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拙著の書評がちょこちょこと出始めました。 今日発覚したのは、週刊新潮の最新号。まあ、これはいいでしょう。 しかし、超驚いたのは、『日刊ゲンダイ』の28日号に書評が掲載されたこと。 出版社に指摘されて、コンビニでこの新聞を買ってみてびっくりしたのですが、この日刊紙、相当・・・その、なんと言いますか、色っぽい新聞というのか、そういう方面の記事満載の新聞だったという・・・。 この新聞買う人って、拙著買ってくれるのかなあ!? 読者層、合ってる?? ・・・と思っていたら、『日刊ゲンダイ』って、かつてあの名書評家「狐」こと山村修さんが書評を載せていた有名なメディアなんですね! ひゃー、ということは、この新聞に書評してもらったのはむちゃくちゃ名誉なことじゃん。 しかも載った書評はすごく好意的なもので、めちゃくちゃありがたいです。ビバ、日刊ゲンダイ! さてさて、無事、鼎談も終了したし、某新聞社に頼まれたエッセイも書きあげてOKもらえたし、大学のハードな仕事もこなしたし、ここんところ大分頑張ったんじゃないの、わし? ということで、週末はちょいと骨休みに温泉にでも行って参りまーす。今日もいい日だ~!
November 27, 2014
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ひゃー、一日ブログさぼっちゃった! でも、昨夜は終電で帰宅したので、さすがに仕方が無かったのよ・・・。 で、初めて体験した鼎談ですが、なるほど、こういう感じか、というのが分かって実に面白かったです。 鼎談ってくらいですから、私と坪内祐三さんと某出版社の方と、三人で向き合うように坐り、レコーダーがセッティングされ、司会の方から「後はお好きに」という感じでバトンを渡されたので、まあ、とりあえず「初めて出会った文庫」的な話題で坪内さんから語り始め、あとは流れに委せて1時間半くらいしゃべりましたかね。もっともしゃべる方はただしゃべっていればいいのですから楽ですけど、後でテープ起こしをし、話の流れを整理しながら文章にまとめる作業は大変だろうなと。 でも、とにかく、坪内さんからは作家や編集者などの内幕を聞けたし、出版社の方からは出版社の内幕を聞けたりして、私としては「へえ〜!」と思うことも多く、すごく面白かったです。 で、鼎談が済んだあと、食事が出て、それで8時頃解散、となったのですが、坪内さんがこれから行きつけのバーに飲みに行く、とおっしゃるので、あー、じゃあ僕も連れてって下さーい、的なノリで、神保町から新宿へ、文壇バー2件ハシゴというね。 私、基本的に外では飲まない質なので、バーなんてものには無縁。ということで、バーに行く、ということ自体が私にとっては勉強なんですな。なるほど、バーというのはこういうものかと。 で、バーというものの実態を瞬間吸収しながら、坪内さんに対して質問攻め。どういう経緯で大学院から編集者、編集者から物書きになっていったのか、今、何本くらい連載を持っていらっしゃるのか、多くの連載をこなすコツ、どのように執筆されているのか(ちなみに坪内さんは、パソコンではなく、原稿用紙に200円くらいの万年筆で書くとのこと)、福田恆存さんや常盤新平さん、山口昌男さんらとの交流というのはどうして始まったのか、最近作られた映画のこと、その撮影秘話、相撲やプロレスの話、などなどなどなど、およそ思いつくかぎりのことを聞いてしまった。坪内さんはそれらに全部答えてくれましたからね。 だから、ある意味では、鼎談よりバー談の方が面白かったかも。 っと、まあ、そんな感じで、昨日は初めてづくしの体験で、私としてはめちゃくちゃ面白かった。大体、終電を気にしながらの帰宅なんてのも、二十年ぶりくらいじゃないだろうか。それも久々すぎて新鮮でしたし。 だけど、初めてバーというものを体験してみて思ったのですが、バーというのは、カフェ経営より楽なんじゃないかなあ。 カフェの場合、淹れるコーヒーの質というものが問われるけれど、バーの場合、酒の味は誰が注いでも変らないからねえ。ベテランであろうが、昨日入った新人だろうが。それに、コーヒーなんてそんなに何杯も飲めないけれど、酒は飲む人は何杯でも飲むので、客単価は比較にならない。レストランだと料理が重要なので、腕のいいシェフを雇えるかどうかが問題ですが、バーは料理なんか出さないですからね。 となると、後は美人で知的で気がきき、聞き上手で受け上手、というようなキャラクターを一人、見つければ良いということになる。あるいは、逆に物静かでジェントルマンな老バーテンダーとか。両方いれば最強だ。 うーん、大学辞めて、バーでも開こうかなあ・・・。バーなら、夜だけあけてりゃいいんだし。昼間は勉強できる。私の場合、嫌な客が来たら、柔術でたたき出せばいいので、用心棒も要らないしな。 よしっ! これで老後のプランも立った。 ということで、昨夜は実に実に有意義な一夜だったのであります。
November 26, 2014
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ひゃー、東京の実家に到着〜! 三連休の最終日だし、名古屋からは上りになるので、夕方に到着するつもりで家を出ると、大渋滞に巻き込まれるのではないかと怖れ、今日は午前中から家を飛び出しちゃった。で、足柄あたりから混み始め、海老名あたりで若干の渋滞に捕まったけれど、まあ、そこそこ順調に4時頃到着した次第。 夏休み以来、久々の帰省でしたが、家は特に変ったこともなく、一安心。両親も大分年を取ってきたので、無事であるだけでもう神様に感謝ですよ。 さて、今回の帰省の一番の目的は明日の鼎談なんですけど、お題は「文庫本の魅力」ということで、今、自分なりに想定問答を考えたりして過ごしております。 例えば、「最初に読んだ文庫本は何か?」とかね。 「一番、印象に残っている文庫本は?」とか。 「この文庫本を(古本屋とかで)見つけた時は嬉しかった!」とか。 「文庫で出たがために読んだ作家/文庫が似合う作家は誰か」とか。 「どうして文庫がでないんだ! 文庫化してほしい作家は誰か」とか。 「人は(自分は)何故文庫を買うのか?」とか。 「文庫のメリットとは何か?」とか。 ま、この辺のことを三人でわいわい話したら、1時間くらいあっという間に経つよね。 でも、「自分にとって文庫本とは何か?」と問われたら、なんて答えるかなあ。あまり当たり前に身近にあり過ぎて、あらためて考えると、ひょいっとは答えが出ませんな。でも、今日、教壇に立つような仕事をしていられるのも、子供の時から読んできた無数の文庫本のおかげであることは確かですから、ありがたいものであることは間違いない。 まあ、あまり準備しすぎると、ライブ感が無くなってしまうので、はっきりした答えは出さずに、明日の本番一発にかけるグレーゾーンを、残しておきましょうかね。
November 24, 2014
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連休、皆さんはいかがお過ごしですかな? 当方、1400字のエッセイを頼まれていて、その締切が26日なので、そろそろ仕上げないとまずい状況。しかも、明後日25日に坪内祐三さんらとの鼎談があるので、明日は実家に帰ることに。とまあ、せっかくの連休も落ち着かない気分で過しております。 っていうか、もう9月半ばにイギリス滞在から戻って以来、ほとんどノンストップで忙しかったんだよなあ! 特に大学での雑務が酷くて、ずーっとちょこまか仕事をさせられていた感じ。 とはいえ、大学の雑務はほぼ終了、懸案のエッセイと鼎談が今週で片付くとあって、せめて来週末くらいは遊ぼうかなと。 ということで、急遽、旅行の計画ですよ。 で、あれこれ考えた挙句、昨年のちょうど今頃、日本海側を旅したのがすごく印象的だったので、もう一回、その辺に行ってやろうかなと。 ということで、和倉温泉の方に宿をとっちゃった! 和倉温泉はねえ、泉質がすごくパワフルで、ほんと、体の芯からあったまるんだよなあ。 でまた、日本海の魚は旨い! 太平洋側とはまるで違う! ってなわけで、来週末は楽しいことになるぞ! と、鼻先に人参をぶら下げたところで、さてさて、これからエッセイの仕上げに取り掛かりますか。頑張るぞー!
November 23, 2014
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締切が数日後に迫り、さすがにお尻に火がついて、新聞用のエッセイを書いていて、まあ、一応完成はしたのですけど、今一つ気に入らず。別な話題に書きなおそうかなあ・・・などと。 しかし、「今日出来ることは、明日に延ばす」がモットーの私。煮詰まった時は休むに限る、とばかり、今日はお茶をして寝ようかと。 で、いつもですと、紅茶を飲むのですけど、今日は趣向を変えて甘酒にすることに。 で、取り出だしましたるは、森永の甘酒。これがね、旨いのよ。これこれ! ↓冷たい水でもおいしく作れます!森永 甘酒 パック 4袋入り 251円価格:271円(税込、送料別) 森永の甘酒には粉末タイプのもあるのですが、それはワタクシ的には「ノー、ノ、ノー」でございまして、やっぱり選ぶべきはこのフリーズドライ・タイプのもの。コップにポンと入れ、あとはお湯を注ぐだけで、ばっちりいい感じの甘酒に変身! でまた、すっきりした甘さで旨いんだ。 ということで、こいつを飲んでほっこりしたところで、さて、風呂でも入って寝ることにします。原稿? 明日、明日!
November 22, 2014
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デンゼル・ワシントン主演の痛快活劇『イコライザー』を観ました! 以下、ネタバレということで。 デンジーが演じるマッコールは、元スゴ腕CIAエージェントなのですが、色々人の恨みも買う立場ゆえ、事故で死んだと見せかけて、今はホームセンターの店員として平凡な日々を過ごしている。 とはいえ、奥さんを亡くして以来、彼は眠れなくなり、夜は行きつけの深夜営業のダイナーでお茶など飲みながら、奥さんが残していった沢山の文学作品を一冊一冊読んで過ごすという日々。 で、そんな深夜のダイナーで、客待ちの若い娼婦と、たまに言葉を交わす程度の仲になるんですな。向こうも荒んだ生活の中で、マッコールとの一言二言の会話が、心のオアシスになっているようなところもあって。 ところが、ある時、この娼婦が、ポン引きにめった打ちされ、病院送りになってしまう。 で、それを知ったマッコールは、当然、彼女を救おうと、ポン引きに話を付けに行くのですが、話が通じる相手ではない。 で、仕方なく、7人ほど居たポン引き連中を秒殺。証拠一つ残さず引き上げると。 ところがそのマフィアが、ロシアン・マフィアの出先機関みたいなものだったので、ことはかなり厄介になってくる。ロシアから出張ってきた、これまたスゴ腕マフィアさんがやっきになって7人を殺した奴を探しにかかり、どうやらマッコールだ、ということが判明。 さてさて、復讐を誓って意気上がるロシアン・マフィアの怖いおじさん・おにいさんたちを相手に、たった一人のマッコールはどうなってしまうのでしょうか?! みたいな話。 で、この映画に対する私の評価は・・・ 「75点」でーす! 合格! まあ、私はデンゼル・ワシントンには点が甘い、ということをお含みおきの上、ですけど、すごくシンプルな勧善懲悪もので、ストーリー上の複雑な味わいというものはない代りに、めちゃくちゃ強い正義の味方が、悪い奴をみーんなやっつけちゃうという爽快感がある。要するに「ハリウッド版必殺仕置き人」ですよ。あるいは、「デンゼル・ワシントン版スティーヴン・セガール映画」というか。もしこの映画が受けたら、この調子のまんま、「イコライザー2」「イコライザ―3」「イコライザー4」・・・と際限なく続けていけそう。実際、「2」は出るらしいですけどね。 ということで、理不尽な悪には鉄槌を! とお考えの皆様には教授のおすすめ! と言っておきましょう。 ちなみに、レイトショーであまり人も入っていませんでしたが、数少ない観客の中に私より年輩と思われるサラリーマン風のおじさんがいましてね。 なんか、そういうおじさんが一人でこういう映画を見ているのを見かけると、「昼間、会社で嫌なこと、あった? 理不尽な上司に怒られたりした?」とか、声をかけたくなってしまいますなあ・・・。
November 21, 2014
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マツダが新型の小型SUVとして「CX-3」というクルマを来春あたり発売するらしいのですが、これがなかなかカッコいい!これこれ! ↓マツダCX-3 今年「カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したデミオをベースにSUV化したのでしょうが、人気のCX-5だと少し大きすぎて取り回しに苦労するのでは、と考えていた潜在的なSUV顧客を取り込めるのではないかと。 っていうか、私自身、ちょっとコレ欲しいかも・・・。マツダ車乗ったことないし、生涯に一度くらい、このメーカーのクルマに乗ってもいいかなと思っているところもありますしね。 ちなみに、私の今後のカーライフの中で、「一度乗ってみたいクルマ」の条件というのが幾つかありまして。それは、具体的には何かと言いますと・・・○ターボ車に乗ってみたい。○四駆車に乗ってみたい。○サンルーフ車に乗ってみたい。 ○オープンカーに乗ってみたい。 ということなんです。もしCX-3にサンルーフつきのがあったら、上に挙げた条件のうち、3つを一気に経験できますからね。 私はこのところずっと外車に乗っていますが、別に外車かぶれというわけではなく、国産車でもカッコいいのがあれば、それに乗りたいのよ。だから、CX-3は、次の愛車候補として、あり得るな・・・。 というわけで、この新しいSUV車には、大注目の私なのであります。早く実車が見たい!
November 20, 2014
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今日は教授会で採用人事の可否投票があり、うちの科で新人さんを採用することが決まりました~。 で、投票がめでたく賛成多数となったのを確認してから、私は会議を抜け出し、当該の方に電話連絡。おそらく、その電話を待って今日一日落着かない時間を過ごしていたであろうその方も、採用が決まったことをお知らせすると、ホッとされたようでしたね。受話器の向こうに笑顔が見えました。 といっても、私のことですから、そう簡単には結果を教えませんでしたけどね。 「あー、○○大の釈迦楽です」 「あ、はい・・・」 (やや暗い声で)「今日、お電話差し上げるのは・・・お分かりですよね・・・」 「はい・・・」 「先程、教授会がありまして・・・」 「・・・はい・・・」 「まあ、色々ありましてね・・・」 「・・・・」 「でまあ、最終的な結果については、やはりお知らせしておかないと、と思いまして・・・」 「ええ・・・」 「それで・・・まあ・・・その・・・」 「・・・・・」 「結果を聞く覚悟は出来ていらっしゃいますか・・・」 「・・・あ、はい・・・」 「・・・・」 「・・・・」 「おめでとうございますっ! 4月から我々の仲間になっていただきます!」 最初からさっさと教えてやれって。 採用の知らせと言えば、思い出すのは今から二十年以上前、私自身がその電話を受け取った時のこと。今は定年で辞められたH先生から採用の連絡を受けた時は、やっぱりホッとしたもんですよ。ああ、これでやっと自立出来る、ってね。 思えば、あれから二十年ちょい。ついに立場逆転して、私が電話をかける立場になったわけだ。そりゃ、年も取りますわな。 でも、他人の人生を左右するような電話をかけるという経験は、長い人生の中でもそう何回もあることではないので、今日のことは、忘れないようにしっかり記憶に刻みつけておきましょうかね。
November 19, 2014
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パイロットが出している「カクノ」という1,000円の万年筆が人気だというではないですか! ううむ、筆記具には限りなく興味がある私、早速この製品をググってみたりしたのですが、なるほど、ちょっと面白そうですな。 だけど、そういえば昔、「Vコーン」という水性ボールペンが流行っていた時、これの万年筆バージョンというのがあって、結構重宝したよな、と思い出しまして。あれ、まだあるのかしら? で、さらにググってみると、実は色々な筆記具メーカーが、100円~300円台くらいの安価な万年筆(っぽいもの)を売っているということが判明。 たとえばペンテルの「プラマン」とか。あるいはプラチナの「プレピー」とか。あともちろん、パイロットの「Vペン」ね。 ひゃー、こういうの眺めていると、使ってみたくなる~! というのも、ですね、今、某新聞社に頼まれて、何か記事を書かなくてはならないのですけど、こういうちょっと変わったペンで、紙の上にあれこれ書きながら考えをまとめるという裏ワザが私にはありまして。いきなりワープロで打ち始めるより、ちょっとそういう「ひと呼吸」というか、遊びが事前にあると、結構うまく腹案ができる、ということがあるんですわ。 ということもあって、なんか無性にこういう万年筆もどきみたいなものが欲しくなってきた! だけど、いかんせん、大いなる田舎の名古屋ですと、それこそ栄の東急ハンズとか、そういうところまで行かないと、こういうものって手に入らないんだよな・・・。といって、送料まで払ってアマゾンとかで200円、300円のものを買うというのもためらわれるし・・・。 ってなわけで、欲しいわ買えないわで、悩ましい昨日今日を過している私なのであります。ま、そんなことしている間に、さっさと原稿書けばいいんですけどね!はじめての万年筆が愛着のあるペンになる。シンプルで使いやすい万年筆です。パイロット万年筆k...価格:864円(税込、送料別)【メール便も対応!】しなやかな書き味。トラディオ・プラマン [ぺんてる]【RCP】価格:486円(税込、送料別)プラチナ万年筆〜プレピーシリーズ万年筆”プレピー preppy”F細字(03)価格:172円(税込、送料別)※万年筆の書き味と、サインペンの手軽さを実現。パイロット・Vペン細字【2本からメール便で送...価格:216円(税込、送料別)
November 18, 2014
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中2の時のクラスの担任の先生(美術)が40年に亘る勤務を終え、今年の春、定年を迎えられ、そして今、渋谷の画廊でご自身の作品展を開いているということで、その作品展を見がてら、クラス会をやろうではないか、という話が持ち上がっているらしく、私のところにもお誘いのメールが参りまして。 だけど、クラス会って、結構悩みますよね・・・。悩みません? 私も昔はそういうのにひょいひょい出て行ったものですが、出て行く度に、何かしらひっかかることがありましてね。 例えば、25才くらいの時にやった小学校時代のクラス会では、昔、可憐な少女だった女の子が、スパスパ煙草を吸う様になっていたりして、それも店の店員に煙草を買いに行かせたりするのを見たりするわけですよ。そういうのを見ると、ああ、なんか変っちゃったな、という感じがしたり。 また相当大人になってから参加した中学時代のクラス会の場合、私としては、今、同窓生たちが何をやっているのか、ということに興味があるのですが、実際、その場で出る話題は、「昔、誰と誰がつきあっていて・・・」とか、そんな話ばかり。子供に返るというのもいいですけど、こんな年になってまだそんなことを話さなくてはならないの? って感じがしてしまう。もうそういうのはたくさん。 というわけで、最近どうも、クラス会なるものにいささか嫌気がさしておりまして。だから、今回のお誘いも、誘ってくれたことには感謝したけれど、「当日のご盛会を・・・」方向の返事をさくっと。 まあ、この先さらに年をとったらまた考えが変わるかもしれないけれど、小中学校時代のクラス会は当面パスって感じかな。もちろん、小中学校時代から今もなお付き合っている個々の友人と会うのは楽しいけれど、集団としての子供時代のクラス会は、さしあたりいいや。 今は今の生活、今周りにいる人たち、今、様々な形でつながっている人たちとの関係だけで、私は充分ですね。ということはつまり、今が幸せなんだってことなんでしょうけどね。
November 17, 2014
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なんか最近テレビを見ていて思うのは、「アポなし取材」というスタンスの番組が増えたということ。芸能人が、話題のレストランとかを「アポなし」で訪れ、まず芸能人自身が取材交渉をし、交渉成功なら店の中まで撮影する、という奴。 だけど、この交渉の一部始終、見ていて面白いですか? 私にはその面白さがさっぱり。 そもそも交渉不成立なら、取材しようとしている店が見られないのだから意味がないし、交渉成立なら、最初からアポを取って取材するのとなんら変わりがない。じゃ、なんでわざわざ「アポなし」にする必要があるの? 取材交渉そのものが面白いなら分りますが、それ自体は別に面白くもないし。芸能人に交渉させる、という部分に罰ゲーム的な側面があるのかもしれませんが、罰ゲームとして考えるとさして強烈な罰ゲームでもないので、やっぱりつまらないということになる。 どの面から見ても、「アポなし」にする意味が判らないんだよな・・・。 ま、どうでもいいか。 ところで、こういうつまらないテレビ番組がある一方、面白いテレビ番組もある。 最近私が見つけた面白い番組は、Eテレが放送している『漫勉』という奴。 これ、漫画家の浦沢直樹さんが、同業の漫画家さんのもとを尋ね、そのマンガ執筆の様子を写したビデオを当の漫画家さんと一緒に見ながらトークする、という内容なんですけど、これが実に面白い。 やはり、同じくマンガ執筆に苦労している者同士だけに、執筆上の苦労とか、そういうことがよく分かるらしく、また漫画家各自の特徴的な線とか、個性とかにも互いに意識的で、時に創作上の独自の工夫とかに気づいた時の驚きとかも、実にリアルなんですな。 またその辺を実にナチュラルに指摘する浦沢さんの魅力もあって、漫画というものに比較的無縁な私でさえ、引きこまれるように見てしまいます。この番組、本当に一見の価値アリですよ。 思うに、我々論文書きだって漫画家さんと同じように、それぞれの書き手によって独自の着眼点とか、執筆上の工夫とか、執筆上の儀式、なんてものがあるわけですよ。ただ漫画家と違うのは、そういったものの大半が頭の中だけで演じられるので、表面的には目に見えないというところ。漫画家さんの場合は、実際に絵を紙に書いたり、気に入らなくてそれを消したりという、目に見える作業の中でそれらが演じられるので、それをビデオで見ればそれとわかる、というところがある。論文書きの場合は、もちろん、書いたり消したりという部分はありますが、それはワープロの文字上のことなので、消したことと新たに書いたことの間の大きな違いというのは、第三者からは見えないですからね。 だけど、それにしても、『漫勉』と同じように、論文書き同士が、論文書きの作業上のノウハウを互いに語り合ったら面白いだろうな、とは思います。そういう本って、出来ないものかしら。 ま、それはともかく、『漫勉』の面白さは格別。興味のある方はEテレの番組予定をチェック!! 教授のおすすめ!です。
November 16, 2014
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うちの大学、最近ひとつ新校舎が出来たのですが、当局としてはさかんに自慢したがっているらしく、先日開催された父母懇談会でも、わざわざツアーをしたりなんかして。 しかし、今日、たまたま雑用で同僚の人と仕事をしていた時、その人からこの新校舎がとんでもないシロモノだ、という話を聞きまして。とんでもない、というのは、つまり非常に使いにくい、という意味なのですが。 まず何が使いにくいといって、ガラスを多用しているところ。 1階なんかは外壁面が総ガラス張りなんですけど、まずこれが寒くて、まぶしいと。で、多分、夏は逆にくそ暑くなりそうで、冷暖房の効率が著しく悪い。 また角部屋などは三方がガラス張りなので、例えば壁際にモノ入れを置くことができないんですな。通路からロッカーの背が見えたのでは、恰好悪いですからね・・・。 で、外壁面ばかりでなく、部屋と通路を仕切る壁もガラスなので、教室で授業をしていても、廊下を誰かが通る度に学生がその姿を目で追ってしまい、なかなか集中できないらしい。廊下を歩く方だって、ずっと部屋の中から目で追われるわけですから、嫌ですよね・・・。 しかも、そんな状態に加えて廊下に大きなスクリーンがあって、それがアンビエント的に様々な映像を映し出すらしいのな。この無意味な映像の垂れ流しは、一応「おしゃれ」を狙ったものらしいのですが、これも各教室からまる見えなので、学生も教員も気が散って仕方がない。そこで非常勤講師の先生から苦情が出て、結局映像を切ったらしいのですけど、その結果、無用の長物となったスクリーンだけがあちこちに掛かっている状態だと。 さらに教室ばかりか会議室もガラス張りなので、外から、あるいは廊下から見られてしまう。しかも壁がガラスなので、音も漏れてしまい、誰が何の会議に出ていて、何を発言しているか、外から丸聞えだというのですな。これでは大事な話なんかできやしないのは言うまでもありません。 でまたIT関連の設備が異常なまでにプアで、各部屋にスクリーンとプロジェクターはあるのですが、操作部にHDMIのインターフェースがなく、映像しか写し出せないというのですな。例えばパソコンを持ち込んでDVDなどの教材をスクリーンに映し出したくても、音声がでないので、実質的にはまったく使えないと。で、もしどうしても音声を出したいなら、テーブルの上に椅子を乗せ、そこに乗って天井に設置されたソケットにつながなくてはならないのだとか。 それから、この校舎にはテレビ会議が出来るような設備を一応は用意したらしいのですが、その会議室が狭すぎ、取り付けたカメラでは会議出席者全員が写りきらないということが判明! 結局、その会議室が丸々使い物にならないことが判ったのだとか・・・。 で、この時代錯誤的な校舎の名前が「未来創造館」だというのですから、もう笑うしかない。 いやあ、そんな話を同僚から聞いて、私も呆れました。どういう校舎を作っているんだと。業者任せにしたのか、それにしても設計図の段階で誰か大学の人間が検討しなかったのか。こんな使い物にならない校舎を作ってしまった責任は、一体誰がとるのか。 うちの大学の執行部体制の統制のなさ、ちぐはぐさを象徴するような新校舎。私はまだ一度も足を踏み入れたことがないのですが、週明けにぜひ自分の眼で見てみたいと、好奇心だけは充分にくすぐられたのでした。
November 15, 2014
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恩師の全仕事をリストアップする作業、まだまだ続いております。 今は、本の形になったものをリストアップする作業を中心にやっておりますが、その一方で、先生があちこちの媒体に書かれた文章の採集も続けていましてね。 で、今、やっているのは、「月報」の洗い出し。 「月報」というのは、全集ものなどが一度ではなく順次出版される際、それに合わせて出版された本に添えられる小冊子のこと。これはもちろん全集の本体ではないし、かといって独立した雑誌でもないので、誰がどこに何を書いたか、記録がなかなか残らない種類の媒体でして。 だから、○○全集として出されているものの現物を片端から開いて、月報がついていないかどうか確認していく他ないわけ。 で、実際にそういう作業をしていると、これがまた結構な確率で恩師の書いたものが見つかったりするんだなあ。 実は今日も、筑摩書房が出していた世界文学全集と河出書房新社が出していた世界文学全集のある巻に付属した月報に恩師の文章が載っているのを発見、無事、文化財保護をしたところ。 ところで、そういう作業をしていて思うのは、昭和のある時期、いかに多種多数の「文学全集」なるものが出版されていたか、ということです。 筑摩書房、河出書房、新潮社、集英社、そういう大手ともなると、まず間違いなく何らかの「世界文学全集」を出している。それも時代を置いて何度も出しているので、時代によって号数が変ったりする。 そして、そういう「世界文学全集」だけでなく、国別の全集、例えば「現代アメリカ文学全集」みたいなのもあるし、フォークナー全集だとかノーマン・メイラー全集だとかグレアム・グリーン全集だとか、特定の作家の全集もやたらにある。一体、どれだけの種類の「全集」がこの世にあるのか、と思うほど。 今、そんな全集なんかないもんね。出したって、売れないし。 また、今、全集を出すことが考えにくいだけに、昔の日本人は全集を買うことにそんなに意欲的だったのか、と、今更ながら驚かされます。 そういう時代があったんだねえ・・・。 また、そういう時代だったからこそ、恩師に「月報」を書く仕事が舞い込んだのでしょうけれども。 ということで、「月報」を探索しながら、一家にひと揃え、世界の文学をコンプリートしようとしていた昭和の日本人の健気さに、涙している私なのであります。
November 14, 2014
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今日、大学に行ってまず職場のメールを開けたところ、事務官の方からメールが届いておりまして。 開けてみると、「仕事上のメールではありませんが」という前置きが。 何かと思って読んでみると、『本の雑誌』12月号の巻頭に「今月の一冊」として拙著が書評されていると。それを読んですっかり嬉しくなったので、一言お知らせを、ということだったんですな。 で、そもそも『本の雑誌』に書評が載っているという事に気づいていなかったので、すぐに出版元にメールして確認すると、出版元でも把握しておらず、すぐに神保町の本屋に走るとのこと。 いやあ、それにしても大学の同僚、それも教員ではなく事務官の方からこういうメールをもらうと、実に嬉しくなります。 っていうか、うちの大学の事務官の皆さんの読書家ぶりを改めて思い知らされますな。『本の雑誌』を読んで最新の面白い本の情報を仕入れていらっしゃるんですからね。ある意味、教員連中よりよく本を読んでいらっしゃる。教員の方は、良くも悪くも専門のこと以外はノーマークという人も多いですからね。 で、その後、出版元から『本の雑誌』に載った書評のコピーを頂いたのですが、これがまたいい書評でね。好意的に、いいところを拾って書評して下さっていて。感謝、感謝です。 ということで、今日は思いもかけないところから嬉しいニュースを届けていただき、一日、いい気分で過ごすことが出来たのでした。何だかモチベーション上がるなあ! ひゃっほう!
November 13, 2014
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書店や文房具店で来年の手帳が売られるようになり、私も来年に備えて一つ、購入しました。 ところで、皆さんはどのような手帳をお使いですかな? 手帳と言えば、最近、ゼミ生たちを見ていて気付いたことがありまして。それは何かと言いますと、今時の若い女の子たちの多くが、かなり大判の手帳を愛用しているということ。大きさからいうと、A5版か、それより少し小さいくらい。もう手帳という感じではなく、ノートですな。そんな大きな奴を、誰もが持っている。 それは私には少し驚きで、というのも、最近の若い人は予定なんかもすべてスマホで管理しているのかと思っていたので、こんなアナログなものを使っているとは思っていなかったので。 そう言えば、その昔、バブルの頃、世の男どもは、革の表紙の「システム手帳」でしたっけ、そういうのを使っていましたっけねえ。ひょっとして、今また、ああいうアナログ手帳が見なおされているのでしょうか。 ちなみに私はもう学生の時からダイゴーの「E1301」というタイプの手帳を愛用し続けております。手帳の中でも一番薄くて小さいタイプですな。私の場合、大判の手帳が必要なほど予定が入らないので、これで充分なの。それに、この手帳にしたって、将来の予定を書き入れるのではなく、むしろ何かをやった後から「この日にやった」ということを書きこんだりすることも多い。ある意味、日記みたいなものですな。 しかし! 手帳にも流行り廃りというものがあるようで。 最近の手帳で何が困るかというと、次の年の1月・2月・3月の分までの頁がないものが増えた、ということです。 昔の手帳は、1月始まりで、次の年の3月の分までありませんでしたっけ? ところが今時の手帳は、前の年の10月頃から始まって、その年の12月で終わっていたりする。これ、使いにくいんだよな~。 ということはなに? 最近は新年に変わる時ではなく、前年の10月頃に新しい手帳に切り替える、ってこと? 私には、手帳を10月に新調する、という発想はないんだなあ・・・。やっぱり、あれは年が改まった時に替えるもんじゃないの? 我がダイゴーのE1301も、最近は12月の分までの予定表しかないので、来年1月以降の、つまり今年度内の予定は、新しく買った手帳に書き入れなくちゃならない。めんどい! ということで、新しく手帳を買ったはいいけれど、なんか今一つ、煮え切らない想いを抱いているワタクシなのであります。
November 12, 2014
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文科省の有識者会議で、某議員からの提案として、現在の大学のあり方を変え、アカデミックで競争力の強い研究グローバル大学「G大学」と、地域に根差し職能教育に徹したローカル大学「L大学」に二分すべきだ、という意見が出されて、これがやや物議を醸しているようでありまして。物議を醸すというのは、この意見への批判が強い、という意味ですが。 この某委員の案を批判的に見ると、「これは旧帝大を復活させ、その他を専門学校化する暴案だ」ということになるわけで、このような大学の格付けに結びつく「G・L二分化案」に反対する人が多いというのも、まあ、よくわかります。 しかし、私はちょっと見方が違いまして、GL二分化案という方向性は間違ってはいないと思っているんですな。アメリカの大学なんて、実際、そうですからね。研究大学と、シティ・カレッジは明確に二分されている。 ただ私は、大学だけを二分化しても意味がないので、もっと下の方から多分化すればいい、と思っているんです。 実際に大学で教えていて思うことはですね、大学間で、あるいは大学生間で、アカデミックなものに対する姿勢にものすごい差がある、ということです。つまり、旧帝大に代表される一流の大学の、さらに上の方で必死になって勉強している学生と、単に遊びに来ているだけの、バイトと部活と遊びに明け暮れている学生の間の、アカデミックな格差はものすごいものがある。で、それだけ大きな差がある両者を、共に同格の「大学生」と呼ぶのはめちゃくちゃ無理がある、と私は思います。ゆえに、現状それだけ違うのだから、看板もそれに応じて二つに分けてしまえ、という提案は、私には頷ける部分があるんですな。 しかし、その一方で、今の日本の教育制度では、そうなるのも仕方がない、というところもあります。日本に生まれた子どもの99%くらいまで、つまり実質ほぼ全員が高校まで進学し、さらにその半数が大学に進学するという現状では、高校を出て働くか、あるいは大学行くかの二択しかない。となれば、高校は出たけれど、もうすこしぐずぐずしていたいという多くの子たちが、別にとりたてて何の目標も適性もないのに大挙して「大学」に来てしまうのも当然で、そうなれば、その受け皿として沢山のレベルの低い大学が作られるのも自然の流れ。英語の辞書を引こうにも、アルファベットの順番が分からないので引けない、というような「大学生」が沢山存在するようになったのも、仕方がないことでありましょう。 で、私が思うに、「高校までは全員が行く。その先は働くか大学行くかが半々」という、あまりにも選択肢の幅がない状態にこそ、根本的な問題点があるのではないかと。 だったら、選択肢を広げればいいんですよ。 中卒で立派な社会人になっている人が沢山いることからも明らかなように、社会人になる素養としては、中学までで十分に育成出来ると思うんですよね。だから、そこからさらに全員が高校に行く、というのをまず変えればいい。そこから就職するもよし、高校へ進むもよしですが、その他の選択肢として公立の専門学校を色々作ればいい。工業専門学校、農業専門学校、水産専門学校、商業専門学校、工芸専門学校、各種職能専門学校等々。例えば手先の器用な子が、中学を出てネイリストや美容師になる職業訓練を受けて、将来、その道で食っていけるようにするとか、スポーツ専門の専門学校を作って、将来のオリンピック・メダリストを養成したっていい。伝統工芸の伝承者を、この時点から育成し始めてもいい。 そして、専門学校の上に、さらに高等専門学校を置き、さらに腕を磨きたい人はここへ行く。あるいは、高校を出てから、こちらに行ってもいい。昔のように医学専門学校を作って、医者の養成をここでやってもいい。大学出の医者と、医専出の医者が混在していたっていい。 一方、中学から高校、大学と進むのであれば、かつての旧制高校がそうであったように、高校はもうほとんど語学学校とし、徹底的な語学教育をする。そして、その上に来る大学では、さらに徹底してアカデミックな教育をする。高校の進学率は現在の100%を50%程度に引き下げ、大学の進学率はさらにその三分の一、全体の15%程度で十分。そして高等専門学校と大学の間は風通しを良くし、中学から専門学校、高等専門学校と進学した学生の中からも、やる気と能力さえあれば、大学に進学出来るようにしておく。 また中学を出た後、いきなり専門学校に行くのもアレだし、かといって高校・大学とゴリゴリに勉強するのもいや、という人のために、文科省認可の学校ではない私立の学校も沢山作って、創立者の教育理念の下、文科省に縛られずに自由に教育をすればいい。でまた、そこを出てから高等専門学校に行くもよし、大検を受けて大学へ行くもよし。 とにかく、そうやって中学を出たあと、さらに上の教育課程に進むのに、行き方が何通りもある、という状態にしておくのがいいと思っているわけ。これだけ選択肢があれば、その数多い選択肢のどこかに自分の居場所を見つけられるだろうと思うんです。 ちなみに、今述べたような多分化された教育システムというのは、実現しっこない夢物語ではなく、戦前の日本の教育システムを述べただけですから。昔は、実際に日本でもこうだったんですよ。 昔、こうだったものが、何故か「小・中・高・大」の一本道にされてしまった。それがまずいので、さっさと元に戻すべきだ、というのが、私の元からの持論。 だから、「G大学・L大学」の議論の中で、「二分化するのはまずい」という人もいるでしょうけれども、私に言わせれば、二分化じゃ足りない、もっともっと分けちまえ、と。ま、制度が変わる過渡期には痛みも伴うので、多分化したら、私も大学の先生じゃいられなくなるかもしれませんが、そうなるならなったで、私自身は別にかまわないな。 ということで、今回の「G大学・L大学」論争、「二分化はまずい」という流れでこのまま現状維持になるよりは、このラディカルな問題提起がきっかけとなって、もっと根本的な、文字通りラディカルな議論に結び付けばいいと思っているワタクシなのであります。
November 11, 2014
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私は果物の中では温州ミカンが好きで、冬になると死ぬほど食べるのですけど、こんな年齢になるまで生きてきて、しかも生涯何千個ものミカンをむいてきたのに、今までそのむき方を間違っていた、ということに衝撃を受けております。 ミカンというのは、ヘタの側からむくのですって? ご存じでした? 私は今まで、何のためらいも疑問もなく、その逆からむいておりました・・・。 実際、ヘタの側からむくと、白いスジまで一発できれいにむけるのですな。今まで、ワタクシは何をやってきたのか・・・。 ということで、出回りはじめたミカンをむく度に、その効率の良さに驚きつつ、これを誰かに教えてやりたくて仕方がないのでした。
November 10, 2014
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段々秋も深まって、銀杏の黄葉も進んで参りましたなあ。 銀杏というと、「金色の小さき鳥の形して、銀杏散るなり夕日の丘に」という与謝野晶子の歌が思い出されますが、もう一つ、朝の道に四本並んだ銀杏の木を見て、詩人の西條八十が「かがやける金の四行詩」とうたった、という話を読みまして。 なるほど。さすが詩人というのは、うまいことを言うもので。 しかし、この話を読んだ時、たまたまテレビで彦麻呂さんが、例の調子で食レポをしていたんです。で、食が進んでどんどん口の中に入ってしまう何かの御馳走を「食の入構許可証や~」と。 そしてその瞬間、先ほどの西條八十の詩が、私の中で彦摩呂と交錯してしまったわけですよ。 銀杏とは、「かがやける金の四行詩や~」と。 おんなじやん! 彦摩呂と西條八十、おんなじやん! っていうか、銀杏とは、「金色の小さな鳥や~」って言えば、彦摩呂と与謝野晶子、おんなじやん! なるほど、つまり、詩とは、突拍子もなく、かつ説得力のある「たとえ」なのであるな、と。その意味で、彦摩呂は、すぐれた食の詩人なのであるなと。 以上、どうでもいいことですが、私には興味深いひらめきだったのであります。 さて、今週末の私ですが、割と勤勉に過ごしておりまして、いよいよ本格的に始まったゼミ生の卒論添削をこなしつつ、自分の仕事も少し。 自分の仕事というのは、恩師・大橋吉之輔先生の全仕事をまとめる作業なのですが、しかし、ただまとめただけではつまらないので、ところどころに先生の思い出をコラム的に書こうと思い、そのコラムをぼちぼち書き始めたわけ。 で、やってみると、これがまた面白いんだなあ。 まあ、完成しても出版まで持って行ける当てもなし、その点では多分苦労すると思いますが、それでも作業としては超面白いので、当面は楽しく作業に打ち込みたいと思っている私なのでありました、とさ。
November 9, 2014
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今朝はファッション・ジャーナリストの大内順子さん、モーター・ジャーナリストの徳大寺有恒さんの訃報が相次ぎ、それぞれ専門分野で活躍された斯界の先駆者の死に驚かされると同時に、一時代の終りを感じさせられました。 特に私の場合、人後に落ちぬクルマ好きなもので、徳大寺有恒氏の『間違いだらけのクルマ選び』をそれこそ毎年のように買っていた時期があり、それだけにその訃報を聞いて、嗚呼、と思いました。 徳大寺さんの書くものには文体に特有のクセがありましてね。 単語のレベルで言えば、たとえば「ベンツ」なんて俗な言い方は決してしない。「ベンツ」のことを言う時は「メルツェデス」と言うわけ。「メルセデス」でもなく、あくまで「メルツェデス」。 「ジャガー」は、もちろん「ジャグァー」。現地の発音に近い表記をするので、「マセラティ」は「マゼラーティ」、「ベントレー」は「ベントリィ」となる。ハンドル、またはハンドリングを意味する「ステアリング」は、「スティアリング」。まずこういう表記の仕方からして、徳大寺イズムが始まるわけですな。 そして文章も独特で、世界観も独特だった。たとえば英国の名車、「ベントリィ」を評した徳さんの文章を引用すると・・・ ・・・仮にデザインにおいてイタリア人に、機能においてドイツ人に一歩譲ったとしても、イギリス人のつくる工芸品は、その完成度からすれば並ぶモノがない。 サビル・ロウのスーツ、ジョン・ロブのシューズなど、手工芸品であるがゆえのステイタスを誇る製品にかけては、他の追随を許さない。そのクルマにおける例がロールスであり、ベントリィなのである。 ベントリィはまさに、そういう極上の手工芸品に満ちた王者の“部屋”なのだ。そこにいる限り、安息も、快楽もすべて満たされる。美女をはべらせなくとも、クルマ自体が、男を骨抜きにする美女のような贅沢さをもっているのである。 スティアリングやシフト操作のダルなフィーリングが、逆に、夢の中で女を抱いているような恍惚感に変わるのだ。 そのレイジーな操作感覚に身を任せてトロトロ街中を走らせれば、もうクルマにおける絶対スピードも、コーナリング性能も、加速も燃費も、すべてどうでもよくなってくる。 つでに、原稿書きも、打合わせも、インタビューも投げ出したくなる。そんなことをするより、女体を引き寄せ、その肌に極上のシャンパンでも振りかけて、淫らに怠惰に遊び呆けてみたくなるのである。ベントリィとはそういう官能性を秘めたクルマなのだ。(『NAVI CARS』2014年3月号49頁) かつて日本のモーター・ジャーナリストの中で、「女体を引き寄せ、その肌に極上のシャンパンを振りかけて・・・」といった言葉でクルマを評した人がいただろうか、またこういうことを書いてサマになる人がいただろうかと考えると、やはり徳大寺有恒という人は空前絶後なのではないかと思えてきます。 元トヨタのレーシングドライバー、そこからクルマの改造パーツなどを売る会社を興してある程度成功したものの、やがてこの会社が倒産。財産をすっからかんにして途方に暮れていた時、独自に仕事をされていた奥さんのサポートで当時フォルクスワーゲンが出したばかりの新型ゴルフを入手、このドイツ製の大衆車のあまりの出来の良さに驚愕した徳さんは、本名の杉江博愛ではなく、徳大寺有恒のペンネームで『間違いだらけのクルマ選び』を出版。単に日本の自動車メーカーが出す新型車を紹介するのではなく、このクルマはこういうところがダメだということをハッキリ批判的に書いたこの本は、大ベストセラーになり、毎年新版が出るようになって、モーター・ジャーナリスト徳大寺有恒の名は一挙にメジャーに。『間違いだらけ』における徳さんの辛口の筆さばきは、そのまま日本の自動車メーカーへの叱咤・愛の鞭となり、それが我が国の自動車産業の発展に大いに寄与したことは、たとえ直接の因果関係を証明できないとしても、疑うことができない、と、私は思います。 で、徳さんのすごいところは、先ほどの文章にもよく表れている通り、クルマを語るのに、無機質な言葉で機能面を語るのではなく、クルマと人間のインターフェースを語った、というところですな。クルマを語るのではなく、クルマを享受する人間の側の感性を語った。だから、人間の感性に訴えてこないクルマは、はっきり「つまらないクルマ」と書いた。だからこそ、たとえ燃費は良くても、故障しなくても、日本車はつまらないんだよ、と、徳さんは語った。 またそういうことを堂々と書く以上、徳さんは、クルマを享受する人間の方も洒落者でなくてはならない、と考えておられたのでしょう。人間の側がダンディーでなければ、クルマのダンディズムなんてわかるはずがない。また、それが分らなければ、結局、「燃費」とか「故障のしにくさ」というような、誰でもわかる指標でクルマを選ぶようになってしまう。それじゃ、人生つまらないんだよと。徳大寺有恒が、クルマを通じて言いたかったことは、コレです。徳大寺さんの著作には、『男は男らしく生きろ!』『オトコの心得』『ぶ男に生れて』『ダンディー・トーク』(1・2)など、男の生き方を語るものも多いのも、その顕れでしょう。 徳さんは自分が「醜男」であるという強い劣等感を持っていて(私自身は徳さんは決して醜男ではないと思っていますが)、だから余計に、着る服や立ち居振る舞い、あるいは生き方そのものによってダンディーであろうとした。努力して、いい男になろうとした。ダブルのスーツが、襟を立てたトレンチコートが、中折れ帽が、ステッキが、葉巻が、パイプが、キャビアが、シャンパンが、似合う男になろうとした。 結局、私が徳大寺有恒という人に惹かれるのは、この人がこういう努力を若い時から死ぬまで、一貫してやり抜いた、というところですね。そういう意味で、私は今朝、徳大寺有恒さんの訃報を目にした時、この世から男一匹が居なくなったなあ、という感慨を得たのであります。 まあ、クルマ好きの人々からしてみれば、徳大寺有恒はあくまで徳大寺有恒であるわけですが、実は徳大寺有恒さんには、本名の「杉江博愛」としての一面もある。若い時の杉江さんには、成城大学時代からの悪友が沢山いて、この悪友たちの中には、それぞれその後、それぞれの分野で一家をなした人も多い。そういう杉江ネットワークの交友録も含めて、何か面白い本を書いてくれる人がいるといいのですが、それはこの後に期待することといたしましょう。 とにかく、日本のモータリゼーションの発展に伴走したオンリー・ワンのジャーナリスト、徳大寺有恒さんのご冥福を、クルマ好きの一人として、私もお祈りしたいと思うのです。合掌。
November 8, 2014
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先日の無人宇宙ロケット「アンタレス」の爆発、結局原因は、旧ソ連時代のロケットの故障だったとの報道がありました。 しかし、旧ソ連って・・・。1970年代前半に作られたロケットを買って使ってたって・・・。それはまさに、東独の旧型自動車トラバントを改造して現代のF1に出場しようとする愚挙と同じだよね。いやそれ以上の愚挙か。1976年に日本に飛来した当時のソ連の最新鋭戦闘機ミグ25には真空管が多用されていて、そのあまりに時代遅れな制御システムに誰もが驚いた、ってなことがありましたが、ひょっとしてこのロケットにも真空管が使われていたんじゃないの? もし私がその部門の担当責任者だったとして、部下が「旧ソ連製の安いロケット改造して、打ち上げやりたいと思います」って言って来たら、「やめとけ」って言うでしょうな。ロケットのことなんも知らない私ですら、確実に「やーめーれ」って言うと思う。 逆に、その線でやろうとした、そしてやっちゃった人たちっていうのは、頭悪いの? そういうところに居る人たちってのは、きっとある部分で頭はいいのだろうけど、それ以前の問題として、常識がないよね。まあ、有人ロケットじゃなかったってのが、不幸中の幸いですな。 さてさて、今日のワタクシ、折り込みチラシに誘われて、あのファースト・ファッションの店に行ってあれこれ買物をしてしまいました。 が! なんかね、最近どうも、良くない。 何が良くないかと言いますと、私のスタイルが。 柔術をやっていることもあって上体に筋肉が付いてしまい、例えば「ウルトラライト・ダウンベスト」なんか試着しようものなら、自衛隊員が防弾チョッキを身につけたような感じになってしまうわけ。 昔はねえ、ガリガリに痩せていたので、ある意味、何を着てもサマになったものですけど、それも今は昔・・・。 12月に人間ドックを受診することもあり、今日からまた少し気合を入れてダイエットしようかな・・・。 でも、食欲の秋にダイエットって・・・。無理か・・・。
November 7, 2014
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今年、初めて「5限」に開かれている英語の授業を教えることになりまして。 うちの大学は基本、4限までしかないので、5限というのは、いわば特殊な時間帯。で、この枠で英語の授業を受けるのは、本来であれば1年生・2年生の時に履修しておかなくてはならない必修の「英語」の単位を落とし続けて4年生になってしまった学生たちなんですな。つまり、いわば「○○こぼれクラス」。 大学の必修の英語の授業なんて、ごく簡単なことしかやっていないのですから、これを落とし続けるというのはよほどのこと。よほど英語の才能がないのか、よほど不真面目なのか。ですから、こういう学生たちだけが受講する授業を担当するとなった時に、こちらとしても多少身構えたわけですよ。きっと苦労するのだろうなと。 ところが。 実際にやってみると、そうでもないんだなあ・・・。みんな意外に真面目で、予習もやってくるし、まったく問題がない。身構えていた分、なんだかすかされたような気さえしてきます。 まあ、よく考えてみると、この学生たち、もし私のこの授業を落とすようなことになれば、その時点で留年が決まるわけです。となれば、せっかく決まった就職もパア。そこまで追いつめられると、人間、ちゃんとするようになるのでしょうな。 しかし、秋・冬の5限ともなると、もう途中から外は真っ暗。他に授業をやっているクラスはありませんから、この教室内の蛍光灯だけが煌々と輝いている感じ。その中で、クラス全員○○こぼれの子たちが、一心にテキストを読んでいるというね。 その光景を外から第三者の目で眺めたとしたら、おそらく夜学の光景にも似た、どこかほのぼのとした、どこか物悲しいような、そんなものと映ることでございましょう。 そして、授業後、黙って蜘蛛の子を散らすように急ぎ足で帰る子たちがいるかと思うと、二、三人の学生はぼそぼそと低い声でもう少しおしゃべりを楽しんでいたりする。そんな子たちに、「最後に出る時、電気消していってね」と声をかけ、さよならと声をかけられて外に出、もう誰もいなくなった真っ暗なキャンパスを横ぎって自分の研究室に向うとき、なんかね、ちょっと雰囲気があるんだなあ。特に今日みたいに月のきれいな晩には。 ということで、案ずるより産むが易し。意外にこの5限の授業を楽しんでいる私なのであります。
November 6, 2014
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このブログで粉末ドレッシング「トスサラ」を褒めたら、製造が追いつかなくて、一時販売停止するほどの人気となり、テレビ番組の「ヨルタモリ」を褒めたら、前回の視聴率が10%を突破。さすが情報通の私が書いているだけあって、このブログも結構、時流の半歩先を行っているでしょ。 そんな情報通の私が睨む次の「時の人」は、多分、「上ちゃん先生」だと思う。はい、「上ちゃん先生」が誰だか知らない人、おっくれてる~! ま、それはともかくとして、こんなサイトを見つけました。題して「作家の読書道」。これをヒマな時にぽつぽつ読んでいると、いい暇つぶしになります。退屈な会議の時とか、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓作家の読書道
November 5, 2014
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大学人なら誰でもピクッと反応したはずの「聖トマス大学閉鎖」ニュース。 「英知大学」として1963年に設立、ということは、少なくとも大学として50年の歴史を持っていたことになります。それが2007年に「聖トマス大学」と改称、ちょっと微妙にハイカラになったと思いきや、来る3月、ただ一人残っていた大学院生の修了が見込まれたことで完全閉鎖が決まったと。 少子化に伴い、およそ半数近くの私立大学が定員割れしている昨今。2018年にはさらに大学進学者が激減し、今、瀬戸際に立っている弱小私立大学の多くがこの年を境に次々に潰れて行くだろうと分析されておりますが、今回の聖トマス大の閉鎖は、その先触れということでしょうかね・・・。コワイ、コワイ。 ところで、このニュースの中で、私の琴線に触れたのは、「来年の3月で、ただ一人残っていた大学院生が修了見込みとなったため」という部分。 ひゃー、ということは、何? この大学は、たった一人の大学院生のために、今年、辛うじてオープンしていたわけ?! これは、実にこの、喚起力のある情報ですな! 映画『アイ・アム・レジェンド』の冒頭、ニューヨークの町にたった一人残された主人公の男(ウィル・スミス)が、店員も客も誰もいないレンタル・ビデオ店でビデオを借りたり、放置された戦艦の上で打ちっぱなしのゴルフをしたり、好き放題するシーンがありますけど、まさにこのアポカリプス的状況が、聖トマス大のキャンパスで今、演じられているわけだ! この唯一の大学院生が朝、登校してくると、正門で守衛さんがにこやかに挨拶してくれる。もうすっかり顔見知りだ。大講義室に一人座ると、教授がやってきて神学の授業。なにせ毎回一対一の授業なので、課題をこなすのも大変。そして昼休み、生協の食堂ではいつものおばちゃんが「今日は何にする? 好きなもの作ってやるよ。ところで昨日はどうしたの? おばちゃん、ずっと待ってたんだよ」なんて、ちょっと恨めし気なのは気のせいだろうか。午後は図書館で少し勉強しよう。照明はついていないので、自分の利用する階の電源を自分で入れなくてはならない。でも、その作業にももう慣れた。そして放課後、すこし身体を動かそうと体育館に行き、6体のマネキンのディフェンスをかいくぐりながらの一人バスケットボール。今日もマネキン・チームを完封して、圧勝だ。そして夜、再び正門をくぐると、それを見届けた夜警さんが、後ろで門にガチャリと鍵をかける・・・。 もう、この状況だけで、SF短篇小説が書けるじゃないかっ!! しかし、2018年になったらこうした状況も他人事ではなくなるかもしれないと思うと、小説が書ける、なんて言っていられません。大学が潰れるからお前もクビ、と言われた時に困らないよう、あれこれ手を打っておいた方がいいのかも知れませんな。
November 4, 2014
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今、手を付けているプロジェクトの一つとして、今日から恩師・大橋吉之輔先生の著作物リストを作り始めたのですが、これがまた際限なくあるので、完成させるのに一体何日掛かるだろう?って感じです。 大橋先生は単著は少ないのですけれど、共著は多く、編著・監修ものが多く、教科書編纂も多く、翻訳がまた多いもので、これら全部、もれなくリストアップするとなると、大変な作業になります。勿論、リストアップしたあとで、全部、現物に当って確認する(CiNiiや国会図書館のリストは間違いも多いので・・・)予定なので、これもまた大変な作業になりそう。 しかも、先生が出版に係わった本で、買えるものはすべて買ってしまおうと思っているので、これもまた色々な面で大変。 だけど、一番大変なのは、各種資料に載っておらず、市場にも出回っていないけれど、大橋先生が係わったはず、という本を特定して突き止める作業ですな。例えば非売品の本とかになると、国会図書館もその存在を知らないということになるのですが、そういうのも出していたりするのですよ、先生は。 といういわけで、前途多難な感じですけれど、乗りかかった舟。最善を尽くして頑張りましょう。 ところで、今日は文化の日。ということは、我ら夫婦の結婚式記念日! 結婚式から今日でまる15年が経過したのかな。早いもんですなあ。あっという間だ。 ということで、今日は夕食を外食する予定。美味しいものをいただいて、英気を養いましょうかね。
November 3, 2014
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プリンスが新譜を出しまして。それも2種同時に。彼の30年来の大ファンである私としては、もう買うしかない! ということで、『アート・オフィシャル・エイジ』と『プレクトラムエレクトラム』(こちらはサード・アイ・ガールとの共同名義)を購入。このところ聴きまくっております。 で、私が思うに、『プレクトラムエレクトラム』がなかなかの出来ではないかと。冒頭からいいし、キャッチ―な曲満載。 ということで、今日のお勧めはこれ!【楽天ブックスならいつでも送料無料】【CDポイント5倍対象商品】プレクトラム・エレクトラム [...価格:2,653円(税込、送料込)【楽天ブックスならいつでも送料無料】【CDポイント5倍対象商品】アート・オフィシャル・エイジ...価格:2,653円(税込、送料込)
November 2, 2014
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ロンダ・バーンの『ザ・パワー』を読んでいたら、すごいことが書いてありまして。 曰く、世界は常にメッセージをあなたに向って発し続けているのだと。例えば汽車で旅をしている時、車窓に過ぎ去る風景の中で、何かの看板が目に入り、そこに書いてあるメッセージを読んでしまったとする。と、そのメッセージは、実はあなただけに向って発せられたメッセージだったのだというのですな。 ふーむ! そうだったのか! するってーと、車窓から見える田園風景の中で時折目にするあの「727」という文字も、私へのメッセージだったのか! とまあ、ちょっとおちょくってしまいましたけど、引き寄せ系自己啓発本が言っていることって、決して悪いことではないんですよね。 例えば、感謝とか愛とか、そういうものをあなたはちゃんと発しているか? 与えたものを受け取るのだから、沢山受け取りたいと思えば、沢山与えなきゃダメだよ、ってなことを、『ザ・パワー』は盛んにいいます。 で、振り返って自分の生活を顧みると、確かに、私は充分に与えてないな、と思うことが多い。 例えば今日食べた夕食が旨かったとする。その場合、「あー、おいしかった」と思うし、この夕食を作ってくれた家内に私は感謝します。 しかし、良く考えれば、それだけでは足りない。 夕食の素材となった野菜や肉を作ってくれた人がいるわけだし、それをそれをスーパーに運んだ人がいて、それを棚に並べた人がいて、会計してくれた人がいる。調理するのに必要な電気がガスを作ったり、供給してくれる人がいて、調理器具を作った人、売ってくれた人がいる。私はそれをお金で買ったわけですが、私がお金を支払えるのは、仕事があるからだし、その仕事をするだけの健康な体があるからです。 私は、それらすべてに感謝したかというと、していない。私は、自分が与えるよりももっと多くのものを受け取っているわけですけど、それにも拘らず、全然、感謝が足りてない。 そう気づくと、ああ、もっと自分は感謝しなきゃ、愛を世界に発しなきゃ、って思うわけ。 あれ? ヤバい・・・。ひょっとして自分、良い事言ってる? なんか最近、私も良い事ばっかり言うようになって、いよいよアチラの世界に入りかけている感じがするんだよなあ! 身体もなんだか透明になりかけている気がするし・・・。 ま、それはともかく、引き寄せ系自己啓発本は、感謝が足りない、愛を充分に発してないってことに気づかせてくれるのだから、こういうものを読むのも悪い事ではないのかなと。 大体、昨日、林真理子の『野心のすすめ』を読んだのですけど、この中で林さんが言っていることって、ほとんどアレだよ。引き寄せ系自己啓発本と同じだよ。 例えば、林さんは中学くらいの時、クラスメートの男子たちにいじめられたそうですが、そういう時林さんは、「彼らは皆、私のことが好きなんだ」と妄想して、この状況を乗り切ったというのですけど、これなんか、「自分の思いによって世界は変る」と言っている自己啓発本と同じだよね。 またコピーライターとして働き始めた頃、志の低い会社で働いているうち、この会社の連中と同じことしていたらダメだ、と気付いて、糸井重里氏の門を叩いたそうですが、自己啓発本では「悪い人たちと波長を合わせると、ますますそういう人たちに囲まれます」と言っているわけですから。 だから、ある意味、林真理子さんは、意識している、いない、にかかわらず、自己啓発本が推奨している引き寄せの法則によって、今日の成功を収めた、とも言える。 だから、引き寄せの法則は、そのまま「野心のすすめ」でもあるわけですよ。 というわけで、半ばアホ臭いと茶化しながらも、結構、引き寄せ系に引っ張られている私なのでありましたとさ。 ところで、「727」の意味って、何なんだ?【楽天ブックスならいつでも送料無料】野心のすすめ [ 林真理子 ]価格:799円(税込、送料込)
November 1, 2014
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