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朝から雨です。駅は待ち合わせでごった返しています。雨の日にハイキングなのですね、でも、きっとそれはそれで楽しいはず(o^^o)大人はハイキングで、子どもはこんな早くから塾のあるビルに吸い込まれていく。なんだかなぁーとおもった朝です。ここ、おそらく一か月はくだらないくらいずっと書かないとって思っていたことをやっと書く気になった。@地下鉄の電車の中 笑自分がマイノリティーな存在であることに気づいて、其れが嫌だなぁとかツライなぁ~とか哀しいなぁーと思う人が居たならそれは、そうではないと伝えたい。わたしが発達障害児に対して思うことやその子たちへの教育や支援に対しての考え方はいわゆるマイノリティーであると思っている。けれど、そのことであまりツライとか哀しいなぁとか言う思いはなかった。もちろんそんなことを感じている暇がなかったのかもしれないけれど。マイノリティーに関してわたしはこう考える。自分の身近には共感してくれる人が居ないかもしれないけれど、他の地域ならどうだろうか?日本全体ならどうだろう?世界中ならどうだろうと。かならず数名は少なくとも存在しているのではないか思う。なら、その数名の人達で良いんじゃないかと。そもそもマイノリティーがいけないことではないし、カテゴリーを変えればすべての人はどこかでマイノリティーである。そして、マイノリティーの究極は「個性」である。みんな、自分自身は1人しか存在しない。究極のマイノリティーである。その存在を大切にしたいと思う。 #発達障害 #マイノリティー #支援
2016.06.19
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梅雨らしい雨の大阪です。カエルたちはよろこんでいるだろうし、山や田んぼもみどり鮮やかで、きれいな風景を織りなしています。今の季節はまさに雨のにおいを実感できる。子どもたちに訊ねてみてください。 「雨のにおいはどんなにおい?」って( *´艸`) さて、「思考が変化すること」は前提にしながらも今の私の「発達障害児の捉え方、障害児への考え方」を述べてみたいと思う。 現代では発達障害児に関わる仕事も増えてきてそれに伴いその仕事に従事している人も増えている。 教育関係者、福祉施設の職員など。 で、ほとんどの人は声を揃えて言う。保護者も含めて。「発達障害児でも発達するし、成長するし、できることは増えていく」と。では、「発達したり、成長したりすることはどういうことで測るのか?」「作業が上手くできるようになったり」「特定の指示が通るようになったり」することで測ってはいけません。それは、単なる「慣れ」で、発達、成長したこととは違う。 例えば、園に来て行う作業手順がスムーズになった。と言うのは手順を覚えたということである。そこで、事情があり棚の場所が移動になった。棚を移動させても同様に行えるか? 新入生が入って来て、自分の居場所が変わり、役割が変わってもそのことを理解し、行動できるか?と言うことを見る。 「作業の慣れ」は「発達、成長とは違う」同様に、書ける漢字が多くなったから「発達」したかというとこれも違う。書けるようになり、使いこなせるようになったら、「言語理解」が進み「発達」したと言えるかもとは思う。 で、また、問題を戻す。「発達障害児でも発達するし、成長する」 それは本当だし、そのことを一番実感できているのは私たちLOFのメンバーではないかという自負を持っている。(笑)最近は知的障害児であっても、自閉症児であってもそう思う。子どもたちがどんどん私たちの固定観念を壊してくれる。 では、どこまで発達するか、成長するか? 個々の環境にもよるし、個々の持っている可能性によってもちろん違う。 だから、限界を決めない支援をする。関わり方をする。 「発達」とはやはり脳機能の成熟を指すと思っている。単なる慣れや記憶に頼る学習ではなく自ら考え、行動することができると言うこと。 効果的に「脳機能を発達、成熟」させるためにはどうすれば良いのか?言わずもがなだが、五感を使うことである。単に取り組んだワークシートの数多さではない。なら、どんな風に子どもを支援してくれる人を探せばいいのか? ダイナミックな支援をしてくれる人や場所を探してほしいと思う。発達障害児の支援をうたっていなくても良い。 ある意味支援する人もユニークな人で教育理念をしっかり掲げ、その理念が保護者と合致する人。 そんな人が発達障害児の前に立ちふさがっている壁を壊してくれる気がする。こじんまりとそつなく納めるそんな支援ではとてもじゃないが子どもたちの前に立ちふさがる厚くて高い壁を壊すことができないと思う。
2016.06.16
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こんばんは。最近、娘の夜遊びがひどいです。朝帰りもよくあります。と言ってももうええ年の大人なんで何も言いませんし、そろそろ嫁に行ってもらわなければちょっと危ないです。(笑)でも、この頃珍しく私のことをほめたりするんです。「まだ、おかんの方がマシやな~。」って。どんなほめ方やねん。(笑)さて、私は、幼児から若者までをサポートしているので、どの年齢の子どもたちのことも感じることはたくさんあります。どの子たちのことを優先して伝えたらいいかな~とその時々で迷いながら投稿します。気まぐれで投稿するので、いつ投稿するかわかりませんが、それでも楽しみにしてくれていたら嬉しいな~と思います。で、今日は、幼児のこどものことを。療育のプログラムの日でした。少し、ハードにプログラムを行おうと前回ぐらいから決めて取り組みました。今日、しばらくぶりのプログラムでしたが、素晴らしく発達していました。情緒が急激に発達していました。幼子のかわいらしさが表れていました。発達に遅れがあったり、自閉傾向があると可愛い盛りの時に、上手に周りに愛嬌をふりまいたり、甘えたりしないままその時期を過ごしてしまって母子ともに上手に愛着が形成できないまま小学生域に突入したりすることが良くあります。けれど、後に発達が進んでくると子どもが子どもらしく愛らしくなり、母親や周りの大人に甘えたりします。その時には 今更だけれど、その時期から愛着形成を築き上げてほしいと思います。女の子は女の子が好んでする遊びを。男の子も可愛らしいものを身近に置いて可愛がったり。親子でそういう時間をあえて取ることをお勧めします。愛着形成は子どもだけに必要なのではなく養育者にも必要で、子どもに癒され、満たされることで子育ての大変さも大きく軽減されるからです。思春期の大変な時期を親子で乗り越えるためにも子どもの情緒の発達をしっかり見極めやり直しをしてもらいたいと思います。親がどっぷり関わることができる中学1年くらいまでは状況によっては可能だと思っています。あきらめず、無関心にならず。
2016.06.14
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おはようございます。 東京は朝、地震で少し揺れました。 ドキッとしますね(-。-; 話は全く地震と関係無いのですが、 国がフリースクールでの学びも認める方向になってきていますが、 私は、日本における「フリースクール」と言うイメージが嫌です。 通常通うべき学校に不適応起こしてしまったり、 通えなくなったから、フリースクールと言う環境調整が多いからです。 そうではなく 積極的に日本の学校法にとらわれない自由な教育環境を選択することも当たり前になってほしい。 そして、国は その子どもたちには、公立学校で費やすであろう一人当たりの教育費用を還元すべきだと考える。 公立の小中学校に通わないのだから当たり前だと言えば当たり前だた思う。 一人当たり年間80万円ほどかけていると聞く。 たとえその何割かでも良いので、他の教育機関にかかるなら、還してあげてほしい。 そうすれば、もっと教育の幅が広がり、自由な学びが得られ、子どもたちの才能が開花すると思う。
2016.06.12
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本日は、保護者のための家庭内療育くらすとペアレンツ・ラーニングクラスがありました。例にもれず、今 旬で感じることをお話させていただきながら伝えるべきことをレジュメに沿ってお伝えさせていただきました。 朝、いつものように、移動時間を使ってまた、いろんな情報を斜め読みしておりました。 で、大手を振って「発達障害の子どもや若者の支援してまーーーす!」って言うところが発信しているものを読んでたんですけど、 「あのーー、それ支援違うんちゃいますか?それ、介護ですやん!」って心の中で叫んでしまいました。 発達障害児、者の可能性閉ざしてしまってますやん! しんどいところがあるのはわかってるからってそのことを避けてどないしますん?過剰に手助けしてどうしますん? それを小学生とかにやったら、可能性閉ざしてしまうやん!それどころが発達を後退させますよ・・・(;´・ω・) あかん、あかん。 支援は、その子の後ろで両手を広げてもしもの時のために待機したり、歩みを止めてしまった時に背中をポンポンっとたたいて前に進むことを促すイメージ。 可愛そうやからって背中に背負う荷物を代わりに持ってあげたらあかん。身に付けたちからも無くしてしまう。 そもそも境界域にいる子たちを自立させて、幸せに人生歩ませてあげようとか言う気あるんですか?境界域いる子やいきづらい子をみんな障害者にしようと思ってません?都合よく。 もっと、可能性追求しようよ、支援する側の努力怠ってどうするん?手間惜しんだらあかんやろ? サポートする機関が障害者製造工場になってるやん。Σ(゚д゚lll)ガーン介護施設になってるやん ( ノД`)シクシク…
2016.06.10
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「先生、来るん?」って私の目をじっと見つめてちょっとはにかんで尋ねる。 起業間もないまだ、田舎に住んでいて行動範囲も狭くって時間も今よりあった頃良く教室に通ってくる子どもたちの運動会とか発表会とか授業参観とか見に行っていた。 中学生の思春期になると親が来るのをとても嫌がるんだけれど、私が行くとチラチラこっちを見てる。クラスメートが「どこのおばちゃん?」とか興味深々で訊いてくる。 私が参観に行くのが嫌なのか?と思ったりもするけれど、「先生、今度の○○は△月△日にある。先生、来るん?」って訊く。「行こうかな~。」って言うと「えーーーっ。こんでもええよ。」って言いながら、また、日程が近づくとまた訊く。「先生、来るん?」 で、今日、講義している専門学校で学生に「先生、○○に来るん?」って訊かれた。「参加申し込みしてないんよね~。」って答えたら「そんなんいらんよ。○○階の△△やから・・・。」って。 「先生、来るん?」っという言葉に表現されている子どもや学生の気持ちが分かる大人でありたいな~と思う。 「うん、行くよ。」(^_-)-☆
2016.06.08
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朝晩涼しく心地良い風が吹いています。日中は晴れると日の当たるところは暑いですが、まだまだ湿度はそれほどでもなくあと少しの心地よい気候を楽しみたいと思います。 ユニークな発達障害様を持つ子どもを育てていると時々「親のエゴ」なのかはたまた「教育、しつけ」だろうかと悩む関わりがある。 たとえ私であって同じで支援をしている子どもたちに良かれと思って行っていても「確信」があるわけではない。「100%」はないから。 そんな私たちに子どもたちが教えてくれる。 「ええんちゃう、 これで・・・。」って。 決してそんな風に言うのではなく彼らの発達や成長を垣間見ることでわかる。 少し前まで出来なかったことが自然とできるようになっている。インストラクターとのコミュニケーションが明らかに変わってくる。 そして、私は自分の子育てに「まあ、コレで良かったんやな~。」って最近思えるようになってきた。自分が願っていた事の最低ラインは越えて子どもが自立した姿を見ると私が描いていた理想の姿とは言えないけれど、 「いいんじゃないか?」と受容できる。 そして、子どもが幸せそうに笑っているのを見ると「おかん、まあ、厳しかったけど、許したるわ。」って言ってくれているように思う。 「不器用な子やけど、まあ、なんとか自分の生きる道見つけたんやったらまあ、ええか~。」って 私も思う。 子育てっていうのはそういうもんかと思う。子どもが自立する頃に答えは出るんやな~って。完璧はないけど、お互い「受容」できたらええんやないかと。 最近そんな風に思うんです。
2016.06.02
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