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Aug 24, 2026
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1964年(昭和39年)に東京~大阪間に開通した東海道新幹線。

そればかりか静岡工区の工事調整影響で開業が2036年以降にズレこんだリニア新幹線は、品川~大阪間を最高時速505km 、最速67分と云う驚異的なスピードで繋ぐのですね。
こうなると駅弁の売上見込めないですね。


東海道新幹線が開通した1964年と云うのは、同年開催された東京オリンピックによって1962年から続いた「オリンピック景気」で競技場やホテル、首都高速道路などのインフラ建設が急ピッチで進められた時期でもあります。
また海外渡航の自由化という歴史的な大イベントも行われ、高度経済成長期のまっただ中にあった年です。
しかし考えてみれば1964年って日本が戦争に負けてわずか19年です。
戦争で焼け野が原になってからわずか20年足らずで世界初の超高速列車を開通させたのです。
なぜ、それほど早く日本は新幹線を開通させることができたのか?

新幹線は戦後になって立案されたものではありません。
実は計画自体は戦前に作られ、着工のゴーサインまで出ていたプロジェクトだったのです。
1939年(昭和14年)に始まったプロジェクトの名前は「弾丸列車計画」と呼ばれ、東海道本線と山陽本線をこれまでにないスピードの高速鉄道を走らせると云う計画だったのです。
このプロジェクトの背景には朝鮮を併合して、さらに1932年(昭和7年)に満洲国が成立すると、日本から朝鮮半島・中国大陸へ向かう輸送需要が急増したのですね。
当時、東京・大阪からそれらの地に運ぶ最速ルートは東海道本線・山陽本線で下関まで行き、関釜連絡船で玄界灘を渡って釜山に上陸。
さらに朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)・南満洲鉄道(満鉄)を利用するというルートでした。
ところが東海道本線、山陽本線は東京と関西、九州を結ぶ日本の大動脈だったため、それ以前から輸送量は逼迫していたのですね。
それに加えて満洲国までの輸送が重なるとまったくのパンク状態に陥ります。
日本・満洲国間の旅客量は1931年(昭和6年)には30万人でしたが、1937年(昭和12年)には52万人、1939年(昭和14年)には90万人を越えていたのです。
特に1937年に日中戦争が勃発すると、そのままでは輸送量の増加に対処しきれなくなると危惧されるようになったのですね。
そこで1938年(昭和13年)に、東海道・山陽本線とは別に高軌道の鉄道を走らせる「弾丸列車計画」が打ち出されたのです。

建設計画では、時速200km 、軌間1,435mm 、車両の長さ25m 、ホームの長さは500m 、1日に片道42本の旅客列車を走らせる予定でした。
これらの数値は新幹線が開業したときと非常によく似ています。

鉄道省は当時の最先端技術である「電車」で運行しようと考えてたのですね。
ところが軍部が猛反発したのです。
電車だと変電所が爆撃されれば一発で動けなくなるからです。


そこで弾丸列車計画では、動輪(車輪)の直径を 2メートル30センチ にする予定にしました。
日本を代表する蒸気機関車D51の動輪が1メートル40センチなので、それを1メートルも上回ることになります。
当時、世界最大級と云われた南満州鉄道の最高時速130km を誇る流線型特急列車「あじあ号」でも動輪は2メートルだったので、その巨大さは怪物級だったのです。
実は、このプロジェクトにはさらにスケールの大きな目標もありました。
「弾丸列車計画」は東京と西日本をつなぐだけでなく、最終的には東京と 北京 をつなごうと考えてたのです。
もちろん日本と中国の間には海がありますよね。
それで下関から朝鮮半島まで 海底トンネル を掘り、北京まで直通させる計画だったのです。
夢のような話ですが、当時は本気で取り組んでたのですね。
このトンネル計画は実地調査も数回行われました。

当時、日本の鉄道技術は世界的なレベルにあり、1931年(昭和6年)には上越線で世界最長の清水トンネルを開通させており、1942年(昭和17年)には関門海峡で、世界で初めて海底トンネル「関門トンネル」を完成させてます。
朝鮮半島まで延びる海底トンネルはけして絵空事とは考えてなかったのですね。
これらの広大な計画は戦局の悪化とともに消えてしまいました。
が、東海道・山陽新幹線は進化系となって20数年後に実現してます。
弾丸列車計画で建設中のトンネルや買収済みの用地は新幹線計画で大いに活用されたのです。





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Last updated  Aug 24, 2026 05:25:34 AM
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