全5件 (5件中 1-5件目)
1
「愛は惜しみなく奪うものである」という言葉を聞いた事がありますが、なるほどなーと思わされましたが、少し背筋が寒くなりました。 聖書は、『愛しなさい。』という一言で要約できます。しかしイエス様は、『私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。』と言われました。 この言葉を聞いたある人は、「聖書にこう書いてあるのだから、私をもっと愛してよー。」と反応しました。しかし、確かに互いにという言葉が付いていますが、これは、それぞれの人に対して、「ただ愛しなさい。」と語られたのです。 しかしながら、この『愛しなさい。』は愛せるということが前提ではなく、愛せないということが前提で書かれています。イエス様は、『あなたの敵を愛しなさい。』と言われました。敵を愛せる人がいるでしょうか? 敵を愛したら、その人はもう敵ではないのです。 『愛しなさい。』と言われても、出来ないということが前提ですが、だからと言って、『私を愛して。』と愛を要求したら、その要求が強い分だけ不幸になります。それは、まず願う愛を満たしてくれる人はいないからです。 この『愛しなさい。』とは、三つのことを教えます。第一には、私たちは、愛のない罪人であるということ。第二には、愛は神にしかないこと。第三には、神によってのみ愛せるようになるということです。それは、祈りということです。自分の中に愛がないと思うからこそ、「愛を下さい」と祈るようになるものです。そして、 愛せるようになったら、その人の人生は必ず幸せになります。人を愛して不幸だという人を見たことがあるでしょうか? まず、あなたがクリスチャンであるならば、毎週教会に行って礼拝をささげますが、礼拝の中での愛の実践は、牧師の説教を聞いて、笑顔でほほえみ、うなずきながら聞いて下さい。それが愛の実践です。 また、この文章を読んで下さったみなさんに取っての愛の実践は、それに対して笑顔で肯定的な思いで受け止めることです。そうしたら、この文章を書いた私もうれしいですし、誰よりもそういう思いを持てたあなたがうれしくなるはずです。愛したら、その人が幸せになれるからです。 そして、出会うすべての人に、自分に取って一番大切な人であるように接して下さい。「愛」と「ありがとう」を表現して見て下さい。そうしたら、あなたは必ず幸せな気分になれるはずです。 聖書が『愛しなさい。』と語るのは、神がみなさん一人一人に幸せになってもらいたからなのです。 試しに、誹謗中傷やうわさ話をして見て下さい。すぐに気分が悪くなるはずです。しかし、愛は、そのようなことをやめることです。そして、相手のいい面を見てほめることであり、相手のマイナスな面を見て許すことであり、相手のすべてを受け止めることです。 しかし、繰り返しますが、私たちには愛はありません。ですから、愛を祈り求め、神から愛を頂いて、その愛で愛をはじめて下さい。イエス様はあなたを愛しています。ただ愛して参りましょう。祝福を祈ります。God bless you!
2011年01月31日
コメント(0)
私たちは、世間の評価を気にするあまり、他人からのマイナスの評価をまともに受け止める傾向があります。私たちは、自分の人格や行動、正確やあり方を他人が正確に評価していると錯覚しているのではないでしょうか? しかし、他人が私たちをどれくらい正確に評価しているかは極めて疑問です。人は、自分を基準にして他人を判断します。だから、自分に対する他人の評価は間違っていることの方が多いものです。 あなたが今のあなたになったのがどうしてなのかを、あなたの生まれや育ち、人生経験をほとんど知らない赤の他人がどうして理解出来るでしょうか? あなたに対する他人の評価は、その大部分が不正確ば可能性があるということを念頭に置いておいた方がいいです。 しかし大切なのは、あなたを造り、あなたを愛し、あなたのすべてを知り尽くしている神の評価を知り、受け入れることです。これこそ大切なことであり、私たちのアイデンティティを確かにします。 あなたは神の目には、高価で尊い存在であり、愛されています。罪がキリストの十字架のゆえに赦され、聖霊に満たされ、心と体の病が癒され、人生のすべての領域が祝福され、天国に入る人です。誰が何と言ったとしても、あなたのすべてを知り尽くした神の評価が絶対なのです。 これを信じて生きる人をクリスチャンと言いますが、これは特別なことではないのです。世界の60億の人口のうち20億人はこれをすでに受け入れていますし、今この瞬間にもそれを信じることも出来ます。 そのための祈りを良かったら一緒にしてみませんか? 『愛する神様、私は罪人です。私の罪のために一人子イエス・キリストが十字架にかかり、三日目に復活して下さったことを信じます。今、イエス様を、私の心の中にお迎えします。私を救って下さり。天国に行く日まで導いて下さい。アーメン。』 この祈りを真心からささげられたならば、今からあなたもクリスチャンであり、神の子であり、確実に天国に入れます。 神の評価こそ真実な評価であり、自尊心を高く持つことが出来、自分を信じ、自分を健全に愛し、また、同じように、他者にも愛と尊敬を持つことが出来ます。そんな生き方をしてみませんか? これがあなたの悩みや、あなたの苦しみや、あなたの問題を解決し、精神的な病も癒します。そんな生き方をお奨めします。 これは、キリスト教を薦めているのではなく、あなたを愛している神を信じて生きることをお奨めしたいです。よい一日でありますように。God bless you!
2011年01月24日
コメント(0)
世界中の人々に知られ、愛されているゴールデン・ルール(黄金律)は聖書の中にあります。それは、『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』(マタイの福音書7章2節)です。 これが人生を成功させ、幸せにする秘訣です。多くの人は、自分の利益を追求する利己主義こそ成功と幸福の法則だと考えます。しかし、それは一時的にはうまく行くかも知れませんが、それは長続きしません。長続きする成功と幸福の法則はゴールデン・ルールの中にあります。 試しに、あなたの願っていることを満たそうとしてくれる人と、あなたの願いに無関心で自分の願いだけを満たそうとする人と、どちらの人を好きになるでしょうか? もちろん、完璧な人はいませんが、少なくてもあなたの必要としていることをしようとしてくれる人を好きになるだろうと思います。そして、そういう人には、 何か恩返しをしたくなるだろうと思います。 ですから、ゴールデン・ルールに生きようとする人は好かれるし、恩返しを受けますし、成功出来るのです。そして、自分でしてもらってうれしいことを他の人にするので、自分でも幸福を感じられます。 このゴールデン・ルールに生きるためには、一つの大きな分岐点があります。それは大分水嶺(異なる海域に注がれる水系の境界)に似ているかも知れません。一方は太平洋側に流れ込み、もう一方は日本海側に流れ込みます。たった一度の分岐点が行き先を変えてしまいます。それは、自分がしてもらってうれしいことを自分に するのか?他人にするのか?の分岐点です。 自分にしてほしいことを他人にして生きて行くならば、自分に自分でしなくても、他者から帰って来るものです。もちろん、見返りを期待してやるのが見え見えだとそれも帰って来ない場合もありますが、少なくても、自分ジブンじぶんと生きている人よりは、好かれ愛され、何かお返しをしてあげたくなるものでしょう。 とにかく、ゴールデン・ルールに生きる世界中の人は、間違いなく成功し、幸せに生きています。私たちも、自分の人生観や価値観の中にそれを取り入れて生きて行きたいものです。そんなあなたを世界と神が祝福して下さるはずです。God bless you!
2011年01月15日
コメント(0)
スイスの哲学者であり、「幸福論」を書いたヒルティ(1833~1909)は、『寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。』と言いました。 人が生きて行くために必要なものは希望です。しかし、真の希望を持つためには、人間の絶望を知ることが第一です。それは、人類の先祖であるアダムとエバは、悪魔に誘惑されて神様から禁じられた木の実を食べて罪を犯してしまいました。 この罪によって、人間の中に不幸がやって来ました。それは、ねたみと憎しみ、争い、苦しみ、病気、貧しさ、死です。それらを一言で表すならば絶望です。そして人間は、絶対絶望的な存在です。そんな私たちを一体誰が救ってくれるでしょうか? 多くの宗教は、自らの力(善い行いやお布施等)で救いを得るようにと教えます。あるいは、あきらめることを教えます。しかし、イエス・キリストは2000年前のクリスマスの日にこの地上に誕生し、33歳の時には、私たちの罪と不幸を全て背負って十字架で死なれました。そして、三日目に復活しました。 みなさん、ですからこの十字架と復活にこそ希望があります。ここにこそ、絶対絶望を絶対希望に変える力があります。 そして、希望こそが人を生かす力です。どんなに他人がうらやましがるような人生を歩んでいたとしても、本人が希望を持っていないならば生きることがつらいだろうと思います。あなたはどうですか? あなたには希望がありますか? 希望こそ、この時代に生きるために最も重要なものです。そして、希望はイエス・キリスト の十字架と復活にあります。 この希望は、罪が赦され聖められます。悪魔から解放され聖霊(神の霊)に満たされます。病気がいやされ健康になります。呪いから解放されアブラハムの祝福が与えられます。死と地獄から解放され、永遠の命と天国に入ることが出来ます。そして、この人生を希望を持って生きるならば幸福になります。 希望がある人の特徴は、夜寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみかどうかで希望があるかどうかで計ることが出来るだろうと思います。 どうぞ、希望を持って下さい。希望をあなたにプレゼントしたいです。聖書は約束します。『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げーー それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』 あなたの未来はハッピーエンドです。どうぞ希望を持って将来に向かって歩んで参りましょう。祝福をお祈りします。
2011年01月09日
コメント(0)
新年明けましておめでとうございます。旧年中は、毎週このコラムを愛読して下さりありがとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いします。 この季節に寒い場所に行くと、水道管が凍らないために、もったいないですが水をちょろちょろ出しっ放しにしています。最近では、水道管の回りに断熱材入っていたり、温めているから大丈夫なものもあるようですが。 2011年、夢と希望を持ってスタートされたことでしょう。しかし、聖書を見るならば、世の終わりに向けて、ますます悪い時代になって行くと書かれています。 これを人生の四季に譬えるならば冬です。私たちは神の恵みを流し出す水道管のような存在ですから、絶えず受けた神の恵みを流し出し、誰かに愛を分かち合うことが必要です。そのことによって、私たちが凍ってしまったり、息詰まってしまうことはないはずです。 イスラエルには、ガリラヤ湖と死海という有名な二つの湖があります。この二つの湖は、同じヨルダン川の水が流れ込んでいますが、全く対照的です。ヨルダン川は、自然の宝庫であり、たくさんの命があります。しかし、死海は、何の命もありません。その理由は、ガリラヤ湖は、上流から受けた水を下流に流しますので、水の 循環がなされます。しかし、死海は、受けた水を流し出しません。そこは、地球の吹き溜まりのような場所です。ですから、水分だけ蒸発し、塩分が濃くなって、命が存在できません。 従来、死海はよくないと聞いておられただろうと思いますが、しかし、神の恵みは、マイナスをプラスに変えることが出来ます。死海にも使命があります。現在、有名な観光地になっていますし、死海の塩も有名なお土産になっています。また、この死海から、ある飛行機に必要な貴重な物質が摂れるそうです。まさに、受けるだ けの湖は、宝の湖になりました。 受けるだけで与えない人も、何かいいことがあるかも知れません。しかし、原則は、寒い場所の水道のように、ちょろちょろであったとしても、耐えず愛を分かち合って行きたいものです。例えば、笑顔を向けるだけでも十分です。笑顔とは、「あなたをありのままで愛しています」という表現です。その笑顔が、凍ってしまった ような心を、氷解する力もあります。 また、ちょろちょろと流し出すだけではなく、あなた自身というパイプを、耐えず温めておく必要があります。それは、祈りと聖書を読むことです。単純なことのようですが、これが大切です。これこそ、信仰のABCであり、基本なのです。 周りを見たら失望し、絶望させられることもあるかも知れませんが、祈り、聖書を読んで神と共に歩んで行きましょう。その人は、岩の上に建てた家のような存在です。平素は、土台なく、砂地に建てた家と変わりませんが、嵐がやって来た時に全く違ったことが起こります。倒れてしまうのです。砂地に建てた家とは、神に頼ら ず、自分の力だけで肩肘張って生きることです。 あなたは、キリストという岩の上に建てられた家となって、今年一年を歩ませて頂きましょう。そうしたら、何が起こっても大丈夫です。神は、あなたの砦、あなたを守るシェルター、あなたの岩なのです。 2011年は、愛を分かち合い、神を土台とした歩みをさせて頂きましょう。豊かな祝福がありますように。みなさんの祝福をお祈りしています。
2011年01月02日
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1