草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2018年07月07日
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 私の俳優論の五回目。今回は「他人の真似をするな」とは、一体どういうことなのか、について考えを

追及してみます。

 この世に生を享けた人は、誰一人として同じ人はいない。顔の作りから、背格好、性格から趣味趣向ま

でことごとくが違っていて、全く同じと言う人は居ない。クローン人間なら同じではないか、という疑問

も浮かびます。同じような人間ばかりが出現すると想像はされますが、恐らく細部には相違が出る事で

しょう。それよりも私にとって心配で気懸りなの事があります。人間の意識上の「クローン指向への著し

い傾斜」への趨勢です。

 つまり、誰もがイケメンで、美人で、スタイルが抜群によくて、性格が優等で…。そうした全ての面

で優秀な「理想的な人間」ばかりが居る「理想社会」を想像してみて下さい。少なくとも私にとっては

想像するだけで「ゲップ」が出る程に、退屈で、飽き飽きする環境であります。何故って、何もかもが

整っていて「優秀な人」ばかりな世の中になれば、第一に優秀な人など「存在してはいない」から。

 こういう事柄について、あまりあれこれ言う必要はないかも知れませんよ。何故なら、「神」が

全てを織り込み済みで展開されて居られる「御業」に抜かりはなく、それ故に私たちとしては与えられた

諸条件の中で最善・ベストを尽くせば事足りるのであります、余計なことなどに愚にもつかない考えを

廻らしている暇があるのならば。

 結論めいたことを申し上げれば、実はこれ私・草加の爺の「持論」なのですが、例えば『神の存在証

明』などと小賢しい事をほざいていないで、潔く、信じられるのなら無条件で信じ、信じられないのであ

れば、虚無・ニヒリズムに走ればよいのでありますね、実際の話が。

 信じる者は直ちに、即刻に救われるし、信じない者もそのままの状態で、広大な愛情の直中に掬い取ら

れる、定め・運命の下にあるのですから、所詮は、根本においては。

 話が横道に逸れてしまいました。私が申し上げたかった事はただひとつ、十人十色、それぞれに素晴ら

しい。神様のなさることは「全部が全部」、「何から何まで」素晴らしい。そう、諸手を挙げて称賛し、

讃美したい。それだけのこと、なのであります。

 そうすると、何処かにへそ曲がりなお人がいて、「殺人者やテロリストの、一体何処がどう素晴らしい

と言えるのだ」などとちゃちゃを入れて来ます。( 本当のところを率直に言えば、この様な言いがかり

をまともに受けて返答する必要もないのですが、ここではただ只管に愚直に、それ故に誠実そのものにお

答えいたす所存です )

 普通、私たちが行う行為・行動には二重三重の意味・意義が有る。直接的なそれと、間接的なそれと

ですが、ただそれだけにはとどまらない。殺人者には殺人者の言い分があるでしょうし、被害者の方には

それこそ数えきれないほどの「言い分」がある。当然のことですよ。そして、この事件の関係者や関係の

無い人。色々、様々です。知らない人まで含めると無数の「関係者」が想定できる。

 事件や行為行動との関係性の厚薄によって、或いは強弱に従って、色々様々な意味が考えられる。しか

し、通常は我々人間のレベルでの考えしか反映されない。考慮の範囲は人間の力の、能力の及ぶ範囲に

限られている。しかし、絶対者・神の広大無辺な配慮が常に働いている。ピンポイントでは負・マイナス

の価値しか見いだせない部分でも、実に行届いた繊細極まりない手当が施されている。そう考えて間違い

ない、絶対に。

 我々個人・部分・断片は当然ながら全体性を自分のものとすることができない。ただ、只管に全体性に

絶対的に、無条件に帰依することによって、心の平安を得、安心して「無」に没入するのみ。安心立命

とはこいう心の平静清浄さを言った物。此処からあとのことは、実地に学ぶことしかない。実践あるの

み。

 ここで私はプラトンの書簡での言葉を思い出さずには居られなくなる。つまり彼は次の様な事を言って

いる。「一番大切なことは、言葉では表現出来ない」と。私はプラトンに全面的に同意するものでありま

す。あの大部な述作を残したプラトンにしてからがそうなのです。私に出来る事は言葉で以って、その

方向を指し示すことだけ。あとは実地に、各人が独自の創意工夫を凝らしに凝らして、実践に努めるほか

に仕様がないのでありますから。

  持論つながりでもう一つ付け足すと、人間として最も大切な能力は何かと訊かれたなら、今の私は即

座にこう答えます。それは、信ずるに値する対象を知って、もしくは信頼できる人から教えられて、愚直

に信じ切る能力である、と。しからば、その真実に信じるべき対象とは一体何か? それに対して、こう

答えましょう。無限大の、広大無辺な愛情であると。




譬え話」をするでありましょうね。井戸の中の蛙は大海を知らず、と。

 生まれつき井戸という狭い、狭い世界に成長した一匹の蛙が、海という限りもなく広大な世界の話を

誰かから聞かされた。しかし当然ながら、その蛙には途轍も無く広いと言う、その海の広さのイメージが

湧かないし、認識がそもそも出来ない、

 そこで蛙は自分のお腹を膨らまして、その海の大きさとは「このくらいなのかい?」と

相手に尋ねます。「いいや…」と相手はそっけなく首を横に振る。更に蛙は自分のお腹を膨らまして

尋ねます、「このくらいなのかな?」と。こうして哀れな蛙は自分のお腹の皮を膨らまし過ぎて、自滅

してしまったとさ。

 もう一つ。大馬鹿者がいたとします。彼はまともな事を何一つとして理解・把握出来ない。そういう

前提で御話が始まる。意地のとても悪い人が居て、この稀代のバカ者に向かって「彼が途轍もないバカ

だと言う事を、納得させろ」と、貴方に命じます。さあ、どうしますか?

 不可能な事は土台無理なのでありますよ、最初から、そもそも。

 如何でしょう、不心得な不信心者に対した際の私の絶望と、やるせなさを分かって頂けたでしょうか。

 さて、話を「他人の真似をするな」に戻しましょう。念の為に申し添えますが、「安易な」という形容

詞・修飾語が付きますね。それは一体どういう事か? 自己に与えられた「唯一にして、無二の特質」を

何よりも先ず、大切にして前面に押し出して行こう。そういう意味であります。が、以前にも言いました

が、働いている「神の御業」は広大無辺であり、そう簡単には把握・認識出来ない。それ故の、自己

究明、自己探索、要するに人生修行の大切さがポイントとなるのですが、己を知るとは言うべくしてなか

なかの難事である。長所の発見もさることながら、短所や欠点の把握・認識がこれまた同様に容易では

ない。それでは、一体どうしたらよいのか? 「他人の振り見て、我が振り直せ」でありまして、見易く

批判が簡単な他人の、自己以外の人の様子を注意して観察し、自己反省の糧・道具として利用する。

 背が比較的に高い低いから始まって、運動が得意だとか苦手であるとか、食べ物の好みがどうであると

か、色は緑が好きで茶色は何となく嫌いであるとか…。

 そう言ったこまごまとした傾向や趣向など、それ自体は取り立てて良い悪いが定め難い、と言います

か、各自の好き好きに任せて一向に構わない特色とも言えない「特色」を、様々に取り混ぜた混合体が

言わば私たち普通人の姿。そのありのままの「在り方」を、意識的に改めて積極的に受容し、把握した

上で、改めて積極的にかつ肯定的に強め、進展させる。大切に、優しく、温かく見守り、「親心」を持っ

て見守り育てる。こうした地味で地道な努力と精進を日々続けて行く。これが「俳優」・「人間」として

の自己を高め向上させる極めて重要な土台となる。

 人の目につきやすい、そして流行やはやりに左右されやすい「人様の長所や美点」に、心を惑わしたり

不安を感じたりの愚を潔く離れ、ゴーイング マイ ウェイ の精神を貫き通す、終始一貫で堅持する。

その不動の精神力、独立自尊自立の姿勢こそが肝要なのであります、何にも増して。

 そして、その不動の土台を根柢の所で支えるのが、真実の、誰もが生まれながらに植え込まれている、

各自の魂の中に確固として保持している、信仰心の萌芽を堅実着実に、すくすくと成長させること。

 結論から言えば、人間教育の中心の柱は、この真実の信仰心の萌芽を常に大切に世話し、成長させ、

やがては亭々たる緑滴る大樹に育て上げる仕事。このことに尽きる。その外は、どうでもよい謂わば枝葉

の事にしか過ぎない。そして、この人間教育の真に値する営々と続けられるべき重要な仕事は、先ず家庭

において、両親や祖父母の手によって行われるべき筋のもの。当然に、学校教育の中心にはこの精神が

力強く打ち立てられていなくては、無意味であり、存在意義は消滅する。

 要約しましょう。俳優は(従って人間は)神の無尽のエネルギーをインスピレーション(霊感)によっ

て自分に常時取り込み、汲み入れて、その豊富な滋養に満ち溢れた、実に有難い「神通力」を通して

周囲の人々に積極的に働き掛けて、人々の魂に癒しと安らぎと新しい活力とを与え続ける、そうした

有効な能力を有する様に、日々に努力を重ねて生きなくてはならない。人々の為に、そして、何よりも

自分自身の為に…。

 各自が自己に特有の個性を発揮して、社会全体、人類全体としてフルにその持てる特色を発揮できた

時に、素晴らしい未来が間違いなく今と言う瞬間に手繰り寄せられ、爆発的な輝きと光彩を放つに相違な

い。それは次なる、更なるベターなステージへと無理なく連なり、この世がその儘でさながら理想世界

に変貌を遂げる。それが絶対者・神・仏の願いそのもの。私たちの願望と目には見えなくとも厳として

存在する真実の存在者たる 絶対者 の慈悲心とが、完全に合致するならば、極楽・天国・桃源郷・ユー

トピアは思いのままに、たちどころに現実社会に姿を現す。この事実は、永遠の真実なのですから、間違

いなく、実際に到来する。

 私たちは一人の例外もなく、「即身成仏」出来る可能態としてこの世に生を享けているのでありますか

ら、「他力」と「自力」との出会う場所と瞬間において、時々刻々と即身成仏し得る存在なのでありまし

た。それ故に雑音に妨げられることなく、周囲と仲良く手を携えて、自己鍛錬の努力をエンジョイする

べきなのですね、喜々として、勇躍して。しかし、急がず、焦らず、こつこつと忘我の境地に入って、

「苦しいと感じられ、困難と受け止めざるを得ない」難事業に対しても、勇敢かつ細心の注意を払って、

粉骨砕身しなくてはいけないのです。世の為、他人の為、自分の為にも…。

 ピンチはチャンスなのですから、今困難や危機が目前に迫って在るとした、これこそは最大の好機、

絶好のチャンスの時到れりと前向きに捉え、積極的に対処する嬉しさを思うべきでしょう。

 さあ、あなたと共に一歩を前に、希望へと進もうではありませんか!






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最終更新日  2018年07月07日 14時37分57秒
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