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天声人語の書き出し&結語【名文集】『生物時計』胎内の赤ちゃんはべつに腕時計をもっているわけでもないし、カレンダーを見ているわけでもない。それでも時満つれば、ちゃんと胎内からでてくる。胎児はその体のどこかで時の流れを感じとっているのだろう。あさがおは、暗室に入れておいても約二十四時間ごとに花を開くという。やはり、どこかに生物時計を隠しもっているのだろう。高等動物のばあいは、脳の中枢にある松果腺(しょうかせん)が生物時計の歯車の一つではないかといわれている…時間生物学の進歩は、いつの日か、人類の「理想的な生活リズム」を究明してくれるだろう。私たちもまた、時々は、体内にある生物時計の、音なき音に耳を傾けたい。きょうは「時の記念日」。【掲載年月日】1980/06/10
2008.05.31
天声人語の書き出し&結語【名文集】『緑と人間』植物を栽培するという。緑を植え、緑を育てるという。緑を支配し、緑を養うのは人間だと私たちは思いこんでいる。しかしそこには人間のおごりがあるのではないか。むしろ緑のほうが人間を養っている、という見方に立つべきではないか。緑は災害時の防火壁になり、あるいは防風林になってくれる。緑は日かげをつくり、涼風を生み、水分を蒸散し、寒暑をやわらげ、人に安らぎを与える。緑は土壌の生産力を高めてくれる。緑は大気を浄化し、つねに新鮮な酸素をはきだしてくれる…「最近は山草、野草を見て歩く会がめだってふえた。とくに女性の参加者が多い。次の世代人間を育ててゆくために、女性は本能的に緑の欠乏について関心を高めてきたのかと思う」。そんな便りを知人からいただいた。【掲載年月日】1979/06/08
2008.05.30
天声人語の書き出し&結語【名文集】『お茶』八十八夜だ、新茶だ、といっているうちにもう6月である。茶どころでは、初摘みの季節がすぎていまは二番茶の作業を待つ、というところだろうか。夏目漱石はよほどお茶が好きだったのだろう。『草枕』に「眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい」という一節がある。「濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味って見るのは閑人適意の韻事である」。まことに風流な話だ。有機農法でつくられた緑茶には、若葉の清香がある。味にこくがある。しかし一般的にいって、最近のお茶は味も香りも薄くなってきたように思う。日本人の好みの変化なのか。それとも人工肥料のやりすぎで、土が貧しくなったせいだろうか。【掲載年月日】1983/06/07
2008.05.29
天声人語の書き出し&結語【名文集】『バラづくり』ローマ市のバラ新品種・国際コンクールで育種家の鈴木省三さんが「金賞」をとった。京成バラ園芸研究所長の鈴木さんは、数々の新品種を世に送っているバラ作りの大家だ。京成バラ園を訪ね、受賞作の「乾杯」を見せていただいた。「乾杯」は研究室の花瓶にもいけられていて、やわらかな香りを放っていた。直径15センチもある大輪の花である。気品のある、濃い緋色(ひいろ)の花びらが四十枚か五十枚か、香りを包み隠すように重なりあっている…きょうからあの、ベルサイユのばらの宮殿でサミットが開かれる。「赤いバラ」のミッテラン仏大統領がホストである。【掲載年月日】1982/06/05
2008.05.28
天声人語の書き出し&結語【名文集】『富士山麓(さんろく)仙人暮らし』十日ほど前、富士山麓のハリモミの林のそばで、仙人のような暮らしを続けている冨樫誠さんをたずねた。富士桜が咲き、イカリソウが咲き、ラショウモンカズラが深い紫の色をちりばめていた。東京の園芸学校を出てからもう50年、植物の採集と栽培に生き抜いてきた人だ。世界各地で集めた植物標本は10万種にもなる。学名に「トガシー」の名をつけられている植物も一つや二つではない。ミツバウツギやハナイカダの葉、アケビのツルなどの山菜をごちそうになった。食卓の花びんには利休梅の白い花があふれていた。【掲載年月日】1979/06/02
2008.05.27
天声人語の書き出し&結語【名文集】『すだれ』数年前、富山市の料理屋で風変わりなすだれを見た。たずねるとセイタカアワダチソウで作ったものだという。悪役のようにいわれるこの草をこういう野趣に富んだ製品に仕立てた人の知恵には脱帽だ。明治年間に渡来したセイタカアワダチソウは、ここ二、三十年間で爆発的にふえた。そのふえ方は日本の植物史上特筆すべきこと、という植物学者さえいる…ひところすたれたすだれが、この四、五年急にまた盛り返してきたのは、「木陰の役目」が見直されてきたためだろうか。それに、日本の住まいには、風にゆれるすだれの軽やかさが似合う。【掲載年月日】1981/05/31
2008.05.26
天声人語の書き出し&結語【名文集】『庭の珍客たち』お隣の庭のヤマボウシの花が雨に打たれている。下からは葉に隠れてよく見えないが、二階の窓から見ると濃い緑の中に白い花が浮かびあがる。地味な花だが、どことなく粋(いき)で、清涼感がある。ヤマボウシの花が好きだという人は存外、多いのではないだろうか。数日前、二羽のひなが巣箱から出て、梅の木の枝にとまっていた。親鳥が「こうやって飛びなさい」と教えるようになり、あたりを飛び回っている。子鳥たちは長い間じっとしていたが、意を決したように枝を離れ、空をめざしてはばたいていった。親と子はもうそのまま帰らない。巣立ちとはかくもあっけないものか、と思った。【掲載年月日】1985/05/30
2008.05.25
天声人語の書き出し&結語【名文集】『山菜料理』先日、山梨の知人を訪ねたときに、山菜料理をいただいた。大きなざるに盛られたハナイカダやミツバウツギの若葉、クサソテツ(コゴミ)などのおひたしは、見た目にも野趣にあふれていた。塩を入れた熱湯でさっとゆでただけのものだが、淡泊な味がいい。葉っぱの上に小さな薄緑色の小花(しょうか)をつけるあのハナイカダの葉が、これほどやわらかくてくせのない味だとは知らなかった…昔の人は山の手入れを怠らなかった。親は子に、山につばを吐いてはいけないと教えた。ゼンマイを見つければ必ず何本かを残し、フキは根を残すようにていねいにとった。そのようにして「自然の命」を守り抜いてきたのだ。【掲載年月日】1980/05/28
2008.05.24
天声人語の書き出し&結語【名文集】『鈴蘭(すずらん)』トベラの花がやさしい香りをただよわせている。エゴノキの白い花が若緑色の葉の下で波打っている。人見知りをするヤマボウシも、姿のいい純白の花を咲かせている。今ごろはなぜか、ひかえめに咲く花が多い。東京ではもうライラックの季節がすぎ、鈴蘭あるいはドイツ鈴蘭の花も散ったが、北海道ではいまが盛りだ。札幌ではライラック祭がはじまるし、函館市郊外のトラピスチヌ修道院の丘には野生の鈴蘭が咲いているという。北海道では、花の命が一斉にほとばしる季節を迎えている。近所の雑木林の片隅に毎年、鈴蘭が咲く。ほんのわずかな木漏れ日の中でりんりんと香りの鈴をならす花を見るたびに、この「暗きいのち」の歌を思いだす。【掲載年月日】1981/05/23
2008.05.23
天声人語の書き出し&結語【名文集】『朱鷺(とき)』絶滅のせとぎわにある国際保護鳥トキを救うにはどうすべきか、の議論が盛んになっている。野生のトキをぜんぶ捕まえて飼い、人工的に繁殖させるべきだという捕獲論がある。とんでもない、人工繁殖の失敗は全滅につながる、そっとしておくのが上策だという反発もある。トキの運命を思いながら、『荘子』の中の混沌(こんとん)の話を思いだした。南海の王と北海の王が、中央の王である混沌をたずねた。混沌は喜んで二人をもてなした。二人はその好意にむくいるため、一つの穴もない混沌に、耳、目、鼻、口などの七つの穴をあけてやった。一日一つずつ穴をあけ、七つ目の穴をあけたところで混沌は死んでしまったという。絶滅の危機は二十年も前から叫ばれてきたのに、強力で計画性のある保護行政はなかった。今さら何をやってもあまりにも遅すぎる、と思うが。【掲載年月日】1979/5/23
2008.05.22
天声人語の書き出し&結語【名文集】『緑と鳥』雨上がりの朝は、ブナ、ナラ、アオハダ、モミジなどの緑が光り輝いている。ハクウンボクが、大きな丸い葉をゆらゆらさせている。ヤマボウシがもう、何輪かの白い花を咲かせている。わが家の緑は、おおかたはお隣の庭の借景である。日本は森林国である。私たちの祖先は、狩猟採集の縄文時代から、緑と鳥と共に生き続けてきた。緑と鳥にやすらぎを求める気持ちが、日本人にはとりわけ強いのかもしれない。「みどり」の語源は、ソニドリ(緑色の鳥、カワセミ)だという説がある。緑と鳥を、私たちの生活から切り離すわけにはいかない。【掲載年月日】1978/05/22
2008.05.21
天声人語の書き出し&結語【名文集】『桜守』7歳のころ、少年は母のつくったおにぎりを持って満開の桜の木の下にすわった。花が散る。花びらが1枚、ひらりとにぎりめしの上に落ちた。花びらごと、食べた。ふと見上げると、なんとその桜の美しかったことか。桜保護の功で吉川英治文化賞をうけたとき、佐野さんはいった。「最近の都会の桜は、あわれに見える。白っぽく、にごった感じになってしまった」。環境が悪いだけではない。まごころをこめて面倒をみてやらないからだ、という嘆きである。桜こそ日本の花だ。日本全土を桜で埋めつくしたい、といい続けた人だった。桜の老木は枯死しても、何本ものつぎ木が跡を継ぐ。桜守の跡継ぎもまた、同じことだろう。【掲載年月日】1981/05/21
2008.05.20
天声人語の書き出し&結語【名文集】『花の防人(さきもり)』群馬県新里村の長岡武二さんは、85歳のいまもみずから花の防人をもって任じている。老防人は、村に残る何カ所かの桜草の自生地を見回り、花盗人を監視している。1週間ほど前、長岡さんと一緒に沢の近くにある桜草の群落を見た。小雨にぬれる桜草の葉の緑にはものやわらかな感じがあって、おだやかなうすべに色の花になじんている…こうなったら、バイオテクノロジー(生物工学)の力にでもすがり、ありとあらゆる珍しい山野草を大量に生産してもらうほかはない、と思うことがある。山野草が安くたやすく手に入るようになれば、山野あらしもやむというのは夢物語だろうか。【掲載年月日】1987/05/20
2008.05.19
天声人語の書き出し&結語【名文集】『妙義山の緑』目が疲れると、開いていられなくなるときがある。閉じてもなおなにかが目に突き刺さってくるような気持になるときがある。そういう日が続いたときは、緑を見に行く。目を緑に染めることが特効薬になる。人間の目と緑とは、よほど波長が合うのだろうか。知人に誘われて妙義山の緑を見に行った。山青葉の季節である。折り重なる新樹は、それぞれ独自の色で装い、重層的な緑の世界をつくりあげていた…。「これを見てください」と知人がいった。岩壁のそこここに、コケをむしりとった跡があった。コイワザクラを盗み去った跡だ。金時山のコイワザクラが乱獲にあった話はきいたことがあるが、妙義の岩の精もまた、花盗人にはお手上げらしい。【掲載年月日】1982/05/18
2008.05.18
天声人語の書き出し&結語【名文集】『緑の世界』きのうは、東京の緑が1年のうちでいちばん美しくみえた日ではなかったろうか。前夜の雨で葉の汚れが洗い流されたためだろう。クスノキやケヤキの葉が透明な感じで風に光っていた。NHK放送世論調査所が調べた「日本人の好きな色」によると、【01】白【02】空色【03】赤【04】黒【05】ベージュ【06】紺【07】緑【08】青──の順で、緑は第7位だ。だが、緑はふしぎな色で、男女とも50代をすぎると緑派がふえる。とくに男性の50代以上では第2位に躍進する。緑のもつ安らぎ感のせいだろうか。数日前、奥多摩の山を歩いた。曇りがちの日だったが、一瞬、新緑の世界に光がさしこむことがあった。光がさしこんで緑がはなやぐと、なつかしさに心がはずんでくる。森にはそういうふしぎな力がある。【掲載年月日】1986/05/16
2008.05.17
天声人語の書き出し&結語【名文集】『誰故草(たれゆえそう)』幻の花、といわれる誰故草(タレユエソウ、別名エヒメアヤメ)の栽培に取り組んでいる原田一郎さんをたずねた。天然記念物指定の自生地もある貴重な花だが、今のままでは絶滅をまぬがれない、といって老人は誰故草をひろめる仕事を続けている。原田さんの実生園は広島県の山峡の地、甲奴郡上下町にある。もう見ごろをすぎていたが、誰故草は咲いていた。アヤメを小柄にしたような花で、つやのある濃い紫が愛くるしい。山里をかけめぐる少女の髪を飾るのにふさわしい清澄な感じの紫である…。問題は、絶滅した旧自生地に誰故草を復活させることができるかどうか。「かつて私は山から株を採った。その罪滅ぼしに、どうしても山にお返しをしなければならない。私ができなければ、息子が代わりにやってくれるといっています」。【掲載年月日】1981/05/16
2008.05.16
天声人語の書き出し&結語【名文集】『鳩間島(はとまじま)』鳩間島という孤島で起こったできごとについて書く。鳩間は亜熱帯の海にちらばる八重山群島の中でもいちばん小さい島だ。透明感のある海の色のあざやかさと島の静けさでは、たぶん沖縄で、一、二を争うだろう。1台の自動車、1台の自転車さえもない島の生活、島びとの規範や価値観に完全にとけこむ形で「共存」が「融合」に移りつつあるという。つまり「本土人の沖縄化」である。琉球舞踏や陶芸の世界でも、沖縄にとりつかれた本土人の姿を見かけた。復帰後、恐ろしい勢いで沖縄は本土化しつつある。しかしこの本土化の巨流に抗して、沖縄的な価値観や文化にひかれる本土人の沖縄化もまた、静かな形で進んでいる。【掲載年月日】1977/05/16
2008.05.15
天声人語の書き出し&結語【名文集】『銀座の燕(つばめ)』今年もやはり銀座や京橋に燕が戻ってきた。燕たちは新緑の並木のわきを、白い胸をひるがえして飛んでくる。燕は飛翔(ひしょう)の天才だ。時には軽やかに曲線的に、時には鋭く直線的に、時には激しくジグザグに風を切って飛ぶ。飛びながら虫をとり、水を飲む。最近、都市鳥という新しい言葉が使われている。燕だけではない。ヒヨドリ、オナガ、キジバトといった鳥も都会に住みつきはじめた。この都市鳥の生体を調べる「都市鳥研究会」(代表・唐沢孝一さん)も誕生した。都会の人と都会の鳥とのつきあい方、共存の道を探るのが目的の一つだ。【掲載年月日】1985/05/15
2008.05.14
天声人語の書き出し&結語【名文集】『「ニセ」はいや』本紙声欄に「イヌノフグリ」のことを「ベロニカ」と呼びたい、いやイヌノフグリ、結構ではありませんかという投書のやりとりがあった。のどかな話で、こういうやりとりは大歓迎だ。ニセアカシアのかわりにハリエンジュと呼ぶ人もいるが、北国の人にとってはアカシアの名は捨てがたい。では、ニセアカシアをアカシアと呼び、旧来のアカシアをホンアカシアと呼んだらどうか。いずれにせよ、植物の名はだれかが号令をかけていっせいに改めるというたぐいのものではない。10年、20年のうちに、いつかニセの名が消えるようになることを望みたい。6月、札幌の街角にはアカシアの花があふれる。【掲載年月日】1984/05/14
2008.05.13
天声人語の書き出し&結語【名文集】『MAY』「MAY,MAY-DAY──わたしはそれを落第生のように、……してもよい日と訳す。生きていてよい月、五月、喜んでよい月、哀しんでよい月、希望をもってよい月、愛してよい月、五月」(谷川俊太郎)。江戸に集まる封建領主はみな屋敷内に広い庭園をつくった。幕臣も寺社も町人も、庭づくりに精をだした。数千の広大な庭園が江戸の中核にあった。江戸はさながら「庭園モザイック都市」だった、と川添氏はいう。明治維新と開発の波が、東京の緑を破壊した。世界一の緑の都市がもろくも消え去ったのは、一つには、都市美を共有するという思想が育たなかったためではないか。土地が高騰し、私有地が零細になればなるほど、東京の原風景の蘇生(そせい)は絶望的になる。【掲載年月日】1972/05/12
2008.05.12
天声人語の書き出し&結語【名文集】『宝物としての庭』「庭には、なにか貴重な宝物が隠されている」といったのは技術経済学者、ジョセフ・バジール教授である。人々はその宝物を求めて、木を植え、花壇をつくる。庭のない人にとってはベランダの花や盆栽が宝物の代用となる。宝物は土の中に埋まっているわけではない。草むしりに汗を流し、五月の雨にぬれる幼い苗木の緑、その葉の色のうつろいをたのしむ行為そのものが宝物なのだろう。バジール教授はその著『デッドライン二〇〇〇年』の中で「来るべき未来において、われわれはすべからく庭師にたち戻らなければならない」と述べている…バジール教授の予言によれば、将来の都市の大衆的な輸送手段は自転車になるだろうし、職場に近いところに別荘を建て、本宅は田舎に、という時代が来るという。モーターの激しい音が支配する時代から、メトロノーム(拍節器=はくせつき)のような、静かな響きの支配する時代へ、という主張には賛成だ。【掲載年月日】1978/05/10
2008.05.11
天声人語の書き出し&結語【名文集】『コイ放牧』「鯉のぼり風に狂うや身もだえてままならぬ世の空になやめり」。映画監督木下恵介氏が、戦時中、中国の野戦病院に入院していたころの歌だ。大声で原隊復帰を復唱しながら、ひそかに内地送還を願う兵士たちの姿の中に、氏は、ままならぬ世にほんろうされる人々の運命を見た。東京・御茶ノ水駅からみえる神田川の濁り水にコイの群れを見つけて驚いたことがある。黒ずんだ汚水をものともせぬ生命力に打たれたものだが、このところなぜか見かけない。死に果てたのかと思って御茶ノ水駅にたしかめたところ「がんばってますよ」という返事だった。あまりにも水が濁って、こちらのほうも「見えにくくなった」のであろうか。「五月五日わが青き空青き山」(中塚太々夫)。あなたの故郷はいかがですか。【掲載年月日】1983/05/05
2008.05.10
天声人語の書き出し&結語【名文集】『桜の保存林』東京の浅川実験林で、桜の保存林を見た。ここで花見をするのはもう四、五回目になるが、時期を違えて来ると、来るたびにたのしい発見がある。今年の発見は桜の香りだった。保存林には二百種以上の桜があるが、とくに芳香を放つ種類の桜がある。幽香(ゆうこう)というのか、ほのかでおくゆかしく、心をなごませてくれる香りだ…浅川実験林でも、根尾川の老桜の分身の接木をしたが育たなかった、という。だが、甲府の神代桜、その他各地の名木の分身たちは、この地に根づき、毎年、花を咲かせている。五十年後、百年後の桜の保存林を想像するのはたのしい。【掲載年月日】1984/05/04
2008.05.09
天声人語の書き出し&結語【名文集】『ケヤキ』家から駅に向かう道のはたに一本のケヤキの木が立っている。一キロ先からもそれとわかるほどの巨木だ。早春から初夏にかけての日々、毎日のようにながめていると、その姿、木はだの色、葉の色などが刻々変わっていくのがわかる。昔は五日市街道に入るとさっと冷たい風が吹き抜けたという。それほど緑の多い街道だった。「今はしかし緑が減るばかりです。鉄とコンクリートが人間を食いつぶしている」。旧家の当主はそういって嘆いた。「うちのケヤキは枯れるまでぜったいに切りません」という昌平さんの夢は、立川基地跡に武蔵野の雑木林を再現し、緑に囲まれた屋敷内に美術館を造ることだという。【掲載年月日】1977/05/02
2008.05.08
天声人語の書き出し&結語【名文集】『馬酔木(あせび)』アセビのことをアシビ、アセボと呼ぶ人もいる。馬酔木と書くのはこの木に毒性があり、馬が葉を食べると足がしびれて酔ったようになるからだ、といわれている。馬の名誉のためにいっておきたいが、彼らがアセビの毒性を見抜けないほどおろかだとは思いたくない。「日がひかりはじめたとき/森のなかをみていたらば/森の中に祭のように人をすいよせるものをかんじた」(八木重吉)。私たちは森の中の祭りに吸い寄せられ、森の風を食べ、森の沈黙を味わい、太古の森の幻を求める。それは森になじみ、森に生活の糧を求めた大昔の人たちの遺伝子が私たちの血を騒がせるからだろうか。【掲載年月日】1987/05/01
2008.05.07
天声人語の書き出し&結語【名文集】『歩く効用』作家横溝正史は街を歩くかわりに家の中を歩き回った。街中は歩こうにも歩く場所がなくなったからである。麦畑も小川も消え、身を横たえる草むらさえもなくなったと嘆きつつ、横溝さんはマッチ棒をわしづかみにして家の中をぐるぐる歩いた。名所旧跡めぐりが目的ではない。好んで歩いたのは、裏町であり、横道だった。溝川(どぶがわ)ぞいの仕立屋、いも屋、駄菓子屋、ちょうちん屋のなりわい、三味線の音、シイやカシや柳の緑したたる若葉、路傍の石地蔵(いしじぞう)、閑地に咲くハコベやヤブカラシの花、夕日の美しさ、富士の遠景。そういう風景の中を、荷風は「金を使はず相手を要せず自分一人で勝手に呑気に」歩き回った。あてもなく歩き回ることの効用は「無用の用」ということだろうか。きょうから五月。風に吹かれて歩き回るのにふさわしい季節だ。【掲載年月日】1983/05/01
2008.05.06
天声人語の書き出し&結語【名文集】『熊谷草』「風はらむ熊谷草(くまがいそう)の花の母衣(ほろ)」(吉田朔花)。クマガイソウはその花が源平合戦のあの熊谷直実が背負ったほろの形に似ている、というので命名された。同じラン科のアツモリソウは、平敦盛(たいらのあつもり)のほろに見たてられている。野草の一つ一つにこういう、おおぎょうな名前をつけた古人のちゃめっ気に脱帽する。自然の家の職員たちは、開発で周辺の野山の花が消えていくのを目撃するたびに、悔しがった。宅地造成や松枯れなどで野草が消えそうだと聞くと、ここに運んでは植えた。カタクリ、エビネ、イカリソウ、熊谷草。それらがいま育ち、花開き、シイやカシやモミにまじって、ケヤキの若緑が風にわき立っているのが見えた。晩春の日を浴びて、白い炎のように燃えあがるのはウワミズザクラである。「動くもの皆緑なり風わたる」(五百木飄亭=ひょうてい)。 ヒバリが惜春(せきしゅん)の文字を大空に描いている。【掲載年月日】1982/04/28
2008.05.05
天声人語の書き出し&結語【名文集】『色の羅針盤』『配色事典』とか『色の歳時記』とかいう色の本がよく売れているという。色道(しきどう)すたれず。まことにけっこうな話ではあるが、さて、なぜいま、色の本が売れているのか。答えは千差万別だろうが、筆者は羅針盤説をとる。昨今は、色多き色の中にも色ぞなき、の時代である。はんらんするまばゆい色彩の中で、ほんものの色が見失われている時代である。虚色のあふれる時代である。人びとは虚色の海にほうりだされて、羅針盤を求めている。木や草の世界が大都会の日常から遠ざかりだしたころから、色の混乱時代がはじまり、大都会の町並みも、ほんものの色を見失ってしまった。【掲載年月日】1983/04/27
2008.05.04
天声人語の書き出し&結語【名文集】『柏餅(かしわもち)』柏餅の季節である。大きな木の葉で食べものを包むのは昔の人の知恵だ。南の島ではバナナの葉を使い、日本では、柏、桜、ササなどを使う。餅にしみこんだ葉の移り香(が)を楽しむのは昔からのならわしである。合成樹脂製の模造品では風味がでない。加太こうじさんは、子どものころよく、柏の木にのぼって若々しい大きな葉をもいだものだという。それが家で柏餅をつくるときの子どもの役目だった。しんこを蒸している湯気がせいろから立ちのぼる。矢車が軽快な音を立てる。仰げばコイのぼりの赤と空の青さがまぶしい──加太さんの回想は昭和ヒトケタ世代の私たちにもなつかしい。世の中の成熟度と甘さを抑えることとがどこかでからみ合っている、というのがおもしろい。成熟度と抑制のかかわりは甘さの話ばかりではないだろう。【掲載年月日】1981/04/25
2008.05.03
天声人語の書き出し&結語【名文集】『高尾の群落』植物好きの友人たちに一人静(ひとりしずか)、ヤマブキソウを見に行こうと誘われ、南高尾の山を歩いた。淡い黄緑、浅緑、もえぎ色に染めわけられた新緑の丘陵がまぶしかった。白っぽく波立ってみえるのはコナラの若葉だろうか。杉林のすそに一輪草の群落が白玉模様を描いていた。三好達治が「しろくすずしく誇らかに/雲のとびかふ嶺(ね)にさくを/一輪艸と申すなり/わが老いらくの日もかかれ」と歌った花だ。イチリンソウには、終日、風の声、谷川の音と無言の会話を重ねているような、悟りすました風情がある。【掲載年月日】1979/04/25
2008.05.02
天声人語の書き出し&結語【名文集】『ハナニアラシ』「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」と聞けばすぐ「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」を思い起こす。干武陵の詩「勧酒」を訳した井伏鱒二の戯歌(おどけうた)である。もとの詩は「花発(ひら)けば風多く/人生別離足る」。「足る」は多いの意味だ。春の嵐の中では、人も散り、花も散る。別離のない人生はなく、花の散らない四月はない。春はふつう「おだやかな季節」と思われているが、「あらしの季節」と読んだほうがふさわしいかもしれない、といった気象学者がいるが、それほど、四月の天気は荒れやすい。春疾風(はるはやて)、春荒(はるあれ)という季語もある。イギリスには「三月の風と四月の雨が美しい五月を作る」ということわざがあるそうだ。新緑に関するかぎり、このことわざは日本にもあてはまる。【掲載年月日】1980/04/22
2008.05.01
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