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今日は八光流道場の方で昇段試験を兼ねての朝稽古があり、それに参加してきました。私自身は、今回は昇段には関係がないのですが、同じ道場の仲間の何人かが黒帯になるので、その応援もありますのでね。 と、同時に、今回は昇段試験の後、近隣3道場の合同稽古がありますので、普段、お会いすることのない師範に稽古をつけていただくことができる。これが楽しみで。 で、普段ですと、せいぜい6,7人の門下生と稽古をしているのですが、今日は何しろ3道場の合同稽古なので、門下生だけでも十数名、師範も8人くらいいらっしゃったでしょうか。いつもは広く感じる道場が、今日は狭かった! そして! 今日はかねがね噂に聞いている津島道場のI先生に稽古をつけていただけたのが最大の収穫! I先生は、お歳からいえば70歳代、いかつい体つきでもない、普通のご老人なのですが、実はこの道の達人。実際に技を受けてみると、本当にどこにも力みがなく、ただふわっと脱力されているだけなのに、こちらは見事に崩されてしまう。これぞ八光流の真髄、というような感じ。ここまでくると、「技がキレる」というような言葉遣いから連想されるシャープさもすらもなく、ひたすらまろやかに、ヘナヘナと崩されてしまうもので、崩されながら笑うしかないという。 同門の稽古仲間の中に何人か、I先生の指導を受けたことがある人がいて、その人たちから「I先生はすごいよ」という噂を聞いていたので、今日、その達人技の何たるかを体験できて、なるほど、こういうことか、と実感。 歳をとって、こういう力みのかけらもない武術の達人になれたら、いいだろうなあ! しかし、I先生の高みまでは遠き道のり。まずはまるで出来ていない基本中の基本をマスターすることから、根気よくがんばりますかね。
August 31, 2014
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この週末、拙著の念校作業に入っております。 「念校」というのは、その名の通り、念には念を押して、最後の校正をする、ということなのですが、これがまたくせ者で、ざっと確認すればいいかと思いきや、やっぱり修正すべき個所が相当数出て来て、結構大変なことになっております。 今回の本、全般的にきつかったなあ・・・。あんまり何度も読みすぎて、ちょっと自家中毒を起しそうな感じ。あんまり自分の書いた文章を根を詰めて読み直していると、頭がおかしくなってくるわ。 でも、今回のゲラには、初版の出版日もすでに入っていて、それによると一応、9月20日に刊行される予定らしい。ということは、あと3週間後ということですな。まあ、そう考えれば、ゴールは目前。延々と続いたぬかるみの道も、ようやく終わりが近づいてきたようです。 ということで、あと私が係わる作業は、この念校のみですから、明日もう一日、悔いを後に残さぬよう、頑張ろうと思います。
August 30, 2014
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皆さん、世界柔道、ご覧になっています? 格闘技ファンの私としては、当然、楽しみにしているイベントでありまして、このところ深夜、テレビ観戦で盛り上がっているところでございます。 ここ最近、世界大会における日本選手の活躍が、以前ほど見られないことが取沙汰されておりますが、今大会に関しては割と好調で、連日のメダルラッシュは、我々ファンには嬉しい限り。 そんな中、私が注目したのは、昨日登場した女子63キロ級の田代未来選手。 残念ながら銅メダルに終りましたが、そこまでの勝ちあがりっぷりは見事のひとこと。どの試合も、外国人選手を圧倒する技の切れでした。準決勝でこそ、寝技の応酬で墓穴を掘りましたが、それまでは技ありの優勢でしたし、負けたのも、自信のある寝技を仕掛けている最中に不覚をとっただけで、実力では第一人者を圧倒していた。 金メダルをとった選手たちが、それぞれ「危なげに」勝利したのに対し、田代選手は「危なげなく」負けたという感じ。まだ20歳と若いので、今後の伸びシロにも期待できます。 ということで、次のオリンピックでは田代が活躍すると、私は今から予想しているのでございます。 さてさて、今日はまたどんな試合が展開するでしょうか。今日も深夜まで、応援することといたしましょう。
August 29, 2014
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このところ、あまり絵を買っていなかったのですが、久しぶりに版画を買いました。買ったといっても、実は私がお金を出したのではなく、両親にプレゼントされたのですが。 父の昔の同僚のKさんという方は英語の先生なのですが、大病をされ、早めにリタイアされて、闘病生活を送っていらしたんですな。 で、そのKさんは英語の先生にしておくにはもったいないほど美術のセンスがあり、毎年父宛てに年賀状を送って下さるのですが、その年賀状がみごとな版画になっている。そのみごとさは、ほとんどプロ並み。 で、私も毎年、Kさんからの年賀状を見るのを楽しみにしていたのですが、とうとうKさんもその道に進まれることを決意されたのか、美術品としての版画を制作され、先日、グループ展に出品されたんですな。 で、その展覧会の案内に載せられたKさんの版画が、いつものように素晴らしかったので、私もぜひ見に行きたかったのですけれど、残念ながら会期前に名古屋に戻ることになり、Kさんの作品を見ることができなかったんですな。 そこで、父が展覧会を見に行って、私が気に入ったその作品を買い、私に送ってくれたと。まあ、そういう訳なんですな。 父が言ってましたが、私が気に入ったこと、そして作品を買いあげたことで、Kさんはすごく喜ばれたとのこと。作品を買うというのは、その作品に対する最高の評価ですからね。人間は、よほど気に入らないと、絵なんて買わないですから。 で、その絵は今、我が家の玄関に飾ってあるのですけど、青い空にもくもくと白い入道雲。遠い山並み、地平線を覆う木々。そして田園風景。そして一番手前にトウモロコシが大きく葉を茂らせている。そんな鮮やかな夏の田舎の風景を描いた版画が、マンションの壁に風穴を開けて、爽やかな風を吹き込んでくれるよう。やっぱり、絵っていうのは、いいもんですよ。 というわけで、まだ我が家に来て間もないKさんの版画を、通り掛かる度にチラッと見ながら、ちょっと幸せな気分を味わっている私なのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
August 28, 2014
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遅まきながら映画『ハート・ロッカー』を観ました。2008年のアメリカ映画、アカデミー賞9部門ノミネート、6部門受賞の話題作でございます。主役を演じたジェレミー・レナーの出世作、かな? 以下、ネタバレ注意ということで。 舞台となっているのは2004年、イラクのバクダッド。イラク戦争真っ最中で、アメリカ軍はイラクに進攻していて、カメラはアメリカ軍のある爆弾処理班を追っていく。 なにしろ市街でのゲリラ戦ですから、反アメリカ勢力は街の至るところに爆薬をしかけたり、あるいは自爆テロをしかけてくる。そうした爆発物を発見し次第、適切な方法で処理するのがこのチームの仕事なのですが、なにせ戦争状態ですから、色々なことが起る。仕掛けられた爆弾と思って処理しているうちに、実はこれが遠隔操作で起爆できるもので、処理班のメンバーが爆死する、なんてこともしょっちゅう。 で、実際、このチームでも、優秀なチーム・メンバー(ガイ・ピアース)が爆死。 で、その爆死した軍曹に代わってこのチームに配属されたのがジェレミー・レナー演じるジェームズ軍曹であったと。 このジェームズが、しかし、色々問題のある人だった。 とにかく爆発物処理の腕は超一流。実績も素晴らしい。しかし、この人は爆発物処理という仕事に対して中毒になっていて、ほとんど恐怖というものを感じなくなっていたんですな。 だもので、本来、部厚い防具をつけて処理しなければならないような状況でも、「邪魔くさいから」という理由でそんな防具を脱ぎ捨て、まったく無防備な状態で爆弾から雷管を引き抜いたりする。チーム・リーダーのサンボーン軍曹としては、とても見ていられないし、第一、彼の退却命令に背いてどんどん爆弾を処理してしまうのですから、リーダーとしてのメンツにも関わる。ということで、以後、サンボーンとジェームズは何度も衝突するのですが、ジェームズとしては、別に悪いことをしているという気もなく、ただ爆弾は処理しなきゃいかんし、自分にはそれができるし、怖くもないし、ということでやっているだけで、手柄を立てたいという意識すらほとんどない。 一方、戦争が怖いし、死ぬのも怖いし、イラクにもいたくない、と思っているメンバー(つまり、普通の人間ですが)もいるわけで、サンボーンをはじめ、エルドリッジ技術兵ももちろん、五体満足で早くアメリカに帰りたくて仕方がない。 そして、そういう恐怖のケアをするために軍医・ケンブリッジがいるわけですが、彼は最前線に出るわけではないので、最前線での恐怖を感じている兵隊たちの気持を完全にはくみ取れないというところがあり、そのことに罪の意識を感じていたりもする。そこで、兵隊と同じ気持を味わうべく、必要もないのにサンボーンらと行動を共にし、殉死することにもなる。 というわけで、イラクにおける爆弾処理の現場で、様々な人間模様が描かれるわけ。 で、それでもこのチームは、現地における仕事を終え、サンボーンもエルドリッジも、そしてジェームズもアメリカに帰国することができるんですな。 が。 アメリカに戻って日常生活をする中で、ジェームズはむしろそちらの方に戸惑うんです。スーパーで買い物をする、というようなことですら、彼にとっては戸惑うことばかり。そして、生甲斐もなく、考えるのは戦地のことばかり。 で、ついに彼はまた志願して、別な戦地へと赴くことになる。 戦争というものが、ついに戦争にしか生甲斐が見いだせない人間を作ってしまったわけですよ。正義がどうの、大義がどうのというのではなく、非常に危険な、生きるか死ぬかという状況の中で、爆弾を処理するということだけしか、生きる張り合いが見いだせないという、そんな人間、恐怖という人間らしい感情が麻痺し、戦争というドラッグに溺れるしかない人間に、ジェームズはなってしまった。 この映画は、戦争がもたらす様々なことの中で、特にこの「戦争中毒」という側面を描き出したわけですな。 ということで、この映画、なかなか面白いというか、切ない人間の性みたいなものを描いていて、その点では一個の佳作と言えましょう。 が! アカデミー賞主要6部門独り占め、というほどのものでもないのではないかと。 というのも、なんか映像も含め、本作はリアル過ぎるわけですよ。映画って、それがたとえ悲しいもの、悲惨なものであったとしても、それでもやっぱりある種の夢を与えるものであってほしいのに、本作はそうじゃなくて、パサパサのリアリティですからね。観終わって、こちらまでイラクの市街地の埃っぽい乾燥した空気のために、口中が渇いてしまったような感じがしてしまう。「あーーあ」っていうげっそりした気分で観終わるんですから。 というわけで、私のこの映画に対する評点は、「75点」。平均点ちょい越えくらいなところで。一度観て勉強になったけれど、もう一回観たいとは、思わないな。 それにしても、とにかくね、戦争はあかん。あれはやったら、あかん。いいことなんか、一つもない。みんな、仲良くしよう。
August 27, 2014
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家の近くにあるスーパーに併設された、小洒落たレストラン、「Land to Table」でランチをしてきました。 「農地から食卓へ」というお店の名前の通り、無農薬の有機野菜や、抗生物質などを打ってない肉で作った料理を提供する、というのがコンセプト。ま、そういうこともあるのか、全体的にちょっとだけお値段が高いかな、と思いますけれども、ランチプレートには、デトックスにいいという青汁的なジュースがあったり、スープがあったり、パンがあったり、キッシュがあったり、サラダがあったり、そしてメインのお肉があったりと、過不足ない布陣。お肉は、私がポークのワイン煮、家内が鹿肉のなんちゃらをいただきましたが、どちらもおいしかったです。 で、ここは惣菜も売っていて、9品目のプレートが980円だったかな? これなんか、結構、覚えておいて、いつかチャンスがあったら買って帰って家で食べてもいいかなと。 ということで、仕事だらけの一日の束の間の息抜きに、新しいレストランでのおいしいランチをいただき、ちょっと面白かったのでした。ここは、食べるものだけでなく、レストランで使っている食器なども併売しているので、そういう小物好きにも面白いかも、です。
August 26, 2014
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先日、このブログでも紹介しました『安井かずみがいた時代』で、一つ気になった・・・と言いますか、思い出した言い回しがありまして。 それは、「即」、という副詞です。 安いかずみの世代、ということは、要するに「団塊の世代」、私より10才ちょっと上くらいの世代ですが、その連中の語る安井かずみのエピソードの中に、しばしば「即」、という言葉づかいが出てくる。 これが懐かしい! 私も中学生くらいの時、この「即」というのを、会話の端々に使ったわけですよ。私が使ったということは、つまりは友人たちも使ったということで、一種の流行語だった。 意味的には、「すぐに」ということで、今風に言えば「速攻で」かな? でも、ひと昔前、いや、ふた昔か三昔前くらいは「即」だった。 今、「即」なんて言っている人、見たことないですから、この言葉は廃れたのかな。 でも、思い出したからには、使いたい。チャンスがあれば、即、使いたい。 昔の言い回しって、なんか、古い友人のようで、いいな。
August 25, 2014
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どうでもいいこと、言っていい? 最近スマホのテレビCMで、おじいちゃんが孫に水泳を教える、みたいなのがあるでしょ。あれ見ると、水泳の練習法って、今でもまだあんなことやっているのか、って思うんですよね。私が子供の頃とまったく変ってないじゃん。 大体、水泳の練習っていうと、すぐ「バタ足」とかやらせるでしょ。ビート板とか持たせて。全然前に進まないから、とにかく必死でバタバタやる。必死なもので、全身に力が入り、どんどん沈んでいくので、さらに必死にバタ足するという。それで体力はどんどん奪われ、すごく疲れる。 私思うに、あれはまったく意味ない。 水泳の基本は、浮くことだよね! とにかく全身の力を抜いて浮く。腹を下にして、あるいは背を下にして、とにかくぷかぷか浮く。自分は永久に浮いていられるという自信がつくまで、とにかく浮く練習をする。これが最初だよ。 その次に、蹴伸びだ。これで水中を進む感覚を養う。 その次に、クロールの手の動きを教える。と同時に、息継ぎをも教える。この時まで、足はまったく動かさない。力を抜いて、まっすぐ伸ばしたまま。 で、基本、これで終了だよ。水に浮いて、時々息継ぎしながらクロールすれば、結構なスピードで進めるんだから。 で、オプションで、クロールの手の動きに合わせて、ゆーーーーっくり足を動かすようにする。けっしてバタバタさせるのではなく、1秒に1回くらいの割で軽く動かすくらいで充分。 これでクロールは完成だ。これができれば、もう、別に教えなくても平泳ぎは出来るようになる。 バタ足の練習なんて、まったく必要ないっ! なんで、こんなどうでもいいことを言うかというと、英語教育も同じなんですわ。今、中学校に行って英語の授業の参観すると、私が中学生だった頃とまったく同じ教え方がなされていますからね。「It is difficult for me to speak English.」とか、そんなのばっかり。まったく進化なし。 だから、結局、英語も水泳も、効果的な教え方の研究って、まったくなされていないことがよく判る。 それが腹だたしいわけよ。 英語はともかくとして、水泳はね、あのCMを見る限り、そしてあれが水泳教育のスタンダードだというのであれば、世の水泳教室なんかより、私の方がよっぽど上手に教えられる自信があるな。 ほら、どうでもいいことだったでしょう?
August 24, 2014
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WOWOWで『クラウド・アトラス』を放映していたもので、3時間の長い映画でしたけど、観ちゃった。以下、ネタバレ注意ということで。 これ、オムニバス映画というのか、一つの映画の中に6つのエピソードが同時進行するんです。で、各エピソードはそれぞれ時代が違っていて、古いのは19世紀半ば、新しい方は24世紀の未来の出来事。 19世紀の出来事は、奴隷貿易に係わる人物が、航海の途中、たまたま助けることになった黒人奴隷から逆に命を助けられることになり、これを機に奴隷制反対の立場に鞍替えするという話。 1930年代のエピソードは、若く音楽の才能あふれる男娼が、老作曲家の採譜係として雇われ、やがて老作曲家を凌駕するような才能を発揮し始めるものの、男の過去を調べた老作曲家から脅され、一生、影の存在として生きることを強要される、という話。 1970年代のエピソードは、原発の普及を怖れた石油産業のトップが、原発事故を起し、その危険性を訴えて、石油産業の延命を図ろうとしているのに気付き、暴露記事を出そうとする若き女性ジャーナリストと、その抹殺を企てる石油産業の戦いを描いた話。 2010年代のエピソードは、殺人を犯した作家のエージェントとして大儲けした老編集者が主人公。作家の弟たちから脅され、金を巻き上げられそうになったため、兄の庇護を求めたところ、実はその兄の嫁と関係した過去がばれていて、指定されたホテルに泊まったところ、それが脱出不能の施設で、軟禁状態になってしまった。果たして、彼はその施設から脱出できるのか?という話。 2100年代のエピソードは、近未来のソウルが舞台。この時代、クローン人間が大量生産され、人間に奉仕させられていたのが、このような全体主義社会を革命で倒そうとするグループがいて、クローンの一人、ソンミは、この革命グループから現実の状況を知らされて覚醒し、やがて革命グループの象徴的存在となっていく、という話。 2300年代のエピソードは、既に地球上の文明は滅び、部族間の争いなどが頻発する原始的な状況に人間が暮らしている、という設定。地球も、核による汚染で住める状態ではなくなりつつあったのだが、辛うじて科学文明を維持していたプレシエント族が、ある部族によって「悪魔の山」と怖れられていた場所にある古いレーダー基地を利用し、地球外の惑星にSOSを発信することを企て、現地の部族とのトラブルを経ながらそのミッションを遂行する、という話。 6つのエピソードは、一部を除いて無関係ではあるのですが、しかし、同じ登場人物が複数のエピソードに登場する、というところがミソで、つまり、これは「生まれ変わり」の物語なわけ。人間が色々な時代に生まれ変わっては、その時代その時代で色々な体験をする。生まれ変わりなので、それぞれのエピソードにはすこしずつ「のりしろ」みたいな部分があって、そののりしろによって、6つのエピソードがつながるところが面白いんだなあ。 でまた、この6つのエピソードには、もうひとつの「のりしろ」というか、共通点があって、それは6つの物語がすべて「束縛と解放の物語」であること。奴隷解放の話もそうですが、老作曲家に囚われの身になった若き音楽家がどうやって自分を解放するか。秘密を知って命を狙われているジャーナリストが、どうやって大企業の陰謀から逃れるか。収容された施設からどうやって脱出するか。全体主義国家に奉仕させられていたクローンが、いかに革命を起こすか。そして部族間の争いにおびえていた男が、いかに瀕死の地球から脱出するか。それぞれのエピソードは、自由を求めて戦う人々の話であるわけですよ。そこがまた、面白いところでもある。 6つのエピソードそれぞれを単体で見ると、さほど大したことはない映画なんですけど、それがつかず離れず、微妙な間隔でつながりながら、同時進行していくことで、独特の複雑な味わいを醸し出してるという。そこが見どころと言えそうです。 でまた、トム・ハンクスだとか、スーザン・サランドンだとか、ヒュー・グラントとか、ハル・ベリーだとかが、甚だしいメーキャップを施されて、複数のエピソードに登場するのが相当面白い。一回見ただけでは気づかず、後から、「えー、あの役もあの人が演じていたの?」的なビックリが随所に。 で、それぞれの登場人物は、たとえどこかの時代では悪役でも、どこかの時代ではいい役を与えられているものなんですけど、ヒュー・グラントだけは、いつの時代も悪役という。やっぱり「おヒュー様」は、イギリス版無責任男だけに、何度生まれ変わっても徳を積まないのか、どの時代でもあんまりいい生涯ではないというところが笑える、笑える。 というわけで、感動の大作ではないけれど、3時間の長丁場も退屈させないだけの映画にはなっているかなと。私の採点では、「73点」くらいですかね。 ま、時間軸があっちゃ行ったりこっちゃ行ったりする系の映画がお好きな方には、まあ、おすすめしておきましょうかね。
August 23, 2014
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島崎今日子著『安井かずみがいた時代』を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。 安井かずみというのは、『わたしの城下町』『赤い風船』『危険なふたり』『よろしく哀愁』などのヒット曲の数々で知られる作詞家。そして後年、アーティストの加藤和彦と結婚し、1980年代を代表する「理想のカップル」として知られた人でもあります。 で、その安井かずみの幅広い交際の中で、インタビューに応じた人々(平尾昌晃、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり、コシノジュンコ、村井邦彦、ムッシュかまやつ、加瀬邦彦、金子國義、大宅映子、加藤タキ、玉村豊男、吉田拓郎、渡邊美佐をはじめ、錚々たる人々!)の証言を元にしながら、安井かずみという傑出した人物のありし日のことを再構築していくというスタイル。 裕福な中流階級の家庭に育ち、横浜のフェリスに通ったお嬢さん時代から始まって、藝大受験に失敗して、自由な校風で知られる文化学院に進学、そして当時ようやく流行り始めた洋楽の歌詞を訳す訳詞の仕事をバイト感覚で始めたのをきっかけに、作詞の才能が一気に開花、若くしてヒット曲を量産するようになる。そして、六本木のイタリアン・レストラン「キャンティ」での交友から、大金持ちの御曹司、新田ジョージと結婚した経緯、さらにその結婚生活が破たんし、さらにがむしゃらに作詞の仕事にまい進した後、運命の人・加藤和彦と出会い、時代をときめく理想のカップル、誰もが夢見るようなぜいたくな生活を享受し、またそれを発信していったことなどが、浮き彫りにされていきます。そして、その後、肺がんをわずらい、加藤和彦の献身的な看護もむなしく、55歳という若さで亡くなったことも。 55歳で亡くなるのを「早世」と言っていいものかどうか分かりませんが、とにかく、才気あふれた一人の女性が、華々しい人生を駆け抜けた、という、疾走感がよく伝わってきます。 しかし。 この本が何と言っても恐ろしいのは、安井かずみと加藤和彦の「理想のカップル」の結婚生活を云々している個所ですな。 この二人が、互いにとって、これ以上は望めないという組み合わせであったことは、おそらくまぎれもない事実なのでしょう。二人とも、才能豊かで、センスがよくて、ルックスもよくて、お金持ちで、互いのことを深く思い合って。しかし、ことはそれほど単純ではない。 まず二人の年齢差。安井かずみの方が7,8歳年上なんですな。だから、安井には、歳をとってふけることへの焦りがあった。特に更年期に入ってからは、一層その思いが強かったようで、それとともに嫉妬心も強まり、加藤和彦が他の女性と仕事上で付き合うことも嫌がったという。 また、収入面では、カラオケの発達で莫大な印税を得ていた安井の方がはるかに上。妻の方が夫より、はるかに収入が多いということが、果たして加藤和彦にどのような思いを抱かせていたのか。 そして、安井は意外に古風な感性の持ち主で、「妻たるもの、夫をたてるべき」という思いが強く、何かにつけて加藤をたててはいたものの、一方では年下の加藤に様々なことを教える立場にあり、またそうして彼を操縦したがった。つまり、甘えながら、言うなりにしていた。そして、そういう安井の強烈な「我」を受け入れる男でなければ、彼女と結婚することなど出来ないというところがあって、加藤はその役目を17年間にわたって受け入れて来た。 しかし、二人の世界を築き上げるためには犠牲が必要だった。独身時代、あれほど女同志の友情を大切にした安井は、その女友達との付き合いを捨てて加藤との濃密な生活に没頭し、さらに加藤の曲にしか作詞しないという形で、作詞の仕事も事実上放棄。他方、加藤は加藤で仕事や仕事仲間をなおざりにし、安井との生活を人生の第一義にした。 つまり、「理想のカップル」の内実は、なかなか余人には計り知れない闇を抱えていた、のかも知れない、というところがあるわけ。 でも、とにかく、この二人は、表向きは理想のカップルを演出し続けるんですな。加藤は仕事よりも妻重視で、音楽仲間から呆れられようが、夕食はかならず家にもどって安井ととった(しかも、夕食用に着替え、ネクタイ着用で!)し、とにかく可能な限りいつも一緒に居た。年に2回は海外でそれぞれ1カ月ほど暮らし、それも一流のホテルや別荘で暮らすというぜいたく三昧を続けたと。 そして、安井が末期がんに侵されていることが分かると、加藤はすべての仕事をキャンセルして、まる1年間、妻の看病にすべての時間を注ぎ込んだ。それも主治医ですら、おどろくほどの献身ぶりで。この間、二人はともにキリスト教に入信してもいます。 そして安井の死が訪れる。 キリスト教式葬儀でのお通夜で、「かずみは神の下に行ったのだから、悲しくはない。寂しくはなるだろうが」という名スピーチをし、列席の人々の涙を誘った加藤は、しかし、病院から安井の遺体を引き取ることを拒否し、葬儀までの4日間、それは病院の遺体安置所に置かれたまま。 そして葬儀が終わると、加藤は安井の服や思い出の品をすべてビニールのゴミ袋に入れて処分。家も改築し、安井との思い出の品をすべて破棄。そして、安井の死後1年経たないうちに別な女性と結婚し、安井の友人たちを憤慨させる一方、加藤の方でも安井かずみ関係の友人と完全に絶縁。 「安井とのことは、完全燃焼しましたから」とはいえ、最愛の人の死後、人はこういう行動をとれるものなのか・・・? しかし、別な女性との結婚は5年で破綻、その後、10年ほどして、加藤和彦は軽井沢にて自殺してしまう。安井の死後、安井のことは堅く口を閉ざして語らなかった男は、結局、その闇を残したまま、この世を去ってしまうんですな。 安井かずみと加藤和彦の結婚生活って、じゃあ、一体何だったの? そこには、あまりにも深い闇がありそうで、こわくて覗けもしないというね。 ということで、この本、安井かずみの疾走感のある一生を、強烈な光と闇とで浮かび上がらせた本、ということになるでしょうか。 その意味で、単なるミーハーな本ではなく、ある意味、非常に恐ろしい本でもある。私なんぞ、自分も男として、加藤和彦の心の闇に非常に興味がある。興味といってしまったら、失礼かもしれないけれど。 というわけで、この本、なかなか読みごたえがあります。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】安井かずみがいた時代 [ 島崎今日子 ]価格:1,836円(税込、送料込)
August 22, 2014
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うちの近所で、結構ちょこちょことお店が潰れていくんですよね・・・。特に食べ物屋さん。 最近潰れたのは数年前に鳴り物入りでオープンした宮崎うどんのお店。周辺に讃岐うどんの店が次々新規オープンして、それなりにはやっている一方、閑古鳥が鳴いていたこのお店、途中からラーメンを導入したり、色々じたばたしていましたけど、結局、アウト。まあ、私も一度試したことがあるのですが、別にどうということもないうどん屋さんで、コスパもあまりよくなく、リピートすることもありませんでしたから、潰れたのは納得。むしろ、よくここまでもったなと。 それから、ハンバーグなどをメインにしつつ、ご飯やサラダは食べ放題、それからカレーも食べ放題という、「けん」の二番煎じみたいなお店があったのですけど、それもアウト。ここも一度行ったことがあったものの、一品一品がとくに美味しいこともなかったので、食べ放題だけが売りってんじゃつまらないなと思っていたら、やっぱりの結果。 まあ、ここまでは、オープンしている時から「あんまりはやってないな・・・」という印象があったので、潰れたのも納得なんですけど、「お箸で食べる洋食」を売りに、昼時など大賑わいで、ものすごくはやっていたお店が潰れたのにはびっくり。ここなんか、お店の前の駐車場では足りず、ちかくに大きな駐車場を借りる程はやっていたのに、なんで潰れたのでしょうか。 まあ、食べ物屋さんを長続きさせるってのは、難しいもんなんでしょうな・・・。 ところで、うちの近くのスーパーマーケットに、中国茶寮みたいなところがあって、ランチも出すのですが、この店は逆にどういうわけか、妙に客が入るんですよね。いつ見ても席がほとんど埋まっている。客観的にいって、はやっているわけですよ。 だけど、私の食べ物センサーは、「ここ、うまいのか????」という疑問形の直感を伝えてくる。 で、今までずっと敬遠していたのですが、今日のお昼、ふと家にお昼の食材がないことが判明。いよいよ「あの」店を試す時がきたか、ということになり、家内と一緒に行ってみたわけ。 で、日替わりランチを頼んで見たと。 そして、その結果・・・ あかーーーん! これ、あかーーーーん! やっぱり、私の食べ物センサーは正しかった。このランチに900円はないわ。店員さんは感じのいい人ばっかりでしたけど。 しかし、あたりを見渡すと、やっぱり老若男女、客で一杯。なんで、このレベルの料理しか出してない店が、こんなにはやるんだ!! ということで、不味くて潰れる店あり、平凡で潰れる店あり、おいしいのに潰れる店あり、不味くて平凡なのにはやる店あり。食べ物屋さんの成功・失敗って分からないわ! と痛感した、今日のお昼だったのでした。
August 21, 2014
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恩師の未収録文集を作ろうと、手あたりしだい恩師の書かれた雑誌記事等をパソコンに打ち込んでいるのですけど、もうすでに48万字を越えてしまった・・・。48万字って、原稿用紙1200枚じゃん! で、まだまだあるんだ、これが・・・。 前の予想では、最終的に1500枚は行くなと思っていましたけど、上方修正が必要な感じ。多分、2000枚は行く。いや、もっと行くかな? しかし、現在1200枚っていったって、原稿用紙にびっしり字を敷きつめて1200枚っていう意味ですからね。現時点でも実際には1500枚越えているよね・・・。それで2000枚って言ったら、もう実際には2500枚という意味じゃないか? 2500枚の原稿を本にしたら、結局、何ページになるんだ?! 果てしないわ~。 それにしても、記事を打ち込みながら思うのですが、戦後すぐから昭和時代にかけて、「文学」というものが、いかに世間から必要とされていたか、ってことがよく分かる。文学研究者とかではなく、普通の人、少なくとも一般の読書家たちが、ヘミングウェイだとかフォークナーの作品を読みたがり、ノーマン・メイラーやソウル・ベローの新作を待遠しいと思っていた時代があったんだ、という感じがひしひしと伝わってくる。 だから、そういう人たちの動向に詳しい人が、世間から求められていた、ってことですな。そうじゃなきゃ、こんなにたくさんの雑誌記事・新聞記事が出てくるはずがないもんね。 まあ、いい時代だったんだろうな・・・。 そりゃ、生きているヘミングウェイ、生きているフォークナーを知っている世代ですからね。フォークナーに至っては、訪日した時に実際に会っている世代ですからね、私の恩師が生きた時代ってのは。 だから、今私が淡々と進めているパソコン打ち込み作業ってのは、結局、そういう時代を写しとっていることなんだなと。これは、時代の証言なんだと。 そう思って、この果てしない作業を続けていこうと思うのであります。
August 20, 2014
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さてさて、10日ほどの帰省を終え、今日は名古屋に戻る日。 今年はどういうわけか、この時期に毎年行なわれる渋谷東急東横店での古書市がなく、なんとなく毎年楽しみにしていたイベントがなかったばかりか、幼なじみの友人たちも皆それぞれ家族サービスで忙しく、遊んでくれる人もいなかったので、結局、あまり活動的でない帰省になってしまいました。恒例の家族旅行も行く暇がなかったですしね。 しかし、その分、予定していた仕事は割と多くこなせたので、良かったかな。 で、今日はせめて帰るまえに実家に役立つことをやっておこうと、父のパソコンの面倒をみたり(時々、父が変なことをして、せっかく撮りためた写真を全部消してしまったりするので、定期的にバックアップを作っているのであります)、各部屋のエアコンのフィルターを洗ってあげたり。まあ、こんなことでも、少しは貢献しないと。 名古屋に戻ると、それはそれで仕事が山積みなので、気が重いですが、9月の中頃に2週間ほどロンドンに出張することになっているので、それをこの夏の第二の休暇として楽しみにすることとして、それまではせいぜい仕事でもすることにいたしましょう。 それでは、明日からはまた名古屋からのお気楽日記でございます。道中の無事を祈ってて下さいね〜!
August 19, 2014
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哲学者の木田元さんが亡くなられましたね。 で、木田さんのことをネットサーフしていたら、面白い記事に出くわしました。 木田さんといえば、ハイデッガー研究、ということになるわけですが、ハイデッガーを理解するには、例の難解な『存在と時間』を読みこなす必要があるわけですが、そのためにはハイデッガーの1927年以降の講義録が結構重要な手がかりになる、と。 ところが、その講義録が本国で公刊されたのが1975年になってからだった、というのですな。ところが、日本ではアメリカ経由でそれが入手可能だったと。 だから、ドイツ本国の研究者たちでも読めない1級資料が、日本では読めた。それも、木田さんにとっては良いことだった、と。 それからもう一つ、ハイデッガーの『存在と時間」を木田さんは日本語に訳されたのですが、訳してもなお分からないところがあった。ところが、分からない、分からないと思いながら、メルロ・ポンティの本を読んでいたら、ひらめくものがあって、ポーンとハイデッガーのことが分かってしまったというのです。 これがすごい。 分からないと思いながら、いつも頭の片隅でハイデッガーのことを考えながら、他の哲学者の本を読む。そうする中で、何か、頭の中で化学反応が起きて、「あ、わかった!」という瞬間がきたと。 まあ、これは木田さんほどの情熱をもってハイデッガーのことを考え続けたからこそ、祝福のような天啓を受けたのでしょうけれども、こういう「あ、全部わかった!」というような瞬間を迎えられた学者っていうのは、すごく幸福なんでしょうな。私にはそういう経験がないけれど。 ということで、ハイデッガー馬鹿の木田元さんのことにちょっと興味がわいてきましたので、上のエピソードが語られているという、『闇屋になりそこねた哲学者』、読んでみようかな。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】闇屋になりそこねた哲学者 [ 木田元 ]価格:778円(税込、送料込) あら、この本、意外に安いのね・・・。
August 18, 2014
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私は毎年夏になると、山とか森とか、そういうものにまつわるエッセイを1冊は読むことにしているのですが、今年も何かそんな感じのものを読もうと思い、先日、町田にある有名な古書店、高原書店に行った時に、中公文庫に入っている木下威著『森で暮らそう』という本を買ってみました。というのも、書店でパラパラと立ち読みしてみて、この本の著者の木下威さんという人が大学教授であることを知り、教授が森で暮らす、というのなら、私にも参考になるではないか、と思ったからであります。 で、実際に読んでみたと。 で、読んだ後、アマゾンのレヴューを見たら、一件だけレヴューがあって、その短いレヴューに以下のようなことが書いてありました(以下引用): 『森で暮らそう』というタイトルではあるが、実際には釣りの話が中心になっている。子どものころのウナギ釣り、鹿児島時代の海釣り、アユ釣りなど。ほかには山菜の話や大学社会について。 全体として、あまり面白くない。ひとりよがりな印象。 私の読後感もこのレヴューとまったく同じ。この三行ほどのレヴューで、ある意味、この本の内容を言い尽くしております。 特に最後の「ひとりよがりな印象。」という部分にも激しく共感するのですが、それについてもうちょっと解説しますと、おそらく、木下さんという人自身は、決してひとりよがりな人ではないと思うのですな。ただ、ライターとしての腕前がイマイチなところがあって、それで自分では面白いだろうと思って書いているのだろうけれど、他人が読むと鼻につくような文章になっているところが多々ある。そういうところで、この本は大分損をしていると思います。 しかし。 それにも関わらず、この本を読むと、感心せざるを得ない部分がある。 それは何かと言いますと、木下さんが、「獲物を捕る」ということに関して、素人としては圧倒的なノウハウがある、ということであります。 釣りのこと一つをとっても、木下さんはさまざまな漁法をよく知っていて、どういう魚はどういう風に捕るというのを実によく知っているし、また捕った魚をどう料理するか、その調理法もよく知っている。鰻を捕る方法にしても、まあ、さまざまなやり方があるものだ、というのがよく分かる。釣りえさにしたって、どうやってミミズをとるか、小エビはどうとるか、コオロギやバッタはどう使うか、サシはどうやって捕るか、なんてことも実に詳しい。 で、話は釣りのことだけでなく、山菜はどこに行ってどう採るかとか、ウサギやイタチやテンや雉子はどう捕るか、なんてことも詳しい。それも市販の罠なんかを使うのではなく、獣道を見つけて、その周辺に生えている木と、それから針金や紐などの最小限の道具を利用して自作の簡便な罠(ククリやコゴトと呼ばれるもの)をしかけて捕るわけ。 それどころか、鳥の捕まえ方までよくご存知なんだ、これが。メジロを捕まえるのに、まずモチノキを探してトリモチを作る方法から始まり、そのトリモチを梅の新枝に巻き付けて捕獲棒を作り、メジロの鳴き声をまねておびき寄せ・・・というような手順一切を細かに記しておられる。 また山で恐れるべきモノとして、マムシへの対処法とか、そういうのもよくご存知なんだ、これが。で、マムシを殺す場合、頭を潰した後、上あごと下あごをそれぞれ左右の手の指で挟み、そのまま左右へびやーっと引っ張ると、キレイに皮と内蔵が剥けるとか、マジかよ!と言いたくなるようなことも書いてある。 それから、火の熾し方、竹を使った水の引き方、果ては家の建て方まで、みんな知っている。つまり、やろうと思えば、木下さんはサバイバルができるわけですよ。文明の利器に慣れ過ぎた現代人であればあっという間に飢え死にするような状況下でも、木下さんは悠々と暮らしていけるだろうと思う。で、そういうノウハウや技術の数々を、木下さんは研究したり勉強して獲得したのではなく、子供のときからの遊びの一環として、あるいは長じてからの趣味として、会得したわけですな。 だから、もし木下さんが親戚のおじさんか何かだったら、相当面白いだろうなと、私は思うわけ。私だったら、そのおじさんにくっついて、色々なことを教えてもらいたいと思う。それはすごく面白いと思いますよ。 というわけで、この本、確かに若干の臭みはありますが、この手のことにまったく無知な現代人からすると、非常に驚かされるようなことがたーくさん書いてあるという点で、かなり面白い本なのではないかと。その意味で、私は敢えてこの本を教授のおすすめ! にしておこうと思うのであります。これこれ! たったの100円だそうですぞ。 ↓ 【古本】森で暮らそう/木下威【中古】 afb価格:100円(税込、送料別)
August 17, 2014
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今日は実家の庭でバーベQ大会となりました。 わが家は、基本、アウトドアと無関係の一家なので、その中では相対的にアウトドア志向の強い私に白羽の矢が立ち、こういう時は中心的な役割を果たすことに。 というわけで、木炭と着火剤を買ってきて、大分年期の入ってきたバーベQコンロに火をおこし、先ずは網焼きで鶏肉、ソーセージ、ステーキと焼き、アルミホイルに包んだサツマイモ&ジャガイモなども直火で焼きつつ、トウモロコシや野菜なども。そして鉄板部門では、カルビと焼きそばなどを作り、死ぬほど食べました。 こういう時、ステーキの網焼きとか、カルビとか、牛肉系のものを焼くとテンションが上がりますが、実際に食した結果から言うと、案外、鶏のもも肉に軽く塩・こしょうしたものを網で焼いたものの方が評判良かったりするんですよね。やっぱり、鶏肉と炭火の相性がいいのかなあ。 しかし、今日、一番の出来と賞讃されたのは、ホタテ貝のバターソテー。生食用のホタテの貝柱を鉄板で焦げ目がつくまで焼き、そこにバターと醬油をおとして焼きからめた一品。これは絶賛されました。 ま、大勢でわいわい言いながら、火を囲んで、非日常的な調理法の中で食べるというのが、美味しいんですよね。 ということで、今日は食事そのものがイベントという感じで、私も大いに楽しめたのでした。今日も、いい日だ!
August 16, 2014
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今日は一足先に名古屋に戻る家内を送るので、新横浜まで行ってきました。 で、いつもですと町田で昼食、ルミネの上にある「ヴィレッジ・ヴァンガード」でグルメバーガーをパクつく・・・はずなのですが、今日はちょっと趣向を変えまして、前から気になっていた町田駅前の海鮮系レストラン・・・いや、レストランって感じでもないなあ。海鮮食堂? に行ってみることに。 21世紀に入ってもまだ手動のガラス引き戸をガラガラと開けて中に入ると、意外にも奥行きがあり、混雑している中にも適当に空いたテーブルもちらほら。キャパは結構ありそうです。 で、今日は二人ともおすすめの「バラチラシ丼」にお味噌汁をつけて注文してみたのですが・・・ あーーれーーーーっ! おいしいーーーーっ! ヅケにされた色々なお魚(いくらやカニも含む)が入っていて、味にヴァラエティがあり、すごくおいしい。そしてまた海藻入りの味噌汁が絶妙! これで二人で1,800円は安いわ・・・。 メニューを見ると、単品にもおいしそうなものが色々あって、次はアレを食べよう、コレを食べようと、早くも次に来る時のことを考えてしまうほど。ここを選んだのは大正解でした。 それにしてもこの店、年中無休というところまではまだ分かるとして、24時間営業って・・・。じゃあ、1年中、夜中だろうが、早朝だろうが、どの時間に行っても開いているというわけですか・・・。なんか、すごいな。 でも、とにかく、いいお店を発見して大満足。町田近辺にお住まいの方、是非一度お試し下さい。教授のおすすめ!です。
August 15, 2014
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You Tube には時々、感動的な映像がアップされますが、アメリカの兵隊さんが、突然帰宅した時の家族の反応を撮った「感動の再会」シリーズはどれを見ても感動的。 兵隊というのは、家族を残しての単身赴任であるばかりでなく、場合によっては命が危ないこともあるわけで、それだけ一層、残された家族としては心配で仕方がない。そこへひょっこりその兵隊さんが帰ってくるわけですから、その兵隊さんの母親、父親、兄弟、姉妹、奥さん、子供たち、あるいは飼い犬などの喜びようたるや。「あっ!」という驚愕の表情が次の瞬間、号泣に変わるその様は、他人事と見ていても思わずこちらまで涙を誘われます。これこれ! ↓感動の再会 日本で、単身赴任のお父さんが、内緒で家に戻ってきた時、家族はどういう反応をするんでしょうか。「え? 帰ってくるなら前もって言ってよ〜。あんたの分の夕食ないから、そのへんで適当に食べてきて」なんて言われるのがオチだったりして・・・。
August 14, 2014
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夏にはダス、もうすぐデル、と、まるでドイツ語の定冠詞みたいなことを言い続けてきた拙著ですが、今日、実家に「束見本」(つか・みほん)が届きました〜! 「束見本」というのは、中身は全部白紙なんですけど、一応、厚みとか、大きさとか、本が出来上がった時の全体像を把握するために作るモデルです。自動車で言うと、「クレイモデル」みたいな感じ? で、その束見本に、これまたモデル的に作成した表紙と帯が巻いてあるので、見た目はもう実際に市販する時の本そのもの。 だから、束見本見ると、テンション上がる〜!! でまた、手前味噌になってしまいますが、今回も表紙のデザイン、帯の惹句ともに、カッコいいのよ〜! 惹句は、もちろん私ではなく、編集者の方が考えるのですが、その方には詩の才能があるのか、実にセンスよく本の内容を一言でまとめている。素晴らしい! ということで、ここまで仕上がると、もう、市販の日も近いなと。超楽しみ〜。 さて、今日はもうひとつ、祝祭的な日でありまして、というのは、今日は家内の誕生日なのでございます。 ということで、今日のお昼は、両親に鰻を御馳走になりました。 が! 今日伺った店では、一応、「ひつまぶし」を売りにされているようなのですが、食べてみると、名古屋のあの「ひつまぶし」とは似て似つかぬ代物。関東風の鰻をただ茶漬けにしているだけなんですが、それじゃ駄目なのよ〜。ひつまぶしにするには、鰻の調理から「蒸し」の工程は省いて、カリカリ、サクサクに焼き上げなくては! それにタレもただの醬油みたいだったし。まったく、こーんなものを提供して「ひつまぶし」でござい、なんて言わないで欲しい。 それにしても、東京ではこんなものを出して店が経営できるのだから、楽なものですな。名古屋だったら、三日で潰れるわ。 ほんと、食に関してはすっかり名古屋びいきになってしまった東京出身のワタクシ。でも、まじ、名古屋の食のお店のレベルは高い。食は中京にあり、食在中京でございます。 ということで、鰻はイマイチだったけど、まあ、家内の誕生日に免じて許してやろう。とにかく、今日はあれこれ、目出度い日だったのであります。
August 13, 2014
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このところ、コンビニのコーヒーのクオリティが上がっているという話は聞いていましたが、一、二度試して、「そうかあ?」と思っていた私。 しかし、ファミマでアイスカフェラテを買って飲んでみたら、あらま、これ結構おいしいじゃないの!と。ちなみに家内は、フラペチーノみたいなのを注文したのですが、これもまた美味しかった! っていうか、下手な喫茶店よりよっぽど旨いんじゃないの? で、このクオリティで、二人分の料金が430円くらいでしたから、スターバックスやタリーズと比べておよそ半額。コスパも素晴らしい。もちろん、コンビニではゆったりと坐って飲む、ということは出来ませんが、とりあえず喉が渇いた、冷たいコーヒーが飲みたい! という状況であれば、選択肢として充分ありうるなと。 コンビニも進化しますな。 ところでコーヒーといえば、夏休み直前、研究室に居たら、ドイツ人の同僚がやってきて、「釈迦楽先生、すみませんが、コーヒーを淹れてくれませんか? ドイツからお客さんが来ているので・・・」とのこと。私は気軽に、あいよ、と淹れてあげたわけ。 すると、お客さんのドイツ人、私の淹れたコーヒーを飲んで、真顔で「こ、これはうまい!」と。私の同僚も、「そうだろう? 俺の言ったとおりだろう?」と得意顔。 普段、私の淹れるコーヒーを飲んでいるドイツ人の同僚が、実は密かに旨いと思っていたようで、友人のドイツ人にもぜひ飲ませたいと思ったらしいんですな。 なんでも、ドイツのカフェとかで供されるコーヒーは、割と薄めなんだそうですな。だから、私が淹れるような、こってりとコクのあるコーヒーは久しぶりに飲んだそうで。 というわけで、釈迦楽コーヒーは、ついにドイツにまでその名を轟かせることになったのであります。 コンビニもすごいけれど、私もすごい。そのうち、ドイツで喫茶店でも始めようかな!
August 12, 2014
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売れてるみたいですなあ『嫌われる勇気』! ま、別に売れているから、というわけではなく、仕事で必要だったから読んでみたのですが、確かに啓発的な本ではありましたね。「啓発的」というのは、本書がアフルレッド・アドラーの唱導する心理学(あるいは、それの岸見一郎氏による解釈)の入門書として、なかなかよく書けている、という意味で。 哲学とか心理学とか、フロイトとかユングとか、そっち方面に疎い私ではありますが、その疎い私が理解したところによりますと、アドラーという心理学者はフロイトとほぼ同世代であり、もちろんフロイトとも知人関係にあった人。しかし、その説くところは、フロイトの真逆。 フロイトは、一言で言えば「原因論」の立場に立つ。つまり、過去にこれこれ、こういうことがあって、それがトラウマとなってその人の無意識に留まり、その結果、今のような状態になってしまいました、という仮定に立って物事を考える。ですから、「今、あなたが悩んでいるのは、過去のトラウマのせいなのですから、そのトラウマに気づいて、それを取り除けばいい」という考え方ですな。 ところが、アドラーはそうは考えない。アドラーは「原因論」の逆、すなわち「目的論」の立場に立つからであります。 それによると、「今、あなたが悩んでいるのは、悩んでいる方があなたにとって都合がいいとどこかで思っているからだ。そのために、自分が悩んでいるのは、昔、こういうことがあったからだ、と言う風に、昔起こったことに責任転嫁しているのだ」と考える。 子供の頃に、優秀な親から「お前は何をやっても駄目な奴だ!」とか散々言われて、大人になってからも自分に自信がなく、引っ込み思案になってしまった人がいるとする。 この場合、フロイトは、「あなたが引っ込み思案なのは、昔、親に散々自信をなくすようなことを言われたからだ」と解釈するのに対し、アドラーは、「あなたが引っ込み思案なのは、引っ込み思案のふりをして世間と没交渉にすることで、傷付き易い自分を守っているだけだ。そして、その責任を、昔、親に責められたことに帰しているだけだ」と解釈する。 つまり、アドラーの心理学からすると、「過去」というものは意味がないんですな。ある人がある特異な行動をとるのは、その行動が、今、その人にとって何らかのメリット(=目的)があるからだ、と解釈するわけ。だから「目的論」であると。 なるほどね〜。 またもう一つ、アドラー心理学の面白いところは、「世の中の悩みというのは、つまるところ、すべて対人関係の悩みである」と喝破していること。人が傷つくのは、すべて人との関係において傷つくのだと。 で、ではどうして人は対人関係において傷つくかというと、それは自分の課題と他人の課題を区別するのに失敗するからだと。 たとえば、親との関係において、親が子供に期待し、学校でいい成績をとれ、いい大学に行け、いい会社に就職しろ・・・とうるさくいい、子供はそれに応えようとして苦労し、あるいは応えられずに苦労し、結果、親子の関係が悪化する、ということがよくある。 この場合、子供の人生は子供の課題であるのに、その課題に親が介入しようとしたという点で、まず親が間違っているわけですな。他方、子供の側も、親の期待に応えようとした段階で、親の課題を自分の課題のように考えて、一生懸命他人の課題をこなそうとした時点で間違っている。つまり、親も子も、どちらも自分の課題と他人の課題を取り違えたために、両方間違っていた、ということになる。 同じことが、たとえば劣等コンプレックスについても言えます。同世代の優秀な人たちが世間で活躍している中、自分はしょぼい生活をしていて、オレは駄目な人間だ、役に立たない人間だ、オレの人生は無駄だ、と考えることはよくあります。しかし、それは、人間関係を「競争」と捉えているからこその誤りなのであって、その結果、すべてが「勝ち負け」の話になってしまい、ライバルは敵だ、負けた自分を笑う世間は敵だ、ということになって、どんどんマイナスのスパイラルに捉えられて行く。 しかし、自分の人生というのは、自分にだけ与えられた課題なのであって、それをやっている限り、誰と競争しているわけでもないし、傍から何をいわれようと知ったことじゃない、と考えれば、競争社会という考え方自体が消えてしまう。 で、人生は競争ではないし、社会は敵ではない、とした上で、むしろ社会を「仲間」と考え、その仲間に自分が何らかの形で貢献することを目指していけば、そのことによって充足した、幸福な生活が送れるようになる、と。 ま、アドラー心理学が目指すのは、そこですな。個人の幸福ということ。 で、上に述べてきたようなアドラー心理学の何がいいかというと、「世界を(あるいは自分の過去を)変えることは出来ないが、(今の)自分は自分の意志で変えられる」ということをベースに考えている、ということです。また、自分を変えるというのは、自分の世界に対する見方を変えることと同意ですから、必然的に世界の姿が別なものに見えて来る。それはすなわち、世界を変えることだと。 ここに、アドラー心理学が、自己啓発の元祖、と言われる所以があるわけですよ。まず自分が変れと。しかも、今、この瞬間に変れと。その時、世界は、今までとは別な姿を現すだろう、というね。 『嫌われる勇気』という本から私が学んだことは、ざっとそんなところかな。 でも、この本読んだら、アドラーという人の考え方に興味が湧きました。共感するところも多々ありましたね。それにアドラーみたいな考え方ってのは、すごくポジティヴですから、大人が読むより子供に読ませた方がいい。っていうか、自己啓発本は、ことごとく子供に読ませるべきだと思いますな。 ちなみに、本書の欠点というか、イマイチだなと思ったのは、この本が「哲人」と「青年」の対話になっているところで、いや、対話になっているのはいいのですが、「青年」の側の発話がすごくウザイ。それさえなければ、もっと読み易い本になると思うのですけどね。あ、あと、『嫌われる勇気』という本書のタイトルは、必ずしも本書の内容を予想させませんので、もうちょい別なタイトルでも良かったのかなと個人的には思います。 でも、ま、それにも関わらず、アドラー心理学の入門書として、いい本であることは確か。私はおすすめします。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ]価格:1,620円(税込、送料込) ・・・ああ、ワシも何十万部も売れる本、書きたい・・・。
August 11, 2014
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台風11号、各地で大きな被害を出しているようですが、皆様、ご無事ですかな? さて、そんな嵐の日、私は敢えての外出。数駅離れた町にある大きな本屋さん、丸善書店まで気晴らしのお散歩に行ってきました。 その心は、と言いますと、一つにはもちろん新刊書店を覗く楽しみを求めて行ったわけですが、もう一つ、丸善の文房具売り場に行って、パーカーの第5世代筆記具、インジェニュイティを見たかったから。 というのも、今日は父の誕生日なので、もしインジェニュイティが良かったら、プレゼントに買ってあげようかなと。父は万年筆などの筆記具が好きですからね。 で、インジェニュイティの実物を見たのですが、確かに書き味は異次元。独特のコクのある滑らかさで、従来の筆記具とは一線を画す感じ。 しかし! 惜しむらくは、軸が太い! そして、全体的に重量が重い! 私は手が大きく、かつ手の力が強いのですが、その私にすら太く、重く感じられるのですから、八十路の父にはそれこそ荷が重いでしょう。 ということで、今回は残念ながら見送ることに。父には、別なものを贈ることにいたしましょう。 でも、あの書き味はちょっと面白いので、もう少し軸の細いものが出たら、自分用に買ってもいいかな!これこれ! ↓【レビュー宣言でプレゼント】【楽天最安値に挑戦】【高級ボールペン】★パーカー PARKER 5th(...価格:11,230円(税込、送料別)
August 10, 2014
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内田樹さんの『修業論』を読んだので、一言。 内田樹さんは、大学の研究者でもあり、合気道の求道者でもあり、という点で私と似た志向の人のようなところもあるのですが、ここ10年ほどの爆発的な執筆活動はすごいですな。年間、何冊本を出すのだろう? ブログを見ていても、一回の文章が長い、長い。ま、よそで書いたものをブログに再録したりもしておられるようですが。もう、ある意味、神がかってしまって、「○○というテーマについて書いて下さい」と頼まれれば、それがどんなテーマであろうと、たちどころに新書本の一章分くらいのものは書けてしまうのだろうなと思わされるほど、すごい筆力を発揮されている模様。 で、本書『修業論』も、色々な雑誌やら企画から頼まれて書いた文章を寄せ集めたもののようですが、内田さんに文章を頼んだ人が期待しているだろう、その何倍もの風力でもって、「そーら! 書けたぞっ!!」と、原稿をバーン!と届けました的な、とにかく、勢いのある本です。 で、内田さんの書いた本を読む度に、私は文面から吹き荒れるその風力に圧倒されてしまって、私はこの人の言っていることに賛同しているのだろうか、それともいないのだろうか、それすら分からなくなるという。 本書は、冒頭に「なぜ自分は合気道を始めたのか」的なことが書いてあって、入門の動機としては、喧嘩に強くなりたい、暴力によっては屈しない自分でありたい、ということだったのだけど、そのうちに「無敵」であるとはどういうことか、ということを考え始め、結局、自分が生きることを阻害するものの中でいかにサバイバルするかっちゅーことを自分は追求しているのだ、ということに開眼して今日に至る、みたいなことが書いてある。 で、その方策の一つとして内田さんは合気道を選択したわけだけれども、武道はスポーツと違って上達を数値で計ることはしない、ってな話になっていくんですな。数値で計れる進歩というのは、要するに最初からゴールが分かっているものだと。たとえば100メートルを12秒で走る人が、筋肉を鍛え、何を鍛え、11秒で走れるようになったとすると、彼は「100メートルを11秒で走りたい」というゴールに向って頑張った、ということになる。 しかし、合気道(武道)はそうではないと。武道の修業は、別に目標をもってやっているわけではなく、その目標達成のために自ずと作られる明確なプログラムがあるわけでもない。ただ、修業を続けて何年も経ってから、当初思いもしなかったような境地に到達して、到達した後から、「ああ、自分は修業の結果、こういうところに着いたんだ〜」と気づく、そんな合理的な説明のつかないことを、自分はやっているんだと。 ま、ここが内田さんの修業論のポイントでしょうな。この場合、修業というのは、武道のみならず、学問についても、他のなんについても当てはまる話で。 落語なんかでも、内弟子になると、師匠の鞄持ちとか、家の掃除とかばかりやらされて、外弟子のように落語を勉強として教えてはもらえない。だけど、本当に落語を極められるのは、外弟子ではなく、内弟子の方だと。修業って、そういうもんじゃないの、と。 ま、そうかもね。 だけど、そういうことをものすごい風力で言うので、なんか読んでて疲れるわ〜。 それでも、一つ、この本を読んでいて面白かったのは、司馬遼太郎のことを書いた章。 司馬遼太郎は、坂本龍馬のこととかあれこれ書いているわけですが、龍馬が剣の達人であることをいいつつ、では龍馬がどのような剣の稽古をしたのか、ということにはほとんど触れない、というのです。龍馬だけでなく、司馬の本で、武道の稽古、武道の修業の話はほとんど出て来ない。大概、「若い時から天才だった」で済ますか、「どこどこ道場で急速に腕を上げた」の一行で済ますか。 で、内田さんのように、自ら合気道の修業を40年も続けている人の目からみると、それが不思議で仕方がないと。武道の腕って、そんなに簡単に上がるものではないはずだし、龍馬だって、相当な時間をかけて修業したはずなのに、なぜそれを書かないのか。 で、内田さんは、それは司馬遼太郎が第二次大戦の時に兵隊を経験し、その不合理さを骨の髄まで味わって、世の不合理というものを心の底から憎悪していたからだろう、と考えるわけ。 だから、剣の修業のような、不合理極まりないものを書くことがついに出来なかったのだろうと。 またそういう風に修業というものを忌避していたために、武道の修業者が到達したであろう境地、すなわち、自分を阻害するものの中でサバイバルする術(つまりは、政治術)の獲得、ということには思い至らなかったのだろうと。 だから、龍馬が剣の達人であり、同時に、天才政治家であったことを、司馬遼太郎は理解できなかったと。彼は、「龍馬は、剣の達人としてデビューしたけれども、後にはそのことをむしろ邪魔にしたのだ」という風にしか理解できなかった。だけど、内田さんは、龍馬は、剣の達人であったからこそ、天才政治家になれたのだ、と思っている。そこが、自分の解釈する龍馬と、司馬遼太郎の解釈する龍馬の違いだ、ってなことを言うわけ。 この部分は、別に龍馬ファンでも、司馬ファンでもなんでもない私ですら、結構面白く読めましたね。 ということで、強力な風速にあおられて、いつもながらの内田節にいささか当てられた気配こそあれ、まあ、面白く読めた本ではありました。そっち方面に興味のある方には、一応、おすすめ、と言っておきましょうかね。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】修業論 [ 内田樹 ]価格:821円(税込、送料込)
August 9, 2014
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加齢のためか、この数年で髪の毛の質が変わり、髪の毛がうねるというのか、ポワポワになってしまって、まとまりのない髪になってしまいまして。 で、ヘアクリームなどを使ってケアしているのですけど、それでもパッサパサでポワポワの状態は改善せず・・・。もう、これは元のようには戻らないのかなと絶望しかけていたワタクシ。 ところが! 最近、「髪のゆがみを整え、扱いやすい素直な髪へと導きます」的なうたい文句のシャンプーが出たではないですか! そう「ひまわりオイル配合」的な! で、シャンプーに関しては浮気性のワタクシ、これぞ私の求めていたものではないのか!と、いささか興奮しながら買いましたよ。で、早速使ってみたと。 すると・・・ あら? あらら? あららら? ・・・いいんじゃないの、コレ? ノンシリコンとはいいながら、泡立ちもよく、泡もずっしりと重く、すすいだ後もキシキシせず、むしろ髪の毛がたっぷりとオイルを吸い込んだような感じ。そんなですから、決して泡切れはよくないのですけど、シャンプーだけで、コンディショニングまでしたような、しっとり感もある。 で、問題は翌朝なわけですが、これがね、なんだかとってもいいのよ。 使い始めてまだ3日、というところですけど、早くも髪の毛が素直になったような感じで、以前ほどのパッサパサ感、髪のうねり感が減少したような。このまま使いつづけたら、元のようなまっすぐの髪に戻るのでは?! ということで、俄然、このシャンプーが気に入った私。しばらくはこれを使っていこうと決意。同年代のご同輩で、髪質に悩む御人がいらっしゃいましたら、ディアボーテ、教授のおすすめ!でございます。 これこれ! ↓髪のゆがみを整え、扱いやすい素直な髪へと導きます。ディアボーテ HIMAWARI(ひまわり) オ...価格:972円(税込、送料別) さてさて、そろそろ大学の仕事も一段落、今日から私も実家に帰省する予定でございます。ということで、これからしばらくは東京からのお気楽日記。お楽しみに~!
August 7, 2014
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皆さん、アレ、もう食べました? 今話題の・・・ ミスドの・・・ と言えば、事情通はもうお分かりですね? そう、「コットン・スノー・キャンディ」! 実は、食べてきちゃったんですよね~。 夕食後、おもむろに近所のミスドに行って、デザート代わりに食べたわけですけれども・・・ うまーーい!! これ、うまいわ! かき氷というわけではなく、かといってアイスクリームというわけでもなく、ほんとうに雪のような、独特のふわっとした食感、そして優しいミルク系の甘さがたまらん! ミスド、久々のヒットちゃうのん? 私が食べたのはストロベリーの奴、家内はマンゴーを食したわけですが、どちらもグッド・・・なんですが、どちらのソースも結構甘いので、ソースの味が勝ってしまい、コットン・スノー・キャンディ自体の味が分らなくなってしまうのが玉に瑕。フルーツ・ソース系だったら、むしろソースはなくてもいいくらいかな。 で、本当は抹茶味の奴が食べたかったのですが、生憎、売り切れ。何しろ、既に日本全国で100万杯が売れているほどの人気だそうですから、一番人気の抹茶味は夜には売り切れてしまうのでしょう。 ああ、次は絶対、抹茶味食べよう! 早目に行って! ということで、ミスドのコットン・スノー・キャンディ、この夏、教授の熱烈おすすめ!です。
August 7, 2014
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今WOWOWで「ジョン・キューザック祭り」ってのをやっていて、ジョン・キューザックが出演している映画をジャンジャン放映しておるのですが、そんな中、昨夜、『コレクター』なる映画をやっていたので、つい、見てしまったというね。 まあ、結果から言うと、大失敗よ。 以下、ネタバレ注意ですけど、これ、一応「サイコ・サスペンス」ってことになっているのだけど、ニューヨークのバッファローという町で、冬になると娼婦が行方不明になる、という事件が7件くらい連続するんですな。で、主人公の刑事マイク(キューザック)は、行方不明になっても誰からも捜索願いが出ない可哀想な娼婦たちに肩入れして、この事件の犯人逮捕に情熱を傾けていると。 が、仕事熱心の余り家庭を顧みないのか、現在17歳で反抗期真っ盛り、しかも年上のボーイフレンドと別れるの何のと情緒不安定の娘にてこずっている。 そんな中、またぞろ母親と口論の結果、家を飛び出したこの娘が、ボーイフレンドとも喧嘩して雪の降る街でふてくされているうちに、まさに父親が探している「娼婦誘拐犯」に娼婦と間違えられて誘拐されてしまうんですな。 で、自分が逮捕にやっきになっているその犯人に、娘をさらわれて、マイクは半狂乱で犯人逮捕に血道をあげると。 ところで、その犯人ですが、映画の出だしではものすごい残虐なシリアル・キラーなのかと思いきや、実は赤ちゃん好きの変態で、娼婦をさらっては自宅地下室に閉じこめ、自分の子供を生ませて育てているという、イクメンだったと。 で、あれやこれやあって、マイクはこの変態イクメンの家を突き止め、現場に急行! さて、マイクは変態イクメンをつかまえて、無事、娘を救出できるのか!? ってお話。 で、この映画に対する私の評点はと言いますと・・・ 「8点」でーす! 100点満点の! 当然、不合格! 見る価値なし! キューザックも、自分が出る映画くらい厳選しろよ~。 この映画、何ががっかりって、映画のオチがものすごくがっかり。まあ、それは見てのお楽しみ(これを敢えて見たいと思う人がいるとして)ですけど、ここまで引っ張って、こんなアンチ・クライマックスはないだろう、って感じです。 それに大体、赤ちゃん好きのイクメンが犯人って! どんなおそろしい、どんなおぞましい犯人なのかと思ったら、赤ちゃん大好きって! とにかく、まったく見るも無残な駄作映画なので、評点は「0点」にしても良かったのですが、「まだ連続娼婦誘拐犯に捕まったとは限らないだろ」と周囲からなぐさめられたマイクが、「捜索願の文言を良く見ろ! ちゃらい髪型、ミニスカート、厚化粧・・・どう見たって娼婦の恰好だろう!」ってぶち切れるところが面白かった(お前、自分の娘だろ・・・)のと、夜も眠らず必死に娘の捜索をしているマイクに向かって同僚が「あなた、疲れているのよ。しばらく休暇をとったら・・・」ってアドバイスするのが面白かった(娘を誘拐されて、休暇をとる父親の刑事がどこにいるんだよ!)ので、このお笑いポイントが各4点で8点でございます。 それにしても、この映画もそうなんだけど、仕事熱心で家庭を顧みず、結果不良になった娘が誘拐され、それを必死で救出する過程で、こじれていた父-娘の信頼関係が復活する、っていう映画、多すぎない? リーアム・二―サムの『96時間』もそうだし、『ダイ・ハード4』もそうだし、他にもやたらにある。 私にはそれが解せないんだなあ。そんなに大事な愛娘なら、さらわれるまえにもっと大事にしとけって話じゃないの? マイクにしたって、日頃は娼婦みたいな恰好をしている娘を母親にまかせっぱなしなんですから。どうかしているよね。 父親たるもの、大事に至るまえに、日頃から娘を可愛がりつつ、ちゃんと躾けておけと。 ・・・あ! これって、最近話題の「あの」父娘にも当てはまるかも! とすると、こういうのって、意外にリアリティあるのかな・・・?
August 6, 2014
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いやはや、今日は昼前から渦中の方の自殺というニュースが飛び込んできて、ビックリですなあ。 しかし、渦中といっても、渦中の真ん中には別な女の子がいるわけだし、どうしてあなたが? という感じ。しかも、もうこの話もとっくに新鮮味が失せて、今は解剖女子に世間は戦慄しているのであって、もうちょっとしたら「そういえば、そんなこともありましたっけねえ」となるところなのに。 亡くなった方が、ほぼ私と同年代ということもあって、なんかね、解せないんだなあ。 もったいないよね。せっかくの才能が。 大体、あなたは何を研究していたのよ。STAPでしょう。STAPって何? 「Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency」の略じゃないの。「人に叩かれて、そのことで一層の強さと能力を獲得する」ってことなんじゃないの? それにしても、最近のこの方は、同僚と話をしても要領を得ないほどだったそうですが、周りの人はどう思っていたのでしょうかね。「あれ、この人、ちょっとヤバいんじゃないの?」と思って、積極的におせっかいを焼くとか、そういう友人とか同僚はいなかったのかしら? ハワイ行きのチケットとかいきなり渡して、「しばらく向こうで『ホ・オポノポノ』でも体験してこい!」とか、無理やりにでも背中を押してやる人とか。 思い返してみて、私の直接の知り合いで自殺した人って、いないなあ。知人レベルだと二人いるけど。知人レベルだと、さすがにそこまでのおせっかいは焼けないし、そもそもSOSのサインを見逃すでしょうけどね。 他方、自分自身に関して言うと、自分で言うのもなんですが、私ほど自殺に縁遠い人間はいないな。もちろん、何かに大失敗して落ち込んだ経験もなくはないけど、二日目くらいには「ウソッ?!」っていうくらい完璧にたち直る。馬鹿だから、失敗したこと自体、すぐ忘れるんだよな~。わははは! 自分がそんなだから、自殺しちゃう人みると、おいおい、って思うんですよね。そんなことする前に、釈迦楽先生ンとこに相談に来いよ、と。圧倒的な楽観パワーで、こんなことで悩んでいてもバカらしいな、って思わせてあげるのにぃ。 というわけで、他人事ながら、解せない思いを抱かされてしまった今日の私なのでした、とさ。でも、とにかくご冥福をお祈りします。
August 5, 2014
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先日、長浜の方にドライブした折、黒壁スクエアにある某雑貨店で琺瑯(ホーロー)製のスプーンが売っていて、これが可愛らしいデザインの上に安かったので、面白半分で買ってみたのですが、実際に使ってみると、これがなかなかの優れモノでありまして。 なにが優れているかと申しますと、ズバリ、口当たりです。 たまに木のスプーンや陶器製のスプーンを使ったりはしますが、たいていは金属製のスプーンで暮らしてきた私にとって、琺瑯製のスプーンの異次元の柔らかさ、なめらかさは、この歳にして始めて経験する日常感覚上の革命とも言うべきもので、それこそビックリものでございます。 おそらく琺瑯の熱伝導の良さゆえ、スプーンを口に入れた途端、体温と同化するんじゃないですかね。それがガラス特有のなめらかさと相まって、身体と一体化したような快さがあるわけ。 ということで、今、我が家では、朝食のシリアルを食べる時とか、食後のアイスクリームを食べる時など、主としてこの琺瑯製のスプーンを使って、スプーン自体の食感(?)を愛でているのでございます。 というわけで、琺瑯製スプーンの心地よさをまだ体験なさっていない方、是非一度お試しあれ。多分、「口福」を感じると思いますよ!こんな感じ! ↓■ポイント10倍あたたかみのある食卓でいただきます。【ポイント最大24倍+α】職人さんの琺瑯 ...価格:540円(税込、送料別) それにしても「琺瑯」って漢字、普段、自分では使わないなあ! 字としては「蟷螂」にちょっと似てますね。
August 4, 2014
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今朝の某新聞に二千円札の話題が結構大きく取り上げられておりまして。 それによりますと、自動販売機の多くで使えないなど、二千円札はその使い難さゆえに各所で嫌われており、今やその発行枚数は五百円札の半分程度でしかないとのこと。五百円札自体、最近ではほとんど見かけませんから、そのさらに半分となると、もう希少品扱いですな。 で、新聞の論調では、安易に新札を発行した政府の見通しの甘さを批判する、というものだったのですが・・・。 しかーし! 私は私で、独自の意見を言わせてもらおう。 「我が国の二千円札ほど美しい紙幣は、世界のどこにもないっ!!」 はあ~、言ってやったぜ! すっきりした! でも、実際、そうだと思わない? 守礼門もいいし、源氏物語もいいし、紙幣全体の色調のトーンも華やかで、すっごいステキ。私なんか、一枚、保存用にしていて、大切にとっているくらいだもんね。天下の回りモノの割に、全然回ってこないもので。 逆に! 私が嫌いなのは五千円札だっ! なんか、あの紫色っぽい全体のトーンも貧乏くさいし、白目のない狐顔の女、あれ誰だっけ? 樋口一葉か。あれもなんかお札の柄になるには、ちょっとパッとしなくない? 貧しさのうちに、24歳くらいで結核で死んじゃった人だし。財布の中に五千円札があると、なんか苦労がうつりそうで、さっさと崩しちゃうの。 同じ女性文学系から代表を出すなら、やっぱ樋口一葉より紫式部(源氏物語)でしょう。王朝文学っぽくて、雅やわ~。 そこで釈迦楽教授の提案だ。 二千円札を抹殺するのは良いとしよう。その代り、二千円札のあの美しいデザイン、あれをそっくりそのまま、現行の五千円札のデザインと取り換える。 それでどうだっ! ま、私がどうだといっても、どうにもならないかも知れませんが、二千円札の美しいデザインをむざむざ放置プレイするのは、どうかなと思うんですよね~。みんな、そう思わない?
August 3, 2014
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トム・クルーズ映画、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を見ましたので、若干の心覚えを。以下、ネタバレ注意ということで。 例によってまた地球が異星人からの侵略を受け、地球側もモビルスーツ的な新型の武器をもって反撃に出ようというところなのですが、そんな中、軍の広報関係の将校として現地に赴いたケイジ(トム・クルーズ)は、色々あって、実戦経験が無いにも関わらずその一番過酷な上陸作戦に参加させられることになってしまうんですな。 で、当然のことながら、最初の攻撃で死んでしまう。 が! その時、偶然敵の異星人の返り血を浴びたことで、タイムループに巻き込まれ、戦闘で死ぬ度に、その戦闘に参加させられるところから実際の戦闘までの時間を何度でも繰り返す、という体質になってしまうわけ。 で、同じことを何度も繰り返すわけですから、その都度、少しずつ賢くなり、ある程度、生き延びる術を身につけていく。 とはいえ、敵も強いので、なかなか上陸時の戦闘の場面より先に進めないんです。 ところが、実は彼の他にもう一人、特殊部隊の女性隊員のリタという人物が、やはりタイムループを繰返していることが分かる。で、リタと話すうちに、なぜ自分がタイムループに巻き込まれたのか、そして敵の本体というのがどこにいるのか、事態の真相が分かってくる。 で、とにかく敵に打ち勝つためには、見かけ上の敵の兵士である「ミミック」との戦闘を突破して、敵の本体を破壊しなければならないということになり、そこからさらに何度も戦闘での死をくりかえしながら、少しずつ敵の本丸へ乗り込む術を獲得していく。 さて、ダメダメだった将校ケイジは、死をくりかえしながら少しずつ成長し、敵を倒して地球を救えるのでしょうか?! ・・・という話。 あ、言っておきますが、もちろん彼は地球を救います。そりゃ、トム・クルーズですから! 今まで彼が地球を救わなかったこと、ある? で、この映画にたいする私の批評点はと言いますと・・・ 「72点」でーす! 合格。 やっぱり、何度も死にながら少しずつ成長する、という状況、これは今までにない発想ですよね! 我々が実生活上で楽しんでいるRPGなどの状況では、自分が敵にやられる、というヴァーチャルな体験をしているわけですが、それを映画の筋書きに応用する、という発想は、なかなか面白いのではないかと。その点で、従来からあるタイムループ映画の中でも、異色の作品ですな。 ま、その点をはずすと、いつものようにトム君が敵の本丸まで辿り着いて、見事、敵に一撃してくれるだけのことですから、「あー、また例の奴ね」で済んでしまうのですけど、そこまでの道のりが面白いので、まあいいかなと。 とにかく、トム・クルーズが出る映画は、やっぱりそれなりに見せますよ。私はトム・クルーズの出る映画見て「金返せ」と思ったことがない。お金を払った分は絶対に楽しませるというショーマンシップが、トムの血液の中には確実に流れております。その点、ジョニー・デップやブラッド・ピットとは違います。 というわけで、そこそこ楽しめる映画として、一応、おすすめです。見逃した方はいずれ出るDVDで! そうそう、一つ、不満点を言い忘れた。 敵の兵隊「ミミック」の動きが早すぎて、何が何だかわからない。老眼の客もいることですので、もうちょいゆっくり動く敵にしてほしかった!
August 2, 2014
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このところ、水野敬也さんの書いた『夢をかなえるゾウ』という本を読んでいるのですが、これがね、結構面白いんだなあ。もっともこの本はベストセラーですから、私に言われなくても、世間ではとっくの昔に話題になっている本なのでしょうが。 これ、自己啓発本なのですが、主人公は「自分を変えたい」「人生変えたい」と思うだけの向上心はありつつ、行動を起しても長続きせず、結局、元の生活に戻ってしまう男。そんな男のもとにガネーシャというゾウみたいな神さまがやってきて、自分と人生を変える手伝いをしてくれる、というのがこの本の大筋。 で、関西弁を操る妙な神さまであるガネーシャが、この男に一つずつ課題を与えるわけ。 で、その課題というのが、何て言うこともない課題で、例えば「靴を磨く」とか、「コンビニで釣銭を寄付する」とか、「腹八分目で済ます」とか、「トイレを掃除する」とか、「まっすぐ帰宅する」とか、まあ、やろうと思えば誰でもできることばかり。 だけど、その課題にはひとつずつちゃんと意味があって、それをこなすことで、実際にこの男はすこしずつ変わって行くわけよ。 その辺、ガネーシャのキャラの面白さも含め、読者を笑わせながら、蒙を啓いていくところがあって、実に面白い。 で、このところ自己啓発本を読み漁っている私だからこそ、著者の水野氏もまた既存の自己啓発本をよく読んでいて、読むだけじゃなく分析もして、そのエッセンスを取り出して、それをうまいこと焼き直してこの本の中に取り入れていることもよく判る。それは、なかなかの腕ですよ。 物語風の自己啓発本というのは、例えばオグ・マンディーノの諸作品とか、『チーズはどこへ消えた』とか、色々読みましたけど、それらと比べても『夢をかなえるゾウ』は出色の出来。 ということで、まだ最後まで読んでいないのですけど、寝しなの読物としては相当楽しめます。この本、別に自己啓発本マニアでなくても、教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】夢をかなえるゾウ文庫版 [ 水野敬也 ]価格:700円(税込、送料込)
August 1, 2014
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