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御殿場線の旅
東海道本線は、丹那トンネルが出来るまでは、御殿場線を通る道が本線だったことは知っていたんですが。
その新東海道線が当たり前になっていて、御殿場線は知識の上だけでしか、知りませんでした。
知人が山北に住んでいたので、わたしも50年前に国府津から山北までは行ったことがあるはずなんですが。
遠い、昔の一度だけだったんで、まったく記憶がなかったんです。
今回、「御殿場線を旅してみたい」とのリクエストがあって、
小田原方面の関係者としては、案内するには下見しておく必要があったんです。
今回、4月24日でしたが、天気予報どうり、朝から雨だったんで。
畑仕事は出来きなかったんで、この機会に御殿場線を旅してみることにしました。
午前9時10分国府津発の10時41分沼津着の1時間半の旅でしたが。
これは沼津の駅前に、鉄道の歴史の記録として置かれていたものです。
丹那トンネルが出来るまでは、丹沢から箱根・伊豆の山道をう回する線路だったんですね。
国府津駅で客車の前後を蒸気機関車がはさむようにして、山道をこえていたんだそうです。
この蒸気機関車が、引いたり、おしたりと活躍していたんだそうです。
そういえば、昔は丹那トンネルの長いトンネルを通るときに、
蒸気機関車のけむりがはいるから、窓を閉めるようにと、注意されたのを思い出しました。
今は、旧東海道本線の御殿場線も単線となってます。
1時間に1本くらいしかダイヤはありません、車両も2両とか3両なんですが、
しかし立派に、いまでも活躍しています。
インターネットの「御殿場線」をみたんですが、これが参考になりました。
その昔の幹線のあとが、今にどう残っているのか、教えてもらったんですが。
御殿場線は、特急列車もはしる東海道本線の大動脈だったんです。
峠道を前後の蒸気機関車を助っ人にして、「なんだ坂、こんな坂」と、ぐんぐん押し上げていたんです。
それにより西と東の日本を一つにつないでいたんです。
赤字だ黒字だなんていう、損得の問題じゃなかったんです。
その苦労した面影が、ポリシーが、御殿場線には、今にかんぜんな形で残っているんですね。
ものみな、もうからないものは切りすてて、廃線にしちゃえ、といった今の風潮の中で、
どっこい、旧東海道本線・御殿場線は、規模は縮小されたとしても、しっかりと残されているんです。
これって、貴重な日本の近代史の歴史遺産だと思います。
電車が、単線の勾配のある山道を登っていくなかで、そう感じました。
御殿場からは世界が変ります
それと、もう一つ感じたことがあるんですが。
御殿場を過ぎると世界が開ける。
そして、沼津という街を再認識しました。
同時に静岡県の全体が、歴史的な、人情的にもそういう存在なんでしょうが。
第一印象はとっつきにくいけど、あたたかいおもてなしの心があるんです。
確かかどうかは、まだ材料に乏しいんですが、間違いないと思います。
それは私などの、遠い昔の記憶でもあるんですが。
しかしいまの交通は、JR東日本と東海です。
15両連結の電車が、三両連結の電車になっちゃうんですが、
ひとつづきではなく、乗り換え時間待ちも必要で、
しかも1時間に1本とか2本になっちゃうんですが。
しかし、それはうつせみの世界です。そんなことで、人は変わりません。
おそらく、それは徳川時代からつちかわれている文化といったもがあるとおもいます。
街並みも、自然も、素晴らしい、一つの空間ですね。
私などは、真鶴生まれなんですが。
これまでは、自然と世界は東京に、東の方に向いてたんです。
背中の側にあった伊豆とか、静岡の方面は、ほとんどまったく知らなかったんです。
箱根を境にして東西の世界が違う、漱石の『坊ちゃん』でしたか、そんな話がありましたが。私なども、知らず知らずに、実際にそうなっていたんです。
しかし、今回の御殿場線の旅で、関東の端に生まれた私でしたが、
すぐ隣の世界をもっと知らなければ、井の中の蛙だったと、感じさせられました。
いろいろな記憶がよみがえってくるんです。
箱根山の向こう側には、素晴らしい世界が広がっていたんです。
しかし、そこからの情報はなかなか伝わってこなかったもので。
日本中が東京の方を向いていたような風潮にもあったんで。
確かに意識してみれば、そことの交流は昔からあったんですが。
しかし私などの意識はそれに疎かったんです。
時流に流されたとの感じもするんですが。
しかし、とにかく今回の沼津港での海鮮丼は、最高でした。
以前に西伊豆の戸田でも感じたんですが、人に対するおもてなしですね。
せこい観光ずれした一弦商売とは違うんです。
これが暖かさの底流ですね。
それと、この日は天気が雨だったんで、富士山の姿はまったく見えなかったんですが、
御殿場線の「富士岡」「裾野」などの駅の名からして、
おそらく、ほんらいなら富士山の絶景も見えるところじゃないかと、
雲を見ながら、雲の彼方の富士山を想像しました。
きっと富士山が見えたら、最高ですよ。
今回のこの御殿場線の旅でしたが。
私などは、すぐ隣に生まれ育ってきたのに、ちっとも意識しなかったけど、
そんな世界が、すぐとなりにあったんですね。
知らないというのは、まったくもったいないことでしたが、しかしまだ遅くはない。
この土地柄と風土は、そんな大切なものがあると感じました。
これまで、小田原のみかん園を紹介してきたんですが、
機会をつくって、それと同じように、この方面の魅力も紹介すべきだ、と感じて。
また一つ、新たな世界が、山の向こうにある魅力を開いてみせてくれました。
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