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2018年12月19日
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第 三百九十一 回 目

 ―― 町の人々への提案・その二 ( 草案 )

      声に出して、「 言葉の世界 」をエンジョイしよう!

 いきなり人々に「語り」を聞かせる行為は、ちょっとハードルが高い、そんな風に感じる方に

気軽に、何時でも、何処でも始められる ワード・エクササイズ を楽しむサークルの提案。


 これは単純に自分自身が言葉を発声・発語して心と身体をリラックスし、楽しむだけの行動です

から老若男女、年齢その他を問わずに出来る、非常に簡単で、手軽な行いであります。


 発声する言葉は純粋に「エンジョイ」するだけのもの、他の目的を持たずに楽しむためだけに

するものですから、本来はどのような物でもよい。ただし、最初は可能な限り御自分が楽しくなり



とより長い物、より複雑な内容の物、更には敢えて悲しくなる物、もっと言えば不愉快になった

り、憂鬱、絶望的な気持ちに駆られるものに至るまで、言葉の世界に一切の制限をつけないで

発語する、高級者の段階まで自由自在に選択が可能です。ジャンルに関しても、呪文のような

意味内容のないものから高度な詩や散文・物語・ドキュメンタリー、紀行文・随筆・哲学書に到る

まで際限はありません。

 また、そもそも言葉が私達に与えてくれる効用や恩恵には、私達の予想を遥かに超えた非常に

多彩で豊富なものがあります。

 少しその事について理解を深めて頂きましょうか。まず、日常会話の大切さがあります。「お早

う」、「今日は」、「今晩は」、「お休みなさい」などの毎日の挨拶に代表される言葉は、私達の

社会生活にとって空気の様に必要不可欠なものとなっていますし、相互のコミュニケーション・

相互理解・意思の疎通を深める重要な手段であります。ちょっとした表情とか身振りなどのボデ



くれています。

 家庭での躾や教育は勿論のこと、社会人として成長するためには不可欠なツールとして、個人や

社会を基本・根柢の所でしっかりと支えてくれています。

 更には、これが最も重要なのですが、個人が一人の市民として、また国家の構成員として、延い

ては地球村の成員としての正しい思考や行動が、適切にとれるように「自己教育やリカレント」



 つまり、人々はパンや空気によって生きると同時に、言葉によって生かされているのでありま

す。ですから、人間とは言葉に基づいて生きる動物だ、と表現しても間違いではないのでありま

す。

 そうそう、肝腎要の事柄を忘れていましたね。無駄話の効用と言う事です。私達ははっきりと

した目的の為に言葉を使用するばかりではなく、気の置けない仲間同士での罪のない世間話などで

時間を空費するのが、何よりも楽しいし、必要でありましたよ。現在では完全な死語と化した感の

ある「井戸端会議」がその代表格ですが、どのようなきっかけであれ何か口実が有れば勿論のこ

と、なければ無理にでも拵えて、互いが相寄って「意味のない無駄話に花を咲かせたい」のであり

ます。それが、そういう無意味な時間の空費がわけもなく愉しいからなのです。この事の深い意味

合いを、それをすっかり忘れ去って毎日の生活に時間を忙殺されている、現代人の多くはとことん

考え詰めてみる必要があるのではないでしょうか、如何お考えでしょう?

 その前に、お前さんは二言目にはストレスだの心の清掃だのと、さも重大事の如き口ぶりで発言

しているが、「ストレス」や「心の清掃」がそんなに大事な事なのか、我々にはお前さんの過剰な

心配が一種の杞憂なのではないかと、感じられて仕方がないよ。まあ、こういった声なき非難がい

つもの様に何時もの如く私の耳に聞こえて来ましたので、それに先ずお答えしたい。

 そうです、私は現状で一番の問題は此処にあると非常に深刻に考えている者であります。現代に

於ける重大で深刻な問題の最たるもの、とまで考え詰めている。それは私が人一倍心配性で、異常

な過敏症を患っているからではないのです。現代人は二言目には「癒し、癒やし」と口癖のように

いいますが、もう無意識の範囲を遥かに凌駕する程に、私達の心の中は汚染の極みに達している。

それは大気の汚染問題より数倍恐ろしい領域に達していると、断じないわけにはいかないのです。

よく、テレビ報道などで世界の第二番目の経済大国に躍り出た中国の首都・北京の大気汚染の深刻

さ加減を報じる画面に接する機会がありますが、あれはまだ客観的に見えますから、比較的に対処

の必要性が急務なのが一目瞭然で首肯できるのですが、心の中の汚染や害毒の状況に関しては、見

逃されてしまい、人々の関心が逸れてしまいがちですね。

 この問題を論じだすと限がありませんので、ごく掻い摘んで申し上げましょう。小学校の理科の

教科書に新陳代謝という記述があったのを思い起こしてください。生物は食べ物を取り入れ、不要

物を体外に排泄して生命現象を営んでいます。肉体だけではなく、それに呼応している精神・心の

分野でもこの新陳代謝的な機能が十分に果たされないと、生命体は不具合を起こし、十分な行動が

果たせなくなる。考えるまでもなく、誰にでも分かる自明な理屈であり、現実にそういう風に私達

人間に於いては特に顕著な、重要な働きを示している。心の中の不要物・不純物をひとくくりにス

トレスと呼ぶことしましょう。健全な心を保持し、健康で前向きな心を保つためには、この余分に

なったストレス要素を上手に取り除く必要があります。特に「ストレス」社会と呼ばれてからだけ

でも久しい現代では、この有害なストレスをしこたまに溜め込んだ心が、社会中に充満して知らず

知らずの裡に私達の正常な生活を目に見えて、害し傷付け、蝕んでいる。これはもう誰の眼にも

明らかなのですが、人々は有効な対処法も持たないで、無意識の裡に苦しみ踠いる。

 直ぐに切れる、怒りを爆発させる、或いは「誰でもいいから人を殺したかった」などと言う狂人

が後を絶たないでいる。表面は平和に見えるその裏側で、恐ろしい病根が蔓延して人々の心・精神

を内面から腐敗させ、朽させつつある図はまさに戦慄そのものではないでしょうか。

 更に根本的なストレス発生の理由もあげられます。私達のとる行動は通常非常に中途半端なもの

に終始する。ハッピーエンディングにしろ、悲劇に終わる成り行きにしろ、大概は行き着くべき最

終段階に達しない所で中断され、また別の全く違った脈絡での行動に追いやられることが、普通で

す。そしてまた、その行動が何の前触れもなく途中で中断されて、新たな事態に対処しなければな

らなくなる。悲劇でも、喜劇でもその他の何でもよい、私達の生理は行き着くところまで行き着き

たい欲求に駆られますが、現実ではなかなかそれが思うにまかせない。必然的にストレスが溜まり

に溜まる仕組みになっているのが、通常のケースと言えるでしょう。

 ストレスを意識して、意図的に排除してやる必要が生ずるのは、必然なのでありました。そして

現代人は何かに憑かれた如くに滅多矢鱈に多忙でありますから、ストレスはいやが上にも増え続け

ることになる。そして体内に溜め込まれたストレスの塊が、知らない間に身体全体を害し、損な

い、その結果でとんでもない予想外な不幸な事態を招来してしまう。早めに予防策を講じるに如く

はないのであります、実際の話が。

 この手立てとして非常に有効であるのが言葉を発声する行為・行動なのですね。手軽に、誰でも

が何処ででも行う事が出来る発声・発語に始まり、非常に巧みに構成された、それ故にカタルシス

の効果が最高度に期待できる名作の音読から、主としてイマジネーションに訴えかける私達の

目指す「セリフ劇」は、万人向けの癒しの場として最適なエンターテインメント空間として確立

されるべき、限りない可能性を内に秘めた素晴らしいものなのであります。

またもや茲で私・草加の爺の耳元にこんな声も囁かれるのが聞えます。成程、成程、あなたの説

明を聴いて居りますと、何処の誰にでも有効であり、必要である事が土台・基本に有るのならば、

そもそもが青森県の野辺地町でなくともよいのではないか、と思われますが、あなたの語り口を耳

にしていると是が非でも野辺地でなくてはならないような、一種思い詰めた頑なさが感じられてな

らない。それは一体何故なのか? 大体、こういった趣旨の疑問でありますよ。

 お答え致しましょう。疑問は御尤もであります。同時に、ある種の言いがかりと言う物ですと

も、申し添えなければなりません。此の事の深い理由や謂れに関しては謂わば人知を超越した事情

が介在して居りますので、簡単な説明は不可能だと返答して置くに留めます。いずれ事の成行き

が辛抱強く関心をお示し下さる方々の眼に、明瞭に示されるでありましょうから。もう一言付言

するなら、このブログのサブタイトルの 神慮に依る「野辺地ものがたり」 から賢明なる読者

は類推して頂ける筈でありましょうか、恐らくは…。

 閑話休題 ―― ここで、私・草加の爺の独り言です。ですから聞き流して頂いて結構です。

今私は亡妻悦子が新婚当時に私に買い与えて呉れた英語のバイブルを、或る懐かしさの感情と

共に読み直して居ります。新約 The New Testament のマタイ伝であります。そしてイエスの

言葉の余りの格調の高さに、今更ながらに驚いて居ります。と同時に、人間としてこう在りたい、

こう生きられたらどんなにか素晴らしいだろうかと、感じながらも、これ程の高い理想と規範を

掲げられても、少なくともこの私には無理だとも心の中で呟いてしまいました。

 理想と現実、謎の人イエスと凡愚の中の凡愚の典型である私。私自身は野辺地の町の人々との

折衝を通じてイエスとの対話を深めて行きたいと考えて居りますが、一方で既に仏教と釈迦の教説

の理解を通して一定の回答も得てもいる。少なくともベクトルの方向性はぴったりと一致してい

る。その内に秘めたエネルギーと能力の違いなので、目指す物、到達点は同じなのだと考えるある

種の自負も保持している。彼岸に重点を置くか、此岸・現世に重点を置くかの相違であり、肉体

をより大切と見るか精神を優先させるかの力点の置き方の違いに、結局は帰着するのであって。

 神よ! どうぞ、この私の身をご自由に御使いください。私はあなた様の御心の儘に可能な限り

忠実に任務を遂行致す所存であります故。 草加の爺、謹白





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最終更新日  2018年12月19日 10時01分26秒
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