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2023.12.06
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カテゴリ: 光圀の諸国への旅
 勤務時間までかなり余裕があるので、湯島界隈にある​ 麟祥院 ​へ参拝。



 麟祥院は徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺である。入口の辺にある春日局の銅像は2019年10月14日に移設された。



 山門の近くに「春日局終焉之地」の石碑もある。



 庫裡の正面である。



 本堂である。春日局が本郷、湯島に隠棲所となる寺院を建立しようと思うことを知った徳川家光は本郷湯島の土地を寺地として贈った。春日局は、寺院を「報恩山天沢寺」と名付け、寛永7年(1630)に渭川周劉禅師を住職として迎え、改めて春日局自身の菩提寺とした。寛永11年(1634)に春日局が渭川周劉禅師から法号を送られたことを喜んだ家光は春日局の法号をもって「天澤山麟祥院」と寺号とすることを命じた。春日局は寛永20年(1643)9月14日65歳で麟祥院で永眠した。



 1887年には井上円了が、麟祥院における建物を借りて東洋大学の前身である哲学館を創立した。そのため、1987年に境内に「東洋大学発祥之地」の碑が建てられた。。



 さらに中に入ると墓所となる。まずは佐倉堀田家の墓所。堀田正俊の正室で、稲葉正成と春日局の嫡孫稲葉正則の娘の墓である。



 右側は山城国淀藩稲葉家の墓所。稲葉正成系稲葉家宗家の墓所ってこと。



 左側は館山藩稲葉家分家の墓所。初代藩主の稲葉正明は、淀藩8代目藩主稲葉正親の三男として生まれ、10代将軍徳川家治の小姓となり、のち御側御用取次をはじめ要職を歴任してきた。田沼時代で田沼意次に同調していたため加増され、天明元年(1781)に1万石の大名、安房館山藩主となり、天明4年(1784)に越前守に叙任され、天明5年(1785)に3000石を加増された。家治の死去で田沼意次が失脚すると、田沼派の排除を図る松平定信によって幕府中枢から排除されたが、館山藩稲葉家の存続は許された。稲葉正明は寛政元年(1789年)に家督を四男の正武に譲って隠居し、寛政5年(1793年)に死去した。享年71。



 春日局の墓所の隣は、稲葉正則の正室で、毛利秀元の娘である正厳院(万菊)の墓である。



 正面は春日局の墓所である。一番立派なものである。








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最終更新日  2023.12.12 19:30:18コメント(0) | コメントを書く
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