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「藍の風」ミニエッセイより「万葉人に招かれて」「百伝う磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲陰りなむ」ラジオから流れてくる大津皇子の辞世の歌、犬養孝先生の名調子の万葉歌の朗詠が今も耳に蘇ってくるほどに分かり易い先生の講話に導かれて、難しいものと敬遠していた万葉集に近づくことができ、万葉人の赤裸々な叫びに心を打たれ、親しみさえ湧いてきました。 そういえば母校の女学校の庭にも、ささやかな万葉植物園があり、犬養先生に劣らぬ情熱をこめて万葉集歌を教えて下さったN先生のことも思いだされます。 そして昭和十年代は催眠術をかけられた如く、全国民が歌わされた歌は大伴家持の「海ゆかば水漬く屍、山行かば草むす屍、 大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」の大合唱の波涛の前に砕けてしまいました。今晩学ながら万葉人に招かれて、万葉集の魅力にとりつかれています。 昭和五十六年一月
2016年08月29日
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「幸せの塔」けい子ちゃんは小さい頃からお花を植えて毎日お水をあげたり、草を取ったりお世話をするのが好きでした。お母さんに教えて貰って、やさしく面倒を見ていると、いつの間にか蕾が出来てやがて美しいお花が咲きます。それが楽しくてこまめにお世話していました。そんなある日、サボテンの植木鉢の隅っこに緑の小さい芽が出ているのを見つけました。どこか草と違う感じがしたので抜かないでおきました。其のうちに緑の芽はどんどん大きく育ってきました。「あら、あんたナスタチュームさんだね」大きく育ったナスタちゃんはたくさん蕾を付けて、やがて紅い花や黄色い花を次々咲かせました。まんまるいサボテン君もナスタちゃんと仲良しになって毎日楽しそうに遊んでいました。「あんた、どこからきたの?」サボテン君が話しかけます。「どこからきたのか、あたちしらないのよ。きっと風に乗ってきたのよ」それから何か月か経ちました。けい子ちゃんの新しいお家ができました。けい子ちゃん一家は新しいお家にひっこしました。新しいお家のべランダから見ていると、すこし右寄りの方に細高い塔が一番に目にはいりました。曇り日が続いていたので、塔の色は鈍い灰色にみえましたてっぺんは六角錐の形のようです。何のために作られたものか正体が分かりませんが、煙を吐くこともなく、音が出る様子もなく、それだけに不思議な塔だなと思っていました。そして、お天道さんは気が変わったのか、秋らしく爽やかな青空になりました。けい子ちゃんが久しぶりにべランダに出てみると、あの鈍い色の塔が朝日を受けてキラキラ輝いています。明るい色のドレスをまとっているようにみえました。「ああ、幸せの塔だわ」けい子ちゃんの口から思わず出てきた言葉ですそれからは秋晴れ続きで、毎日塔はキラキラ輝いていました。けい子ちゃんも日増しに新しいお家に慣れて来ました。そんな秋晴れの朝べランダに出てみると、朝陽をうけてあの背高のっぽのしあわせの塔の六角屋根の下に音もなく扉が開いて小鳥が一羽出て来ました。すると、また隣の扉が開いてまた一羽小鳥が飛び出して来ました。けい子ちゃんがなおも見ていると、小鳥たちが次々現れて、みんなで8羽が空高く入り乱れて飛び交いながら、どこかへ飛んで行ってしまいました。けい子ちゃんは驚いて、ただ黙ってながめているだけでした。「アーア、あの小鳥さん達どこへいったのかしら」けい子ちゃんはただ小鳥さんが飛んで行った空を見続けていました。塔を飛び出した小鳥さん達は何処へ行ったのでしょう。ここは公園のお花畑です。美しく咲き揃っている花々、ひなげしやアイリスやペチュニアなどの間を小鳥たちが楽しそうに、チッチ、チッチと飛び交っています。小鳥さん達はお花の蜜を吸ったりかくれんぼしたり、お花の上を飛んでいて、種が実っているのを見つけると、くちばしいっぱい啄んでどこかへ飛んで行ってしまいました。小鳥さん達は、やがて、あちらこちらのお花畑に飛んで行って、お花の種を振りまいてきました。そうして何度か行ったり来たりして小鳥さん達は季節ごとのお花の種を蒔いて、一年中地上にお花が絶えないよう働いているのです。今日も夕焼けの美しい色に染まった中をしあわせの塔の小鳥たちは帰ってきました。六角塔の小窓の扉が開いて8羽の小鳥さんたちはお家へはいりました。そうして、毎日しあわせの塔の小鳥さんたちはお花畑から、お花の種をもらってきて、あちらこちらの公園やお庭に蒔いていました。あれから一年ほど経ちました。あちらの公園の花壇やこちらの花畑やお庭にいろいろの春の花が美しく咲き始めました。
2016年08月23日
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田舎とはいえ団地の建てこんだところでわずかの庭木にきて毎朝毎朝せっせ、せっせと油蝉たちが声の限りに競って鳴いていました気がついたら、あのやかましいセミたちはどこへいってしまったのでしょう土の中から生まれてきた蝉たちはその短い一生を声をからして終えてしまって楽しかった思い出をいだいてもとの土に帰ってしまいましたカエル君も土に帰って安らかに眠っているでしょうわれわれ人間も人によって人生の長い短いのちがいはあってもいつかは土にかえるのだと思っていいでしょう (2013年8月22日 ブログ記事から)
2016年08月18日
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「蝉の一声」朝出勤してきた女性が二、三日前、蝉の声が聞こえるよという。今朝カーテンを開けて、耳を澄ますとかすかに蝉の声が聞こえてきた。ああ、夏が来た。温度計はずっと夏の温度だが、蝉の声をきくと本格的に夏が来たんだと思う。ここ四階のベランダの下には家々の植え木が茂っている。道路を通る白い車の頭が一か所だけチラチラ見えるだけで大きい樹木の茂みが埋めている。今年の夏は蝉の声がやかましいだろうと思っているが、まだ生まれてこないのだろうか、一声では寂しい。このお盆はさっちゃんの初盆で、あわせて百か日法要も行います。
2016年08月13日
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「白いドレスの記念写真」いとこの節ちゃん一家がブラジルへ行くという話を聞かされました。そんなある日、一枚の写真が送られてきました。 盛装した一家四人の記念写真でした。おばさんが一番に目に付きました。まっ白いドレスに白い鳥の羽根がついたモダンなお帽子。節ちゃんも白いレースの飾りのついたかわいいお洋服を着ていて、とってもきれいだなあとみとれていました。、「いいなあ、こんなドレスきてみたいなあ、お姫様みたいだなあ」と思いました。来月になると、ブラジル行きのお船に乗ってゆくという。うらやましいお話でした。幾日か経って節ちゃん一家が私の家へお別れに来ました。その時、節ちやんは私にフリルのいっぱい付いたドレスを着た西洋人形をくださいました。節ちゃんが大切にしていたお人形だということでした。うれしかったなあ。私は節ちゃんたちがなぜブラジルへゆくのかわかりませんでした。その日は夜遅くまでお父さんとお母さんとおじさんとおばさんの四人で話し合っていました。お父さんとお母さんはいしょうけんめいに、おじさんたちのブラジル行きを思いとどまるよう言いました。でも、おじさんもおばさんも、もうお店を閉じて、家の道具など処分してしまったからと、気持ちは変わらないようでした。そうしていく日かたって、神戸の港からブラジル行きのお船が出る日になりました。準備はもうすっかりできていました。その朝のことです。突然節ちゃんがめまいを起こして倒れました。あわててお医者さんに診てもらいました。お医者さんは、とてもブラジルまで行ける体でないから止めなさいといわれました。仕方ありません。病気の子供を連れては行けません。ブラジル行きは止めなければなりませんでした。そうして、またおじさんたちは洋服商の仕事を続けることになりました。一度処分した仕事の道具などを買い戻したり、もとのようにお店の出来るようお父さんは徳島から何度も大阪へ行き来して、おじさんのお店の立て直しに力を貸してあげていました。あの時のお別れの記念写真を時々取り出してみるたびに、ブラジル行きの時の話をしてあの時のことを思い出していました。本当にブラジルへ行かなくて良かった。節ちゃんの気持ちが自然に運命を変えたのだと思います。その思い出の写真も、多くのほかの大切な品々とともに米軍の空襲の夜、炎に包まれて焼けてしまいました。でも今でもあの写真の節ちゃんの白いお洋服姿がまぶたに浮かんで来ます。 2013年5月30日
2016年08月08日
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