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天声人語の書き出し&結語【名文集】『多摩川』「多摩川の水が少しきれいになったという人がいますが、私の印象では汚染のすさまじさは変わりません。一大下水道と化した川の底にはますますヘドロがたまり、酸欠で魚が死ぬ。このままでは多摩川は死にます」。筆者の知人がそういっている。十年、二十年の歳月が生んだヘドロを浄化するには、どうしたらいいのか。ゴミを拾う市民運動はやがて、川の生態系をよみがえらせる運動に育っていくだろう。昔の多摩川(玉川)は水がゆたかに青白く流れ、川底の石が玉のように光る川だった。【掲載年月日】1982/04/20
2008.04.30
天声人語の書き出し&結語【名文集】『カワセミ』東京都内から姿を消していたカワセミが戻ってきているという。一時は「幻の鳥」とさえいわれたこの水辺の鳥にひとめお目にかかりたい、と思って多摩川へ行ってみた。そのカワセミたちが、なぜか都内に戻ってきた。ここ数年、多摩川流域であざやかな姿を見たという人がめっきりふえた。川の水はそれほどきれいになったとは思えない。ではなぜふえたのか。汚染に強いクチボソという小魚がふえたので、それを捕るカワセミがふえたのか。大阪や福岡などの大都市でも、同じ傾向があるのかどうか。野鳥の会の人びとは、その生態を調べて「カワセミの復活」のナゾを解こうとしている。【掲載年月日】1980/04/20
2008.04.29
天声人語の書き出し&結語【名文集】『街路樹』警視庁のある東京・桜田通りのトチノキが芽吹きはじめた。赤みがかったやわらかな葉が、ちょうど破れがさをなかば開きかけたかっこうになっている。皇居のお堀端に立ち並ぶハンテンボク(ユリノキ)も、小さな葉をつけはじめた。小さくても一枚一枚ちゃんとハンテンの形をしているところが愛らしい。晴美通りのケヤキ、外堀通りのエンジュの芽立ちはまだこれからである。都会の街路樹は季節の移ろいを告げる暦だ。暦の「穀雨」はもうすぐ。そして別れ霜がおりるといわれる「八十八夜」まで、茶畑で働く人びとは霜を気づかう。丹精して育てた茶が一夜で打撃を受けることもあるという。【掲載年月日】1981/04/18
2008.04.28
天声人語の書き出し&結語【名文集】『間伐材』竹馬に似ているが、竹の部分が木でできていることと、二本の木を交差させているところが違う。子どもたちには「とことこ馬」あるいは「三角木馬」の愛称で親しまれている。なかなかの人気で、これを運動会競技にとりいれる小学校も現れた。考案したのは、和歌山県で林業を営む真砂典明さんだ。林業界で重大問題になっている間伐材の利用法の一つとしてつくられた。林業仲間の野中茂樹さん(三重県)たちがこれを大量に作り、あちこちの小学校に寄付した。とことこ馬も、自由学園の森も、日本の林業全体から見ればごく小さな仕事だが、その「ごく小さな仕事」から出発することを大切にしたい。【掲載年月日】1984/4/17
2008.04.27
天声人語の書き出し&結語【名文集】『森林の力』生気象学者の神山恵三さんが『科学朝日』に「森林が発散する未知の活力素」について書いているのを、興味深く読んだ。山道をのぼり、深い森にわけいると、馥郁(ふくいく)たる香りにつつまれる。その香りを胸一杯に吸うと、それだけでもう生き返ったような気持ちになる。森や林は大気を浄化してくれる。静寂をもたらし、気象をやわらげる効果もある。防災、防火、防風、とその効能を数えあげたらきりがない。加えて、人びとに活力と安らぎを与える物質をつねに供給しているのだとすれば、ますますその存在価値が高くなる。森林には命の糧があふれているのだ。林業資源、観光資源として森林を見るだけではなく、命の糧としての森林を見直したい。『林業白書』だけではなく、時には「森林白書」がほしい。【掲載年月日】1980/4/16
2008.04.26
天声人語の書き出し&結語【名文集】『有機農法と茶』八十八夜が近づくと、新茶の季節になる。緑茶はタンニン、カフェイン、芳香物質、たんぱく質、ビタミンCなどを含み、「長生きのもと」といわれている。新茶の味がいいのは、新芽に含まれるタンニンの量が二番茶、三番茶よりも多いせいだろうか。「戦争中、一時、陸軍のガス学校で毒ガスの戦法を習いましてね。戦場でも毒ガスの悲惨を体験しました。農薬といっても、私には毒ガスにしか思えないんです。私にはとても使えません」と塚本さんはいった。【掲載年月日】1979/4/15
2008.04.25
天声人語の書き出し&結語【名文集】『辛夷(こぶし)』それにしても、今年の花は遅かった。筆者自身の大ざっぱな花暦と見比べても、梅も桜もアンズもみな、いつもの年より二、三週間も遅れて咲きはじめている。去年は今ごろ盛んに咲いていた一人静(ひとりしずか)も、まだ地上二、三センチ程度の背丈だ。寒波続きで大打撃をうけた農家や豪雪に苦しむ人たちには申し訳ないが、長く厳しかった冬のおかげで、東京はいま、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)である…盛り時をとうに過ぎ、疲れて咲く辛夷の花の風情は、哀艶(あいえん)とでもいうのだろうか。なかなかのものだ。【掲載年月日】1984/4/14
2008.04.24
天声人語の書き出し&結語【名文集】『南伊豆の春』南伊豆の海が青く澄み渡った日、下田から弓ヶ浜にかけての海辺の道を歩いた。田牛(とうじ)を抜けると、海の色はひときわ青かった。絶壁のはるか下からたえず単調な波の音がきこえてくる。タチツボスミレが咲き、ツワブキの葉が群れる道をわけいると、ちょうど大島桜が満開だった。ウバメガシなどの暗い緑の中にあって、大島桜の咲くあたりだけは、ぽおっと明るい。はなやいだ明るさではなく、しみじみとした、それでいてどこか心ときめかせるものをもった明るさである…卯の花がさねの世界に、南太平洋の、あの浅緑色の海と白いなぎさの色合いを加えてみたりするのもたのしい。【掲載年月日】1983/4/13
2008.04.23
天声人語の書き出し&結語【名文集】『野の食卓』東京の近郊ではハナズオウが深い紅色の花を咲かせている。二輪草が咲き、イカリソウが咲き、山吹草がつぼみをふくらませている。コブシもレンギョウも、花から緑へ移りつつある。蕪村に「けふのみの春をあるひて仕舞けり」という句がある。今日のみの春とは何だろう。しろうと流の勝手な解釈だが、桜の咲くころ、よく晴れて、気温が上がって、春の心が天地に満ちる日がある。春たけなわ、春の頂上は今日でおしまいだと思う名残の日を「今日のみの春」と感じとるのだろうか。そんな日は、しぜんに足が動きだす。数日前、二〇度を超す陽気につられて、午後、小仏峠から高尾山のあたりを歩いて、山桜を見た…歩くこと、風に化すことの極意を、この文章は簡潔に表現している。高尾山の薬王院(やくおういん)に着いたときは日が暮れて山桜はやみにとけ込んでいた。「春を歩いてしまいけり」の一日だった。【掲載年月日】1987/4/12
2008.04.22
天声人語の書き出し&結語【名文集】『国会庭園』 国会を見に来ないか、盛りはすぎたけれどもなかなかのものだよ、と政治担当の同僚にいわれて、国会へ行った。といっても、議事堂の中ではない。議事堂前のいわゆる「国会庭園」のことである。土曜の午後、人気のない国会周辺には強い風が吹き渡り、紅色をおびたクスノキの若葉をゆるがせていた。「まひるまの嵐吹きみだる樟(くす)わか葉明るき影をふりしきらせり」(古泉千樫=こいずみ・ちかし)皇居からこの国会庭園、さらに日枝(ひえ)神社、迎賓館、神宮外苑、明治神宮と結ぶ線を都心のグリーンベルトと呼ぶ。【掲載年月日】1982/4/11
2008.04.21
天声人語の書き出し&結語【名文集】『浅川実験林「桜の園」』八王子市にある国立林業試験場(浅川実験林)の「桜の園」を見に行った。ソメイヨシノはもう、盛りを過ぎていたが、ヤマザクラやヤエベニシダレは花ざかりだった。サトザクラの多くは、これからだ。六ヘクタールの丘陵には全国から集められた桜二百種、二千数百本が植えられている。これほどの規模の桜の園はたぶん、世界でここだけだろう。桜に限らないが、公園や花の名所の樹木の「天敵」は人間の足だ。花見客は木の根元のあたりを次々に踏みつける。踏まれて土が硬くなると水や空気が通らなくなって、根が苦しみ、木が弱る。根を踏みつけちゃあかわいそうです、と小林さんは繰り返した。【掲載年月日】1979/4/11
2008.04.20
天声人語の書き出し&結語【名文集】『花の移ろい』桜のつぼみがほのかに色めいてくるころから、咲いて、咲き誇って散ってゆくまでのさまを、昔の人はさまざまな言葉で表現した。「昔は、コブシの花が咲きはじめたらこれこれの仕事をするときめていたものです」。すれ違った土地の人がそういった。花や鳥を農耕の指標とするのを自然暦とでもいうのか。今はもうすたれる一方だが、自然暦の伝統はなんらかの形で今も私たちの血の中に流れているのではないか。天地の暦に目を配る発想には、融通無碍(ゆうずうむげ)の柔軟さがある。【掲載年月日】1983/4/10
2008.04.19
天声人語の書き出し&結語【名文集】『白保の海』二十年前の沖縄の海はまさに竜宮幻想の世界だった。珊瑚(さんご)は光り、海底の礁砂(しょうさ)の一粒一粒がきらめき、熱帯魚の影が砂上に刻まれるのがみえた。今、その沖縄の海は珊瑚の墓場に化しつつあるという。石垣島には千五百メートル滑走路一本の空港がある。もっと広い空港を造り、地域の振興をはかりたい、離島苦から脱出したいという気持ちは痛いほどわかる。正直いって、今でもまだ筆者は代案なしに反対を説くことにためらいを感じている。ではどうしたらいいのか。「大切なことはゆっくり考える」という沖縄の人たちの習わしを信じたい。一度埋め立ててしまえば、もう白保の海は戻らない。【掲載年月日】1984/4/10
2008.04.18
天声人語の書き出し&結語【名文集】『野草の知恵』「生きられるだけは生きる草萌ゆる」(種田山頭火=たねだ・さんとうか)。道ばたの草がいっせいに萌(も)え、伸び、花を咲かせている。ことしはやや遅れぎみだったが、それでも律儀に去年と同じところにナズナが咲き、ハコベが咲いている。山頭火ほど、野草をよみ続けた俳人は他にいないのではないか。句にしただけではない。生涯、漂泊の旅を続けたこの「雑草の詩人」は、枯れ草を敷いて野宿をし、野草と共に生きた。道ばたの草は友であり、師でもあった。萌える草を見ては「生きられるだけは生きよう」と思い、「よろこびの雨」にぬれる草を見ては共に喜び、枯れゆく草を、すわりこんでながめ続けた。「雑草よこだはりなく私も生きてゐる」野草には深い知恵がある。【掲載年月日】1980/4/10
2008.04.17
天声人語の書き出し&結語【名文集】『花人』きのうの日曜日、各地の花の名所は花の宴(うたげ)、花の踊りでにぎわったという。東京の井の頭公園にはソメイヨシノやヤマザクラのほか、コブシやベニハスモモが咲きみだれていた。ユキヤナギ、レンギョウ、アセビ、ヒイラギナンテン、と公園は花の錦(にしき)の中にあった。早咲きのシャクナゲがえんじ色の花を咲かせようとし、コナラやホオノキなどの落葉樹はいっせいに新緑の準備にとりかかっていた。ミズキの芽はもう小指の先ほどにふくらみ、アカシデの林は、赤茶色やオリーブ色にけむって見えた…「いざ子ども山べにゆかむ桜見に明日ともいはば散りもこそせめ」(良寛)。この歌ののびやかな世界もまた、私たちの中に生き続けているはずだ。【掲載年月日】1978/4/18
2008.04.16
天声人語の書き出し&結語【名文集】『一本の桜』もう十七年も日本中の桜を追い求め、写真を撮り続けている高波重春さんという人の記事があった。「朝日に映えて風が出てくるまでのわずかな時間、それが桜のいのち」だという。「そばに人がいるとだめ、花とふたりきりでないとシャッターを押す気になれない」ともいっていた…桜は心で見るともいう。心の目に映る桜は、移ろうものの姿であり、移ろわぬものの姿でもある。高橋新吉は「一輪の花の中に/久遠(くおん)の春が宿つてゐる」と歌った。この一輪の花とは、やはり桜のことであろうか。【掲載年月日】1986/4/7
2008.04.15
天声人語の書き出し&結語【名文集】『暖簾』(のれん)東京の佃島(つくだじま)を歩いていて、佃煮屋の暖簾(のれん)がいくつも目についた。建築後、五十年はたっているのだろう、そういう古い店に「元祖佃煮」と記された看板があり、濃紺ののれんが春の光を浴びていた。なんの変哲もない光景だが、眺めているだけで落ち着いた気分になってくる。紺や白や茶ののれんのかわりに、騒々しい感じの色彩が町並みを占領している。「あめ」「どぜう」「茶屋」などと染め抜かれた味のある文字が消えて、おもしろみのない看板文字が街にあふれている。戦後の町並みは、のれんという文化遺産をあまりにも粗末に扱いすぎてはいないか。【掲載年月日】1982/4/4
2008.04.14
天声人語の書き出し&結語【名文集】『連翹忌(れんぎょうき)』待ちくたびれていた桜が東京でもやっとほころびはじめた。桜前線はおんぼろの鈍行列車に乗って、途中下車を繰り返しながらやってきた、という感じである。開花が遅れたのは、三月の平均気温がやや低めだったためだろうか。桜前線は、4月中、本土を北上し、五月には北海道へ渡る。そういう「四月」をギュスターブ・カンは歌った。「あゝ花開くうつくしき四月よ/されど若し我が恋人われより遠く/北の国なる霧の中にあらば/何かせん、四月の新しき歌/四月の白きリラの花、野ばらの花も/梢を逢ひて黄金と開く四月の日光も」(永井荷風訳)【掲載年月日】1983/4/3
2008.04.13
天声人語の書き出し&結語【名文集】『春うらら』春の光に誘われて、朝がた都内の玉川上水べりを歩き、小金井公園まで足をのばした。ムクドリの飛び交う花の波の中から、土地の若者たちが興ずる祭り太鼓の音が流れてきた。満開のソメイヨシノにまじって、紅色のハナモモ、緋色(ひいろ)のタイワンヒザクラ、純白のユキヤナギ、黄色のレンギョウなどが咲き競っていた。はなやいでいるのは桜や桃ばかりではない。街を歩く女性の装いも、気のせいかひときわ明るい、いきいきとした色調がはやっているように思える。口紅の色も明るい。化粧品の業界は、昨秋の「ひとみ合戦」から最近は「口紅合戦」に移っているが、業界の人の話では、この春はピンク系の、明るくあざやかな色調の口紅がよく売れるそうだ。そういえば「不景気のときは明るい色がはやる」という話をきいたことがある。【掲載年月日】1977/4/3
2008.04.12
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『紅と緋』初夏という季節の命を色にたとえるならば緑であろうか。早春から仲春にかけて、日々、微妙に移ろいゆく今ごろの季節の命を、色にたとえるならば何といったらいいのだろう。紅(くれない)か緋(ひ)か。紅や緋は、木の芽や草の芽の中にある。沈丁花(じんちょうげ)や桃のつぼみの紅、紅梅の紅、白梅のつぼみを包む紅、モミジやカツラやアカシデの芽のあざやかな緋、カイドウやバラの芽の緋、山桜の葉の、あのにおいたつ紅、福寿草の茎を染める紅。そこここに春の命をつかさどる紅や緋が流れていて、それはやがて、さくらの花にとけこんで虚空(こくう)に散る…佐藤春夫の詩「四月一日日記」に「山人は初音(はつね)をつたへ/里人(さとびと)は蛙(かわず)を聞きし/その翌の卯月朔日(うづき・さくじつ=四月一日)/つばめ来ぬ花ぐもりして」。東京の桜はまだ先になる。【掲載年月日】1984/4/1
2008.04.11
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『香薬』ジャスミンの芳香は気分を一新させる。夏の北海道をいろどるラベンダーの香りは心を落ち着かせる。生理学者の鳥居鎮夫さんとカネボウ化粧品研究所が行なった実験でそういうことが確かめられた、と科学欄にあった。「ある程度予想はしていたが、まさかこれほど明確に効果が表れるとは思わなかった」と研究所の人はいっている。ジャスミンの場合はコーヒーを飲んだときの約2倍も、気分を高める働きがあった。植物の香りが、どういう心理的効果を生むのか。そのことをさらに実験で解明していけば、香薬によって、気分を一新させたり、落ち着かせたりするいわゆる「香り療法」がもっと身近なものになるだろう。【掲載年月日】1986/3/30
2008.04.10
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『白木蓮』白木蓮(ハクモクレン)が咲いている。この前の日曜日の朝は大雨のあとのせいか、近所の庭の白木蓮が洗いあげたような白さにみえた。つぼみの中に雨水がたまったのだろう。柔らかそうな花びらと花びらのすき間から小さな風船玉が飛びだしてはぴかっと光って、消えていくのがみえた。春分をすぎると、日一日と、日が長くなっていく。四月の声をきいて「さあ、これからだ」と奮い立つのは青年、「もう一年の四分の一がすぎてしまったか」と思うのが中年、という分類があるそうだ。【掲載年月日】1979/3/27
2008.04.09
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『木の肌』「春がまっしろな欠伸(あくび)をする」とうたったのは萩原朔太郎だが、彼岸の中日をすぎると、陽春という名にふさわしいのどかな日が時折訪れるようになる。 多磨霊園の帰り道、都立の武蔵野苗圃(びょうほ)に寄って、木々の芽立ちのさまを見た。ここでは都内の公園や街路に植える木々を育てている…若い人たちが河原で摘んできた草花がコップにいけられて机上にある。ハコベ、ナズナ、むらさき色の花をつけたカラスノエンドウ、そしてイヌコリヤナギ。コップの中に河原の春の日だまりがあって、小さな虫の羽音(はおと)がきこえてくるようだ。【掲載年月日】1983/3/24
2008.04.08
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『菜の花』二十二日、関東地方に雪が降った。東京でも夜来(やらい)の雨がいつかぼたん雪に変わった。木々の葉にふれて瞬時に消える春の淡雪も、やがて、沈丁花(じんちょうげ)、馬酔木(あせび)、ヒイラギナンテンなどの花々を白くおおうようになった。福寿草やクロッカスはかたく花びらを閉ざして雪に耐えている。 中央線の車窓から見ると、東中野駅付近の土手に咲く菜の花が、降る雪の中で黄に煙っていた。飯田橋駅付近でも、何本かの菜の花が雪景色の中に鮮やかな黄金をふりまいていた。菜の花の明るい黄の中には、私たちを安らかな興奮、といったものに誘う魔力がある…雪の舞う「いちめんのなのはな」の世界をふと想像する。それはもう、東京近郊では幻の風景である。【掲載年月日】1980/3/23
2008.04.07
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『芽が張る』3月は、カレル・チャペックさんの教えに従って、草や木の芽を見つめよう。『園芸家12カ月』(小松太郎訳)の中でチャペックさんは説いている。ほんの小さな、ネコのひたいほどの地面を選べばいい。そしてしゃがむかいい。わたしたちの目にうつる春のながめは、かえって大きい。立ちどまればいいのだ、と。きょうは春分の日である。太陽が真東からでて真西に沈む。昔のお彼岸には、ヒムカエ、ヒオクリの行事といって、真東に向かって日を迎え、真西に向かって歩く風習があったそうだ。私たちの日々の暮らしが乾坤の動きにとけこんだものであったころの習わしだろう。【掲載年月日】1986/03/21
2008.04.06
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『沈丁花』あす二十一日は春分の日、お彼岸の中日である。暦の上では春はもうなかば、ということになる。彼岸とは梵語(ぼんご)の波羅蜜多(はらみつた)の訳だ。煩悩の彼岸から、深い知恵の世界である彼岸へ、それをめざしてきょうを精一杯に生きる、というのが波羅蜜多の意味らしい。国民の祝日としては「自然をたたえ生物をいつくしむ日」だ。そう、深い知恵の世界は足もとの一本の草の命にもみなぎっているのかもしれない。沖縄本島では菜の花が咲き、八重山(やえやま)では初夏の花デイゴが咲き誇り、あすは早くも「海開き」だという。しかし北海道の知床はまだ流氷につつまれており、雪を踏んでの墓参りになる。【掲載年月日】1981/3/20
2008.04.06
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『萌える』東京では辛夷(こぶし)が咲きはじめた。雪柳も、白い花をつけはじめた。キブシやサンシュユも、黄の花を咲かせている。「どんな花も/どんな色も/緑の/萌える輝きにはかなわない/『萌』という文字を/つくった人は だれかしら/歴史の中で/いちばんすてきな人だとさえ/思ってしまう」(平井たえ詩画集『川』)。冬の間、長い準備を重ねてきた選手が、いよいよ出発点に立つ。それを見るときの息づまるような思いが、生の輪廻(りんね)の出発点に立つ草木を見るときにもある。【掲載年月日】1987/03/17
2008.04.05
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『雪と和す』雪の飛騨路を回ってきた。白川郷(しらかわごう)の山にはまだ、3メートル近い雪があり、雪国の痛みは続いていた。数日前、白川村建設課長の大沢友久さんが公務中、雪崩(なだれ)に巻きこまれて亡くなったという話を聞いた。現場の国道わきには雪崩の跡があり、花や一升びんが供えられていた。雪が降り続くときのいとわしさを、人びとは繰り返して口にした。「でも、生まれ変わったらやはりここに住みたい。都会よりも気が楽だし、空気はいいし」とお年寄りはいう。 四月、白川郷の春にはコブシが咲き、梅や桜が一斉に咲き、カッタンコ(カタクリ)の花が群れ咲く。そしてブナの芽吹きのころ、苗代の仕事が始まる。【掲載年月日】1986/03/17
2008.04.04
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『山笑う』16日の東京は背広を着て歩いていると汗ばむほどの陽気だった。コブシが咲きはじめた。白木蓮(はくもくれん)のつぼみも、1輪、2輪、とほころびはじめた。梅が香り、レンギョウが咲き、姫踊子草(ひめおどりこそう)が咲いている。3月の東京はひいちにちと光に満ちあふれてくる。山を吹き渡る風に竹林が身をくねらせて笑っている。シュロの葉を鳴らし、シイの葉を鳴らし、木の枝にからみついたオニドコロのツルを鳴らす風も、おおどかな日ざしの中ではみな、笑い声にきこえてくる。春の山に身をおいていると、どこかに置き忘れていた「閑雅(かんが)」ということばが浮かんでくる。【掲載年月日】1982/03/17
2008.04.03
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『春の便り』十四日から東北・上越新幹線の発着が上野駅になった。上野駅着の新幹線の屋根には北国のほやほやの雪が降り積もっていることだろう、と思って初日の様子を見に行ったが、雪はなかった。この前の日曜は、神奈川県の大山付近の山道を歩いた。ユリワサビが白十字の小さな花を咲かせている。モミの樹林帯に、ユキワリソウの白い花が半開きになっている。枯れ葉色の大地を突き破る山草のみずみずしい緑、つつましやかに咲く花、土のにおい、土の色、このときは、あふれでる春の命の無言の便りを、まあいくらかは受けとめることができた。【掲載年月日】1983/03/15
2008.04.02
天声人語の書き出し&結語・名文集【自然編】『海鳥の化石』岩手県で発見された化石が、何百万年も前の海鳥のものであることが日本で初めて、確認された。翼をひろげると六メートルにもなるという超大型の鳥である…後世の史家は、二十世紀末の日本に栄えたトリの化石が多いことに驚くだろう。とくに永田町から霞ヶ関一帯に巣くったニンキドリ、カザミドリ、ゼイキン科に属するマルドリ、スイトリ、ムシリトリ、ホジョキン科のモギトリ、ハギトリ、ツカミドリ、ワイロ科のヨコドリ、カタリドリ、カスメドリ、ヤトウ科のアゲアシトリにキソイドリなどの化石が発見されるだろう。まさに「怪鳥の時代」であった、と命名されるに違いない。【掲載年月日】1985/03/14
2008.04.01
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