにしたグラスに ※1989年、日本バーテンダー協会主催の「全国バーテンダー技能競技大会」で総合優勝した際の創作カクテル。保志氏は現在、東京・銀座「バー保志」のオーナー・バーテンダー。20. チャイナ・ブルー(China Blue) 内田輝廣(1980年代後半〜1990年代前半) ライチ・リキュール30ml、ブルー・キュラソー10ml、グレープフルーツジュース45ml、トニックウォーター45ml(トニックウォーター無しのバージョンもある) ※ライチ・リキュール「ディタ(DITA)」の輸入発売スタートにあたり考案されたと伝わる。カクテル名は、中国の陶磁器「景徳鎮」の鮮やかな青色に由来するという。内田氏は富山市にある「バー白馬館」のオーナー・バーテンダー。21. ミルキーウェイ(Milky Way) 岸 久(1996年) ジン30ml、アマレット30ml、ストロベリークリーム・リキュール10ml、ストロベリー・シロップ15ml、パイナップルジュース 90ml ※1996年の「インターナショナル・カクテル・コンペティション(ICC)」ロングドリンク部門での優勝作品。岸氏は、東京・銀座「スタアバー」のオーナー・バーテンダー。ICCで優勝した日本人バーテンダーは岸氏が初めてである。22. オーガスタ・セブン(Augusta Seven) 品野清光(1997年) パッソア(パッションフルーツ・リキュール) 45ml、パイナップルジュース90m、レモンジュース15ml ※パッソア・リキュールの日本での輸入販売を開始するにあたり、オリジナルカクテル考案の依頼を受けた大阪の「バー・オーガスタ」オーナー・バーテンダー、品野清光氏が考案した。その後、人気漫画「バー・レモン・ハート」でも紹介されたことで全国的にも知られるようになった。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:オーガスタ・セブン(Augusta Seven)」】23. スピーク・ロウ(Speak Low) 後閑信吾(2012年) ダーク・ラム50ml、ペドロヒメネス・シェリー5ml、抹茶1tsp、レモンピール ※2012年、「バカルディ・レガシー・カクテル・コンペティション」の優勝作品。後閑氏は日本人では、現在世界で最もその名が知られているバーテンダー。【番外編】・バンブー(Bamboo) 1890年、横浜外国人居留地にあった旧・横浜グランドホテルの支配人だった米国人、ルイス・エッピンガー(Louis Eppinger)氏が考案したと伝わる。 ドライ・シェリー50ml、ドライ・ベルモット20ml、オレンジビターズ(ステア)【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:バンブー(Bamboo)」】・ミリオンダラー(Million Dollar) 19世紀末または20世紀初めに、横浜グランドホテル内のバーで誕生? バンブーと同じエッピンガー氏の考案とも伝わるが、これを裏付ける文献資料は確認されていない。 ジン45ml、スイート・ベルモット15ml、パイナップルジュース15ml、グレナデン・シロップ、卵白(シェイク)【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:ミリオンダラー(Million Dollar)」】★こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2023/04/01
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バーUK、本日4月18日(土)、明日19日(日)の両日は、店休日となります。何卒ご了承くださいませ。The bar UK is closed on 18th & 19th of April. Thank you for your understanding.
2026/04/18
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バーUKは本日4月25日(土)、通常営業(午後2時~7時半、ご入店は6時半まで)致します。皆さまのお越しをお待ちしております。Today( April 25th )the bar UK is open from 2:00 to 7:30 pm( Your entry is until 6:30 pm ). Really looking forward to your visit!
2026/04/25
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皆さま、バーUK2026年10月の店休日と営業時間のお知らせです。【10月の店休日=予定】4日(日)、10日(土)~19日(月)=店内メンテナンス工事のため休業、25日(日)、31日(土) ※営業時間は、平日=午後4時~10時(ご入店は9時まで。酒類の提供は9時半まで)、営業する日の土曜日=午後2時~7時半(ご入店は6時半まで)とさせて頂きます。 平日午後9時以降(※土曜日は午後6時半以降)にご来店の場合は、必ず事前に店までお電話くださいませ=電話06-6342-0035。事前に連絡がない場合の入店はお断り致します。平日午後9時の時点(土曜日は午後6時半の時点)でノー・ゲストの場合は閉店させて頂きます。 ※なお、ご入店は4人様までに制限させて頂いております。 以上、何卒ご理解、ご協力の程を重ねて宜しくお願いします。 PS . 9月はあと、27日(日)にお休みを頂戴いたします。30日(水)は「テイスティングの集い」開催のため、原則貸切営業となります。【Notice for October 2026】The bar UK is closed on 4th、10th~19th=Due to renovation work inside the bar、25th、31st ※Open from 4:00 to 10:00 pm.< Your entry is until 9:00 and alcohol service is until 9:30 pm > on weekdays. If open on Saturdays, from 2:00 to 7:30 pm.< Your entry is until 6:30 pm >.
2026/09/23
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雑誌「TOYRO BUSINESS(トイロ ビジネス)」からの転載 連載コラム【愉しみは酒の数だけ…第15回】 知るほどに…再評価したいアイリッシュ世界五大ウイスキーの一つに、「アイリッシュ(Irish)」がある。その名の通り、アイルランドと英国領北アイルランドで製造される。大きな特徴は、「3回蒸留によるスムースでクリアな味わい」だ。代表的な銘柄は「ジェムソン」「ブッシュミルズ」「タラモア・デュー」など。アイルランドは「ウイスキー発祥の地」とも伝わる。最も古い文献記録には、1172年、当時のイングランド王がアイルランドに侵攻した際、「住民がウスケボー(Uisge-a-bagh)なる蒸留酒を飲んでいた」という報告が残っているという(写真左=お値段もリーズナブルなアイリッシュ・ウイスキー。近年は様々な銘柄が輸入されている)。アイルランドは長らくイングランドの属国だった。大英帝国の植民地拡大にともなって、ウイスキー製造業も急速に発展。1840年代には蒸留所は2千を超えるまでになったが、その後アイリッシュの衰退が始まる。その原因はまず、1826年、穀類からウイスキーを製造できる連続式蒸留器というものが実用化されたこと。この蒸留器からつくれるグレーン・ウイスキーは、クセが少なく、飲みやすいという特徴があった(その時点まで生産されていたのは、ほとんどがモルト・ウイスキー)。モルトとグレーンをブレンドすれば、より飲みやすい酒ができると考える企業家たちが現れる。その結果、19世紀の半ばにスコッチで「ブレンディド・ウイスキー」という新しいジャンル生まれ、モルトにこだわったアイリッシュは人気に陰りが出るようになった。そして1922年のアイルランドの独立。英国は、自らの植民地(例えばインド、オーストラリア、カナダなど)からアイリッシュを締め出すという嫌がらせを始めた。海外市場を失ったアイルランドでは、蒸留所が次々と倒産していった。さらに、米国の禁酒法。1920年に施行され13年間続いたが、大英帝国の市場から締め出されたアイルランドにとって、唯一の販売先だった米国市場が失われた(写真右=アイリッシュ・ウイスキーをベースで、世界的な人気カクテル「アイリッシュ・コーヒー」)。アイリッシュの現状はどうなのか。蒸留所は一時期3~4か所まで激減した。しかし、2010年代以降、世界的なウイスキー需要の高まりもあって、新興蒸留所が続々と誕生、その数は2026年初め時点で40を超えている。しかし、日本国内のウイスキー市場でのシェアは、現在1~2%に過ぎないという。個人的には、初心者にも飲みやすく、リーズナブルな価格帯の銘柄が多いこのアイリッシュを、再評価してもいいと思うのだが…。私のお勧めの銘柄は、冒頭で紹介した3つの銘柄のほかに、ティーリング、レッドブレスト、イエロー・スポット、ターコネル、カネマラ、パワーズ、バスカーなどだ。カクテルだと、アイリッシュ・ウイスキーを使った「アイリッシュ・コーヒー」という有名なドリンクもあり、こちらもぜひ味わってみてほしい。
2026/09/21
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