草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2016年09月01日
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 しかし、今度は逆に、大きな野心を持てぬ小心者とは、自己の可能性の間口を

極力狭くして、予め行動半径を切り詰めて、失敗と、それに伴う落胆の回数を、可能な限り

減らそうと意図する、しみったれた打算家と定義できそうだ。現に彼は、自分自身をそのように

感じている。彼には、未知数に賭けるという事が出来ない。ギャンブルも、女性に惚れることも

苦手なのは、その為である。人はよく、人生は賭けだと言う。彼に言わせれば、だからこそ

自分は人生に対して臆病であり、小心にならざるを得ない。更には、その様に不確実な、賭け

的要素の濃厚な人生を主宰している、絶対者、神などという存在に、信が置けないのだ。

 眞木は神の耳に達しないように、腹の中で小さく、こう呟くことがある、(神よ、あなたは



(私があなたを非難するのは、あなたが心底から、憎いからではありません。弱くて、とても

臆病な私は、あなたを本当は信じたいのです。お縋り申したいのですよ。信じたいのに、信じ

切れない。それは私が悪いのでは、ありません。そもそも、あなたが悪いのですよ、とじれている

だけなのですね。私に信じる力を与えられなかった、あなたに対して)

 実際、彼は何かを信じきることが出来るのは、一種の「能力」の問題だと思っている。今の

場合、佐々木法子に理由も分からずに惹かれる心理は、信じる行為とは言えなかった。が、賭ける

行為には、どこか類似した所があるように思える。そしてもしも、賭ける行為の前提に、未知の

何物かを信じる行為が先行している事実を認めるならば、彼はその一身上に於いて既に、嘗てない

革命的な、大冒険を開始しつつあるのだと、言えないことも無かった……



 ーーーー 西行が奥州に足を踏み入れてから、二度目の春が廻って来た。春と呼ぶのは暦の

上だけのことで、現実には本格的な冬の厳しさが、始まったばかりなのだ。それでも、西行が



している。遠来の賓客として、最上級の手厚い接待を受けている西行にとって、この地は、ある意味

では、京の都より住み心地の良い、場所と言えた。

 父親の年輩に近い当主・基衡の堂々たる王者の風格、西行より二歳年少だが、ほぼ同年代の

惣領・秀衡が発散する、基衡とはまたひと味違った、颯爽として若々しい気概。それらが出家

したとは言え、本質的には武人の精神を色濃く後に留めている西行の、烈々たる気脈と、相通じる



依って全国制覇を夢見る、天下未曾有の大野望を抱懐するのは、必然の事と想像される。

 しかし、人にはそれぞれの運命と、人生がある。誰もが必ずしも己の資質に最も適した境遇に

生まれ落ち、その天賦の才を遺憾無く発揮できるとは、限らない。我は、左兵衛の尉の家系に

お生出でた藤原の一人であり、彼は辺境の覇者の血筋に連なる、藤原の棟梁である。同じ藤原で

ありながら、著しく懸け隔たった、同根異種なのだ。西行には自己の運命に従って、彼なりの

花を咲かす務めがある。己の星の導く道を、後戻りせず、真一文字に辿らねばならない。縦令

その果が、侘しい犬死に通じている進路であったとしてもだ。今更に、横へ逸れることは、叶わない。

西行は既に、その覚悟だけは、しっかりと固めていたのだ。

 己の持って生まれた 花 を、如何に大きく、美しく咲かせるか?その具体的な、そして、実際的な

方途に関しては、今だに暗中模索ではあったが……。

 西行は自身に言い聞かせる、他人の境涯を羨むな、と。問題は、己の人生を己に最も相応しく、

切り開く事なのだ、とも。傍目には如何に素晴らしく、前途洋々と限りなく開けて見えようと、現実

に身を処して生きる人間には、必ず様々な悩みと苦痛とが、付き纏っている。現に、奥州藤原一族

にも、中央政権に備える対策と、内部抗争激化を押さえ込む方策とが、同時並行で図られなければ

ならない。更には、広大な領土の支配体制の長期化構想にも、腐心しなければならないだろう。醜い

政略上の駆け引き、及び、実力行使による血腥い空気が、他所者である出家の西行にさえ、既に

強い影響力を及ぼしている。

 また、彼が後にして来た中央の世界でも、それ以上に陰湿で、醜悪な暗闘が激烈の度を、加えて

いることも、友人・知人などからの便りの端々に窺えた。文字通りに、この世の地獄さながらが

現前する思いを、禁じ得ないのだ。

 しかし、西行は都への数少ない便りにおいても、また藤原一族との親密な交際の中でも、汚濁した

現実の様相には、一言たりとも言及することを避け、又自分の意見を述べる事を、頑ななまでに

拒否し続けた。それが出家西行の生きる根本の流儀であり、現実世界との間に設けた、ギリギリの

一線だった。

 だから、あの山臥し達との一件も、西行の胸一つに蔵められた儘、他の誰一人として知る者もなく、

済んでしまっていた。西行の口にする言葉は、出羽の山寺の美しい桜の花のことであり、朧に

霞んでいた、その夜の月の、忘れ難い印象に関する事などに、終始した。

 そうした西行の風流清談は、俗事にかまける浮世人にとって、何事も語らぬに等しかった。






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最終更新日  2016年09月01日 13時21分21秒 コメントを書く


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