草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2021年03月03日
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この宮の 木(こ)したに子供等(こら)と 遊ぶ夕日は 暮れずともよし   風きよし 月はさや

けし いざともに 踊り明さん 老いのなごりに   歌もよまむ 手毬もつかむ 野にもいでむ 心ひ

とつを 定めかねつも

 良寛(1758ー1831)、江戸後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。

 仙桂和尚は真の道者、貌(ぼう)は古にして、言は朴(ぼく)なるの客、三十年、国仙(こくせん)の

会(え)にありて、参禅せず読経せず宗門の一句すらいわず、菜園を作って大衆に供す、当時我之を見れ

ども見えず、之に遭い之に遭えども遭わず、ああ今之にならわんとすれども得可からず、仙桂和尚は真の

道者。

 あまりしゃべりすぎないこと。   言葉はよく吟味して、しゃべりすぎてはいけない。   我が生



 相手に対して嫌な感情をもって、人を叱ってはいけない。   なにものが苦しきことと問うならば、

人をへだつる心と答えよ。   何ごとにも怒らず、つらいことも我慢すること。   他人がいる前

で、人を叱ってはいけない。   死ぬ月日さえも丁度良い。   人さまに迷惑をかけたり、恥ずかし

いことは慎むように。   知らないことを知っているふうに言うのはよくない。   自惚れること

も、卑下することもない、上もなければ下もない。   食べ物は少しだけいただくこと。   神や仏

のことを軽々しく口にしてはいけない。    地獄に行こうと、極楽に行こうと、行ったところが丁度

良い。   自分の心をきちんと制御すること。   心の中で怒りながら、人に理屈を説いてはいけな

い。   歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない、お前にとっては丁度良い。   あれこれ

と人に講釈するのはやめなさい。   その人が気にしていることを言ってはならない。   幸も不幸

も喜びも、悲しみさえも丁度良い。   まだくれていないのに、あれをやろう、これをやろうなどと人

に言うな。   人を差別するようなことを言ってはいけない。   息子の嫁も、その孫も、それはお



   顔も身体も名前も姓も、お前にそれは丁度良い。   一度言ったことは取り返しがつかないか

ら、注意してしゃべりなさい。   人の話の腰を折ってはいけない。


   花、無心にして蝶を招き、蝶、無心にして花を訪れる。   災難に逢った時は、災難に逢うがよ

いのでしょう。   死ぬ時には死ぬのがよいのでしょう。 これは災難を逃れる妙法です。   裏を

見せ、表を見せて散る、紅葉かな   迷いだの悟りだのということは知らん。  ましてや名声の利欲



て満ち足りている。

 良寛さんの名で広く大衆に愛されているお方は、書道の達人であります。

 私、実は一時期、心のスポーツと称して毛筆書道に没頭した時期があります。中国の古典の王羲之から

始めて日本の漢字の古典、仮名、など殆どの古典を勉強して、楽しみました。私は実は、子供の頃に強制

的に書道塾に通わされました。文字の習得と言うよりは、落ち着きがなく、行儀が悪すぎるので、週に一

度は正座をして精神修養をする時間を持たされたわけであります。しかし、それは当時の私にとって難行

苦行と言うよりも、拷問に近いものでした。

 しかし、考えてみれば拷問の責め苦で文字が上手に書けるようになるわけはなく、これは学習としては

最悪の形でしたね。それ以来、私は一種の文字嫌いに陥り、文字一般を毛嫌いする悪い癖がついてしまい

ました。大学卒業時まで、私の悪筆の習性は直らず、文字を書くことに対すコンプレックスは病膏肓に達

したのでありました。このコンプレックスは社会に出て、職種柄で脚本家との付き合いが必須で、脚本家

の大先生から原稿を受け取る際に、乱雑に書かれた原稿を、私が清書をしなければならない羽目に陥り、

「古屋君、君の文字はどうでもよいけれども、嫌に汚いね」などと、窘められたりすると、何処か近くに

穴でもあれば逃げ込みたくなるような屈辱を味わわされたものでした。

 そういう経験もあって、このままではいけない。何とかしなくては、基本的な所で弱みを抱えていては

駄目なので、何とか自分の自覚している弱点を克服しなければと、一念発起して、自分流のフリースタイ

ルを決め込んでの毛筆書道三昧がスタートした。酔っぱらっていても、寸暇を惜しまず、筆で文字を出来

るだけ多く書く事を先ず心掛けました。墨や硯も一通り揃えましたが、墨汁を常備して、兎に角、自由に

楽しくをモットーに打ち込んだのでした。正座も無視です。上手に書くのが最終的な目的でありますが、

下手であろうが、形が妙に崩れていようがお構いなしです。筆を持って無心に文字と遊び戯れる。やが

て、文字通りに拷問は雲散霧消してしまい、楽しく至福の 忘我の時間 を経験するようになった。気晴

らしに五分でもと思って筆を執ると、いつの間にか一時間があっという間に経過している。睡眠時間を余

り取れない不眠がちな時であっても、忽ちに眠気を忘れる。

 こう言った滅茶苦茶な研鑽が知らずに十年が経過した頃には、毛筆で文字を書く事、古典を臨書するこ

とが無常に楽しい遊戯となっていました。流儀は自己流ですが、御手本の方は傑出した古典中の古典ばか

りです。独りでに腕が上がって、密かに一廉の専門家気取りになれていたし、文字嫌いの病は払拭され、

あっ晴れ能書家になれたと、独り善がりを誇っているようにまでなった。

 所で、良寛さんの文字ですが、「天上大風」などの真蹟が数多く残っています。一寸見には稚拙で、簡

単に学習することが出来ると感じたのは、素人の浅はかさ、何回丹念に臨書してみても、あの良寛書の細

身ではあるが内部に鋼の如き強靭さを蔵した書体に、近づく事は許されないのです。

 子供らと 共に遊びて 日暮れまで 手毬つきつつ 明日も生きなん

   天上に 大風吹きて 地上では 托鉢姿 好い男なり

     説法は 誰にもせずに 菩薩行 普段着のまま 皆が敬い

   女子にも 笑顔を見せつつ 男子なり 恋文も書く 愛も隠さず

     夢の中 極楽浄土 さながらに 凡愚の如く 酒を嗜む

 良寛和尚様へのオマージュとして、例によって即興の駄作を献呈致します。


          「 毬 子(きゅうし)」

  袖裏(しゅうり)の繍毬(しゅうきゅう) 値千金   謂(思う) われこそ 好手(こうしゅ) 

等匹(とうひき)なしと。   箇中(こちゅう)の意旨 もし相問わば 一二三四五六七(ひいふうみ

いよういつむうなあ) ―― わしの袖の中の手まりは値千金の極上品。わしほどの毬つき上手は世にお

るまい。毬つきの極意を教えよというのか、一二三四五六七、それだけじゃ。


  人生の無常はまことに速やかで、瞬間瞬間に変わって行く。少年の美しい顔はながつづきせず、黒髪

もいつか白糸のようになってしまう。背骨も弓のように曲がり、醜い面皮に深いしわが刻まれる。夜通し

耳なりがし、終日目がかすんでちらつきがとまらぬ。立ち居の都度、ため息を吐き、杖にすがってとぼと

ぼと歩く。いつも思い出は若かった頃の楽しさで、おまけに現在の心配も加わる。げに痛ましいのは、し

なびた老人で、霜枯れの枝のようなものだ。およそ、この世に生まれてきた者は、だれしもこの境に到

る。時は刻々に止まらず、少壮の日は決して長続きしない。身体は日々に衰え、心身は夜々に疲れる。一

たび病気でふせるようになれば、枕やかいまきから離れられなくなる。普段口喧しく言っても、もう役に

は立たない。呼吸が止まってしまえば、眼も耳も鼻も口もはたらかぬ。親戚・縁者が顔を眺め嘆こうが、

妻や子が背なを撫ぜてかなしもうが、その名を呼ぼうが、泣き叫ぼうが、本人は答えもできなければ聞き

分けることも出来ない。暗いよみじを、お先真暗で、しかもたったひとりで行くばかりである。


          「 非人八助 」

 金銀も地位も俸禄もいつまでも己が所有ではなく、終わりは天地に帰するのだが、得といい失といい有

といい無と言っても、本来はいっさい空である。貴人・賤民・凡夫・聖者などの別の実は同一真如の姿な

のだが過去の業が現在の障りをなし、輪廻にあやつられて、各人各様の報いを受けているまでである。両

国橋の下に住んでいた非人の八助が流水にその一命を失ったことは、さぞ苦しいことであったろう。しか

し他日道理の分かった人がこれはどうだと尋ねるなら、「彼こそは川波のまんなかに立っている真如の月

の主人公だよ」と私は答えよう。


           「 白扇の賛 」

 何も描かれていない白うちわこそ深い含蓄があり、少しでも色彩が塗られた第二義門に堕ちてしま

う。何も描いていないとき、すべてがあらわれておる。白扇の中に花がある。月がある。楼台がある。


            「 孔子の賛 」

 異(い)なるかな、これを瞻(み)て前にあるかとすれば、忽然として後(しりえ)にあり。その学

や、切磋琢磨、その容(よう)や、温良恭倹譲(おんりょうきょうけんじょう)、上(かみ)に古人(こ

じん)なく、下に継ぐ人なし。故に、達巷(たつこう)は、わずかに名なきを嘆じ、子路(しろ)はいた

ずらに口を閉ず。孔夫子(こうふうしよ)、孔夫子よ、はなはだ端(たん)なし。ただ、愚魯(ぐろ)な

るものあり。彷彿として、その室(しつ)を闚(うかが)う。

 仏弟子でありながらも、孔子を絶賛する。よいものは良いのだと美点を素直に認めて、儒教は仏教より

下だなどと野暮な事は決して言わない。まことにあっ晴れな態度でありますね。





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最終更新日  2021年03月13日 18時45分49秒
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