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おはようございます。今日から2月。寒い日が続きますが、魚は寒い時ほど身が引き締まって美味しくなると言われますが、私たちの人生も同じように、中身のある人生となれたら素晴らしいですね。 今日は、「新約聖書」の一番最初に出て来る「イエス・キリストの系図」についてお話したいと思います。 聖書は、「66冊」の「本」が「1冊」となった「本」です。「新約聖書」の1ページ目に出て来るのは「マタイによる福音書」で、この書は、「ユダヤ人」に向けて書かれたものです。 ユダヤ人は、「系図」を非常に重んじます。「旧約聖書」には、「キリストはダビデの子孫」として生まれると「預言」されていました。 「イエス」は、「ダビデの子孫」であるとの「系図」を示し、さらに、イスラエルの祖先である「アブラハム」にまでさかのぼった「系図」を示しました。 「イエスの系図」には、4人の女性の名前が出て来ます。 1、「タマル」・・・彼女は義父と不適切な関係を持った人です。 2、「ラハブ」・・・彼女は売春婦です。 3、「ルツ」・・・彼女はイスラエルに取って救われないとされた異邦人です。 4、「ウリヤの妻バテシバ」・・・彼女は夫の留守中に不倫をした人です。 聖書が書かれた時代には、「女」や「子ども」は、人間の数を数える時に数に入らない存在でした。 そんな時代に、あえて、問題のある「女性」が「イエス・キリストの系図」に入れられているのでしょうか? イエス・キリストは、数に入らないような人、失敗した人、罪深い人を「赦し」「救い」「神の家族」として下さることがここに示されています。 「威厳」や「かっこ良さ」はありませんが、ドブの中を這うようにして、クリスマスに人間の姿を取ってこの世に来られたキリストを示しています。 キリストは宗教家ではなく、神から遠く離れ、失敗し、罪にまみれた私たちを救うために、私とあなたのただ中に来られた救い主です。 キリストは、家畜小屋の飼い葉桶の中に生まれました。私たち人間の本当の姿を表しています。きれいな場所ではなく、汚く、不衛生な場所に来られた救い主です。 今日、心の中にキリストを迎え入れませんか? 私もあなたも、「イエス・キリストの系図」の中に入れられていることを思って、自分を大切にし、一回だけの繰り返すことのできない人生を最高に生きて行きましょう。 今日も素晴らしい一日でありますように祝福を祈ります。
2013年01月31日
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facebookやmixiなどのSNSに「いいね!」という機能があって素晴らしいのは、多くの人は、「ここがよくない!」などの不満は口にしやすいけど、「ここが好き!」「いいね!」というのはあまり表現しないものだなーということをネットを使ってコミュニケーションをして10年になりますが、感じて来たからです。 ご存知の「2チャンネル」などの匿名サイトでは、誹謗中傷の温床になっています。もちろん、「2チャンネル」の中には真実がありますし、内部告発のようなことも行われましたので、重要な働きをしていますが、これができるのは匿名で投稿できるからです。 SNSは、基本的に実名登録で、実名で投稿しますので、ほとんど誹謗中傷をする人はいないし、それだけでも素晴らしいのに、さらに、「悪いね!」「まあまあ」みたいな機能を省略して、「いいね!」「コメント」「シェア」とシンプルです。「いいね!」の素晴らしいのは、今まであんまり「いいこと」を「イイ」と言わなかった人までもが、「いいね!」を押すことにより、肯定的な気持ちになりますし、「いいね!」と言ってもらった人も言ってくれた人に対して、うれしくなり、親しみを感じ、良い人間関係が築かれます。 「いいね!」には、他に、「投稿を見たよ!」「応援しているよ!」「祈ってるよ!」「大丈夫だよ!」というような意味も込めることができます。ただ、気をつけなければならないのは、「いいね!」に対しての認識に個人差がありますので、例えば、「私の親が亡くなりました」「今入院しています」「リストラされました」などのマイナスの出来事に対して「いいね!」を押すと、こちらは、「応援」や「祈ってるね」や「大変だったね」などのメッセージを込めて押したつもりでも、つらい状況の時に、「あの人は『いいね!』と思ってるの!?まあ失礼な!」と気分を害してしまう人もいるので、そういう時には、「いいね!」ではなく、コメントで慰めの言葉を伝えてあげるといいかも知れませんね。 私は、SNSで「いいね!」の力を感じて、これを実際の人間関係においても応用して行ったらいいのではないかと感じます。陰口を含めて、マイナスの言葉を極力使わず、相手をほめたり、受け入れたり、応援する言葉だけを使って行くこと。仮に、相手を愛するあまり、叱ったり、注意したり、批判しなければならない時には、「10」のうち「9」をほめて、「1」を叱るくらいにしたら丁度いいのではないでしょうか。 人間関係も「いいね!」で行きましょう。 四つの人間関係のスタンスがあります。 私はOK!あなたもOK! 私はOKだけど、あなたはダメ! 私はダメだけど、あなたはOK! 私もダメだけど、あなたもダメ! 健全な人間関係は、 私はOK!あなたもOK!です。 ネット上でも、リアルでも、良い人間関係を築いて行きましょう。良い一日でありますように。
2013年01月30日
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「人生は、やろうと思って進むのに空回りすることがある。それは正しいギヤーに入っていないのかも知れない。そんな時、主に信頼し、主と共に歩む前進ギヤーにシフトしよう。人生はそこからスタートします。今日も、神様と一緒に歩む一日でありますように。」 「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:3~5)
2013年01月28日
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おはようございます。今朝は雪が舞っています。もしかしたら、今日も積雪するかもしれません。足元に気をつけてお出かけください。 10日間の関西・東海宣教旅行を終えて、夢から覚めて現実に戻りつつあります。 昨晩は、教会の集会後、参加者のみなさんが帰らないで、夜遅くまで盛り上がっていました。もっともっと色々話をしたいくらいでしたが、私が、消防団の夜警活動があるので、夜9時少し前に解散しました。 熱く燃えた心を消火するのが消防団ということではありませんが、団員とともに、消防車に乗り込み、赤色灯を回し、「火の用心」を伝える時に、心は現実に戻されます。 今朝は、これからPTAの校外活動に行って来ます。校門前で、通学路に車やバイクが入らないように交通整理をしながら、通学中の子供たちにあいさつをします。うちの子供たちも通学しますので、「あれパパ。今日当番なの?」と目を丸くしながら通って行く顔を楽しみにしていますので、当番であることを知らせないで出かけます。 お昼前から、「ハレルヤ牧師会」があります。食事を入れて6時間の有意義な交流会を行います。会場は、ここ「新宿福興教会」なので、PTA活動を終えたら、準備に追われます。 「ハレルヤ牧師会」は、夕方5時頃終わります。終わった頃、参加した半数くらいの牧師先生たちと共に、「バイブル・メッセージ」の「生放送」を行います。もし夕方5時頃、ネットの前やスマホを片手に見て下さる方は、下記3つのURLから選んでご覧になって下さい。 (放送は、他の話し合いなどが行われる場合は中止になることもあります。その場合は、すいませんがご理解よろしくお願いします。) 新宿福興教会のホームページの生放送からご覧ください。 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ ニコニコ動画から生放送 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TVから生放送 http://www.stickam.jp/profile/pastor 放送が終わったら、夜6時から歯医者です。ますます現実に戻りますね。 「夢と現実」は、夏休みや冬休みになどの連休に家族旅行に出かけたり、海外旅行に行ったり、レジャーに行って、日常生活に戻る時に感じます。いつまでも夢の中にいたいものですよね。柔軟な人は、サッと頭の切り替えができますが、不器用な人は、夢をしばらく引きずります。 私たちの毎日の生活は「現実」です。しかし、その現実を生きながらも、同時に「夢」の世界を生きることができます。「夢」を持って「現実」を生きることです。 みなさんの心にある熱い願望、使命、目標などを、心に「夢」や「幻」として描いて、その実現を信じて生きることです。 聖書には、神の霊である「聖霊」に満たされる時に、「夢と幻」を見るようになると書かれています。信仰とは、現実を直視しつつ、夢を信じて生きて行くことです。 目に見えず、耳で聞こえず、手で触ることができなくても、神の約束の言葉である聖書を信じて生きるのが信仰者です。 聖書には、「わたしを強くして下さる方によって、何事でもすることができる」(ピリピ4証13節)と書かれています。 神さまは、私たちに無限の可能性を約束してくれます。夢を信じて生きることを通して実現します。 ある人は、「そんな夢のようなことを言って?!」と言うかもしれません。しかし、夢のようだから夢なのです。 「現実」にしばられて生きることは、「井戸の中の蛙」に似ています。「夢」は、井戸の中に住んでいた蛙が、井戸から飛び出して、井戸の外の世界を生きることと似ています。 夢を持って、今日一日をスタートしましょう。現実という井戸から飛び出して、井戸の外を、ゆうゆうと生きて行きましょう。祝福を祈ります。
2013年01月27日
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昨日の夕方5時頃、帰宅しました。 どこに行ってもリラックスして過ごしているつもりですが、自宅に帰って振り返ってみると、関西、近畿では緊張の連続でした。今は完全にリラックスしています。やはり、自分の家が一番ですね。 昨日は、「自宅」と「教会」と「天国」のお話をしました。今日も同じテーマでお話します。 「自宅」にいるととても楽ですね。それは、「ありのままの自分」でいられるからです。服装もラフな格好でOKです。自宅でネクタイをしめて、スーツを着ている人はまずいないでしょう。ある人は、下着でいるでしょう。自分のかっこ悪い部分を見せても、家族は愛をもって受け入れ合います。このようにありのままの自分でいられる場所が、誰にも必要なのです。そこで一日の疲れをいやし、また翌日、元気に仕事や学校などに出かけて行けるからです。 「教会」も、あるがままでいられる場所です。神の家族が日曜日ごとに集まり、神を礼拝し、互いに愛し合い、支え合います。教会では、誰も裁かれません。あるがままを許し合い、受け入れ合い、愛し合う場所です。本当の姿をさらし合いながら、神の愛に触れて成長していくのです。神の言葉を聞き、一週間の疲れをいやし、充電されて、月曜日から土曜日まで全力投球で働きます。 「天国」は、魂の本当の古里です。私たちには、それぞれ自分の生まれ育った故郷があります。故郷は、とてもなつかしく、居心地のいい場所です。そこには、争いも、病も、涙も、悲しみもありません。みんなが愛し合って、喜んで楽しく永遠に健康に生きられる場所です。天国は、魂の古里なのです。人は、神によって造られ、生かされています。天国からこの地上に遣わされました。天国こそ、魂の古里であり、本当の故郷です。 「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」(ローマ人への手紙11:36)と聖書に書かれています。人も、神によって造られ、神と出会って救われ、やがて神のおられる天国に帰ります。 人は、一度の地上での人生を終えたら、元々いた天国に帰ります。死とは、「死亡」、つまり「死んで亡くなる」のではなく、「天に召される」、つまり「召天」です。「そろそろ戻って来なさい」と、神様が召して下さった時に、人はこの世を離れます。そして、魂の古里の天国に帰ります。天国は、本当になつかしく、最高に居心地のいい場所です。 天国に行くためには、「天国のパスポート」を手に入れなければいけません。イエス・キリストを信じることによって、「天国のパスポート」を受け取ることができます。聖書には、イエス・キリストを信じなければ、誰でも神のいない永遠の滅びの世界(地獄)に行ってしまうと書かれています。 世界の約22億人がイエス・キリストを信じて、「天国のパスポート」を手に入れました。でも、世界の40億人以上がまだ天国のパスポートを手に入れていません。日本の99%にあたる1億2千万人以上が、「天国のパスポート」を持っていません。残念ながら、「天国のパスポート」がなければ天国に入れません。 「天国のパスポート」を手に入れるために、どうしたらいいでしょう?大金で買う必要があるでしょうか?立派な人にならないといけないでしょうか?ある宗教の悟りの境地に達しなければいけないのでしょうか? 聖書によれば、「天国のパスポート」を手に入れるためには、ただ一つの方法しかありません。魂の救い主であるイエス・キリストを信じることだけなのです。それ以外には天国に行く方法がないのです。 言いかえれば、本当は自分は神によって造られた存在であるのに、それを知らずに自分勝手に生きてきたことに気がついて、悔い改めて神に立ち返るために、イエス・キリストの救いを信じて受け入れることです。つまり、イエスさまを自分の心の中に救い主としてお迎えすることです。 「イエス・キリストを信じる」ことが「天国のパスポート」なのです。イエスさまがあなたを救って天国に連れて行ってくださるからです。もしあなたが、「天国のパスポート」をまだ持っていないなら、今日、イエスさまをあなたの救い主として受け入れませんか? 教会に来たら、もっと詳しく聖書から天国の話を聞くことができます。教会はあなたの魂の自宅のようなところです。いらっしゃいませんか? http://www.geocities.jp/sgr_ch/(新宿福興教会)または、お近くの教会へ。そこで、一週間の疲れをいやし、一週間の歩みのために充電をして下さい。 人はいつ死を迎えるか誰も知りません。万が一にも、地獄に行ってしまったら大変です。人生で一番大切なことは、イエス・キリストを信じて、「天国のパスポート」を手に入れることです。 今日も最後まで読んで下さりありがとうございます。良い日曜日でありますように。
2013年01月26日
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おはようございます。今日は関西宣教旅行の帰宅の日です。あっという間にこの日を迎えてしまいました。 昨日は、お昼ころ四日市に着きました。車の外に出て驚いたのは、風が強く、寒かったことです。昨年四日市に来た時は、台風が直撃した時で、大変な状況だったことを思い出します。少し外を歩いているだけで凍ってしまいそうな寒さで、今年も、思い出深い一日でした。 10日間の関西宣教旅行では、「9か所の教会」と「9か所の集会や会合」で奉仕をし、講演、演奏、歌、カウンセリングなどを行いました。あっという間でした。新しい出会い、再会、そして、名残惜しい気持ちを持ちながら別れは、喜怒哀楽の「怒」以外を感じ、笑い、涙、寂しさを経験しました。 色々な思いを胸に秘めながら、帰路に着きます。車で、約5~6時間くらいのドライブになると思います。 帰宅したら現実に戻ります。そして、家族との再会が楽しみです。愛する妻、4人の子どもたちと早く会いたいです。 ところで、教会は神の家族です。教会は、日曜日に行く場所というより、帰る場所と考えた方がピッタリ来るのではないかと思います。 明日は日曜日です。教会にお帰りなさい。神の家族が共に神を礼拝し、心を通わせましょう。日曜日の教会は、神の家族の帰宅です。 さらに、本当の帰宅は、天国に行くこと。天国に帰ることです。 人はみな、いつか死にます。しかし、死は天国への通過点であり、天国の入口です。死は決して怖いものではありません。死を恐れる人は、死をまだ一度も経験したことがないから怖いのかも知れません。死後にどうなってしまうのかわからず、天国に行けるかどうか不安だからかも知れません。 天国に確実に行く道があります。2013年前のクリスマスに、救い主イエスがこの世に誕生し、天国への道をつくられました。 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれ でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」 (ヨハネによる福音書14 章6節)と聖書に書かれています。 天国への道を歩みはじめるためには、 1、 イエス・キリストが私の罪の身代りに死なれた 2、 死んだ後に墓に葬られた 3、 三日目によみがえられた この3点を信じることです。信じる人は直ちに救われ、天国のパスポートを頂くことができます。 私は、もう少ししたら帰路に着きます。早く帰りたいです。みなさんは、自宅が好きですか? 自宅はホッとしますよね。 明日の日曜日は、神の家族のいる教会に帰宅しませんか? そして、本当の自宅、本当の古里である天国に行く準備をしませんか? 「地上では旅人であり寄留者である」(ヘブル人への手紙11章13節)と聖書は語ります。私たちの一生は旅みたいなものです。では、旅の目的地はどこでしょうか?先ほどから話している天国です。 「帰路に着く」というには、「帰り始めること」を指します。イエス・キリストを救い主と信じて、天国のパスポートを手に入れたら、「天国への帰路に着く」ことになります。共に、天国への帰路に着きましょう。 寒い一日になりそうですが、素晴らしい旅の一コマとなりますように。
2013年01月25日
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おはようございます。昨晩は、尼崎の教会で集会を行い、講演とゴスペルの弾き語りを行いました。参加したみなさんと一緒に食事をし、とても温かく良い集まりとなりました。 昨日の朝に引き続き、小学生たちにあいさつをしてから、尼崎を離れます。あいさつで関係ができた小学生たちが教会に来て、ちょっと疲れてしまうくらい遊びました。そんなこともあり、名残惜しいですが、今日は、三重県の四日市に向かいます。一年ぶりです。 三重県の四日市は、「関西」であり、「近畿」とばかり思っていましたが、天気予報の区分を見ると「東海」に入っています。 日本は一つの国ですから、そこに線を引いて区分することは簡単ではないと思います。 宇宙パイロットが、宇宙から青い地球を見て、日本は島国ですが、国境線はどこにも引かれていないというのはうれしい話ですね。まして、日本に都道府県の境の線はありません。日本は一つの家族。世界は一つの村であると思います。 こんな詩があります。 「もし世界が100人の村だったら」 誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで 全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう その村には… 57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます 52人が女性で 48人が男性です 70人が有色人種で 30人が白人 70人がキリスト教以外の人たちで 30人がキリスト教 89人が異性愛者で 11人が同性愛者 6人が全世界の富の59%を所有し その6人ともがアメリカ国籍 80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません 50人は栄養失調に苦しみ 1人が瀕死の状態にあり 1人は今生まれようとしています 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け そして1人だけがコンピューターを所有しています もしこのように縮小された全体図から 私達の世界を見るなら 相手をあるがままに 受け容れること 自分と違う人を理解すること そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは 火を見るより明らかです また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう もしあなたが今朝目が覚めた時 病気でなく健康だなと感じることが出来たなら …あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより恵まれています もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩 あるいは飢えの悲痛を 一度も経験したことがないのなら… あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています もしあなたがしっこく苦しめられることや逮捕拷問 または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら… あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています もし銀行に預金がありお財布にお金があり 家のどこかに小銭を入った入れ物があるなら… あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です もしあなたの両親がともに健在で そして二人がまだ一緒なら …それはとても稀れ なことです もしこのメッセ-ジを読む事ができるならあなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう 何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて その上あなた は全く文字の読めない世界中の20億の人々より ずっと恵まれているからです 昔の人がこう言いました 「我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来る」と お金に執着することなく喜んで働きましょう かって一度も傷ついたことがないかのごとく人を愛しましょう 誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう 誰も聞いてないかのごとくのびやかに歌いましょう あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう ※作:K.Leipold ※訳:なかのひろみ 今この時、この私、この状況を感謝し、互いに愛し合って生きて行くことを教えてくれていると思います。 聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ5:16~18) さらに、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ福音書15:12)と教えます。 私は、日本のあちこちを旅することが時々ありますが、日本は一つだなー、また、いくつかの外国を旅することがありますが、世界は一つだなーと感じます。 そのことを考えると、戦争は愚かだなーと感じます。日本が一つの家族となり、世界が一つの村となるように、今日も祈り、神の愛を伝え、出会う人にその愛を分かち合って行きたいと思います。 インターネットを通して出会うみなさんと心通わすことができて、とても幸せです。ありがとうございます。みなさんに祝福がありますようにお祈りします。
2013年01月24日
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おはようございます。気持ちのいい朝です。みなさんお元気ですか? 昨晩から、兵庫県の尼崎に来ています。大阪のすぐ隣りですが、面白いことに、電話番号の局番が大阪と同じ「06」です。確か、東京でも23区に隣接している地域では、神奈川県でも「03」の局番の地域があったのではないかと思います。 昨日は、大阪豊中の教会で「伝道集会」が行われました。「伝道集会」とは、クリスチャンでない人に、「聖書の入口のお話をしますので、聞きに来て下さい」という集会です。私は、その集会の講師として講演をさせて頂きました。 教会のみなさんは、数週間、毎朝集会にお誘いするチラシを配布したそうです。その数は数万枚だそうです。さながら農夫が畑に種をまくようなものだと感じます。 「涙と共に種をまく人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」(詩編126:5~6)と聖書に書かれています。 うれしかったことは、二人の新来者が参加され、そのお二人が「イエスさまを自分の救い主と信じます」と一緒にお祈りしてくれたことです。私は、すべての疲れが取れましたし、教会のみなさんは、「涙と共にまいた種を、喜びの歌と共に刈り入れる」農夫の気持ちだったのではないかと思います。 今朝は、尼崎にある教会に来させて頂いています。この教会の牧師先生は、毎朝、教会の前で登校する小学生たちに「おはよう!行ってらっしゃい!」のあいさつをするそうです。私も、これから一緒に小学生のみんなに元気なあいさつをしたいと思っています。 一時期、私も、毎朝駅の前で同じようなことをしていたことをなつかしく思い出します。 あいさつは、自分から心を開いて、相手と心を通わすことです。人間関係はあいさつにはじまり、あいさつで継続され、深められ、あいさつでしめくくります。 こちらからあいさつをしても、あいさつを返してくれない人もいるかも知れません。また、知り合いなのにあいさつをしていない人もいるかも知れません。しかし、今日、勇気を持って、こちらから心を開き、あいさつをしてみませんか? きっと、関係が深まったり、心を通わすことができて、感動するのではないかと思います。相手からあいさつをしてもらうのを待つのではなく、こちらからやってみませんか? 今日も、きっとすばらしい一日になると信じます。祝福をお祈りいたします。
2013年01月23日
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「レ・ミゼラブル」を書いたフランスの詩人であり、小説家である「ヴィクトール=マリー・ユゴー(Victor-Marie Hugo)」は、『人生 最上の幸福は 自分自身の いかんにかかわらず 愛されているという 確信である』と言いました。 人が最上の幸福感を感じる時は、「愛されている」という実感がある時です。私たちは、この「愛されていると」いう実感が必要な存在です。 人は、生まれてから3歳くらいまで、親からの無条件の愛を受けるものです。無条件の愛が必要だからこそ、赤ちゃんはかわいらしくあるのではないかと思います。 しかし、3歳を過ぎたくらいから、無条件の愛は条件付の愛に移行し、教育がはじまります。教育が教育となるためには、3歳くらいまで無条件の愛を受けた土台が必要です。教育とは、「そのままではダメですよ」というメッセージだからです。 多くの若者が、適切な教育を受けなかったことによって、わがままになり、人の話が聞けず、社会に適応できなくてニートや精神病や引きこもりになってしまっています。 親御さんから相談を受けて話を聞いていますと、非常に優しい方々なのでびっくりすることがあります。もしかしたら、わがままな姿に対して教育をしないで、「いいよ、いいよ」と言って、言われるままに物を買って上げたりしたのかも知れません。あるいは、反対に、無条件の愛を十分に注げなくて、教育が教育として受け止められなかったのかも知れません。 もし無条件の愛を受けそこなったとしたら、今からもう一度受けることは限りなく不可能に近いです。 人は、無条件の愛を恋愛や結婚をしますが、そこに無条件の愛はありません。相手も無条件の愛を求めている人だからです。 お金を出したら無条件の愛を手に入れることが可能でしょうか? お金のあるうちは、多くの人が近づき、無条件の愛があると感じるかも知れませんが、「金の切れ目が縁の切れ目」です。 権力を持ったら無条件の愛を受けられるでしょうか? 権力があるうちは、たくさんのゴマをすり、近づいてきます。しかし、何らかのことで権力を失ったら、蜘蛛の子散らすように人々は去って行くものです。 無条件の愛は、絶対に必要なものなのに、一体どこに行ったら受けられるのでしょうか? たった一つだけ無条件の愛を受ける方法があります。イエス・キリストの十字架を通して与えられる神の愛です。神の愛は、今、この瞬間も、あなたが信じるなら与えられる愛です。3歳までに受けそこなった無条件の親の愛をはるかに超えるものです。 だから神にあっては、人生をどこからでもやり直すことが出来るのです。 私は、18歳の時に神を信じてクリスチャンになりました。それから、たくさんの紆余曲折がありましたが、一つだけ失わなかったものがあります。神から愛されている実感です。図々しいくらいに、「神は私を愛して下さっている!」と感じています。 愛されている実感は、どんな状況にあっても、どんな試練が押し寄せたとしても、喜びと平安と幸福感を失うことがありません。 あなたは、親の無条件の愛を受けられなかったかも知れません。何らかの事情で、親の愛を知らない人もいるかも知れません。神は、孤児の父です。「たとい親があなたを捨てたとしても、私はあなたを捨てない」方です。 神は、キリストの十字架を通してあなたを無条件の完全な愛で愛しておられます。この事実を信じて下さい。無条件の愛こそ、あなたに絶対不可欠な人生の土台なのです。この愛があれば、どんな教育も素直に受けられますし、どんな逆境をも乗り越えて行く力となります。 無条件の愛とは、あなたの現在の行い、あなたの過去に左右されない愛です。 神の無条件の愛を受けるために、神の御前に進み出て下さい。キリストは、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』とあなたを招いています。無条件の愛はそこにあります。悲しみは喜びに変えられ、傷はいやされ、どんな時にも大丈夫という平安が心を満たします。祝福を祈ります。
2013年01月22日
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おはようございます。寒い日が続きますが、元気に過ごされていますか? 寒中見舞い申し上げます。 私は、時々、思い出したように、部屋で上半身裸になって「乾布摩擦」を行います。体の血行が良くなり、体調が良くなるように感じます。みなさんも「乾布摩擦」をされてみたらどうでしょうか? プロスキーヤーであり、登山家の「三浦雄一郎」さんは、「乾布摩擦」を日課としているそうです。一日は、乾布摩擦と共にはじまり、乾布摩擦で終わるかどうかはわかりませんが、エベレストに登頂した時も、乾布摩擦を欠かすことがなかったらしく、極寒と猛吹雪のテントの中でも、いきなり裸になって、ゴシゴシと乾布摩擦をする姿を見た外国人たちは、目を丸くして驚いたようです。 私は、さすがに一人にならないとやりませんが、「乾布摩擦」は体の血行が良くなり、疲れも飛んで行きますので、旅先でも行います。 昨晩から、東京でも二回目の降雪があるという予報でしたが、積ったのでしょうか? 大阪は雨です。全国的に寒い日が続きます。どうぞ、お体に気を付けて、素晴らしい一日を過ごして下さい。 ノロウィルス、インフルエンザA型などのウィルス性の風邪が流行っています。外出後は「うがい」と「手洗い」をし、外出時には必要に応じて「マスク」をすることがわが身を守ることになります。 また、体の健康だけではなく、心の健康も大切です。否定的・破壊的な考えから心を守って下さい。否定的・破壊的な思いはウィルスのように、心の中に入り込むと心を病ませてしまいます。うがい・手洗いをするように、祈りによって心を洗い、マスクでウィルスを防御するように、心の中にマイナスの思いが入らない防御しましょう。 「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23) 「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル書11:1) 今日もよろしくお願いします。 今日は、昨日案内をしましたが、「オープンセミナー」にいらして下さったらお会いできます。また、午後2時から「オフ会」をします。(昨日の投稿をご覧下さい) 明日は、「マラナタ教会」で「講演」します。お近くの方は良かったらいらして下さい。 ★特別伝道集会 2013年1月23日(水)午後2時~ 場所:マラナタ教会 大阪付豊中市服部豊町1-9-14 講師:菅野直基 会費:無料(席上献金あり)
2013年01月21日
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おはようございます。今日21日、兵庫を後にして、再び大阪に戻ります。 今日は、「日本民族総福音化運動協議会」の「理事会」と「ブロック長会」が「大阪クリスチャンセンター」で行われます。これは、関係者だけの会議ですが、明日は、どなたでも参加できるオープン集会があります。 ★オープン集会 2013年1月22日(火)午前10時から12時まで。 場所:大阪クリスチャンセンター201号 テーマ:日本文化に秘められた福音の影 講師:神学博士・牧師 神田宏大師 会費:1000円 もし会場にいらして下さればお会いできます。ピアノを弾いて歌っているのが私です。 また、午後2時からは、オフ会を行います。 ★大阪オフ会 2013年1月22日(火)午後2時から夕方位まで。 場所:かごの屋 清水谷高校前店 会費:飲食代の実費 出会いは、神様が下さる最大級の祝福だなーと感じます。 「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒の働き2:46~47)
2013年01月20日
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おはようございます。昨日は、朝から晩まで、とても中身の濃い一日でした。 「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(ペテロ第二3:8)と聖書に書かれていますが、まさに千年のような素晴らしい一日でした。今日も、昨日同等以上に素晴らしい一日になると信じます。 今日も日曜恒例のジョークから。 ある日、イエス・キリストが水の上を歩いて渡る奇跡を起こしたガリラヤ湖畔に旅行客がやってきた。 湖の向こう岸へ渡る船があるというので行ってみると、「一人50ドル」という看板があった。 「なんてこった。たったこれだけの距離で50ドルも取るのか! イエス様も歩いて渡るはずだ」 この話はジョークですが、イエス・キリストの弟子のリーダーであったペテロも同じガリラヤ来湖を歩きました。 しかし、ペテロは湖の上を歩いたのではないと思います。キリストはペテロに、「歩いて来なさい!」と言われたので、ペテロはその言葉を信じて、従ったのです。 ペテロは、キリストの言葉の上を歩いたのです。 聖書の創世記を見ると、神が言葉で天地を造られたことが記されています。 「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。」(創世記1:1~3) 「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ書55:11) 「神の口から出る言葉は、必ずその通りになる」と聖書は語ります。 話は戻りますが、ペテロは、湖の上を歩いたのではなく、キリストの「歩いて来なさい」という言葉の上を歩きました。 ペテロがキリストの言葉を信じて、キリストだけを見ていた時は、さながらガリラヤ湖を歩いているように見えました。 しかし、ペテロは、ガリラヤ湖の波を見ました。そして、理性的になり、我に帰りました。「私は人間だから、湖の上を歩けるはずがない?!」その瞬間、ズブズブズブと沈んでしまいました。 このできごとは、私たちが、キリストと聖書の言葉を信じていれば、その言葉の上を歩き、問題や試練の湖の上を歩き勝利できますが、自分の理性や経験によって神と聖書の言葉を疑うなら、問題や試練の中に沈んで溺れてしまうことを教えます。 神ご自身とその約束の言葉を信じて今日も歩んで行きましょう。「神の言葉は必ずその通りになります」信仰を持って歩むみなさんに祝福がありますように。
2013年01月19日
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おはようございます。関西3日目を迎えました。今日は、大阪に別れを告げて、兵庫県に行きます。「宝塚」「多聞」「神戸」「加古川」「高砂」とはしごします。 明日(20日)の日曜日は、午前中に「宝殿イエス教会」で礼拝説教、午後は「高砂教会」で礼拝説教をさせて頂きます。大阪の何人かの方が、「お会いしたいです」と言って下さったので、日曜日の予定をお話したら、「遠いですね…(*^_^*)」と言われました。しかし、お近くの方がいましたらどうぞ“ヘ(゜▽゜*) 出会いとは、「出る」+「会う」と書きます。心を開き、自分の殻から飛び出して相手の懐に飛び込み、相手と会うことだと思います。出会いは、気持ち次第で起こるのです。同じ空間にいても、「近くにいた」というだけのこともありますし、ネット上であっても、「人格的な出会い」を経験することもあります。もちろん、その出会いは、やがて実際にお会いし、関係を深めて行くことになりますよね。 今日も新しい出会いを楽しみにしています。期待とドキドキですo(@^◇^@)o 『人生は出会いで決まる』(マルティン・ブーバー) この週末、思いがけず素敵な出会いがあるかも知れません。素敵な週末でありますように。
2013年01月18日
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おはようございます。私は、昨日の夕方、大阪に着きました。車で東京から500km。7時間かかりました。気楽にドライブできる距離ではありませんが、それだけに、大阪に来た!という実感があります。 そういえば、先日、安陪総理大臣が大阪の橋本市長と会談するために大阪まで来られましたが、一国の総理が大阪市長に会いに行くというのは、500kmの物理的距離以上の重みがあったと思います。始まったばかりの安陪政権が良い政治を行うことができますようにお祈りして行きましょう。 私は、沖縄以外、日本各地に行きましたが、どこも大好きです。その中で、東京を除くと、特に大阪が好きです。色々なところで対照的で、刺激的です。以前、ラジオ番組に出演するために、日帰りで東京と大阪を往復したことがありますが、東京駅では、エスカレーターに左側に乗りますが、新大阪駅に着きますと、エスカレーターの右側に乗らなければなりません。使われている言葉は明らかに違います。食文化も違います。 また、大阪に来て感じるのは、土足で人の心の中に入って来る人が多くいます。最初は、刺激的ですが、3日も過ぎると、それが心地良く感じます。心と心の距離が近く、気楽に話していいのだと感じます。逆に、大阪の人が東京に来ると、最初は寂しく感じるかも知れません。 昨日は、まず「箕面」に行きました。夕方からは「豊中」に行き、今は「淀川」に来ています。今晩は、東大阪の「布施」というところで講演をする予定です。 行った先々で、おいしいものを食べる機会があります。自制をしなければいけないと思いつつ、一緒に食事をしながら交わりをすることはとても楽しいです。 昨日、「クリスチャンは宗教ではなく信仰です」というお話をしました。イエスさまを見ているとよくわかります。教えを説いた場所の多くは食卓でした。そこには罪人、遊女、極悪人が共においしいものを食べながら、あるがままを受け入れ、愛を示されました。 宗教ならば、断食をし、難行苦行をさせ、教祖は神秘的な存在でなければいけません。しかしイエスさまは、「大食いで、大酒飲み」と言われました。そこで、神との関係の素晴らしさを体験させながら教えられました。 昨日は、ネット上で知り合った方と会いました。箕面の中華料理店の若いオーナーシェフさんです。シェフの作るおいしい料理を食べながら、久しぶりに会った友達と大いに語り合いました。楽しいひと時でした。 あと9日間関西に滞在します。もしどこかでお会いしたら声をかけて下さいね。時間があれば、食事をしたり、お茶をしましょう。 私は、一期一会を大切に思います。それは、ネット上でも同じです。毎日素晴らしい一期一会の交わりに感謝しています。ありがとうございます。 今日も祝福がありますようにお祈りいたします。
2013年01月17日
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おはようございます。お元気ですか? 私はお陰さまで元気に関西に出前牧師出張旅行に出かけます。 年始には風邪をひき、今週は、声が枯れ気味でしたが3日間大会の賛美リードをすることができました。 健康の大切さを痛感します。もし、今日が一週間前の体調だったら関西に行けませんでした。 クリスチャンになり、神を信じ、神に祈る人生は、神が一番いい人生を導いて下さいます。 それは、自分の頭で考えた良いことやラッキーなことだけが起こるのではありません。試練は、どんな人にも平等にやって来ます。 違うのは、試練の中で逃れの道を与えられます。また、マイナスをプラスに変えられ、ピンチをチャンスに変えられます。 神は、一番良いことをしてくれます。今回も、健康が支えられ、うれしい気持ちで関西に出かけられることを神に感謝します。 あなたも神を信じ、神に祈る人生を歩みませんか? クリスチャンの人生は宗教ではなく、信仰です。 1、あなたは神に愛されています。 「わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4) 2、あなたは価値があります。(神に似た最高傑作です) 「私たちは神の作品です。」(エペソ書2:10前半) 3、あなたの人生には意味と目的があります。 「(私たちは)良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ書2:10後半) 関西では、色々な人と会います。そこで、宗教を伝えるのではなく、信仰を伝えます。 宗教は、「~であるべき」「~してはならない」と形式を重視します。信仰は、神との関係を重視します。宗教と信仰は、同じことのように見えるかも知れませんが、全く次元の違うものです。 日本人は宗教嫌いですが、信仰は好きだと思います。クリスチャンの人生は、キリストを信仰し、キリストの道を歩むことです。 『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」』(ヨハネの福音書14:6) 旅先からもよろしくお願いします。行って来ます。
2013年01月16日
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人にはできないことも、神にはできる。(ルカの福音書18:27) “What is impossible for people is possible with God.”(Luke 18:27)
2013年01月15日
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昨日は、新大久保の教会で「断食聖会(1/14~1/16)」がありました。朝は雨の中、自転車で出かけましたが、途中から雪が降って来て、歩いてこれば良かった!?と感じました。「果たして、自転車で帰れるだろうか? 自転車もスタッドレスタイヤをはく必要があるな!」とふと考えました。 今までに色々なイベントを行い、イベントに参加して来ましたが、あるイベントで音楽のバンド演奏をする日に大雪になったことがあります。長靴をはいて会場までやっとの思い出到着しました。今でも、その時のことは思い出します。 雪の日に必要なのは「ゆーき(勇気)」です。仕事を「雪なので・・・」とキャンセルするわけには行きませんが、昨日の断食聖会の参加者は、雪の中、勇気を出して参加されたんじゃないかと思います。 北の地域に住んでいる方に取っての雪は日常だと思いますが、東京では非日常です。スキーがうまくても、東京で雪が降ると危ないなーと感じました。 私たちの人生には、晴れの日も雨の日もあります。そして、昨日のような思いがけない雪が降ることがあります。晴れ・雨・雪というのは比喩的表現ですが、想定外で、思いもよらない状況に遭遇した時に必要なのは勇気です。 「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネの福音書16:33) 今日も勇気を出して、「わたしはすでに世に勝っている」と言われるイエスさまと共に、一日を歩んで行きましょう。 人生の雪の日は、振り返ってみるとなつかしい思い出になるはずです。一瞬一瞬を楽しみながら、素晴らしい一日を歩んで下さい。 昨日降った雪が滑る可能性があります。足元にはどうぞお気を付け下さい。神様の祝福がありますように。
2013年01月14日
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おはようございます。今日は成人式。次の世代の日本を担う成人に祝福がありますように。 今から21年前、髪の毛をオールバックにし、スーツに身を固め、成人式の式典に参加したことを懐かしく思い出します。JR大井町駅前のビルの中で式が行われ、地元のみんなと再会して、非常にテンションが上がっていました。今年も、日本各地で、それぞれの思いを胸に、式典に参加し、みんなで宴会をするんでしょうね。街で着物の女性、紋付袴の男性など、新成人を見かけたら「おめでとう!」と声をかけてあげましょう。 私は、今日から三日間、「超教派」で開催される「断食聖会」の音楽全体と本日一日司会のお仕事を致します。会場は、新大久保にある「東京中央教会」です。それが終わると、木曜日の朝から、車で「関西宣教旅行」に出発します。気持ちは、日常から離れ、イベントや関西に向けられています。 関西には10日間滞在し、「8ヶ所の集会」と「9ヶ所の教会」で講演や音楽の奉仕などをします。また、大阪では「オフ会」を致します。ちょっと集まりにくい時間帯ですが、唯一空いた時間に設定致しました。ご都合が付きましたら、大阪近辺のみなさん、ぜひいらして下さい。 ★大阪オフ会 2013年1月22日(火)午後2時から夕方位まで。 場所:かごの屋 清水谷高校前店 会費:飲食代の実費 ネットでは、どこにいても同じように投稿や配信ができますので、同じように交流させて頂きますが、この期間もよろしくお願いします。 良い一週間でありますように!
2013年01月13日
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おはようございます。連休二日目真ん中の日ですが、どのようにお過ごしですか? 日曜日、共に神さまに目を向け、礼拝をしませんか? 今日も良い一日でありますように。 今日も、日曜日恒例のジョークから 「ママ。どうしてこんなに白髪があるの?」「あなたがいたずらするたびに一本ずつ白くなったのよ」 「じゃあ、ママもたくさん、いたずらしたのね。だっておばあちゃんの髪、まっ白じゃない」 「パパはどうして髪の毛がないの?」 「いろんなことを深く考えるからだよ」 「じゃあ、ママはあまり考えていないんだね」 このお母さんは、教育的な意味で、「いたずらをしない子どもになってほしい!」という願いから言ったことが、その思いが伝わらなかったばかりか、かえって裏目に出てしまったのでしょうね。 重要なことは、遠回しに言うよりも、愛を込めて、ストレートに伝えるのがいいのだと思いますね。 聖書が語る重要なことは、 1、神がおられる。 2、神が天地万物と人類を創造された。 3、人類の祖先アダムとエバは、悪魔にそそのかされて罪を犯した。 4、罪の結果、人類は神から離れ、のろわれ、死ぬべき存在となった。 5、神は義と愛の性質を持たれ、義のゆえに罪を裁かれる。しかし、愛のゆえに、人類の救いのために、一人子イエス・キリストをこの地上に送られた。 6、イエス・キリストは、全人類と私の罪を贖うために、十字架に掛かり、死んで葬られ、三日目によみがえり、救いの道を完成させた。 7、この事実を信じるなら救われる。信じさない。 8、この知らせを全世界に伝えなさい。 9、イエス・キリストはまもなく来られ、この世界には終わりがあり、新天新地が造られる。 その中で特に大切なことは、6番の福音です。 「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」(第一コリント15章3節~4節) 「私の罪のためにイエス・キリストが十字架で死なれた」 「死んだ後に墓に葬られた」 「三日目によみがえられた」 この三要素を信じるだけで、完全で失うことがない、永遠の救いが与えられます。 多くの人は、キリスト教の中からイエス・キリストを除いてうまく利用しています。キリスト教式の結婚式、ゴスペル、ミッションスクールなど。キリスト教がもたらした素晴らしい影響力は計り知れません。しかし、どれもこれも、イエス・キリストがおられるから与えられたものです。そこからイエス・キリストを除外してしまったら、何が残るでしょうか? 形骸化したものに過ぎません。 イエス・キリストがおられるならば、これからも、今まで以上に素晴らしいものが出て来ます。 みなさんの環境に、みなさんの家庭に、そして、みなさん自身の中にイエス・キリストを迎え入れませんか? イエス・キリストを迎え入れるならば、あなたは生まれ変わり、救われ、神の子となり、永遠の命を得て、祝福と幸福に満ちた人生を歩み始めることができます。 イエス・キリストは、神がクリスマスに、全人類に与えられたプレゼントです。プレゼントを修行したり、お布施をしたり、善人になることで受け取るのではありません。今のままのあなたが、「ありがとうございます」と受け取るのです。 どうぞ受け取って下さい。そして、次の祈りを捧げて下さい。 「神様、私を愛して下さり感謝致します。私は罪人です。私の罪のために、イエス・キリストが十字架に掛かり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえられたと信じます。今、イエス。キリストを、私の罪からの救い主、人生の主として心の中心にお迎え致します。私を救って下さり感謝致します。イエス・キリストのお名前によりお祈りします。アーメン」 この祈りを、本音で捧げた方は、今新しく生まれ変わり、救われ、神の子となりました。おめでとうございます。 今日は日曜日です。今日イエス・キリストをはじめて信じた人も、クリスチャンの諸先輩方も、みんな教会に集まって共に主を礼拝しましょう。 1、「新宿福興教会」に歓迎致します。 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 2、地域を教えて頂ければ、みなさんの地域の教会を紹介致します。 3、インターネットで教会の礼拝を生中継と録画放送致します。 〈1〉朝9時~10時 〈2〉朝10時半~12時 〈3〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2013年01月12日
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子供の頃、「政治家の汚職事件」という言葉を、TVやラジオで耳にしました。「政治家になると『お食事券』をもらって、好きなものを食べられるのか?いいなー」と思ったことを懐かしく思い出します。 「今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネ福音書13章7節)と聖書は語ります。 今は、とても感謝できないし、「何で私ばっかり貧乏くじを引かされるんだろう?」と思っているかもしれません。また、大きな失敗をしてしい自責の念に苛まれているかもしれません。 神様抜きの人生は、マイナスはマイナスで終わるかもしれません。しかし、神を信じる人生は、すべてのマイナスがプラスに変わります。 手のない人の手が生えてくるのも素晴らしいことです。でも、手がないままでも、手があるよりも良い人生を生きられたらもっと素晴らしいことです。 さらに聖書を引用します。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節) 「マイナスがプラスになったことが後でわかる」ということです。 「今はわからなくても、後に良くなることがわかる」と信じましょう。くよくよしないで、先取りして喜び、感謝して生きましょう。 マイナスをプラスに変えてくださる神と共に一日を始めて下さい。今日もあなたに愛の神の祝福がありますように。
2013年01月10日
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「人の不幸は蜜の味」と言います。自分より不幸な人の話は、どこでもウケます。 「自虐ネタ」「不幸自慢」で「人から受け入れられている」と勘違いしていませんか? 表面的に同情してもらうことで、「自分の居場所」を作っていないでしょうか? 「失敗」や「不幸」を話してばかりいると、いつの間にか「不幸自慢」になっています。 「貧乏自慢」もよく聞きます。「自分がいかに貧しく、ギリギリの生活をしているか」を切々と語ります。実は、「貧しい」ことを「自慢」しているのです。 病院では、「病気自慢」をよく聞きます。 あなたの「不幸自慢」を喜んで聞いてくれる人がいますが、その人は自分のために喜んでいるにすぎません。心からあなたを同情しているのではありません。 ですから、「失敗」や「不幸」を話す時は、それを「どう乗り越えたのか?」、そこから「何を学んだのか?」、「その失敗がどのようなプラスに変わったのか?」を語りましょう。 それに心から賛同してくれる人こそ、あなたを本当の意味で思いやり、応援してくれる仲間です。親が子の成長を願い、喜ぶように、真の友は、あなたの成長を願う人です。 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)と聖書は語ります。 そんな友こそ最高の宝です。互いに、そんな友となれたらいいですね。これからもよろしくお願いします。
2013年01月08日
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キリストは、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:34)と語られました。 「明日のことを心配しない」生き方は、「なるようになる」「ケ・セラ・セラ(Que sera sera)」人生とは少し違います。 「なるようになる」と考えて自然体で生きることも素晴らしいですが、明日に向かってのビジョン、目標、計画を持って、全力で生きて行くことが大切です。 「明日のことを心配しない」生き方は、「今日のことに一生懸命」に生きて、「明日のことを悩まない」生き方です。 昨年、兵庫県尼崎市の一連の「死体遺棄事件」で逮捕されていた角田美代子容疑者が、警察の留置場で自殺したのは、「明日のことを心配した」からです。ある意味、賢かったのです。 その賢さは、究極の自己中心さから出ているもので、自分の思い通りにならなければ、相手を殺すことをくり返して来ました。 彼女は、「もう生きてシャバ(娑婆)に出られない」ということを直感的に悟ったのでしょう。思い通りに行かなければ、人を殺してでも思い通りに生きた人が、一生思い通りに行かない牢屋に入れられ、最後は「死刑」で処刑されるくらいなら「生きている意味がない」「自殺した方がマシだ」と思うのは自然なことです。 自殺を肯定するわけではありませんが、人が自殺に至る心理状態を教えてくれます。最初は小さな問題、小さな悩みから始まっても、くよくよし、心配し続けると、悩みはどんどん大きくなって行きます。「明日を迎えたくない!」「もうダメだ!」という結論に至り、「どうせダメなら明日になる前に死んでしまおう!」と思い詰めて、自死を実行してしまいます。 「明日への心配」が人を自殺に追い込むなら、「明日への心配」をやめて、「今を生きることに集中」してみたらどうでしょうか? 人は、二つのことを同時に考えることはできません。「今日の今に集中」している瞬間は、「明日への心配」はしていません。「明日への心配」は、「今に集中する」ことをやめた時に起こります。 明日になったら問題が解決しているかも知れませんし、依然として問題があっても、明日になってから心配したらいいのです。これは、「橋は橋のたもとに来てから渡る」ことと似ています。 キリストが教える生き方は、「今日一日の枠の中で生きる」ことです。明日になったら、明日が今日になり、その時から、また「今日一日」を生きたらいいのです。 今日一日を、私に与えられた「唯一の日」と考え、「最高の日」として全力投球で生きて行きましょう。祝福を祈ります。
2013年01月06日
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小さなセスナ機が飛行中、エンジントラブルに見舞われた。「この飛行機はまもなく墜落します。私は事故の報告をする義務があります」パイロットはそういうと、4つしかないパラシュートのひとつを背負うと飛び降りてしまった。残された乗客は4人。パラシュートは3つしか残っていない。するとひとりの男が「私は医者だ。たくさんの人の命を救うことができる」といってパラシュートを背負って飛び降りていった。残ったパラシュートは2個。次の男が「私は弁護士。世界でも最も頭脳明晰といわれた男だ。生きる権利がある」といってパラシュートを背負って、飛び降りていった。残ったパラシュートは1個。残った乗客は、牧師と少年だった。牧師はいった「私は充分長く生きた。君には未来がある。 パラシュートを持っていきなさい」 すると少年はいった。「牧師さん、大丈夫です。パラシュートはまだ2個残っていますよ」 「ええっ なぜ?」と驚く牧師さん。「だって、さっき世界でもっとも頭脳明晰な男が、僕のリュックを背負って飛び降りていきましたから」 牧師は、通常このような対応をするつもりで生きています。そのような場面に遭遇したことがないので、本当にそうできるだろうか?と、ふと考えてしまうことがあります。 ある牧師がキリストへの信仰のために殉教した。処刑台にのぼる時に恐ろしくないかと問われた。「いいえ。恐ろしくはありません。説教のために講壇にのぼる時に比べれば・・・」 これは本音ですが、死ぬことと比べたら・・・(*^▽^*) キリストには12人の弟子がいました。キリストは弟子たちを愛し、24時間寝食を共にし、ご自分の全てを見せ、全てを伝え、全てを教え、伝授しました。しかし、当の弟子たちは、全く教えられたことが身についていないように見えました。 キリストがこれから十字架にかかって、全人類の罪を背負って死ぬことを伝えている時にも、「俺たちの中で誰が一番偉いのか!?」と争っていました。 キリストが、血の汗を流して十字架にかけられ直前まで祈っていましたが、弟子たちは居眠りしていました。 キリストが逮捕された後には、全部の弟子たちがキリストを裏切って逃げてしまいました。キリストを裏切った弟子は「イスカリオテのユダ」だけではなく、全ての弟子たちだったのです。キリストの弟子だと知られたら、一緒に殺される可能性があったから、死ぬことを怖れたのです。 同じ弟子たちが、キリストが十字架にかけられ、死んで墓に葬られ、3日後によみがえった後には、キリストの約束だった聖霊に満たされ、別人のようになってしまいました。大胆に「キリストが復活した!」と証言して、ほとんどの弟子たちが殉教しました。 キリストの弟子たちは、少し前まで臆病だったのに、どうして突然変わってしまったのでしょうか?そこには2つの理由があると思います。 1つ目は、キリストの復活が事実であった。それを否定できなかった。見たこと、聞いたきとを語らずにはおれなくなったからでしょう。 2つ目は、弟子たちは神の霊である聖霊に満たされたからです。聖霊に満たされる前は、生きた屍のように無力で、空っぽでした。自分が師事して来た先生を裏切り、さらに失ってしまったからです。しかし、聖霊が降臨し、弟子たちを満たした途端に、神ご自身が乗り移ったかのように、別人のように変わってしまいました。 弟子たちの、死ぬことを恐れない大胆な伝道が功を奏し、AD300年頃には、ローマ帝国がキリスト教化され、現在では、世界の人口の3人のうち1人に当たる20億人がイエス・キリストを救い主と信じてクリスチャンになりました。 弟子たちが殉教をも怖れない人になった秘訣は、私たちにとっても有益な秘訣だと思います。 第一に、弟子たちが命をかけて伝えたイエス・キリストの復活は、事実であったに違いないということです。私たち人類は、例外なくみんな一度死にます。しかし、その死の向こうに復活があると信じられることは絶対的な希望です。不可能を可能にする復活を信じて生きる人の人生は、キリストの弟子たちのように、大胆で意義ある人生を生きるようになります。 第二に、弟子たちが聖霊に満たされた後には、全く違う人のように変わりました。臆病だったのに、大胆に変わり、利己主義だったのに、愛の人に変わりました。これはスーパーマンになったのではなく、本来の人間の姿に戻ったのです。神が造られた人間は、聖霊に満たされた、神に似た存在でした。しかし、罪が人を堕落させ、人格を破壊させてしまいました。残念です。でも大丈夫です。キリストを救い主と信じ、聖霊に満たされるならば、本来の自分、本来のあなたに戻ることが出来ます。 弟子たちの変化した姿から、私たちも新しく生まれ変わって、本来の人間の姿になれることが希望ですし、現実として体験できるはずです。 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント5:17) 一回だけの繰り返すことの出来ない人生です。そろそろ新しく生まれ変わる時が来ているのではないでしょうか? また、この人生をやり直せるグッドニュースを体験し、伝えて行きましょう。祝福を祈ります。 グッドニュースは教会に来たら聞くことができ、体験することができます。教会にいらっしゃいませんか? 新宿福興教会(http://www.geocities.jp/sgr_ch/) また、東京近辺でない方は、お近くの教会を紹介いたします。 最後に、教会の日曜日の集会の生放送をご案内します。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2013年01月05日
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5歳になった二男もやっと少しスキーが滑れるようになりました。家族みんなで教えました。 教えるためには 1、 見本を見せる 2、 見本を見せながら真似してもらう 3、 一緒にやる 4、 一人でやってもらって見守る 人はみんなリーダーになる。自分の下に弟や妹が生まれたらお兄さん・お姉さんになり、学校で進級したら後輩に対して先輩になり、職場で働いているうちに部下ができ、先輩になる。結婚をして子どもが生まれたら親になる。 その時に、自分が伝えるべきものを持ち、伝えるべきものをよく伝えたいですね。 『パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」(使徒の働き26:29) 新しい一年は、使徒パウロのように、「私のようになってほしい」と言えるような生き方をして行きましょう。
2013年01月03日
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「正月三が日」の朝に飲む酒を「お屠蘇」と言いますが、「お屠蘇」の「お」は丁寧語で、「お屠蘇」の「屠」は「屠(ほふ)る」で、「お屠蘇」の「蘇」は「蘇(よみがえ)る」から来ているそうです。 世界中に「屠(ほふ)られ」「蘇(よみがえ)られた」神様がいるか調べてみると、一人だけ居ました!「イエス・キリスト様」です。 教会では「聖餐式」という儀式を行います。キリストの十字架の死を記念します。 『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。』(コリント人への手紙第一11:23~26) 「お屠蘇」は、「聖餐式」から来ているのではないかと思っています。 『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』(第三ヨハネ1:2) 2013年は、みなさんとそのご家族が 1、幸せで 2、 生活の全領域が幸せで 3、 健康でありますように 今年も一年間よろしくお願いします。
2013年01月02日
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