草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2018年12月26日
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第 三百九十二 回 目


 今回は、ラッシュアワーのアナロギーから始めてみようと思います。

 「満員電車の中」と掛けて、「二十一世紀の日本」と解きます、その心は「ストレスではちきれ

そうです」。私のブログを長い間御愛読頂いていらっしゃるお方は、もしかしたら「ああ、亦か」

と感じられたかも知れません。これは何も自分の表現に自画自賛したり、自己陶酔したりしている

為ではありませんで、自分自身の十代の頃の身に沁みた体験上から、自分の身の丈に合った、借物

でない切実な経験の吐露から発している、私個人の実体験であるからです。

 私・草加の爺は東京生まれの、東京育ちでありますが、所謂乗り物酔いが激しかった。小学校

から中学までは徒歩通学でしたが、都立の高校に入学して電車通学をすることになった。たった



そ死ぬほどに苦しい難行苦行と感じられた。電車から漏れて来る人息れだけでもう気分が悪くなっ

たくらいですから、押し合い圧し合いの車内はまさに地獄そのもの。何も殊更にオーバーで過剰

な表現を使っているわけではありませんで、生まれて初めての辛い経験でした、実際。実社会に

近づくという事の意味合いを身に染みて感じさせられた。余談ですが、実際に大学卒業後にテレビ

ドラマの制作会社に入社して、ロケバスにしばしば乗る機会に接した時も同様の苦い思いを甞める

事になったのですが、その際には乗車した瞬間にガソリンの臭いをちょっと嗅いだだけで、胸が

むかむかしたのを今日でも鮮明に記憶して居ります。

 さて、地獄のようなラッシュアワー時の電車の中では、一体どのような事態が発生しているか?

一度でもご自身で体験されたことのある方には説明の必要もない事ですが、乗客達は誰もが一様に

激しく押され圧倒されて息もろくろく吐くのさえままならない。座席に腰を掛けている少数者は

さぞかし楽ちんだろうと想像されるかしれませんが、さにあらず。とても安閑となどしてはいられ



の脚に迫って、身体全体がかぶさるように迫り、圧迫してきます。それも前後左右に激しく揺さぶ

られるのですから、平常心ではとてもいられない。誰かに席を譲ってやりたいと仮に考えたとして

も、それも事実上は不可能である。だから、自然誰もが一様に知らんぷりを決め込むしか手がな

い。こんな酷い非人間的な環境は他には絶対に考えられない。しかも、ここが肝腎な所なのですが

、被害者はいても加害者はだれも車中には存在しない。乗車した限りは、通勤や通学には毎日毎晩



込んだが最後、地獄さながらの責め苦に乗客の全てが苦しむ羽目になっている。加害者は不在で

被害者だけの不思議な空間。お解り頂けるでしょうか?

 そして、二十一世紀の現代社会がまさに同様な環境になっていると、私・草加の爺は愚考するの

であります、はい。特にストレスという視点から眺めた場合に、そう強く感じるのですが、皆さま

は如何お考えでしょうか、お訊ねいたしたい。はっきりとした下手人が挙がらない、ストレスばか

りが時々刻々と増幅し、拡大する。にも拘わらずに元凶が、悪の元締めが見つからない。その事態

その物が益々ストレスを増やし、大きくさせる。まさに負のスパイラルそのもの。

 いやいや、君の言う「悪の元凶」などはっきりしているさ、資本主義がいけない、共産主義が

いけない、テロリストがいけない、無能な政治指導者がいけない、南北の格差を生む社会の仕組み

がいけない、女性を不当に蔑視し差別する男優位の思想がいけない、そもそもは不完全な人間を

此の世に誕生させ「産めよ増やせよ、地に満てよ」、などと人間を甘やかした創造主がいけない、

云々と。

 この「何々が、いけない」式の思考方法とも呼べない思考法を際限もなく辿って行けば、落ち着

く先は、そもそも人間がいけない、ロボットがよい、A I が最高なのだ、と言ったヒューマニズム

や人間存在の否定に、完全なニヒリズムに行き着かざるを得ない。

 これでは実も蓋もない。絶望の為の絶望による、絶望の思考回路に陥るのが落ですよ。

 これは「神を殺した」人間が「自己をも完全否定する、自己抹殺」の図式で、少しばかり頭を

冷やして冷静に判断すれば誰にでも容易に、その異常さ加減が理解できる体のもの。今はこれには

深入りせずに、「君子は危うきに近づかず」と賢明な道を進もうと思います。

 現代はいまだ科学万能主義の迷妄から完全には脱し切れず、その副産物でもある便利・便宜至上

の傾向と一緒になって、人間性の持つ不完全さや脆弱さ、不確実性などを忌み嫌い、そうした曖昧

で割り切れない人間性を極力排除したいと、無意識に指向し続けて来た。その結果で何を得たか?

御存知の如くに「強烈な自己否定」と完璧完全なる機械に対する幼児的な崇拝願望とでありまし

た。人工衛星や宇宙探査のロケットがその象徴であるように。

 人間は本質的に弱い生き物でありながら、時に途轍もなく強くなれる。だから素晴らしいのだ、

と考えて悪い理由はない。機械的に、正しく強く賢いだけの存在として誰かにあらかじめプログラ

ミングされているわけでもないのに、自分の自由意思で時に「強くなり」、「正義を発揮し」、「

限りもなく優しくなれる」、そういう存在だからこそ素晴らしいのだ。そう言う風に考えて悪い

理由は見つからない。だったら、そう解釈して人間を、人を、自己を、隣人を「全肯定」しようで

はないか。可能性として、限りもなく美しい人間性を想定して、その理想に向けて精一杯の努力を

傾注して止まない。そういう可能体として自他を評価し直すこと。今、私達にとって一番必要な

事はそういう地道な、派手ではないが、堅実な作業なのではないでしょうか。

 そこで、本当にささやかではあっても確かな第一歩として、自己と隣人に人の心の温かさを届け

る「声を響かせて、人の心の温(ぬぐ)だまる、温かさを直接に贈る」音読推進運動を大いに、声

を大にして推奨したいと考えるのであります。

 言葉を発する事の可能な幼児から、シルバー世代と呼ばれる高齢の御年寄りまで、誰でもが手軽

に楽しんで行為出来る音読こそ、心の健康増進に、そして何よりも毎日の不要なストレスのクリー

ニングに非常に効果を発揮して、延いては活力ある未来を切り開く強力なエネルギー源となる。

 個人の心の中の問題だけではありません。現代社会に有害な毒素を放出し続けているストレス問

題を一手に引き受けて、社会の健全化に向けて多大な貢献が期待できる「音読の推進」は、近い

未来に於いて「新しいセリフ劇」創出と完成を目途として、更に大きな可能性を私達に約束して

くれる。

 もう一度繰り返しますが、誰もが被害者であり、それ故に誰もが加害者であるという、非常に

奇妙な社会が現に出現してしまっている。今更に「真犯人探し」を始めた所で何等生産的な結果は

見込めそうにない。この俺が悪いわけではないし、こちらの私が原因なのでもない。ただ、ただ、

被害者意識だけが異常に膨れ上がってしまっている事だけは、確かな事実。

 人々はこの事態にじっと耐え、我慢するしか仕様がない。セクハラ、パワハラ、煽り運転、モン

スター的なクレイマーの増殖現象、韓国ではカスハラなる社会現象も顕在化していると言う。

 心の時代と言われる二十一世紀の今日にあって、最大の病根に様々な形でのストレス問題が俄か

に急浮上している。

 私達は 野辺地町を起点にしてストレス専科の安らぎの場所を提供する ことで、人類と言う悩

み多き霊長類に課せられた「永遠のテーマ」であると同時に、二十一世紀という極めて今日的な

課題である難問に対して、一つの建設的で明確な回答を与える意欲的な試みを意識的に開始しよう

と言うのであります。

 ここまで書き進めて来た私は、どうしても付け加えなければならない、事柄を心に浮かべつつ、

或る種の逡巡、ためらいの気持ちを持つに到りました。今の段階ではもうこれで十分過ぎるくらい

話を進めたではないか、と。人からは既に「大風呂敷を、広げに広げている」と評されても仕方の

ないような言い種を既に、大胆不敵にも「大言壮語」してしまっている。この上、屋上に屋を重ね

るが如き言説は無用であるどころか、有害でさえあるかも知れない。しかし、私は遂に「毒を喰ら

わば皿まで」の諺を実行する積もりになっています。

 扨て、扨て、今日は何の日でありましょうか。言わずと知れた救世主イエスキリストの誕生日で

ありますが、私は暫らくの間、彼に、彼の述べたと伝えられる表現に見習う事に決めました。不遜

でありましょうか、或いは不敬であると人は非難するでありましょうか。その挙句に私は「私の

十字架」に懸けられるでありましょうか? 生来から臆病な事にかけては人後に落ちないと自負す

る私・草加の爺でありますが、それは覚悟の上でありますから。

 私はこう言いましょう、私はこの仕事の為に地上に生を享けたのだと。誤解は避けられないと

承知の上で兎に角弁明すれば、私には大それた野心など有りません。結果として、現在ただ今

地球村を支配し、統治しつつあると錯覚している「愚か者」の群れを否定し、彼らを駆逐する結果

を招来しようとも、であります。

 私はイエスキリストと共に「愛の教え」を改めてこの地上に強化する目的で、派遣された者であ

りますから。

 金銭至上のマンモンは地球村からは早期に排除され、愛と慈悲の正しい絆が人々を結び付けなけ

ればならないからでありますよ。一人の幸福が隣人の倖せを倍加させ、その様な幸福の輪が見る間

に世界中に広がり、そして美しい水の惑星地球が真の意味で光り輝く。そうした天国・極楽が来世

ではなく今生で花開き、実を結ぶ。

 この嘘の様な夢が、ささやかな善意の地道な積み重ねで実現する。少なくとも、そうした可能性

が、平易で、遣り甲斐のある真実の「人間の仕事」と呼ぶに相応しい行動と、道筋とが神の慮り

によって開かれようとしている。白を白と言う勇気を持たないで如何しようか。

 人類の偉大なる先人たちがことごとく「誤解を免れなかった」。私如きが誤解を恐れていても

仕方がありませんね。私はキリストに倣って「現体制を破壊する為に来たのではない」、私は現体

制を補強し、完成させる目的でこの世に来たのだ、と言明したい。

 「資本・金銭」だけではなく、愛情・善意・叡智・慈悲心が大切なのだ、と極当たり前の事実を

殊更に強調するのが主訴なのであります。そして、出来ればその確かな証明を、実践行動で示す

事。それがこの私・草加の爺に託された任務であり、「神」はお前の知恵と努力でそれが可能だと

諭されて居られる、明示されて居られる。義を看てせざるは勇無きなり、と古人も加勢されていま

す。今やまさに実際行動あるのみ、焦らず、騒がず、粛々と己に可能なベストを尽くすのみ。





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最終更新日  2019年01月02日 16時47分19秒
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