教授のおすすめ!セレクトショップ

教授のおすすめ!セレクトショップ

PR

Profile

釈迦楽

釈迦楽

Keyword Search

▼キーワード検索

Shopping List

お買いものレビューがまだ書かれていません。
March 26, 2016
XML
カテゴリ: 教授の雑感
 昨日、1976年のコマネチの話をしましたが、翌1977年にはまたスポーツ関連の偉業がありました。そう、巨人軍の王貞治選手が756本目のホームランを打ち、当時の世界記録であったハンク・アーロン選手のメジャー・リーグでの記録を抜いて、文字通り世界のホームラン王となったのでした。

 ま、今はね、日本人選手がじゃんじゃんメジャーに行く時代ですし、当時とはまた大分事情が変わるでしょうけれども、当時としてはあの、野球発祥の地アメリカの一番スゴイ記録を、王選手が抜いたってんで、それこそ国を挙げての大騒ぎでしたよ。実際、これで王選手は1977年に初の「国民栄誉賞」に輝くわけですし。

 で、それで思い出すのですけれども、この当時はもちろんJリーグなんてのはないわけで、日本で「プロ」としてやっていけるスポーツって、相撲・プロレス・ゴルフ、それに競輪・競馬・競艇等々の他には野球くらいしかなかった。運動の得意な子どもにとってプロ野球ってのは、今以上に大きな夢の一つだったんじゃないでしょうかね。

 で、我々の世代が子供の時と言えば、まだファミコンとかの時代ではないし、少なくとも男の子が集まればキャッチボールとか、三角ベースとか、野球がらみの遊びを外ですることが多かった。

 大体、キャッチボールって、別に点数を競い合うわけでもなし、ただボールを投げ合っているだけで、よく考えてみると何が面白いのか分らないものですけれども、あれ、実際やってみると楽しいんだよね! 自分が投げる時は、なるべく相手が捕り易いように、相手の構えているグローブ目がけて投げるわけで、それが上手くいって友人が「ストライク!」なんて言ってくれると嬉しいし、逆にボールが逸れて相手が捕球できず、ボールを取りに走らせてしまったりすると申し訳なくて「ごめん、ごめん!」なんて言ったりして。たかがボールの投げ合いでも、相手を思いやる心ってのがあるわけよ。また友人が投げたボールを受けるというのも楽しくて、何て言うんだろう、一種無言の会話みたいなところがある。

 それで、集まった友達が3人以上になるとバッターを立てることもできる。そうするとゲーム成立だから、これはまたこれで面白い。一人がピッチャー、一人がキャッチャーで、一人がバッター。3ストライク交代制で、ヒットを打ったら「透明ランナー」を想定し、ヒットが続いて透明ランナーがホームインすれば得点というね。

 もちろん、もっと人数が集まれば、三角ベース(2塁を想定せず、1塁の次が3塁という奴)で試合をやったり、もっと人数が集まれば正式な草野球となる。子どもの対応力ってのは大したもので、人数に応じてそれなりに野球を楽しむ術を持っていたわけですよね。

 だから、後期昭和の男の子の家には必ずグローブとバットと軟式のボールの一つや二つは必ずあったものですよ。今はどうかわからないけど。軟球にはA球とかB球とかC球とか、いくつか種類があって、我々が子供の頃は、たいていC球を使ったものでございます。C球が一番小さいのかな? もっとも、友達と二人だけでキャッチボールする時は、グローブを使わずに、ゴム製のカラーボールを素手で投げ合ったりもしましたっけ。

 ちなみに私は運動神経が全然ない方なのですが、野球に関して言えば、投げるのも打つのも、まあ、人並みには出来る方で、皆とまざって野球をするには困らなかったのですが、一つ、難点があったのは、バウンドボールの捕球が苦手だったこと。よくトンネルとか、取り損なって弾んだボールを顔面に受けるとか、そういうドジを踏んだ苦い思い出があります。それで、少しでも上手くなろうと、壁にボールを投げてバウンドして戻ってくるボールを捕球する練習とか、一人で黙々としたこともありました。真面目かっ!



 で、巨人ファンとしては、長島派と王派に別れるわけで、私は華やかな長島派ではなく、努力の人・王派だったかな。あの一本足打法というのは、独特でしたからね。やっぱり、当時から「人と違うことをやる」人に惹かれていたんでしょうな。

 だから、その王さんが一本足打法でホームラン記録を塗り替えた時は、やっぱり嬉しかったことを覚えていますよ。

 だけど、その王さんも、そろそろ引退の時期を迎えていたし、王・長島が欠けた後を埋める選手としては、例えば淡口だとか、色々いたけれども、やっぱり王・長島の時代と比べると小粒感は否めず、1980年に彼が現役を退いた頃には私も高校生になっていて、そろそろ野球なんかしている場合じゃなくなってくる。私もまた野球卒業の時代を迎えていたのでしょう。

 だけど、こうして子供の頃の野球の思い出を振り返ると、やっぱり王・長島が現役で活躍しているのをリアルタイムで見ていて、それに刺戟されて自分も原っぱに飛び出していった経験を持っているんだから、いい時代をだったんだなと思いますね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  March 26, 2016 03:06:23 PM
コメントを書く
[教授の雑感] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Favorite Blog

庭の紅葉 New! AZURE702さん

YAMAKOのアサ… YAMAKO(NAOKO)さん
まるとるっちのマル… まるとるっちさん
Professor Rokku の… Rokkuさん
青藍(せいらん)な… Mike23さん

Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: