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韓国に到着した日がすでに11時半頃だったので、その日は寝るだけでした。韓国に来て感じたのは、空気の乾燥です。日本との湿度の違いは一目瞭然です。朝目を覚まして感じたのは、喉や鼻の奥が乾燥しきっていて、苦しくて飛び起きました。この乾燥は、韓国特有のオンドル(床暖房)のゆえにさらに拍車がかかったのではないかと思います。そういえば、丁度一年くらい前にはイスラエルに行きましたが、イスラエルの空気の乾燥もすごかったと思います。その乾燥した荒野の国なのに、ガリラヤ湖畔などはエデンの園を思わせるような草木や食物の豊かさには驚きました。韓国は、岩山が多くあります。それは一説によれば、木を後先考えずに一気に切り倒してしまったのでそうなってしまったということです。しかし、日本はそれを考えたから山には木がたくさんあると単純にはいえないと思います。韓国の一般の家庭にはお風呂の浴槽がありません。シャワーが一般的です。シャワーを浴びる時は、オンドル(床暖房)に使っているエネルギーをシャワーに切り替えます。合理的だと思います。日本に浴槽があるのは、それだけ水が豊富にあるからだと思います。イスラエルの話ばかりすると恐縮ですが、イスラエルの飲み水は、基本的にはガリラヤ湖の水です。ガイドさんが、「牧師先生方にお願いします。今が一年にたった一度の雨季です。旅行中は雨が降らないでほしいという気持ちはわかりますが、雨が降らないようにだけは祈らないで下さいね。死活問題ですから。昼間降らないで、夜寝ている時に降らせて下さい、と祈って下さい」といわれました。神さまはその通りに、夜間エルサレムに雨を降らせて下さり、土地ではなく岩地ですから、エルサレムから死海などの低地に向けて一気に鉄砲水が流れました。♪荒野に道を 砂漠に川を♪という讃美のとおりでした。話は戻りますが、私のうちにはお風呂はなく、シャワーだけがあります。以前はそれもなかったのですが、親しい友人が献品して下さったので感謝でした。しかし、浴槽に入ってゆっくりお風呂に入るのはやはりいいですよね。それだけでストレスの解消になりますし、疲れが取れますね。日本人が世界的に長寿国であることの一つは、もちろん日本食や日本の風土にあると思いますが、もう一つ、よくお風呂に入るからというのもあるのではないかと思います。宿泊先では、シャワーが二ヶ所あり、通常のシャワーのほかに、ジェット噴射のシャワーにもなります。そこでゆっくりつかりました。また、一回だけですがノレバン(カラオケ)に行きました。驚いたのは、「君は愛されるため生まれた」等のゴスペルソングもたくさん入っていました。クリスチャンが国民の30%くらいいるとそうなるのでしょうね。日本で、讃美のカラオケを作ったら、クリスチャンの集まりでもとても楽しいのではないかと感じました。また、半日くらいエバーランドに行きました。とても寒かったですが、ディズニーランドとは比較にならないものの、従業員が楽しそうですし、音楽に合わせて踊っていたり、ぬいぐるみを着たキャラクターもとてもかわいかったです。あと、水族館なみのショーが行われたり、ちょっとした動物園があったり、ライオンと熊をバスで見ることも出来たり、はたまた、とても激しい乗り物もありました。バランスが取れていいなーと思いました。韓国には、約20回くらい来ましたが、来るたびに新鮮な感動があります。ここはやはり外国ですね。基本的には日本語や英語は通じませんから、韓国語がある程度わからないと不便ですね。もちろん、通訳がいてくれれば問題ないですが、しかし、本当に心を通わせたいと思ったら、通訳を通してだと限界がありますね。実は、今回通訳してくれた人が、あまりにも親しすぎたので、素直に通訳をしてくれないで、そんなこと言わなくてもいい、等と口を挟むのです。相手の話にもちゃちゃを入れるのです。ですから、実際はどれくらい通訳がされていたのかわかりませんが、50%未満かな?と感じます。通訳で思い出しましたが、通訳は私の言葉を相手に訳して伝えてくれますが、私たちクリスチャンの伝道は、神さまの言葉を多くの人にわかるように語る通訳のようなものだと感じます。いい説教者、いい個人伝道をする人はいい通訳者みたいなものですね。私も、神さまの言葉をわかりやすく、感動を持って伝えるために日々成長させてもらいたいと思います。今回の旅の中で、3回説教をする機会が与えられましたが、何も準備をしていませんでしたが、一緒に行った人の手前もあり、3回とも違う話をする必要がありますが、説教を頼まれて祈ると、神さまは私に語るべき言葉を備えて下さって、流れるように話すことが出来ました。感謝でした。また、韓国の教会の会衆は、全身で私の語るメッセージを受け止めて下さいますし、アーメン、ハレルヤで応答してくれますので、私の中にあるものを全て吸い取られたように感じます。これは愛されていると感じる瞬間でもあります。聖書は「目に見える兄弟を愛せない人が、目に見えない神を愛せるはずはない」と語りますが、会衆にとって目に見える兄弟とは、隣の人も含みますが説教者です。ですから、批判し、斜めに聴いたり、眠ってしまうのではなく、ほほえみと相づち、アーメンとハレルヤで応答できたら、それは間違いなく愛であり、説教者は、短く、かつ、よいメッセージを語らざるを得ないと思います。その反対は、ご想像の通りです。長く、くどく、恵まれず、お互いに疲れます。日本の教会がこれを変えたら、それだけでリバイバルが始まるのではないかと感じます。みなさんはどう説教を聞いていますか?そんなこんなで、取り留めのない話が続きますが、明日からは浜松に教役者大会があり、3泊4日で出かけますので、1回目と同じに更新してしまいましたが、忘れないうちにと思いました。読んでくださって感謝を致します。みなさんによいことがナイアガラの滝のように降り注がれますように祈ります。
2008年01月28日
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私は、毎朝駅前に立って伝道をしていますが、昨年末、ある旅行会社が「新年の4日に、韓国ソウル往復チケット8000円早い者勝ち!」というチラシを私の隣で配っていましたので、お互いに配布物を交換しました。しかし、実際はそのチケットは早い者勝ちで、数秒差で購入できませんでした。それでも成田空港とインチョン空港の使用料+燃油チャージ込みで25000円でしたので格安ではあったと思います。(実際、8000円のチケットを購入しても、成田空港とインチョン空港の使用料+燃油チャージ込みで19000円になったそうですから)新年には、韓国のオサンリ祈祷院に行って、深く祈りたいと思っていましたし、格安チケットの情報を知って、数人の方々と韓国を旅行してきました。格安チケットということもあり、韓国ソウルのインチョン空港に到着したのが夜11時半頃でした。この空港ではその日最後の飛行機でした。ですから、空いていましたし、静かでしたし、とても快適でした。その時間になりますと、ソウル市内に行くリムジンバスがありません。このインチョン国際空港とソウル市内の距離関係は、成田国際空港と都内の距離関係と似ています。ですから、タクシーを使うか、近くのホテルか旅館に泊まるか、はたまた、空港で朝まで過ごすか、のどれかですが、友人の宣教師が車で迎えに来てくれました。当初はタクシーで行こうと考えていました。タクシーの基本料金は、確か、1900韓国ウォンです。200円くらいでしょうか。それから、100ウォン(10円)づつ上がっていきます。しかし、韓国のタクシーの深夜料金は一気に上がってしまうようです。確かに、そうでもしないとやってられないと思います。ガソリン代は日本と変わらないのに、そんな格安でタクシー業務をしていてもお金にならないだろうと感じます。日本は、小泉政権の時に、タクシー業界の規制緩和がなされて、一気にタクシーの台数が増えてしまって、お客さんに対して、タクシーの台数が多すぎるようです。韓国では詳しくはわかりませんが、少しでもお金にしたいということから、相乗りが普通になっています。例えば、私がインチョンからソウルまで行くとしたら、途中で同じくソウルに行くお客さんが手を上げたら、空いた座席に平気で乗せてしまいます。そして、そのお客さんからも、そこからの料金を取ります。もしかしたら、これは法律で禁止されているのかも知れませんが、普通に行われていますね。また、韓国では、信号無視が普通にされています。日本ではめったに信号無視は見ないだけに驚きますね。交通事情の違いを感じます。日本では、小さな乗り物、バイクや機敏な車が大きな顔をしますが、韓国は、大型バスや大型自動車が一番でかい顔をして、小さい車は遠慮して走っています。そんな交通事情一つを見ても、外国に行ったということを感じますね。韓国に行ったのは、もう20回くらいになると思います。しかし、行くたびに新鮮な感動があります。その日、プチョンという町の宣教師が生活をしているお宅にお世話になりました。その晩、久し振りに会った宣教師との会話に花が咲き、私と一緒に行った仲間もすぐに打ち解けて、このまま夜を明かしてしまうのではないかと思うほどの盛り上がりでした。部屋がいくつもありましたので、それぞれが部屋を与えられ、シャワーを浴びてぐっすり休みました。おやすみなさい。
2008年01月28日
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思考停止という言葉を聞きますと、あまりいい印象をもたれないことでしょう。しかし、これはとても大切なことです。私たちの未来に対して、夢を持ち、願いを持ち、祈りをささげることは大切です。しかし、その夢、願い、祈りが答えられない可能性や否定的な思考は思考を停止させて下さい。イエスさまは、「祈ったことはすでにかなえられたと信じなさい」と教えられました。「祈っても、答えられない可能性もあるので、心配し、クヨクヨし、恐れおののきなさい」何て言われていません。どうぞ、悩み、特に、自分ではどうしようもない悩みに関しては、断じて思考停止をお薦めします。思考停止とは、言葉を変えるならば、心のブレーキを外すことです。ブレーキは、必要な時にかけて下さい。悩みとは、車のサイドブレーキを引きっぱなしで走っているようなものです。そして、過去の過ぎ去ったことを悩むことはやめて下さい。また、明日のまだ来ていないことがらを心配しないで下さい。過去は、教訓として学び、未来は期待して準備したらいいのです。悩み、恐れ、心配、否定的な思考回路の思考停止をして下さい。それが、前進の秘訣です。祝福をお祈り致します。
2008年01月16日
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私たちは、それぞれ人にはいえない悩みをみんな持っているものではないでしょうか? 人にいえたらその悩みも半減するのに、いえないばっかりに苦しみも倍増します。しかし、誰でも彼でもいえばいいというものではありません。いった相手がそれに対して「いい悪い」をいうならば、悩みはさらに倍増します。人にいいたいのに、それをいえる人がいない。そして、身近な家族、妻や夫、子供や両親にいえればまたそれはそれでいいのですが、近いだけに悩みを打ち明けられないものかも知れません。そうしたら、その悩みに耐えながら、孤独に生きて行くのか? あるいは、その悩みを見ない、そして、臭いものにフタをするように忘れるようにするのが賢明でしょうか? これらも解決策でないことはありません。悩みを過大視し、それを現実逃避しようとしたり、あるいは、責任を取ろうとすると、まずは体に反応が出てきます。現実逃避タイプの人は胃潰瘍等になりやすく、また、責任を取ろうとすると心筋梗塞等にかかりやすくなります。悩みを過大視すると、精神的にもよくありません。うつなどの精神的な病にかかることもあったり、それが悪化すると、人を攻撃したり、自分を攻撃するようになります。そこに解決はありません。しかし、そうなった人は、誰かを攻撃し、誰かを痛めつけないとその心がいやされないのです。その怒り、憎しみ、怨念は、あなたの苦しみの身代わりとなったイエス・キリストの十字架に向けて下さい。これが、解決の糸口となります。声を出して祈るのです。そして、イエス・キリストの十字架を心に思い描きながらあなたのやるせない心をぶつけていくのです。しかし、そうならない前に、神に祈り、神にあなたの悩みを聴いて頂いたらさらにいいのです。人は頼りにならない、と思っていた方が間違いありません。たとい、頼りになる人がいたとしても、依存症になり、その人なしには生きて行けなくなり、その人が神のようになり、その人の一挙手一投足に振り回され、喜怒哀楽をその人の手に委ねてしまうことになります。そこで、その人に対して期待に応えてくれなかったからといって非難したり、怒ったり、中傷する事は正しいことでしょうか? その人はあなたの神にはなれないのです。人間はあなたの救い主にはなれません。救い主はただ一人、処女(おとめ)マリヤから生まれ、人として来られた神イエス・キリストだけです。このお方だけがあなたの救い主であり、あなたを救い、あなたを助け、あなたの悩みを聴き、それに応え、助けて下さるのです。人を頼る心を、イエス・キリストに向けてみませんか? イエス・キリストを神とし、一人の人格として、あなたの心に迎え、あなたの心を打ち明けてみませんか?悩みは、私たちの生涯には付き物です。しかし、たった一人、誰にもいえないままなのか、あなたを助けられる神と共有しながら、解決しながら、楽しみながら生きて行くのか。その選択はあなたの心が決めるのです。お祈りしましょう。「神さま、私はあなたが必要です。私の心に今来て下さい。そして、私の心を打ち明けますので聴いて下さい。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン」あなたによいことがたくさん起こりますようにお祈り致します。
2008年01月10日
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