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立場が違うとものの見方がまったく違う。よく差別される側の気持ちは、わかるとしたり顔でいっている人間ほど、わかっていなかったりする。私も、実は、その一人だった。わかっていると誤解してただけだ。やっぱり自分が火の粉のふりかからないところにいて相手を理解するなどというのは、つくずく難しいと思う。外国人と結婚する前は、彼らの気持ちを理解しているつもりだったけれどそれは、やっぱり甘かった。自分が外国人の奥さんを持つようになって、世間の風当たりの強さを感じることがある。なかなかうまく説明できないけど。たとえば車を運転する立場でみているとチヨコマカした自転車や歩行者は、邪魔で危ない存在でいらいらさせられる。ところがこれが自分が歩行者、自転車の立場に立つと、車の動きは横暴極まりなく思えてくる。まさに立場によってみかたががらっと違ってしまうのだ。そしてそれがきわめて正統的な見方だとおもったら大きなトラブルを生じるのある。もちろん相手の立場にそうそう立つことはできないけど、いつも思い直してみることは必要だ。どうしても人間というのは一度思い込んでしまうと修正が効かない。男と女でもイメージが最初に定着してしまうと、本当の顔が現れてもそれをうまく認識できないでトラブルになる。いつも思い直して、色々な人の意見を聞いたりして自分を見つめていかなければなかなか人間として成長できないものだと思う。夫婦関係にしてもこの思い直しが必要だしいかに相手の立場を理解していくかだ。世の中色々な人間関係で悩んでいる人は多い。まさにこの世は住みにくい。しかしあの世だって住みやすいと保証されているわけではないし、一度きりの人生、見栄や体裁だけには、とらわれて生きていきたくないものだ。まあ私など自由勝手に生きてきたし、いつも社会の常識に疑いを持って生きてきた。自然体で。こころを開いていつも笑顔で、笑い顔をつくっているとなぜかハッピーになってくるのは、私の楽天的な性格だけなのだろうか・・・・ようし、寒ければ走って体をああためれば良いさ。私は仕事を終えて家に向かって走り出していた。私が大切に思える妻と娘がいる。私を大切だと思っていてくれる妻と娘がいる。このまま人生を走り続けていこう。そう思える今日この頃である。そして現在ーーー今思い返してみてこんな決意で 進んでいったそして今もその方向は変わっていないふとそう思った。
2008年10月26日
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何が真実で何がうそか混沌とした時代国さえ信じられなくなったいや 国は信頼できるといった前提すらもともと怪しいことだったのかもしれない国のやることだから信頼できるだが それはもろくも崩れ去った後期高齢者何だよ年金記録の改ざん年金記録の喪失いつも弱者は切り捨てられ 強者は甘い汁を吸う今この国に起きている事は国家滅亡の予兆の気がする。アメリカの思想にべったり 日本本来の精神は崩壊 腐敗して崩れかかった 現政権に 日本丸を導く羅針盤など存在しない。座して滅亡を待つより立ちて活路を見出さなければならない国家存亡の岐路に立たされている気がする。
2008年10月21日
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世の中大変だな人事ではない いったいどういった社会になるのか世界は 日本は未だ実感がしかし 月日の経過とともに新たな 何かが始まるかもしれないみんな アメリカにだまされていた・・??いや アメリカ型資本主義は、多くの人を墓場に送り込もうとしているのか・・
2008年10月17日
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もうあれはずーーと昔 修学旅行で京都を訪ねたとき 中学のときだっただろうか金閣寺や 嵐山の風景がずっと目に焼きついていた。今回機会があって そこへ行くことになって出かけたのだ。それは、修学旅行のとき 好きな女の子がいて いつもその子に会えるとどきどきして淡い恋にあこがれていた時期でもあったからだから 嵐山や、金閣寺は その女の子を思い出させる キーワードでもあったのかもしれない。月日が流れて そのときの想いがまだ残っているのかと思って そこをたずねてみて もはや それは今ではほんの小さな記憶の断片にすぎないのだなーーと悟ったのだった。ただ 嵐山や金閣寺は、その当時のまま美しく感じられた。淡い恋 それは年とともに微妙に変質していったのかもしれない。もしかして それだけいろいろなものを見て 物事に感動しなくなったのか修学旅行の生徒たちの姿も ちらほらと見えた。あの時の自分がもうそこにはいないそんな寂しさを感じたそんな旅でもあった。だが それはそれで新たな何かの始まりでもあるような気がしてふとたたずんだ。
2008年10月06日
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