2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全19件 (19件中 1-19件目)
1

「名曲100選」 シューベルト作曲 歌曲集「美しき水車小屋の娘」フランツ・シューベルト(1797-1828)によって音楽史上で初めて書かれた「連編歌曲集」という、曲集全体が物語性を持っており、音楽もまとまりを持っている歌曲集のことを指して呼ばれるもので、後年シューマンが書いた歌曲集「女の愛と生涯」に受け継がれています。夢みたものは ひとつの幸福ねがったものは ひとつの愛山なみのあちらにも しづかな村がある明るい日曜日の 青い空があるこれは叙情詩人 立原道造の「夢みたものは・・・・」という詩の書き出しです。 25歳で早世した立原道造は、感性豊かに青春の哀歓を繊細な感覚と表情で詩を謳い上げています。 この叙情詩人とシューベルトが、私には重なって見えるときがあります。シューベルトは31年という短い生涯に600を超える歌曲を書き残しています。 青春の喜び、楽しさ、悲しさ、哀しみ、寂しさなどを瑞々しい感性で書き残された歌曲で、そこに立原道造へのイメージが重なる所以があるのかも知れません。1823年、シューベルト26歳のときに友人ラントハルティンガーを突然に訪問しました。 友人は不在でした。 しばらく待っていたのですが戻ってきません。 その時に友人の机に置かれていたのがミュラーという詩人の詩集でした。 その詩を読んでいるうちにすっかり魅了されてしまい、もっとじっくりと読みたい衝動に駆られて友人には無断で自宅へ持ち帰りました。シューベルトにはこの時にすでに歌曲の旋律が流れ出していたのでしょう。 そして一気に書き上げたのがこの歌曲集「美しき水車小屋の娘」でした。 シューベルトをそれほどに魅了した詩人ミュラーは、シューベルトより3つ年上のドイツ後期ロマン派の詩人で、彼も早世でした。 シューベルトが亡くなる前年1827年に生涯を閉じています。 後の歌曲集「冬の旅」もミュラーの詩によるものです。帰宅した友人がミュラー詩集をシューベルトが持ち帰ったと知り、返してもらおうと翌日シューベルト宅を訪れてみるとすでにこの詩集による歌曲が数曲出来上がっていた、という逸話まで残っているそうです。物語は、水車を使って村人に製粉を行う若い職人が主人公で、これまで修行をしてきた親方のもとを離れて遍歴の旅に出たところ。 遍歴は中世以来ヨーロッパのギルド制度の中で職人が一人前になる過程の一つだったそうです。 ある親方に奉公して技術を身につけた職人が独立して自営するためには、どうしても通らねばならない道であったようです。 この歌曲集の青年主人公もそうした一人でした。遍歴の旅に出た青年はこの水車小屋に働くようになり、そこの娘に恋をするようになります。それは若者を奮い立たせる恋でした。 しかし狩人が現れて娘に裏切られ恋に破れ、この青年は失意のまま小川に身を沈めてしまうという話です。これを20編の歌曲に仕上げています。 「冬の旅」のような暗鬱さは全くありません。 若者が「小川」に語りかけるという独白のような形で音楽が進みます。 その「小川」に対して若者は、恋の甘い喜び、娘のこと、憧れなどを語っていきます。 「小川」も語りかける若者を励まし、元気づけます。それらがシューベルトらしいこんこんと湧き出るかのような美しい旋律に乗って、若者の心が陰影深く、細やかに歌い上げられていきます。「小川」のせせらぎを描写する音楽は終始16分音符によって刻まれており、その一貫した音楽的なイメージによって歌曲集全体に抒情的な統一性を与えているようです。曲全体を大雑把に形容しますと、20曲中前半の11曲までが明るく、若者らしい恋の喜びを上昇気分で表現しており、後半は入水するまでを下降気分で書かれており、これは見事な情念の山と言えるでしょう。演奏時間が約60分の大作歌曲集です。愛聴盤ヘルマン・プライ(バリトン) ピアンコーニ(ピアノ)(DENON CREST1000 COCO70937 1985年録音)明朗な表現で若者の甘く悲しい物語を率直に歌っています。 技巧的なところがなくて淡々と自然に物語の中に聴き手を溶け込ませる演奏です。
2010年10月30日
コメント(0)

「ダイナコ A25X」もう35年くらい前になるでしょうか、オーディオ・ファンに信頼をされて人気のスピーカー装置がありました。 JBLでもタンノイでもない、「dynaco」(ダイナコ)というデンマーク製のスピーカー。 そして最も人気があったのがA25、A25Xという装置。 そのA-25Xが我が家にやって来た。 これまで20年余り使っていたONKYOのスピーカーのウーファー・エッジ(樹脂製)が右・左の装置ともにひび割れてしまった。 勿論音に酷い歪が表れて聴ける状態でなくなってきました。 もう今更新品のスピーカー装置を捜し求めて電気街を歩き回る根気もなくなって、しばらくの間は音楽から遠ざかっており、ブログで音楽記事を書いて満足していたのですが、PCもダウン。 あ~、何やら呪われているのかな、おいおいカメラまではやめてくれよな、という気分になっていたところに近所のクラシック音楽好き、アーディオ・マニアから声がかかり、本当に「ダイナコ A25X」がやって来た。勿論、中古品。 そのマニアの知人から「売って欲しい」と頼まれたそうな。 早速我が家に運んでもらって聴いています。今までのONKYOに比べると格段に音が違います。 音像はすごく明瞭で、バランスがとてもいい。 まだ小型の部類に入るので交響曲や管弦楽曲などには無理を言えませんが、それでもワイド・レンジがすごく広がり、奥行きが深くなって聴こえます。今は試聴期間中ですが、室内楽がとてもいい。 左右いっぱいに広がる弦の響きがとても心地良いのです。秋の夜長を音楽で楽しんでいます。このスピーカー装置です。2wayバスレフ型25cmウーファーと高域を切り替えるSWが裏面に付いています。インピーダンス 8Ω最大入力 35W能率 88dB
2010年10月29日
コメント(2)

「名曲100選」 チャイコフスキー作曲 交響曲第6番 ロ短調「悲愴」「哀愁」とか「哀しげに」にとか「悲しい」とかの代表的な音楽作品の筆頭となる交響曲。 この曲を聴いて楽しくなる人はいないでしょう。感動はするけれども決して楽しくなることはない曲。 心で感動しても「ハッピー」とは言えない曲。 「悲しみ」の「慟哭」の中に放り込まれたような気分を覚える曲。管楽器が物哀しい調べ、鬱蒼とした旋律を謳い、ブラスが時には吼えるがこれもハーモニーの厚い憂愁の流れを歌う。 弦楽器はまるでうねる様に悶え、すすり泣き、時には慟哭のような哀しみを謳う。 終楽章の哀しみは限りのない程に心に迫ってくる。 ここにはモーツアルトの疾走する悲しみがなく、立ち止まり嗚咽を挙げて泣くチャイコフスキーの悲しみが刻まれている。 この曲を初めて聴いたのが確か中学2年生頃だったと思う。 何の予備知識もなくていきなり30cmLP盤を買ってもらって聴いたのが最初。 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団のモノラル録音のLPだった。 コロンビア・レコードだった。 今から思うと何故カラヤン指揮の録音がコロンビアだったのか不思議。 まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく聴き終わって「哀愁」、「悲しさ」の美しさに圧倒された曲。その前に買って聴いていたのがドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(ヴァツラフ・ターリッヒ指揮 チェコフィル盤)だったから、両曲の落差はひどかった。 心に圧倒的に迫ってくる「哀しさ」。特に終楽章の、悶えに悶えている表情は忘れがたい音楽だった。その前の第3楽章のマーチ風の怒涛のような物凄い迫力ある音楽の推進に息を呑まれるように聴き入っていたから、この終楽章の「すすり泣く」ような音楽はいっそう心に残る音楽だった。そして、その感動は今も変わっていない。同じです。 14歳の頃に聴いた聴感がそのまま今も変わらずに生きています。 チャイコフスキーの「白鳥の歌」となった最後の作品。 およそ120年前の1893年の今日(10月28日)、チャイコフスキー自身の指揮でロシアのペテルブルグ(現在のサンクト・ペテルブルグ)で初演されています。初演は不評だったそうです。それは聴衆にとってあまりにも型破りなスタイルの交響曲であり、あまりにも「悲しみ」に満ちた曲であった為と言われています。 しかし、この初演から9日後にチャイコフスキーが亡くなっています。当時の帝政ロシア下の貧困と病気の蔓延に嘆く人民の心情だったのか、絶望的な生活の悲惨さを嘆いた音楽であり、それがチャイコフスキー自身が副題として掲げた「悲愴」の意味なのでしょうか? いずれにしても「悲愴」という言葉は尋常ではありません。 まさにチャイコフスキーの「嘆きの歌」であり、人一倍病的と言われた内気で、憂鬱な神経質な性格の彼が貴族の甥との同性愛に疲れ果てた結果の音楽なのか? そういった詮索を受け付けないほどに曲は美しい「悲しみ」「哀愁」に溢れた音楽を湛えています。 チャイコフスキーの死後ようやく人々はこの音楽を理解できたのでしょう。再演されたこの曲を聴いた聴衆からすすり泣きが漏れていたそうです。 愛聴盤フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG1957 1959年録音)カラヤンの64年録音盤、ムラヴィンスキーの60年と82年録音盤、バーンスタインの86年録音盤などを主に取り出して聴いていますが、このフリッチャイ盤ほどに熱く演奏された録音盤を知りません。 音の一つ、一つに情熱と哀しみを込めた渾身の演奏は50年を経た現在でもこれほどの演奏を聴かせてくれる指揮者は稀有と言っても過言でない記念碑的な人類の遺産だと思います。弦楽器の呻る様な表情、寂しげな木管の響き、厚いブラスのトーンもほの暗く、全楽章を通してチャイコフスキーの嘆きが聞えてきます。多くの人に聴いていただきたい演奏です。
2010年10月28日
コメント(0)
PCの液晶画面に不具合が生じておりメーカーで機会の不具合と診断されました。 現在は復旧しております。 それで10日間ほど休んでおりました。また続けて行きますのでよろしくご愛顧をお願い致します。
2010年10月27日
コメント(0)

「名曲100選」 シューベルト作曲 ピアノ五重奏曲 「ます」ベートーベン(1770-1827)は残された肖像画によれば闘志が全面ににじみ出た顔・容姿をしていますが、フランツ・シューベルト(1797-1828)はものすごくおとなしそうな、気弱な性格であったろうと想像される顔つきです。ベートーベンはあんないかつい顔をしていましたが、女性とのロマンスには事欠かない人でしたが、シューベルトはそういうロマンスめいたことも残されていないし、結婚もせずに若き生涯を終えています。またシューベルトはお金にも縁がなかったようです。 メンデルスゾーン(1809-1847)のように銀行家の御曹司で裕福な作曲家もいましたが、モーツアルトやシューベルトは「貧しい」作曲家だったようです。 シューベルトが亡くなって遺産の整理をすると、身の回り品が残っているだけで葬儀代にも困ったようでした。そんなシューベルトですが、友人には恵まれていたようです。「シュベルティアーデ」と呼ばれた親しい人たちとの「サロン・コンサート」は、シューベルトの心を和ませる貴重な、楽しいひと時を過ごせる時間だったのでしょう。 この「シュベルティアーデ」で彼が作曲した歌曲や室内楽・器楽曲などが演奏されたと言われています。そんな友人の中にフォーゲルというバリトン歌手がいました。 ウイーンで第一級のオペラ歌手だったそうです。 そのフォーゲルとシューベルトの交際が、シューベルト20歳の頃からある友人の紹介で始まったと言われています。 オペラ歌手としては第一線を退いてからは、シューベルトの作曲する歌曲を歌い、ウイーンに広めていったそうです。シューベルト22歳の1819年に、フォーゲルの故郷に避暑を兼ねて演奏旅行にやってきました。 この町には音楽好きが多かったそうです。 シューベルトが書いた歌曲をフォーゲルが歌い、曲の美しさ・楽しさをフォーゲルが満喫させてくれるという好評の演奏会だったそうです。その時に町の音楽愛好家から「アマチュア音楽家が弾いて楽しめる曲を書いて欲しい」と依頼をされました。 それがこの「ピアノ五重奏曲 イ長調 ます」です。 第4楽章に以前書いた歌曲「ます」の旋律を使っていることから俗に「ます」と呼ばれています。この歌曲「ます」は小川を矢の様に泳ぐ「マス」の美しさを歌うのですが、心ない釣り師によって無情にも釣り上げられてしまうと曲です。この五重奏は全編にわたって溌剌とした楽しさと幸せな気分に包まれており、シューベルトgこの町で屈託のない時間を過ごしたのだろう、ということが容易に想像できます。 とにかく幸せで、陽気で、楽しく、爽やかな雰囲気の室内楽の名品です。愛聴盤(1) エマニュエル・アックス(ピアノ) ヨー・ヨー・マ(チェロ) パメラ・フランク(ヴァイオリン) レベッカ・ヤング(ヴィオラ) エドガー・メイヤー(コントラバス)(ソニー・クラシカル SK61964 1995年録音 海外盤)息の合った演奏家が寄り集まって楽しげに弾いているという雰囲気に溢れた、実に幸せそうな演奏。 それがジャケット写真からでもわかるほどの楽しさにあふれたシューベルト。(2) アルフレッド・ブレンデル(ピアノ) クリーヴランド弦楽四重奏団 (Philips原盤 420 907 1977年録音 海外盤)こちらは一転、ブレンデルのピアノが全編に活躍しており、クリーヴランドの緊密なアンサンブルがそれに応える、教科書通りとでも言えそうな演奏。 しかし、実に巧い。
2010年10月15日
コメント(0)

「名曲100選」 ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」ベートーベンが57歳で亡くなったのが1827年、その翌年1828年にシューベルトが亡くなっています。 今日の話題の「幻想交響曲」はベルリオーズによって、これら先人の偉大な作曲家の死後からのすぐの1830年に書かれています。 このことが凄いことなんです。何が「凄い」のか? 彼がこの曲を書くまでは絶対音楽の象徴のような存在だった交響曲に、標題と物語性を表したことです。 音楽史上、交響曲を「標題音楽」とした最初の作曲家で、現代でもオーケストラ作品として最も人気の高い曲の一つです。この曲を書いた当時、パリ(彼はフランス人です)にシェイクピア劇を公演する劇団が英国から訪れていて、彼はその劇団の花形女優ハリエット・スミスソンに強烈に恋心を抱いたのですが、彼女からは鼻もひっかけてもらえぬままにパリから劇団は次の公演地に行ってしまって、ベルリオーズは失恋をしました。その時の失恋感情を音楽に表したのが、1830年に完成した「幻想交響曲」です。 ある芸術家が恋に狂い、失恋して人生に飽きてしまってアヘンの毒物自殺を図るが、致死量でなかったので重苦しい夢を見て異常な幻影に悩まされてしまい、その幻影の中で常に現れるのが「固定観念」のようになった恋人の旋律である、と彼自らが書残しているように、この曲は「ある芸術家の挿話」と副題が付いています。第1楽章 「夢と情熱」 狂おしい恋の情感を描いており、ここで表れる「恋人の旋律」は以降の楽章にも出てきます。第2楽章 「舞踏会」 華やかなワルツの調べで舞踏会に現れてくる恋人を予感しています。 交響曲にワルツを用いる発想がベルリオーズの異才たる面目躍如といったところでしょうか。第3楽章 「野の風景」 夏の夕暮れに田園で休む芸術家の胸によぎる恋人の姿。 雷鳴と孤独が暗い将来を暗示しています。第4楽章 「断頭台への行進」 とうとう彼は彼女を殺してしまい、処刑場へ進むさまを描いています。 ここでの行進もあくまでも不気味です。 ギロチンの降りる前にちらっと恋人が脳裏をよぎるかのように「恋人の旋律」が現れます。第5楽章 「ワルプルギスの夜の夢」 彼を弔う魔女の饗宴の模様がグロテスクに描かれています。 審判の鐘と魔女のロンドが交錯するフィナーレです。これほどの曲をベートーベンの死後3年ばかりで書いたベルリオーズはやはり「鬼才・奇才」なのでしょう。 この曲を聴いたリストが交響詩を創始するきっかけになったと言われています。ちなみにこの曲の成功で、ベルリオーズはやがてスミスソンと結婚することができたのですが、二人の生活は10年くらいで破綻をして、その後ベルリオーズは2度結婚しますが妻に先立たれて、最後は一人寂しく67歳の人生を終えたそうです。愛聴盤 (1) チョン・ミュン・フン指揮 パリ・バスティーユ管弦楽団(ドイツグラモフォン UCCG70062 1993年10月録音)どのフレーズにも輝かしい生命力が感じられて、生き生きとした音楽の精彩が始まりから終わりまで一貫しており、所謂楽譜が透けてみえるという演奏で、熱に炙られる若き芸術家の心情を見事に音で表した演奏。 不滅の名演奏のシャルル・ミンシュの豪快なスケールとフランスらしい明るさと輝きのある録音盤とは、少し違う趣きがあるミュン・フュンの素晴らしい名演奏だと思います。(2) シャルル・ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団(EMI原盤 EMIジャパン TOCE14001 1967年録音)LP時代から聴き親しんだ盤。 燃焼度の高さでは聴いたこの曲の中ではピカイチの演奏。 ミュンシュとパリ管弦楽団の録音が、この曲とブラームスの交響曲第1番のみとは非常に残念。(3) ジャン・マルティノン指揮 フランス国立管弦楽団(EMIレーベル 517 6542 1973年録音 海外盤)爽やかさとどろどろとした感じがないすっきりとした演奏。 マルティノンの遺産。
2010年10月14日
コメント(0)

「名曲100選」 リスト作曲 ピアノ・ソナタ ロ短調フランツ・リスト(1811-1886)は数多くピアノ曲を書き残していますが、ピアノ・ソナタはこの1曲だけのようです。 その理由は定かでないようです。リストを語る時には必ずといっていいほど名前が出てくる一人の女性、カロリーネ・フォン・ザイン・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人です。 リストはこの女性と音楽史に残る大恋愛を繰り広げています。 彼女と出会った当時のリストは、ヨーロッパ中を演奏旅行をして華麗な技巧をを披露するピアニストでした。 その頃は作曲家としてでなくピアニスト、フランツ・リストだったようです。侯爵夫人との恋愛が進むにつれて、ピアノを弾くことよりも作曲をしきりに勧めたのが、この侯爵夫人であったと言われており、二人の愛の城でリストはさかんにピアノ曲を書くようになっていったそうです。もう一つは、ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の超絶技巧演奏を聴いて、自分もピアノ曲で誰も書いていない超絶技巧を要するピアノ曲を書こうと思い立ったとも言われています。 今日リストが書き残している音楽の数々を聴くたびに、この二人に我々は大いに感謝しないといけないかも知れません。こうして生まれ出る作品は、リスト自身のピアノ演奏で初演されていき、その華やかで技巧的な音楽がいっそうリストのピアノ演奏を引き立てたと言われています。この「ロ短調」ソナタを、私が初めて聴いたのはもう40年前くらいの学生時代でした。 誰の演奏だったか覚えていないのですが、音楽が鳴り出すと私は「え、これがピアノ・ソナタ?」と首をかしげていました。 それまでのモーツアルト、ベートーベンのような古典派音楽、シューベルト、シューマン、ブラームス、ショパンなどのロマン派のピアノ音楽とは違うのです。それまで聴いていたピアノ作品は美しい旋律に彩られており、古典派なら造型のしっかりとした様式の上に、流れるような美しい旋律が散りばめられており、ロマン派のピアノ音楽は自由な発想と共にロマンティックな情緒の華麗・流麗・哀歓・哀愁といった趣きが、どれも美しい旋律と共に楽しんでいたのです。ところがこの「ロ短調」ソナタにはそうした過去のピアノ音楽の美しさを感じ取れなくて、大いに当惑して聴いていましたが、結局好きになれないピアノ・ソナタの最右翼となっていました。初演当時の「支離滅裂な断片的な要素がつなぎ合わされたピアノ・ソナタ」の批評がわかるような気がして、ワーグナーが「あらゆる概念を超越して美しく、崇高な音楽」であると評した言葉を理解できなかったのです。社会人になって確かアラウの演奏だったと思いますが(LP盤)、改めて聴いてみてやっとこの曲の素晴らしさを理解できるようになったのです。古典的なソナタの概念から相当かけ離れた曲であること。 この曲が「幻想風ソナタ」とか「幻想曲」とかのタイトルになっていれば、もっと聴き方も変わっていたかも知れません。 普通のソナタのように旋律的な主題があって、それが展開されていって再現部に入ってコーダで終わるという形式からすれば、随分と複雑な音楽であることが聴き手を混乱させるのかも知れません。断片的な主題の要素が多彩に変容していきます。 ゆっくりとした断片的な楽句、爆発するようなエネルギッシュな楽句、そして小刻みに刻まれる和音といった断片的な楽句によって、単一楽章という形式ながら、全編のなかで主題、展開部、再現部という様式によってこれらの楽句が統一されているのです。一度この曲の美しさに触れてしまうと、これらの複雑さを意に介せずに聴けるようになり、キラキラ輝くクリスタルのような肌触りのリスト独特の硬質なピアノの音色を、多彩に変化していく様とピアノの技巧的な魅力を発見します。 今ではリストのピアノ音楽の中で一番好きな曲となっています。愛聴盤 (1) クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)(ドイツ・グラモフォン 431780 1990年録音 海外盤)この演奏でも下に書きましたアルゲリッチと同じように、ツィマーマンの指の動きに圧倒されます。 明瞭に鳴らされる音、粒立ちの見事さ。 音が最強になっても決して粗さを感じさせない見事なコントロール。 ぺダリングの上手さにも驚きます。 実に透明な音となって響いているのです。 表情はダイナミック、スケールの大きな「ロ短調 ソナタ」です。18歳でショパン・コンクールで優勝した15年後の33歳の演奏・録音です。(2) マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(グラモフォン原盤 456 703-2 1960年録音 海外盤)燃焼度の高く強烈な個性を輝かせるアルゲリッチの演奏は他のピアニストの音の響きも違うようです。力強く、時には透明度の高い、粒立ちが最高に磨き抜かれ奔放なまでの自在さ、他の追随を許さない技巧に圧倒されます。(3) マウリッツィオ ポリーニ(ピアノ)(グラモフォン原盤 456 937-2 1988年録音 海外盤)「20世紀の偉大なピアニストたち」の1枚 現代最高のピアニストとして人気の高いマウリツィオ・ポリーニ。幅広いレパートリーで演奏や録音を行なうポリーニの名演。この曲を健康的な雰囲気に包んで、明るく爽やかに聴かせてくれます。またぞくっとするような冷たさ、肌触りを感じさせるところもあり、とても知的に響くところがあります。精緻に扱われたピアノが生み出す魅力を堪能。(4) クラウディオ・アラウ(ピアノ)(Philips原盤 456 709-2 1970年録音 海外盤)これも「20世紀の偉大なピアニストたち」の1枚 アラウの特徴は,やはり明晰で豊潤な音色でしょう。左手と右手のバランスが絶妙に聴こえてきます。低音が明瞭に聴こえてくるので、音楽の構造が非常に安定感あるもの聴こえてきます。そのためロマン派の流動美が極めて出色の音色となっています。
2010年10月13日
コメント(0)

「名曲100選」 グローフェ作曲 組曲「グランド・キャニオン」テンガロンハットを被り、鹿皮服を着た粋なクリント・イーストウッドが、馬上で短くなった細い紙煙草を口の端に咥えている。彼の足元には断崖が鋭く切り立っていて、遥か下にはコロラド川の急流が流れている。空はどこまでも澄んで青く、朝の太陽の陽射しが深い渓谷を光と暗を分けている。陽射しの当たる渓谷は金色に輝き、その反対側は暗い闇の様。馬上のクリント・イーストウッドのシルエットが美しい。アメリカの作曲家ファーディ・グローフェ(1892-1972)の書いた組曲「グランド・キャニオン」の第1曲「日の出」を聴くたびに、こういう西部劇シーンを想い起こします。 アメリカを代表するアメリカらしい風景に、ナイヤガラ瀑布とコロラド峡谷のグランド・キャニオンがあります。 グローフェはそのコロラド峡谷を音楽で描いたのが組曲「グランド・キャニオン」です。アメリカ南西部アリゾナ州にある国立公園。 世界の七不思議の一つ。ロッキー山脈から流れ出たコロラド川が数百万年の長い間侵食作用を起こして出来た峡谷です。 長さ450キロ、深さ1500メートル、幅は6km-28kmまである、とてつもない自然が創り上げたスケールの大きな峡谷。 地層は堆積年代ごとに色が変わり、陽射しによって輝くさまは神秘的です。 30年ほど前に、仕事の出張で訪米した際に訪れてその途方もない規模と美しさに声も出なかったことが思い出されます。この曲は、その大峡谷を5つの風景で紹介しています。 「日の出」「赤い砂漠」「山道を行く」「日没」「豪雨」という風景の順で描写されています。 これら5つの風景をまるで画家のように実に色彩豊かに描いています。 ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」をオーケストラ版に編曲したグローフェ。 ここでも変わりいく風景を、色彩感と迫力いっぱいに描いています。 「豪雨」では、多彩さ、迫力の凄さで、昔からステレオ録音の優秀さを競う格好の音楽となっています。 この「グランド・キャニオン」を聴いて昔、目の前に広がった光景を思い出しながら、しばし「大峡谷」に遊ぶことにしようと思います。愛聴盤 アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団 (DECCA原盤 ユニヴァーサルクラシック UCCD5049 1981-82年録音)DECCA特有のピラミッド型に広がるダイナミックレンジがひろく、奥行き感も深い超優秀録音盤で、移り変わる大渓谷の表情を見事にとらえています。
2010年10月12日
コメント(0)

「名曲100選」 ベートーベン作曲 ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770-1727)は凄いピアノ演奏の名手であったそうな。この曲の作曲当時はウイーンに居たのですが、その頃彼のピアノの名技はヨーロッパ中に広く知れ渡っていたそうです、 彼に対抗できるピアノ演奏家は皆無だったと言われています。 こんなエピソードがあります。ヒンメルという名ピアニストがいました。 そのヒンメルがベートーベンに即興演奏の腕比べをしたのですが、相当長く時間をかけてヒンメルは演奏をしていたのですが、ベートーベンはそれを聴いていて「ところでヒンメルさん、いつピアノをまともに弾き始めるのかね?」と言ったそうです。 そんなピアノの名手ベートーベンは、このピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」を1809年に完成しています。 その頃はすでに第1番~第6番の交響曲や4曲のピアノ協奏曲、それにおよそ26曲のピアノソナタを書き上げています。作家ロマン・ロマンに言わしめた「傑作の森」にあたるベートーベン中期の作品で、まさに彼の「怒涛の時代」の中の1曲です。「怒涛の時代」と言えば、ベートーベンはウイーン時代に2度の戦火に遭遇しています。 1805年と1809年のナポレオンのウイーン侵攻です。ベートーベン35歳から40歳にかけての時代でした。 特に、1809年の戦火はオーストリア軍がひるまずに迎え撃つことになったので、ウイーンは相当な破壊があり、ナポレオン軍占領という事態になりました。時の貴族たちは我先にとウイーンを逃げ出したのですが、ベートーベンは踏みとどまりました。 彼のパトロンの一人ルドルフ大公も他の貴族たちに漏れず、ウイーンを逃げ出した貴族の一人でした。 ルドルフ大公のウイーン脱出を悲しんで書かれたのがピアノソナタ第26番「告別」だという説もあります。この「皇帝」協奏曲はその戦火の最中に書かれており、そんな悲惨な状況の中でも悠揚迫らぬ、雄渾で骨太のスケールの大きなピアノ協奏曲が生まれているのです。ピアノ付き交響曲、あるいはピアノ交響曲と呼んでもおかしくないくらいに管弦楽パートが実に充実した交響的な響きを持ち、ピアノ部もそれに負けない強靭な音を響かせています。 ナポレオン軍の侵攻を思わせるような軍隊行進曲的なところもあり、それは戦争を描こうとしたのではなく、人類の博愛と人間解放を強く願うベートーベンの強靭な精神の表われだろうと思います。 戦火の中にあってもまさに「雄渾無比」なる音楽を鳴り響かせるベートーベンの作曲への執念、作品に没頭する集中力など、その偉大さに感銘を覚えます。第1楽章冒頭からいきなりピアノのカデンツァが入るところなどは、まさに画期的な作曲手法で、後のシューマンやグリーグのピアノ協奏曲にもそれが見られます。 それにカデンツァは当時はピアニストの即興演奏だったのが、ベートーベンはきっちりとそれを書いて全曲の統一を表現しています。尚、「皇帝」という副題はベートーベン自身が付けたものでなくて後につけられたもので、まさにあたりを払うかのような、威風堂々とした豪壮で雄渾な曲想、楽想から付けられたものなんだと思います。この曲のウイーン初演では、ベートーベンが指揮棒を握り彼の直弟子チェルリーニが独奏ピアノを受け持ったそうです。愛聴盤(1) ウイルヘルム・バックハウス(ピアノ) シュミット=イッセルシュテット指揮 ウイーンフィルハーモニー(DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュジック UCCD7134 1959年録音)まるで「ドイツ魂」の化身と呼べそうなごつごつとしたピアノの音、それでいてしっかりとした足取りで、華麗に鍵盤を舞う様は何度聴いても飽きの来ない定番中の定番的名演。(2) ウイルヘルム・バックハウス(ピアノ) カール・シューリヒト指揮 スイス・イタリア語放送管弦楽団(ERMITAGEレーベル ERM144-2 1961年ライブ録音 海外盤)バックハウス最晩年の録音。それでも実に堅実に音を刻み、また華麗にピアノを鳴らすその響きはドイツのピアノ音楽の実直で朴訥な響きをもたたえた最高の遺産として残されており、同じく80歳を過ぎたシューリヒトの、スコアが透けて見える程の管弦楽表現が素晴らしい演奏記録です。(3) エミール・ギレリス(ピアノ) ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団(EMI原盤 EMIジャパン TOCE91084 1968年録音)LP時代から再発売が何度繰り返されてきたか。 上記商品番号であと1週間でまたもや再発売される、鋼鉄の鋼を思わせるような強靭なタッチのピアノ。 セルの完璧無比と呼べそうなオーケストラのアンサンブル。 やはり50年代~70年代は凄い演奏家たちがひしめき合っていた時代なんだなと思います。(4) アルトュール・ルービンシュティン(ピアノ) ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団(RCA原盤 BMGジャパン BVCC37636 1975年録音)ルービンシュティン88歳の録音。 豪華に華麗に指が鍵盤上を動き回る様は、とても米寿のピアニストとは思えない、溌剌とした健康的な響きがあり、まさにこの演奏は「皇帝」中の「皇帝」と呼べるほどの華麗なるしかも豪華な演奏です。(5) クラウディオ・アラウ(ピアノ) サー・コリン・ディヴィス指揮 シュターツ・カペレ・ドレスデン(Philips原盤 DECCAレーベル 464 681 1984年録音 海外盤)これもアラウの最晩年の録音。しかしこの曲にふさわしく華麗に縦横に指は鍵盤を踊り、時には荘重な響きで、支えるオーケストラもいぶし銀のような渋い響きで聴く者を圧倒してくる名演盤。 バックハウス盤と双璧をなす「皇帝」の名演中の名演盤と思って聴いています。(6) ワルター・ギーゼキング(ピアノ) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団(EMI原盤 456811-2 1951年録音 海外盤)「20世紀の偉大なピアニストたち」の中の1枚。 ギーゼキングの清澄で透明な響きのピアノが魅力の1枚。 確かウイルヘルム・ケンプで同年生まれだから、61歳で亡くなっている。あと10年生きていて欲しかった。(7) ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ) フリッツ・ライナー指揮 RCAビクター交響楽団(RCA原盤 456841-2 1952年録音 海外盤)ホロヴィッツ独特の鋭さと烈しさに溢れたピアノの響き。ステレオ時代に録音された盤を聴いていないので比較は出来ませんが、この独特の響きは健在なのかな? 1980年代の来日公演をTV放映で鑑賞しましたが、刀で言えば刃がボロボロになっていたという印象だったので。
2010年10月11日
コメント(0)

「剣客商売」 池波正太郎著今年読んだ小説70作目、池波正太郎著 「剣客商売」。 昨年から池波正太郎の小説は図書館に所蔵されている講談社出版の「完本 池波正太郎大成」(全31巻)を随意借り出して読んでいます。今までに「真田太平記」(全3巻)「鬼平犯科帳 大成 巻4 及び 巻5」(2巻)、「人斬半次郎・幕末新撰組・夜の戦士 大成 巻1」、「剣客商売 黒と白」(これは文庫版)などを読んでいました。 今年は「鬼平」の残る2冊(大成 巻6と7)を読破しようと頑張って6月に読み終わりました。 そして先月末に借りた「大成 巻11 剣客商売」を読み終えたところです。 この講談社刊 「大成」と名のつく池波正太郎全集は31巻から成り立っており、各巻が平均800ページにも及びしかも1ページが上下2段印刷。 A5判だから百科事典のような体裁と厚みになる本。 この「剣客商売」は720ページで9月30日から読み始めてちょうど1週間で読み終えたことになります。この「剣客商売」が「大成」本の中にあと3巻残っています。 「黒と白」は長編で読み終わっていますが、これだけの長い小説ばかりを読むわけにもいかないので、まだ来月に借りて読もうと思っています。 「鬼平」が135作といいますから、この「剣客商売」もそのくらいはあるでしょう。この「鬼平」と「剣客」は登場人物が大体決まっています。 それでもどちらもTVドラマ化されており親しみの湧く小説です。 しかもそのTVドラマで演じた役者が作品を読んでいてもそのイメージがそのまま出てきます。 例えば鬼平の中村吉衛門(長谷川平蔵)多岐川裕美(妻久栄)、江戸家猫八(相模の彦十)、尾藤よしのり(木村忠吾)、梶 芽衣子(おまさ)、蟹江敬三(小房の粂八)が縦横に小説の中で徘徊しています。「剣客商売」でも同じです。 藤田まこと、山口馬木也、寺島しのぶ、平 幹ニ郎、三浦浩一などが走り回っています。池波正太郎がこんなことを言ってます。 「(鬼平でも剣客商売でも)とにかく筆をとって書き進むうちに、なんとかまとまっていくものです」と。 ここにこの人の凄さがあり、これだけの長い年月読者に支持されているのでしょう。 登場人物はほぼ決まっておれば、その主人公は自在にストーリーを生みだしてくれるのでしょう。 こういう形で書かれる小説は、読みやすく、読むにつれて読者の心の中に花が散るように、落ちた花びらが重なるように、埋もれて残っていくのでしょう。 ほんとにいい気分で人物や出来事が心に溶け込んでいくようです。それが「鬼平」や「剣客商売」を読む楽しさなんだと思います。
2010年10月10日
コメント(0)

「名曲100選」 ベートーベン作曲 弦楽四重奏曲第7番~第9番「ラズモフスキー」藝術家、特に名を成した人の歴史を振り返る時にその生涯や作品が形成された時期を分けたくなるものです。 また色分けすると分かりやすく理解できるこもあります。 ベートーベンの作曲作品を年代で分けてみると前期・中期・後期と分けられるそうです。彼の作品で最もと言ってもよい有名な交響曲第5番作品67。 この第5番として知らなくても「運命」と覚えている人、知っている人も多いでしょう。 第6番「田園」作品68と共に上述の中期を代表する交響曲です。 この中期にはヴァイオリン協奏曲作品61、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」作品73、チェロ・ソナタ第3番作品69、ピアノソナタ第23番「熱情」作品57などが次々と書かれています。 いずれも雄大なスケールを誇る音楽ばかりです。 またベートーベン自身が古典音楽から脱皮して新しい音楽~ロマン的で文学的な音楽~へと変わって行った時期にあたります。俗に「ラズモフスキー四重奏曲」と呼ばれる弦楽四重奏曲第7番~第9番は作品59としてまとめられており、この3曲もベートーベン中期に書かれています。「精神(音楽)が私に語りかけてきている時に、あなたの哀れなヴァイオリンのことを考えられると思っているのですか?」 有名なベートーベンの言葉として残されているのですが、これは四重奏曲作品59の3曲の演奏の難しさを、ヴァイオリニスト・シュパンツィヒがベートーベンに訴えた時の返答とされています。このシュパンツィヒは当時オーストリア大使としてウイーンに駐在していた、ロシア貴族のラズモフスキー伯爵がお抱えとしていた弦楽四重奏団のヴァイオリニストです。 ラズモフスキー伯爵は熱狂的な音楽愛好家で、当時ベートーベンを世話していたパトロン的存在のリヒノフスキー侯爵と義兄弟という関係もあって、ベートーベンの四重奏曲はほとんどこのラズモフスキー専用の団体で演奏されていたそうです。ラズモフスキー伯爵はベートーベンに作曲の依頼をしました。これに応えて献呈したのが作品59の3曲「第7番~第9番」でした。 この献呈によって「ラズモフスキー」という副題が付けられており、伯爵に敬意を表して音楽の中にロシアの民族音楽風旋律をさり気なく挿入されていることからも「ラズモフスキー」の副題が活かされているようです。音楽は3曲とも中期を代表する作品らしく規模も大きく、気宇壮大な佇まいの中に包み込まれてしまうかのような雄大な四重奏曲です。 チェロ・ソナタ第3番イ長調と同じような壮大な音楽宇宙を築いた曲たちです。こうした音楽を聴くと上述のベートーベンの言葉が理解できるように思えます。「運命」の作曲にもとりかかり「皇帝」や「熱情」の素案も心に浮かんできているベートーベンにとって、一ヴァイオリニストの嘆きなど考えている暇がないのでしょう。シュパンツィヒの言葉通りこの作品に対する批評は酷いものだったそうです。「ベートーベンはとうとう気が狂ったか。 こんなのは音楽ではない」と酷評されたそうです。彼らには前衛音楽のように響く曲だったのでしょう。ハイドン、モーツアルト時代の「家庭音楽(ハウスムジーク)」の代表だった室内楽は「サロン音楽」であり劇的でありロマン性の備わった音楽ではなかったのですから。愛聴盤(1) ブタペスト弦楽四重奏団(SONYレーベル CSCR8044-46 1959年録音)このディスクは全集ではなくて「ラズモフスキー」3曲と第10番、第11番、第13番の「選集」。 今は廃盤でこれに変わって全集盤としてリリースされています。 安定したリズム、アンサンブルの見事さ、四重奏の密度の濃さに圧倒されてしまう50年前の録音ながら、今日でも相変わらず聴き親しんでいる名盤。(2) アルバン・ベルク弦楽四重奏団タワーレコードで特売(4500円)で売られていた全集7枚組。 第1番から順番に第16番まで聴くと音楽の変わって行く様を聴きとれます。 非常に精密なアンサンブルで非の打ちどころのない演奏ですが、あまりに精密で機械的なところが好きでありません。(3) ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団(グラモフォン原盤 タワーレコード DB1031 1992年録音)タワーレコードのオリジナル企画で全集 今なら8枚組で2890円という破格の安値です。ブタペストやアルバン・ベルクの演奏と少し雰囲気が違います。 とても柔らかな感じのアンサンブルで音楽の表情にも優しさの溢れるベートーベン。 それが物足らないと言う人もいるくらいに優しさに満ちた典雅なベートーベン。 (4) カール・ズスケ弦楽四重奏団(シャルプラッテン原盤 キングインターナショナル KICC9417 1967-68年録音)第7番(ラズモフスキー第1番)を収録しています。(シャルプラッテン原盤 キングインターナショナル 1967-68年録音)第8番(ラズモフスキー第2番)を収録しています。(シャルプラッテン原盤 キングインターナショナル KICC9437 1967-68年録音)第9番(ラズモフスキー第3番)を収録しています。シャルプラッテンの録音盤を徳間音工がリリースしていたころに購入した比較的古い盤でLP時代から聴いていた演奏。 ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスターであったカール・ズスケ(いっときN響にも来て首席を務めていました)が主宰する四重奏団で、純ドイツ風を好む方には最も好まれる演奏だと思います。
2010年10月09日
コメント(0)

「名曲100選」 ブルックナー作曲 交響曲第8番 ハ短調私の「ブルックナー体験」は古い。 今から50年前くらいでしょうか。 EMIからシューリヒト指揮 ウイーンフィルハーモニーの演奏で交響曲第9番が新録音されてリリースされました。 雑誌「レコード藝術」に新譜レコードとして紹介されており、音楽評論家村田武雄氏が聴感を書いておられブルックナーの音楽について、このシューリヒト指揮について述べておられたのが非常に印象に残って、翌月に貯まった小遣いでLP盤を早速購入しました。それまで交響曲といえばハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ブラームス、シューベルト、ドヴォルザーク、チャイコフスキーなどの有名曲ばかりを聴いている頃でした。聴いてびっくり。 これほどの大規模な交響曲があるのかと仰天(まだマーラーを聴く前です)。 すっかりブルックナーに魅せられて高校から帰宅するとすぐさまステレオ装置の前で聴き入る毎日でした。しかし、それも一時のことで長い間この第9番のLPだけ所有して、それだけを時々取り出しては聴いているという年月が長く、1980年代になってやっと「ブルックナー開眼」となりました。 アントン・ブルックナー(1824-1896)の創作ジャンルはほぼ交響曲に限られていると言っても過言でないほど、現代では彼の作品を演奏する再現芸術家は指揮者とオーケストラにほぼ限られています。 彼は、生涯に11曲のシンフォニーを書いていますが(9番は未完)、世に認められたのは第7番からで「大器晩成型」の典型的な例の作曲家でした。この第8番は彼の遺した11曲の交響曲の中でも最高の傑作と呼ぶにふさわしい曲だと思います。 最も美しい、またもっとも壮大な伽藍のような、まるでアルプスを仰ぎみるようなスケールを誇る作品です。 楽器編成は大きな規模に拡大されて、ハープが3台要求されていたり、ホルンが8本要する大交響曲です。約85-90分を要する大曲です。 金管楽器が咆哮し、ティンパニーが鳴り響き、弦楽器が唸るような波動で音楽が進みます。彼自身「私が書いた曲のなかで最も美しい音楽」と語っており、第3楽章「アダージョ」は特に美しさが際立っています。 とにかく演奏時間が長い作品ですから、初めて聴かれる方はきっと戸惑うと思います。この「アダージョ」楽章だけでも25-27分はかかりますから、モーツアルトやハイドンの交響曲なら1曲分になるでしょうか。長いと思えばこの「アダージョ」からお聴き下さい。まさに「天上の音楽」とでも表現できるほどの絶妙な美しさに溢れた音楽です。彼は敬虔なカトリック教徒だったそうですが、この曲(他の交響曲にも言えることですが)には禁欲的な深い精神性と、パイプオルガンのような広大な音楽宇宙と重厚さが備わっている傑作です。 終楽章は聴いていて音響の渦に巻き込まれるような気分になります。宇宙の広がりを感じさせる稀有な音楽だと思います。ブルックナーの交響曲はオルガンを使って書かれていたそうですが、全ての交響曲に共通しているのは曲の「書式」です。 混沌とした宇宙の創造を思わせるかのような弦のトレモロで始まる第1楽章。 まるでアルプスの巨峰を仰ぎ見るかのような、宇宙的なスケールを感じさせる終楽章。 そして中間楽章は寂しさ、哀愁を湛えたアダージョと、「野人」「自然人」と呼ばれた彼の素朴さを伝えるスケルツオなどで構成されています。 ブルックナーの交響曲の特徴は顕著で、その例はいくつか挙げられます。(1)「ブルックナー開始」とよばれる曲冒頭の音楽の特徴で、弦楽器のトレモロから始まり、雄大な第1主題が浮かび上がってくるという書き方(原始霧とも呼ばれています)で、彼の交響曲のいくつかに顕著に表われています。 聴く者に何かが始まるという予感を与え、やがて宇宙の鳴動のような巨大な音楽が姿を現す前の開始音楽のことです。(2)「ブルックナー休止」という特徴があります。 普通、楽章主題が別の主題に移行する時には「経過楽句」という中間的な旋律を用意して、そのあとに別の主題を表します。 ところがブルックナーはその「経過楽句」を使わず中間的な旋律を用いないで、管弦楽全てを休止させています。唐突に楽想が変わってしまいます。 これもおそらくオルガンを使って作曲をしていたために、そのオルガン的な音楽がもろに表現されているのだと思います。(3) 「ザクエンツ」と呼ばれる、ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法も用いられていて、繰り返し演奏されるやり方はいたるところに見られます。ほぼ全交響曲曲がこのスタイルで書かれており、8番もその例に漏れません。 おそらくこれほど一貫したスタイル・書式を貫き通した交響曲作曲家は、他に誰一人としていないと思います。 それほど頑固に「スタイル」を守った人でした。その彼がウイーンで最初に熱狂的に迎えられたのが、この第8番の交響曲でした。ウイーンの音楽好きに熱狂的に迎えられるという歴史的成功を収めた初演だったそうです。そのときブルックナーは68歳。 上述のように大器晩成型の最たる例でしょう。しかもその4年後に彼には死が忍びよっていたのです。愛聴盤 (1) カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウイーンフィルハーモニー (ドイツグラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG3605 1984年録音)「ブルックナー開眼」を果たした記念碑的CD。 ブルックナー音楽世界に心酔した演奏。このCD購入後にブルックナー徘徊が始まった。色々な演奏を聴いてこのジュリーニ盤の良さを再認識。 ウイーンフィルの美音を伸びやかに、しなやかに、晴朗そのものに、端麗に響かせた秀演。 現在2,000円で一番廉価なこの曲のCDか?(2) カラヤン指揮 ウイーンフィルハーモニー(グラモフォン・レーベル 4276112 1988年録音 輸入盤)カラヤン節全開の演奏。カラヤン美学と呼ばれる「華麗」「豊麗」「端麗」「研磨仕上げのような美しさ」が全編に溢れた美演。 カラヤンを好きとか嫌いの次元ではなく、この曲を好きな人は一度は耳を傾けたいウイーンフィルとの遺産とも言うべき演奏。(3) オイゲン・ヨッフム指揮 バンベルグ交響楽団(ALTUSレーベル ALT022 1982年東京公演ライブ)コンセルトヘボーとの東京公演の「第7番」も超名演でしたが、この「第8番」も少し粗さがあるバンベルグをここまで引っ張っていくヨッフムの底力というか、神が宿ったかのようなアダージョ楽章の言葉に尽くしがたい美しさ、終楽章の開放されたかのような大伽藍建築をを想わせる演奏には言葉さえ出ない。(4) ギュンター・ヴァント指揮 ベルリンフィルハーモニー(RCA原盤 BMGジャパン BVCC37608 2001年 ベルリン・ライブ)この人の演奏会は2回聴いている。一度はロンドン・ロイヤルフェスティヴァル・ホール、もう一回は大阪シンフォニーホール。 その演奏会でこの「第8番」を聴いているが、このCDの演奏にはるかに及ばなかった。 この演奏を聴いているとまさにヴァントに「神が降りた」としか言いようのない名演奏などという月並みな言葉で表現できないほどの強烈な経験をしました。 私はベスト・ワンという演奏批評での言葉を使うのが好きでありませんが、このCDに刻み込まれた演奏はまさに「ベスト・ワン」と言い切れるでしょう。 このCD購入後聴き終わったあとは、言葉をはさむ余地もないどに、ただただ装置の前で呆然となっていました。(5) 朝比奈 隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(Extonレーベル OVCL00061 2001年7月東京ライブ)何度も演奏会場に足を運び「ブルックナー体験」をさせてくれた日本人指揮者でありながら、N響のメンバーたちに「最もドイツ的演奏」と言わしめた朝比奈 隆のおそらく最後のブルックナー第8番。 何度も聴き知った演奏、そして何度も感動させられた演奏。 ただただ頭が下がります。(6) クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘンフィルハーモニー(ウエストミンスター・レーベル MVCW14001 1963年録音)クナッパーツブッシュのワーグナー演奏は凄い、と感動するのですがこれはどうもわからない。 決して感動しないという意味ではなくて他のCDに比べると感動の度合いが低いのです。(7) ベルナルト・ハインティンク指揮 ウイーンフィルハーモニー (Philipsレーベル 445659 1995年録音 海外盤)この演奏にはただただ「美しい」という言葉がぴったりでしょうか。 「第8番のCDなら何がいいですか?」と訊かれると、第1に推したいのがこのCDです。録音も優秀です。(8) ロブロ・フォン・マタチッチ指揮 NHK交響楽団(DENONレーベル COCO7376 1984年 N響定期ライブ)マタチッチの激しさがオーケストラに乗り移ったかのような、眼を見張るばかりのN響の演奏。深い感動を呼ぶ1975年に次ぐ名演。 コロンビア・ホームページでも見当たらないのでもうプレスした盤が売り切れたのか、廃盤になったのか?
2010年10月08日
コメント(0)

「名曲100選」 ヴェルデイ作曲 オペラ「アイーダ」ジュゼッペ・ベルデイ(1813-1901)の大作オペラ「アイーダ」はスエズ運河開通を祝って建てられたエジプト・カイロの大オペラ劇場のこけら落とし公演のために作曲されました。オペラは、古代エジプトとエチオペアの争いを背景にして、エジプトの王女アムネリスが恋する将軍ラダメスと、戦いで捕えられてアムネリスの奴隷となっているエチオペア王女アイーダの悲恋物語です。 結末は死刑を宣告されたラダメス、彼と共に死ぬことを選んだアイーダの二人が死んでいくところで幕切れとなる暗い悲恋を扱っていますが、第2幕での将軍ラダメスの凱旋を祝う場面はで、「アイーダ・トランペット」と呼ばれるトランペットが活躍する一大スペクタクルで、「凱旋行進曲」として有名な場面は、まさにこけら落とし公演にふさわしい舞台となっています。将軍ラダメスの愛するアイーダはエチオペアの王女。 それと知らずに戦勝してエチオペア兵士などを奴隷として連行して凱旋するラダメス。 その奴隷たちのなかに父エチオペア王を見つけて驚愕するアイーダ。 凱旋の褒美としてエジプト王から王女アムネリスとの結婚を許されるが、ラダメスはアイーダを愛しているがために、後にエチオペア王と判明しても逃がしてあげて死刑宣告を言い渡される。 ラダメスが受ける生き埋めの刑場に先回りして忍び込むアイーダ。 二人の愛は死をもって永遠に結ばれるという物語です。「清きアイーダ」(ラダメスのアリア)、「勝ちて帰れ」「おお私の故郷よ」(アイーダのアリア)など美しいアリアと東洋風のリリカルな旋律が随所に奏され、凱旋の場では爆発的なスペクタクルと化すところなどは、ヴェルデイの面目躍如たるグランド・オペラの傑作です。愛聴盤 (1) リッカルド・ムーティ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団アンナ・トモワ=シントウ(アイーダ),ブリギッテ・ファスベンダー(アムネリス),プラシド・ドミンゴ(ラダメス),ジークムント・ニムスゲルン(アモナズロ),ロバート・ロイド(ランフィス),他(ORFEOレーベル 583022 1979年3月22日 ミュンヘン録音)1979年3月22日、ムーテイ指揮によるバイエルン国立歌劇場でのライブ録音。ドミンゴを除くとほとんどミュンヘンのメンバーで固められていますが、ムーティのラテン系指揮棒に炙られたようなゲルマンたち。 第2幕『凱旋の場』での強烈な高揚(終幕後は冷静と言われるドイツの聴衆をしてブラヴォーの嵐・)などなど、ムーティとしてもこの時期ならではの直裁な熱狂ぶりがとにかく聴きものです。絶頂期の若きドミンゴは昨今とはまるで違う全力投球で、得意のラダメスで艶々の美声を聴かせており、素直にその格好良さを認めざるを得ない熱唱、名唱だと思います。情感のこもった、こまやかな心情を歌い上げるアイーダ役で、イタリアのソプラノとはまた違った味わいを醸し出すトモワ=シントウ。 きわめてドラマティックなファスベンダーの王女アムネリス。ドイツ・バイエルンで炎と化したイタリア・オペラの名舞台のライブ録音です。 (2) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーンフィルハーモニー管弦楽団 ミレッラ・フレーニ(アイーダ)、 ホセ・カレーラス(ラダメス)、 アグネス・バルツア(アムネリス)、 ピエロ・カップッチルリ(アモナスロ)、 ルッジェーロ・ライモンデイ(ランフィス)、 ヨセ・ファン・ダム(エジプト王)、 カーティア・リッチャレルリ(巫女の長)(東芝EMI TOCE22-5951-52 1979年5月ウイーン録音)よくぞこれだけの豪華歌手を揃えたと敬服以外にない、まさに帝王カラヤンがウイーンフィルを指揮して繰り広げる一大絵巻のようなオペラ演奏。 とりわけフレーニのアイーダがリリカルな表現でカラス、テバルディなどと一味ちがう表現が聴きものです。
2010年10月07日
コメント(0)

「名曲100選」 モーツアルト作曲 交響曲第40番 ト短調この曲を初めて聴いたのが確か高校1年生(1960年か61年)の時で、級友からLP盤を借りて聴いたのが出会いでした。 レオポルド・ルードヴィッヒ指揮のバンベルグ交響楽団の演奏でした。 今でも鮮明にその時のことを覚えています。第1楽章のあの有名な旋律が流れた途端に、金縛りにあったようにステレオ装置の前で聴き入っていました。 ビクターのトレードマークの白い犬さながらにじ~と聴いていました。こんな早いテンポで、こんなに悲しみを表現できるものなのかと不思議でならなかったのが、まず印象として残りました。それまではチャイコフスキーの悲愴交響曲やサラサーテの「ツゴィネルワイゼン」、リストのハンガリー狂詩曲、グリーグのオーゼの死などを聴いていましたから、ストレートに悲しみを表現する音楽・曲に慣れていましたから、この40番の悲しみは何なんだろうと思ったことを覚えています。後になって25番シンフォニーのト短調や、ホ短調のヴァイオリンソナタ、へ短調のピアノ五重奏曲、ト短調の弦楽五重奏曲、それにイ短調のピアノソナタを聴いて、モーツアルトの悲しみはいつもアレグロのような早いテンポで表現しているとわかりましたが、この40番のト短調交響曲は私にとっては衝撃的な旋律でした。しかも39番、40番、41番の交響曲を2週間の速さで書き上げたというからなおさらでした。 39番の明るい歌、華麗な41番に挟まれたト短調の悲しい、哀しみの表現は何を表そうとしたのかと思いながら、学校から帰るとすぐにこの曲を聴く毎日でした。第1楽章の第1主題でヴィオラが刻む和声の上に、きわめてしなやかな悲しみの旋律が歌われているのですが、モーツアルト独特の「ト短調」(25番のシンフォニーや弦楽五重奏曲第4番など)での悲しみの表現ですが、私は、今もってこの短調のアレグロでの書法による彼の心象を探りあてずに今日に至っています。評論家小林秀雄の言葉「疾走する哀しみ」は言い得て妙なるものがあります。今から50年ほど前に聴いていたクラシック音楽はとても新鮮で、ラジオから流れる放送でよく聴いていました。何しろLP盤を買うお金がないから、ラジオ放送で聴くしかなく、それもこちらの選択ではなくて、NHKの番組編成で決められるのですから、まだほとんどクラシック音楽について知らなかった頃ですから、初めての曲ばかりでした。それでも楽しかった。 耳を澄まして聴き入ったものです。現在はあの時のような純粋に音楽に浸る気持ちが失われているように思えてなりません。もう一度あの時のような気持ちで聴かねばと思っています。愛聴盤 (1) ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団(ソニー・クラシック SICC258 1980年録音)この人の指揮から生まれる音楽は実に「しなやかさ」があります。ベートーベンでも、モーツアルトでも、ドヴォルザークでも柔軟な「しなやかさ」がその作品の、音楽の特性を端的に表現していると感じます。 「端麗」という言葉でも当てはまるでしょうか。響きが清澄になっており、それでいて空間に広がるのは相当な厚さの音楽。 決して刺激的に音楽を動かさずに、それでいて退屈などこれぽっちも感じさせない、悠々としたテンポを維持している、私にとっては理想的なモーツアルトの演奏です。録音されてから既に30年が経ちました。「もうそんなに?」という感があるほどについ最近録音されたような感じがいつまでも続く、クーベリックの最高の遺産ではないでしょうか。(2) ニコラス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団(テルデック原盤 ワーナー・クラシック WPCS10819/2 1991年録音)クーベリックとは対称的な表現。 ピリオド楽器の奏法を採り入れて過激とも感じる表現方法でモーツアルトの音楽世界を描いている。ここにはゆったりと音楽に身を任せて聴いていられない、非常に高い音楽の劇性があり、アコーギク、アーティキュレーションなどで表現されています。(3) ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団(ソニー・クラシック SRCR2303 1959年録音)現在はソニーとなっているが、この録音当時はアメリカのCBSだった。LP初出以来何度再発売されたろうか? 今も再発売の連続。そして変わらぬ人気。 ワルターの指揮には「歌心」が溢れていると表現すればいいのか。 ベートーベンでもブラームスでもモーツアルトでも常に「歌」に溢れた表現となっている。アーノンクールを聴いた後にこのディスクを聴くと、喉の渇きを癒してくれる水のような感じを受けます。 これもワルター最高の我々への遺産だと思います。 いつまでも再発売を期待したい演奏盤です。(4) ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団(ソニークラシック SICC1073 1970年東京公演ライブ録音)40年前の大阪万博に来日して素晴らしい音楽を生演奏で聴かせてくれた、セルとクリーブランドのこれも遺産となる演奏。この演奏を聴いてまさに完璧としか表現する言葉を知らないくらいに、絶妙・精妙・精密なるオーケストラの演奏に驚かされる。 特にワルター指揮のコロンビア交響楽団を聴いた後では、ワルターには悪いが寄せ集めのオーケストラと厳しい管弦楽奏法の訓練を受けた団体の違いをまざまざと見せつけられる。セルは、帰国後に急逝したので非常に貴重な日本公演の記録、セルの演奏記録となってしまった演奏。
2010年10月06日
コメント(4)

「名曲100選」 シューベルト作曲 幻想曲「さすらい人」フランツ・シューベルト(1797-1828)はピアノ曲に対して有り余る才能を駆使して書いたように思えて仕方がありません。 それは曲の音楽形式にはとらわれずに書き綴った作品が多いからだと感じるのだと思います。 例えばベートーベンのピアノ音楽なら32作のピアノ・ソナタと種々の変奏曲となりますが、シューベルトは21曲のピアノ・ソナタの他に、2曲の「即興曲集」、それに今日の話題曲の「さすらい人幻想曲」もあります。ピアノ作品でソナタ形式で書いた曲でも、ベートーベンなら古典的な構成とか形式を重んじて書いているの対して、ベートーベン的な古典への構成の憧れとか美しさが理解出来ていても、こんこんと泉のように湧き出てくる美しい旋律の処理に戸惑いながら、その創造される旋律・リズム・和声が形式内に収まり切れないのでしょうか?聴いているととても自由に歩き回るロマンティックな音が魅力的になってきます。ピアノ・ソナタのように「もういい加減にしてよ」と言いたくなるほど同じ旋律の繰り返しには閉口するのもありますが、彼の晩年(と言ってもわずか31年の生涯ですが)に作られた(1822年)、この「さすらい人幻想曲」は20分を超す大作にも関わらず、最後まで耳を傾けてピアノ音楽の、ピアノの響きに心を預けられる美しい一編となっています。構成上は4楽章形式ですからまるでピアノ・ソナタのような感じがします。「情熱的なアレグロ」と指定された第1楽章の冒頭に現れるモチーフが、この曲全体を支配するかのように、フランスのフランク(1822-1890)が創始した「循環形式」を想わせるような書き方で全曲を統一しています。 このモチーフの持つ雰囲気がこの作品を端的に表しているかのように感じます。4楽章形式と書きましたが、実際は切れ目なく終わりまで演奏されるようです。 下記に紹介しますケンプ盤には4つの楽章のインデックスが付いていますが、カーゾンとワッツの演奏には単一のインデックスだけです。ロマンティックな旋律に満ちた音楽ですが、冒頭のモチーフが劇的な表現で書かれているだけに曲全体に劇的な緊張感を感じるのは私だけでしょうか?ピアノを弾くのがモーツアルトやベートーベンのように得意でなかったと言われるシューベルトにしては、聴いていても難儀な技巧の曲だなと感じます。この曲をラヴェルのような人が管弦楽に編曲してくれたら、もっと色彩的な楽しめる作品だと聴くたびに感じています。愛聴盤(1) クリフォード・カーゾン(ピアノ)(DECCAレーベル 456757-2 1941年/1951年録音 海外盤)「20世紀の偉大なピアニストたち」の中の1枚、自ら望んで購入した盤ではなくて200枚の中に入っていた1枚で、最近はこの200枚を毎日1枚ずつ聴くようにしています。(2) ウイルヘルム・ケンプ(ピアノ)(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG90113 1967年録音)LP時代に聴いたケンプの演奏をCDに変わった時に輸入盤を購入して聴いています。紹介のジャケットは国内プレス盤で「ケンプの芸術」という限定盤の中の1枚です。(3) アンドレ・ワッツ(ピアノ)(Philipsレーベル 456 985 1973年録音 海外盤)これも「20世紀の偉大なピアニストたち」の中の1枚です。
2010年10月05日
コメント(0)

「名曲100選」 チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調「メン・チャイ」という言葉が生まれた程に有名なヴァイオリン協奏曲が2曲あります。一つはメンデルスゾーンの流麗かつ美しいヴァイオリン協奏曲と、チャイコフスキーのロシアの大地を想像させるヴァイオリン協奏曲の二つを指して言う言葉なんですが、それほどにこの二人の協奏曲はポピュラリティを確立しており、レコード会社も新進気鋭の若手を売り出す録音にはよほど勇気がいる2曲とまで言われているくらいに、名演奏が目白押しのポピュラーな曲になっています。ところがこの曲の初演当時は、オーケストラの楽員からでさえも不評を買うほど惨めな初演での批評だったそうです。 チャイコフスキーには、「初演は不評」というジンクスがあったのでしょうか? 「白鳥の湖」や「悲愴」交響曲など、今日のクラシック音楽の大スターとなっている曲は、初演時にはさんざん酷評されたそうです。 この協奏曲もこれら2曲と同じ運命をたどっています。 以下はこの曲にまつわる有名なエピソードです。1878年、チャイコフスキー38歳の時に書かれたこの曲は、ロシアの大ヴァイオリニストと呼ばれ、ハイフェッツやミルシティンの師匠でもあったレオポルド・アウアーにスコアの草稿を献呈のつもりで送ったのですが、アウアーの返事は冷たいもので「技術的に演奏することは不可能な曲」と言われたのです。 天下の大ヴァイオリニストが「演奏不能」とレッテルを貼ってしまったので、その後陽の目を見るまで3年かかったそうです。この曲がやっとステージに上ることができたのは、なんとウイーンでした。 そうです、名門ウイーンフィルで、しかも指揮者は当時名指揮者と賞され、後にブラームスとも深い関わりを持つようになったハンス・リヒターでした。 ヴァイオリン独奏はチャイコフスキーの友人のブロッキーでした。ところが、この当時のリヒターもウイーンフィル団員もこの曲の真価を理解できなかったのか、あるいはこの曲を好きになれなかったのか、演奏は惨憺たる出来に終わり、ウイーンの批評家たちから酷評され「安物のウオッカ」とまで評されたそうです。しかし、ブロッキーはこれらの酷評にめげず、その後もヨーロッパ各地でこの協奏曲を弾き続けていたおかげで、次第にこの曲の良さを理解されるようになり、3大ヴァイオリン協奏曲の一つとまで呼ばれる名曲の一つとなったのです。曲は「ロシア」の香りがいっぱいで、開始楽章の冒頭からもうロシアの大地に投げ出されて、その大地に包み込まれるような強烈なチャイコフスキー節満載のスラブ的な甘く、美しい旋律、音楽です。 どうしてこの曲が初演時に不評だったのか不思議です。第二楽章は「カンツォネッタ」と題されている「歌」の楽章で、哀愁に溢れた美しい旋律が聴く者の心を捉える、チャイコフスキー独特のスラブ的な美しさいっぱいの音楽です。一言で形容するなら「ボルシチ」料理といったロシア色濃厚な、ロマン的な音楽です。 まさにウイーンの批評家が表現した「安物のウォッカ」がそのまま当てはまるようなロシアそのまんまといった音楽です。愛聴盤(1) ミッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン) フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団(RCAレーベル 09026.61743 1957年録音 海外盤)LP時代に購入した録音盤でハイフェッツの技巧がいかに素晴らしいかが、非常によくわかる演奏で、LPを他人に譲った後にすぐに購入したディスク。(2) キョン・チョン=ファ(ヴァイオリン) アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団(DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCD4419 1970年録音)颯爽とした情熱がこもるキョン・チョン=ファのヴァイオリンは、いつ聴いても「熱」を感じます。この曲も爽やかながらロシアの大地の肌触りを覚えるような感じがします。(3) オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン) エミール・チャカロフ指揮 ロンドン交響楽団デュメイの美音が颯爽と風が渡るように聴こえてくる、ヴァイオリン協奏曲の名曲を堪能できる定番的な名演だと思います。(4) ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ(ヴァイオリン) マリン・オールソップ指揮 コロラド交響楽団(Avex レーベル NSSミュージック AVCL25111 2004年録音)手指を料理中に切ってしまい、再起不能かと囁かれていたソネンバーグですが、妖艶と表現すればいいのか、高音の艶やかな美しさは比類がないほど、そして見事に復活を遂げています。彼女特有の情熱がこもっており、強弱の付け方などもこの人独特の表現で唸らせてくれる。 息も絶え絶え、泣けるところはしっかりと泣き節で、速いパッセージはこれでもかと聴かせてくれる技巧。ヴァイオリン協奏曲の楽しみを存分に味わえる演奏です。 ただし、彼女特有の熱っぽい表現ですから聴く人の好みに評価は分かれると思います。ソネンバーグの自主レーベルの第1枚目となるディスクだそうです。(5) アンネ=ゾフィ・ムター(Vn) アンドレ・プレビン指揮 ウイーンフィルハーモニー(ドイツ・グラモフォン 474 5152 2003年9月録音 輸入盤)持っているディスクで最も好きな演奏がこのCDです。カラヤンとの共演から15年(この録音当時)、今回は結婚したばかりの夫君(現在は離婚)プレビンとのおしどり共演で、夫婦となってから2枚目のCD(1枚目はプレビン作曲の「愛妻に捧ぐ」Vn協奏曲)です。第1楽章からムターのVnは、表情づけが濃厚で、熱く歌いこんでいます。 スケールの大きな表現と、スラブ色を超えた、もっと濃厚なロマン的な演奏で、彼女が年を重ねるごとにこの傾向が強く表れており(クルト・マズア指揮ニューヨークフィルの'97年ライブ録音のブラームス、同じ共演で2002年のライブ録音のベートーベン)、今回の演奏では前作のブラームス、ベートーベンを上回るほどの濃厚な表現で、妖艶なまでの美音・表情に圧倒されました。カップリングはコルンゴルド(1897-1957)のVn協奏曲。 アンドレ・プレビンがぞっこん惚れこんでいる作曲者で、ドイツを追われてアメリカ・ハリウッドで映画音楽に従事した後に書かれた曲で、プレヴィンにとって3回目の録音。 まるで映画音楽の中に入り込んだような曲、演奏で、ムター節全開です。私はこのコルンゴルドを聴きたくて買ったのですが、チャイコフスキーの素晴らしさに圧倒されました。 この曲を見直したと言っても過言ではない、強烈なインパクトでした。
2010年10月04日
コメント(0)

「彼岸花」久しぶりに長居植物園に行き「彼岸花」を撮影してきました。 昨日アップした写真もその時のものです。 「彼岸花」を撮るのに何故長居まで、と思われるか知れません。私の住んでいる大阪府泉州は郊外にあり、堺市以南の田舎町ですが、子供の頃と街の様子がすっかりと変わりました。自宅は阪和線から東側の高台に在るので、小学生の頃は家の2階から松ノ浜の海岸にしぶきを上げる白い海波の波頭が見えるくらいに、海岸線まで(約4キロ)見通しの良い眺望でした。田圃や畑ばかりでしたから。9月の「お彼岸」になると田圃の畦道には真っ赤な彼岸花が咲き、稲の色と綺麗なコントラストを成していたものです。彼岸花を探しまわることもありません。家の外に出るとどこかで目にする「彼岸花」群生の光景がありました。今では全くと言っていいほど見当たりません。 たまたま見つけても群生はおろか数本咲いているだけです。 もう2階から海岸線は見えません。 湾岸高速道路を走る車がわずかに見え隠れするくらいです。 半世紀以上の年月が経っているのですから当然のことでしょう。 昔のように大所帯の大家族が無くなりどんどん核家族が誕生してきました。マンションが建ち一戸建て住宅が建ってきました。だから長居植物園の群生(と言っても奈良県明日香村とは比べ物になりませんが)の「彼岸花」が貴重な撮影ポイントとなります。 今年は他の花でもそうですが、夏から9月の彼岸頃まで猛暑日が続いたせいか、開花も遅れ何やら元気がない彼岸花のように感じました。
2010年10月03日
コメント(0)

「花束」金曜、帰宅途中の電車内のことである。 週末の乗客の表情は、いつもより穏やかだった。 スーツ姿の60歳ぐらいの男性が、あざやかな花束を抱えて乗ってきた。 乗客の視線は一斉に男性に注がれた。 男性は気恥ずかしそうだ。4人がけの一つの席が空き、男性は座った。 周りは男子中学生だ。 中学生たちは60代の男性と花束というなじまない取り合わせに興味を示し、一人が「おっちゃん、花買うてんきたん」と尋ねた。 「これはな皆にもろたんや。今日で定年でな」と答え、花束を網棚に置いた。中学生たちはいろんなことを訊き始めた。 「どんな仕事?」「何年働いたん?」遠慮会釈ないぶしつけな問いにも男性は丁寧に答えた。 身振り手振りも交えてユーモラスに仕事の説明をした。中学生たちの屈託のない笑い声が幾度も車内に響いた。 それがやかましいとは感じず、他の乗客も自然と耳に入る会話に笑みを浮かべていた。男性の職業も職責も分からないが、見知らぬ中学生に、これだけ饒舌に自らのことを話すのである。 充実したサラリーマン生活を送ったことが想像できた。和やかな会話が続いたが、やがて電車が減速し、男性が中学生たちに別れを告げた。 中学生たちはホームの男性に車窓から身を乗りださんばかりに手を振った。 男性も花束を高く揚げてそれに応えた。帰宅した私はカバンの中の「希望退職者募集」のA4用紙を破り捨てた。~産経新聞 2010年6月10日夕刊に掲載の「夕焼けエッセー」~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「彼岸花」
2010年10月02日
コメント(0)

「名曲100選」 ベートーベン作曲 ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」この曲にまつわるエピソードには、ロシアの文豪トルストイが書いた小説「クロイツェル・ソナタ」があります。 倦怠期のロシア貴族の一家庭の不倫事件を扱っており、貴族の妻が家庭に出入りするヴァイオリニストと恋に落ちたと思い込んだ夫が嫉妬のあまり妻を殺すという物語ですが、その不倫の発端となったのがこの「クロイツェル・ソナタ」の男性教師と妻との合奏だったのです。 トルストイはこの小説の展開上、この曲を重要な予想として扱っています。またチェコの作曲家ヤナーチェックは、このトルストイの小説を読んで「トルストイのクロイツェル・ソナタに霊感をうけて」と題した弦楽四重奏曲第1番を作曲しています。ベートーベン(1770-1827)はヴァイオリンソナタ第5番「春」を書いた後、6番ー8番を作品30として一括して出版したあとに、1803年5月にイ長調の第9番「クロイツェル」を書き上げています。 ベートーベン32歳の春でした。 交響曲では3番「英雄」が完成間近の頃にあたります。 彼はヴァイオリン・ソナタを全部で10曲書いていますから、「傑作の森」と呼ばれる中期以前の第1期にすでに9割のソナタを書き上げてしまったことになり、最後の10番の完成はほぼ10年経った1812年まで待たねばならないのです。そして1812年以降、亡くなるまでの15年間はとうとうヴァイオリンソナタを書くことがありませんでした。ベートーベン以前のヴァイオリン・ソナタ、例えばW.A.モーツアルトなどの作品はピアノが主体でヴァイオリンが序奏的な楽器として扱われていました。 華麗に踊るかのようなピアノの動きがヴァイオリン・ソナタに見られたのです。 ヴァイオリン・ソナタと言えばヴァイオリンが華やかに活躍するソナタという現代の定見とは違ったヴァイオリンの扱いでした。ところがベートーベンが作曲したヴァイオリン・ソナタはまるで「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」に変わっています。現代の私たちの定見と同じです。特にこの曲には「ほとんど協奏曲のように競い合って演奏するヴァイオリン序奏付きとのピアノのためのソナタ」とベートーベン自身によって楽譜に書かれているそうです。協奏曲風と呼ぶよりもきわめて二重奏的な色合いの濃い曲となっているのが特徴です。 これは前作の第5番「春」についても言えることですが、ヴァイオリンとピアノのパートが独立性が高く、まるで2つの楽器による二重奏といった趣きで、決してヴァイオリンパートは「助奏」ではありません。 もっとも曲を聴けばそんなことはすぐにわかるくらいにきわめて優れた二重奏曲であると理解はできますが。演奏時間は30分を超す雄大・壮大な規模で書かれており、3楽章形式です。第1楽章は、二つの楽器の対話で進む緊張感にあふれたアダージョ・ソステヌートで始まり、大規模な主部へと進んでヴァイオリンとピアノの掛け合いによる張り詰めた緊張を伴う音楽に耳を奪われます。第2楽章は、アンダンテでしかも変奏曲風にと書かれていて、変奏曲スタイルによる緩やかなテンポの楽章で、風格ある主題が提示されたあとに4つの変奏が行われ、しかもカデンツァとコーダ付きという重厚なアンダンテ楽章です。終楽章は、プレストでまるで「タランテラ舞曲」を想起させるようなリズミックな躍動感にあふれ、華麗で、力強い音楽で締めくくられています。まさにヴァイオリンソナタの音楽史上でも稀な大傑作です。ベートーベンは、この曲をイギリス国籍のブリッジタワーというヴァイオリニストに献呈するために書いたと言われています。 ですから初演はこのブリッジタワーとベートーベンによって行われたのですが、完成が遅れたために初演のステージでは、楽譜の清書が間に合わず、第2楽章はヴァイオリンは草稿のまま、ピアノはスケッチで演奏されたというエピソードが残っています。ブリッジタワーに献呈するために書かれたこの曲が、何故「クロイツェル」なのか? それは初演のあとベートーベンとブリッジタワーが不仲となり、献呈はフランスのヴァイオリニストのロドルフォ・クロイツェルに献呈されてこの副題がつけられたそうです。しかし、クロイツェル自身がベートーベンの激しい音楽を好んでいなかったので、彼によってこの曲は一度も演奏されなかったという後日談が残っています。愛聴盤(1) ギドン・クレーメル(VN) マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)((ドイツ・グラモフォン 447054 1994年録音 輸入盤)「激しさ」と「熱情」に満ちた気分が伝わってくる鋭角的な鋭さを備えた演奏。(2) アルテュール・グリュミオー(Vn) クララ・ハスキル(P)(Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP9521 1959年録音)グリュミオー特有の温かくふくよかな優しさと、ハスキルの弾けるようなピアノが紡ぎ出す独特のベートーベンの音楽世界です。(3) 西崎崇子(Vn) イェネ・ヤンドー(ピアノ)(Naxosレーベル 8.550282 1989年録音)これほど無個性とも呼べる演奏はないとでも言えそうな、まさに模範的に弾かれた演奏で聴き終わった後に、じっくりと音楽を聴く喜びを味わえる、世界で最も録音回数の多い、Naxos社長夫人である西崎の演奏。(4) ジョス・ファン・インマーゼル(Vn) ヤープ・シュレーダー(P)(ドイツ・ハルモニアムンディ原盤 BMGジャパン BVCC1888-70 1987年録音)ピリオド楽器による演奏。私は古楽器演奏はあまり好まないのですが、この演奏は実にストレートに音楽の楽しみを訴えてくるものを感じます。 (5) ヨゼフ・スーク(Vn) ヤン・パネンカ(ピアノ)(チェコ スプラフォン原盤 日本コロンビア 20CO2846 1964年録音 廃盤)情感豊かに歌い上げるスークのヴァイオリンは、常に緊張と優しさにあふれ拡張の高さに満ちた音楽を聴かせてくれます。 この演奏を一番気に入っていますが、この曲の単売としては廃盤となっているようです。ジャケット写真はコロンビアがリリースした「スプラフォン・ヴィンテージ コレクション」シリーズで、ベートーベンのヴァイオリンソナタ全10曲が4枚組となっているものです。 DENON CREST1000からでも再発売を願ってやみません。
2010年10月01日
コメント(2)
全19件 (19件中 1-19件目)
1
![]()

