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2020.02.25
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カテゴリ: 旅行 長崎県
天草 大江教会と崎津教会を訪ねます。

宿泊していた苓北(富岡城跡)を出発して

きれいな海岸線(国道389)を走ります。







天草最古の下田温泉を過ぎると、天草を代表

する景勝地「妙見浦」に到着







奇岩や入り江など変化に富んだ美しい

景観が広がっています。




国指定名所、海の沈む夕陽を眺める絶景スポット

夕陽は次回の楽しみに。

この国道には夕陽の有名なスポットがたくさんあり

「天草西海岸サンセットライン」

と呼ばれています。





富岡を出発して約30分で大江教会へ到着

昭和8年、フランス人宣教師ガルニエ神父が

地元協力者と協力して建てた美しい白亜の教会

北原白秋をはじめとする5足の靴も訪れています。




日本に最初にキリスト教を伝えたのは

フランシスコ、ザビエル。天草にキリスト教

を伝えたのはイエズス会のルイス・アルメイダ

である。彼は1566年に志岐に入り宣教した




その後キリスト教に入信する人が増え

1591年にはコレジオ(神学校)が天草

に移されました。その後280年近くに及んだ



され、1614年にはアダム荒川が富岡城で殉教

した。教会としての組織は存在しなかったが

キリシタンは隠れ部屋で祈りを唱え、潜伏しながら

信仰を守り伝えていった。

*アダム荒川は2008年11月24日、ローマ教皇

 ベネディクト16世によって福者にあげられた



訪問されましたが、長崎については被爆地として

だけでなくカトリックの歴史が深い長崎を訪問する

意味があったのではないでしょうか。



明治の時代になっても禁教は続きました

しかし西洋諸国の強い圧力により明治政府は

1873年禁教の高札を撤去しました。

弾圧ら開放されたキリシタンたちは、洗礼を受け

カトリックに復帰し、各地に次々と教会堂が建設

されました。




1892年にガルニエ神父が来島した

彼は約49年間大江教会の主任司祭をつとめ
(崎津教会と兼任)

貧しい人、弱き者の友としてキリストの愛を生きた

(教会内撮影禁止、パンフレットより)




ガルニエ神父像

ガルニエ神父は来日以降、故郷フランスの

土を一度も踏むことなく1941年82歳

の生涯を終えた。




正面からの大江教会

集落の中心の小高い丘の中腹に建っています

今でもこのエリアの信者の教会としてミサなど

行事が行われています、それ以外の時間は拝観

可能です。(9:00~17:00)





次に車で15分の所にある

世界文化遺産

「天草の津崎集落」に行きました。




崎津では教会が有名ですが、実は厳しい

禁教化に日本の伝統宗教とキリスト教が

共存しながら信仰を継続した潜伏キリシタン

の集落として高く評価されています。

崎津教会は昭和9年に建てられたゴシック様式

の教会で内部は日本でもめずらしい畳敷き。



ハルブ神父

1927年に崎津教会へ司祭として着任

禁教期に厳しい絵踏みが行われていた

庄屋役宅跡を買い取り、教会の建築に

献身、1945年1月81歳で永眠


豊臣秀吉から始まった禁教政策は江戸時代

にさらに強化され1614年全国に禁教令が

出されます。これにより教会破壊、宣教師の

国外追放、キリシタンに対する厳しい弾圧と

探索により多くの信者が殉教しました。

長崎、天草地方では、1617年から1644年までに

宣教師75人が処刑されています。

1637年島原、天草では重税や弾圧に苦しんだ

人々が「島原・天草一揆」を起こしました。

3万7千人の領民たちは島原の原城に立てこもり

ましたが88日間の戦いの末、女性や子供まで

皆殺しになりました。



毎年、住民全員が絵踏をさせられ、踏めない

者はキリシタンとされていました。

これにより発覚したキリシタンは仏教への改宗

を強要させられました。崎津では現在の教会が

建っている場所に庄屋役宅があり、その庭先で

絵踏が行われていました。







幕府による厳しい弾圧の中キリシタンたちは

250年以上にわたり密かに信仰を守り続けました。

信者たちは鏡や貝殻などの模様をマリヤ様に

見立てたり、家の柱の中に十字架などを隠しました。

対岸から見る崎津集落と教会





1873年禁教の高札を撤去しました。

弾圧ら開放されたキリシタンたちは、洗礼を受け

カトリックに復帰し、各地に次々と教会堂が建設

されました。

崎津地区から移動して天草市にはいりました。

昼時になったため、熊本名物味千ラーメンを頂きます。




黒マ―油の豚軟骨ラーメン定食

ボリューム満点



近くのスーパーの駐車場では移動販売の

ピザ屋さんが営業されていました。





焼き鳥屋さんはよく見かけますが、

ピザははじめて、しかも焼き窯で火を焚き

本格的に焼いています。買い物の前に注文

買い物帰りには焼きたてができているという

よい仕組み。少しこぶりの1枚1000円位で販売




昼食の後、天草市にある

天草キリシタン館を訪問

入館料300円

1566年天草にキリスト教が伝来してからの

南蛮文化、島原天草の一揆、潜伏キリシタンなど

天草でのキリシタン史を紹介



館内は撮影禁止

天草四郎陣中旗が一番の見どこ




天草四郎像



天草最後の訪問は上天草市にある

天草四郎ミュージアム

入館料600円

こちらも撮影禁止

天草キリシタン館と内容は特に変わらず

どちらか近い方に行けばよい感じです。




島原・天草の旅は終了です、本日はこのまま

熊本市内まで移動し宿泊。明日は大牟田市の

三池炭鉱跡に行く予定です。





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最終更新日  2024.06.09 06:18:27
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