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毎年、ハロウィンの前後にキンダーガーテンの子供たちだけのとても素敵なイベントがある。マジック・フォレスト・ジャーニーというのだ。学校の近くにある、レッドウッド(赤松)の木立で仮装したキンダーの子供たちが集まる。レッドウッドの林の中に1本の細い小径がうねうねと続いていて、明かりを灯したかぼちゃが、点々と並べられている。その数100個あまり。そして木立のところどころにステージが作られていて親や上級生による歌やダンス、劇などが催される。それを見て回るのだ。今年、次男は一番最初のグループだった。騎士に扮した次男は、長男、元夫、私と一緒に真っ暗な木立の中を出発した。先頭にはキンダーの先生扮するエンジェルが、白いドレスと大きな羽をつけて歌を歌いながらガイドしてくれる。足下のかぼちゃのランタンと、ところどころ枝に吊るされた明かりを頼りにひんやりした木立の中を、静かにゆっくりとすすむ。最初に現れたのは、勇者マイカイエール。中世の騎士だ。剣を高々と掲げながら、林の中をゆっくりと歩く。そばにいた女王が歌を歌いながら、子供たちに冠をひとつずつくれる。勇者から子供たちへのプレゼントなのだ。次に現れたのは、靴屋。ろうそくに照らされたテーブルにすわり、一生懸命靴を作っている。でも疲れたので、ついうっかり寝てしまう。そこへ上級生扮する小人が現れて、一晩で靴を仕上げてしまうのだ。ご存知グリムの「小人の靴屋」だ。喜んだ靴屋は、そこにいるキンダーの子供たちに「上等の皮の切れはし」を1枚ずつ袋に入れてくれる。そして魔女と妖精の物語。妖精はひらひらと踊りながら、優雅な手つきで子供たちに魔法の杖を1本ずつくれる。ロシアの民話らしいマーシェンカと熊のお話ではマフィンをもらえるので、子供たちは幾分身を乗り出して聞いている。(ちなみにナボコフのマーシェンカではありません)帽子屋と猿のスキットでは猿がバナナを、小人の鍛冶やのお話では、小人たちが魔法の小石を、それぞれのお話や歌が終わった時に袋にそっと入れてくれるのだ。最後はマザーアースのお話で締めくくり。子供たちは、木立のむこうにある小さな建物に入る。そこでは温かいスープやシチュー、パンやマフィン、果物がところ狭しと並べられ、バイオリンやアコーディオンを弾くお兄さんたち、ピエロのおじさんなどに迎えられ、冷えた体を温めるのだ。今年でこの魔法の森でのお散歩に参加するのも涙が出るほど大掛かりなボランティアに時間を取られるのも最後。でも時間が取られても惜しくないほどの素晴らしい時間なのだ。いつもながら、父兄の芸の達者ぶりに舌を巻くとともに、機械や電気、コンピューターを使わない人の技というものがどれだけ心に染み入るかという事を実感させられる。シュタイナー教育というと、テレビを見せない、とか自然崇拝的とか、ややもすると宗教的とか、極端な面ばかり強調されるが、私は子供に対して親や教師が畏敬の念を抱きつつ、彼等の心と体の発育を、バランスよく注意深く見守る、素晴らしい教育のひとつの形だと思う。ただね、学校はね、本当に素晴らしいと思うんだけども。問題は親なのよね、うちの場合。口ばっかりのちゃらんぽらん人間ですから、私。反省。(こればっかり)余談:今日の昼間、ガレージセールをやりました。残り物ばかりだったので、あまり売れませんでした。一応、新潟の地震に寄付をしたかったので頑張ったんだけども、今ひとつ。残念だったのは、大きな紙に、ネットからダウンロードした地震の写真をペタペタはって、「寄付金募集」のお願いをテーブルに張っておいたんですが、誰もお金入れてくれませんでした。(爆涙)SAKUZO撃沈。でも寄付は送ります。
2004.10.31
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この週末はハロウィンで盛り上がっている。盛り上がりをみせるためか、今夜8時にすぐ近所で花火があがった。5分くらいの事だったが、もちろん本格的な花火だ。何だったんだろう、いったい。今週は元夫の都合で子供たちは家にいた。体に流れる江戸っ子の血が騒ぐのか、野次馬親子の私たちは、花火の音を聞いた途端、急いで外に飛び出した。次男は裸足だ。車に飛び乗り、花火の音がする方向に車を走らせた。あっという間に終わってしまったので、気分は不完全燃焼。で、急に思い出したのが、車を15分ほど走らせたところにある群立公園。だだっぴろくて湖もあって汽車も走っている公園だ。そこはいつもクリスマスライトの催しがあるのだが、ハロウィンのために何かやっていた事を思い出した。花火が終わってしまってブーたれてる子供たちに「面白いとこ行ってみようか」と誘いをかけ、公園に向かった。その催しのタイトルは「ホーンテッド・フォレスト」。公園の一部を屋外お化け屋敷にしているらしい。駐車料金3ドルを払い、賑わっている方角へフラフラと歩き出す。賑わいの手前にチケット売り場があった。高い。やっぱり高いとは思っていたが、予想通りだ。「お化けの森ツアー」はひとり10ドル。3人だと30ドルだ。でも小さいお子様には不向きのようで(良かった)、むくれる長男に、大きい子しか入れないんだってよと説得し、小さい子供向けのチケットを買った。本当は手持ちの現金があまりなかったというのもあるのだが、それを言うと、貧乏意識がアップするのでやめておいた。子供向けのは一人4.50ドル。大人は無料。最初にメリーゴーラウンドにのせてもらって、そのあと、いろいろお化け屋敷風にしつらえてある小径を歩く。そこではこれまた仮装した若い子たちがキャンディを配っていた。要はトリック・オア・トリートなのだ。でも距離がないのであっという間に終わってしまった。もらったキャンディをなめながら歩いていると、「お化けの森ツアー」の行列にぶちあたる。延々と続くすごい列。ディズニーランドのライド並みだ。しかも並んでいるのは大人ばかり。真っ暗な門の向こうからは時々悲鳴が上がっている。うーん、子連れじゃなかったら、私が行きたいところだった。キモ試しのようなものなんだろう、きっと。(ワクワク)これで帰るのもあんまりなので、汽車に乗った。公園内を一周するお子様向けの汽車だ。お一人様2ドル。それに最後の10セント玉までかき集めて乗る。今夜は月明かりがきれいなので、なかなか幻想的な感じもして良かったが、それにしても寒かった。子供たちはそれなりに満足したようである。気がついたらもう明後日はハロウィンだ。ずっと忙しくて時間がなかったので、パンプキンパッチにも1回しか行かなかったし、ジャック・O・ランタンも作らなかった。なので、今日の午後、やっと子供たちと作ったのだ。驚いたのは、次男がほとんど一人で、助けも借りずに彫れた事。去年まではまったく出来なかったので、成長を感じた。ちなみに長男は黙々と大作に挑んだ。 そして以下が本日の作品。 ところでご存知かもしれないが、このかぼちゃ、食べられるのだ。私は去年まで種以外は食べられない、もしくは食べても美味しくないと思い込んでいたが、先日、この中ににんにく、タマネギとセロリ、ひき肉とライス、スープミックスであえたものを、オーブンで蒸し焼きにして食べた。ほくほくのかぼちゃ、という感じではないが、ようはスクワッシュ系の味だった。あっさりしていて、なかなか悪くなかったのだ。ぜひお試しください。本日の献立:玄米、鳥の甘辛煮、八宝菜、冬瓜としいたけのスープ
2004.10.30
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私の食料貯蔵庫が大変な事になってしまった。各種食品であふれ返っているのだ。キッチン中のキャビネットに押し込み、ガレージの専用キャビネットもぎっしりである。事の起こりはこうだ。引っ越す前に行っていた教会に、あるプロスポーツ選手夫婦がいた。まだ若く子供もいない、とても誠実な人柄の素敵な夫婦である。私は彼がプロスポーツの選手だと知らずに「大きいですねー。プロXXXXの選手みたい。」と言い、「はっはっは。よく言われます。でも本当にそうなんですよ。」と返されて、青くなった事がある。その彼がよその土地のチームにこの夏移籍した。奥さんは最近までひとりでここに残っていたのだが、ようやく向こうに行く事になった。彼女は私の友人Pと親しく、彼女に残っていた食品を全部置いていった。引っ越し代を考えると、置いていった方がいいと判断したようだ。友人Pは料理をしないし、一人暮らしなので、「今からそっちに持っていってもいい?」と電話して、持ってきてくれた。たいした量ではないと思ったのだ。でも彼女が車に積み込んで運んできたのは、大きめのダンボール5つにぎっしりと積み込まれた食品の山。たとえば、さまざまなパスタの袋・・・12袋いろんな種類のココア・・・7缶パンケーキミックス・・・4箱タコスやパスタソースなど・・・18袋小麦粉・・・特大3袋缶詰類・・・約30缶などと言った具合だ。こんなのはほんの一部である。調味料、シロップ類、穀類、粉類、ケーキやお菓子のミックス。etc・・・半分以上は口が開いていたが、未開封のものもたくさんあった。うちではとても使い切れないので、缶詰類は、あとでフードドライブに寄付をし、未開封の食品の一部は、シェルターに持っていく事にした。それでもうちの食料貯蔵庫はパンク状態だ。当分、生鮮食品以外は買わずにすみそうだし、本当に有り難いと思う。経済的にも助かる。でもなんだかなあ、とちょっと思ってしまった。彼等は2人暮らしのはずだ。ご主人はプロの選手だし、カラダも大きい。量だって食べるだろう。それにしても多すぎやしないか?という量である。なぜ使いかけのココアが6缶もいるのだ?(ひとつ未開封)なぜタコスのソースだけで5袋もあるのだ?なぜコーンのかんづめだけで、12缶もある?すべてのアメリカ人がそうではないが、私の知る人は食品を半端じゃなく溜め込んでいる。私もけっこうストックしておく方だと思うが、同じ種類はそんなに重複していない。でも知り合いのアメリカ人のパントリーを見てみると、シリアルが20箱、だのパスタが30袋、だの。缶詰類がだーっと並んでいたり、粉類がところ狭しと置かれていたり。元義母のうちももれなくそうだ。部屋の一つがパントリーになっている。備え付けの棚に様々な食品が並べられている。日本の田舎にあるような、小さな食料品店くらいになら負けていない。そしてどでかい冷蔵庫がふたつ。さらに独立した冷凍庫がひとつ。その中に冷凍した肉、野菜、できあいの冷凍食品がぎっしりとつまっているのだ。二人暮らしの老人が食べる量ではないのだ。義姉のうちには、10本いりのジュースの箱100ケース。(つまりジュース1000本)シリアルの徳用箱50個。などがガレージにおさめられてあった。いくら子供が4人とはいえ、それだけ買い込んでくるところがすごい。国も違うし、状況も違うし、こんなことを言っても仕方ないが、まずしい国家や戦争中の国の人々、被災地の人々、食糧難にあえぐ人たち。この落差は何処から来るのかな。私たちは本当にラッキーなんだと思う。私の子供たちもほんとうにラッキーだ。お腹をすかせる事もなく、暖かい布団で寝て、健康にぬくぬくと育っている。自分の子供が目の前でお腹をすかせて泣いていたらいたたまれないだろうな。そういう事を考えると、本当にアレが好き、コレが嫌なんて言っていてはいけないんだよね。今回頂いたものは、ありがたく使わせていただくとともに、使い切れないほどの量を溜め込まないようにしないとな、と考えていると、Pから電話があった。「そうそう。冷蔵庫の中にもいーっぱいあるのよ。忘れてたから、今度そっちに持っていくね。」明日は冷蔵庫の整理をしておこう。本日の献立:鶏肉としいたけのおこわ、豆腐とわかめの味噌汁、ブロッコリーのニンニク炒め、スナックえんどうのゆでたもの息子が作ったタルト・タタン
2004.10.28
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皆さんのトラックバックに便乗させていただきます。騒ぎ立てるつもりは毛頭ありませんが、何かひとこと書かずにはいられなかったのです。先週、週末にかけて4日間の長いセミナーを受けてきました。とても楽しかったし、勉強になる事も多かった。(後日日記に書くと思います)毎日夜遅くまで続いてへとへとでしたが、寝る前にふと楽天をのぞいてみると、おすすめ新着欄に市場さんの「やめます」の文字。あわてて飛んでいって、短いコメントを残しました。私は楽天を初めてまだ半年ちょっと。でもそれ以来毎日のようにかかさず見に行っていた日記の一つが、ハワイ市場さんのHPでした。彼女の向上心、正義感、聡明さ、ひたむきさに共感を覚え、時には大きくうなずきながら読ませていただいたものです。市場さんが、他の掲示板などに残していくコメントからも、暖かい人柄が伺えました。だから、こちらに来てコメントしてくださるようになってとてもうれしかった。あなたの楽天とのつき合い方はとても自然で無理のないように見えました。ネットは虚構の世界。現実世界とは違う。確かにそれはそうですが、よほど自分を偽ってでもいない限り、ある程度そこに書かれたものからその人となりを知る事は出来ると私は信じています。実際、過去に楽天以外でも、メールでやり取りした相手とお会いした時など、書かれたものとのイメージから大きく違った事はありませんでした。(もっとも出会い系など、「よこしまな下心つき」ではどうだかわかりませんが。笑)ものを書く、ということは、自分を表現する事だと思っています。自己満足のかたまりに過ぎない、こんなちっぽけな私の日記にすら、読みにきてくださる方がいて共感を分かち合い、時には違う角度からの見方や考え方も教わり、とても有り難いと思っています。私はずいぶん楽天でいろいろな事を学んでいる気がします。そんな中、ハワイ市場さんの日記が消え去るという事は皆さん同様、私に取っても大きな損失です。市場さんに会ったこともない私が勝手に持ってたイメージと、現実のあなたを知る人々が伝えてくれるイメージはまったくと言っていいほど重なっています。そして今回市場さんの日記へのコメントの数々、トラックバックで書かれている日記を読むと、私が好ましく思っていた人達の名前が出てきているのです。日記を閉じられる事に関して、誰よりも一番悲しいのは市場さん本人ですね。でも楽天が現実の生活を脅かす存在になれば私もやめるでしょう。趣味が苦痛になってしまっては何もなりませんね。でもまたいつかどこかで、ハワイ市場さんのHPにお目にかかれると信じています。楽天かもしれないし、他かもしれない。その時は喜んで日参させていただきます。
2004.10.26
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あまりにも赤裸々なタイトルだが、どうしても他に思いつかなかったので、これにした。秋の夜長にエッチな話を期待して来られた方、残念ながら、時間を無駄にされては申し訳ないので最初にお断りしておくことにしよう。私が初めてラブホテルというところに入ったのはかれこれ十何年も前の話だった。かろうじてまだ「若い」と言われる年齢だった頃のこと。私はN県に一人旅をした。一人の時は民宿などに泊まることが多い。行き当たりばったりに宿泊先を探すこともあるが、宿の少ない場所、観光シーズンなどは事前に予約しておく。N県の中でも修学旅行先として有名な寺のあるその町は、実は意外にも宿の少ない町だった。なので、何件かに電話しては満室だとかで断られた。女性の一人旅だと敬遠する宿も少なくないのだ。死んでくれと言われても自殺などする気の毛頭ない私。「死んだりしませんから」などと言った日にはかえって敬遠されてしまう一人旅の悲しさだった。とにかく、5軒目でやっと見つけたそのホテルは「ビジネスホテルY」。電話帳の広告によると「女性の一人旅でも安心してお気軽に泊まれます。清潔・低料金・家庭的なサービス」と謳ってある。これだ。早速電話したら、二つ返事で予約を取ってくれた。当日、一日歩き回って疲れた足を引きずり、もらった住所を便りにそこにたどりついた。「ホテルY」。住所はここだ。でもビジネスの文字が抜けている。そんでもって、この駐車場入り口の緑のピラピラは何?これってもしかして・・・・ラブホテル?私が予約したのは、ビジネスホテルだ。間違いない。女性の一人旅でも安心して泊まれる宿のはずだ。緑のピラピラの隣には小さな電光の看板が。「ホテルY御休憩 2時間 0000円からご宿泊 1泊 0000円からお気軽にお入り下さい」となっているお気軽にったって。とにかく電話してみよう。私が電話した「ビジネスホテルY」の方はとても親切に今どこにいるのか聞いてくれた。私が今電話している通りの名を言うと、「あらー。じゃ目の前よ。看板が見えませんか」とおっしゃった。じゃ、これじゃん。(滝汗)何が悲しくてN県くんだりまで来て、こんなとこ泊まらなきゃ行けないのだ。しかし、ここを逃したら今夜は野宿だ。野宿か。ラブホテルか。この際、中に入ってみよう。中は全然想像と違うかもしれない。思い切って案内されたホテルの中に入ってみた。中は確かに全然違った。想像したよりもすごかったのだ。部屋までの廊下の壁は焦げ茶色。薄暗い青い照明。部屋は二間続きで、最初の部屋はテレビとちゃぶ台。今時こんなテレビあるのかというような時代物。お茶の用意は二人分。お菓子付き。そしてふすまを開けると、枕が二つ並べられた二人分のふとんに真っ赤な裸電球が明々とついている・・・。これの何処が「女性の一人旅でも安心してお気軽に泊まれます。清潔・低料金・家庭的なサービス」なのだ。こんな淫微な宿にどうして一人で泊まらなければならないのだ。(涙)疲れたからだが一気に脱力してしまった。照明が薄暗いので、持ってきた本を読んでもすぐに目がつかれ、布団に入って、赤い電球を消すと、見事に真っ暗。仕方ないので隣室の明かりをつけたまま、ふすまを半開きにする。いちおうまだ「若い娘さん」であった私は、そのうち隣室から世迷い事でも聞こえてくるんじゃないかと不安と恐れと、ほーんのちょっぴりの期待を胸になかなか寝付けなかったが、いつのまにか朝を迎えた。その宿は朝食付きになっていたが、一体何処で食べるんだろうと思っていたら、ホテルに隣接したドライブインのレストランで食べることになっていた。客もほとんどいないレストランで、「こりゃ詐欺だよねえ」と思いながら、悔しいような楽しいような複雑な気持で朝食を終え、その町を後にした。N方面へお出かけの方。ビジネスホテルのうたい文句にはご注意ください。といってもそのホテル、もうあるかどうかわからないけどね。本日の献立チキンとグリンピースのインドカレー、チャパティほうれんそうのバター炒め
2004.10.21
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今日は珍しくストームが来ていた。台風というほどではないが、かなりの雨と横殴りの風。4月から10月まではほとんど雨すら降らないこの地域にも秋から冬にかけてはこの手のストームは割と良く来る。こんな日は、当然のことながら家にいるに限る。今日の午前中はさしあたってする仕事もないので、家の中でのんびりしていた。庭の、もういくらも実をつけてない梨の木から最後の数個がどっすんと音をたてて落ちる。この梨はとても大きく(普通の梨の倍くらい)甘さもほどよく、非常に水分が多くて、それなりにおいしい。中国系の梨らしい。中国スーパーにしか売っていないのだ。重いので落下した際の衝撃でかなり傷む。知らずに放っておくと、そのまま蟻の餌食になる。もったいないので、来年からは網でも張っておこうかと思う。今年はたいして人間様の口には入らなかったのだ。今日は雨で蟻もつかないので、土砂降りの中、落ちた数個を拾ってかごに入れておいた。前庭にあるりんごの木のうちの1本はどうやらフジりんごのようだ。やはり雨で新しい実を幾つか落としているので拾い上げた。熟してきてとてもおいしくなった。もう1本のりんごの木は紅くてやや酸味がある。生で食べても十分甘いが、お菓子にするのに適しているようだ。一応、前庭はお隣のプロパティなのだが、お隣の独身男性(推定50歳・大きな娘がたまに来る)は月のうち4~5日くらいしか住んでいないほど、出張ばかりの仕事のようだ。林檎はほとんど食べないので、勝手に持っていっていいそうだ。私と、名も知らぬ近所の方が(笑)、勝手にもいで少しずつ減っている。遊びにくるお友達にも分けたりしている。しかしほとんどは落下して蟻の食事と化しているのだ。お向かいの一人暮らしのお婆ちゃんの庭には大きな柿の木がある。これは八屋と言われる、いわゆる渋柿だ。ドロドロに熟すまで、渋が強くて食べられない。でも去年はこれで干し柿をたくさん作った。もう少し紅くなったら、おばあちゃんに頼んで少しお裾分けしてもらおうと思っている。ま、頼まなくても、うちの方に枝が相当せり出しているので黙ってもらってもいいかな。裏の家には、やはり同じくらい大きな柿の木がある。これは富有柿だ。甘くて歯触りが良くてとてもおいしいのだ。大家さんが、裏の家に行ってもらってきなさいと言っていた。(同じ大家の貸家なのだ)でもこれは、親しい親戚の家にも大きな木があって、毎年食べきれないほどいただくので、たぶんいらない。春先にはキウイフルーツが実をつけると言う。塀に沿って蔓を伸ばしているのだ。私が引っ越してきたときは、ほんのちいさな赤ちゃんキウイが蔓にしがみついていた。いつのまにか消えていたので、リスか鳥が食べたのかもしれない。お隣さんの前庭にはオレンジの木もある。もんのすごーく酸っぱい。お料理に使ったらちょうど良かった。甘いオレンジはいつも知り合いのおばあちゃんが山ほどくれるので、買ったことはない。彼女はいつも洋梨やトマトもたくさんくれる。うちにあるのは、レモンのようなライムのような柑橘類。未だにはっきりと何かはわからないが小さな丸い実が鈴なりだ。もちろんレモンやライムのように使ってる。味はレモンに近いが香りに少し癖がある。だがライムほどの強い癖のある香りではない。混合種なのかもしれない。この間、吸い物に皮を切って浮かべたら、ゆずのような風味もあって、とても嬉しくなった。もう一つまだ小さくて何かはわからない柑橘類の木が、裏庭にちょこんと植わっている。成長が楽しみだ。何になるのかな。小さなアプリコットの木も3本ある。春から夏にかけてが楽しみだ。アプリコットの花は梅にも似て、とても可憐なのだ。春先には花見気分を楽しめるだろう。アプリコットは実を付ける年と付けない年がある。今年はつけなかったようなので、来年は期待できるかもしれない。この辺りは、こんな感じで何処の家でもたいてい果樹が植わっているのだ。1年を通してずいぶんいろいろな果物をいただくが、スーパーで買ってもそれほど高くはない。アメリカの果物はおいしくないと言う人もいるが、少なくともカリフォルニアにおいては、産地のものが多いせいか、安価で美味しいと思う。気候も果物の木の生育に適しているのだろう。少なくとも、こと果物に関しては、ずいぶん恵まれた環境だなあと思っている。でも家賃も家の価格も涙が出るほど高いけどね。ちっぽけな果物自慢くらいしたって、バチはあたらないに違いない。本日の献立:鯖の塩焼き、玄米、納豆、揚げ出し豆腐、ブロッコリー、息子たちが作ったアップルケーキ(雨の日スペシャル)
2004.10.20
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うちは週に1回ベビーシッターさんに来てもらっている。今の人はもう5年の付き合いだ。最初にベビーシッターを頼んだのは長男が10ヶ月の時。日本人の学生さんで、幼児教育をカレッジで専攻している人だった。彼女が日本に帰るまでの間、定期的に来てもらった。息子もなつき、寝かしつけてもくれるので、夜、出かけなければならない時など本当に重宝させていただいた。彼女が日本に帰ってしまう時に、誰かいないかなあ、と思い始めた折りに友人から紹介されたのが、今のYちゃんだ。日本から来たばかりでカレッジを目指し、英語学校に通っていた。子供が好きで、ちょっとしたアルバイトをしてみたいが勉強もしないといけないしということで、うちで週に1回見てもらうことになった。ちょうど次男が生まれて半年経った頃、私が出かけなくても来てもらい、彼女が見てくれている間、家事をはかどらせることが出来るので、とてもラクだった。前の人と同様、子供たちも彼女になつき、5年も立った今では、家族同様の間柄だ。生活がラクではない今では、ベビーシッター代も馬鹿にはならない。何度かお断りしようかな、と考えたこともあるが、子供たちはいっぱい遊んでくれる彼女が大好きなので、今のところは何とか続けている。彼女に来てもらっているのは、もう一つ理由がある。私の親戚も誰もいないこのアメリカで、ひとりでも多く、子供たちのことを気にかけてくれる大人がいるといいなあ、と思ったからだ。親戚もいるし、家族ぐるみで仲良くしている友人もいる。でも彼女は子供たちに取って、親戚のお姉さん以上の存在だ。彼女に対しては、私同様、わがままも言うし、怒られてもいる。でも、何か嬉しいことがあった時、すぐに彼女に報告もするほどとても親密な間柄だ。ところで、今日はちょっとした用事で午後1時間くらい急にでかけなければいけなくなったのだが、すぐ近くに住んでいる友だちに相談したところ、子供を連れて遊びにきてくれた。本当に助かった。その後、子供たちを遊ばせながら、お茶を飲んで過ごした。彼女は最近、子供の友人のお母さんが、彼女にベビーシッター役を押し付けるので、ちょっと困っていた。彼女の子供とそのお友達は仲がいいのだが、そのお母さんは突然子供を押し付けてきたりするのだそうだ。親からまず打診があるような場合はいいのだが、迎えにいくと「きょうね、遊びに行きたいの」と子供の方から言ってくる。そこへ親が、「お願いできますか」と頼むのだそうだ。自分の子供も喜んじゃっているので、イヤとは言いにくい。用事がない限り、見てあげていたのだが、なかなか迎えにも来ないし、だいぶ負担になっていたようだ。私も以前同じような人がいた。悪い人ではないのだが、あまりにも頻繁にお迎えなどを頼まれ、ついでに夕飯も食べさせてやってくれないか、など要求も出てくるようになった。ある日いつものように、夕方のデイケアへのお迎えと夕飯を、突然の電話で頼まれた。「今晩のおかず、何?」と聞かれ、答えると「あ、うちの子それ好きじゃないのよね。他のものないの?」と言われて、さすがにうんざりした。その頃から理由を付けては断るようにしていたら、だんだん頼まれることも少なくなってほっとした。世の中にはいろいろな人がいるものだ。子供をやたらと他人に預ける人がいる。ベビーシッターやデイケア代を惜しむ人も少なくない。お友達のうちにいた方が子供も喜ぶから、と言う人もいる。普段からお互いの家を行き来しているような関係ならともかく、一方的に誰彼かまわず、見てくれる人がいれば頼みまくるような人が実際に時々いるのだ。残念なことに、そういう子供は突然「おなかすいた」といいながら冷蔵庫を勝手に開けたり、買い物に行くとものをねだったり、ということが少なくない。他人の親は、あまり強くは叱らない。自分の親はそこにいないのだから、教えてもらう機会も少ない。子供自身には罪はない。そしてそういう親は自分の子供がどういう行動をとっているか無関心なことも多いのだ。こういう人は誰かに一時期依存して、その関係が悪くなると、次のターゲットを探したりする。結局、子供にとっても可哀相な話だ。私も時々、人様の子供を預かるし、子供のクラスメイトのシングルママ同士、預け合ったりもしている。仲の良い友人に、ほんの1-2時間お願いすることもあるが、基本的には、あまり人に負担はかけたくないと思っている。今度の週末は、以前から申し込んでいたセミナーに参加することになっている。土日は元夫にお願いするのだが、金曜の夜は元夫に突然の仕事が入ってしまい、急遽誰かを探さなくてはいけなくなった。ベビーシッターの彼女はその日がお誕生日でお友達と出かけることになっている。教会にベビーシッターの出来る女の子たちがたくさんいるのだが、あいにくその晩は教会のティーンのためのハロウィンパーティがあるらしい。さあ、困った。私は夜遅くなるので、友人宅に預けるのは気がとがめる。お泊まりも、まだ息子たちにはさせたことがない。言えばこころよく引き受けてくれるだろう友人もいるが、基本的にはあまり面倒をかけたくない。よっぽどセミナーをキャンセルをしようかな、と思った時に救世主があらわれた。友人一家のナニーさんだ。住み込みでその家の子守りをしていた人だが、結婚して通いになった。うちの子たちも彼女のことはよく知っている。その彼女が見てくれることになった。13歳まで、子供だけでお留守番出来ないアメリカではこういう時にいろいろな不自由がある。もっとも5歳と8歳の子供を、子供だけにしておくのはどちらにしても嫌だが、仕事の時の預け先の確保などは、まだまだしばらく続く頭痛のタネであることは間違いなしだ。本日の献立:虹ますのホイル焼き、焼きカルビ、いんげんのニンニク炒め、ニラと玉子の炒め物、5分づきごはん(久しぶりに精米機を使ってみました)わかめと豆腐のお味噌汁
2004.10.18
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パーカーズ・ムードさんのところで、美味しそうなアップルパイの写真を見て、今日のおやつはアップルパイに決めた。実は先日、最近気に入りの中東系のスーパーで、「フレンチ風折り畳みパイシート」を見つけたのだ。私はアメリカの一層式パイ生地も決して嫌いではないが、いわゆるあのナポレオンパイ、さくさくの何層にも折り畳まれたパイ生地がやっぱり一番好きなのだ。では何故作らないかと言うと、めんどくさいから。はっきりいってあんなに面倒くさい工程をへて作る菓子もそうそうない。生地を作る>のばす>冷やしたバターを千切って置き、たたむ>のばす>冷やす>たたむ>のばす>冷やす>たたむ>のばす・・・延々と繰り返され、やっとパイ生地のできあがり。ちなみにクロワッサンなんか、あなた。パン生地を発酵させた後、この作業が繰り返されるのだ。でもアメリカで本式の何層にも分かれた美味しいクロワッサンにはめったにお目にかかれない。スタバのクロワッサンなんか、ただの三日月パンだ。 そのフレンチスタイル・冷凍パイシートが中東系スーパーの冷凍庫に眠っていたのだ。値段も安い。もう即、買い物カゴに放り込んだ。(ところで、あちらの方にはフィロという薄いパイシートのようなものもあります。これも料理にお菓子に、最高です。)このパイシート、12センチ四方の小さいもので、パイ皿を使って焼くパイには向かない。そこで、刻んだりんごにシナモンとブラウンシュガーを混ぜ、パイシートの片側において三角に折りたたみ、オーブンで焼いた。んーーーまそう。焼きたてのアップルパイにアイスクリームを添える。アップルパイ・ア・ラ・モードだ。熱々のパイに冷たいアイスクリームが最高。感謝祭が近づくこの季節は、パイがやたらと登場する。言わずと知れたパンプキンパイ。冷たく冷やして生クリームを添える。アップルパイは2枚のパイ生地でつつんで焼くオーソドックスなものから、パイ生地をかぶせる代わりにオートミールとバター、小麦粉を混ぜ合わせたものをのせて焼くクリスプタイプ、何もかぶせずに焼いてひっくり返す、ご存知、タルト・タタンなど。熱々でも、冷たくても美味しいのだ。この季節ならではのパイは先の二つが代表的だが、他にも、キーライムパイ、ルーバーブパイ、レモンメレンゲパイ、チョコレートムースパイ、バナナクリームパイ、洋梨とカスタードのパイ、などなど。他の果物の季節には、アプリコット、チェリー、ピーチ、ストロベリーにラズベリー、ブルーベリーにブラックベリーなど。本当にパイは手軽で美味しいのだ。パイ皮はアメリカンスタイルなら、それほどつくるのも大変ではないが、スーパーの冷蔵コーナーに行けば、出来合いのパイシートが売っているからそういうのを利用してもいいと思う。本日のおやつに作ったパイがあまりにも美味しかったそうなので、息子たちが自分で同じものを作りたいとはりきり、またもや夜のデザートにも登場した。 今、りんごは前庭のりんごの木からいくらでも採って来れるのだ。息子たちにも簡単な作業なので、上手に作れた。 さすがに私は、デザートのアイスクリーム添えは遠慮した。パイはアメリカのおふくろの味とも言えるかもしれない。ヨーロッパのお菓子のような繊細さにはかけるかもしれないが、飽きのこない素朴な美味しさが、家族の食事をしめくくるデザートにはふさわしいような気がする。本日の献立:カレーうどん、ポテトサラダ、アップルパイ
2004.10.17
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息子たちの学校はちょっと時代と逆行している部分がある。授業でコンピューターも使わないし、テレビやテープも排除。糸紡ぎやら、羊毛をすく道具やら、いろいろ変わったものがある。そういう古き良き小道具は、アンティークとしてではなく実際に「道具」として使用されているのだ。キンダーガーテンでは、毎週金曜日に、自分の使ったナプキンや汚れたプレイスマットを各自が自分で洗わなくてはならない。順番に、金だらいと洗濯板でごしごし洗い、手でしぼって、細いロープに洗濯バサミでとめていく。ポップコーンを作る時、最初にとうもろこしをカチカチに乾燥させ、それをはずして鍋で炒る事を学ぶ。とうもろこしがそう簡単にははずれないことを、疲れてきた指先の痛みで知るようになる。洋服をどうやって作るかを学ぶ。生地を裁断して、縫えばいいのだ。ではその生地はどうやって作られるか。糸を織って、布にして染めるのだ。では糸はどうやってつくられるのか。ウールなら羊の毛を刈って梳き、よって紡ぐ。綿なら、綿花を紡いで。シルクなら、蚕の繭をお湯で煮て、糸をほどいていく。何事もプロセスというものがある。ポップコーンは電子レンジでチンすればいい。洋服は売っているのを買えばいい。食器は紙の使い捨てを使えばいい。何でもある便利な世の中になり、気がついたらそれらのものがどういう経路で手に入り、どういうプロセスで作られているのか、ということを全然考えない大人になってしまっていた。楽天かぐやさんの日記にとてもいいことが書いてあったので、トラックバックさせていただいたが、こんな風に、「便利」に囲まれた生活をしていると、この便利が当たり前のこととなり、麻痺してしまう。それだからこそ、現代の私たちは、停電がおきたり水道が止まったりすると、うろたえ、パニックを起してしまうのだ。便利を省いた生活、これを実行するのはたやすいことではないし、毎日時間に追われているような生活をしていると、とてもそんなことはやってられないと思うかもしれない。でもたまに、生活の基本、原点に返ってみると、私たちが便利と引き換えに、いかに大切なものを失っていたかがわかるかもしれない。ゆったりとした人間らしい暮らし、そのものだ。息子たちがシュタイナー教育と関わるようになって、私自身が思い知らされることがたくさんあった。手で作れないものは、ほとんど何もないということ。例えばある日の夕飯はスープとパンだけの粗末な食事。でもそれらが食卓にのぼるまで、どれだけの時間がかかったか。バターは牛の乳を搾って、それを撹拌し続けたもの。ジャムは果樹から実をもいで、砂糖と煮詰めたもの。小麦を挽いて粉にして、こねてこねてかまどで焼いたパン。かまどにくべる薪は林から拾い集めてきたもの。畑を耕し、種をまき、水をやり、こやしをやり、雑草を抜いて大事に育てて、そうしてやっと野菜を収穫することができる。それを刻んでスープを作る。たったパンとスープだけの粗末な食事には本来はこれだけの手間ひまがかけられていることを、私たちはどれだけ意識しているだろうか。こんなことを思い出させられ、実行してみると、人の生活というのは本来はとても丁寧に、時間と手間を無駄にせず、営まれてきたことがわかる。そして何故か、心もカラダもゆったりとした長い時間を与えられるのだ。便利な世の中を否定するつもりはない。十分恩恵を受けているし、便利な電化製品が大好きな私だ。ただ時々ふとたちどまって、そんなことを考えてもいいかなと思う。現代の暮らしはとても楽だ。でも何だか、時間を節約するためにどんどん便利さが向上していくめまぐるしい生活のおかげで、かえって人は時間に追われているような気がして仕方がない。今夜の夕食:アイスクリーム(ばか?)子供がいないと夕飯がどんどんひどいことになっていく・・・
2004.10.16
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今日は、いつもなら息子のカブスカウトがあるのだが、今夜は「母と息子の日」と銘打って、親子によるいろいろなアクティビティがあった。まず、赤・青・黄の3チームに分けられ、それぞれのチームが交代で3つあるテーブルに行き、そこのテーブルのアクティビティを順番にするのだ。一つ目のテーブルはフェイスペイント。母と息子が向き合って、同時に、又は交代で相手の顔に落書きをする。私は渦巻き模様を上手に息子の顔に描き、皆から上手だと褒められていい気になっていた。息子は私の顔の上に、何やら謎めいた模様を残しニヤニヤ笑って去って行った。次のテーブルでは「交換日記帳」の作成。母と息子の交換日記というのは、いささか怪しい気もするが、まあ使いようによっては、いい場合もあるかもしれない。でも16歳とかになった息子と交換日記はしたくないが。赤と青のそれぞれの表紙をシールでペタペタと「アーティスティック」に仕上げる。もっとも息子のはただ貼りまくってあるだけ。そして最後のテーブルで楽しいゲームをやった。大きなマシュマロをたこ糸で結び、もう片方のはしをテープであごの下に張り付け、手を使わずにマシュマロを振り回して口に入れるのだ。これはなかなか笑える光景だった。私は何十回目かの挑戦で、とうとうマシュマロが口に入ったが、息子たちはどうしてもマシュマロがうまく顔の近くにこなくて最後は泣きが入ってキーキーしていた。皆で落書きした顔の記念撮影をして、一人ずつアイスクリームをいただき、それを食べながら駐車場まで歩いた。「ああ、楽しかったね」と息子がつぶやく。そうなのだ。忙しさにかまけて、いつの間にかこうやって一緒に遊ぶ時間をどんどんなくしていたのだ。教会では週に一度、家族で賛美歌を歌ったり、聖書やそれに準ずるものを読んだり、ゲームをしたり、クラフトをやったり。そういう時間を持つことを強くすすめている。そういう晩は必ず手作りのデザートを作って、家族水入らずで過ごしなさい、と。私たちも3人で暮らすようになってから、躍起になってそういう時間を持とうとしていた。簡単でもいいからスペシャルなデザートを皆で作り、曜日を決めて3人で楽しく過ごす時間を必ず持とうとした。でも私が仕事を始めて、毎日が慌ただしくなって、その習慣が1週おきになり、2週おきになり1ヶ月に1回になった。最初の頃は、「その日』を催促していた子供たちもやがて何も言わなくなって、何となくしなくなってしまった。でも大切なのは、聖書を学ぶことではなくて家族で「ああ、楽しかった」と思える時間を過ごすことなのだ。お互いにいろんなことを話し合ったり、ちゃんと向き合って言いたいことを聞いてあげたり。そういう時間がまだまだ必要なのだ。忙しいを言い訳に、そういう時間を作って来なかったことをちょっぴり反省しつつ、また来週から日を決めて、「家族の時間」を頑張って持つようにしないとなあとつくづく思った。本日の献立:チキンカレーライス、ブロッコリー、梨
2004.10.15
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恥を忍んで告白しよう。私は今度、3回目のトラフィックスクールに行く。カリフォルニア広しといえども2年の間に3回もトラフィックスクールに行く人間はそうそうたくさんはいまい。しかも一応トラフィックスクールには一度行ったらその後18ヶ月には行けないことになっているのだ。なのに何故かまたしても行くことになった。一度目はともかく、二度目はトラフィックスクールの先生に相談したら、いついつまでに手続きを済ませれば大丈夫と言われ、今回の三回目は、裁判所の判事が行けと言ったのだ。だから喜んで行くのである。別にトラフィックスクールがそんなに楽しいわけではない。でもこれに行かないと、ポイントが引かれて保険料がどーんと跳ね上がってしまうのだ。それを思えば、トラフィックスクールの一度や二度。(や三度)ちょろいもんでござんす。これを見て、私には関係ないわ、と笑ったあなた。一昨年までは私もそうやって笑っていたのだ。過去8年、私は駐車違反の切符すらもらったことはなかった。自他ともに認める優良ドライバーだったのだ。それがひょんなことからスピーディングチケットをもらい、それを皮切りに立て続けにチケットをもらった。どこにどんな落とし穴が潜んでいるのかわからない。まして、いたるところにワナがしかけてあるのだ。(としか思えない)せっかくこんなに体をはって学んでいるのだから、少し、皆さんにサービスしなくちゃ。そこで、「カリフォルニアで違反切符をもらったら。」あくまで、これは私の経験を元にしたものである。まず、ポリスがいきなり後ろでピカピカライトを光らせ始めたら、できるだけ、すみやかに、路肩によせて停め、静かに待つ。そしてできるだけ、イノセントな顔をして、考えられる限りの「善良な市民」を装う。口答えやいいわけはなるべく後にして、「なんでこんなことになっちゃったのかわからないけど、とにかくお手数をかけて申し訳ない」という態度で通す。ちなみにトラフィックスクールでは「Yes, Sir」「No, Sir」「Thank you, Sir」の3つの言葉だけ使っていれば、難を逃れることも多い、と教わった。これもトラフィックスクールで教わったことだが、シリコンバレーにはあるとんでもない地域がある。そこのポリスはいつも誰が今日はチケットを多く切ったか、という楽しいゲームをしているので、簡単に捕まるそうだ。2回のトラフィックスクールで、別々のインストラクターが同じ事を言った。なので、皆さんにこっそりお教えしよう。「シリコンバレーにきたら、ミル○タスは運転しないように」ところで、どんなに泣きついても、意地悪ポリスにあたったら無情にもチケットは切られる。去年の暮れに私にチケットをくださりやがったポリスはにっこり笑って「Happy Holidays」と言ったのだ。温和な私にもムラムラと殺意がわき起こったほどだ。チケットをいただいたあなたがすることはまず。トラフィックコートに行く。不服があっても何でもとにかく行く。そして、おとなしく罰金なんか払わずに、コートの申し立てをする。すると「あっそ」とばかりに日時を指定してくれ、おまけに無料で通訳もつけてくれるのだ。もっともこれは当てにしない方がいい。私がお願いした通訳は当日現れず、判事に「他の日にしますか」と聞かれた際に「だいたいはわかると思うんですけど、もしなれない単語が聞き取れないと嫌だなあと思って」と答え、「それだけ話せれば、通訳いらないでしょう」と笑われたことがあった。私はヒアリングが苦手なのだ。でもとにかくほかの言語の通訳はきちんと来ていたので、運が良ければ通訳がつく。だいたい一時に5、60人の「軽犯罪者」が裁かれる。順番に名前を呼ばれたら、よっぽど不服でない限りは「ギルティ(私は有罪です)」と言えばいいのだ。それで、罰金はかなり安くなる。おまけにトラフィックスクールに行けないはずの人でも行けるという幸運が与えられるのだ。ここで「ナット ギルティ(私は無罪だ)」などと言ってしまって、次のトライアルを希望した場合。よっぽど何か根拠があって勝つ自信がない限り、あなたに勝ち目はない。素直に認めなかったために、安くしてもらえるはずの罰金まで要求額通りに払わなくてはならないのだ。というわけで、安くしてもらった罰金を払い、トラフィックスクールに行く。そこで退屈を我慢して講習を受ける。1回目は真面目に受けたが、2回目はすぐだったので同じ内容だからつまらなかった。私は一生懸命勉強している振りをして、日本語で、次の2週間分の献立をたてたり、仕事に必要な内容の事柄をメモったり、いよいよやることがなくなったら、山手線の駅名や、都道府県名、世界の国の名前、等を書き出して、有意義な時間を過ごしたものだ。これでスクールを受けたという認定さえもらえれば、あとは気を抜かないよう。くだらない凡ミスで、チケットを切られることのないように慎重を重ねて運転しよう。3回もトラフィックスクールに行く私に言われたくないって?ごもっともでございます。本日の献立:親子丼、ほうれん草のごま和え、いんげんのニンニク炒め、豆腐とわかめのみそ汁
2004.10.14
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今日、息子を拾って帰る途中、家の近くで事故現場に遭遇した。私と同じようなミニバンのフロントグラスがめちゃくちゃに割れ、炎上したようだった。辺り一面きな臭い匂いが漂い、道路には消化した後の水と泡が残っていた。事故は恐ろしい。中にいた人がどうなったかはわからないが、事故は一瞬にして人の命や未来を奪う。その現場を通り過ぎた瞬間、事故に遭われた人の無事を祈るとともに自分と子供たちの無事を感謝したい気持になった。そんな時、息子が一言。「ママにお願いがあるの。」いつもより5割増やさしく「なーに?」「今年のハロウィンの衣装を買って欲しいの」息子たちが生まれてこのかた、私はハロウィンの衣装は買ったことがない。たった1日2日のために、何故何十ドルも出さなくてはならないのだ。裁縫などは得意ではないが、私には秘密兵器があった。我が妹だ。私の妹は裁縫が得意だ。何しろ自分のウェディングドレスまで作ってしまった女だ。(ちなみに彼女のウェディングケーキは私が作ったのよ、ふふん)こんな子供のちゃっちい衣装なんてわけないはず。というわけで、妹には今まで数々の衣装を作ってもらった。赤ちゃん用のおひさまのコスチュームみつばち(背中の羽とおしりに針までついている)かえる(カーミットの顔の帽子付き)The Cat in the Hat (アメリカでは有名な絵本のキャラクター)これは私が制作。ドラゴン(帽子がドラゴンの顔になっている)そして去年は私が制作した騎士だ。帽子と剣と楯までダンボールに色を塗って用意した。上の子のお下がりを下の子が着て、今まではそうやってやりくりしてきたのだ。ところが去年あたりから、9月になると送られてくるハロウィンコスチュームのカタログを食い入るようにみつめるようになった。「こういうのが欲しいなあ」と、息子。「だめ。ママもう生地も用意しちゃったよ。」「ママのも着るから、これも買ってくれる?」「よし。じゃ、来年考えよう。今年は我慢しなさい」と言うような会話を交わした覚えが確かにあった。それを息子は覚えていて、今年は買ってくれるものと願っていたのだ。「手作り」を喜ぶのはおとなだけ。一部の子(特に女の子)は喜ぶかもしれないが、洋服でもおやつでもある程度の歳になると子供というのはジャンクな市販品を尊ぶようになるのだ。仕方がない。腹をくくるか。先ほど遭遇した事故現場でかなり動揺していた私は思わず「いいよ。今から買いに行こう」などと口走ってしまったのだ。ちょうど近くにあったハロウィン・ショップに立ち寄る。非常に趣味の悪いうちの息子どもはどうしても、パワーレンジャーとかハリーポッターとかスターウォーズとかのキャラクターものに目がいく。別にそれらのキャラクターものが悪いわけではないが、どうも値段のわりに安っぽさにあふれているのだ。結局すったもんだしたあげく、長男が選んだのは、「黒いベールの悪魔系赤ローブ男」それにガイコツの手袋とカマ。次男が選んだのは「騎士5点セット」(ヘルメット、鎧、楯、剣、腕のプロテクター)帰ってきて早速リビングルームで衣装に着替えて浮かれまくっていた。長男がやってきて「ママ、こんな素敵なもの、買ってくれてありがとう」「はいはい、どういたしまして。悪いけど、来年もそれ着てね。」「うん。着るよ。ずーっと着る」いつまで、ハロウィンを回るつもりなんだ。聞くところによると12、3歳でトリック・オア・トリートは卒業する子が多いと言う。すると、あと5年といったところか。1年に1回のこのイベントの為に痛い出費を強いられる親は多い。まわってくる子供たちに差し出すキャンディもいちいち買わなければならないのだ。まったくそうやって子供を甘やかすから、と苦々しく思う私がいる反面、それでも、子供のうちのほんの何年か、思い通りに楽しませてやってもいいではないか。と、親バカ仕様の私がささやく。だってかわいいんだもん。本日の献立:さんま塩焼き、おからの卯の花煮、ほうれんそうのバター炒め、ごはん
2004.10.13
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この季節になると、あちこちにパンプキン・パッチが現れる。10月末のハロウィンのためにかぼちゃを売るのだ。どこのスーパーでも売り出すし、実際スーパーで買った方が安いのだが、客寄せのためのいろいろな小道具が、子供には楽しい。いつも行くのは息子の学校の近くにある小さなファーム。中に手作りのトレインが走っていて、ロバやあひる、ヤギやうさぎなどいろんな小動物がいるし、わらで作った小山や迷路、インディアンのテントなどもあってなかなか楽しい。しかも無料だ。このご時世になんと無料。時間制限もなし。でも散々遊んで買わないで帰るのも申し訳なくて、ついつい小さなかぼちゃを買ってしまう。ここで買うと、子供達にクッキーを持たせてくれるし。子供達もそのクッキーを楽しみにしている。でもかぼちゃそのものは値段が高い。だからこそ商売が成り立っているのだろう。最近の街にあるパンプキンパッチはエアバルーンで出来た大きな滑り台とか、トランポリンとか、そういうタイプが多い。それがまた、5分で3ドルとか、やけに高いのだ。子供達にとって、遊具の5分なんてあっという間である。こんなものに金を使うくらいなら、大きなかぼちゃを買って、公園に行った方がましだ。でも子供達には夢の遊具に映るらしい。それにパッチ中に転がっている、鮮やかなオレンジのパンプキンがいかにも楽しげな雰囲気をかもし出しているのだ。今日は学校が休みだったので、海に行く途中にあるパンプキン・パッチに行った。可愛らしいお城風の建物や、ポニーライド、動物達にエサをあげるブースなどもある。そしてそのいちいちに金がかかる。ポニーに乗るのに、ひとり5ドル。えさをあげるのにひとり3ドル。滑り台が5分で2ドル。馬鹿馬鹿しいぞ。いくら季節ものとはいえ、あっというまに20ドル札は吹っ飛んだ。こんなところまでひたすら運転してきてこれじゃあんまりだ。よし。海にいこう。ということで、急遽海まで車を走らせた。満ち潮だったのであいにくそんなに遊べなかったが、大好きな海で過ごして、子供達は満足したようだった。帰り道に先ほどのパンプキン・パッチの前を通り、横目で眺めると、先ほどとは打って変わってものすごい人だかり。乗り物やポニーも長蛇の列だ。「また行きたい?」と子供達に聞いたら、「オレは海の方がいいや」との答え。良く言った。それでこそ我が息子だ。貧乏なりの処世術を身につけてきているという事か。早くパンプキンを買って、おうちの前に飾ろうね。そしてハロウィンの前になったら皆でJack-O-Lanternを彫ることにしよう。ところで、今年はハロウィンの衣装、何にしようか。毎年頭の痛い話だ。本日の献立…パスタ入り野菜スープ、チキンライス、きのうの豚肉のピカタの残りハニーデューメロン
2004.10.12
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私の周りに何人かのシングルママがいる。彼女らの存在が時にはなぐさめになったり、励みになったり、そして元気づけられたりするのだ。今一番親しいシングルママは息子のクラスメイトのお母さん。息子同士が仲良くなって、お互いの行き来をするようになり、彼女ともだんだん親しくなっていった。人なつこく、しかし相当の心配性で神経質な彼女は、ポルトガルから来た生粋のベジタリアン。一人息子の父親はアメリカ人でもう再婚している。子供同士が仲良く、またお互いの境遇も似ているので子供を預け合ったり、一緒に夕飯を食べたり、時にはお互い子供のいない晩に連れ立って買い物に行ったりしている。あちらもこちらも貧乏で、子供にちょっとした発達上の問題があって、父親が外国人と再婚しているところまで一緒。大きな違いは彼女は神経質できれい好き。私はずぼらでちらかっててもOKといったところか。彼女と話していると、愚痴は出るわ、心配事は口に出来るわ。でもちょっとした深刻な事も笑い飛ばせるので一緒にいて気がラクな相手の一人である。同じ教会の、トンガ生まれ、アメリカ育ちのお母さん。シングルで中学生の女の子と小学生の男の子を育てている。あまり話したがらないので、別れた子供たちの父親が、どこで何をしているかは知らない。基本的にはいつも子供たちは彼女と一緒にいるようだ。最近はカブスカウトに行く際に、一週間おきにカープールでお互いの子供を連れて行っているのでずいぶんラクになった。最近自力でコンドミニアムを買ったのだ。公務員だから高給取りではないだろうに、こんな土地の高い地域でたいしたものである。すごくしっかりしていて明るくて、たくましい。彼女のモットーは「どんなに外で嫌な事があっても、どんなに過去に嫌な事があっても、家の中はハッピーでなくてはならない。」そしてそのための努力を惜しまない人である。私よりかなり若い、日本人のお母さん。スラリと背の高いきれいな人で、子供がうちの息子と同じ年だ。彼女のところはまだ離婚が成立していないようだが、彼女自身の生活はもうすでにしっかりと自立している。いつも感心するのは、余計な事を話さず、人の噂話にも加わらない。聡明な人で、仕事も熱心で、自分を磨く事も怠らない。子供の躾も、とってもそつなくこなしている。こんなふうに出来る人がいるんだなあといつも感心させられる。息子のクラスには他にもシングルママが3人くらいいる。最初からシングルで、シングルのまま中国から養女をもらったA。赤ちゃんのときから育てているこの、血のつながらない娘が、彼女にとっては一番の宝物だ。まだ30ソコソコで、とてもきれいでかっこいい中国系アメリカ人のP。いつもさっぱり、ナチュラルタイプの人で、娘とともによく裸足で歩いてたりする。最近転入してきた女の子のお母さん、B。いつも娘をマウンテンバイクに乗せてやってくる。咳をしている子がいると、そばに行って「だいじょうぶ?」と心配せずにはいられない優しい女の子を育てているお母さん。彼女たちの姿を見るたびに、私一人がシングルでひいこら言っているわけじゃない。頑張らなくちゃなあ、と思わされる。もちろん、友だちの多くは幸せな家庭を築いている人達である。でもそういう幸せな人たちを見ながら、嫉妬心も湧かず、羨ましい気持も持たず、「明るい家庭だなあ」と笑ってみていられるのも、シングルママ仲間のおかげなのかもしれない。有り難い事である。本日の献立:豚肉のピカタ、焼きピーマンとニンニクの炒め物、玄米洋梨のコンポート
2004.10.11
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今週は元夫の誕生日だった。当日は私も仕事が忙しく、向こうも徹夜仕事でバタバタしていたので、子供たちに「お誕生日おめでとう」コールだけさせて、後のお祝いは週末にさせる事にした。今日はいつも通り、子供たちがお泊まりにいく日なので、元夫が良く利用する店のギフトカードを買い、子供たちにバースディカードを選ばせて書かせた。次男が「ケーキは?」というので、近くのスーパーに、元夫の好物のバナナクリームパイを買いにいく。大きなバスケットにパイと、紙皿と、フォークと、キャンドルを入れ、カードとプレゼントを上にのせ、次男が手で編んだ、カラフルな紐を使って、取っ手のところでリボン結びにした。子供たちは、元夫のところにつくやいなや、「ダディー!バースディプレゼントだよ!」「バナナクリームパイだよー!」と走りよっていった。私は後から子供たちの着替えを持って元夫に手渡しに行った。「ありがとう。パイ作ってくれたの?」「違うよ、スーパーで買っただけ。悪いけど」「あ、いいよ、いいよ。ありがとう。」といって、行ってしまった。作る?私がバナナクリームパイを?何故作らなければいけないのだ、別れた夫に。それでも去年までは、しかも離婚もカウントダウンだというのに一応、法律上は夫婦だったわけだし、誕生日くらいは、と思って作っていたのだ。元夫は何故かケーキがあまり好きじゃなかった。ケーキよりはパイの方が好みだった。中でも好物は、カスタードたっぷりのバナナクリームパイだった。いつの間にか、誕生日のケーキはいつも同じ、このバナナクリームパイになった。パイ皮を焼き、スライスしたバナナを敷き詰め、バニラビーンズをたっぷり加えたカスタードクリームを流し込み、泡立てた生クリームで飾り立てる。甘さを控えて作れば、なかなかおいしいものだ。毎年このパイにキャンドルをたて、元夫の誕生日をお祝いしたのだ。3年前までは、一緒に。一昨年と、去年は、私がパイだけ作って子供たちに持たせ、歌を歌って祝わせた。今年はもう正式に離婚が成立している上、彼はもう再婚していて、あとはビザの関係で入って来れない新妻を待つばかり。私が彼の誕生日など、祝う義務はないのだ。それでも子供たちの父親である事には変わりはないし、ケーキ代わりのパイくらいは買って持たせてやっても良いと思った。でも元夫は私が作ったと思ったようだ。そして、それを否定した時、一瞬淋しげな顔になった。その顔を見て、私はちょっとだけ胸がちくんと痛んだ。この男は家を出て行ったし、私の元を去ったのだ。誕生日のパイなんか期待するな。来年からは新妻に作ってもらえ。これからはもう、めったにバナナクリームパイを作る事もないんだろうな。こうして、離婚した後々まで、何かが大きく変わった事をことあるごとに思い知らされるのだ。久しぶりに、すこしだけ気分が沈んだ夜だった。
2004.10.09
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次男は男らしいコドモだ。眉間に皺を寄せて「オレ」っていうし。いつも生傷が絶えないし。字を書いたり絵を描いたりなんてちゃんちゃらおかしくてやってられないみたいだし。なので、今日あった出来事などを私が聞いても「おぼえてない」とか「しらない」とか「なんにもない」とかそういう素っ気ない答えしか帰って来ない。そんな次男には大親友がいる。3歳の時からのつきあいで、ほとんど毎日遊んでいる。彼の名前は「スパイダー」。そしてその正体は私の右手なのだ。馬鹿馬鹿しいとは思うが、そもそもの始まりは、私が次男をくすぐるのに、「スパイダーだぞう」といいながら、右手をクモのように動かしてくすぐっていた事から始まったのだ。そのうち、次男はその「スパイダー」に話しかけるようになり、彼の来訪を楽しみにするようになった。私は日本語でしか話さないが、スパイダーは英語だ。スパイダーがくるといつも目を輝かせ、ハグをしたり、キスをしたりする。ケンカしてスパイダーが帰っちゃったときなど、涙目で怒っていた。5歳半になる今でも、次男はスパイダーと遊ぶ。夜、布団に潜り込んで、「スパイダー」とささやく。ちょっとすると「What?」と言いながらスパイダーがでてくるのだ。夕べの会話。次男「スパイダー、もう、ご飯食べた?」スパイダー「あたりまえだよ。今夜の虫はおいしかったなあ」次男「デザートは?オレのいちごクッキー食べたい?」スパイダー「いいよ、もう。歯を磨いたから。」次男「まだ寝ないの?」スパイダー「うちの親がうるさいからベッドに入ったけど抜け出してきた」次男「グッド!!じゃあ、ちょっとだけ遊ぼう」そしてくすぐりっこをしたり、おもちゃを触らせてあげたり、次男の右手も一緒に布団で滑り台をしたりするのだ。そしてスパイダーの「ああ、眠くなったよ。お休み」のひとことで、次男も「おやすみ」と寝てしまう。一度はムクっと起き上がり「ママ、スパイダー帰っちゃった?」「しー。ここで寝てるよ。」というと、にっこり笑って、私の右手をさすりおふとんをかけてくれるのだ。子供の頭の中というのはわけがわからない。どうも今の時点では、本当に「スパイダー」の存在を信じているようだ。どこからみても、私の右手だろうが。英語だろうとなんだろうと、しゃべっているのも私。なのに、それでも「スパイダー」と本気でつきあっているのだ。困るのは、次男は真剣に私の右手と遊んでいるので、スパイダーを車に乗せて走るときは、私も一緒に走らなくてはならない。スパイダーが一回転してしまったときなど、私も一緒に全身をねじらせねばならない。私は曲芸師ではないのだ。かんべんしてくれ。スパイダーと遊ぶ利点は、何でもしゃべってくれる事。何があったとか、何をしたとかいちいち言わない次男が、スパイダーには事細かに、学校で誰と遊んだ、何を食べた、何々をした、などと報告してくれるのだ。一度など、秘密の話を打ち明けて「この話は、ママとブラザーには内緒だけど」とひそひそと小声で言っていた。ママに内緒の話を私に話しているのだから、けっこう笑える。おかげでお母様は何でも知っているのだ。たまに右手にスパイ行為をさせているような後ろめたい気持になることもある。8歳の長男は、スパイダーの存在こそ弟に否定しないでいてくれるが、ときどき冷ややかな目で、時にはニヤニヤ笑いながら、私と(正確には私の右手と)弟のやり取りを眺めている。でも私は知っているのだ。夜になるとこっそり、お気に入りのカメのぬいぐるみを抱き寄せ、こそこそと話しかけているときがあることを。子供というのは、本当に面白いものだ。本日の献立:カツ丼、永谷園の松茸の味お吸い物、野菜サラダ、桃
2004.10.08
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私の母は、決して料理が下手ではなかったが、ものすごい料理好き、というほどでもなかった。それでも私たちが小学生の時に父親を亡くして以来、女手一つで育ててくれ、毎日ご飯も作ってくれた。つとめを終えて帰ってきて、おかずを手早く用意する。ごはんは朝炊いたのを食べるのが常だった。みそ汁などの汁物はあったりなかったり。漬け物は何かしら必ず食卓に上っていた。私たちは毎日の夕飯がとても楽しみだった。おかずも質素だったと思うし、パターンもある程度決まっていた。それでも母の買い物袋の中から好きなおかずの材料がのぞいた日にはうれしくてワクワクしたし、たまには出来合いのお惣菜だってうれしかった。外から帰ってきて、家の中にカレーの匂いが漂っていた日には「今日はラッキー」と小躍りして喜んだものだ。大人になって、自分の家の献立のいくつかはよその家庭にとってはそう当たり前のものでもない事に気がついた。たとえばうちのクリームシチュー。必ず入っているのはおいもとにんじん、タマネギ、キャベツ、コーン。そしてお肉は鳥の砂肝だった。よくある事だとばかり思っていたが、人には驚かれた。砂肝のシチュー???でも私にはおいしいのだ。だから自分でクリームシチューを作る時、2回に1回は砂肝が入る。天ぷらそのものはあまり作らなかったが、良く作ってくれたのが大豆の天ぷら。ゆでた大豆をかき揚げのようにして揚げ、お醤油をかけて食べる。けっこう好物だった。一度うちでも作ったが、子供たちはひとくちかじってやめたので面倒でもあるし、やめた。たまに帰省する時に作ってもらう事にしている。残りご飯のきな粉団子。これはおもに日曜日のお昼ご飯に良く登場した。残りご飯に小麦粉を混ぜ、蒸し器でふかして団子にし、砂糖入りのきな粉をまぶして食べる。春雨サラダ。よくあるメニューだが、母の作る春雨サラダは具沢山で、たいていは、ハム・にんじん・きゅうり、コーンにたまご、いんげんなど。それをマヨネーズ醤油で和える。これも帰ると必ず作ってくれる。こんなところが私の好きな「我が家のおふくろの味」だ。うちの妹は同居のお姑さんからも多少嫁ぎ先の料理を習い、(実はこのお姑さん、あまり料理が好きではないのだ)そこの郷土料理ともいえる、かぼちゃ入りのほうとうなどを良く作る。山の近くに住んでいるので、わらびやふき、たらの芽などを使ったおいしい山菜料理も得意になったようだ。結婚して新しいお袋の味のレパートリーを増やしたね、といったら「お姉ちゃんには負けるよ』と笑っていた。なにしろ、今の私のレパートリーの中には、メキシカンだの、中東料理だの、インド料理まで混ざっているからだそうだ。なぜかというと、子供たちがどこの国の人と結婚してもいいように日々鍛えているからなのだ。(うそです)ちなみに子供たちの好きなおふくろの味・ベスト5長男 1. スパゲティ・カルボナーラ 2. ちくわの磯辺揚げ 3. クラムチャウダー 4. 鳥のからあげ 5. さばの塩焼き次男 1. クラムチャウダー 2. コロッケ 3. たらこスパゲティ 4. ぎょうざ 5. 白身魚のフライちなみにふたりとも、どんなときでも大好きなのは・・・納豆ご飯。(爆)どんなに腕によりをかけてもこれにはかなわないようだ。本日の献立:砂肝と鶏肉のクリームシチュー、夕べの残りのおでん ごはん、ブロッコリー、りんご
2004.10.06
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今日は、このエリアにある、ちょっと有名な山の中の日本庭園Hで催された大きな茶道のイベントに参加してきた。裏千家、表千家をはじめとする、日本にある主な茶道の流派から、それぞれいろいろな社中が集まり、お茶のデモンストレーションをした。12時から1時間刻みで5茶席、しかも8つの参加社中があったから、全部で40ものお茶の席があったのだ。薄茶、濃茶、立礼など、テーマも違うので、いろいろ回って歩く人もいたようだ。さぞや皆さん、今夜はギンギンで寝られないに違いない。(お抹茶のカフェインてすごいのよー)私はある一席で濃茶を点てさせて頂き、他の時間は裏方に回って働いた。10時から5時まで着物を着たまま、立ちっぱなしの1日だった。今でもまったくもって足が痛い。こういう時ほど日本式のお風呂が恋しくなることはない。ところで、こういう時に本当に驚かされるのが、茶道にかなりディープにのめり込んでいるアメリカ人の多い事。茶道に限らず、華道、弓道、剣道、合気道、太鼓など、(カラテはあまりにもアメリカナイズされちゃっているので今回ははずします)けっこう精神世界を重んずる日本の文化にふかく、ふかーく傾倒しているアメリカ人は少なくないのだ。他を知らないので、話は茶道に限らさせて頂くが、茶道は、かなり封建的な文化の一つだと思う。またそういう部分がないと、継承していけない面もあると思う。子弟制度が色濃く残り、日本人の中でもこういうものを苦手とする人は多い。何しろ、「先生」は絶対の権威なのだ。私も最初はびっくりしたが、あまりにもそういう部分の欠けているアメリカ社会で、日本的な人間関係を色濃く残す茶道にちょっと新鮮さを覚えたりもしたのだ。ところで、私は今でもできるだけ週に1回は稽古に通うようにしているが、私の稽古日は、私以外はほとんどアメリカ人である。だから私の「茶道友だち」はアメリカ人も多いのだ。いつも顔を会わすのは彼らである。日系人女性C。先生が横から稽古中に口を挟むと「Stop it!」と叫ぶ豪傑女だ。私にはそんなこと、とてもできませんてば。ちょっと変わっているが、とても気のいい人。ナチュラリストN。どこから見ても環境保護団体に所属して、禅問答をしながら菜食主義を貫いている、という感じのものすごく細い女性。たまに私がお茶を点てている最中に、その横であぐらをかいて目を閉じ、瞑想なんかしてくれている。ゲイのH。新婚の彼は、とてもしなやかな優雅な動きでお茶を点ててくれている。いろいろな問答も一生懸命日本語で覚えようとするけなげな「女の子」。気配りもこまやかで、とても優しいのだ。太極拳の先生、D。とはいっても彼女はアメリカ人だ。アメリカ人に太極拳を教えるフィジカルセラピスト。彼女は私と同じ年の娘がいるが、私たちは結構仲良し。お茶で顔を合わせるだけでなく、彼女の家に遊びに行く事もある。もの静かで、いつも黒い服しかきない、すっごく日本が好きな女性。というわけで、私の先生には日本人のお弟子さんももちろん多いのだが、私が稽古で顔を合わせるのは、アメリカ人が多い。彼らはアメリカ人の中でも、比較的変わっている方かもしれない。今日もたくさんのアメリカ人のお茶の先生がいた。当然、彼らのお弟子さんはアメリカ人がほとんど。そしてなぜか、けっこう男性も多いのだ。私の茶仲間でゲイのHは、背中一面に登り龍が這いずり回っているような着物とか、全身に「秀吉」とか「信長」とか印刷された着物を着て現れるのでまったく度肝を抜かれるが、今日のお茶会にいらっしゃるような先生方は、さすがに地味な男着物を、いなせに着こなしている。動きも優雅だ。日本人ですら、茶名を取るのはそうラクなことではない。私なんか8年もかかったのだ。バックグラウンドのまるで違う環境に育った彼らが、こんなにも細々した決めごとの多い茶道で、茶名を取るまで頑張るというのは、並大抵の事ではないような気がする。今日は私の先生の社中が席を設けたので、他の茶席を見るチャンスがまったくなかったのだが、今度機会があったら、いろいろなお点前を拝見したいと思う。日もやや翳りはじめた初秋の日本庭園。駐車場につづく砂利道を、着物でゆっくり歩いた。(足が痛くてゆっくりしか歩けなかっただけだ)むこうから、和服姿のキリっとした外国人男性が歩いてきた。すれ違い様、ゆっくりと歩きながら、彼は礼をした。静かに、優雅に、ゆっくりとお辞儀をしてくれた。私も歩きながら、お辞儀を返す。そのお辞儀があまりにも美しくて、今、日本で、こんなにきれいなお辞儀ができる人が、いったいどれくらいいるんだろうなあ、とふと考えてしまった。本日の献立:納豆、玄米ご飯、揚げ出しとうふ、野菜スープ、梨
2004.10.04
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息子たちの学校の近くに高級スーパーと言われる部類の店がある。店構えもちょっとエラそうだが、値段もやけに高い。同じ高くてもWhole Foodsのようにオーガニックやナチュラルな良質の製品が高いのなら納得はできる。だが、この店は、どこにもあるようなナショナル・ブランドが高いのだ。何故みんなどこでも買えるようなものをわざわざ高い金を払って買うのか。そしてなぜこの店は商売が成り立っているのか。高級住宅地にしか、この支店はない。(意味もなく高級感が漂う)*すみません。どうも高級住宅地でなくてもあるようです。 Caloriさんありがとー。そしてデリや鮮魚、肉製品の品揃えが良い。(これはホント)生花コーナーのデコレーションがお洒落っぽい。(ちょっと無理がある?)どう考えても、他に理由は見当たらないのだ。実は私はこの店に月に2、3度足を踏み入れる。そしていろいろと悩み苦しみながら買い物をする。高い店で買い物、というくだらない見栄のためではない。ちゃんとした理由があるのだ。それは・・・見切り品コーナー。先ほども言ったようにこの店の精肉コーナーは比較的安全な肉類を、しかし決してお安くはない値段で売っている。確かに品揃えはいいと思う。新鮮なだけではなく、地鶏や抗生物質を与えていない肉類、オリジナルの加工品を売っているのだ。そしてその片隅の冷蔵ケースにひっそりと佇んでいる見切り品。そこら辺の普通に売っているスーパーの肉よりいい品を、しかも期限にかなり余裕を持たせて(賞味期限まで3~5日)、しかも驚くべき値下げ率で置いてあるのだ。見切りのつけ方がかなり太っ腹なのである。この店に入るときの私の目的は、たったひとつ、この見切り品コーナーしかない。しかし、このコーナーにたどり着くまで私はいろいろと自己との葛藤に苦しみながらさまよい歩く。そして支払いを済ませて完全に店を後にするまで、私の心に平和は来ないのだ。まず第一に、ここの客層はどうみても平均年収率が高い。お金にも、時間にも、心にも余裕があるように見える人々。そこに入っていく私は、どこから見ても「いいとこの奥様」には見えないのは残念ながら十分承知している。あなたたちには見下されたくない。人間は中身だ。と、誰も私を見てすらいないのに、一人息巻く。その中を自意識過剰にして、さっそうと、しかしゆっくりとお買い物を楽しむ風を装って、何気なく精肉コーナーにたどり着くのである。そしてポイントは、さらに何気なく優雅な動作で「あら、これ何かしら」とふと気づいたふりをしつつ、目で一瞬にして「本日のお買い得見切り」を選り分け、ささっとカゴにつっこむ。さてここからが問題だ。この見切り品には、真っ赤な、しかも大きなシールが貼られ、その上に真っ黒のマジックでセール価格が殴り書きされている。どこからみても目立つ事この上ないのだ。いくら優雅な動作で素早くゲットしてもカゴの中を見れば、私のこの買い物における動機は誰の目にも明らか。一目瞭然だ。これはやっぱり恥ずかしい。そこで、できるだけ、素早く他のものを物色する。なのでこの店での本当の目的をあまり知られたくない私は、その隠れ蓑に、牛乳か、パンをひとつ、または二つ買う。これらはどこのスーパーでも値段に大差はない。そしてレジで支払いをして帰途につく。「パンをきらしたから急いできたけど、ついでにこんなもの買っちゃったわ」という顔をして。私がこんなにも涙ぐましい努力をし、さまざまな感情と格闘しながら買い物をしているわりに、実は誰も私の事なんか気にもとめていないし、何を買おうが知ったこっちゃないのだ。そんなことはじゅうぶん承知している。こういう浅はかな見栄の心をすべて捨て去って悟りをひらき、欲しいものだけを堂々とつかみ取る勇気があれば。でもそうなったらそうなったで、ちょっと怖いような気がする。ともあれ私の定期的なこのスーパーとの戦いは冷蔵庫に戦利品を納める時にこそ、ひそかな喜びをもたらしてくれるのだ。ああ、この満足感。誰にも文句は言わせないぞ。本日の献立;カップヌードル。(子供がいないとこんなものよ)ゆうべからお仕事で2時間しか寝ていないので、ちょっとお昼寝。
2004.10.02
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