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JR京浜東北線「上中里駅」から 坂道を上りゆっくり歩くこと 10分ほどで『旧古河庭園』に。昨日 小春日和の土曜日 紅葉狩りとシャレてみました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ニコライ堂や旧岩崎邸洋館を設計したイギリス人のジョサイア・コンドルが手がけた洋館と手前に広がる洋風庭園です。大輪のバラがいくつか咲いていましたよ。ここから坂をおりていく 日本庭園への道の木々はすっかり紅葉がはじまり さわやかな風が吹くたびに枯れ葉がハラハラと 舞い落ちる。芝生の上で開かれていた 胡弓のミニコンサートを聞きながらひと休みしても ・・・まだ時間がたっぷりある。では 紅葉狩りのはしごと まいろうか本郷通りを駒込方面に歩き出す。この通りは 昔の「岩槻街道」またの名を「日光御成り街道」といい往時を忍ばせる お地蔵さんをふたつほど見つけお参りしながら20分ほどで着いたのが駒込『六義園(りくぎえん)』でした。園内の林の中に入ると ジャ~ン!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・今回の紅葉狩りのはしごは ゆっくり休憩しながら約3時間ほど。今度の日曜日 12月7日まで両庭園とも紅葉が見頃でしょう。「六義園」では 夕刻からライトアップされますよ。
2008年11月30日
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屋久島には 樹齢千年を超える「屋久杉」が多く自生している。海中から隆起した花崗岩でできた 屋久島の表面の土壌はわずか4~5センチメートルしかないそうだ。その狭い土中に 横へ横へ根を張って 屋久杉は成長していく数百年 数千年をかけて すこしずつ。そして寿命を全うし 倒れた杉はゆっくり また千年をかけて 朽ちていくそうだ。横になった杉には コケがはえ 杉の種がつきあたらしい土壌となって 生命を育む。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・作家・開高健と世界中を旅したカメラマン・高橋曻の 『旅人 開高健』そのなかで とても印象に残った写真がある。それは 開高健氏が「今ここで この姿を撮ってくれ」といって大木に背をもたれ だらりと両足を投出している 一枚。木の影が 顔をおおっていて 表情はうかがい知れない死んでいるようにもしばしの昼寝をしているようにもナースに見守られている傷ついた兵士のようにも「この姿を撮ってくれ」のメッセージの意味は?この章に添えられた 開高健のかつての一文~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 風倒木(ふうとうぼく) 小動物の棲みかとなり 虫たちの集うところとなり やがて消え失せて土に還り 次の若木を育む栄養分になる ・ ・ ・このような木を 『ナースログ』というそうだ。
2008年11月25日
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黄金色 薄い黄色 淡い緑 そして 深い緑色。それらが澄んだ青空をバックに 冬の直線的な日差しを受けてキラキラと 踊るように輝く。 ここは東京下町「千住大橋」のたもと日光街道に面した南千住の「素盞雄(すさのお)神社」通称「お天王さま」です。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 『境内は古来より「あすかの森」と呼ばれ 銀杏などの大木が林立していた・・・ この大銀杏の皮を煎じて飲むと、乳の出が良くなるということから 絵馬を奉納祈願する習わしがあり、現在も続いている』 と案内板にあった。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 昨年夏 会津の町で結婚披露を行ったメイから女の子誕生を知らせる 写真入りハガキが届いた。 昨年秋 そのメイと 神宮の黄金色の銀杏並木の下を散策したことを思い出す。 ・ ・ ・ そうだ! 「子育て絵馬」を 贈るか。
2008年11月22日
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思いついて 今にも雨が降り出しそうな 先週の土曜15日東京水道橋の近くの「小石川後楽園」に 紅葉を見に行きまして・・・結論を先に言っちゃいますと 少し早かったようです。でもでも いろいろ発見がありました。とりあえず スナップを 歩いた順にご紹介。よろしかったら ご一緒に歩いてみませんか。ちょっと 長いですけど付いてきてくださいね(笑)。 * * *水戸黄門こと 徳川光圀が完成させた水戸藩上屋敷の庭園 ここ「小石川後楽園」の復元された練塀の石垣には 江戸城の築造に関わった当時の大名紋が刻印された石が 使われていました。以前 いつ来たか まったく思い起こせない。子供のとき以来かな?庭園の案内図を片手に 左回りに歩き出す。(推薦される順路の逆なんですが、まあいいかと)「大泉水の紅葉」大きな池のほとりの紅葉は この程度でした。狭い方の道に入ると こんな深閑とした樹林。「内庭」とある 小振りな池の前方には 東京ドームが。「藁葺きの酒邸」や「神田川水路跡」「梅園」を観ながら 進むうちに 急勾配の石段に至る。「円月橋」光国の学問の師であった 明の朱舜水の意見を取り入れたところから中国趣味豊かな 庭園となったそうで。「得仁寺の手水」「通天橋」関東大震災で倒壊した 京都清水寺を模した跡の崖の上から撮影。 これらの高低差が わかりますかね予想以上の 急な石段が続きました。(滑りにくいシュウズで お出向きくださいね)もちろん 短い平坦な散策路もあります。でも すみずみまで見物できる 今回の道はおすすめだなたっぷり 1時間はかかりますが。 * * *11月22日(土)から 12月7日(日)までは『深山紅葉を楽しむ』というイベントが いろいろあるようです。これから 紅葉が見頃でしょう。「小石川後楽園」への 交通は次の通りです。都営大江戸線「飯田橋駅」徒歩2分JR総武線・東京メトロ東西線・有楽町線・南北線「飯田橋駅」徒歩8分東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」徒歩8分
2008年11月18日
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9月の下旬 サイクルショップで「走行距離」を計測するミニ計器を 見つけまして。走行スピード、区間距離、消費カロリー、そして 取り付けた時からの延べ総距離が計算できることに。今日まで 約1カ月半の総距離は 440キロ。右端の スポークに取り付けた 丸い発信器からの情報を左端の フレームに付けたマイクのようなセンサーで読み取る仕組み。自転車のタイヤ径に設定を合わせるだけの 簡易なものですがモチベーションを高める道具として 楽しんでいます。 通勤の往復距離は 約15キロひと月に20日走ったとして 約300キロほぼ 予想通りの結果でした。 ・ ・ ・隅田川を下る ぽんぽん船を追いかけて抜く!この調子でここ東京下町から 遠くに走り続けたら・・・どのあたりまで 行ったことになるのかな?MapFanのルート検索で 調べてみたらおおよその距離がわかりました。http://www.mapfan.com/routemap/routeset.cgi 高速道路を利用しない 移動手段/自転車 時速10キロ という条件で一般道路で 約300キロというと東北に向かうと 白石市(福島市と仙台市の間)関越に向かうと 新潟長岡市東海道では 豊橋市あたり。面白くなって その先を調べたら稚内宗谷岬まで 約1430キロ鹿児島指宿まで 約1440キロ楽しくなって 想像した2年前から走っているので 総延長距離は宗谷岬から指宿までの 往復を超えていることになる・・・なんか なんか 嬉しくなった。この単純さが 持ち味なんです(笑)。さあ! 明日も走ろうと!
2008年11月13日
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昼前 出勤の道すがら 浅草寺の境内を回ったらいっぱいの「菊」が 並んでいた。ちようど 審査員が 鑑定中だったようだ。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴他にも小学3年生が育てた 見事な菊があったり福島県二本松の 大きな「菊人形」が 特別参加していたり ・ ・ ・ 夕刻、筑紫哲也さんの訃報を知る。 偶然の「菊」観賞は おだやかな目元と語り口で 反骨を貫いた氏へのはなむけだった・・・のか。晩秋の菊は さまざまなことを 思い起こす。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴それはともかく 今日の昼前朝食と昼飯を兼ねて 雷門近くの「珈琲屋」に 「モーニング」を食べに入る。年配のマスターと キュートな娘さん(に違いない?)が忙しく対応している。昭和の香り漂う店内を そうだ 記録しておくか・・・「撮っていい?」と 娘さんに デジカメを指しながら問えば「エッ はい どうぞ」店内にカメラを向けたら娘さんが 髪を整えながら センターに入ってきた!どうも 誤解されたようだ。この画面の中央に美人の娘さんがいる写真はわたしの秘蔵の一枚になった。。。
2008年11月07日
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司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』は 十六世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により 日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。 以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら 異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の詩。 (「BOOK」データベースより)とあるが慟哭の詩というより薩摩焼の 第14代 沈寿官という人物を題材にした朝鮮 日本 民族 ひとりひとりの人間としての誇りを低めの声で 奥深く追求した前向きな作品と 記憶していた。先日 テレビで「鶴瓶の家族に乾杯」を なにげに見ていたら鹿児島県日置市で 鶴瓶が 偶然訪れた家に沈寿官さんがいた! 小説の主人公ご本人が。ご本人が 「司馬先生も 同じように突然 訪問してきたんですよ」と。「息子の結婚の仲人をお願いしたら 快く引き受けていただき 式当日の 司馬先生の仲人挨拶が 2時間以上になりましたかな。 わたしたちの次ぎの世代に 「沈家」の歴史を知っておくように 丁寧に噛み砕いて お話していただきました。 長い? とんでもない! ・・・隠れて涙を拭きました・・・」と。いい話を聞いた。司馬さんの 人柄が うかがい知れる。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴『街道をついてゆく』(司馬遼太郎番の6年間)朝日新聞出版 村井 重俊 「街道をゆく」は司馬遼太郎が1971年から1996年まで実に25年もの間 週刊朝日に連載されたもので、文庫本では43冊になる大作。 『街道をついてゆく』は最後の担当者 村井重俊による「街道」を共に6年間旅した回想録。 親子ほどに離れた村井氏が見た 司馬さんご夫婦の意外な素顔やエピソードなど 最期の6年間のエピソードを 敬愛を込めて あたたかく 珍しいスナップ写真を交えて語る。司馬さんは(夫人のみどりさんも)かなりな偏食家だったそうで北海道の取材では 行く先々 蟹料理で接待されるが実は司馬さん 蟹が大の苦手で 箸をまったくつけない。それでも 興味ある話を何時間もつづけて同席する人々を飽きさせなかったそうだ。「街道をゆく」を すこしづつ 歩くように読んでいる身には司馬さん達の 取材旅行の様子と司馬さんの人柄が うかがい知れて また楽しみが増えたのだ。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴いや~ 長くなりましたがここまできたら もう一冊司馬遼太郎を 別の視点から知る作品を ご紹介。村井氏と同世代の作家 松本健一の『司馬遼太郎を読む』日本人の思想史を 書き続ける松本氏も 司馬さんに認められ 読まれていることが自分の力と なっていたようだ。司馬遼太郎は 読後感の手紙を若い無名の作家に 送っていたのだ。
2008年11月05日
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日暮れ時になると ここ東京下町も 吹く風が肌寒いまっすぐ 家路に急ぐ足も速くなるそれでも 道の脇の花壇に眼をやると咲く花は いろいろ鮮やかな色を 競っているものですね! ∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴なんとか ミニ三脚を使って 捉えたが肉眼の姿のほうが もっともっと 美しい。
2008年11月02日
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