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「文章を書くのは、すきですか?」 ぼくは文筆家を目指したことも、文章を書きたいと思ったこともないので、自分の気持ちをふとノートに書いてみたり、寝る前に日記を書いたこともないです。 つまり、この問いに答えられるほど文章を書いたことがないので、好きとも嫌いとも答えられないです。というぐらいだから、ぼくは文章を書くのが好きっていうほどでもないと思います。 じゃ、なんで文章がある本を出しているのかと思われるでしょう?書けといわれて書いているのが本当のところです。だから文章は、本当はかなり恥ずかしいのです。もしかしたら失礼なのかもしれませんが、ぼくなりに一生懸命、書かせてもらってます。あたたかく見守ってくれるとうれしいです。 文庫本一冊分の文章(写真と分なので実際には文庫半分くらい)書くのは大変だろう?と思われるかもしれませんね。ぼくはこれくらいの分量の文章は、だいたい一週間くらいで書いています。大変だ、と思ったことはないです。でも一生懸命です! 文章を自分の生活の中で書くことがなければ、本も読まないのでは?と思われるかもしれませんね。そのとおりです。ぼくは普段、いやいつだって本を読みません。字が読めないというわけではないのですが・・・・・。
Nov 26, 2004
せわしいです。お金のこととか、考えてます。カナダドルっつうのを買いました。物価の高い国のお札は、きれいです。T/Cなら87円、現生で95円/1カナダドル寒そうです。エーグルのアウトレットで買ったオイルドレザーのブーツ、マジで役立ちそう。でもハバナで困りそう。暑い場所へ行くのはなんも身構えなくていいのに、寒い場所ってやっぱり。明日は(予定通り)神保町・ボーイズカレーで締めですのぅ。とーぶん喰えん。さみしい。来週からはとーぶんブラックビーンズ&ごはんで生きる予定。(うれしい。)
Nov 25, 2004
バイクを洗いたかったらしい相棒に旅用の買出しにつきあってもらう。立川市の旧市街まで歩く。開店して間もない様子の中華料理屋に入る。タチウオの揚げたのなんかを食す。ぶつ切りにして表面に格子模様の切り目を入れてかりっとあがるようにしてある。塩こしょうだけの味。ぱりぱりといける。ほかにもじゃがいもの細切りいためなど。うま。帰り道、行きに目撃して気になっていた古本屋へ。木製の台にえほんを平たく並べている。売り物、・・・にはみえないぞ。そういえばこの店、戸がないや。勇気をもって入ってみる。「専門書」などとキバっているがよくみれば全部の本にパラフィン紙がかかっている。それがずらっと並んで異常な遠近感を演出している。たての棚はそんなかんじ。さて、そのしたの台は、といえば極端にもマニアックそうなSM本(70年代ぽい)が店頭絵本同様ひらたくならんでいる。ここでこれをたち読むのには心臓毛もじゃにしてこなければなるまいて。で、二名で探索に入った45秒後。ガラッ!と戸が開いてはたきを持ったオババ登場。戸の向こうはいきなりタタミの間。番台はさほど大きくもなく。「専門書」は一応きちんと分類されている。くわしいことはくわしそうだ。棚の構成を背表紙だけで判断してかなければならないのでじろじろと見ていたら、くだんのオババがバタバタバタバタバタバタ!とはたきを使いはじめた。(こ・・・こえぇよう)一応、客には気遣ってくれてるようで私どもの反対からまわってはたきをかけている。だんだんいづらくなってその棚から逃げるとオババがそっちをはたくから、なんだかこれでは追いかけられているような形だ。もう、あまりに典型的な古本屋-絶滅危惧種といふ意味で-だったため思わず吹き出してしまいそうだった。こんなたたずまいと行動がセットになったとこがあったとは!買うのに相当、勇気がいりそうだ。小津監督ならばこういうセット、作るかな。あるいは実相寺昭雄監修の食玩のコレクションにでもしてもらいたいような。先日の野猿街道とさほど離れていない場所に、こういう店も共存している。多摩奥深し。嗚呼。
Nov 22, 2004
ほんとうは相性悪いだろうなと思っている。お互いストレートな表現をイキだと思っていないらしく、腹芸だけで会話している。この男の部署にいたときも、どうやって書いた文章に難癖つけさせずにOK出させるかに腐心した。気に入られたいとかではなく、あくまで「この表現でイイ、このまま行けって言え!」それだけを考えていたのだった。部署を離れてから数年これという対立構造も発生せずお互い平和にそれぞれの場所で働いていた。それが。わたしが5年ほどまえに「ハッセル500CM、買っちゃった♪」とつぶやいてやったあたりから以前とは違う状況に進行した。わたしの「買っちゃった♪じゅうさんまんごせんえんで!しかも美品!」のあとに、この部長は「チキショー!」と叫んだ。このひねくれもん還暦男からこんなストレートなお言葉をいただけるなんて。いや、言わせてしまえたなんて。あぁ、うれしい。今なら言える「ありがとう」と。「チキショー!」の言外には(コイツにはまだアレをぶんまわして撮る時間も体力もありやがる。ついでにオレが飲酒がまんしてやっとこさ3桁の現金ためて買ったアレをコイツはいともかんたんにじゅーさんまんごっせんえん♪なんかで手に入れやがった。コイツにはオレほど金ないだろうが勝手に使える金額はオレよかあるかもしれん。しかし体力も気力も時間もありそうだ。チキショウ、うれしそうにいいやがって。生意気だ。でぇい)などというシルバーエイジ・クライシス(ごめん、ほかの言い方が見つからない)だとか形のあるものないものの貯金残高など込みの複雑怪奇、わたしには思いつかぬことだらけ。でも、彼は「チキショウ」のひとことで少なくまとめた。さすが決裁者である。字余り・改行・文字つめなし。しかしそれからといふもの、自分の決済で買いすぎて冷蔵庫のお荷物になっていたフィルムの有効的処分を依頼されたりひまがあれば「いいもんみせてやろう」などとSWCをわっざわざわたしの部署まで起こしいただいて(頼んでないのに)さわらせてくれたり。「いいですねー、これ!」「そうだろう」「さんぜんえんくらいなら私が買い取りますよ」「ばかいってんじゃねぇよ、新品で買ったんだ」「あきらめませんよ」「ありえねぇ」などといって部屋を去る。それからは。社内ですれ違うたびに「レンズかびますよ、使わないと」「乾燥剤入れてるから、いいんだよ!」「やっぱり撮って使ってくれる人の傍にあったほうが・・」「何がさんぜんえんだ!」「そろそろ重荷なんじゃないですか?」「墓場まで持ってくんだよ」「あれ、遺言状に”全部わたしにさんぜんえんで譲渡す”って書いてたんじゃ?」「まだ死ぬつもりはねぇよ」「いやぁ、デジカメ買ったらよぉ、これがけっこういいレンズなんだよな」「じゃあ、今までの”肥やし”はもういらないんですね!やっとわたしに下取りさせる気になったってことですよね」「なーに、神棚にかざってありがたいありがたいって毎日やってんだよ」「改宗するとき、いってくださいね」「最近、モードラなんっすよ」「あれってトロいじゃん。意味あんの」「没頭できますよ、少なくとも」「自分の手で巻き上げるのがイイんだよ~」「わたし、手順フェチじゃないもので」とまあ、何も知らぬ人々が聞いてもついぞわからぬ煙に巻かれる会話を数年くりかえしているのだった。で、最近。ちょっとキューバいってくるよって話をした。かなりたってから、急に「で、何ミリもってんだよ」「え、80ミリ一本だけです」「もってくか、オレの」「え!でも湿気あるとこですよぉ」これはかなり譲歩された展開の会話だ。いままで人になんかレンズ貸す人じゃなかったからね。ただ、借り物だと旅先でのあれこれが心配だ。どっちかっていうと「下取り」希望なんだけど・・・。さんぜんえん、で。これを言うとまた、もとの会話に逆戻りなんだろうな。そんなわけで、ハッセルブラッドを持ってるってだけでこれだけの長期にわたる心温まる会話ができるのだ。たいしたものである。私どもが、ではなくハッセルブラッドが。
Nov 19, 2004
いろいろとやっておくことを思い出して、大変だぁってことになる。なんでもっと前からできないんだろう。と、いつも走りながら思ってるのだが。入国ビザの申請とか、まぁいわゆる手続きものに奔走。ついでに11月からキューバ国内でのドル使用制限措置、だって!オイオイほんとかよ・・・。まぁ、たいして持ってないからな。わたし。「なぜもっと使わないのだ」とは言われてもしかたないかも。では。このへんで!
Nov 17, 2004
学生のときから時々行くばかでかい古本やへ行った。古書店ではなく、古本やなのだ。ちくま文庫のほしいものを3冊持ってレジへ。やたらとたくさんのアルバイト君が立っている。件の三冊を渡すと「おあずかり、いたしまーす」まだこれはいい。「おかいけい、させていただきまーす」(そりゃそうだろうよ。)次にその学生らしいバイト青年は文庫の裏表紙角を一冊ずつ「ぴらっ」とめくって(しかもこちらがわにわざわざ見せる)「(ぴらっ)さんびゃくえん、(次の本に手を出し、ぴらっ)にひゃくごじゅうえーん、(最後の一冊、ぴらっと)ごひゃくえーん。おかいけい、せんごじゅうえんになりまぁす」(うっせぇなあ。表示金額くらい見て暗算してるっつうに)何よりいちいち「ぴらっ」としてこちらに見せるのがキモチワルイ。もう、この「ぴら×3」の間に(ぷ、くくくくくく。)笑いをこらえるのに必死のわたくし。と同時になんだか腹も立つ。何にか、というとイロイロだ。この「ぴら」を励行させる意図は何か。「当店ではこんなにお安くお売りしていますよ。他店よりも」「明朗会計!お値段確認させてあげましょう。」「あんた、こんな安いのばっかしか買わんのか」何か、三番目はわたしの妄想かもしれないが。マニュアル完全励行を完了しつつあるバイト青年をぼんやりみながら、「ハイ、せんひゃくえんのおあずかりで、ごじゅーえんのおかえしでぇす。ありがとう、ございますー」レジから吐き出されたレシートを両手でもってよこしてきた。(あぅ・・・もうキモチワルイ。誰だ、こんなマニュアルこさえたんは!)(このボウズ、バカなんじゃねえの。)一瞬そっちに思考がいってしまったが。いやいや、これが近未来の古本屋の姿なのかもしれない。くそ寒い野猿街道の風にあたって、いろいろと湧いた思考をしまいにかかる。でもでも。この接客マニュアルは私の中ではかなり、消化不良。だって。いつも買うような店では。「あい、にひゃくえん・・」(500円玉を出す。)すると、100円玉3個がしゃっ!と番台の上をすべってこっちにやってくる。そういう親しく邪険なおつりの出し方があったり。週に4回はのぞきに行く店では「おたくも、ヒマだねぇ~。」などと愛にみちた声かけ運動が励行されていたり。あげくのはてには番台で酔っ払っていて金勘定が面倒になり「えーい、持ってけ~!」などとわめく店主だとか。どうも、本買う以外にこういうたいへん有機的な交流をさせていtだくのが日常となっているせいか「ぴらっ(以下略)」のような対応はどうも、異国の古本屋にきてしまったのではないかといふ心持になってしまふのだ。本は買うが自宅でちょっと本その他の整理。1978年版BOHEMIA、発掘。(自宅で、よ)BOHEMIAってのはキューバででてる総合雑誌みたいなもので、さいきんは「ぴあ」みたいな感じだがこのへんの時期のはまさに総合雑誌。ひさしぶりにめくっていたらアラファトさんのお若い写真がでかく見開きで現れた。キューバは彼らに連帯するぜ!ということをいいたいページなのだった。アラファトはロック・スターのような見せ方をされている。いや、カッコイイす。そしてこの日に新聞一面に出てた葬儀の写真も。このひとの魅力てのは、何だったのだろう。やはり、写真一枚で「お!」と何かを感じさせる男だなぁ。うちでも野外でも古本まみれの週末。
Nov 13, 2004
ずっと気になっていたのだ。吉祥寺の輸入食材やの奥にあるワイン売り場にある、これ。なんでこんなにやすいの?ベルリンの壁もがっしりと存在していたこの時代もの。ホメイニ師もお元気であった。は、そっかぁ。チェルノブイリ原発事故。この時期の”欧州もの”はたしかに、ことごとく不安な食材であった。いや、それでもな。あのスペイン人がうまいものをわざわざ他国の人間にかよーに安く売るわけがない。いや、彼らはほんとは実に気前いいのだが、ここまでするかい、一本1660円。昨年リオハのオーガニック・ワインのワインセラーでもらってきた1994年・赤は水みたいに飲めて、それはそれは善き一瞬を与えてくれた。じゃあ、これはどうなんだ。気になる。気になる。でも。この逡巡で半年。でもね、きょうは買いましたよ。ちょっと検索したらおなじラベルで1983年あたりのも扱っている。しかし一番安い1987年もの。ううむ、迷ってないであけんかい。開よりはじめろとかなんとか。あけないとのめないな。先日買った紹興酒カストリ「湖水晶」は「あと2.3年ほっとくともっと旨いんじゃないかって、秋田の酒蔵のヒトがいってたわよ~」と酒屋のおばちゃんがいっていた。はやくもっとうまくならないだろうか。最近買った「磁化杯」に酒を入れたらどうなるのか。お茶や水はたしかに使用後よりもおいしい。これも週末の実験メニュウとしよう。ぜんぶやると体がもたんから、ま、すこしずつ。
Nov 12, 2004
夕べのこと。20分に一本くるバスを待っていた。バス停周辺は今、夜間工事中。バス停前の牛丼松屋の前をドルルルルルルという爆音とともに削っている。折悪しくバスは行ったばかり。このドルルルルルル音をまともに耳にいれないわけにはいかず。かといって、100m先の本屋(クソ新刊書しか扱わぬ私鉄系チェーン)に立ちよみしに疎開する気にもなれぬ。るっせえよ、と毒づきつつたっている自分もなにやらこっけいである。で、このドルルルの何をしてわたくしを毒づかせるのか考えてみることにした。でも、なんもでてこないのよね。今度は12音階として把握してみることにする。硬い部分、ドルルのテムポ早いとこではA音に近い。ゆるい部分、でるるるるると聞こえるあたりではD音に近いのだ。毎回削られる場所が違うので次の音は予測できない。で、音が出てきたらそくざに12音階のどれに近いのか判断するゲームをしてみた。そのうち、「るっせえよ、いつまでやってんだよ」と思わない自分がいることに気づく。あっはっは、単純だ。同じ音でも「12音階のどれか」として意識した場合とそうでない場合で起こる感情がぜんぜんちがうのだ。脳内での処理先を変えるだけでこうもかわるのかあ!そのうち、バスが出発するころまでわたしは自分にこのゲームを課していたのだが。バスが出てその場を離れがたく思うまでにいたるのだった。いや、ちゃんと離れたけどさ。たぶん、脳みそでは聴音の訓練をしていたころの記憶なんかも引っ張りだしてきていたのかもしれない。やってあたるとほめられる、それだけの学習経験。
Nov 11, 2004
キューバに持参するはずの「ミルキーちとせあめ」を一本、同僚とともに食ってしまった。あまりに堅いのでビタミン剤のガラスびんでがちんがちんといわせつつ粉砕せり。ひとりあたりの長さおよそ55mm。さっそく口にほうりこんだひとりが「ほればとうぇんわいうぇあえあえ~」(これだとでんわにでられない)といいつつ、決して口から出してまで電話を取る様子ではなく。彼女がなめおわったころにこちらも口にいれる。ちとせあめリレーである。おぅ、あいかわらずのしつこい味わい。キューバ人もうっとり(?)。ちとせあめのパッケージには着物をきておめかし、しかしベロ出し顔は変わらぬペコちゃんがついている。着物!ますます海外ウケ確実である。ハポン度100%。でも、中身はキューバ味。いや、日本味でもあるのだった。しかし、「なぜちとせあめが存在するのか」について説明を求められたらなんとしょう。デビュタントの儀式のひとつだよとでもいえばいいのか。またもや民俗学の林道に入ってしまいそうだ。ところで。entonces, みなさんは今、どんな野菜を食べてるのだろーか。わたしが常食する千代田区のお昼ごはん状況にもかなり影響あり。普段キャベツのはいるとこにインゲンを代入したり、前もってハリガミして「高騰のためかんべん」と言ってたり。去年の肉類のときと同じで便乗値上げとか、してないといいが。ま、あれだけの台風をやりすごした記憶をもとにそういう連想はしないようにしたいし。で、ウチではもっぱらもやしと根菜類。(ほんとは、もやしは大好きオッケイの部類ではない)宝石のようなレタスなんぞしばらくないものとする。ハバナで食べる昔っぽい「トマトくさいトマト」を思うとちょっとうれしくなる。彼らは炒飯にもなぜか「もやし」を入れる。蟹肉とかチャーシュウもごっちゃになっている。あの国で食う手前勝手な中華がむしょうに食いたくなるときがある。(なんだ、メシ食いにいってくるのかよ。)もちろん。それも込み。
Nov 10, 2004
まあ、あわててやると睡眠不足にもなるし、最初に降りるのがまた寒そうな場所だし。ってんで今からせこせこと支度中。キューバに里がえりってぇとどうしても「日本のおかし」とかをもってってしまう。味覚はわりとどっかで互換性があるのでお互いおいしくおやつできるので。でもって「ミルキーちとせあめ」を大人買い。だってこれがあればキューバ人の「うまうま」している顔をたくさん見ることができるんだもん。もちろん、粒のでもいいのだがあれが棒状になってたらもっと喜ぶことうけあい。その他、日本人のおともだちにレトルトのおでん。(今回は”関東炊き”にしようかしらん)ついでに「蔵の素」(数日まえの項参照)一合びん。いっつもぜんそく気味のカメラ友達にフェンネル。(お茶にしてのむとけっこー効くので)民宿をはじめた歯医者さんちには綿/麻の生成りの生地。うーむ、思いついてもこれだけあるのだ。さぞかし行きの荷物は重かろう。ま、おいてくれば軽くなるが。このほかにフィルムをぎょぅさん(ブロウニイ&35mm)よぉけ買ぉてかな。ついでにカメラはあいかわらずでっかい。今回のお供はHASSELBLADでもモードラのだし。ああ、着替えはどうするんだ。そうだ、着替えなきゃいいのだ。寒い場所では特に。今回の移動場所は30度+-は軽そう。うぅ、アルパカにフリースにヒートテック。ハバナはずっとTシャツですごしそう。キューバ、湿気あるからなぁ、洗濯して翌日着られるかなぁ。メキシコだったら話は別なんだけど・・・。(ぐじゃぐじゃのバスタオルもよく朝はバリバリ!)てなかんじで、選ぶ前からなやんでしまふのでした。(あ、オキシドールもいるかも。)
Nov 8, 2004
今日の買い本。「にやにや笑う」という名のミニコミ。全部で16ページしかないのだ。かばんに入れればくしゃくしゃになり、そこらに積めばフリーペーパー扱いされそうだ。(大体、いまのフリーペーパーのほうが立派すぎるのだよ。もっと遠慮してほしい)でも、「これからなんかしたい」人たちの気分がよく伝わってくる。こういうのはお金と交換して「保護」しないといけない。巻頭特集:「TADON墓参」創刊にあたり見守ってちょヨロシクという感じか、多摩墓地へ菊池寛(学生時代のあだ名がタドンだったそうだ。短駆でものぐさであったからとか。初めて知ったぜ)にあいさつに行ったついでにいろんな文豪まいりをした、という記事。交通費と体力、若干の資料代でできているのだがそれ以外から湧き出ている気分がね、けっこういいのよ。三島さんの墓によじのぼって撮る写真・・。創刊号が躁刊号になっとる気配がなくはないけど。ともかく、菊池寛てひとの豪放磊落なイきぶりをリスペクトしかつその人情味にもたいへんひかれておられるようだ。「なあ、タドン」筆者は文人菊池寛の墓に話しかけ、応援してくれよな、と。タドン、きっと照れてるのではないかな。骨の姿で。この巻頭記事、けっこう味があるなと思った。菊池寛、教科書の文学史年表だけで出会ってお別れする事だって多いだろうし。大体ね、文人といえば放蕩とボンビーがセットになってついてくる(人ほど面白い)のだ。それを人物をあまり語らずに作品だけで教科書をやり過ごそうってんだから現代国語もつまらないわけで。菊地タドン寛のこの愛されかたは、本人もきっと嬉しいはずよ多分。わたしの10代から敬愛?する人のひとり、尾崎放哉だってサラリーマンの身の上で「酔っ払って暴れて上司をこきおろして」失職、出家、流浪の寺男という年譜を持つひとだ。でもさ、それっくらいやってくらたほうが読むほうも楽しめると思う。(タドン、よかったな。あんたも。)ここまで書いてて思ったのだが。明治からの文人の年譜だけを集めた本とか、あったらいいのにな。近代の放蕩史といふ視点でみてもよさそうだ。そうそう、今年の夏はわたくしも。「桜桃忌」のあたりに墓参りしたのだった。墓石のまわりには桜桃忌気分でそこらの果物屋さんで買われてきたさくらんぼが血のようにあふれかえっていたものだ。それを下から蟻が集まって喰う。からすも上から狙ってる。わたしはべつに崇拝も尊敬もしない。「オイ、放蕩野郎、元気にしてっか。こないだ、津軽にいってきたぜ」それでいいんじゃないかな。作品が一人歩きしてしまうよりは。っつーわけで、続いてほしい「にやにや笑う」。創刊号、100円なり。書肆アクセスにて。
Nov 5, 2004
調布にあった、すごく好きだったカレーやさん「まんぼう」が浅草橋に移転しているらしい!ついでに色んな用事を足したいなってんで浅草橋下車、蔵前経由浅草寺かっぱ橋上野アメ横まで徒歩ツアー。健脚上等の相棒つきだ。さて。まんぼう、ここらへんだろうという場所へ行くが、みつからぬ。炒めたまねぎのにおいだけを頼りに歩く。目より鼻で勝負。しかし、ここか?という場所まで着たら工事現場の警備のおじさんが「あー、そこね。確かにカレーやだったよ。え、おいしかったの?なんだかお店たたんじゃったみたいよ。おれ、ここの現場に一月くらいいるけどね。そう、わざわざさがしてきたの・・・」しかしあきらめられないわたしたちは「たまねぎのにおい」だけで路上検索を続行。でもね。においがするのが、まったく普通のビルからで。しょうがないので検索終了。というか、腹がへったので。そこらへんにあった「新上海」という店の定食。過剰な愛想はないけれど、大陸的でやさしそうなおかみさん。さらに無口なダンナとおぼしき人が中華なべガツガツ言わせて飯をいためる。出てくるお茶がとうもろこし。あれ、漢民族系?お酒の棚にも「JINRO」が5割。ともかく、満足。そこから徒歩。蔵前の相撲大東京文献専門?の古書店へ。バブル期にだいぶここらへんも壊されて変わったようだけど、この店は健在だ。うれしい。ここで「裸のニューヨーク ウィージー自伝」リブロポート1981年刊 を500円で。伝説の事件写真屋・WEEGEEがいかにして今の彼になったのかについてとても視覚的で忙しい文章で語る。1930年代がいかに文明の躁状態であったかよくわかる。写真を撮る、撮ることができることがとても特別なことであった時代。携帯電話でWEEGEEごっこが(やろうと思えば)誰でもできてしまう2004年にこれを読んでも、ちっとも古さを感じない。個人的にも初めて買った洋書の写真集がWEEGEEのものだったりして、何とはなしに贔屓しているのだった。彼が後半、日本製カメラを使っているらしいことがわかったりしてそれもちょっとうれしい。マミヤフレックスとかね。それから浅草寺。久しぶりだな。いつ来たきりだろう。前世紀?そこから六区へ抜けて。細い路地にANEJOという看板を見つける。お、ひょっとしてと入っていったら一階と路地にテーブル出してラムを飲ませてる。1杯500円。CUBAのLEGENDARIOにする。くいっとあけてしまう。経営者は30歳前後の男子二名。ほんとは2階のアパレル部門がメインだとか。ラムはまあ、お店全体の雰囲気つながりのツールのよう。「先月の23日からオープンしたんですけどね。ラム1杯だけ飲んでいくお客さんとか、もういるんですよ。毎日寄ってくれて。」それがまたおじいさんだっていうから、なんだかいなせでいいねぇ。浅草六区の路地でやるキューバラムのワンショット。前にはすぐおそばやさんののれん。たしかにセントロ・ハバナ的ではあるか。開店10日め、これからどーなるんだろ!?ってワクワクしてお店している2名の男子を見てるとなんだかうれしくなった。応援してあげたくなるね、こういうとこは。ちなみに「電気ブラン」もお約束。ちゃんとありました。ちょっとの疲れに昼のラム1杯。こんなに効くのかぁとたのしくなりつつまだまだ歩く。かっぱ橋道具街、そっからアメ横の喧騒混沌へ。アメ横センタービルの地下のアジア系食品店へ。独特のにおいは大久保とおなじ。中華系の人々が蟹や豚足や太刀魚を買いにきている。お客さんのパワーに圧倒されないだけの力が売る側にもある。袋に入ったカレー用マサラを買って地上の日本へ帰国。ここはソースややきとりのたれのにおい。においが国境を分かつものなのであった。まだまだ歩く。
Nov 4, 2004
MON OUVRAGE MADAME Pour la premiere fois:La MODE avec PATRONS (Avril 1962)TRICOTS DE PARIS (N°46 1963)MON OUVRAGE MADAME(N°183 Decembre 1963)MON OUVRAGE MADAME (N°171 Decembre 1962)SONDERHEFT NEUE MODE HOBBY-HEFT (1974)ウェスト・サイドの日本人 本田一二 著 六月社 刊毎日新聞科学部の記者の目による1960年代のNY。「ニューヨークで私は街頭班を目指した・・・」”私設街頭班ニューヨークを行く”の項より。生活の場から移民のこと、目に入るもののいろいろを文字にして語る。今読んでもなお新鮮。見えるような文章、こういうのが好きだなやっぱ。デイモン・ラニアンの世界のご近所にあるような。時々入ってる写真もまたいいのでした。すべて100円。店頭均一。「まつり」の醍醐味です。古い欧州の型紙雑誌はかなり破格よ。好きな人にはたまらん、て世界。はい、たまりません。戦前の日本の型紙雑誌なんかもたいへん面白いのでした。
Nov 1, 2004
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