草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2016年08月27日
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 谷川の流れに沿って、西行は下っていった。木樵たちがつけた径であろうか、

所々で途切れたり、藪の為に遮られたりしていたが、人里のある山麓に出るまで、殆んど

迷うことなく、道を辿ることが出来た。途中、見事な山吹の咲き誇っている崖下で、

暫く足をとどめた、名も知らぬ山鳥の囀りが、遠くから聞こえていた。見上げると、

目の覚めるような深緑の、空の色が、樹々の間から覗いている。思わず西行は己の両の

掌を、眼の前に翳してみた。先程、渓流の水で綺麗に洗い落とした筈の血糊が、まだ

そこにこびり附いている様な気がして…。


 ……… 眞木は今日の暑さのせいもあって、自分が疲れているのだと感じた。まるで



収まって、静かで、安らかな寝息に変わっている。

 春美との新婚当時の、新鮮で、楽しかった思い出が、断片として切れ切れに、浮かんでは

消える。童貞の自分は、異性の肌に触れる喜びに、酔い痴れる一時期を体験した。しかし、

それもほんの束の間の短い期間にしか過ぎなかった。直ぐに、惰性と習慣との、単調な

繰り返しにと色褪せ、現在では、むしろ苦痛を伴う、一種の義務意識へと、堕落してしまっている。

一年に、一度か二度、それでも彼の中の 雄 が、何かの拍子に不意に目覚めて、自身でも

意外なほど行為の中に没入し、予期しなかった強い高揚感を、獲得する事があった。

 その体験から推して、若く、瑞々しい、未知の相手に接し得た際には、まだ、二十代の新婚

時代に味わった、忘我の陶酔を、取り戻す事は可能かもしれない、と感じたことがある。

 そして、その様な無意識の作用が、先ほどの如き奇っ怪至極な妄想や、昼間の様な幻想と

なって、現れるのではないか…。が、佐々木法子の未成熟な肉体に、セックスの対象としての



リビドーとかの作用で、自分では意識できない、そういう形での、歪んだ性衝動の発現があり

得るのだと、誰かに決めつけられたりしたら、気の弱い彼には、抗弁の余地はなくなって

しまうのではあるが…。しかし、淫蕩らしい母親に対しては、積極的な好奇心と、関心を抱いて

いる。それを認めることに、吝かではない。がそれは飽くまでも、眞木が強く惹かれている

あの少女の産みの親としてであり、少女に関する事、“心の恋人”をより良く理解する手懸りに



ものではなかった。それにしても何故、あんな奇妙な白昼夢を、一日の内に立て続けに二度も、

経験する様なことになったのか?こんなことは、嘗てなかったことだ。

 やはり暑さのせいで、神経に異常を来たしてしまったのであろうか…。一体に眞木は、夜の

睡眠中は勿論、昼間のうたた寝にも、夢を見ることのない男であった。元来が健康体であるためか、

寝つきがよく、その儘熟睡が出来、朝の目覚めも快適であった、しかしよく考えてみると、あの

少年の時の初恋を体験した当時には、これに似た現象があったようである。もう三十年も昔の

記憶であるから、甚だ心もとない限りだが、確かに今回のような心の変調が、規則正しい生活

のリズムと精神生活を、一時的に狂わした。が、それは幼い少年の頃の、話である。いくら

何でも四十歳を過ぎた、妻子ある分別盛りと言われる年代の異常と、同列に論じるわけには

いかない…、それにしても、さっきの妄想の中の思考が、変に気懸りで仕方がない。例の

弱者は「悪」だとする考えである。通常の、極く当たり前な思想からすれば、強者、乃至、権力者

は「悪」とされるから。

 仮に、強者が悪であると仮定すれば、現代の国家権力は、悪の典型である。歴史上の権力者・

支配者のことごとくが、強大な権力を掌握していたが故に、悪であると断定できる。

 勝てば官軍は、紛れもない歴史的な真実であろうが、敗者の側から「悪」の烙印を捺されても、

文句は言えない道理だ。正義と言い、悪と呼ぶが、相対的で、一時的な判断でしかない。とすれば、

善悪の評価に絶対的な価値を置くのは、考えものである。

 今日では、大衆とか庶民、民衆とか、様々に呼称されている、力なき弱小者の群は、当然の

権利として自らの「正義」を主張する。主張して止まない。考えてみれば、彼らは自ら好んで

権力の座に近づかないわけではない。その力と、技倆と、才覚の点で欠けているから、「善」

であり、「正義」で在り得たに過ぎない。その力無き弱小者の群は、衆を頼んで現在の権力者の

打倒を、目論んでいる。そして、一度己が権力者の側への鞍替えに成功した暁には、弱者こそ

悪であり、権力こそ正義であることを、生まれる先から信じ切っていたような顔を、しそうな

連中が、うじゃうじゃと蠢いている。しかし眞木にはどれが、出来そうにない。生まれついての

小心者と天から、自分自身を観念し、諦めている彼は、ともかくも分相応と言う事を、知っている。

他人に対して自慢出来ることは、外に何一つとして無かったが、その点だけは、人に誇って

良いと思っている。

 世の中には、偶然やまぐれで出世したり、金儲けをしたりする人は大勢いるが、自分でそれを

謙虚に認めて、私は幸運であった、と言う人は皆無だ。皆、一様に、自己の才能と努力で、

全て計算ずくで勝ち取ったような、顔をする人ばかりだ。世に言う成功譚、サクセスストーリー

の類は全てそれである、といった意味の意見を、何かで読んだ記憶がある。眞木には、その種の

能力が、根本的に欠如していた。それで、そういう人の心理が、よく理解できないでいる。彼には

公立中学校の教頭の地位でさえ、居心地の悪い、窮屈な気分を、抑えきれずにいるのだから。自分

の如き男が、教員になれたことすら、何かの間違いではないかとすら、危ぶんだ。それが、曲がり

なりにも、現在では校長に次ぐ組織の管理者の立場に、昇進している。自分にとって、これに

過ぎる幸運はないと、本来信じていない筈の神や仏に、感謝してさえいる。或る時に、その事を

正直に打ち明けると、それまでに見たことも無い様な、軽蔑の色を満面に浮かべながら、

 「そんな、バカな事を言っているから、あなたは、それ以上出世できないのです。せっかくの

チャンスもみすみす潰してしまう事に、なるのですよ。もっと、男らしい野心を持って下さいな、

野心を!」ー野心家でないからこそ、君のような女で、満足しているのさ。そう、口元迄出掛かった。

が、例の臆病の虫が、それを思い止まらせた。野心とは結局、自分の柄で無い事を、自分の柄で

あると信じ切る、底抜けの楽天性を意味するのだろう。





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最終更新日  2016年08月28日 19時00分19秒 コメントを書く


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