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繁忙期の埋め合わせをするように爆眠。というか、おきられない。横になると寝てしまう。いいのかこれであたくしの連休。新聞の書籍広告などもじろじろ眺める余裕ができた。某社の「男の隠れ家」とかいうのの広告。一日でこのスペースでなんぼ支払うのかぐらい、わたしだって知ってるからなあ。広告うつだけの実入りがあるんだわ、きっと。ここにちいさくのっている「読者からの喜びの声」みたいのがなんとも・・。「ほんとに行ったような気になるすばらしい記事でした」「久しぶりにトキメキ(たしかこんな書き方だったと思う)を憶えました」・・・うんぬん。なんかこう、「ヒサヤ大黒堂」とか「卵油」の広告にも似たベクトルだね。隠れ家って発想がまああんづよくワカランのですよ。看板出してない店の特集、なんだそうです。ここで特集しちまったら隠れ家としての存在はどうすんのか。という単純なパラドクスに陥らなくたって、いいのよね。この特集が第二弾らしいのです。第三弾としてわたしがのぞむのは、ずばり「行列のできる隠れ家」ですな。おぢさんよ、隠れ家を捨て写真機を持て。そして街に出でよ。デジタルは不可。銀塩でひとつ、やってちょうだい。がんがん撮ってラボの現像液を新しくしてほしい。新聞記事ついでにさ。クニに金払ってないとかいう未納兄弟・・?(あっといふまに兄弟大増殖したんだそうですが)あのおぢさんたち、自分が日本国民だって思っているのかしらん。「国民のみなさん!」などとマイクでわめいてるうちに乖離してないかのう。どっか、なんだか。頼むからわたしに「シウダーヂィ・マラビヨーサ♪」と歌わせてくれ。いっぺんでいいから。
Apr 30, 2004
VISAだかMASTERだったかのCMで「・・に使った金額・○○○○円」てのがあるじゃない。あのCMの最後に入れてくれ。「身代金と帰国のために払った金額・・・・円」って。ああいう形で請求された場合、流石にカード払いはできないだろねえ。でも、将来こういう事態がたびたび起こればありうるかもしれない。ひとつ、せこいことを考えた。開放のためにカード払い、これをマイルがたまるやつで支払う。かなりの高額になろうからまた渡航するくらいのことはできるのよね。借金あっても。ここまで考えて気づいた。「あ、駄目じゃん」わたしの「ご利用限度額」はかなり低めに設定してあるのだった。救出の是非も金次第かよ。ジコナントカとかうっとうしい言葉が取り沙汰されていて、言葉の方向もよくわからないままだ。大きな声を出せる人のことばばかりが耳に付くし。この出来事に関しての「解」はなかなか出しにくい。ただ、ここまできてわかったのは「何にでもお値段てのが付くんだな」ということだけだ。節約しよう。どうせ繁忙期で今は遠出かなわぬ身だもの。せいぜい特価本の棚から200円で引っこ抜いた谷譲次「踊る地平線」の中で移動するさ。教養文庫版はうちのどこかに全部あるのに、また買ってしまう。ジョウジの言葉にのって1920年代のフィンランド、サイマア湖へ行こう。今すぐ、311ページを開けばすぐそこだ。
Apr 28, 2004
国分寺の朝日や洋品店ていう古着屋さん(10代の頃から世話になってるのだった・・)で幅17cmくらいの荒い毛織りの帯を見つけて、買った。ざっくりした織りのマスタード色。こういうものは買うとすぐに洗いにかける。帯なんて普通洗わないし着物の外側に晒されてるからけっこう汚れるもんらしい。40度のぬるま湯に手洗い用の洗剤を溶いてつける。湿気と温度でウールのむわっとした匂いが鼻に来る。丈夫だからがっしがっし洗っても大丈夫。脱水かけてハンガーに引っ掛けて干す。それから一年たってしまった。さすがに帯、長いものって切るのに躊躇する。でええい、長いままじゃ何にもならんだろうが!またまた例によって適当に4分割してざくっと切って・・さっきまで迷ってたんだろアンタ・・という手つきと勢いになり、そのまま切ったうちの四分の三を革用茶色い麻糸でつなげてしまう。これで帯のカタチからは卒業。そのまま二つ折りしてお仕事用のバッグになりそうだ。でもちょっとへなへなしてるなあ、と冬のコートを縫ったときに使って余った接着芯をアイロンでくっつける。おう、それらしい感じ。もうどっからみても帯じゃない。さて、もっとかばんらしくするのにはどうするか。飯田橋駅前の靴やさんが革をくるっと巻いてバケツに立てて売っていた。靴をつくるのに裁って余したものだとか。これもちょっと前に買っておいた。両角に両辺とも15cmくらいにして革を縫い付けた。はじめは革用ボンドで固定して、端から10mmくらいのとこに目打ちで等間隔に穴をあけて麻糸で縫う。しかも返し縫い。かなり根性いる。こんなことをうちに帰って夜な夜なやっているうちに繁忙期へ突入。10日ばかりそのままの日が続く。この質感、夏には持ちたくなくなりそう・・・そう思って思い切って工作にはいる。裏地はベージュ地にコーヒー・ブラウンのペンシルストライプの、日暮里で買ったハギレの綿ブロード。表はマスタード・イエロウ。地味だか派手だかわからぬ配色ってのが好みだからそうした。組み合わせてみるとなんとなく北欧趣味だなあ。「ざっくり」して「やけにシンプル」。あまりに愛想がないみたいだから革の持ち手の付け根は楕円に切ってみた。ここにも等間隔でブチブチとステッチを入れる。見返しの内側にはマグネットのスナップ。これは結構気に入ってるやり方。丈夫なものを手作業で作ると、手も痛くなる。革用ボンドも換気しながらしか使いたくないし。ついでに革用のメリケン針は先が三角にとがっててかなりコワイ。ぼんやりしながら縫うわけにはいかない。でも、ここまで怖い思いをすると出来上がりもうれしいのだった。さすがに革を縫い付けた角の部分を縫うのはきつい。縫ったのはいいけど、こんどは裏がえしにできなかったりして。力任せに裏返したら、その部分を木槌でたたいてなじませる。この時点でけっこう「それらしい」ものになっていく。件の裏地を見返し部分につけて、いろんな作業時にのりの弱った接着芯にもう一度アイロンをあてる。まあ、こんなんでできあがり。帯一本と革でA4サイズの書類とか古本を放り込めるものができた。制作費・・・うーん、不明。確か帯が500円で革はでかいの一枚で2000円。そのごく一部。ストライプの裏地もほんのちょっとしか使ってないし。生地だの帯を見るとすぐに「これはどうしたら楽しいか」を考えてしまう。きっとみな何か作り出すとそういう体質になってしまうのだろうけど。別に商売を目的としているわけじゃないし。ただ自分がそういうものをほしいからわたしは自分じしんに依頼して手で作らせる。時々けちをつけたりこうしたらどう、と注文つけてみたり。そのうち作る側の自分がいやになってきて放っておいたりして。納期や締め切りのない作業をするしあわせはこういう形でも味わえるのだ。でもって、このあいだも有楽町の骨董市で帯を買ってしまった。こんどは藤色の地に赤と黄色の四角い柄が続いてるやつ。これもすぐに洗ってみた。ついでに糸もほどく。へんに和装小物くさくならない、「これ帯でしょ」などと言われないように作るのも遊びのひとつだと思う。民芸チックなものって、下手するとヤバイからね。あ、ついでに味噌やの前掛けも買ったのだった。これはなんと未使用らしくて、洗うと藍が落ちた。手織りの厚地帆布らしく布目がちょっといびつでいい。こーいう「屋号」みたいのが入ってるものも愛想のないつくりにしないと「民芸の罠」にはまってしまう。じっくり考えよっと。で、多分帯のほうが先に何か形になるんじゃないだろか。せっかくだからじぶんの為にブランドネームを考案した。”OSAYO"っていうの。もちろん、あれです。悪大寒が出てくる、帯がほどけて「あ~れ~」。わたしの場合、帯をほどくんじゃなくてバラしてんだけどさ。もうね、前掛けが材料のほうは決まってます。作るまえから。”DECCI"これしかないでしょう。なぜかイタリア語っぽい表記。だからってタグとかつけるわけじゃなくて、自分でそう呼んで喜んでるだけだったりする。見えないタグはあるってことで。ことばが先にあると、作業が早いんだよね。こういうの。
Apr 27, 2004
東京国際ブックフェア@東京ビッグサイトへおでかけ。新宿から「りんかい線」でまっすぐいけるようになっていた。これも前より未来型になってるなあ。前なんかもお、新橋までやっとこ行って「ゆりかもめ」・・(ここからの景色もすてきだけど)あるいは東京駅からバス。入場までの手続きのまあ、かかること。「書店」「版元」「教育関係者」「一般ユーザー」「VIP」(いるらしいです、そういう人も)・・なんて色分けされたお札の入ったカード入れを首から下げて歩く羽目に。入場前に招待券に住所氏名・・・を記入。ま、テロルとかなんとか、いろいろな出来事を想定してのことなのね。出入自由だったのはいつの日か。ユルかったよなあ。本にかかわる数百の会社がいちどに出展してるわけだからそりゃ騒がしい。なんだか、秋葉原にいるみたいに耳がわんわん鳴る。お金のある版元はそれなりに、そうでなくてもそれなりに。前より余計な印刷物などをやたらと配るのは控えてるとこ多し。海外の版元やエージェントも来ている。わたしはいすぱにやの版元さんeditorial popularにて”CUENTOS CUBANOS”を800円で購入。キューバ作家数人の短編集。レイナルド・アレナスの「目を閉じて」を読みたかったので。ほかのシリーズにはぬあんと星新一のショート・ショートなんかもあった。そうか、日本的状況説明なしでもわかるものね。ああいう分野なら。相棒は本じゃなくってドイツの光学機器メーカー・エッシェンバッハのブースで引っかかる。なにやらお仕事用に使いたいらしく。オフィスで使ってたPCの壊れた基盤が拡大鏡のデモ用に置いてある。細かいものを観ることができるのかどうか、これを見ればよくわかりもんね。ひょっとして一番役に立ってるPCかも知れぬ。まあ、それぞれに何かしら得るものがあってめでたし。今回の展示では版元よりもその周辺を固める業者のほうが面白かった。万引き防止用ICタグ、POSレジの類、それからビニ本製造機。10年前ならほとんどが版元だったけど、もうそればっかりではない。電子BOOKてなものも触ってみる。これを見て、その後に考えてみる。「とっておかなくていい本ととっておきたい本」の違い。こういう機器で見たいものって、何だろう。ある時期しか必要でないものだったら、受験前にとりあえず買う大学入試問題・・ええと。赤本だったっけ・・とか、学習参考書のたぐい。時期が終わればもういらないもの。でも、「いつか読む本」なんてものを部屋に積むのが好きな人はずっと必要感じないだろうなあ。それから、一番困るのは電子BOOKのデータを買うって言う行為には偶然性が皆無だ。「これを読みたいので金出して読む」。それだけだ。もちろん、読みたいものが読めればそれでいいんだろうが。あまりに直球すぎて、いまひとつ楽しくない。ここで気づくのは、私の場合「出会い」込みで本を手にして、いやすることを欲している。電子BOOKの単純、純粋な無水エタノール的な目的もいいんだけど、わたしにはドブロクみたいな雑味や不純物が必要だ。肝臓やら脳やらがうおっとかひえっといいながら分解して受け付けていく。偶然性のもとに。それができない以上、やっぱり毎日靖国通りの路上を往くほかない。LIBRO DEL FUTURO,未来の「本の姿」ってかんじで初めは言ってみたんだけど、「まだ見ぬ本」全部が未来の本だなあ。どこでどんな形で出会おうと。ホンの形状ではなく出会うその時間を指すものって気分になってきた。今のとこ、わたしにはね。大体、明日の「均一棚」のことだってわかりゃしないのだもの。
Apr 25, 2004
やったらとイイ声の鳥さんが来ているのは知っていた。ただ、姿がわからなかっただけ。繁忙期の疲れは寝すぎでさらに悪化、かなり太陽の角度があがってからやっとこはいずり出てきたのだった。それもこれもその鳥さんの声のおかげ。つぐみくらいの大きさで地味いな褐色、カーキ色していて目の周りが白い隈どりされている。わたしがカーテンあけてじろじろ眺めているのに平気な顔でうろうろ、ぴょんぴょんしている。あんた、大丈夫かよ・・・。あまり桜の枝にはのぼらない、地面に何か魅力的なものがあるらしい。メダカのいる水鉢に頭をつっこんで水飲んで、それからうちの庭を物色。ずううっと見ているのにお構いなしだ。気になったのでしらべる。鳴き声からすると雌のサンコウチョウ。こんなののすがたを見たのは小学生以来のこと。ちょっと複雑。もっと奥にひっそりいてもいいのにな。まあ、ごゆっくり!せっかくだから。
Apr 17, 2004
昨日のお昼、原書房さんの店頭で見つけた、「すまう」縮刷版・写真で見る日本生活図引・4集。これはなかなかのヒット。うんと古くは明治、大正、それから昭和初期~戦後、所謂高度成長期までの各地方での「すまいかた」を写真で見せる本。台所や食卓、座敷から味噌作り。野外での昼寝のしかた、ってのには思わず大笑い。その写真に映りこんでいるひとつひとつを取り上げて番号が振られ、いちいち解説してある。これがまた、何だかくそまじめで間が抜けてて面白い。戦後ちょっとした頃の新潟の農家らしき場所の納屋かなにかの土塀のまえでムシロしいて寝ているばあちゃん。そばに孫3人いておやつとおぼしき白いおにぎりを片手に。孫と一緒の昼寝のはずが孫は全員起きてしまってカメラ目線。知らぬはばあちゃんばかりなり。その向かいの写真もすごいよくって、これは秋田の平鹿郡だって。木造の家(かなり簡素な)の玄関、軒先でいきなり横になっているおやぢ。まわりにだれもいない。この昼ねスタイルはイイ!蚊に食われそうだが、労働のあとには最高に気持ちよさそうだ。きっと彼は目がさめたら井戸水で顔あらいに行くだろうな。などと、写真に映ってないことまでいろいろ想像してしまう。川での洗濯の写真。これまた秋田で撮影。川の岸でまたもやばあちゃんが乳だしたまましゃがんで洗濯。そうなんだよー、いなかのばあちゃんて暑いとすぐ前をはだけるんだよなあ。(いつからこういうことにびっくりするようになったんだろう?)ちなみに、わたしの本籍がある場所には通りに井戸があって近所のおばちゃんがやっぱり洗濯ものとたらいを連れて来てはばっしばっしとたたいて洗い、おしゃべりしていた。ママの縫ったアッパッパなワンピースにキュウキュウ鳴るサンダルをはいた「東京からきた孫」はけっこうここの時間帯に水を汲みに行くのが、こわかったのでした。この頃はまだね、訛りが聞き取れなかったのよ。こういう風景はこんな風に、記憶の中でははっきりと再現できるけれど人と共有できるわけじゃないもんね。でもって、だから、写真。写真撮影がハレの儀式であった時代が長かったから、こういう日常をあえて残すという行為はなかなか意識しないとできないものだろう。縁側に物売りと大家族がなんだかごっちゃになってる写真とか、いずめこにつっこまれた乳児、渋谷の復興中バラック林立してるのとか。新潟のある一家が「箱膳」でごはんを食べるの図もある。箱膳!使い方によっては」とても合理的。正座がちとつらいけど。あれこれ見ていて、わたしがずっと撮ってるもののことを思いかえすとやっぱり「なーんでこんなとこ撮るのよう」って撮られる側が言ってしまうような、そのときはどうでもいいようなシーンなのだった。ああそうか!こうやって時間がたつともっと楽しめるものになるんだなあ。イサベラ・バードにその当時写真機を持たせたら、旅した地方をどんな風に撮ったのだろう。民俗学的な感じだと「撮る」より「採る」が近いような気がする。ともかくどっから見ても楽しめる本。全部で5巻だそうだけど、ほかの四巻も探求してみよっと。
Apr 14, 2004
お気に入りに放り込んだ「CUBACINE」内のCARTELERAを読んでいたらちょっと目に付いた。「フィンランド映画特集」@キューバ。アキ&ミカ・カウリスマキ作品はもちろん、その他の監督の最近作を上映するらしい。ちなみにアキは「浮雲」、ミカが「ROSSO」。シベリウスだのBADDINGなんつう日本にさえお目見えしてないのを堂々やってしまう。うらやましいぜ。しかもそれがサンタ・クララとシエンフェゴスの映画館だってんだからまた。ハバナじゃないとこがいい。キューバのおともだちたちは「浮雲」のどのへんで笑うのかなあと考えるのも楽しい。で、キューバの笑いを今日見てきましたぜ@フィルムセンター、京橋。アルゼンチンの漫画家キーノ+キューバのフアン・パドロンのアニメーション小噺集というか。色もキャラクターも楽しい。内容は大人向け、完璧。ネタはここで話せないくらいあって、可笑しいのは声優の言葉というか音。出てくる人(フランス人、ドイツ人、北米人)の姿にあわせて言葉を変えてるんだけど、これがちゃんとした言葉じゃないの。絵だけで笑えるものだから、台詞は重要じゃないのね。それぞれの言語風に発音されたもにゃもにゃした「ことば」としかいいようがないもの。キューバの人々は形態模写も得意だけど(国技かもしれぬ)音態・・声態に限らないので・・模写もまた上手い。そんなわけで「それらしく聞こえる」音になってる。以前大爆笑したのが、友人のアパート宅で目撃した「警官模写」。警官の使うトランシーバーの音まで全部やる。これが何じゃというくらい似てて死ぬほどウケた。こういうのは個人宅での密室芸だから、人前では見られないのだけど。でもって。こういう”チステ”(スペイン語圏の小噺、笑い話)でお笑いセンスを鍛えた彼らがアキ映画を見たらどうかなあ。今日観たキーノ&パドロン作品を見る限りではきっと彼らにも楽しめる。そんな気がした。中に出てくるドラキュラの小噺シリーズがなかなかよかった。ドラキュラ父、息子に吸血を伝授すべくいざ女の寝室へ。しどけない姿で寝ている女の前で息子、窓際で見守る父親の指導どおりに「しゃーっ」などと猫みたいにいいつつみ吸血しようかって瞬間に女が寝返りうって立派なオシリがあらわに。どうしても目が首よりオシリにいってしまう。(なにやってんだ、首を咬むんだって!)父親は合図するけど息子はどういうわけかオシリに向かって「しゃーっ」と言っている。で、(あーあ、ダメだこりゃ。)そうか、やっぱり尻なんだねえ。などと感心してしまった。ほかの作品もみてみたい。ハバナの誰かのうちでロシア製TVなんかで見るのとはまた違った趣であった。これもこれで楽しい。友達のうちでよく観てたのはフアン・パドロンの古くからいるキャラクター、エルピデオ・ヴァルデスのシリーズ。植民地主義と戦い独立を目指すチョビ髭少年、エルピデオの冒険譚。やっぱりゲリラなんだよね。とても長く続いてるシリーズみたいで、やっぱり今でもやっている。家族のごはんどきとかに。これに出てくる馬(山岳ゲリラだから馬で移動するんですな)が健気で、賢くて。よくエルピデオや仲間を助けるの。友人宅で家族と一緒にみたりするのだけど、このお馬さんが崖から落ちそうになったり、危険な目にあいそうなシーンでそこんちのお母さんが「きゃあ!」って目を両手でふさいだりする。ちゃんと救われたら「よかったわ」って喜んだり。まったく!お話への感情移入が激しい。でも、そうやって楽しんでいるとこがまたいいし、こういう人たちだからこそ「おしん」にハマれたのだろうと思う。(冬のソナタはどうでしょうか。まどろこしい純愛もの。)わたしも、このお馬のキャラクターが大好きでそこんちのおばちゃんと一緒に観てしまう。友人に(おいおい)と呆れられたりもするが。ハバナの人々にも「浮雲」みてもらいたいもんだ。今度行ったらアキ映画の話で盛り上がろうっと。
Apr 13, 2004
国立近代美術館フィルムセンター@京橋。すでにロードショウで見たことのあるトマス・グティエレス・アレアの作品なんかもやっているけど、わたしのねらい目はサンチアゴ・アルバレス。ドキュメンタリー短編。60年代ベトナム連帯もの。ベトナムの人々の「ふつうのくらし」から「戦い」にいたるまでを言葉なく映像と音楽と生の音源だけで作り上げている。そのシーンに合った音楽、言葉がない分音楽が雄弁だ。人々がごはんを食べているカットで大人たちが食べてるときは音楽のテンポが速く、こどもがへたくそにのろのろ食べてるとこではゆっくりと。大人が咀嚼するのとテンポがあまりに合いすぎてて思わず笑ってしまいそう。侵略・統治されてきた歴史とともに「憎しみを力に変える」というフレーズが時折画面いっぱいに。銃を背中に田植えする、いつでも食うこと・生産することから戦いにスライドできる身軽さと「しん」の強さ、これを見たら革命下にある人々は確かに勇気付けられるかもしれない。自分たちよりも華奢で小さい顔と細い目した人々の弾力に。こんなシンプルな編集されたら、迷う余地などない。戦争のシーン、もちろん本物。これを見ていていかに日本国内で見せられる映像が何度もフィルターのかかったものなのかと思う。お仕事で二次元だけども医学的症例写真見慣れた目でもこれはむごたらしい。いろんな疾患のは見ていても、怪我のはあまり目に記憶がないし。このまま見せてくれれば誰でもNO WARと唱えるに違いなく。もうひとつもベトナムもの。ホー・チ・ミンの生涯をあらゆる映像をからめながら。時々、たんぽぽの花がゆっくりと開くカットが入る。そのあとつながる映像によって、その花の意味が変えられていく。(あー、わかりやすいなあ。どこかで見た感じ、こういうの)どこかで見た感じだな、と思うのはわたしのキューバ友人のドキュメンタリーの文法にも同じ流れがあるなあ、という部分があったから。映像にもキューバ訛りがあるんだ、きっと。もちろん、アルバレスは友人にとっちゃ教科書みたいな人かもしれない。言葉で説明しない部分でも「言い回し」、これはICAIC(キューバ国立映画芸術産業庁)風味だわ。などと、一人で楽しむ。絶え間なく入る音楽といきなりの場面転換、音と映像の洪水のような30分間+@。まさにキューバ的やかましさと色づかい(ちなみにこれって白黒作品なんだけど、すごく色彩を感じる)長々とカメラ回さないでもできるんだねえ。これ、見ているときもものすごい刺激。うちに帰ってもTVに集中できなかった。むー。
Apr 12, 2004
ひよこまめ赤インゲン豆ムング・ダール 各自適当にたまねぎ 2個(あとで一個追加した)にんじん 2本新じゃが ごろごろたくさんイタリアもんのオーガニック野菜固形ブイヨン男鹿の藻塩アンデスの岩塩フェアトレードもんのベジタリアン・マサラ大久保で買ったマレーシアのAYAM BLANDのカレー粉GABANのガラムマサラクミン(ホール)カルダモン(粉)思いつきでドライトマト(キッチンはさみで切る)あとから気分が変わって地鶏。これだけ使ってうまくないわけがない。地鶏以外はウチの常備してるから、一歩も外出しなくてもできるようにはなっている。とーぜん、ごはんは固めに。
Apr 10, 2004
いやあ、でぶでぶなんてもんじゃないよ、「どぶどぶ」。誰がどぶどぶにしてるかって、そりゃニンゲン様よ。わたし毎日昼飯食いに行くとき、ここのそばをとおるのだけど同じような時間にどっからともなくコンビニ袋を下げたご婦人がうれしそうに公園を目指してくる。(はあ~、またかよ)猫はいろんな柄で数匹いる。で、どれもまんべんなくどぶどぶ。ちょっと遅めにとおるともうおばさん、いやご夫人はうれしそうにエサやってる。雨の日もくるのはたいしたもんだけど、猫どものためにカサを置いてくんだよねえ。どーかしてんじゃないの。猫にカサ。笑うよ、ほんと。なんでここまでしておいて自宅で面倒見ないんだよ、と毎日へんな気持ちになる。こんな都合のいいかわいがり方ってないじゃん。猫どもは毎日エサが支給されるもんだからなんもすることがない(ように見える)。そんでどぶどぶになる。少しはエサ拒否するとかっていうのは、・・・あるわきゃないが。ご婦人たち(実は複数形だ)の都合のよい癒しと愛情の対象にされて、あげくにどぶどぶだ。ご婦人がたよ、あんたらもそこで一緒にごはん食いなよ。「あげる人→もらう猫」という一方的な関係で満足するなんて。中途半端なかわいがり方は見てるほうがうんざりだ。そんなにかわいきゃしっかり自宅でいっしょの布団に入るとか。わたしが違うんじゃないのと思うのはそこ。都合よすぎだよ、そのやりかたは。「この猫面倒みてやらなきゃ死んじゃう」そんなこたあない。どちらがいなくなったら困るかって、そりゃあんたたちだろうな。エサくれる側。それならなんで家に住ませないの?わたしんちの物置の下で3年連続で出産した茶トラがいた。何かほしがるわけでもないのでそのまま、日陰は貸してあげる。子猫がどこかにバラけたあとの冬、庭に放置してたダンボールが気に入ったらしくしばらくそこにいた。朝、雨戸をあけるとそこにいて、(なんだよ)とガンをとばしてくる。寝床はほしいけど、必要以上になついてこない。そのわりに思い切り靴をはいたあとの足で頭をなぜてやってもさっぱりいやがらない。一年目の出産のときったらまだ成猫じゃなかったから、生まれた子猫もふにゃふにゃしててひどかった。それからだんだんハクはついたけど。まあはじめから顔見知り(?)みたいなもんなので必要以上にかまわない、何かねだったりもしない。あいかわらず痩せ猫のままだ。あんな無頼なカアちゃん猫なら、わたしは好きになる。今でも近所の空家の庭にすみついていて、バスを降りたところの排水溝から顔をだして「んにゃ」などといっている。どっかで何かもらっているのだろう、艶だけはいい。こっちも何も持ってないし「おう」って返事するだけだ。こういう適当な間柄が気に入っている。
Apr 9, 2004
いえね、別にいけねえって訳じゃないんだけど。それにしても、今日の通勤電車の両側のサラリーマン40代半ばと思しき2名がそろいもそろって水曜日発売のメジャー少年誌にかぶりついてるのって、どういうもんだろう。あれです、「名探偵◎ナン」だとかが連載されてるやつね。乗ってくるや否やノートパソコンも入れているらしい鞄から少年誌。はあ、どうもねえ。ついでにかぶりついたまま、どこでどかっと人が乗り込んできても読んでるときの肘の幅はそのまま、おかまいなしだ。スポーツ紙のエロページ読んでる奴のほうが奥ゆかしいかもしれぬ。こやつら、偉そうにネクタイ締めて体裁とりつくろったって所詮おつむは「小学四年生男子」なんじゃねえの。などと考え出すと気持ちが少し憂鬱になる。読むのがいかんのではない、場所や状況の判断ができないとこが小学四年なのよ。左側の男がいつまでも詰めずにいるからどっと乗ってきた人々が入り口で塊になっている。頭にきたのでその立派な読書を少々妨害してさしあげた。何の意味か足で仕返ししてきたので肘でお返事を数回してやった。靴は先週おろしたばかりだから、汚したくないしさ。気づかない幼稚さがこの男の読書行動そのものなんだよ、などと朝から毒づきモードに入るのは極力控えて応戦したら50%禿頭・推定40代男はお気に入りの少年誌をかばんにお仕舞いになった。(うむ、よし)などと思ったのもつかの間、今度は「冠婚葬祭マニュアル」みたいのを取り出した。カバーかけてないから内容までわかるんだよね。少年誌と冠婚葬祭。まさに体裁取り繕いセットって感じだ。今いる場所の状況がわからんほど面白い漫画なのかい。そりゃ結構。担当編集者よ、漫画家よ、アシスタントよ喜べ。年に40数回のサイクルで発行される少年誌に対して40代男が払ったお金はキオスクを、取次さんを、作者を、それから版元の懐を潤し、帰りに息子の手前網棚において帰れば「ひろこさん」のおぢさんたちが保護し、新宿西口地下道で山と積まれ誰かにまた買われていきまたおぢさんたちの糊口をしのぐものに変換される。そしてまたどこかの雑誌用ゴミ箱に入り再生紙になって・・・・この循環の中でぐるぐるしてんだな。ついでに電車の中、5分おきのサイクルで来る乗り物の中でかぶりついて読む。わたしが個人的に気に入らないのは、「電車でかぶりついて読む」ことだけなんだが。読んでる漫画の表紙と、読んでる人ってどっかつながっている。「漫画ゴラク」「漫画サンデー」(うーむ、ミナミの帝王ってどっちだったっけ)の人は頭にパーマあててる率高し。ネクタイ、してるけどどっかスーツの色が。柄シャツもあり。かばんは極めて薄め。ヤンキーのつぶしたかばんみたい。「ビッグコミク・オリジナル」「スペリオール」・・わりと平均的な風体。「ヤンジャン」「ヤンサン」「ヤングアニマル」・・・これを毎回読む人種は「週間プロレス」「ゴング」も買うはずだ。(ちなみに、彼らはコンビニなしでは生きていけない。あ、ヤンサンはちょっとマンサン&ゴラク寄りかも)などと勝手に言ってるが、週刊誌全般を読んでる人が減った。携帯電話がそこに代入されただけなんだけど。これもこれでどんなもんかい。
Apr 7, 2004
昼休みは努めてぶらぶらする。仕事中はぶらぶらできないから。当然か。ぶらぶらできる限度てのもあるから、今日はすずらん通りの真中くらいまで。小売部を閉めてしまうじゅうたん屋さんのセールをのぞき、それからお向かいの古書店「かんたんむ」。店頭でみつけた「砂上のいのち」/勝田保世 音楽の友社刊1978戦前にスペインの南側で暮らしていた勝田さんという人の、フラメンコやその周辺のお話。市民戦争の間にもいた、ってんだからたいしたもんです。これが200円。中身にも興味あるけど、この値段には「救済」とか「保護」という言葉が適している。これをかおうかどうかうだうだしていると、隣の楽器屋さんからダグ・レイニーのようなスタイルのソロギターが聞こえてきた。駿河台坂からすずらん通りで一番良く耳に入るのはギターの音。山の上ホテルの裏ではブラスの音。住み分けてる訳じゃないけど、そういう違いはある。そうそう、ハバナ・ビエハならどっかのグルーポが人のアパートでボレロを練習する。クラーベの音が吹き抜けの踊場から抜けてくる。不用意に楽器の音がするような通りが好きなのだと思う。ガラスの奥で足組んで弾くダグ青年の音をあとにまた人ごみへ。もちろん、片手には「砂上のいのち」税込み200円つき。春風にしちゃいやに強い風、ギターの音はすぐにどっかへ飛んだ。
Apr 6, 2004
駅を降りたところからもう色んなにおいと音がするので、多分嗅覚だけでどの辺の通りかわかるようになっている。その一例。ポイント1 スターバックス・コーヒーor マクドナルド地下鉄から地上に上がってすぐ!これは酷だ。すぐに小銭を落としにいってしまいそうになる。特徴的なマクドナルドの重い脂のにおい。これをかいだらまずどっちに行くべきかすぐわかるだろうな。で、右折してみる。マクドナルドは回避。ポイント2 蘭の花専門の問屋さん朝ここを通ると、早朝の納品でドアが開くたびに店の中から湿った苔とむわっとした熱帯のにおいがする。思い切り乾燥した2月の朝ですら。この一角だけが緯度がちょっと低くなっているみたい。ここからあっちこっちの晴れがましい席に蘭たちが運ばれていく。うっかり目を開ければ胡蝶蘭にデンドロビウムにシンジビウムがこちらを向いている。で、ちょっと角を曲がって。ポイント3 大阪うどん屋・小諸そば・普通のそばや大阪はまだこの時間ではにおわない。小諸はダクト外側から朝からかきあげの油のにおい。(梅雨時や熱帯夜の翌朝から30℃・・・なんて時はツライ)普通のそばやのダシのかほり。(なんで昼からなんだよ、と不満に思うくらいイイ。)そういや、うどんかそばばっかりの通りなんだわ。同じブロックの裏側をいけば。ポイント4 朝から操業中の製本工場ハンダのようなにおいと機会音、それからフォークリフトのうおんうおんって音。のりづけじゃなくてでかいホチキス状の金属でとめられてる類の雑誌類が多い。だからこのにおい。フォークリフトが持ち上げてる本はいつもいろいろ。小口のものから初版数千のまで。右側からは首都高速の車の音、わあわあとくっついて聞こえる。夏なら堀留橋から川の水の臭いも上がってくる。このくらいの「においと音」のポイントを通過して仕事場へ。そうそう、どれもこれも人が働いてるにおい。道を渡った先には西神田、3年前ならもっとたくさん働いてるにおいや音がしたのに(活版やさん、金箔やさん、軽印刷やさん、洗濯やさん、その他いろいろ。)そこには阿呆みたいにでかい賃貸マンシオンができた。24mmのレンズでもはみ出しそうなやつだ。ここから発生するのはきっついビル風のみ。傍のポストに手紙出しにいくたび、手紙飛ばされそうになる。鏡のように光ってそこらへんを映すそのでかい賃貸マンシオンに映った空だけ見て左折する。においや音のしない場所だから、目を閉じたままでは歩けない。
Apr 5, 2004
友人が仙台より所用で上京するってんでおかいものついでに私も外出。吉祥寺某所にておかいもの、移転にともなうセールだとかでなんだか安い。そこで買う予定じゃなかったけどアフリカっぽい太鼓を見つけた。叩いてみるとおうなかなかいい調子じゃない。「40%引き」の声にのせられてこっちもお買い上げ。で、どうやって持ってあるこうか。コインロッカーて手もあるけど、あいにく吉祥寺駅前のはほとんど使用中。しょーがないなあ、で持って歩くことにした。そのまま電車にのり、思いつきで荻窪駅で下車、友人に電話。携帯電話なるものを所持しないので公衆電話から、なのである。ホームの端っこまでタイコ下げてあるく。電話、留守電に入れて終了。次の東西線が入線。そこで先日うちわだいこを見せてもらったお坊さんの黄色い袈裟が目に入った。ありゃ、こないだの人だ。見かけたのにほうっておくのもつまらないから、タイコごとぶらぶら彼のとこまで移動。「こんちわ。こないだはどうも」「あれ、こんなとこで。」「ええ。花見をこれから」「あ、これこの間話した”さらに大きいやつ”ですよ」手元を見ればでででででかい、直径50cmはあるうちわだいこの親分がそこに。柄の部分、30cmはあるかしらん。「うわー、これっすか!」「フフフ、叩いてみますか」ここが天下の地下鉄車内であることなどつい忘れてぼーん、と音出してしまう。え、控えめにですよ。「きょうの天気なら高音が出ますね。でも、やっぱり響くでしょこっちのほうが」ほんとだ。高音のあとの響きが長い。よく観ればすごーく古いものらしく、押してある判は字が右から書いてあるし柄はかなりのツヤだ。古民家の柱みたいな質感になってる。皮の厚さもかなりのもの。持たせてもらう。腰骨あたりで柄の下のほうを支えないとキビシイ。これもって叩いて歩くのかあ。きょうのお坊さん、ちょっと声枯れしている。「お風邪ですか」「いえ、断食三日目でして・・・今日で最後なんですが。水も飲まないから、声がどうしても、ね」そうはいうものの、なかなかのいいお声なのだ。長身痩躯の理由はここにあったのかー。白装束の下にはチノパンはいてる。足はテニスシューズ。これって、デモンストレーション用の装備ね。巨大うちわだいこを持って喜んでるわたしを見て彼は「ほんとにタイコがお好きなんですね。なんかのご縁でしょう、これも」確かに、わたしも「さらにでかいの」は見てみたかったもの。ついでにわたしがさっき買ってしまったタイコをがさがさと袋から出してご披露。で、また叩く。車内で。タイコ持ってる同士が同じ電車で会えるってのも、ちょっと楽しい現象だ。「このイデタチで叩くから、ヘンに見えないんですよ。普段着でやるとやっぱり、アレでしょ」と彼は言う。いや、そんなことないぞ。ストリート・ミュージシャンはケサガケせずともやれる。その分イっちゃてるかもしれぬが。わたしは否ケサガケの側にいる。わたしがタイコをひっぱたくのにゃ理由はない。崇高な目的もない。でも、タイコ仲間には違いない。今度、理由と目的抜きでやってみたいね。あのでっかいうちわだいこと。彼が先に下車、わたしはさらに都心へ。仙台の友人は、タイコを下げたわたしに0.1秒ほど引いたがどうということはない。「重そうだから持ちましょう」とかいって自分が叩きたいのだ。かれはただ、自分が今楽器を手にしてないことを悔やんでいる。そうねー、丸腰ではどうも。今度は楽器つきで上京願おう。無理ならわたしが北上する。音が出せる人が相手なら、どこ行ってもいいや。黄色いケサガケのモンク氏とは、またどこで会うのやら。予想のつかないものはぜんぶ「ご縁」が「解」になる。すっきりしていいや。これって。
Apr 3, 2004
でえええい、くっそ忙しいんぢゃい。あ、いえ、「食うための仕事」の話でやんす。失礼をば。多分来週からは残業女王になるであらう。ま、キューバに行く計画でも練りながら働いてやらあ!(年内目標ね)だからといって、神保町に行かないわけないじゃない。ジサブロウ翁に会いに書肆アクセスへ。店頭の面だし用の棚にあったB6判の二色刷り「ぐるり」創刊号。特集・高田渡(!)、キャッチは「コーヒー一杯分の情報マガジン」、で48P。380YEN+taxhttp://homepage1.nifty.com/vpress4月はじめ封切の「高田渡的」ライブ・ドキュメンタリーフィルムに引っ掛けての特集らしい。それなりの時期にわたしは「高田渡」という人の歌に出会う機会はなかった。でも、同じような時期に歌い始めた人たちの歌はなんとなく、聴いている。なんつったってここ数年かぶりつき(規模は推して知るべし)でライブを聴いた人。及川恒平に豊田勇造、って・・・!及川さんの歌は小学生のときに「みんなのうた」で聴いていただけなんだけど。でもって。高田渡氏インタビュウ+特集と、あとは中央線(とその周辺)のライブハウス情報。これ、結構便利かもしれない。もう行きたいものに付箋をくっつけたもんね。アケタの店の山下洋輔5/13でしょ、ソンコ・マージュさんのソロ@稲生座4/11.5/9もあるし、でも目先でヤバイのはブルースフェスティバル4/18@小金井市公会堂かしらん。17日もあるけど、18日には吾妻光義&ザ・スウィンギン・バッパーズが出るんだもん。しっかしまあ、この果てしなく中央線70年代のかほりはどうだ!ずぼんの裾が広がっていくぜ。物心ついてる時期に高田渡さんの歌に出会ってたらどうだったのかしらん。ただ、この情報誌を読んでてうれしかったのは「ああ、みんな元気でがんばってんだ!」っていうのが伝わってくるからなのね。こういう大人が現役やってんなら、こちらもなんか暴れ続けてなきゃね!と思う。そうそう、版元さんヴイレッジ・プレスは中島らもさんの初期の本「頭の中がカユいんだ」を出してたのよー。この本、その昔手に入らず客注した記憶がある。今では、文庫でも読める世の中になりましたけどね。「ぐるり」。中央線純度100%でちょっといいぞ。なーんだかんだ行ってもわたし、東横線とかには馴染めないみたいだし。オレンヂ色のゆれる電車でいくぜ。これからが楽しみな本。
Apr 2, 2004
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