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2022.12.22
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カテゴリ: 歴史の探索

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​ ​ 泉川の川岸に設けられていた「泉津」の想像図 =京都府立山城郷土資料館
​
水運、​​ 泉川の"津 " を ​​​ ​ ​ ​拠点に ​ ​​ ​​ ​

近くの京都府立•山城郷土資料館で、恭仁京の歴史や出土品などが見みられると聞いて訪ねた。窓口で話をすると、学芸員のIさんに展示コーナーへと案内され、丁寧な説明をいただいた。現時点で想定されることとして遷宮時代の名残のほか、当時の現地の地理的条件など2つの背景が考えられるという。

一つは、当時の泉川 ( 現 · 木津川 ) による物資輸送ルート。近くに荷揚げの津 ( 港 ) があった。そのころの重要港湾 • 難波津 ( 現・大阪港 ) には奈良盆地からつながる大和川があり、飛鳥では重用された。だが途中の浅瀬による船の制約などの問題があった。

泉川は 平城京に近い 大きな河川。合流する 淀川経由では物資の大量輸送も可能だったので 利用が増え、川港ができた。紫香楽宮の建設資材も、ここで陸揚げされ、運ばれたと考えられる 。 展示コーナーには史料を基にした「泉津」の想像図(↑)も展示されている。

​​​ ◆ 歌枕に「 ​​ みかの原」の和歌多く   ​​​​ また現地は以前に女帝・元明天皇が行幸した離宮の近くだった。南の吉野離宮に並ぶ北の​ 甕原 ( ミカノハラ ) 離宮 ​として知られ、女帝の孫の聖武天皇も 皇子時代に 出かけたという。


​みかの原は、小倉百人一首にも登場する歌の歌枕にも​​

​​
​
甕原とは、確かに聞いたことがある地名だ。万葉集などに和歌が多数詠まれている。「みかの原わきて流るる泉川いつみきとてか恋しかるらむ ( 藤原兼輔 ) 」は、百人一首にもある。清らかな地とのイメージで、近くに領地を持つ​ 右大臣・橘諸兄 ​の影響もあったようだ。

改めて川沿いを行くと、かなりの山間部で木立に隠れがちだが、川幅がどこも 100 mはありそう。なるほど水運に十分な水量で、ゆったりとした流れだ。

大極殿跡は斜面の中ほど、緩い坂を上った地元小学校の隣接地にあった。1mほど高くした基壇部分に、大きな礎石が数か所。石柱に「恭仁京大極殿趾」とある。一帯は左京で、周囲の草原にコスモスなど野の花が咲く。右京は西側の山の向こうで、見えない。

人影が少ない草原で、お弁当を広げている中年の夫婦に出会った。山の中腹の古寺まで歩いて上り、眼下に広がる平原を一望してきたところだとか。大阪に住んでいて、最近この近くに引っ越してきた。古代史に特に関心はなく、大極殿跡は見ていないという。定住地を探し歩き、「奈良市に近くて交通の便がよく、南向きの広くて明るい斜面が気に入ったので」決めたそうだ。


​広々とした恭仁京跡と山背国分寺の遺跡。七重の塔なども建てられたという =京都府木津川市加茂町例幣

​
◆「奈良に近く明るい斜面」 ​​が決め手 確かに川の対岸の JR 関西本線加茂駅から、奈良駅まで約 15 分。京都、大阪へも 1 時間程度と、今の首都圏なら十分通勤圏である。奥まった山間の地ではあるが、未開発地域といった印象はない。平城京の当時も都の圏域内だっただろう。遷都先に選ばれた 理由には同じようなことがあ ったのかも知れない。​

川の堤防へ行ってみた。年配の男性が2人で歩いているのを見かけ周辺の史跡について尋ねると、「恭仁大橋」のたもとにある万葉歌碑へ案内してもらった。

万葉歌人・大伴家持が、新都ができるのを寿 ( コトホ ) いで詠んだ、有名な歌だという。

「今造る 久邇 ( クニ ) の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし」(建設中の恭仁京は山河が清らか。都にするにはふさわしく、もっともなことだ)


木津川の橋のたもとに建つ万葉歌碑。恭仁京遷都に尽力した大伴家持が詠んだ歌が彫られている =京都府木津川市加茂町
​

家持は、聖武天皇の恭仁京づくりに尽力、数年後には国司として越中へと転出する。地元の歴史研究グループにいたという 2 人によると、近くには京都 • 下鴨神社の元宮など、古い社寺や史跡がいくつもあるとのこと。だが泉川沿いにあった恭仁京の川港について、跡地や遺跡などは近くで見たことがないという。

尋ね歩くと3 Km ほど下流に、関連施設の遺跡があった。住宅団地の空き地に「上津 ( コウヅ ) 遺跡」と彫られた石碑が建つ。木津川市教委が設置した説明板によると、港は船着き場以外に製材所や市場、東西 200 mほどの建物が並ぶ港湾都市だったという。遺跡は、物資の調達を管理する役所跡とみられる。


港や荷揚げ場などがあったとされる関連施設跡の「上津遺跡」石碑 =京都府木津川市木津宮ノ裏

◆"泉津"の管理施設の遺跡も ​ 昭和の終わりごろの宅地開発に伴う調査で発掘された。石碑を撮影中、犬と散歩中の主婦がのぞき込み「 30 年以上住んでいて、何の遺跡か分からなかった」。確かに港そのものの遺跡ではない。川の港は各地に伝わるが、船の接岸場所の地形など多くは想像もしにくい。

しかし川岸には、高さ 10 mほどの雑木林がうっそうと茂り、入り込めないばかりか、川の様子がまったく見通せない。少し上流なら回り込めると聞いて歩いてみたが、思いのほか河川敷が大きい。遠くに見える幹線道路の橋に上がり、ようやく川面が撮影できた。JR奈良線木津川橋梁の手前、左岸に「泉津」があった辺りの水面がゆったりと蛇行し夕日を照り返していた。

蛇行する木津川。左の森の辺りに「津」があったとされる ​ ​= ​京都府木津川市加茂町宮ノ裏​

​​  ◆◆ ◆◆ ◆◆
​
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恭仁京の建設は遷都というより、水運の拠点として平城京と首都機能を分担する副都(二都)政策の一環とも言われる。当時、中国の ​唐を​ ​意識していた朝廷が、長安と洛陽に ​倣(ナラ)​

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最終更新日  2023.02.04 23:11:28
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