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古い映画の話で恐縮です。「男はつらいよ」の寅さんの話です。いつも無様な恋愛をして、古里柴又を恋しながらも、古里に居着くこともできず、いつもお金もなく、ふらふらと気ままにその日暮しの旅生活。というのが映画の設定ですが、寅さんは、そんな自分をいつも変えようと努力するのです。それが、また映画の笑いを誘うところですが、私は、そんな姿が、なんか自分に重なって涙が出て仕方がありません。人間らしさの根本は、未来を意識する事です。未来を意識する事が出来なくなると人間は、人間らしさを失います。寅さんは、果たしてそう意識してるか分からないですが、無意識にそう感じているような台詞が、所々にあって、寅さんを見ると人間らしさを取り戻した気になります。大企業の課長さんが鉄道自殺を図ろうとします。しかしブレーキが利いて事なく得て寅さんに出会います。親切な寅さんは、温泉旅館に彼を連れていくのですが、彼は仕事が気になるから帰ると言い出します。寅は、「死のうとしたやつが、何で気になるんだ」と言い放ちます。すると無断欠勤をしているからと彼は帰る主張を曲げません。すると寅は、「おまえが居ないと会社がつぶれるのか」と聞きます。彼は、その言葉でしばし、寅と同行する決意をします。ストーリーはその他色々ありますが、結局彼は立ち直って、従来の仕事に復帰していくのですが、エリート社員として学んで身につけた世界観と寅なりにこれまで学んできた世界観という対比で、現在の教育観に疑問を投げさせる作品だと思っています。寅が、エリートのように学ぼうとしたこともあります。寅は常々妹のさくらに「そのうちきっと」という言葉をはきます。おいちゃんおばちゃんにも、「いつかはきっと」と「奮闘努力」を誓います。しかし、彼の行動は、社会が受け入れないのです。しかし、作品を見ると、社会が受け入れないから寅が悪いのか、彼を受け入れない社会が悪いのかを考えさせます。常識とは何かという問題にも似ていますが、当たり前に自然に行う彼の行動は常識から外れることが多いかもしれませんが合理的です。しかしいくら合理的でも常識から外れるから抹殺する。これは、社会発展の観点から見るとどうかと本当に考えさせます。日本経済などが硬直している現在、いろいろな世界観を受け入れる寛大なな社会の構築が、今、求められているような気がします。
2004年06月09日
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いよいよ、東北も梅雨入りとのニュースが飛び込んできました。五月に多少暑くなっても、ヤマセという独特の北方からの寒気が入り込み、また若干気温が下がりやすくなります。所謂梅雨寒です。このヤマセが真夏まで長引くと冷夏ということになり、冷害がおきます。ところで、この時期、旧暦だと五月。ふと表題の句を思い出しました。この句は、明智光秀が主君織田信長を打つという決意を連歌会で示した句ですが、連歌会に同席した俳人蕉巴は、すぐにその句の真意を悟り、「いく川の 流れの末を せき止めて」と受け、無謀な決意を思い止めようとしました。明智光秀がなぜ謀反に及んだか、様々な説があります。私も当然お会いしたこともない過去の方ですので、そのわけは当然わかりませんが、記録の上で知る彼からは、確かに想像しがたいことです。私は、記録にない心の内面の問題だろうと想像したりします。彼は、礼節を重んじ、かなりの知識人であったことが想像できます。当然武士道を重んじ、主君を打つなど、とんでもないことは、日常、思いも寄らない事だったと思います。しかし、その反面、知識人特有のプライドの高さはあったと思います。織田信長は、野望丸出しのいわゆる「やり手」の武将でした。伝統やしきたりより、目標達成が至上という、世界観の持ち主です。しかし明智光秀は、なによりも天下国家の安泰に捧げるという大儀名文で行動するタイプだったように思います。これは、二人の育った環境にあると思うのですが、織田家は、守護大名斯波氏の家臣の家柄です。いくら父織田信秀が主君を押さえたというっても、家臣としての教育しか受けていないし、家臣としての家柄(家庭的雰囲気)しかありません。一方の明智家は、守護大名土岐氏と血縁関係がある大名の家柄という家庭的雰囲気がありました。ですから大名の一族として恥じない高い教育や作法を身につけていたと想像できます。事実、信長が上洛したときも、将軍家への作法は光秀しか心得ておらず、天皇家への接待も光秀が全て指示したと伝えられます。そんな光秀が信長に使えたのも、荒れた戦国の世を安泰にしたいという大義名分があったからこそだと思われます。しかし、力を大きくするに従い信長は、比叡山を焼き討ちにしたり、自らの目的(野望)のためには、民への虐殺を行い、家臣に対しても無謀な命令を下したりします。これは、知識人明智光秀には耐えられないことだった思われます。「こいつを野放しにしたら、また大変なことになる」とまで考えたと思います。ですから、明智光秀は、政権を信長から取って代わろうというよりも、世のためにも信長を打つという思いで裏切ったのではないかと想像します。これは、光秀の心の内面の問題です。だから、謀反の理由が分かりにくいと思うのです。先日の佐世保の小学生による殺人事件も同じです。本当に不幸な出来事です。それだけにその真相は、単純には分かりにくいと思います。生活環境、人間関係、テレビやパソコンという新たなメディアが及ぼす影響、子どもの世界の状況、それらが目に見えない心に様々な影響を及ぼす。事件当事者だけの問題として簡単に片づけてほしくないと思います。全ての子どもたちのために社会が正面で重く受け止めるべきでしょう。
2004年06月08日
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昔々のお話です。秋田のある長者(お金持ち)の家に辰子という,美しい姫がおりました。その美しさは、言葉に表すことも出来ないほどで、どこに行っても人々を驚かせ、大事に扱われてといいます。(つまり、ちやほやはれました)辰子は、いつまでもこの美しさを保ちたいと願い、不老の泉を下男に探させ、程なく見つけることが出来ました。辰子は、泉の近くに祠をたてさせ毎日不老を願ったといいます。そして願いがかなう時が来ました。泉の水は量を増し、辰子の皮膚にウロコが現れ、見る見るうちに竜に化身しました。泉の神が現れ、「そなたの願い、不老不死の竜にしてかなえよう。泉を湖に変え、その主になるがよい」と語ったといいます。田沢湖のシンボル、辰子姫像にまつわる伝説ですが、秋田の美人といえば、「花の色は…」で百人一首に登場する小野小町が有名ですが、彼女もあまりにも美人であったために終焉は、そのねたみなのか、事実なのか分かりませんが、よい話は、残っていません。第一、彼女の墓とさせるところが何カ所もあります。宮城の古川にもありますし、京都にもあります。つまり、彼女をしっかりと看取った方がいない、孤独な終焉であったということは事実でのようです。山梨県の甲府に善光寺があります。川中島の戦いの時に、戦火から守るために武田信玄が、長野から移したと伝えられる立派なお堂です。鳴り竜でも有名ですが、ここに小野小町の像というのがあります。それは、ここまでしなくてもというぐらい醜く彫刻されています。説明には、小町の心は、このように醜かったのだとされています。当時の人が作ったのか、後の人が伝え聞きで作ったのかわかりませんが、事実はどうあれ、人の心をここまで醜く表現する憎悪の念の方に醜さを感じます。宮城、古川の小野小町の墓の説明文では、一世を風靡した小野小町も年をとるにつれ、病を繰り返し、晩年は、孤独だったそうです。しかし、最後は、生まれ故郷の秋田雄勝で死にたいと、最後の力を振り絞って秋田に向かうが、その力果てて、この地で亡くなったとしています。美人は、生まれついてのことですから、本人に責任はありません。また、ああ美しいと評価を下すのも世間ですから、本人の責任ではありません。しかし、それに踊らされるのは、本人ですが、踊るなという方が無理でしょう。このように考えると、美人も辛いものです。
2004年06月07日
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昨日に続いて、秋田の方とまた、方言の話になりました。私が、宮城弁の「また、たございんね」が東京の人に受けたという話から、秋田では、「また来てください」は、どういうか聞いてみました。秋田の方は、「うん~」と腕組みをして暫く考えた後、「その場合秋田の人は、方言は使わないのではないか」という意外な返事が返ってきました。つまり、秋田弁は、分かりにくいという自覚が秋田県人にはあるので、なるべくお客様には、標準語を使うはずだ、というのです。さすが、観光先進地秋田だ、と私も頷いて聞いていましたが、それでも突っ込みを入れたくなって、でも秋田弁を聞くと差程宮城弁と変わらないよだが、と聞くと、秋田の人は、にんまりと笑って、「ままけっと おまいのあばよばってら」「まだかしぇーでるで すてこまで」といきなり秋田弁を使い始めた。言葉はなんか朝鮮語のように聞こえるが、イントネーションは、フランス語のようでもあります。秋田の人は、ちょっとわからないでしょ、と得意げに笑います。意味を聞くと「ごはん食べろとおかあさんが呼んでいますよ」「まだ仕事をしているから、ちょっとまっていてくれ」と翻訳されるそうです。なるほど、これは九州の「ととと」より強烈だと合点してしまった。これは、大曲や角館あたりの方言で、県北に行くともっと上品で分かりにくいといいます。しかし、秋田県の多くの人にとって、懐かしい言葉だと言います。東京にぽっつんと一人で働いていても、どこかでこの言葉が耳に入ると、無性に懐かしくなると言います。ある時は、涙が出るときがあるとまでいいます。古い歌謡曲に「あゝ上野駅」という歌を思い出しました。「♪どこかに故郷の香りを乗せて~♪」東京生まれの私ですが、無性にその歌が口ずさみたくなりました。
2004年06月05日
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昨日、ある東京のお客さんと方言の話になりました。「またいらっしゃい」を宮城では「またございんね」という。その響きがいいという話から話に花が咲いたわけですが、その方が言うには、標準語からすると東北弁は、遠くに感じない、むしろ田舎らしい素朴さを感じるが、関西や九州に行くと違和感を感じるのはなぜだろう、と問題提起してきました。成る程、そういわれればそうかなと自らの経験を思い起こしてしまいました。私が一人、博多始発の南へ向かう各駅停車に乗ったときです。入線と同時に乗り込んだので、さほど混んではなかったのですが、発車時刻が近づくにつれ除々に混みだした時です。初老の方が私の座る席の近くに来ていきなり、「ととと」と声をかけてきます。意味が分からず、もしかしたら私に声をかけたのではないのかなと思い、一応顔を見て、笑顔で迎えるのですが、また「ととと」と言うってきます。その「と」が3つは何だろうと考えていると、ムッとしたようにその初老の方は、立ち去ってしまいました。後で地元の人に聞くと、その席をとっているのか、と聞いたんだということがわかりました。方言とは、冷静になれば意味はわかるのですが、とっさだとこのようなものです。同じく九州の話ですが、ある小さなお店で、たまたま材料があるからとメニュー以外の料理を出されたときです。「辛くなかとですか」と聞かれ、香辛料も入っていないようなのにと思いながら、「いいえ、でもちょっとしょっぱいですね」と無遠慮に正直に答えると「やぱり、辛とですか。ちょっとよかとですか」と料理を引っ込めて何か加えるつもりらしいのですが、別に辛いとは言うっていないのにな、と不思議に思ったことがあります。後で聞くと、辛いもしょっぱいも全て辛いで片づけるそうだとわかりました。方言に戸惑うのも旅の楽しさです。そもそも標準語は、ラジオ開局の際、放送語として作られたとある本で読んだことがあります。この放送の力で、宮城では、若い人はほとんど方言を話さなくなりました。よいことか、悪いことかわかりませんが、寂しいことであることは間違いないことです。
2004年06月04日
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昨日、今日と大変よい天気になりました。東北でも汗ばむほどです。木々の緑もどんどん濃くなるし、草もどんどん背丈をのばしていきます。一時は気温が低く心配された稲も、ここにきてだいぶ持ち直し順調のようです。東北人は、よく「もくもくと文句も言わずに働く」といわれますが、熱帯の植物である稲を育てるために、品種を改良し、土地を開拓してきましたが、どうしても変えることができない自然との闘いが、最も厳しいものでした。だから、「もくもく」とただ一生懸命働くしかないのです。自然には文句の言いようがないですから。怒りを抑え、うまつき合っていくしかないのですから。ジブリの「おもいでぼろぼろ」でも台詞の中で出てきますが、東北の風景は、自然との闘いの風景なのです。「自然の風景」とか「田舎の風景」とかよくマスコミで紹介しますが、森一つとっても、川の流れ一つとっても、それぞれ歴史があり、生きていくために人が配置したものなのです。古代、東北は蝦夷と中央政権から見下げられ、支配と強めようとしました。中央政権より自然の支配に従う蝦夷の民は、長い間、中央政権に抵抗してきました。それでも生きるために中央に従うものも現れたりしましたが、屈辱的な扱いを受け抵抗することもしばしばでした。もちろん、今は、時代も違いますのでそのようなことはないのですが、しかし、国の減反政策で草がぼうぼうと荒れた田圃が目に付きます。農業軽視の政策で農業経営の困窮や後継者不足で離農する人も後をたちません。日本の食料自給率の低下が叫ばれ、輸入にたよる日本の食料事情。今こそ国に対して声を上げなくてはならないのではないかと考えたりします。
2004年06月03日
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ジブリの作品「となりのトトロ」は、できてからだいぶたちますが、まだなかなかの人気で、私も好きなアニメの一つです。舞台は、昭和30年代初頭、始まる季節は5月、舞台となるのは、所沢から東村山にわたっての武蔵野台地です。マックロクロスケは、ススワタリという妖怪でこの話は、私も子どもの頃聞かされたことがあります。「ススマワシ」とか「ヤシキグロ」とも言われたみたいですが、誰も住まなくなった家に住み着き、人が住むようになると、またどこかに行ってしまう。昔から、すまない家が汚れると、この妖怪のせいにしたとのことです。それはそうとして、気になるのは、作品全体にわたって現れる水田風景です。はたして武蔵野にこんなに広い水田があったろうかと疑問に持ちます。この水田だけがどうも武蔵野らしくない気がしてしかたがありません。武蔵野は、やはり赤土の畑です。それに挟まれるように河川や湿地のところに小さな水田がある、こんな風景だろうと思うのです。5月なら黄金になろうとする麦畑。大きな葉っぱを付けようとする里芋畑。そして、芽吹く薩摩芋やジャガイモ。こんな風景だろうと思います。僅かに現れる小さな電車。西武鉄道は、赤土の舞い上がる土埃の中、かっては、力強く近辺の足となり、収穫された農産物を運んでいました。楠にすむトトロ、なぜ欅ではないのかという疑問がありますが、それはそれとして、森から森へ走り回る猫バス。そんな想像が豊かに繰り広げられる豊かさが武蔵野にはあったのです。
2004年06月02日
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クレヨンしんちゃんといえば、見る人からは絶大な支持があり、見ない人からは、「下品」「悪いこ言葉遣い」などの非難があったりしますが、私は、子どもはもちろん、大人も同じように楽しめる名作として、毎週土曜日は楽しみにしている番組です。なによりも関心するのは、子どもの世界のジョークと大人の世界のジョークを見る人の感性に委ねて笑わせるところなどは、すごいと思います。そして最後は、共通の感動としてまとめ上げています。しんちゃんのIQはすごいんじゃないか、実際にはしんちゃんみたいな子は、いない、とか冷めた、アニメを見る目でしんちゃんを見てはいけないと思います。やはりしんちゃんは、あくまでも幼稚園児として見るから作品は生きるのです。幼稚園児しんちゃんだから出る台詞。幼稚園児しんちゃんだから行う行動。とありのままを受け入れて見るのが、しんちゃんの一番の楽しみ方だと思います。幼稚園児といえば、理解できる言葉は、まだ少なくても、会話は普通どうりできつつある年頃です。ですから様々な勘違いがあったり、行動にあどけなさがあったりするころです。また心の痛みや人を思いやる心が育つ頃でもあります。そんな年頃のしんちゃんが、濁りのない目で、様々なしがらみに縛り付けられている大人の滑稽な行動を諷しするのです。しんちゃんを見て赤面する大人もいますし、はたっ、と反省することもあります。
2004年06月01日
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