草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2016年12月06日
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           第 百九 回 目


 読み聞かせの会の発足に際して、読み手・語り手は全く訓練を受けていない、

初心者で構わない。十分に役に立つ。但し、土地の方言が流暢に話せ、相手、

つまりお客である受けて、対象者に対する「暖かな、優しい 心・ハート・マインド」

があれば…。そう私は、断言致しました、確かに。

 母親が我が子に絵本等の読み聞かせをしている場面を、イメージしてみてください。

もっとも、この様なシーンは今日では、めったに見られない現象と化しているのかも、

知れませんが…。それは兎も角として、そうした場合に、母親が読み聞かせのプロ



それと全く同じ事が、少なくともスタートする初期の時点では、言えるのでありますね、

実際。一言で言えば「愛情」や「優しさ」が篭っていればそれで良い。むしろ、流暢で

あるより、稚拙だったり、たどたどしかったりした方が、より心が通い合うかも知れず、

目的はより良く達せられる、とも言い得る。元々、そう言った性質のパフォーマンスが

狙いなのですから。

 家族・隣人・地域の人々、その他、身近にいて寂しかったり、元気がなかったり、孤独

を託(かこ)っていたり、一人暮らしの孤独に苦しんでいたり、イジメに遭って悩んでいる。

そう言った人たちの居る所にこちらから、出向いて行って、言葉を掛け、心のこもった

言葉で慰め、元気附ける。その上で、この好意の仕上げとして、相手の喜びそうな作品・

物語等の読み聞かせを実施する。そういった所からの、スタートを考えて居りますよ。

地域活性化、住民相互の交流の一環としての それ。



考えています、はい。因みにその詩は、「雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さ

にもまけぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して瞋(いか)らず いつもしずかにわらって

ゐる 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを じぶんをかんじょうに

いれずに よくみききしわかり そしてわすれず 野原の松の林の蔭の 小さな萱(かや)ぶき

の小屋にゐて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行って



やそしょうがあれば つまらないからやめろといひ ひどりのときはなみだをながし さむさの

なつはおろおろあるき みんなにでくのぼーとよばれ ほめられもせず くにもされず さう

いふものに わたしはなりたい 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華

経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩」となっています。尚、原文はカタカナ

表記になっていますが、便宜上平仮名に改めてあります。

 レパートリーについては、歌謡曲の「岸壁の母」や講談の「左 甚五郎行状記」から、果ては

シェークスピアのソネットや「リア王」に至るまで、私・草加の爺に腹案がありますので、追々

御紹介すると致しますが、もう少し、読み聞かせの会の説明を致したいと思います。

 楽しむ事、プレイ play すること、読み手、語り手が心から楽しんでパフォーマンスする

ことが、何にもまして重要な事柄であります、何よりも…。私は御存知のお方もいらっしゃい

ますが、長年の間大手の学習塾で講師・チューターを勤めさせて頂いて居りますが、生徒達(

小学校の低学年から、大学浪人生まで、殆んど全部の教科を担当させて頂き、幸いにも大

好評を博して居りますが…)に対して口癖の様に投げ掛けるセリフがあります。「同じ苦しくて、

辛い勉強をするのなら、楽しいから、自分は学習するのが大好きだから、それで勉強している

のだ、と自分で自分に自己暗示を懸けようよ。最初は無理でも、そのうちに本当にそんな

気分になって、仕舞には本心からそう思えるように、なれるからね」と。

 これは、実際に「勉強、大嫌い人間だった」私が少年時代に体験した、その儘の事柄なのです

から。物心ついてからの私は、毎日が楽しくて、楽しくて仕方がなかった。しかし、小学校

に通う年頃からは、非常な圧力が、主として母親からの理不尽な強制力が、無邪気な下町

少年に加えられる様になった。遊びに遊んで、毎日が天国に遊ぶ心地でいられた腕白坊主は、

遊びの天国から追放の憂き目に遭い、地獄にと落とされた、惨めにも。ある時、小学校を

卒業した二週間程の春休みに、偶然手にした二歳年上の優等生だった兄の、使い古した数学

の教科書。それこそ、夜も碌々寝ないで、中学一年の教科書を全部学習してしまった。実に

楽しかった…。強制されたわけではなかったから、全くの偶然の結果で、勉強の面白さに

開眼した。学習の真の魅力に取り憑かれてしまった、有難い事に…。勉強・学習を遊び事に

変化させてしまった。謂わば、天の配剤によって、幸運至極にも、でありますね。

 もっと言えば、仕事も、テレビドラマのプロデューサーの仕事も、「遊んでしまった」ので

ありますよ、なんと不埒にも、罰当たりにも―。








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最終更新日  2016年12月06日 13時45分11秒
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