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Hello! my friends abroad. My name is Hisashi Segawa, Japanese. I'm a professor of a Japanese university.But I have already retired under the age limit and am now working as a part-time lecturer of Nagoya Sangyo University. I am also a novel writer and a singer song writer. I'd like to inform everyone of all over the world sincerely what kind of country called Japan is. Before giving an opinion, I think it's courtesy to introduce myself, but please examine what kind of person I'm by a google search. When my full name, Hisashi Segawa is input to google, it's possible to access to my facebook pages and an amazon English books. As you already know, the most beautiful one in Japan is Mt. Fuji and Sakura cherry tree. Mt. Fuji is something like home in Japanese mind. Why? May be its answer for this question is a kind of their religious mind. They believe in Japanese GOD, admire their Emperor and so take it natural to see cherry as their mother is. We, Japanese is very boastful of a cherry tree. The reason that we love a cherry tree is because a cherry tree is really harmonized with the landscape of Japan. The landscape of mountains, the clear watercourse and the fresh and green country landscape are really harmonized with a cherry tree. We Japanese often hold outside dinner under the cherry trees drinking Japanese sake, beer and syotyu (a kind of Sparkling wine). We drink sake, talking with one another, singing songs and dancing. Why? Because we love cherry-blossoms flower from the bottom at the heart. Cherry is mother for us Japanese. But small number of politicians and their friends injured a cherry tree recently. The criminals were politicians of LDP(Liberal Democratic Party). Top of LDP, Mr. Shinzo Abe invited many private supporters to a party using tax. This scandal was cross-examined by the Diet, but he told many lies and cheated a search of an opposition party.This was more complicated, but a conclusion was such a thing. Japanese prime minister Shinzo Abe is famous among us Japanese because he is coward and stupid liar. This is my private opinion but many people say so. His political technique is to make his friends important. He made a university for his old friend. The name of university is Kakegakuen-department of veterinary science located in Imabari-city, Ehime prefecture. He often alters official documents and conceals them to hide his bad conduct. He sensed that his blunder seems to come out and immediately canceled the meeting which celebrates beautiful cherry trees. This thing is the evidence of using a meeting personally that everyone sees a cherry tree. Japan is a beautiful country which floats at the west end of North Pacific ocean. But Japanese is too dependent on tourists from foreign countries, and true and native Japanese beauty has been forgotten. Please find and enjoy them and open your opinion after visiting Japan via sns or internet. Thank-you very much.
2020.02.28
4月になってからとはいえ、ジャニーズ所属の人気グループ・嵐の予定されていた北京公演が中止の運びになった。実に早い決断だ。このところ、コンサートなど芸能人が活躍するコンサートやライブの中止や延期が相次いでいる。 こんどの新型コロナウイルスは、とにかく閉鎖空間で「抜群の」感染力を持っている。そのように改造されたウイルスであって、誰かが意図的に遺伝子組み換えを行ってばらまいたのではないかとさえ疑ってみたくもなる。現にそのような情報もネット上で散見される。 デモンこと閣下も、熊本でのライブが中止になったとテレビで漏らしていた。2月25日、厚労省が新型コロナ対策の「基本方針」を発表し、「イベントの自粛」を盛り込んだものだから、この流れはさらに加速すると思われる。この基本方針、内閣の支持率の低下に気をもんでの「苦し紛れの思い付き」との憶測が乱れ飛んでいる。 これに対し、芸能プロダクションや、イベント会社などの経済的ダメジは測りがたいものになるだろう。インバウウンド=観光業界では、ホテルの倒産に追い込まれたケースも出ている。そうなってくると、イベントやライブに関係する芸人さんたちの経済的なダメジも懸念される。「コロナウイルス禍」はスポーツ・芸能界においても深刻な影響が予想され、休業補償など「基本的」対策が求められよう。https://www.asahi.com/articles/ASN2K5VTRN2KUCVL031.html 新型コロナウイルスの攻撃対象は、もはやスポーツビジネスから芸能界へと向けられてきている。厚労省のウイルス撃滅作戦は「ウイルスの巣になるクラスターをつぶす」だが、まるでこの作戦を読んだかのように、次から次へと新たなクラスターを見つけては襲い掛かっている。IQレベルで、新型ウイルスのほうが官邸よりもはるかに勝っている。 私は、芸人さんが利用するスタジオを何度か訪問したことがあるが、そこはまるで密室そのものだ。当たり前の話で、防音のためだ。そこには、コロナウイルスが好むマイクやアンプ、ドアやロッカー、各種機材などがあり、空気の流通がない密室なのだ。テレビ局での生番組や収録にも何度か行ったことがあり、そこは風通しの良い大学の教室とは違いやはり密室空間だ。すでにギャラリーなしの放映や収録を実施した番組もある。ギャラリーなしの開催はゴルフからプロ野球にも及んでいる。昨日、駅前の居酒屋に行ったが、駅前は閑散としており、居酒屋には私しかいなかった。 アーチストのダイゴは、なかなかしっかりしているし、よく観察している。無能な政治家や御用学者より、よっぽどしっかりしている。あ、彼はそういえば有名な総理大臣の孫だったか。政治資金集めのパーティーは予定通り開き、「同僚の政治家だってやったじゃないか」と、責任転嫁。生活のかかっている芸人さんには自粛をなかば強要し、休業補償すら払わない。 こんな政治を何とかするように、芸人さんたちもユニオンを作って戦ってほしい。どうせ仕事がなくなるんなら、反対運動をイベントで展開してファンを繋ぎとめよう。下手するとテレビの制作局、芸能プロダクション、キャスティング、日銭稼ぎの芸人、タレント、モデルさん共倒れになっちゃうよ。司会は、「桜を見る会」を断った千原ジュニアがいい。彼はなかなかしっかりしている。これから気候が良くなって屋外で大規模コンサートもできる、ギリギリ対策をして、corona撃滅一大コンサートを開いたらどうか。 いや、やっぱり小規模な集会が良い。場所はいくらでもある。賞味期限の切れた歌手や、アーティスト、タレントさんを集合させ、「コロナ不況ぶっ飛ばせコンサート」を開く。尾藤イサオやチェリッシュさんたち、公演にかける費用が200~300万円だって。一人当たり2,3万じゃないの。裏方さんも同じ程度のギャラしかもらっていないというじゃないか。政治資金パーティーはよくて芸人のファンサービスはやめろなんて、ウイルス対策はどうかしてる。https://www.excite.co.jp/…/article/SportsHochi_20200227_OH…/
2020.02.26
ロンドンの市議会議員が5月の市長選対策で「オリンピックのロンドン開催」をほのめかしたそうだが、これに対して、小池東京都知事は不快感を示したという。当然と言えば当然だろうが、7月の都知事選(6月だったかな?)で再選に勝利し、オリンピックで雄姿を見せて、過去の築地の豊洲市場への移転騒動の失態の挽回を図りたい小池にとって、実に不愉快な話だろう。 しかしながら、このロンドン市議会議員の発言は、何か裏がありそうだ。というのは、数日たって、今度は当のIOCの委員が、東京開催の可否を5月末に行うとし、延期も部分開催もないとしたからである。会長のバッハが同委員をして「中止の可能性」を言わせたのではないかという憶測も成り立つ。5月末というのは、オリンピックに向けての事実上の開催が始まるからだ。聖火リレーもこの時期に始まり、聖火は日本へも到着する。聖火ランナーが走り始めてから中止、というのはありえないし様にならない。 また、日本のコロナ「水際作戦」が事実上失敗し、ウイルスとの「本土決戦」を強いられている現状に、コロナウイルスと日本との戦いが、どう見てもコロナ側に有利に展開している現状を反映しているからだ。COVID19は世界中に蔓延し、世界制覇をもくろんでいる。この戦いはどう見ても、人類の側に不利だ。今回のコロナ禍はどう見てもコロナ側に有利だ。 どうも、厚労省を中心とした政府の対応は、コロナ感染者の数を過少に見せかけるところに神経をとがらせていることは見え見えであり、太平洋戦争終末期に、事実上戦争が敗戦に向かっているにもかかわらず、「大本営発表」として戦果を誇張し、犠牲(者)を過少に見せかけることを平気でやった、まさにその状況と酷似しており、歴史を知る者にとっては、検査体制の不備をもって感染の疑わしいものに自宅待機を強いるなど、過去の失敗を公然と繰り返す政府の無策としか言いようがない。 テレビで活躍している岡田晴恵教授が言うとおり、「政府の皆さん、検査・医療水準を引き上げることに全力を尽くしてください、さもなければ医療からはじき出された人々は恨みを抱くようになり、この怨嗟が国を滅ぼしますよ(「支持を失いますよ」が岡田教授の言葉)」(筆者による誇張表現があります)筆者の私もそう思います。ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200221/k10012295891000.html
2020.02.26
2019年3月末をもって、長年勤めた大学を退職し、同大学と、近くにある名古屋産業大学の非常勤講師をしながら、すでに1年が経過した。定年退職後は、教壇に立つつもりはなかったが、長年お世話になった職場へのお礼奉公と考え、また名古屋産業大学は、私が博士号を授与された大学ということがあって、できるだけ長く非常勤でお返しをしたいという気持ちから現在に至っている。お礼奉公というのは方便で、実は退職後も自分が担当していた教科は、後任が決まれば退職=新任への引継ぎが行われるので、授業を持つ必要はないのだが、後任が辞退をしたこともあって、1年間の非常勤講師となった。 教壇に立つ体力と気力は、正直なところ、若いころの様にはいかないのが事実ではあるが、週に3科目くらいなら、「適度な脳のトレーニング」と考え、むしろ健康のために、以前にもまして、授業の準備と研究にいそしむことで、従来よりも高い水準の授業ができていることを実感している。 それは実は当たり前の話であって、これまでに精神的、物理的負担となっていた教授会、各種委員会、学生の指導特に就活、オープンキャンパス・見学会、入試など教育・研究とは対立的図式になる諸雑務から解放されたことの意味は大きい。 退職によって、「仕事」から時間的・物理的に解放されて、自由な時間が増えたという機械的なことではなくて、精神的ストレス、体のフィジカルな面での負担の解消は研究・教育にとって計り知れない恩恵を与えてくれるところとなった。まさに「奴隷解放」は行われたのであった。このことは「前著」にも繰り返し、繰り返し書いてきたことだが、退職後ほぼ1年を経過して、より鮮明に具体的に感じられるところとなった。中世の奴隷は、奴隷主の強欲を満たすために軛によって過酷な労働に縛り付けられ、剰余価値率を高めるためにムチ打たれた。現代の「奴隷」は、労働の自由は保障されてはいるが、労働力の所有者からは生きる「精神」の自由は保障されていない。 教育研究は、物理的・時間的な拘束からの解放からというよりも、「精神的な開放」から初めて精神の質的な充実を保証されるものだということを痛切に感じる。まず、教育研究の方法論が根底から変わってくる。著書の続編で、この「教育研究の方法論の根底的変革」について論じてみようと思う。 むかし、全共闘世代がよく口にした「自己否定」(東大全共闘)、「自己解体」(日大全共闘)の再来・復元である。しかし、体制変革の運動に身を投じるわけではない。やっていいことと悪いことは明確にしておかなければならない。あくまで「内なる世界」のアウフヘーベンである。今まで漫然と行ってきた惰性からの「内なる世界」の自己変革そして解体、創造である。ではどのように自己変革を行うのか。(続く)
2020.02.22
安倍政権にも終わりはある。首相としての任期については特段の定めはないが、来年(2021)9月の「任期」をもって、首相は退任の意向を公言している。しかし、北方領土返還、憲法(9条)改正、拉致被害者問題、韓国との国交正常化など重大な国政の課題は、何ら実質的な進展をみないまま、見方によっては、問題をこじらせただけで後退しているとしか思えないまま、後継者にゆだねるなどなったら、憲政史上「何もできなかった首相」として歴史に名を残すことにもなりかねない。40%いる安倍政権の「消極的支持者」も、次第に離れていくだろう。 桜を見る会前日のホテルでの後援会参加者の招待などは、嘘が見え透いている。日本国民が「嘘」に対して厳しい反応を示すことは、結婚に対して妻にした約束を、二度に及ぶ「不倫」で平気で踏みにじったばかりか、謝りもしない東出昌大に対するファン、関係者の反応をみれば明らかだ。 まして、有終の美を飾るのに極めて難題となる最大の事案が発生した。「coronaクライシス」がそれだ。このcoronaクライシスこそが、安倍政権を瓦解へと向かわせる、自然が遣わした「刺客」なのではないだろうか。下手をすると、coronaパンデミック⇒オリンピック中止⇒corona大不況⇒政権瓦解という最悪のシナリオも考えなければならない。 安倍政権崩壊後、何年か後に採択される中学校・高校の教科書に載るのが、「森友・加計・桜疑惑」。いや、疑惑ではなく「疑獄」になる可能性すらある。そのトリガーになるのが、「COVID19アウトブレイク」「COVID19恐慌(クライシス)」だろう。オリンピックは最悪でも開かれるだろうが、観客抜きの競技のみになる可能性もある。ロンドンが手をあげているという情報もある。また、アメリカ疾病対策センター(CDC)が、日本をホンコンと並ぶレベル1の渡航注意国に指定した。CDCがない日本からの情報とアメリカCDCの情報のどちらを世界は信用するだろうか。無残にも破壊されつくそうとしているグーバリズムの傷跡をあざ笑うかの如く蔓延するCOVID19。ダイヤモンド・プリンセスの水際対策は場当たりで、事実隠ぺいが随所で行われている。世界は、厳しい目を向けて事態を注視している。オリンピック会場や選手村に一人でも保菌者が出たら、即刻パニックになることは日を見るより明らかだ。各国とも国を挙げてのヒーローを選手村に送り出すのだ。選手村は一体安全なのか? 全く不明だ。 籠池氏に対する懲役5年(執行猶予なし)と諄子さんに対する懲役3年、執行猶予5年の判決が出た。罪状は補助金の詐欺。表面面(づら)だけ読むと、5年間はおとなしく監獄で暮らせ、諄子も夫が出てくるまで変な動きはするなということだろう。5年というのはそういう意味なのだろうと私には映る。 安倍政権は再選があればあと5年は続くのだから、5年という数字はそういう意味で一致する。判決内容は、罪状に対する法解釈や判例に照らし合わせたものというよりは、国策判決だと言ってよいのではないだろうか。かつての教育勅語信奉者が、同じ挙国一致内閣の司法サイドから、有罪判決を受けるなど、単なる偶然の一致なのだろうか。補助金等適正化法違反を知りながら、ほとんどゼロ円に近い価格で価格提示を行い、籠池をして犯罪に走らせた、シナリオがどこかに書かれていたのではないだろうか、籠池氏はその罠にはまったとさえ、私には思えるのだ。黒幕は、昭恵夫人と谷査恵子氏だ。この点は、ジャーナリズムも気がついていないのではないだろうか。 それゆえに、国策裁判だ。籠池さんは野放しにしておくと何をしでかすか分からない。昭恵さんは夜も安眠できないだろう。しかし重要なのは、安倍首相はじめ昭恵さん、内閣にたてついた見せしめと、事件もみ消しに功績のあったものへの論功行賞、犯人と思しきものへの国策無罪(籠池氏の著書)、しっぽきりだということは子供でも分かる。谷査恵子はイタリアへ高跳びした(させられた)。朝日新聞が積極果敢にマルタ島でインタビューしたが、谷査恵子は「自分の判断では話せない」と逃げた。帰国したらかつての上司・昭恵さんと肩を並べて釈明してほしい。それまでは、この件は終わることはない。早く話して、楽になったほうがよい。このままでは悪夢は死ぬまで続くだろう。 歴史上、政権=権力者にたてついたかどで、見せしめに島流しや打ち首、その他迫害を加えられた事例は無数にあり、政権が検察を巻き込んで行った強権発動として、教科書に記されるであろう。今私はそのシナリオを書いている。「東風吹かば・・・」の菅原道真が左遷された直後、京都には不吉な事件が続出した。そしてそれを怖れた政権は左遷を解かざるを得なかった。歴史は繰り返すものだ。コロナウイルスの不吉な出現もその一例ではないだろうか。 補足:1審の判決は出たわけだが、籠池氏は控訴するという。控訴は、通常結審直後に提出され、最長でも4か月ぐらいで再審結果が出る。判決内容に対して再審が行われるので、新事実が出た場合どうなるかわからないが、「谷査恵子」さんがイタリアへ赴任していることから、籠池氏が「神風」が吹いてきたと判断して、強引に大阪財務局へ攻勢をかけるに至った、首相夫人の意向をよく知った人物への調査が行われていないという点で、判決は不完全だ。 籠池氏の「犯罪」は昭恵+谷コンビの公職としてのプッシュがあってこそ導かれた「犯罪」なのだ。神風は意図的に仕掛けられ、ご両人の意図せざる、不本意なる風であり、その結果、籠池は犯罪に手を染めてしまったと言うべきだろう。5年の犯罪が確定したら、ご両人は「罪なき罪」に終生さいなまれることになるだろう。
2020.02.21
安倍政権崩壊後、何年か後に採択される中学校・高校の教科書に載るのが表題の「森友・加計・桜疑惑」。いや、疑惑ではなく「疑獄」になる可能性すらある。そのトリガーになるのが、「COVID19アウトブレイク」「COVID19恐慌(クライシス)」だろう。オリンピックは最悪でも開かれるだろうが、観客抜きの協議のみ。ロンドンが手をあげているという情報もある。またアメリカ疾病対策センターCDCが、日本をホンコンと並ぶレベル1の渡航注意国に指定した。CDCがない日本からの情報とアメリカCDCの情報のどちらを世界は信用するだろうか。無残にも破壊されつくそうとしているグーバリズムの傷跡をあざ笑うかの如く蔓延するCOVID19。籠池氏に対する懲役5年(執行猶予なし)と諄子さんに対する懲役3年、執行猶予5年の判決が出た。罪状は補助金の詐欺。表面面(づら)だけ読むと、5年間はおとなしく監獄で暮らせ、諄子も夫が出てくるまで変な動きはするなということだろう。5年というのはそういう意味なのだろうと私には映る。安倍政権は再選があればあと5年は続くのだから、5年という数字はそういう意味で一致する。判決内容は、罪状に対する法解釈や判例に照らし合わせたものというよりは、国策判決だと言ってよいのではないだろうか。かつての教育勅語信奉者が、同じ挙国一致内閣の司法サイドから、有罪判決を受けるなど、単なる偶然の一致なのだろうか。補助金等適正化法違反を知りながら、ほとんどゼロ円に近い価格で価格提示を行い、籠池をして犯罪に走らせた、シナリオがどこかに書かれていたのではないだろうか、籠池氏はその罠にはまったとさえ、私には思えるのだ。この点は、ジャーナリズムも気がついていないのではないだろうか。それゆえに、国策裁判だ。籠池さんは野放しにしておくと何をしでかすか分からない。昭恵さんは夜も安眠できないだろう。しかし重要なのは、安倍首相はじめ昭恵、内閣にたてついた見せしめと、事件もみ消しに功績のあったものへの論功行賞、犯人と思しきものへの国策無罪(籠池氏の著書)、しっぽきりだということは子供でも分かる。谷さえ子はイタリアへ高跳びした。歴史上、政権=権力者にたてついたかどで、見せしめに島流しや打ち首、その他迫害を加えられた事例は無数にあり、政権が検察を巻き込んで行った強権発動として、教科書に記されるであろう。今私はそのシナリオを書いている。「東風吹かば・・・」の菅原道真が左遷された直後、京都には不吉な事件が続出した。そしてそれを怖れた政権は左遷を解かざるを得なかった。歴史は繰り返すものだ。コロナウイルスの不吉な出現もその一例ではないだろうか。 補足:1審の判決は出たわけだが、籠池氏は控訴するという。控訴は、通常結審直後の提出され、最長でも4か月ぐらいで再審結果が出る。判決内容に対して再審が行われるので、新事実が出た場合どうなるかわからないが、「谷査恵子」さんがイタリアへ赴任していることから、籠池氏が「神風」が吹いてきたと判断して、強引に大阪財務局へ攻勢をかけるに至った、首相夫人の意向をよく知った人物への調査が行われていないという点で、判決は不完全だ。籠池氏の「犯罪」は昭恵+谷コンビの公職としてのプッシュがあってこそ導かれた「犯罪」なのだ。神風は意図的に仕掛けられ、ご両人の意図せざる、不本意なる風であり、その結果籠池は犯罪に手を染めてしまったと言うべきだろう。
2020.02.20
The Japan Times ともなると独自の報道姿勢を持っているのでしょう。ニュースソースの使いまわしをやっている日本のメディアとは大違い。ウイルスの脅威は在宅勤務と時差出勤を加速する。記事はNTTなどのテレコミューティングの取り組みを紹介している。今回の新型コロナウイルスは閉鎖空間がお好きなようである。水際作戦にこだわって、クルーザーミニ武漢にしてしまった厚生労働省への声なき批判だろう。 ところで、日本の大学の教師は、ついでに言っておきますが、使いまわしされ賞味期限の切れた、よれよれのパセリを学生に提供して単位を配っている。こんな授業で単位を取って卒業する大学生が、会社で使い物になるはずがない、と反省しています。https://www.japantimes.co.jp/news/2020/02/17/national/coronavirus-surge-telecommuting-japan/#.Xkzky1X7TIU
2020.02.19
東出昌大、不倫発覚で相当落ち込んでいることが伝えられている。(下記サイト)莫大な損害賠償を抱える可能性がが報じられ、芸能界をあまりよく知らないものにも、ちょっと行き過ぎではないかとさえ感じられる。スポンサーから言わせれば、事務所からとんだ欠陥「商品」を押し付けられたと言うことになり、倍返しに近い賠償を請求することになるだろうが、それは契約に明記されているのなら致し方ないことではあるだろう。でも「カネ」の問題ではない。しかし、問題なのは、人間だれしもあるこのようなまちがいが、繰り返し繰り返し芸能界では「再生産」されており、過剰に反応することだ。うまくできすぎた不倫ストーリーとして、どこかで台本ができていたのではないかとすら疑ってしまう。また「影の役者」が存在していたのではないかとも考える。実に迂回タイミングで出てくるものだ。「不祥事」がまるで順番を待っているかのようだ。覚せい剤しかり、反社との付き合いしかりである。これは、公正取引委員会が指摘するように業界の古さゆえの反作用なのか、したがって克服されるべき課題なのか、それとも業界の内部構造に深く根を下ろした構造的な問題なのか。筆者は、いわゆる「芸能資本主義」を資本主義的生産関係の新しい展開として、腰を落ち着けて考察していくつもりだ。筆者は、新喜劇を見て育ち、チャンバラ映画や月光仮面から「正義」の尊さを教えられて育ち、旧御三家の歌声には散々励まされて、大人に成長してきた。優しい「兄貴」がいつもそばにいた。性フェロモンの塊ような今の操り人間とは違う「芸能人」がそこにはいた。「愛と死を見つめて」からは愛の尊さを教えられた。かつでの「夢」と「愛」と「正義」に育まれてきた芸能界は一体どこへ行ったのか。https://news.livedoor.com/article/detail/17838158/
2020.02.19
最近、テレビなどを見ていると、「子役」が活躍する場が増えていることがわかります。子役のメディアへの登場は、今に始まったことはないが、子どもが「鑑賞」や「CM」の主体(対象)として登場したのは、古い時代からのことであり、その意味を歴史にさかのぼって考察する必要はあるが、現時点での「児童労働」としての現状や問題点を、考えてみる必要があると思う。 児童労働が禁止されてから久しいが、今なお一定の条件の下で許されているのが「芸能」の世界だ。芸能の世界は、果たして前近代的な世界なのだろうか。それとも社会の進化をリードする先進的な世界なのだろうか。筆者は、今、だれも考えたことのない世界へ踏み出して考えてみたいと思う。 人間の欲望には限りがない。一度味わった快感は忘れることができず、次なる、さらなる快感を求めて、快感源を探し求める。このニーズを満たすために新たなサービスがうまれ、提供されていく。そのようなところへ「カネ」と「情報」そして「モノ」と「ヒト」が流れていく。児童労働はなくならないばかりか、資本のさらなる剰余価値の源泉として、搾取対象となっていく。「搾取」という言葉が適切でないなら「人的資源」でよい。この「芸能資本主義」連載では、この仮説を検証していきたい。 芸能人をめぐるいわゆる「不祥事」が後を絶たず、かなりステレオタイプ化されて続いているところをみると、組織的に仕組まれているか、あるいは業界全体にビルトインされている、発生メカニズムが温存されているのではないかとさえ疑いたくなるのは、私だけだろうか。「反社との付き合い」「不倫」「覚せい剤等危険ドラッグの使用」など、枚挙にいとまがない。 引用したサイトを一読すればわかるように、適切な契約のもとに行われる子役の活躍は、何ら問題ではないし、親子のきずなを深め、社会の見本にすらなり得る存在だ。しかし、、、である。https://www.bengo4.com/c_18/n_115/
2020.02.19
2020年2月14日の通常国会で、立憲民主党の辻本議員が、「鯛は頭から腐る」、トップを変えなきゃダメと、安倍首相に考えをただしたところ、首相は逆切れ、「罵詈雑言だ、意味がない」と、ニヤニヤしながら、汚い言葉を辻本議員の背中に浴びせた。辻本議員が抗議をしたところ、首相に陳謝させるということで、国会は再開されることになったが、またもや首相の無能・無教養ぶりが露呈された。大学で一般教養・専門としての経済学を教える私どものようなものからすると、もはや「情けない」を通り越して、日本の知的コミュニティにとって最大級の害悪そのもの、あの殺人ウイルス・エボラに匹敵する社会の敵だという感を抱かざるを得ない。「為政者の政(まつりごと)が乱れると、人身が乱れ」世の中が末世になるとは、同じ自民党の村上水軍の末裔、村上議員も安倍内閣たいして警鐘を鳴らしていたほどだ(時事放談)。「鯛が頭から腐る」と「政が乱れると人身が乱れる」は、ほぼ同じ意味で、首相はこの意味を知らないのだろう。もし知っていれば政治家たるもの「罵詈雑言に対してすら平身低頭して耳を傾けよ」という政治家訓通り、「意味がない」などを背中に唾を吐くように言うはずはない。 ともあれ、産業再生機構で41社の企業再生の陣頭指揮を執った富山和彦氏が「会社は頭から腐る」という本を書いている。内容は、「経営が悪化した企業に共通していたのは、一流の現場を持ちながら、経営が三流だったということ。なぜ、経営にふさわしくない人がトップに選ばれてしまうのか、なぜこういう人たちを起用することが許される企業統治システムになってしまったのか。逆にどうすれば、しっかりしたリーダー、真の経営人材を育成・選抜できるのか──」というものだ。さらに「実は日本企業は今なお、強い現場を保有しています。それが、こうした状況の中でさえ、国際競争にしのぎを削ることができている理由です。ところが、困ったマネジメント、困ったエリート層が、社会や会社を『ゆでガエル』のようにじわじわとダメにしている。こうしたマネジメントの脆弱さが、現場にしわ寄せを与えようとしている。私には、そう映ります」(同書「プロローグ 経営医学序説」(amazonの紹介文より) そして、佐高信氏の著書「鯛は頭から腐る」は「罪の意識とか良識などというものをとっくに捨て去って彼らは官僚をやっているのであり、彼らにそんなものを期待しても無理なのである。歯に衣着せぬ評論家として知られる著者が、上に立つ者の資質を問う書」だ。辻本議員はこの本を読んで質問しているのだ。「意味がない」のは、これを知らないものが「首相の地位」に居座っていることだ。 そんなことぐらい、私が苦労しながら教えている大学生にだってわかる内容だ。私は、就活をする学生に「会社の概観じゃなく、企業のトップと周辺をよく観察しろ。無知や無能、傲慢さが感じられたら内定をもらっても早速辞退しろ」と言ってきた。国民の政治選びすなわち「政活」にも同じことがいえる。
2020.02.15
近年、子どもがCMをはじめ、古くからある「子役」に加えて、様々な場で芸能者として活躍する機会が増えている。同じことは、アマチュアスポーツにおいても、早くから芸能事務所に所属し、メディア等への「露出」を通じて、ファンを獲得し、スポーツを盛り上げる手段として、「少年少女」の起用が増えている。このことは、好ましいことではあるに違いないのだが、加熱しすぎると、社会問題にもなりかねない。そこで、ここでは「芸能人」が労基法上の労働者であるのか、労働者でないとすると、いかなる働き手なのか、根源的な問いかけを行ってみたい。 まず、労働基準法第9条では「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」と定義されている。使用者の指揮命令を受けて労働力を提供し、その労働の対価として賃金を支払われる者は、本条でいう「労働者」に当てはまる。契約の形や名称にかかわらず、実態としての雇用契約(民法第623条)が締結されていると認められるかどうかが基準となる。私は、長年大学教授であったが、引用した雇用契約の下で働いてきたわけで、まぎれもなく労働者として働いてきたわけである。だから、この小論の問いかけは、芸能人は「サラリーマン」と、労働法とは別に、経済学的にどう異なるかということになる。 したがって、小中学校の児童・生徒としての子どもが芸能活動を行う場合、「労働者」と認められる場合、それは労基法によって深夜労働が禁止されることになる。「労働者」でない場合は、禁止されないことになる。しかし、ここでは、まず「子供タレント」が労働者かどうかは一応置いておき、芸能人が労働者かどうかを考えよう。 労働省(現在の厚生労働省)が、1988年(昭和63年)に発した通達「昭和63年7月30日基収355号」の一般的な呼称で、芸能人が、うえにみた労働基準法第9条でいう「労働者」に該当するかどうか(芸能人の労働者性)の判断基準を示した「芸能タレント通達」をwikipedhiaからの引用を交えながら考察しよう。当時の人気アイドルグループ・光GENJIの活動が時代背景としてあったことから「光GENJI通達」とも俗称されたようである。 1988年当時、光GENJIは、たびたび夜の生放送番組に出演していたが、当時の光GENJIには、中学生のメンバーが2人いたため、15歳未満の者の深夜業を禁止した労働基準法第61条5項に照らし合わせると、彼らの活動は、同法に抵触するのではないかと疑義が出された。こうして、労働基準監督署が、同年6月に光GENJIの所属するジャニーズ事務所へ調査に入った結果、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態があり、光GENJIのメンバーは「(労働基準法上の)労働者とは認められない」(=労働基準法は適用されない)という判断を下したのであった。つまり、個人事業主としての契約実態が示されたということであろう。 実は、それもそのはず、これに先立ち、1985年(昭和60年)には、労働省内の「労働基準法研究会」が「労働基準法の「労働者」の判断基準について」という報告書を出しており、これによれば、「労働者性」の有無は「使用される=指揮監督下の労働」という労務提供の形態及び「賃金支払」という報酬の労務に対する対償性、すなわち報酬が提供された労務に対するものであるかどうかということによって判断され、そのうえで「専属度」、「収入額」等の4つの要素をも考慮して、総合判断することによって「労働者性」の有無を判断することとなっていた。経済学的に言えば、資本によって雇用される「労働力商品」の販売者としての労働者である。 この報告は芸能タレントに限ったものではないが、「労働者性」について包括的な判断基準を示したものだった。現在においても、芸能タレントの芸能プロダクションとの間における労働者性についての判断基準は基本的にこの報告に拠っている。繰り返しになるが、芸能人は芸能プロダクションによって雇用される「労働者」ではなく、芸能という労務を提供する個人事業主であり、芸能プロダクションサイドから言えば、テレビ等に「芸能商品」として販売する「商品」である。芸能プロダクションにとって「労働者」は、同プロダクションの社員である。この「芸能商品」を考察するのが『資本論』の未開拓の仕事であると、筆者は考えている。 こうした背景があって、労働省は都道府県労働基準局からの問いに答える形で1988年7月30日に上述の「芸能タレント通達」をだしたとされる。内容は1985年の「労働基準法研究会報告」を受けて、以下の4要件を全て満たす者は、労働基準法第9条の「労働者」に該当しないとするものであった。①当人の提供する歌唱・演技等が基本的に他人によって代替できず、芸術性・人気等当人の個性が重要な要素となっていること。②当人に対する報酬は、稼働時間に応じて定められるものではないこと。③リハーサル、出演時間等スケジュールの関係から時間が制約されることはあっても、プロダクション等との関係では時間的に拘束されることはないこと。④契約形態が雇用契約でないこと、以上である。 以上の4要件によって、労働基準法第9条の「労働者」に該当しないとなれば、労働基準法で定める種々の規制(労働時間、深夜業を含む年少者保護等)は適用されないことになる。したがって、これらの条項にとらわれずに活動することができる。ジャニーズの少年2人は労働者ではなく、深夜労働も違法では二ということになった。 ところで、実際の運用は上の判断に示されたような芸能人としての「人気」や「個性」といった属性は画一的な基準で測れるものではなく、通達発出後も実際の芸能タレントが「労働者」に該当するか否かは、その都度個々の事情に応じてケースバイケースで判断するしかないとされたようである。 こうしているところへ、1999年(平成11年)12月に当時15歳の女性タレントが深夜の生放送ラジオ番組に出演したところ、所属事務所と放送局の関係者が書類送検されるという事案が発生した。所属事務所と放送局の関係者は当該タレントを「表現者に該当する」と考えていたが、労働基準監督署は労働者であると判断した。この判断については国会でも取り上げられ、当該タレントについて「余り売り出しがまだできていないような方」「労働基準法上の問題に抵触する可能性がございました」とした。 こうしたことが契機となり、現在では各放送局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている。こうして、規制改革の流れの中で、2004年(平成16年)に通達が発出され、「演劇の事業に使用される児童」については、労働基準法第61条5項の「厚生労働大臣が必要と認める場合」として、当分の間「午後8時から午前5時まで」を「午後9時から午前6時」とすることとなった(平成16年11月22日基発1122001号)。つまり、午後9時から午前6時までの深夜労働は禁止されたのである。 以上をまとめると、現行法規においては芸能人は上述の4要件を満たす限り労働者ではなく「表現者」、つまり、筆者の規定では芸能プロダクションがテレビ等メディアに販売、提供する「芸能商品」であり、子ども芸能人も「21時から翌朝6時まで」の時間制限を設けて労基法の例外とする、つまり大人と同様に「芸能商品」となり得るというものである。(続く)
2020.02.14
東洋経済online(2月6日)によれば、唐教授は、新型ウイルスはヒトへの感染源になった野生動物の間で既にかなり広がっており、その動物が華南海鮮市場以外の市場にも持ち込まれたり、同じ市場に繰り返し持ち込まれたりしたことによって、ヒトへの伝染を増加させた可能性があると見ている。「最初の感染現場は1つの“点”ではなく、もっと広い“地区”であり、そのなかでヒトからヒトへの感染も起きていたのかもしれない。だが流行封じ込めの初期段階では、そのような最悪の事態を想定していなかった」という。「初期の感染者の一部が、華南海鮮市場に出入りしておらず、別の感染者との密接な接触もなかったことを考慮すれば、武漢市内のその他の市場でも、新型ウイルスの検出の有無を調査すべきだろう。それによって汚染地区の広さを明らかにし、野生動物からヒトへの感染が再び起きるリスクを徹底的に遮断しなければならない」としている。このように、最初の感染源が、野生動物の流通による「面」であった場合、最初の感染者は複数あったということであり、それは汚染された動物が面的に販売され、面的に感染したことになるだろう。
2020.02.08
中国大メディアの「財新」によると以下のとおりだ。「現在の総合的な発症状況から見て、(新型コロナウイルスの)感染源は華南海鮮市場だけではなく、複数ある」 これは、2月8日の「東洋経済online」に掲載された記事だ。 論文(イギリスの医学専門誌ランセット、1月24日)の筆頭著者である金銀潭病院の黄朝林副院長は、財新記者の取材に対して証言した。ただし黄医師は、ウイルスの由来は野生動物である可能性が高いとの見方には同意している。 また、論文の責任著者であり中日友好病院で呼吸器の重症疾患を研究する曹彬主任医師は、アメリカの科学専門誌サイエンスの取材に「華南海鮮市場が唯一の感染源でないことは今や明白だ。しかしウイルスが実際にはどこから来たのか、正直に言ってまだわからない」と語った。 黄医師らのランセット論文によれば、金銀潭病院に入院した最初の新型コロナウイルス感染者が発症したのは2019年12月1日。しかしこの患者は「華南海鮮市場」に出入りしたことがなく、家族にも発熱や呼吸器の症状は現れなかった。 その後12月10日までに3人が発症し、うち2人は華南海鮮市場との接点がなかった。金銀潭病院で治療を受けた最初の41人のうち、華南海鮮市場に出入りしていたのは27人だけだった。(出典「東洋経済」2月8日) ということは、新型コロナウイルス(nCOv)の最初の患者4人のうち3人は市場とは関係なかった。市場に出入りしたことはなくても、市場の野生動物を食べたことはあり得るので、「ウイルスの由来は野生動物である可能性が高い」(曹彬主任医師)ということなのだろう。 最初の感染者をXとしよう。Xは昨年12月1日に発症する数日前に、ウイルスを含んだ野生動物(多分竹ネズミ)をどこかで仕入れるか、あるいは食堂かどこかで食べて感染した。そして保菌者となって他の3名に移したか、他の3名もXと同じようなルートで感染してしまったか、独自に感染経路にいて感染した。おそらくこんな推理が成り立つのではないだろうか。しかし、Xの家族には感染しなかった。これは謎だが、感染していても発症しないこともあるので、謎ではないかもしれない。(続く)
2020.02.08
中国大メディアの「財新」によると以下のとおりだ。「現在の総合的な発症状況から見て、(新型コロナウイルスの)感染源は華南海鮮市場だけではなく、複数ある」 これは、2月8日の「東洋経済online」に掲載された記事だ。 論文(イギリスの医学専門誌ランセット、1月24日)の筆頭著者である金銀潭病院の黄朝林副院長は、財新記者の取材に対して証言した。ただし黄医師は、ウイルスの由来は野生動物である可能性が高いとの見方には同意している。 また、論文の責任著者であり中日友好病院で呼吸器の重症疾患を研究する曹彬主任医師は、アメリカの科学専門誌サイエンスの取材に「華南海鮮市場が唯一の感染源でないことは今や明白だ。しかしウイルスが実際にはどこから来たのか、正直に言ってまだわからない」と語った。 黄医師らのランセット論文によれば、金銀潭病院に入院した最初の新型コロナウイルス感染者が発症したのは2019年12月1日。しかしこの患者は「華南海鮮市場」に出入りしたことがなく、家族にも発熱や呼吸器の症状は現れなかった。 その後12月10日までに3人が発症し、うち2人は華南海鮮市場との接点がなかった。金銀潭病院で治療を受けた最初の41人のうち、華南海鮮市場に出入りしていたのは27人だけだった。(出典「東洋経済」2月8日) ということは、新型コロナウイルス(nCOv)の最初の患者4人のうち3人は市場とは関係なかった。市場に出入りしたことはなくても、市場の野生動物を食べたことはあり得るので、「ウイルスの由来は野生動物である可能性が高い」(曹彬主任医師)ということなのだろう。 最初の感染者をXとしよう。Xは昨年12月1日に発症する数日前に、ウイルスを含んだ野生動物(多分竹ネズミ)をどこかで仕入れるか、あるいは食堂かどこかで食べて感染した。そして保菌者となって他の3名に移したか、他の3名もXと同じようなルートで感染してしまったか、独自に感染経路にいて感染した。おそらくこんな水利が成り立つのではないだろうか。しかし、Xの家族には感染しなかった。これは謎だ。(続く)
2020.02.08
世の中には奇特な方がいらっしゃるもので、2019年の桜を見る会の芸能人他文化人の一覧がHP掲載されているのだ。しかし、名簿が廃棄されているのにどうやって一覧が作られたのだろうか。写真やsnsの投稿、ブログなどを丹念に分析した結果なのだろうか。分析では、選定された経緯が不透明なこと(明言をしていないが)、必ずしも「貢献した」人でない人が選ばれている、人数が増えて税金の無駄遣いになってはいないか、などが指摘されている。しかし、この人選のルートに安倍昭恵夫人の意向が絡んでいることは明らかであり、公的行事に、いち「私人」の昭恵夫人が介入していることは触れていない。2019年春と言えば、もりかけ「疑惑」の中で昭恵夫人が隠然・公然と絡んでいることが明々白々となった中で、「まあ、よくも凝りもせずにお友だちを呼んでくるなあ」とあきれる。お笑い芸人やタレント、歌手などが悪いなどと言っているのではない。彼らは国民のアイドル的存在であり、今日の日本の社会の中で貴重な存在であるから、招待されてしかるべきではある。しかし、桜の下で笑顔満面、御愛想を振りまきながら、写真に納まる光景は、「桜を見る会」とは程遠い、バカ騒ぎとしか映らない。芸人は権力者と一体化することで、ルンルン気分どころか、自らの権勢を誇示し、競争相手との差別化をはかり、勝者であることを誇示する。ただでさえ、足の引っ張り合いの多い芸能界である。これによってギャラが増えたり、オファーが増えたりするのかどうか、私は業界関係者でないのでわからないが、もしそうであれば、桜を見る会の趣旨とは程遠い、芸人たちのプロモーションに「税金」が垂れ流して使われていることになる。「私的利益の供与」になってはいないか。こんなばかばかしいことに税金が使われるのなら、桜の下で茶会よろしく、和歌でも謡ってもらって、こじんまりとやったらどうか。芸人さんは、国民的アイドルだ。私たちの疲れた心を癒してくれる。しかし、国民的アイドルを大勢集めて、権勢を誇示するなど、逆に言えば政治の貧困を「笑い」とする以上の何物でもない。このような催しは、政治の貧困の象徴であり、安易に政権と与して人気を維持しようとする、自己顕示欲の塊である芸人の悪しき側面が吐露された茶番劇に過ぎない。即刻辞めるべきである。決して日本の伝統の花・桜をけがしてはならない。芸人さんは、政治の無能を糊塗したり、助長したりすべきではない。政治とは一線を画し、芸を磨くべきである。大正デモクラシーの中で育った「演歌」のように。
2020.02.06
演歌に挑戦したい これまでPOPsを中心に作曲してきましたが、これからは演歌にも挑戦したいと考えています。演歌と言えば、「義理」「人情」「酒場」「失恋」「恋」「兄弟」「母」「別れ」「出会い」「旅」など、人と人の心の触れ合いの、奥深い部分を表現してきた歴史があります。 しかしその歴史は古く、 最初は、19世紀末の自由民権運動の時代に遡り、藩閥政府に反発する公開演説会に対する当局の監視が強くなった時、圧力をかわすために政治を風刺する歌(プロテストソング)として「演説歌」が生まれたとされています。(wikipedhia 以下wikipedhiaによります) 有名なものに、ダイナマイト節や川上音二郎のオッペケペー節があり、オッペケペーは私も小さいころに聞いた記憶があります。やがて、20世紀に入るころには、自由民権運動も一段落し、演説歌の内容にも変化が訪れ、題材が政治に対するプロテストから社会問題に関する風刺に代わってゆくとともに、ヴァイオリンでの伴奏が導入されるなど、芸人の要素を強めていきました。 また、担い手も政治運動を生業とする壮氏から書生によるアルバイトに移行するなど、より商業的な存在にもなってゆきます。大衆娯楽として変質したということでしょうか。この時期の作品としては、しののめ節、ラッパ節、ハイカラ節などがあげられますが、私は聞いたことがありません。 やがて、昭和初期にレコード歌謡の市場が完備されると、演歌師の活動も打撃を受け、盛り場で「流し」をして生計を立てるのが一般的になるとされ、私がはじめて出会った演歌は、酒場演歌でした。私は東京の大学生だったころに、新宿の酒場でアルバイトをしていたのですが、その酒場横丁でよく流しのギター弾きを見かけました。また、そのカッコよさに憧れたものでした。 この昭和初期の演歌については、実証的な研究は少ないと言われ、同時代の演歌師であった添田唖蝉坊とその息子、添田知道の著作が、主要な情報源として用いられているとされています。一方でその政治的な態度についての証言に対しては、倉田喜弘や西沢爽が実証的な批判的研究を行っているとされ、これは今後の課題としたいと思います。 演歌は艶歌とも言い、独特の節回しとギターや三味線による心の銀線にふれる日本的な曲と歌い方が特徴です。演歌には、ビールやワインよりも日本酒や焼酎が似合うと言われ、それはいわゆる「酒場」の「流し」によって奏でられる曲をイメージするからでしょう。 J-POPがどちらかというと、ひとの感情を控えめに表現するのに対し、艶(演)歌は、極限まで人の感情を背景となる風景描写に投げかける日本独特の曲の構成と歌唱方法ではないでしょうか。 以上をまとめると、演歌はもともと政治・社会的な主張を「歌」に乗せて届ける、日本的なコミュニケーション手段で、それがJ-POPなどの洋楽と棲み分けを求める中で、今のような歌謡曲になったということでしょう。「演歌」はいつも「何か」を主張し続けてきたと言う点で洋楽に卓越した存在だということはできないでしょうか。今に求められる「何か」とは一体何なんでしょうか?
2020.02.06
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