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當麻寺の東大門(仁王門)。曼荼羅と西方浄土信仰もあって寺院の向きが変わり、今は表門に@奈良県葛城市當麻
當麻寺は聖徳太子の異母弟・麻呂子親王の創建とある。が、広く知られるようになるのは正倉院展の品々を愛用した聖武天皇の没後 。大津皇子の悲劇から半世紀以上が過ぎた 、 8 世紀後半からのことだ。 西方浄土信仰の象徴ともされた中将姫の伝承と、姫が織り上げて本尊となった曼荼羅図の存在が大きい。
多くの模写や転写本が作られ
ている
◆郎女が"神隠し"に/ 『死者の書』 伝承の子細を、民俗学者・折口信夫が小説『死者の書』で伝えている。寺に長期間逗留し、当時の伝承を人々の死生観や鎮魂思想とともに研究して描いた作品だ。
その中では奈良時代も半ば過ぎ、あの「藤原仲麻呂の乱」が起きる前で、仲麻呂が隆盛を極めてゆく時代。平城京の一角に住むその兄・藤原豊成の邸宅で、姫さまの
神隠し
騒動"が起きる。
今なら、よくある年ごろの娘の家出話。だが朝廷の実力者・藤原南家の郎女(いらつめ)の失踪事件だ。家人がほうぼう探し回り、都じゅうの噂になる。
しかし騒ぎはすぐに収まる。 郎女 は当夜、従者もなくただ一人で夜道を歩き通し、約 30km 西方の二上山麓、當麻寺にたどり着いていた。寺の使者が藤原家へ伝えた。
幼児期に母親と死に別れた姫は、美貌と才能を継母に妬まれ、いじめられて命まで狙われる。日々、読経や写経で実母の菩提を弔ううち、日が沈む西の双峰に阿弥陀仏を感じて憧れるようになった。家を出て、ひたすらその方角をめざして歩いたという。
ここでなぜか、万葉歌人・大伴家持が登場する。越中守を 数 年前に離任、帰京していた。都の朱雀大路を従者とともに、馬でゆっくり南下しながら様々に思いを巡らせている。
◆家持が登場、 仲麻呂から 打ち明け話? 朝廷は仲麻呂が紫微中台で権勢を振るい、家持はいつまた都を離れるかも知れぬ身。越中に赴任する前は、山背(京都府)の恭仁 ( くに ) 京で聖武天皇の皇子 ・ 安積親王に仕えた。だが、親王は謎の死を遂げ、側近だった自分は越中に転出。それから 十 年近い歳月が流れていた。
都は、各区画の屋敷の塀が掘立柱から版築の築地塀へと変換してゆく時期で、住人の対応は様々に分かれている。従者が通りのあちこちで、最新情報を聞き込む。南家郎女の行方も、その中で確認した。
渦中の南家・豊成邸のある京極に来て、騒ぎが収まり静かな様子を見た家持は、そのまま引き返す。だが、弟の仲麻呂邸には立ち寄り、油を売る場面も。
家持の政敵のはずの 仲麻呂だが、 姫が藤原家に嫁ぐようにと話を持ちかけている、といった打ち明け話をする。が自身で、無理筋とも漏らす。「幼いころから読経に親しみ、藤原四家で一番、神さびたたちを持つ娘御は神のもの。いずれ神の手に落ち着く」と。

當麻寺本堂前の中将姫立像。
姫は曼荼羅図を通して、西方浄土への信仰に人々を導いたとされる@奈良県葛城市當麻
當麻寺では、墓で死から目覚めた大津 ( 滋賀津彦 ) と祖霊に仕える姫 ( 南家郎女 ) とが不思議な出会いをする物語が、仏教説話的に展開される。
姫はその後、登場人物との不思議な縁により巨大曼荼羅図を蓮糸で織り上げる。 29 歳で、希望通り菩薩に迎えられ、生身のまま極楽浄土へ往生する。
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箱根湯本温泉 木もれびの宿 ふるさと
ふるさとの宿 こばせ
松江市宍道ふるさと森林公園
河辺ふるさとの宿
みよりふるさと体験村 宿泊棟ケビン
安比高原 里渡り宿 ふるさと