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昔沙也加ちゃんはテレビ東京で朝ディズニー番組の司会をしてて、その頃大好きだったんだなー。今も、歌は上手いし、他のタレントさんとはちょっと違うし、好きではあるけれど、ちょっと頑張りすぎで少し肩が凝ってしまう(応援してるからだけど)。それと、ふなっしーとの絡みはわざとらしく、ふなっしーファンからはどうなんだろう?ちょっとやっかみが入らないかと心配。というより。私もふなっしーは出始めから好きなので(ファンとまではいかないけれど)仲良しべったりを演出されては、なんだかなーと思う。頑張りすぎるのは母譲り。母もTV前のラジオ「パンチパンチパンチ」からのファンだった私。どちらも応援していきたい。特に沙也加ちゃんは舞台に期待。
2015.06.30
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昨日夕方、せっかく楽しみにしていた美味しいスペイン料理の外食だったのに、食欲が出ず、沢山食べる事ができなかった。食べてる間にもしんどくて、胃腸の調子が悪いのかな・・・と思ったけど、帰りの車でクーラーの風がものすごく寒い・・・段々だるくなって、家で熱を測ると38.5度。平熱が35度なので相当寒く、お風呂でシャワー温度が38度にしてあったので、それがまるで水みたいに感じ、寒さにガクガク。温度を40度に上げて湯船でしっかり温まるとだいぶ楽になった。夜中3時半に目が覚めたので熱を測ると37.3位に下がっていたけど、私にとってはまだまだ熱が高く感じる温度で、朝には36.7位となり、普通平熱だよね。それで会社に行ったんだけど、頭はぼーっとして働かないし、しんどくてしんどくて昼に早退してきた。そしたら又37.5度位に上がってて、同じ温度でも朝より辛く、会社には行かないほうが良かったのかも。この季節にカーディガンを引っ張り出して羽織り、毛布をひざにかけてる。それでも寒い、でもこの季節だから気がつくと汗をかいてる。かといって、毛布をはずすと寒さにガクガク。風邪っぽくないんだけど。発熱だけって、まさかデング熱じゃあないでしょうね。。。と不安になり、調べてみる。以下引用**********感染後2~10日ほどで突然の高熱で発症します。頭痛、眼の奥の痛み、腰痛、筋肉痛、骨痛が主な症状として現れ、さらに食欲不振、腹痛、吐き気、嘔吐、脱力感、全身倦怠感(けんたいかん)も現れることがあります。全身のリンパ節のはれもみられます。また、発熱してから3~5日目には胸、背中、顔面、腕、脚に発疹が出ることもあります。 これらの症状は約1週間で消え、通常は後遺症を残すことなく回復します。 頭痛、倦怠感、食欲不振はあるけど、その程度。それに、他のウィルスでも症状は共通しているらしい。庭で蚊にはさされているけども? でも怖いのは「デング出血熱」の方らしく・・・以下引用デングウイルスに感染したヒトのうち、最初はデング熱とほぼ同様に発症し経過しますが、熱が平熱にもどるころに血液中の液体成分(血漿(けっしょう))が血管からもれ出したり、出血の症状が現れたりすることがあります。この病気はデング出血熱と呼ばれ、適切な治療を行わないと死亡することがあります。 血漿のもれは胸水(きょうすい)あるいは腹水(ふくすい)として現れます。出血は比較的軽い点状出血、注射部位からの出血、鼻出血、血便、重篤な吐血、下血と多様です。血漿のもれが進行するとショック症状を起こし、デングショック症候群とも呼ばれます。だそうだ。
2015.06.29
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米 連邦最高裁が同性婚を認める判決をしたということで、NYでのパレードの様子が報道されていた。「まさかこの国で認められ、結婚できるなんて!」という喜びの声があった。良かったね~、太古の昔から、あったと思うんだよね、同性愛は。そんなに不自然な事ではないんだろうな。幸せな人が多いほうが良いに決まっている!
2015.06.29
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確か社会の授業で習ったと思ったけど、ナイル川の氾濫で肥沃な土地ができ、エジプト文明が繁栄した、と。我が家の目下の悩みは、市が少し上流で行った工事のせいで、我が家が突然洪水被害にあうようになったこと。ほんとに、すごい、今年の雑草の根っこの張り方、今までと全然違う。今朝のような雨上がりなら、それなりに力を入れれば抜けたものだったが・・・今回はスコップで掘らないと全然歯が立たない。洪水で栄養分と、雑草の種が豊富に運び込まれてきたことを実感している。
2015.06.27
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メール便送料無料!【中古】 赤目四十八滝心中未遂 / 車谷 長吉 / 文藝春秋 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】1~2年前に読書会なるものに参加してみたのだけれど、読解力にも、自分の人生経験にも、各分野の頭脳的にも自信がないので、なかなか出かけようとは思えずにいた。第一、毎回定員枠がすぐに昔からの会員さんで埋まってしまうので、私なんかがその枠を取ってしまったら申し訳ない気もして。でも今回、どういうわけか常連さんが皆さん用事で参加できず、空きが埋まらなかったので勇気を振り絞り参加する事を決意。・・・なーんてものではなく、気軽な会だとは思うんだけどもね。私は勉強は苦手ではなかったけれど、生きる力に少し欠陥がある。人間関係を上手く構築できず、他人との距離が上手く計れないのだ。だから、本も自分なりには理解しているつもりでも、ごく普通の気持ちを汲み取れなかったりしていそうで、本についていろいろ言い合うなんて自信がない。まあ、そういうの、私だけではないのだろうとは思うけれども。今回の課題はこの本。車谷長吉さん、課題で始めて知りました。有名大学を出て大きな広告代理店でサラリーマンをしていた主人公は、なんとなく毎日に違和感を感じ、何の計画性もなく会社を辞めてしまう。でも一流大を出ているのだし、何とかなりそうなものなのだが・・・そのままずるずるとかつては無縁であった世界へと落ちていくのであった。その世界で欲も無く黙々と暮らしていても、その世界に馴染むことはできないらしい。本人よりも、周りが違和感を感じ続けるのだ。最低の暮らしに落ちぶれていると本人は感じていて、それは確かな事実なのだが、周りから見てみると多分少し違ってみえるのかな。「腐っても、鯛」・・・的な?人は彼に好感を持っても、「ここにずっと居るべきではない」と思うのかもしれない。流れ着いたアザラシにずっとこの地に居て欲しいと思いつつ、でもやっぱり北の海に返したいと思うみたいに。一回読んだだけでは汲み取りきれないものが多いだろうからもう一回読んでみたいし、他の作品も読もうと思う。
2015.06.22
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岩絵具は日本画の絵具。世界中のとても綺麗な色の岩石を細かく砕いて作られている。人口石や、色をつけた水晶などでも作られている。ただの材料なのだけど、使ってみるとその色の美しさは他の絵具とはちょっと違う・・・色味が惚れ惚れするほど美しい。それから、塗った感触・・・岩石の粉をにかわという糊で溶いて、画面に置いていくのだが、画面に広がるキメが、今まで使った絵具とは全然違うのだ。石の粉だから、下手な私では雑な感じになってしまうのではないかと恐れたけれど、下手な人が使っても、「あー、日本画になった!」と感じる独特の感触。それは、布で言えば、木綿と絹とウールは全然違う、そんな感じ。まだまだ塗り絵以下だけど、後何枚か描けばきっと何かつかめると思う。たぶんこの一作目は失敗するだろうけど、ともかく楽しい!
2015.06.18
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今、有吉とマツコの番組で、三大飛びだす絵本が紹介されていて、これはもちろんワクワク素晴らしく楽しい。なんと素敵で素晴らしいのだろう。私は方向音痴で、特に立体になると上手く空間を把握できない・・・そのせいか、かつて素晴らしい飛びだす絵本(メチャクチャ高価)を思い切って購入したこともあったのだけれど、思ったほど楽しめなかったのであります。何度も開くと次第に紙が慣れてきて、張りが無くなったり、はがれだしたり、切れ始めたり・・・それが惜しくて触るのもイヤになったり。貧乏性なんだよね。それにも増して、何度も何度も繰り返し見たいという欲求も無くなってしまい。 だけども挿絵は。子どもの頃、本の挿絵に「ああ、もうちょっと詳しく描いてくれたらいいのに、この切れてる先が見たいのになあ」と、じっと見てても決して先は見えはしないのに、諦めきれずにじーーーーっといつまでも。飽きずに繰り返し挿絵を見ていた・・・なんでかな、こうして考えると不思議な気がする。
2015.06.17
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田舎では私立も国立も行く人自体少ないし、経済格差もそんなに無いから、都会のこういう事ってのは、実は余り良くわからなくて、だから最初は観ていなかったんだけど。階級!?だのなんだので大騒ぎって、めんどくさいだけで、どろどろ嫌な気持ちになるだけなんじゃないのーって。でも、たまたま最後から三話目を観始めたらイキナリ夢中になっちゃって。前半何にも観ていなくても、引き込まれた。今日の最終回、園長先生のお話にうなづいた。子ども達の成長について語るのは当たり前だけど、親の成長や葛藤に言及してくれるような園長先生って、なかなかいないのかもしれない。先生と親はそれなりに礼儀正しく、かつ親しみを持っている関係だとは思うけど、実際は・・・?親の悩みや苦しみに寄り添ってくれる先生は少ないかも。順調な子ども、そのしっかり子育てできる親は評価しても、上手く子どもと付き合えない不器用な親とか、自分自身世間と折り合いをつけられないような、大人になりきれない親とかは、むしろやっかいな存在かも。そんな子育て下手な親をフォローし、導き、応援してくれる存在ってのはなかなか無くて、子育ては想像以上に困難な仕事だ。子育てが下手な親は、ただ自信を無くしずっと子に申し訳ない感を持っているか、開き直るか、まあ、そんな事自体気がつかない、か。だけども一見順調に育っていても、いつ何時子どもの内面から何が噴出するかって、わからない。それまでは子育て上手と思っていたとしても。ほんとにねえ。親も成長していけたらいいんだけどねえ。嫉妬もするし、むかつく事もあるだろうけれど、それでも子どもを持つ親同士、協力しあって、信じあってね。ドラマじゃなかったら、苦しみはそのまま家庭の中に密封されて、できるだけ漏らされぬように保存されてしまうだろう。親も未熟な存在だから、解決策も一人では絶対にみつけられないしね。これから子どもの少ない時代。日本にとって人の質は資源だった。これからは、さらにそうなるのではないの?すごく大事なことだよね。お父さんの、親は子どもが可愛いから、楽な道をみつけてあげようとするけれど、そんな事ではなく、ただ、生きて死ぬだけのことが、どれだけ貴重なことかを教えればいいというような言葉が印象に残った。ほんとだよねー。 うちも不登校の子がいたから言えるけど、学校に行かなくても、なんとかなるよ。生きる道はある。大企業就職とかは確かに無理だけど、優良経営の中小企業なら、場合に寄っては性格や責任感、独自のオタク的技術を買ってくれる可能性はある。学歴にこだわってガッカリしてたら、自信は持てないし、未来も見えなくなってしまう。そりゃ、偏差値の高い大学を出るに越した事は無いけれど、これから若い人手もどんどん足りなくなるのだろうし、なんとかなるさ。本人に何かやりたい事があれば、それを極めればいい。責任感があり、穏やかで気持ちが良いだけでもかなり貴重だ。もちろん個性や能力差はあるけれど、それは学歴があっても差があるもので、均一にはできないし、それぞれが自分の得意分野を開拓するしかないのは同じなんだから。一生の賃金には差がでるかもしれないけど、そんなもの、生まれつきの貧富の差だってあるわけだし、どうのみち平等なんてものは、この世にはあり得ないのだものねえ。能力があれば、学歴が無くても会社を立ち上げたり、株の取引で利益を出したり、コミケでもうけたりする事もできる。学校に行けなくなったら、学歴にしがみついても、無駄なんだよね。そうは言っても、不登校の子は誰より学校に行ける自分に戻りたい気持ちが強いものだ。昔の、普通の自分に必ず戻れるはずだと信じたいのだ。だから、苦しむ・・・その気持ちは尊重し、だけど学校に行けなかったら、生きていけないみたいな考えは捨てるべき。家族や周りの人が支えて、自己否定しないようにすれば、なんとかなる可能性は高い。産まれてきたら、なんとか生きる道を探しつつ毎日歩んで、自分なりに長い道を歩いてきたな、と満足して一生を終えられたら、それでいい。
2015.06.16
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私もいろいろあった。子どもに関しては結構悩みもあって、自分自身子育てを楽しめる余裕も無かったし、元々子どもを育てる資質に欠けているのだと思う。それでも、自分としては精一杯をしてきた。それが良かったとも言えないし、子どもには申し訳ない思いもある。知り合いで何もかもスムーズで苦労が無く見える人がいるのだけど、彼女とは然程親しい訳ではない。でも、ちょっとした場で一緒になる事が多く、そこでは不登校児に対して批判的な人もいるので、私も返答に困る事があり・・・中では知り合いの彼女にだけ、実は娘が不登校であった事を手短かに打ち明けた。すると、彼女の家にも不登校は無縁ではない事がわかり、又それ以外の話も少しして、誰にも気がかりがあるものなのだなあと思った。当たり前の事ではあるけれど、自分だけが苦労している訳ではないし、結構皆口に出す事も無く、頑張っているのだなあと改めて思った。 反対に、自分に今まで関係が無いと、自分とは無縁と思って上から目線で批判する人もたまにいるものだ。でも、今まで無縁ならこれからも無縁とは誰にも言いきれない事だ。辛い試練がある事で、思いやれるようになると言うのは本当だなあと思う。私も自分がまだ経験していない事に対しては、ついつい知らず残酷な事を言ってしまうこともあると思う。気づけない事が、未熟で無知という事。それを恥ずかしいと思うようになった事が、年齢相応の成長という事なのかな~。
2015.06.14
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石牟礼道子 椿の海の記普段手に取らない本だけど、読書仲間さんのレビューを読んで、どうしても読んでみたいとチェレンジした。内容は、すごくいい。舞台は、後に公害で有名になる水俣。まだまだそんな事は想像さえできない時代から話は始まる。「長崎ぶらぶら節」でも、当時この地方では食べるにも困る暮らしが普通で、娘は芸がなければ売春宿に売られることも普通だったと読んでいたが、その売られていった先の売春宿の一つも出てくる。貧しさに売られ、その先では淫売とののしられる娘たち。この本の中では、時折触れられるだけだけれど、とても気になった。主人公の家は、父が経営できない男で、事業は営んでいるけれど仕事の質にだけこだわるばかりで赤字になるためにやっているようなもので。先祖から結構な遺産を引き継いだなずなのに、どんどん没落し、辺鄙などんづまりの、火葬場の近くに移り住み、そこに道を引く。没落していくが、結構立派な仕事をしているのは事実の父であった。女達は野の草を摘んだり、畑をやったり、行事の料理を作ったり。ともかく行間から、大地の臭いや芽吹く勢いや、すごいパワーを感じる本である。なのになぜ読み進められないのかというと、キツイ方言で書かれているからなのだ。私は英語も、古文も漢文も苦手。得意なのは現代文だけなのだが、そういう点で読み進むのが大変なのかも。方言も聞けば割合すぐ馴染むのだけど、文字だけでわーっと書かれると、理解するのもなかなか・・・それでもやっと少し慣れてきたところ。もっと早く読みたい。この先どんな展開になるんだろうか。とても気になる。
2015.06.05
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気持ちを開放して、心配しすぎず、ケセラセラでいこうって思っているのに、それを繰り返し口にしないと、無駄に心配しすぎてしまう傾向が強い。大した効果があるとは思えないのに、無駄に心配する癖を持てあます。わかっているんだけどね。例の洪水問題、あれからも全く進展が無い。これから夏になれば台風被害がどれだけになるのか、想像できない。今日は会社から帰ったとたん、同じ分譲地に同時期に家を建てた奥さんが来て洪水被害について少し話をしたのだが・・・話せば話すほどお互いもどかしく、どうも会話がかみ合わない。これは昔からで、彼女とは経歴が似通っている割に全く理解しあえないのである。今日も彼女が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。同じ分譲地でも、我が家だけが他の家よりわずかに、多分20センチかそこら土地が高くて、田んぼが減るにつれ他の家が川の洪水で被害を受けるようになっても、我が家だけが無傷だった。それが長年気に障っていたという事なのか?よくわからないけど、彼女は「今までうちの方に溢れていたおかげで、りぃー子さんちは免れていたんだから」と言う。だから?今度はうちの番ってこと?彼女の方に溢れないような工事を市にさせて、平和を勝ち取った彼女。だから今度はうちが被害にあっても当然だって意味かしら・・・彼女の事は考えない方が良いのだと思う。 話は変わる。私は昔から気功に興味があり、近所の公民館で行われていた医師と看護婦さんの気功の会に入会するためには太極拳ができないとダメと言われて、5年ほど太極拳を習った。でもその間に気功の会は無くなり、その後太極拳も私が通える時間帯の教室が無くなってしまって。そんな時、レイキと出会ったのだった。私は気功を知りたいと思ってきたけれど、実際はレイキを探していたのかもしれない。その辺の違いってよくわからないよね。今もわからないままだが・・・レイキは一般的には2日間のアチューンメントを受けて数十万円を支払う事が多いらしいのだが、私は普通の習い事の月謝程度の費用で受けることができた。すぐには何も変わった感じがしなかったけれど、何より次第に気持ちが楽になってきたのだった。それまでは自分さえ良ければそれで良いと思って生きていたと思う。他人を蹴落とそうとか、人の不幸は蜜の味とか思うに至るまで切羽詰る事が無かっただけで、実際はとても心が貧しくて、視野が狭く、人が許せず嫌いだったんだと思う。自分が信頼できる、好きな人はほんの一握りで、それ以外はくだらない人、みたいな感覚だったのかもしれない。でも、レイキを習ってからは、自分と他人との境界があいまいになって、と言ってもまだまだ相変わらず運転中などはイライラしたりカッとなったりしがちだけども、それ以外は他人が気にならなくなって、自分も人も、これでいいんだなと思うように変わってきた。あったかいというと、ありきたり過ぎな言葉だけど、人も自分も生暖かい存在で、それがいいのかもしれないなと。暖かさの源は、自分の中ではなくて。それは世界や宇宙や太陽のつながりの中心から溢れ出てきて、レイキっていうのは、その暖かさを自分を通じて噴出させる方法なのかもしれないと思う。なんて、私はまだ3回位しかレッスンを受けていないのでど素人。でも・・・やっぱり変化が有難くて、そのおかげで元気になってきた。 今回も、必要な事は自分で動かなくてはならないけれど、でも気持ちの面ではレイキの力を借りて乗り越えたいと思う。今はまだ苦しくて、どうしたらいいのか迷っている最中だけれど、ただ暖かさと光が自分を通して輝けたらいい。自分は輝かなくて良い所が、レイキの良いところで、自分は光や暖かさの媒体になればいい、というイメージなのだと思う。光は元々あるのだが、媒体が多くなれば、世の中はもっと暖かくなるというわけだ。(多分?)具体的な事を細かく言って願うほうが良いとも聞くけれど、私は面倒くさがりなのでいつも余り細かいことは考えない。ただ、なんとなく全てが収まると良いと思う。あるべきところに、収まるようにと願う。つまりは、余り突き詰めて悩んでもいいことは無いだろうと。要望を出したり、かけあったり、動き続けるけれども、気持ちをもっていかれてはいけないのだろうと思う。
2015.06.03
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