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先週 よく 通勤に走る道のひとつ浅草側の墨田公園でへっ! 何か違う!?なにか 景色が違う!木々の 根元風景 景色 あたり周辺が新たな エネルギーを発している! ∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴「アートランドコミュニケーション」東京藝術大学染織研究室大学院生 による試みだ そうです。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴「水玉」を テーマにして 展示しています。「アーツ & クラフト」運動の 息吹が 感じられます!11月3日まで 開催されています!
2008年10月26日
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ここ数日 川辺をチャリで走りながら思い出したり 連想したことを備忘録のつもりで・・・勝手な 個人メモ みたいなものですがよろしかったら・・・ひょっとして 同じ思いをお持ちの方がいるかも・・・と。ある日の朝焼け∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴20日 NHKテレビ夜10時からの「夫婦で挑んだ 白夜の大岩壁」を見て 感激した。 * * * 凍傷で指を失った登山家夫婦が、この夏、北極圏・グリーンランドにある、 高さ1300メートルの未踏の大岩壁に挑んだ― 1994年ヒマラヤ、チョー・オユー(8201メートル)の難ルートを 無酸素単独で初登攀に成功、世界最強と称された山野井泰史さん(42)、 そして、妻の妙子さん(51)。 2002年秋、二人はヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7952メートル)に 挑戦した。 下山途中、雪崩に襲われた二人は、生死の境をさまよいながら、 奇跡の生還を果たした。 しかし、凍傷で泰史さんは10本、妙子さんは18本もの手足の指を失い、 クライマーとして致命的なダメージを負った。 それから5年、二人は残った身体機能を使い、リハビリとトレーニングを 続けながら、クライミングへの夢を追い続けてきた。 そして、今年8月、二人は北極圏・グリーンランドにある、 高さ1300mの未踏の大岩壁「オルカ」に挑んだ。 様々な困難を前に、二人はどんな登攀を行ったのか。 「より高く、より困難に」挑み続けてきた 山野井泰史・妙子のクライマー夫妻が今、 「再びふたりで登る」ことで、 自分たちの限界に挑み続ける姿を余すことなく記録したドキュメンタリー。 「NHKオンライン」より * * *手持ちテレビカメラの 高所からの映像手と足の指を失って 続けるトレーニング息も継がせず 山野井夫婦を追うカメラに驚いたが一番 印象的だったのは妙子さんの まったく てらいの無い『笑顔』 だった。そんな お二人を書いた 沢木耕太郎の「凍」を思い出す。すっげえ『本』だった。。。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・そういえば沢木耕太郎が 雑誌「日経おとなのOFF」に連載しているエッセイ「『OFF-ROAD 旅は寄り道』」が 面白いな。バリ島を 歩いて 撮影し 文を書いている今も 連載中の 軽くてほのぼのして重厚な内容の・・・そういえば沢木氏が 若いときから 愛読していたエッセイスト植草甚一は 訪れたことも無いニューヨークの地図に古書店 ジャズスポットなどを 書き込んで紹介していたな。植草甚一著『ぼくは散歩と雑学がすき』 また読んでみるか。。。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・そういえば「散歩が好き」といえばここ東京下町を 歩きとおしたのは 「永井荷風」。一人住まいの 千葉県市川から 毎日浅草の「アリゾナ」でビーフシチューの食事を摂り向島 吉原などを 散歩した。彼の言葉に 「横丁を歩き 裏道を好む」と たしかあった。42年間書き続けた『断腸亭日乗』には「X年X月X日 今日も 浅草」と たびたび あったな。。。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴とりとめもない 雑感にお付き合いただきまして 多謝!白秋を たのしみましょうか!
2008年10月23日
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多くの浮世絵を 明治初期 欧米人が買い付け本国へ持ち帰り かの国の画家たちに多くの影響を与えた。昭和初期には 旧帝国ホテルを設計した有名な建築家フランク ロイド ライトなども浮世絵の収集に 日本中を奔走したそうだ。その多くは アメリカ ボストン美術館に収蔵されほとんど公開もされず 厳密な管理のもと保管されていた。それが 今 日本で公開されています。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 本展は、初期浮世絵版画の誕生から幕末までの展開を、 主要流派と絵師の作品により通覧できる、 まさに浮世絵史の教科書ともいえる構成です。 これは、ボストン美術館の各時代を網羅する膨大なコレクション だからこそ実現できたもので、浮世絵を通して 江戸文化のダイナミズムを感じていただけることでしょう。 なお、これまでほとんど公開されてこなかった ボストン美術館秘蔵の浮世絵版画群は、 いずれも保存状態良好な作品ばかりで、 鮮やかな色目でお楽しみいただけます。 ■「ボストン美術館 浮世絵名品展」公式HP * * * *江戸初期から幕末まで 浮世絵の歴史を通観できました!これはこれで とてもうれしかったが印象的だった いくつかをあげますとまずは「色の鮮やかさ」 こんな色彩だったのだ!歌川国貞「星の霜」の 「蚊帳」一本一本の精密な描写蚊帳の中の行灯の ほのかな明かりが 艶めいて美しいこと!「広重ブルー」の 本物が!「月下舟遊」「両国花火」「深川木場」の濃紺から明るい青への ぼかしの鮮やかさ!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・浮世絵や 江戸の文化にご興味のある方には 一見のおすすめです。「江戸東京博物館」で 11月30日まで開催中です。わたしは 広重の 墨単色の下絵(スケッチ)の「橋場のわたし」「三囲向ふごし」「中川のわたし」「にい宿の渡」など自分の散歩道と同じ 絵をもう一度 観にいこうっと。
2008年10月19日
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10月に入って間もない頃秋晴れに誘われて 近所の花園に出かけてみました。「向島百花園」です。 ・ ・ ・江戸時代の中期になると 近郊の向島は景色のいいところから 武家の 別邸別荘地になりさらに 後期になると 文化人の間で人気となり骨董商 佐原鞠塢(さはらきくう)が仲間の 歌人、画家の協力を得て 文化2年に開園した 今に残る唯一の「花園」だそうだ。すこし遅ればせの 秋の花園めぐり・・・ちょっとでも 気晴らしになれば・・・幸いです。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴有名な萩は お彼岸頃が盛り この時期は過ぎていました。でも 秋の七草はもちろんいろいろ 野草の数々が 迎えてくれましたよ(笑)。たますだれだんご菊しろみのきむらさきうめもどき∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴この「百花園」が 開園した当初は「梅」が 主体で「新梅屋敷」と呼ばれていましたが今は 詩経や万葉集などの歌碑に囲まれた東京下町の 「花(歌)園」として 貴重な存在ですよ。お近くに お越しの際は 是非!
2008年10月12日
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小さな橋を渡り銭湯のあるマンション前の 路地を抜けていくと佃島の中心 「住吉神社」の境内に 入っていた。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴地元の方が 入れ替わりに親子で ひとりで 犬を連れて散歩の途中に 参拝されている。(いや 逆かな?)住吉神社の鳥居のある 大川(隅田川)の堤防際は佃の渡し跡。 ほど近くには燈台跡も。堤防の上では 地元の若者がのんびり 鳩やすずめに餌をやっている。ここが 立ち並ぶ億ションの すぐ隣り銀座からも さほど遠くない土地とは。酒屋さんに ビールを求めに入ったら先客の 身なり口調が小粋な30半ばの 大柄な男性大量にビールやお茶を 買い込む酒屋の旦那との話が聞こえてくる「これから祭りの段取りの寄り合いが・・・」。最寄り駅の 地下鉄有楽町線「月島駅」の向こう側は人気の「もんじゃストリート」。ちょいと覗いて ハンドルを切り佃大橋の上から 下流の勝鬨橋の方を眺めながら 帰路へ。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴二日間にわたり お付き合いいただきましてありがとうございました。おつかれさまでした。
2008年10月06日
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徳川家康が 漁村に毛が生えた程度の 江戸に来た際大阪佃の住民を 江戸湊の小島に 移住してもらった。そこから付いた名前が「佃島」。実に久しぶりに今の佃島を ゆっくり歩いて走ってきました。よろしかったら ご一緒に お付き合いください。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴門前仲町から 越中島を抜けて「相生橋」から 佃島に入る。橋の上から 「豊洲」を望む。 渡りきった先を 右へ行けば高層マンション「大川端リバーシティ」あこがれの高級都会的住居スタイルの先端らしい。石川島造船所の跡地です。 先に見える橋が「永代橋」 元禄創架。ここから佃島の街中へ 入っていきました。しばらく行った横丁を 曲がれば 人の息吹が・・・お後は 写真散歩ということで 佃公園の水辺は 時間が止まったかと地元のおかみさんが立ち話する 「佃波除稲荷」の前の民家の軒下に下がる 「佃天台地蔵尊入口」の看板ひと一人が やっと入れる先に あった!大きな銀杏の木の脇に お地蔵さんが。(地中に潜ったような気分) 赤い「佃小橋」を渡って 散策をすすめましたがちょいと 疲れたのでここらで 一息つこうかな。。。喉が渇いたし ビールが呼んでいる!∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴長くなりましたのでつづきは 明日(たぶん) 報告いたします。さらに デープな「佃島」をよろしければ ご一緒に。
2008年10月05日
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昭和15(1940)年 東京の月島で世界各国が参加する「万国博覧会」が開催されることが決定していた。 過去のロンドン、パリでの万国博覧会は 各国の大デモンストレーション大会 幕末の日本人は見学して 腰を抜かすほど驚いたそんな 憧れの 晴れの舞台を 日本で開催できることに。入場券も 前売りされ 大量に購入されていた。日本のメイン建造物も 公募で一等は決まっていた。しかし 開催2年前(1937)に急遽中止となる。(この経緯は戦争に突入する時代背景から想像できますよね)それはさておき会場となるはずだった 「月島」とは?どんな土地だったの?東京にそんな広い土地 あったの?∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴それは 現在の「晴海」 埋立地4号地でした。「万博会場のマスタープラン」を 見ていただきますと驚いたのがこの昭和初期に東京湾の埋立地は ほとんど出来上がっていた!5号「豊洲」も 完成していた!ちなみに13号埋立地が 現在の「お台場」でそのほとんどが 当時 完成に近かった。そうです! 江戸から 明治・大正・昭和と埋めたて作業は 続いていた・・・ こんなに早く。はじめて知ることが いっぱいだ!(笑)東京散歩の 眼が変わる。。。∵‥∵∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴‥∵∴‥∵‥∴ちなみに「昭和15年日本万博」の発売済み入場券は以降の「万博」でも使用できるとしたので「大阪万博」で約3000枚が「名古屋・花博」で数十枚が使用されたそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな楽しいことを教えてもらったのは「第179回 江戸東京フォーラム」(東京の地域学を掘り起こすシリーズ・・・第五回)でした。 発表者 増山 一成 (中央区教育委員会主任文化財調査指導員) 伊東 孝 (日本大学理工学部社会交通工学科教授) コメンテータ 陣内 秀信 (法政大学デザイン工学部建築学科教授/タイムドーム明石館長) 司会 吉見 俊哉(東京大学大学院情報学環教授) 会場 タイムドーム明石 (中央区立郷土天文館) プラネタリウムホール(6階)
2008年10月01日
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