みかんの木を育てる-四季の変化

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2024年05月02日
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カテゴリ: チョットひと旅

​三島大社と楽寿園​

みかん畑を私が手入れを出来るのは、遠距離農夫の私などには、週に一度の水曜日なんですが、
ところが今年は3月から毎週ですが、雨がかかわっています。
今回の5月1日(水)もまた、午前9時から雨が降り出しました。

今は茶摘みの時期でして、
なんとか雨の降りだす前に、午前8時から真鶴で1キロ茶摘みしたんですが、
予報よりも早く雨が降り出したんで、
茶摘みはストップし、午前9時5分に小田原のJAの製茶工場に製茶を委託しました。
聞くところ、今年のJA久野の製茶工場は、5月1日から10日が受付とのこと。
当方が持ち込んだたった1キロの茶葉でしたが、
これ今季が第一番の受付の茶葉でした。
わずかであっても、もったいないですから、
ヤレヤレでした。

この日は午前10時には雨が本降りとなりました。
雨が降っては農家は、当然ですが、表での農作業は出来ません。
そこで、急きょ頭を切り替えて、静岡県三島の三島大社に行くことにしました。

これが三島大社の正門です。





なぜ三島大社にでかけるかといえば、
当方は、これから御殿場線の旅を計画しているんです。
その旅の締めくくりが、この三島大社を予定していて、今回はその下調べだったんです。
5月1日(水)の、午前11時半に早川を出て、午後3時半にもどってきましたから、4時間の行程でした。

JR三島駅で、伊豆長岡鉄道に電車を乗り換えました。



三島田町駅が、三島大社に一番近いというので。

​おどろきの三島散歩​

ところが初めてのようなこの旅でしたが、遠い昔の記憶ですが、それをフラッシュバックさせてくれました。

これは、三島大社の本殿の、すぐ左にある鹿園です。




これが、私などの記憶をフラッシュバックさせてくれました。

ここは、初めてじゃなかったんです。
「鹿せんべい」と、「メリーコーランド」
それは私の60年以上も前のことですが、
おそらく、それは七五三の時じゃなかったでしょうか。

確かにそれらをみた記憶があるんです。
鹿せんべい、メリーゴーランド、街中の川の流れ、ワサビ漬け、・・・。

三島は、わたしの父の故郷なんです
三島は、2000年に亡くなった父の故郷だったんです。
思い当たります。
60年以上前の小学校に上がる前後でしたが、私はここに来ていたんです。
小生意気なガキは、それから今日まで、まったく記憶してなかったんですが。
ここに来たことがある、だれに連れられてきたのか、だれが案内していたのか。​

それから今日まで、いっさい、すべて、そんなことは気にしなかったんですが。
この「鹿せんべい」と「鹿」については、しっかりと覚えていたんです。

これって、残酷なことじゃないかと、あらためて感じさせられました。

​三島大社の本殿です​



ここも、遠い昔ですが、たしかに来たような記憶が、うすら記憶が出てきたんです。

私は、神奈川県の真鶴町岩の生まれですが、
そこは、いわば、東京の西のはずれ、箱根山の裾野なんです。
私などが、もの心ついた時から、すべてはみな認識は東の東京の方を向いていました。
背中の西の方は、伊豆の丹那トンネルから西側の世界というのは、
修学旅行で京都・奈良に行ったこと以外は、いっさい関心なしで視野になかったんです。

同窓会で伊豆を案内する
ところが何年か前ですが、
東京の学生時代のむかしの同窓生との関係で、伊豆の旅を案内することになったんです。
その時に、あらためて、みずからの背なか方をしらべて、そこを案内することになったんです。
そうしたところ、その時に、これまで見えてなかった世界が見えてきました。

その時の旅は、
伊豆山権現—熱海の温泉―丹那トンネル—中伊豆地震-蛭が小島(ここで「鶴瓶の家族で乾杯」収録との出会う)—伊豆の学識代官宅・反射炉-西伊豆の戸田・プチャーチンとの日ロ修好条約とタカアシガニの歓待と、目からうろこでの新たな発見があり、豊かな旅となりました。

その旅の下見をした時でしたが、
私のおぱあちゃんの出身は函南の舟山なんです。小さいころいったんですが、フナのいる池のあるうちでした。その家を確認したんです。
さらに、父は原木新田の生まれでして、あらためてその家も、外から柿の木のある家を確認したんです。
しかし、そんなことは、わたしだけの思い出であって、その時は、ただそれだけのことくらいの認識でしかなかったんです。関係する人たちはことごとく、あの世に行っちゃっていて、わたしの記憶だけの懐かしの世界でしかなかったんです。

ただしかし、その下見した時に、すくなくとも、
箱根山の裏側には、これまでの世界とは違った、ひろがね世界が、裏の背中の方の世界が、
そこには富士山のすそ野の広ががり、豊かな文化も歴史もあって、箱根山の雲助とはちがう世界があることを感じたんです。
もちろん、ほんの少しの感じでしたが、しかし確かにその素晴らしさを認識したんです。

ちょうど、その時、NHKで『鎌倉殿』のドラマが放映されてました。
伊豆の北条時政が舞台であり、願成就院も訪ねたんです。
また、私の郷里の真鶴・岩村ですが、石橋山でやぶれた頼朝はそこから舟で千葉に逃げたんです。
その下見と歴史ドラマが重なったんですね。


その下見で、初めて「蛭が小島」の地を見たんですが、
イメージの様子と違ったんです。島流しされたへき地と実際とは、まったく違っていたんです。
富士山を望むひろい景色、豊かに広がる狩野川の平野のコメどころで、箱根の裾の雲助とはちがってました。
しかも、なんとそこは、父の郷里の原木新田とは目と鼻の先、まったく直ぐ近くじゃないですか。
父は、まったくそのこと語らなかった。だけど、そこに生まれて、自分の子どもにそこに引き合わそうとしていたんです。今思えば、ということですが。​

​​今回、あらためて感じました​
そこは、私などの世界、箱根山のすその界隈の、いわば山の世界とは違って、じつにひらけた土地柄。
家康だけでなく、多くの文人たちも住みたくなるような、
雄大な富士山が広がり、豊かなコメどころの、自然豊かな土地柄じゃないですか。
しかし、それでも、そのときは、
「伊豆の旅、東も西も・・・」、ディスカバ-ジャパン、私などはその程度の認識だったんです。


​今回は、強力な三島でした​

しかし今回は、もっと強力でした。
一種のフラッシュバックのような体験でした。なんたって、「鹿せんべい」、「メリーコーランド」です。
今回は雨に濡れて人影は少なかったんですが、しかし今現在、確かに存在していたんです。

「夢幻の世界」という言葉がありますが、これは私にとって、はじめての世界ではなかったんです。
三島大社の参道だって、その太鼓橋と巨木だって、初めて見るものではなかった。
遠い記憶の世界ですが、それらは、たしかにどこかで見たような景色だったんですね。



「おいおい、これはなんなんだ」


今回、たまたま雨が降り、御殿場線の下見をしておこうということで出かけてくるまでは、まったく忘れていてところの世界でした。
かつて小生意気なガキは、手を引かれてきて、これらに一度は感動したんですよ。
だから記憶に残ってるんですが。
しかし、それから次々に関心とする対象が、次から次へと他のことに移って行ったということでしょう。
まったく、その当地に関する意識は、馬耳東風であり、猫に小判だったわけです。


しかし今回みたら、どこかななつかしいものがわいてきて。
昨日も今も、そこにはそんな世界が現実にのこっていること、
たしかにかつて、わたしなどにそこを案内しようとしていた人たちがいたこと。
そして、ほとんど風潮する人はまわりにはいないけれど、たしかにそれだけの宝がそこにはあること。

当時は、ちっともその思いや、客観性は知らなかったんですが。いまにしてみると、その思いがとその宝が、多少ですが分かりますね。

​このギャップはじつに残酷なことですが。
しかし、それはまた致し方ないことと、今にして思うしかありませんね。

さらに、記憶のなせる業でしたが、歩いているうちに、
駅前にかつてわさび漬けを大きなたるで、量り売りをしていたお店があった記憶がわいてきた。
今回、そのあたりを、あえて確かめてみると、たしかにそのお店があったんです-カメ屋さん。
「へーっ」と、おもわずそこで地酒「はなの舞」カップをかくほしした。
帰りの車中、函南から丹那トンネルをくぐる5分間の車中で、
記憶では、かつては12分くらいかかったと思うんですが、
蒸気機関車の煙がはいらないように、窓を閉めろとして。
しかし、今回は旅の終わりの5分でしたが、それスマホを相手にしている若者を前にして、
かばんには懐かしの「わさび漬け」と「金山寺漬」も買いこんで、
車中で、ひとり酒を楽しんだ次第です。

すべてが、幻の世界ではない
残念ながら、もはや、それらの事柄を語り合える人はいない。みな、あの世の人となってます。
それを語り合えるのは、もはやごくごく限られた人でしかないわけですが。
しかし、それでもいる。その希少価値をもつ人は1人2人は健在です。
それを語り合おうとすると、言葉にならなくなるんですが、
しかし、それは個人の生きてきた証でもありまして、じつにありがたいことです。

今回の旅で、あらためて再認識しましたが、三島・静岡は、素晴らしいところです。
そのことは、注意して見れば、昔も今も変わらないんですね。


今回、たまたま三島駅で運賃を清算するために並んだんですが、
その時に、前に外国人の夫婦がいました。
なれない言葉で、「フェア、カントリー?」と聞いたところ、
オーストラリアからきた、と夫婦のにこやかな返事がかえってきて、
旦那のひげ(金髪のマルクスのようなひげだったんですが)は、すばらしいというと、
にこやかになぜて笑ってました。
よい旅となることを願った次第ですが、
三島も今や、国際的になっているんですよ。​


問題は悪ガキです しかし、問題は、かつての、今の悪ガキの問題です。
かつてわたしなどには、この三島の世界は、まったくの猫に小判だったんです。

今にして思えば、かつて関係者は、いろいろな思いを発信していたんです。
しかし、私などは、そのことごとくをそでにして、自分一人で、ここまで生きて来たと思ってたんですね。馬耳東風ということでした。
今や、攻守そのところを、逆の立場となりました。
いったい、この認識のギャップということを、いったいどうしたものか。
日本の宝が、憲法にしても農業にしても、森羅万象いろいろなことが、粗末にされていっている。

ここのところが問題です。
私などは自分に対する慰めなんですが、思うんです。​

人として宝を分かちあえるということは、大切だし、ありがたいことです。
亡くなってしまってからでは遅すぎる。
今を生きている人たち同士が、その価値を分かち合えるというのは、
それができるのは、なんとも幸いなことじゃないでしょうか。
そうした人ができる関係というのは、しあわせということじゃないでしょうか。
すでに語り合うべきおおく人たちは、あの世にいっちゃってます。
のこされた俗世間は、道理のなかなか通らにい世の中となっています。
すべては「パンタ・レイ」、帰らざる川です。


そうであればこそ、今を生きている人の交歓が大切だ、とつくづくおもうようになりました。
隣は何をする人ぞ、都会人は孤独だし、
豊かな宝のみかん山を、放任化を余儀なくされるような事態を、よく目にします。
しかし、先人の努力がつくってきた成果を、今を生きるものが捨てるのはもったいないじゃないですか。
そこにつくりだしてきたすばらしい宝物を、かけがえのない幸せとして、確認したいですね。
それをゴチャゴチャにしてすてている連中とは戦わざるを得ませんね。
じつにもったいないことですから。

弁証法とはこれです
私は思うんですが、
これって、ヘーゲルとマルクスの明らかにしている「弁証法」というやつですね。
私などは、これらの点をもっと明らかにしなければ、もったいないとおもいます。
人として、あんたは、なんのために生きてきたのか、
これまで何を努力してきたのか。
それらのことが、それぞれにとって、いま問われているということですね。

その意味で、
今回の雨は、それにより三島の旅を提供してくれましたが、
このことは、わたしにとってたいへん貴重なプレゼントとなりました。​






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Last updated  2024年05月03日 04時22分56秒
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Re:三島大社と楽寿園-それは60年前のかすかな、しかし強力な記憶です(05/02)  
渡政(わたまさ) さん
1 「弁証法とはこれです」は、全く同感です。加えて、日々の生活の中に、些細な事々に、大切なものを見つけ=認識し、意味づけるという考え方は、大事にしたいと思います。
2 今の今まで全く気にも留めることができなかったことが、ある時・ある場所で、いわば突然に、「あれ、ここへ来たことがあるヨネ。」「あれ、それって聞いたことがあるヨネ。」等と立ち現れてくる事柄に遭遇することがあります。これって何なのでしょうか。分析でも・総合でもない、一挙的な全体認識なのでしょうか。
(2024年05月06日 14時15分16秒)

Re[1]:三島大社と楽寿園-それは60年前のかすかな、しかし強力な記憶です(05/02)  
渡政(わたまさ)さんへ
どこのあたりからですかね。外らの認識と意識の中にある記憶てきなものとが二重に働くというのは、ヘーゲル、カント、ロック、デカルト、アリストテレスなど、もちろん細目は違うんでしょうが、認識論としては共通してますね。「勘」もそうですし、経験則というのもそうですし、「先人をとうとぶ」というのも、「古典の価値」というのも、やはり共通のものと感じます。
(2024年05月06日 16時52分18秒)

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