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今年は5月にさっちゃんが突然帰らぬ人になってしまい、私にとっては悲しく寂しい一年になりましたが、彼女のブログや作品を読み返しながら、懐かしむ一年になりました。少しの間と思いながら彼女のブログを続けて来ました。ご愛読していただいた多くの方々に感謝しています。くしくも来年はさっちゃんの干支だった酉年です。皆さんもよいお年をお迎え下さい。ありがとうございました。 syun今日はさっちゃんが残した大晦日のブログ記事を思い出しながら紹介します。(2007大晦日)今年も無事にお正月を迎えることが出来ました今朝は寝坊をしないで8時に起きました雪が降ってきたけれど洗濯をして、キッチンの片付けをしてお掃除をし、表を掃いて、おしめをかけたら、紅白が始まってしまいました残念ながらお絵描きする暇がなくなりました今年最後の日にお休みするのもいやなので年賀状をのせます毎日ご訪問くださってありがとうございました新しい年もよろしくお願いいたします(2011大晦日)To Chase Dream.年末の大晦日の言葉というより元日の言葉の方がふさわしいわたしは 今年一年夢を追いかけていたのだろうかそして 夢の方が笑顔でおとづれてきてくれた感じですこれに味をしめて来年も夢をおいかけましょうかすこしサイズを大きめにしてだめだめ 欲張ってはだめですよまたささやかな楽しい夢をおっかけましょう以上 大晦日の一言です(2012大晦日)ほんとうに「あっ!」というまにすぎた一年でした。阿波踊りの渦のなかで皆様に囲まれて夢中になって踊っている感じでした。改めて一駒一駒思い出してみましょうか。 ○ 1月7日名古屋xxxテレビの収録 ○ 1 月27日NHK東京の全国放送と徳島NHK ○ 四国放送のゴジカル ○ MBSのはなまる ○ 関西TV ○ 11月ナニコレ珍百景 ○ 地元のケーブルTV ○ 共同通信 徳島新聞 タウン誌 女性自身 女性セブン など私としては初めての体験でうろうろしていましたが興味深々楽しい毎日でした。報道関係のみなさま大変お世話になりました。お心遣い感謝いたしております。ありがとうございました。(2013大晦日)今年も365日無事におわります。皆様方のご厚意に支えられて自由に勝手気ままな作品を発表できたことを心から感謝していますとくに熱心に毎日コメントをくださって私も多くのことを教えて戴きお互いに心の交流を深め気持ちの良いムードが形成されてきていることを一番嬉しく思っています。(2014大晦日)大晦日です。あと5時間すれば2015年です。2014年も無事に終わろうとしています。世の中良いこともあれば悪いこともあるでしょういやなことは忘れて新しい年を迎えられることに感謝しましょう。この大きい蜜柑はさきほどここのコートダジュールの施設長さんがさっちゃんがお絵描きするのでわざわざもってきてくださいました。このみかんのようにみずみずしく新鮮な気持ちで、今一番やりたいことをまた、やらねばならないことにがんばりましょう。ブログのおかげでブロ友さんサチ友さんたちに励まされご協力いただき楽しく続けることができたこと感謝いたします。新しい2015年もみんなが楽しくなるようなブログにしていきたいと思っています。みなさんよろしくご協力をお願いいたします。(2015大晦日)今年最後の太陽が雲の高い所で燃えている。後2時間で西の山に沈むかおをあげてみるたびに 輝きを増している。「今年の夕陽をよく見てね」といっているようにさざ波のような雲を分けて大海原を進んでゆく気分でなんだか昇っているように見える。キラキラ輝いていたのが次第に紅を帯びてきた。輝きが収まって太陽の輪郭がくっきりと紅くなった。間もなく山の端に掛かってきた。 「平成27年の最後の太陽さん さようならー」1年間ありがとうの感謝をこめて元気でね来年も平和で明るい世界を頼みます。
2016年12月31日
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~「藍の風」 エッセイより~「圧力釜の思い出」 戦後間もなくの頃だった。戦災に遭って、四人家族に小さいアルミの鍋一個コンロ一個のくらしは不自由で、特に配給の丸麦を煮るのに困って、父が大阪の伯父に頼むと、圧力釜なら買えるといって、ちょうど大阪から徳島に帰る人があり、頼んで運んでもらうからと連絡があった。私は喜んでそれを受け取りに当時の汽車で二時間位もかかって蔵本駅で下りた。庄町のそのお宅を探しあてて、お礼の言葉もそこそこに頂いて帰った。重いものとは予想していたが、駅までの道は、5~6メートル歩いては下に置いて腕を休ませながら運んだ。ところが満員の列車に蔵本駅から乗るのは大変で、ようやくのことでデッキに足がかかったが、片手で風呂敷に包んだ釜をぶら下げての二駅三駅の長かったこと。大げさなようだが、全く必死の思いで耐えたのだった。今思えば、ずいぶん親切な方もあったもので、遠方はるばる、あの重い釜を運んで下さった方のお名前を忘れてしまってお礼のしようもないが、思い出す度に感謝している。釜は三升位炊けそうな大型で分厚くて、四方に鬼の角のように頑丈な止め金がくっついていて、それに蓋を締めつける蝶形のねじがついて、見るからにいかついものだった。だから戦時中の食糧難の時代に、きっと売れ残っていたのだろう。とても焼け跡から拾い集めたくず鉄などで作れるものではない。家に帰ると、斧の刃のように突き出た釜の縁で傷めたのか両方のふとももには青あざが一面に浮かんでいた。使ってみて驚いた。じゃが芋が貴重品だったその頃の空き腹ではとても持ちあげられない重さだった。重量あげの選手のように、お腹をバンドで締めて「エイッ」と掛け声をかけて持ちあげればあげられるだろうか。高温の蒸気がいつ噴き出すか分からない危険もあった。はじめのうちは使い方に慣れず火力の調節や噴出口の操作が難しくて火傷をしたり、もう煮えたか見ようとして一カ所のねじを、ちょっとゆるめたとたんに、ものすごい音を立てて、貴重な干し大根が大方ふき出して、辺りにとび散ってしまった。そんな時の悔しくなさけない思いは、今では想像もできない哀しいことだった。そして朝鮮戦争の頃だろうか、金へん景気の頃、苦労を共にした圧力釜の愛着もうすれて、くず買いに売ってしまった。そのあとは、直ぐに兵器に化けたり砲弾になって砕け散ったかもしれない。運が悪ければ、どこかの国の兵士を傷付けたかもわからない。また運がよくて、小さな鍋につくりかえられていれば、十個も二十個ものピカピカの鍋になって店頭に飾られているかもしれない。私にとって圧力釜といえば、汗と涙の哀しい思い出の詰った巨大なカブトガニのようである。 昭和五十六年八月
2016年12月24日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~月日の経つのは早いもので、今年も残り半月程になってしまいました。来年は酉年です、さっちゃんが元気なら8回目の年女でした。今日から郵便局で年賀状の受付が始りました。2014年12月22日のブログ記事より「師走の風をすってきたよ」朝寝坊したので知らなかったが今朝は近くの眉山も、屋根にも雪がうっすらと積もっていたらしい。午後、郵便局などに用事があってくるまでつれていってもらった。駅前の郵便局では次々お客が入ってきて出てゆく。みんなそれぞれに仕事を抱えてやってくる。そして、すたすたとでてゆく。師走だ。幼い女の子の紅い靴下ママは黒い靴下の長い脚師走の風景のなかのワンポイントだれも一言も話さない、真剣な顔つき老若男女おばあさんも3,4人腰の曲がったおばあさんが冷たい風の中自転車で乗り込んで来ていた。いすにかがまって囲い込むようにして通帳を調べている様子のこれもおばあさん。郵便局は庶民のための重要な機関だ。風は冷たいけれど老人ホームと違って外の空気は生命力を感じる。師走の風と言えばつめたいのはあたりまえだ。それが自力の生活を離れた身分にとっては別の世界だと感じる。
2016年12月15日
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「油売りのおじさん」 昭和一桁、私が小学生だった頃、朝からお得意回りをすませた行商のおじさんとおばさんが、毎日お昼時になると、帰り道、私の家に、立ち寄って一休みして帰って行った。宇野さんというおじさんは小さい車に油じみた木箱を積んでいた。何の油を売っていたのか、私の家では買ったことがないので分からないが、多分食用油と思うが、どんなお得意さんが買っていたのか分からない。その頃父は、店のカウンターの奥を仕事場にして、紳士服の仕立てをしていたので、仕事の手を休めずに、宇野さんたちの話し相手をしていた.時の話題が一通り終わると、彼のおきまりの「金満家」鴻池の話が出る。「大阪の鴻池では一日何億、ごうせいだねえ、大将」というぐあいである。子供の私には何の話か分からないが、一流の財閥の一日の取引する金額が庶民の暮らしとけた外れだと言いたいようだった。彼は話の合間に煙草をキセルに詰めて、おいしそうに味わっている。彼にとって一仕事済ませての一服は至福の時なのだろう。カウンターの上にお客用の煙草盆を置いてある。小さい四角の木箱の中に陶器の小さい火鉢と竹筒が入っている。彼は一服吸うとキセルに詰めた煙草のかすをとるため、火鉢に叩きつける。竹筒も叩く。キセルの金具のところがカチンカチンとあたる。私は火鉢や竹筒が壊れるのではないかと、はらはらする。私は、かなり高齢らしい彼が嫌いではないが、この煙草を吸うときは憎らしく思っていた。もう一つ困ることは、丁度昼食の時間にたちよって、話が盛り上がったりして、父が食事に立ち上がれなくなる。温かい昼食を用意して待っている母はいらいらしている。そんな時私は教えられたおまじないをすることになる。箒を逆さにして、手拭いで頬かむりさせて踊らせた後、立てかけておく。このおまじないが効果があったかどうか記憶にないが、ときどき面白がって試していた。このおまじないは母も祖母から教えて貰ったのだろう。昔の人たちは普段気持ちにゆとりがあったのか、貧しいながらも、工夫を凝らして、日常の生活を楽しんでいたようだ。人々は日常の暮らしをより豊かにより便利に暮らし良く、あらゆる英知を駆使して進歩させてきたと自負しているけれど、素朴な昔の貧しくとも、自然の恵みを受けた幸せな暮らしも、羨ましいと思うこのごろである。
2016年12月07日
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