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お釈迦様のお教えを表す例え話の集積、ジヤータカに、 幼児を亡くした若い妻が、その悲しみを訴え、どうしたらその悲しみから逃れられるでしょうかと問われる。 それを聞いたお釈迦様は、「これまで、死者を送り出した事のない家のかまどの灰を頂いて来なさい、そうすれば答えを教えて上げよう」と送り出しす。お釈迦様の時代ですから、今日のような核家族ではなく、大家族のこと、当然死者を送り出した事のない家など有りません。それでも若い妻は何処に云われた灰はあるはずと、訪ね歩き月日は流れ、再びお釈迦様の所にたどり着きます。 お釈迦様は言います。「そうでしょう、これまで死者を送り出しことのない家がないように、生まれたものは死に至る。これが常、道理です、受け入れ乗り越え前に進むしかないでしょう。」 ジヤータカにはこのようにあるよう。 仏道にある者。かく噛み締め歩むべき。 合掌。
2014.11.15
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過日、世間に些細な縁ある、寺院の葬儀に列しての思い。 出家、僧居並び追悼の辞読む言の中に、 悲し、、不幸の言葉あり。 確かこの家のばば様の葬儀であったはず。 家族の日々にとって一人欠けるは寂しくなるは情に在ってはそうでしょう。でもおやが子供に先立つ、これなにを以って悲し、不幸に繋がるのでしょう。子供が親に先立つ時、 悲し、不幸というは宜し。それはいう、逆順なれば。 親が子供に先立つことは法の理。それを殊更にお涙誘うかに理に反する言の表現は、それが仏道にあり仏教を説くとし口を糊塗する者の口に 載っては、大衆迎合、ウパニシャッドにいう、 眼の明らかでない者が目の明らかでない者を導いては、何処へ行く。
2014.11.13
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