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子供の頃を思い出すと、無邪気に夢を見ていたなーと思います。私は、バスの運転手になることが一つの夢でした。これは、21歳の時に大型一種免許を取得し、バスを運転することで叶いましたが、さらに昨年に、大型二種免許(営業バスを運転できる免許)を取得することである意味完全に叶いました。それを職業にするかどうかの問題ではなく、自分の中でこのように夢が現実になることはうれしいですね。他にあげて行きますと、100近くになります。「私がしたいすべてのこと」というリストがあるのです。みなさんには叶うまで秘密ですけどね。例えば、さわりとしては、エベレスト登頂や宇宙旅行、世界の全ての国を旅行するというのも入っています。夢があったら、紙に書き出してみるのがいいと思います。そうしたら、その夢が本当に自分が願っているものなのかを吟味し、さらには、その吟味された夢の実現を信じ、そして、信じた夢が現実となっている姿を思い描き、そして、祈ることです。絶対に、しかも、生きているうちに全ての夢が実現するとまでの保証はできませんが、悲観的な言い方でも、夢を見ないよりははるかにその夢に近づけるはずです。ある夢は、死んだ後に実現することもあります。また、すぐに実現することもありますし、人生の最後に実現したり、ある程度年を取ってから実現するかも知れません。すぐに実現しない可能性は大です。夢とは、普通に出来ることを夢とは言わないからです。不可能に挑戦するようなことが夢です。しかし、夢はそれでも見なければいけないですし、夢は大切です。そして、夢の中で生きたら楽しいし、人生は充実します。そして、きっと、その夢をあなたは実現させることができると思います。夢を見るあなたに神の祝福がナイアガラの滝のように注がれますように。
2008年02月22日
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価値観というものは、親から子に、子から孫にと伝えられて行くものです。聖書には、悪い影響は3~4代続くと書かれていますが、それくらいは尾を引くものだと思いますね。日本人は、一般的に親が子に教える価値観として、「人に迷惑をかけないようにしなさい」という言葉に集約できると思います。お隣韓国人の親が子に教える価値観として、「人に押されない(言いなりとか、負けない)ようにしない」だそうです。これは、韓国と日本の価値観の違いを表していると思います。韓国に、半年以上滞在していたこともありますが、韓国で日本のように黙って、静かにしていたら、都合の言いように言いくるめられてしまって、頭に来るようなことが多々ありました。だから、韓国の人は、自分の意見を強く主張するのです。日本では、強く主張しすぎますと、その意見が退けられて、反対に、静かな人の意見が尊重されて、持ち上げられるように感じます。もちろん、どちらも同じ人間ですから、謙遜な人が愛され、傲慢な人が嫌われるのは同じだと思いますが、韓国人の妻と国際結婚をして似ているようだけれど非なる国であり、同時に、同じ人間であり、必ず分かり合えるということを体験的に学びました。アメリカ人の親が子に教える価値観として、「人に与えなさい」だそうです。アメリカに留学をしたり、ホームステイをしたら、その懐の大きさに驚くと思いますが、与えよう、という心を多くのアメリカの人が持っていますね。ただ、お金に関してはある意味シビアであり、しっかりしていますね。例えば、アメリカに行って、空港にまで迎えに来てもらったとします。そうしたら、「時間を割き、ガソリン代もかかっているのだから20$(ドル)下さい」とはっきりいわれたことがあります。日本人である私が、もし成田空港か羽田空港に迎えに行ったとして、通常は、「ありがとうございます」と言って、向こうから気を使って渡してくれることが多いですが、そうしてくれないからといって気分を悪くすることもないものです。もしそんなお金を期待しているくらいなら、「忙しいので、リムジンバスで新宿まで来て下さい」とそれで終ってしまいますからね。そんな経験をして、日本人はケチで与えないとか、島国根性で閉鎖的で心が狭い、等のことを聞くことがありましたが、外国に行き、異文化に触れて、日本の素晴らしさを知り、かつ、外国の素晴らしさも知ったように思います。だから、海外旅行をすることは素晴らしいですね。それも、若い時に外国に行くのはいいですね。18歳の時、はじめて外国に行ったのがハワイでした。自分の世界観が大きく開けましたね。価値観というものは、外国に行くと大きな違いがありますが、日本国内でも価値観の違いはありますね。水と油というように、どうやっても気が合わない人もいます。そんな人と、無理に付き合ったりする必要はないなーと思いますね。しかし、その相手が、配偶者であったり、親や子であったり、職場や地域で、切っても切れないような関係だったらどうでしょう。それは愛しかありませんね。愛は痛みが伴います。愛することは辛いことでもあります。愛せないと思えることがあります。しかし、それでも愛するのが愛だと思います。価値観の違いを乗り越え、互いに理解し合い、受け入れ合い、共に生きるためにただひとつ。それは愛です。聖書には、「愛は、すべてを結ぶ帯です」と書かれていますが、その通りですね。愛せない人がいると思います。しかし、それでも愛して行きましょう。あなたによいことがナイアガラの滝のように押し寄せますようにお祈り致します。
2008年02月14日
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今回初めて訪問したのが、バプテスト教団のヨンセ教会です。礼拝堂の会衆席は、何と25000人分です。世界最大の教会といわれるヨイド純福音教会が10000人弱と言われますが、その2.5倍の大きさにはただただ圧巻でした。日本で25000人も入るホールを探すのも難しいですよね。また、小さな開拓教会も訪問しました。感じたのは、教会は規模や人数、会堂で優劣が決まるのではなく、教会員がいかに神を愛し、伝道し、互いに愛し合っているか?これが重要だと感じました。それは、どの教会も素晴らしいと感じました。韓国では、最近そのことがよく言われるようになって来ているようです。しかし、世の中にある競争原理は人の心の中に依然として流れていることも事実ですね。韓国には、CBSやCTSというキリスト教のテレビ局が二つあります。(韓国では、プロテスタントのみをキリスト教と呼び、カトリックを天主教と呼びます。黒白はっきりし、妥協のない韓国人にとっては両者は、違う宗教という認識のようです)そのテレビにいつも出演する説教者は、大教会の牧師か、人気のある牧師です。ヨイド純福音教会のチョー先生、サラン教会のオー牧師、ミョンソン教会の金牧師、そして、ヨンセ教会の牧師、その他、数万人の教会員のいる牧師の説教がいつも流れています。また、24時間テレビの電波を流している関係上、ネタ切れもあるのでしょう。チョーヨンギ先生のワールドミッションという番組がありますが、特に私はチョー先生のおっかけをしている訳ではないですが、聖会に参加すると、なぜかいつもインタビューを頼まれます。そして、その録画が何度も何度も流れるそうです。その都度、妻の親戚は大喜びするそうです。韓国の牧師先生の多くは、伝統的、保守的で厳しいメッセージを語る牧師が多く感じます。しかし、たくさんの群集の集まる教会は、やはり人々が聞きたいような愛のメッセージ、祝福のメッセージ、いやされるメッセージが語られていますね。厳しさも時には必要ですが、愛に裏打ちされた厳しさでないと、恵みにならないように感じます。もちろん、愛あいアイばかりでも腑抜けになってしまいますが、神の愛は、~にも関わらず私たちに完全な形で与えられていることを感謝したいですね。今回のツアー(短期宣教旅行)は、祈りにはじまり祈りで終わり、礼拝にはじまり礼拝に終わりました。かつ、堅苦しいのではなく、自然体で、かつ、笑いと安らぎと恵みに満ちていたと思います。次回は、みなさんも一緒に行きませんか?みなさんの上に、神の愛が大波のように豊かにありますように。
2008年02月11日
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今日は、ある家庭集会に行って奉仕をして来ました。この集まりはいつも水曜日で、私が帰り道に立ち寄るガソリンスタンドの割引きデーです。先日、近くのガソリンスタンドで、「7円引き」の看板に引かれて入ってみて「リッターいくらですか?」と聞いてみますと、「162円です」と耳を疑うような値段でした。私が乗っている車は、昔ながらのレギュラーガソリン仕様です。それが7円引きで162円というのは腑に落ちない感じでした。「ここは山手通り沿いですから高いのです」と、「わかりました。すいません」と一言言って出て来てしまいました。やはりどう考えてもレギュラーガソリン1リッターで162円は高すぎます。今日、集会の帰りに立ち寄った行き付けのスタンドは、何と!?139円。百サンキュウーです。思わず「サンキュウー!」と口走ってしまいました。ガソリン高騰で財布が厳しい中、「これだよね!」という気持ちになりました。うれしいことがあったら、ラッキーなことがあったら、すかさず、「サンキュー・ジーザス!」と神に感謝の祈りをささげたいものですね。私は、このようにうれしい時、神に感謝の祈りをささげます。そうしたら、嫌なことがあったらどうすると思いますか?聖書には、「すべてのことに感謝をしなさい」と書かれています。そう。私は、嫌なことがある時にも感謝をします。いつでも、どこでも感謝です。感謝できない時にもです。なぜならば、1、感謝こそが力だからです。私は、「かんしゃのかんの」です。2、私に起こるすべてのことは、神の許しがあり、「神が一番いい」と思われたので起こっているのです。ダビデ王をののしる人が聖書の中に出ていますが、彼はそれに対して反発せず、「神がそうさせている、それを許しておられる」とそのことを受け入れ、感謝している姿を見ます。私たちに取ってうれしいことはもちろん神に感謝しましょう。しかし、うれしくないことも、上記2つの理由ゆえに神に感謝をささげましょう。マイナスと見え、思えることも、神の目には最善です。絶対に最善です。神を信頼し、全てのことに感謝を致しましょう。嫌なことに不平をいい、腹を立て、怒りをあらわにする事は難しいことではありません。自分の感情に素直なことは悪いことではないでしょう。しかし、不平不満はサタンに隙を与えることです。サタンは、その隙を口実にして、私たちをさらに不機嫌にさせ、否定的な悪循環という罠に陥れてしまいます。あなたが嫌なことに腹を立て、不平不満をいうのはサタンの思う壺です。ですから、サタンや悪霊充満になりたかったら、腹を立て、不平不満をいうことです。しかしあなたも私と同じように、感謝をする人であることを期待します。感謝したら、悪魔は逃げ去って行きます。ある弁護士は、相手の証人が腹を立てるような質問を繰り返して、腹を立たせて、自分の依頼者に取って有利な展開にしようとします。サタンは、人を通してあなたに腹を立てるように仕組んでいます。あるいは、ある環境を通して不平不満を言うようにたくらんでいます。どうぞ、それに負けないで、100倍の感謝でサタンに応酬して参りましょう。サタン悪魔は、あなたが感謝をする時に逃げ去っていきます。そして、あなたが感謝をする時に、あなたの環境と運命は好循環になって行きます。あなたによいことがナイアガラの滝のごとく流れますようにお祈りします。読んでくださってありがとうございます。
2008年02月06日
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