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2021年01月21日
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今回は、芭蕉の「奥の細道」を私なりに味読してみようと思います。

 ( 蛤・はまくり の ふたみにわかれ 行・ゆ く 秋ぞ ) ― 草の戸も 住替・すみかわる 

代・よ ぞ ひなの家 ― 行春・ゆくはる や 鳥啼・とりな き 魚・うを の目は 泪・なみ

だ ― あらたふと 青葉 若葉の 日の光  剃捨・そりすて て 黒髪山に衣更・ころもかへ(曾 

良) ― 暫時・しばらく は 瀧に籠るや 夏・げ の初・はじめ ― かさねとは 八重・やへ 撫

子・なでしこ の 名成・ななる べし(曾良) ― 夏山に 足駄を拝・をが む 首途・かどで 哉・

かな ― 竪横の 五尺にたらぬ 草の庵・いほ ― 啄木・きつつき も 庵・いほ は やぶらず 

夏木立 ― 野を横に 馬索・ひきむけよ ほととぎす ― 田・た 一枚 植ゑて立去る 柳かな 

― 卯・う の花を かざしに 関の晴着・はれぎ かな ― 風流の はしめや おくの 田植うた 



り ― 笈・おひ も 太刀・たち も

五月・さつき に かざれ 帋・かみ 幟・のぼり ― 笠嶋・かさしま は いつこ さつきの ぬかり

道 ― 桜より 松は 二木・ふたきを 三月越シ ― あやめ草 足に結・むすば ん 草鞋・わら

ぢ の緒・を ― 松島や 鶴に身をかれ ほととぎす(曾良) ― 夏草や 兵・つわもの どもが 夢

の跡 ― 卯・う の花に 兼房・かねふさ みゆる 白毛・しらが かな ― 五月雨・さみだれ 

の 降りのこしてや 光堂 ― 蚤・のみ 虱・しらみ 馬の尿・しと する 枕もと ― 涼しさを 

我宿・わがやど にして ねまる也 ― 這出・はいいで よ かひやが下の ひきの声 ― まゆはき

を 俤・おもかげ にして 紅粉・べに の花 ― 蚕飼・こがひ する人は 古代のすがた哉(曾良) 

― 閑・しずか さや 岩にしみ入・いる 蝉の声 ― 五月雨・さみだれ を あつめて早し 最上

川 ― 有難や 雪をかほらす 南谷 ― 涼しさや ほの三か月の 羽黒山・はぐろさん ― 雲の

峰 幾つ崩・くづれ て 月の山 ― 語られぬ 湯殿にぬらす 袂・たもと かな ― 湯殿山・ゆど



最上川 ― 象潟・きさかた や 雨に西施・せいし が ねふの花 ― 汐越や 鶴はぎぬれて 海涼

し ― 象潟や 料理何くう 神祭(曾良) ― 蜑・あま の家・や や 戸板を敷きて 夕涼(低耳) 

― 波こえぬ 契・ちぎり ありてや みさごの巣(曾良) ― 文月・ふみつきや 六日・むいか も 

つねの 夜にはにす ― 荒海や 佐渡によこたふ 天河・あまのがは ― 一家・ひとつや に 遊女

もねたり 萩と月 ― わせの香や 分入・わけいる 右は荒磯・ありそ 海 ― 塚も動け 我泣・わ



あかあかと 日は難面・つれなく も 秋の風 ― しほらしき 名や小松吹・ふく 萩すすき ― 無

残やな 甲・かぶと の下の きりぎりす ― 石山の 石より 白し 秋の風 ― 山中・やまなか 

や 菊は たおらぬ 湯の匂・にほひ ― 行・ゆく行・ゆ きて たふれ伏・ふす とも 萩の原(曾

良) ― 今日・けふ よりや 書付・かきつけ 消さんん 笠の露 ― 終宵・よもすがら 秋風聞く

や 裏の山 ― 庭掃・はき て 出・いで ばや 寺に散・ちる 柳 (  終宵・よもすがら 嵐・

あらし に波をはこばせて 月をたれたる 汐越の松  西行  ) ― 物書・かき て 扇・おふ

ぎ 引・ひき さく 余波・なごり 哉 ― 月清し 遊行のもてる 砂の上 ― 名月や 北国・ほっ

こく 日和・ひより 定・さだめ なき ― 寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋 ― 浪の間・ま 

や 小貝・こがひ にまじる 萩の塵・ちり ― 蛤・はまくり の ふたみにわかれ 行・ゆ く秋



 これは読んで直ぐ分かるように、奥の細道の俳句だけを拾い出して並べてみたものです。意味がよく分

からない所があっても、何度か音読して下さい。有名な句もあれば、そうでない句もありますね。しか

し、私は何度も読むうちに芭蕉の魂が呼びかけるのか、どの句も捨てがたい程に素晴らしい名句だと、感

心してしまいました。親友・河井曾良と同行二人で東北を、裏日本を、そして金沢辺りからは仲間とも別

れて独りっきりで旅を続ける。何か人生を象徴する行程ではあります。

 わざわざ私がお断りするまでもなく、実際の紀行文の体裁を取ってはおりますが、全体は血のにじむよ

うな鏤刻、推敲に推敲を重ねて創作された文章による絵巻物なのであります。天の川を詠み込んだスケー

ル壮大なものもありますが、遊女、蚤や虱や蟇(ひきがえる)、馬の尿、田植え歌、衣更えや遊行の行者な

どの庶民の生活に密着した風物などをフューチャーした俳句が主体であります。

 旅に病で 夢は枯野を 駆け廻る  命ふたつの 中に生きたる 桜かな  の絶唱を創作する前奏曲

の如くに私には思えるのです。

 ここで私流の、伝統的な解釈を踏まえながら、意図的に誤訳や拡大解釈を持ち込む、創作的な鑑賞をこ

の「奥の細道」にも加えて見たいと思うのであります。西行柳を踏まえた 田一枚 植えて立去る 柳か

な の句は、明らかに 道のべに 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちとまりつれ(西行法師) 

を頭に置いて詠んでいるのですが、私流は乱暴狼藉的な鑑賞法を勝手に持ち込んで、万葉歌人の大伴

家持の鋭く近代を先取りした「 我宿の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕べかも 」、 

「 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに うぐいす鳴くも 」、「 うらうらに 照れる春

日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば 」と明瞭に響き合っているのを肌で感じつつ、更に

は同じ万葉家人の額田王の 「 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る 」、

「 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮も適ひぬ 今は漕ぎ出でな 」をも連想させてくれるし、極

端な話では雪舟の絵や、若冲の超微細画をも彷彿とさせるエネルギーを潜ませている。私の独断とばかり

は言い切れない和歌や連歌、そして俳諧へと変化発展を遂げる文化の豊穣さの裾野には、様々、色々

の含蓄・ニュアンスが入り込んで、イメージをいやが上にも膨らまさずには置かないかの如くでありま

す。さすがに、ボードレールの「悪の華」やアルチュール・ランボーの突き抜けた近代詩の傑作との響き

合いまでは強引に引き合いに出さないにしても、出しても一向に構わないと正直本心では思っているので

すが、イエスキリストの名言とは、明らかに音色を同じくしている。と、感じる人には感じ取れる体の、

味わいは秘めて存在している。

 年闌けて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山 ( 西行 ) の一世一代の名吟は私

の常日頃愛唱する和歌でありますが、芭蕉もこれを一つの目標にして俳句道に精進したに相違なく、業平

の  ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを  の絶唱中の絶唱と相俟

って古今に絶した一代の名俳諧師・桃青松尾芭蕉の血の滲む様な努力を必然のものとしていたことは、論

証の余地もないほどに、明明白白であります。

 松尾芭蕉(1644 ー 1694)が目指した詩境の高みはそれ程に崇高にして、敢えて言えば宇宙的

な広がりを結果として持っているのでして、従って、鑑賞者の力量次第では芭蕉自身が夢にも想い設けな

かった世界が突如として姿を現して、私の様な風変わりな 風狂者 をも驚かせてくれる。人生の持つ奥

深さや複雑さにも気づかせずには置かない「かぶき方」を、そもそもしているわけでありまして、例え

ば、現代の俳人・金子兜太の「 若駒の ふぐりは風に 吹かれけり 」のユーモアも遥かに凌駕するス

ケールの大きさを巧まずして豊富に内包して、決して人を飽きさせない温かみをも備えていた。

 僭越ながら、芭蕉は簡単に超えられるが、一茶はそうはいかない、と発言されていましたが、それはい

かがでしょうか。一茶を賞揚しようとする余りに、芭蕉を過小に見過ぎていると、断定しておきます。

 芭蕉は一座した俳諧仲間に気を配り挨拶している以上に、中国古代の詩人を始め、先輩歌人諸々に挨拶

を送っている。勿論、時代の空気を謳歌している西鶴や近松にも気配りを忘れていないと、私は勝手に決

め込んで芭蕉に向き合う。だから、国文学の専門家や、俳句実作者その他のプロフェッショナルとは異な

る気儘勝手なアマチュア、無軌道なディレッタントの流儀を押し通して、憚るなどという洗練された都会

人士の塵一つ寄せつけない洒落たペイブメントは歩かない。例えば、グロテスクな蟇に象徴される土俗的

な土地の精霊とも心を容易く通わすことが、出来るだけでなく、それこそは軽みや滑稽味をエッセンスと

する俳諧精神の土壌に直結するエスプリなのであると、固く信じているのです。

 空海は宗教界の一大偉人でありますが、現在でも「同行二人」と書いた笠を身につけて四国遍路を絶や

さないお遍路さんたちの一所懸命な姿は、むしろ芭蕉たちの行先知れぬ野の果での野垂れ死に精神と、酷

似していることは、紛れもない大和魂の発露と見えて来るではありませんか。

 芭蕉もまた、人生を如何に生きたら良いかを命懸けで追求して止まなかった求道者、純粋な宗教家と見

做して一向に差し支えないばかりか、日本人の魂の原点には常に一刻で、生真面目一途な 純粋無垢な神

仏探求者の面影が仄見えている。

 純粋でも、真面目一途ではありませんが、不肖、この私も又知らずして芭蕉が追求して止まなかった一

筋の道を、辿っている一人なのであります。

 今朝の夢に、嬉しい神・仏のお告げの声を聞きました。お前は間違った道を歩んでなどいない。怯まず

にお前の信ずる道を行け。翻訳すると、大凡その様な意味合いの勇気付けでしたね。夢は逆夢とか一般に

言われていますが、夢見が悪く、嫌な気持ちになることの方が多いので、それをこじつけで、夢は逆夢な

のだから安心しようと、元気づけたものでありましょう。だから、滅多にない縁起の良い夢の時には、夢

は時に正夢と自分の都合の良い解釈を用いて、自己暗示に使用する。誰にも迷惑を及ぼさず、自分が良い

気分になれるのであるから、それを用いない手はないのである。

 私はしみじみ幸せ者だと実感する。吉田善平さんの事を最後に書いてみようと誘われました。善平さん

は名前の通りにどこからどこまでも善人でした。悪意のない助平男でしたよ。女性(にょしょう)をこよ

なく愛して、人間の善性を全的に信じて五十を前にして若死にしました。私がプロデューサーとして曲り

なりにも独り立ち出来たのも、彼が会社の先輩としていてくれて、私の入社を待ち受けていてくれたかの

如き行動をとってくれたからこそでありました。私を、有能な後輩として、弟分として存分に可愛がっ

て、慈しんで、天国に旅立って行かれた。感謝、感謝であります。私が誰彼の分け隔てなく後輩を優しく

接したのも、この善平さんの行動を無意識に見習ったものだと、今過去を振り返ってみた時に感じること

です。人生は泣いても笑っても、短いのであります。人との出会いを大切に、悔いのない人生を送りたい

ものです。遅ればせながら、吉田善平氏のご冥福を心より念じたいと存じます。





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最終更新日  2021年01月21日 09時23分08秒
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