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朝起きて、トイレに行き、鏡を見て、悲鳴をあげそうになった。私の顔、むっちゃブサイク!!!昨日泣きながら寝たからだ。朝起きたら、目が腫れあがっていて、ものすごい顔になっていた。ああ、今から仕事なのにぃ。でも「今日はブサイクなので、仕事に行けません。」というわけにもいかず、とりあえず仕事に行く支度をはじめた。化粧もできないくらい腫れ上がっていたので、普段あまりかけないメガネをかけて、少し顔が見えないようにすることにした。でも、一晩寝ただけで、意外と気分がすっきりしていた。人間、たまには思いっきり泣くのもいいのかもしれない。朝、仕事に行く前にメールをチェックすると、父からメールが来ていた。今回亡くなった祖父は私の母親のお父さんで、私の父にとっては「元・義父」にあたる。つまり、私の母と父は離婚しているので、父にとっては「昔の妻の父親」にあたるのだ。昨日、父にはメールで祖父が亡くなったことを知らせておいた。でも、父は弟からすでに聞いていたらしい。父からのメールには「お父さんからも弔電と香典を送ります。shimaも心を込めて、おばあちゃん宛てに弔電を打って下さい。」と書いてあった。へ・・・・?チョ、チョーデン???お恥ずかしい話、私は今まで一度も電報というものを打ったことがなかった。電報って、どうやって打つの?海外からでも打てるの?昨日おばあちゃんとは話したんだけど、それでも弔電って打つものなの??っていうか、弔電って、どんな言葉を送ればいいの???と次々に疑問が湧いてきた。父親に聞こうかとも思ったが、そんな事を聞くと「おまえは常識がない」なんて言われるのが目に見えてる。結局周りの日本人に聞いたり、「ダイヤルバンクーバー」というバンクーバーの日本語電話帳で調べたりして、「日本電報サービス」のウェブサイトにたどり着き、無事におばあちゃんに弔電を送ることができた。でも海外からの電報って、とっても高い!正直、びっくりした。長くなればなるだけ高くなるから、文章は最短にまとめた。でもこんな短い言葉を送って何になるのか・・・・という気もした。私の今の気持ちをこんな短い言葉で表せるわけないのに!とちょっと頭にもきた。でも、こんなに短い言葉でも、やはりおばあちゃんは喜んでくれるだろう。電話ではすでに話をしたけれど、こうやって形に残るようにメッセージを送るのもいいのかもしれない。それにしても・・・・・自分は「常識はある人間」だと思っていたが、そうでもないという事に気付いた。日本の習慣や常識って難しい。まだまだ無知な私だと実感した一日でした。
2005.08.31
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仕事から帰ってきてメールをチェックしてみると、弟からメールが来ていた。おじいちゃんが亡くなったとの知らせだった。危篤だということを突然聞いてからたった2日。あっという間に死んでしまった。最後は親戚一同に看取られながら、静かに息をひきとったらしい。祖父はとっても穏やかな人だったから、最後もそんな風に穏やかに眠れて、きっと今頃天国で喜んでいると思う。実はこれが、私にとって人生で初めての「身近な人の死」になった。もう30歳にもなろうというのに、身近な人の死を今まで私は経験したことがなかった。人生の中でたくさんの時間を共有した人物がこの世から居なくなるというのは、こんなにも悲しいものなのかと、今更ながら思い知らされている。私はおじいちゃんにとって初孫だったから、本当に可愛がってもらった。私が小さい頃、私の母はずっと病気で入退院を繰り返していたので、私と弟は祖父母の家から学校に通った時期もあった。その時は、学校行事にはいつも祖父が来てくれた。授業参観の時、祖父がクラスの先生に「子供の宿題を減らして、もっと子供が遊べるようにして下さい。」とお願いしたのを覚えてる。本当に穏やかで、やさしくて、すごく頭の良い人だった。危篤ということを聞いてから、ある程度覚悟はしてたけど、実際に「亡くなった」と聞くと、悲しくて、悲しくて仕方ない。2日前にあれだけ泣いたのに、今もまた涙がとまらない。やはりもう一度会いたかったという思いは消えないけど、私がおじいちゃんの事を考えていたのは、おじいちゃんも分かってくれてると思うし、私の気持ちは届いていたと思う。おじいちゃんに、たくさん、たくさん「ありがとう」を言いたい。それと、前回の日記にコメントをくれたみなさん、温かいコメントを本当にありがとうございました。自分の気持ちを誰かに聞いてもらったり、みなさんの同じような経験を聞いたりすることで、とても気分が楽になりました。前回ほど、この日記を書いてて良かったと思ったことはなかったです。みなさん、これからもヨロシクお願いしますね(^^)。
2005.08.30
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今日弟からメールが来て、福岡にいるおじいちゃんが危篤だと知らされた。熱が下がらず、呼吸も困難で、人工呼吸器を着けているらしい。全く突然の知らせだった。元気にしているものだと思ってた。ちょうど昨日、数年前に撮った写真を見ながら、おじいちゃんの事を考えていたところだった。おじいちゃんももう80歳。そろそろお迎えが来てもおかしくない歳だ。その後の弟からの2通目のメールで、熱は少し下がったとの知らせ。でも危険な状態らしく、親戚もぞくぞくと集まってるらしい。こういう時に、海外にいるのはとても辛い。遠すぎる。今すぐにでも駆けつけたいけど、そういうわけにもいかない。最初にメールを読んだときはショックだったのか、ただダンナに「おじいちゃんが死にかけてる・・・」と言っただけだった。でも20分くらいすると実感が湧いてきたのか、涙が止まらなくなった。突然小さい頃の思い出なんかがよみがえってきて、わんわん泣いてしまった。おじいちゃんは今頃苦しい思いをしているのだろうか。自分の人生を走馬灯のように思い出したりしてるのだろうか。それとも、ただ静かに安静に横になっているのだろうか。人口呼吸器をつけて寝ているおじいちゃんの姿を思い浮かべ、そこに居てあげることができない自分に、なんだかやりきれない気分になる。おじいちゃんに会いたい。
2005.08.28
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毎週金曜日の夜は飲みに出かけ、毎回毎回飲みすぎ、土曜はぐったり二日酔い気味で過ごすという、私のワンパターン週末に変化が起きた。昨日の金曜の夜は、久しぶりにアルコール無しの夜を過ごし、今日は朝から大忙し!というのも、朝からうちのカーペットのクリーニングをプロの業者にお願いしてあったのだ。海外でカーペットの部屋に住んでいる人は分かると思うけど、カーペットってすごく汚くなる。ダンナの友達なんかで、無礼にも靴のままで部屋に入る人もいたり、家で飲み会の時にお酒こぼされたり、おまけにうちの場合、ネコがカーペットの上に吐いたり・・・と、とにかく掃除機かけても綺麗にならないくらい汚れる。なので、うちはたまにだけど、プロの業者にクリーニングをお願いする。これが期待する以上にかなり綺麗になるのだ。取れないと思っていたシミなんかも、驚くくらいすっかり取れる。でも、厄介なのは、業者が来る前に、大きな家具を除いて、カーペットの上にのっているものを外(ベランダ)に出さないといけない。ベランダに出せない物はベッドの上に置いたり、カーペットでないキッチンに入れたり・・・・。なので、業者が来る前から大忙し。朝からかなり疲れた。そして業者が来てお昼前に無事にカーペットのクリーニングを終えた後、さー、外にある物を中にいれようか、と思っていると、空っぽな部屋を見て、うちのダンナが突然「模様替えをしよう!」と言い出した。ええっ!冗談じゃない!土曜日は私の唯一の休みなんだからさ、ちょっとゆっくりしたいのよ、私。もう朝十分働いたしぃ。明日からまた仕事なんだしぃ。午後はゆっくりしたいしぃぃぃ。と抗議してみるものの、言い出したら聞かないうちのダンナは、新たな家具の配置を考え出した。それから我が家は大!模様替え!あーでもない、こーでもないと思考を重ね、結局夜の7時過ぎまでかかった。ああ、私の土曜日が・・・。でも、うちの部屋、かなり変わりました。狭いアパートが、すごく広く感じる。今コンピューターをやってる位置も違うのでちょっと変な感じ。でも、友達がうちに来たら、その変わりように驚くと思う。っていうか、驚いて。7時間もかけて部屋の模様替えしたんだから。かなり良い感じになったので、近いうちにうちでまた飲み会でもするかな?(でもカーペットだけは汚さないようにね!)
2005.08.27
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ダンナがマニトバから帰ってきた次の日。私の仕事が終わって帰ろうとすると、仕事場の前までダンナが車で迎えに来てくれていた。お迎えが来るなんてとってもめずらしい。バスに乗って帰らなくていいなんて最高!なんて思いながら、ルンルンで家に帰った。家に帰ると、部屋はきれいに掃除され、キッチンも綺麗に片付けられ、食器棚も整理されていて、棚に入らなかったものが入るようになってた。しかも豪華な夕食が用意してあって、きわめつけは、バナナケーキまで焼いてあった!(↑うちのダンナを知ってる人には、ちょっと爆笑ものかも・・・)いったいどうしちゃったの!?マニトバにいる間に、主婦業に目覚めたのか!?豪華なご飯(私の大好物のロブスターだった!)はすごく美味しかったし、バナナケーキもすごく美味しかった。人が作ってくれたと思うと、余計に美味しく感じた。感謝感激している私にダンナは一言「家事ってすごく大変!」と。おおっ!今頃気付いたか!そうだ、そうだ。家事はすっごく大変なのだ。・・・って、私、家事はあんまりやらないんだけどさ。でもその言葉、将来子供が出来て私が専業主婦になった時にも覚えてて欲しいな♪家事も感謝されるのと感謝されないのでは、随分やり甲斐が違いますよね、奥さん。
2005.08.26
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約2週間の一人暮らしにも終止符。昨日ダンナがマニトバから帰ってきた。ダンナがマニトバ州のウィニペグ空港で、バンクーバー行きの飛行機を待っている時のこと。突然、搭乗ゲートにインターポール(国際警察ですか?)が入ってきて、ゲートFで飛行機を待っていた2人組みの男をいきなり逮捕したんだと。しかもその飛行機はもうすでに乗客の荷物を積んでたらしいんだけど、「すぐに彼らの荷物を降ろせ」との命令で、飛行機を遅らせて荷物を出して・・・と、うちのダンナをはじめ、その場に居合わせた人たちは「何だ?何だ?」と大騒ぎ。結局その2人は国際指名手配されてた人たちだったか何かで、WestJet(カナダの国内線航空会社)の職員が搭乗手続きをしてる時に「何かおかしい・・・」と思って警察に連絡したのだとか。WestJetの職員の話では、テロがらみで指名手配されてた人たちだったとか・・・。って、むっちゃ怖くないですか!?インターポールって、ウィニペグにも駐在してるの?なんて疑問に思いながらも、すごくゾッとした。それが本当にテロがらみだったのかは分からないけれど、でも犯罪者が飛行機に乗ろうとしてたのは確か。もしWestJetの職員が気付かなかったら、その2人組みは何処へ向かってたの・・・?なんて思うと、すごく怖い。なにはともあれ、その2人組が飛行機に乗らなくて何よりです。結局その後、ウィニペグ上空は雷雲に覆われ、飛行機は約1時間遅れたのだけど、無事にバンクーバーに着いてくれました。最近飛行機事故がやたら多くて怖いので、無事に帰ってきてくれてホッとしました。
2005.08.25
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今日仕事中に、停電が起こった。電力会社の何かにトラブルが起こったらしい。突然停電になってから、電気がないとな~んにもできないことに気付いた。仕事に一番必要なコンピューターも電話もFAXも使えず、薬を処方する時に必要な処理が一切できなかったので、とりあえず仕事はストップ。その前に電気がないので、窓から遠いところは真っ暗。復帰の目途は立ってなかったみたいだし、仕事ができなくてどうしようもないので、とりあえず停電中に早めのランチを取ることに。下のカフェテリアに降りて行こうにも、エレベーターも動かない。Pharmacyはビルの最上階(といっても6階なんだけど)にあるので、階段を使ってはるばる1階へ。カフェテリアに着くと、カフェテリアのレジはストップ。水を飲もうにも、水も出ない。お弁当を温めようにもレンジも使えない。そしてとっても薄暗い。結局1時間弱で電気は復帰したんだけど、なんだか電気のありがたみを痛感した1時間でした。
2005.08.24
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Pharmacyで働いていて、いろいろ悩みはあるけど、克服するのにずいぶん時間のかかりそうな問題に今私は直面している。実はこの悩みは今始まったことではない。仕事を始めたばかりの頃から問題ではあった。でも、そのうち慣れるだろうと思っていた。Pharmacy Techの仕事を始めて早1年。その悩みは未だに解決されず、今日も私の仕事にかなり影響してしまった。1年たっても解決の目途が立たないその悩み。結構深刻なのだ。その悩みというのは、実はカナダ人の手書きの文字が読めないということだ。っていうか、マジでみんな字汚すぎ!その中でも特に医者!!処方箋もドクターオーダーも何て書いてるのか全然分からない!!医学部で難しい勉強する前に、日本の小学生を見習って文字を綺麗に書く練習をしてくれ!と日々心の中で叫んでいる私。今日、患者さんの薬のアレルギーの情報をコンピューターに入力しなくてはいけなかったのだが、まず私はその情報が書かれた紙たちとにらめっこ。一枚目。頑張って読んでみる。・・・・・。読めない。飛び抜かそう。2枚目。んんんん・・・・。読めない。次!3枚目。?????。こんな感じ。いくらにらめっこしても時間の無駄なので、とりあえず近くにいた人に聞いてみる。他の人に聞いてみると、なぜか結構みんな読めるのだ。これは慣れなのだろうか。それとも、みんな字が汚いから、字が汚い者同士で読めるのだろうか。それにしても、もう少し綺麗な字で書いてあったら、私の仕事はどんなにはかどるだろう・・・と思わずにはいられない。何て書いてあるかを解読するだけで、結構時間を要したりするのだ。実際、私だけでなく、他の人も解読できない文字に出くわすことがある。特に病棟から送られてきたFAXなんかは、写りが悪いこともあって、難解なものが多い。2~3人集まって「何て書いてあるんだろう・・・」と考える事もしばしば。誰もはっきり分からない時や、それが薬の量などに関する重要な情報だった場合、結局は病棟に電話して、「さっきのFAX、何て書いてあるんですか~?」なんて聞き直す羽目になる。正直、とっても時間の無駄なのだ。お医者さんたちがもっと綺麗な字で処方箋やドクターオーダーを書いたら、医療ミスなんかも減るのでは・・・と思うのは私だけだろうか?私がこの悩みから開放されるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。苦悩の日々は続く・・・。
2005.08.23
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8月も後半に入り、ふと気付くと、私の人生の中で「20代」という期間はあと1ヶ月を切ってしまっていた。成人したのはついこの間のような気もするのだが、10年というのは、長いようで、意外にあっという間だったとつくづく思う。人生で初めて作ったパスポート(10年用)も、あと数ヶ月で更新しないといけない。ということは、日本という国から初めて足を踏み出して、10年も経とうとしているのだ。今日は少し、自分の20代を振り返ってみたい。20代の最初の頃の時間を共有した、かけがえのない大学時代の友達・先輩・後輩や、それ以前の高校時代の友達なんかに、その後私がどういう人生を歩んだのか、知ってもらえればと思う。連絡は取り続けていても、頻繁に会えたわけではないし、どの時期にどういうことを考えていたのか、詳しく話すチャンスはなかったと思うので。思えば、20代の最初の頃は、もっといろんな世の中が見てみたいと強く思っていた。貯金はほとんど旅行に使っていたし、旅行に行って、新しい体験をすることが、そもそも働く事の原動力だったと思う。大学を出て、一応就職はしてみるものの、「これが自分の人生で一番したいことだろうか」といつも疑問に思っていた。厳しい日本の社会人生活の中で、それを口にすると「学生気分が抜けてないだけ。甘えてるだけ。」なんて言われるけど、でも毎日自分の人生について考えていた。「これで自分は満足するのだろうか・・・?」と。そして仕事はたった1年で辞め、23歳の時にカナダに来た。今考えると、それは人生最大級の選択といっても過言ではないのだけど、その頃は若かったし、とにかく何か違った新しい生活を始めたくて仕方のなかった私は、その決断の重要性にもほとんど気付かずカナダに来た。そして24歳で結婚。今考えると、24歳で結婚なんて早すぎると思うけど、でも結婚はタイミングもあると思うので、それが私のタイミングだったのだろう。カナダ生活の最初の2年半は、日本人の全くいないすごく小さな町に住んでいて、言葉の壁もあって、ただひたすら必死に生活していたような気がする。その町にいる間は、旦那の経営する会社で働いていたけど、20代も後半に差し掛かった頃、また私は「私の人生これでいいのだろうか・・・?」と、20代二回目の「人生について考える」時期を送っていた。今回の「人生への疑問」は、自分の「キャリア」の部分だった。その頃常に、「どうして自分は大学ではなく、専門的な技術を習得する学校に行かなかったのだろう・・・?」と思っていた。専門職に就いている友達をとても羨ましく思った。自分の大学では好きなことを勉強できたし、一生の友達も出来たし、かけがえのないものではあるけれども、現実的に考えたときに、私は特別に手に職が有るわけでもなく、日本で社会人経験が長いわけでもなく、「キャリア」という部分ではとてもじゃないけど自分に満足できてなかった。26歳の時にバンクーバーに引っ越してきた。その頃から「30歳になった時の自分」を意識するようになっていた。最初バンクーバーでなかなかやりたい仕事を見つけられなかった私は、とりあえず収入の良いレストランで働き始めた。「何か手に職を付けたい」とは思っていたけど、何がしたいかが分からなかった。でも30歳になったときに、ウェイトレスではいたくないとは強く思っていた。自分はもっと何かできる人間だと信じていたし、30歳になったときに今と同じ生活をしてたら、きっと自分の人生を後悔するだろうとも思っていた。そして学校に行き直す決心をした。カナダで専門的なことを学んで、手に職をつけようと思ったのだ。目標は「30歳までに専門的な職につくこと」。30歳を越えると、子供を作る事も真剣に考えないといけない。30歳までにはなんとか、新しいキャリアをスタートさせていたいと思った。それから猛勉強する日が続くことになる。学校に行きながらも、レストランでも働いていたので、かなり大変だった。でも「目標がある生活」はとても充実していたと思う。学校と仕事とでいっぱいいっぱいだった私は、旦那と一緒に遊びに行く事もあまりできなかったし、家事なんかもできなかったけど、旦那は協力してくれた。今考えると本当にありがたい。そして29歳になる直前、私は晴れて目標を達成した。Pharmacy Technicianとして仕事を得たのだ。最初の頃は仕事は本当に大変だったけど、自分が目標を達成した満足感が大きくて、大変な仕事も頑張れた。それから1年。今私の20代ももうすぐ終わろうとしている。「自分の20代に満足しているか?」と聞かれたら、「分からない」と答えるだろう。ああすれば良かったと思うこともあるし、人生について疑問に思ってた時期も結構長い。でも「30歳としての自分に満足しているか」と聞かれたら、「YES」とはっきり答えられる。数年前に立てた「30歳の時にはこうありたい」という目標は自分なりに達成したと思うから。そういう意味では、自分を褒めてあげたいと思う。30代に突入しても常に「なりたい自分」を念頭において、満足できる人生を送っていきたい。40歳になったときも、「ありたい自分」でありたい。とりあえず、今の30代前半の目標は「子供をつくる」こと。どうなるかは分からないけどね。長くなったけど、これが私の20代でした。読んでくれた方、どうもありがとう。
2005.08.20
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海外に住んでると、「日本のサービスはやっぱり素晴らしい!」って思う事って誰にでもあると思う。私はカナダに住んで、カナダ的なサービスにも随分慣れたと思うけど、やっぱりものすごく感じの悪い店員に出くわした時や、態度の悪いサービスを受けた時には、本当に頭に来る。なぜか分からないけど、本当に、本当に頭に来るのだ。私のあまりの怒り様に、うちの旦那はいつもびっくりしてる。たかが店員の態度が悪いというだけで、なんで私がそこまで怒るのか、分からないらしい。旦那にとっては、悪い態度を取られる事は「大したことない、小さいこと」に思えるのかもしれないが、私には「ぜ~ったい許せない」ことなのだ。それがたとえ店員でなくても同じ。意味もなく他人にrudeな人間が、私は大嫌いなのだ。まあ、それは置いとくとして、今日は「微笑ましい、カナダの悪いサービス」について。人にrudeな態度をとる店員には憤慨する私でも、カナダの悪いサービスに対して「カナダらしいや」と、逆に微笑ましく思えるときがある。それはどうも、人の態度とか関係なく、システム的に効率の良くないサービスを受けたときのようだ。「まったく、これだからカナダは・・・」と口ではいいつつ、そんなカナダが好きだったりする。微笑ましい悪いサービス例 その1私が先月、ウィスラーから長距離バスを使って帰ろうとした時のこと。ウィスラーのグレイハウンド(長距離バス会社)のチケット売り場は、バス乗り場のそばのインフォメーションセンターの中に入っている。当日の朝チケットを持ってなかった私は、バスの出発時間の40分前くらいに、チケットを買いに行く事にした。満員で乗れなくなったら嫌なので、少し早めに行ったのだ。インフォメーション・センターに入ると、その一角のグレイハウンドのチケット売り場は閉まっていた。あれ?と思って、センターの受付のお姉さんに聞いてみると、バスのチケット売り場は出発時間の20分前にならないと開かないとのこと。そうか、と思い、その時間までブラブラして、20分前に戻ってきた。戻ってきた時には、他の旅行者もチケット売り場が開くのを待ってる様子で、列ができていた。列の人にそれがバスチケットを買うための列であることを確認し、私も並んだ。待つこと5分(出発15分前)。チケット売り場は開かない。誰も来ない。待つこと10分(出発10分前)まだ開かない。列に並んでるみんな、ちょっと不安になってきた。そのチケット売り場からは、グレイハウンドのバスが、2台もうバス停に着いてるのが見えた。そこで、列に並んでたお兄さんの一人が、バスの運転手に「チケット売り場が開かないからチケット買えないんだけど・・・」ということを、伝えに行ってくれた。お兄さんは運転手たちと話した後、私達の列に戻ってきた。なんでも運転手たちの話では、今日はチケット売り場のスタッフが居ないから、チケット売り場は開けられないらしい。とりあえずチケット無しでバスに乗って、次のバス停(ウィスラー内の別のバス停)で停まるからその時降りてチケットを買いに行ってくれ、とのことだった。というわけで、その列に並んでたご一行、バスに向かってぞろぞろと歩き出した。私も歩きながら、頭の中では「・・・・?」チケット売り場のスタッフが居ないって・・・?最初から居ないことになってたの?それとも、来なかったの?って、だいたい、バスの運転手、それ知っってんだったら知らせに来ればっ!?私達がチケットを買うために並んでたの、見えてたはずでしょ?バス停から目と鼻の先なんだからさ。などと思いながら、バスに乗り込んだのでした。そして次のバス停で、チケット無かった人たち全員降ろされ、チケットを買わされたのだが、そのサービスの効率悪い事!そのチケット売り場は、スタッフが一人しか居ないのに、バスの乗客たちがぞろぞろと並んだもんだから、あっという間に長蛇の列!しかも全員チケット買うまで、もちろんバスは出発できない。まだバスはウィスラーも出てないのに、遅れをとること30分。あ~あ、これだからカナダは・・・と思いつつ、なんだかカナダらしくていいか、と微笑ましく思った私でした。微笑ましい悪いサービスの例 その2これはちょっと微笑ましいくも、ちょっとイラついた話。先日マニトバ州から帰ってきた時のバンクーバー空港でのこと。みなさんご存知のように、バンクーバー空港には、ターンテーブルがいくつもある。でも私が帰ってきたとき、作動されてるのはたった一つだけだった。同じ時間帯に着いたトロントからの飛行機も、エドモントンからの飛行機も、ウィニペグからの飛行機も、み~~んな同じ一つのターンテーブルから荷物が出てきた。飛行機3機分の乗客たちが、たった一つのターンテーブルの周りに集まってるものだから、もう大混雑!ターンテーブルの近くに行って自分の荷物が出てくるのを確認するのも一苦労。自分の荷物を見つけても、人が多すぎて取れない状態。結局、テーブルがターンし始めてから、自分の荷物が出てくるまでに30分もかかった。これって、経費削減のために一つだけしか作動させてないのだろうか?それにしても効率悪すぎ。またもや「カナダらしい・・・」と思いつつ、旅の疲れもあってちょっとイラついてしまった私でした。長くなったけど、今日はこのへんで。
2005.08.18
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私の日記に遊びに来てくれる方は、私が旦那の事もあまり書かないし、家事のことなんて一切書かないので、「オマエ本当に結婚してるのか?」なんて思ってるかもしれない(笑)。なので今日は少し嫁らしく、私の旦那のお母さんの事を書きたい。私と義母はとっても仲良し。親友といっても過言ではないかもしれない。旦那の実家に帰ったときなんかは、一日中私と義母は一緒にいる。朝起きて、朝食の前にコーヒーを飲みながらおしゃべりし、一緒に料理を作り、一緒に買い物に行き、午後3時頃になると、一緒にビールをあけ、午後6時くらいにはワインを飲みながら夕食を作る。夕食後もお茶を飲みながらおしゃべり。旦那の実家にいる間、ずっとこんな感じ。私はカナダに来てから最初の2年半、儀父母と同じ町に住んでいた。カナダに来たばかりで、英語もろくに話せない私に、儀父母は本当に良くしてくれた。(最初の1年は結婚していなかったから、彼氏の両親と書くべきかな?)一緒の町に住んでるということで、良く食事に招待されたり、一緒に外食することも多かった。誕生日のお祝い事なんかもいつも一緒にやった。私がカナダに家族がいない事もあって、いつも本当の家族のように接してくれた。義母をはじめ、旦那の家族には本当に感謝している。旦那と結婚して6年半になるが、今回旦那の実家に帰った時に、義母が私に言った。「あなたみたいな人と結婚できて、息子は本当に幸せ者だ」と。結婚して6年半(付き合ってる時を入れるともっと長い)も経つのに、私達夫婦は本当に楽しそうで、旦那は私といると、目の輝きが違うんだと。(↑義母が言ったのよ。私が言ったんじゃないのよ。)旦那が若かった頃は、自分の息子ながらワイルド過ぎて、一生この子は結婚しないんじゃないか・・・と思っていたらしい。「まさか日本人と結婚するとは、夢にも思わなかったけどね」って笑ってたけど。私の方こそ、こんな義母に恵まれて幸せ者です。旦那のことを書くまえに、義母のことを書いてしまったけど、旦那のことはまた今度ということで・・・。
2005.08.17
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2日くらい前から喉が痛くて、風邪かな?なんて思っていたら、昨日の朝から突然声が出なくなった。昨日の朝起きて、身支度をし、家を出て、一日で最初に発した声は職場の近くのスターバックスでだった。コーヒーをオーダーしようと思い口を開くものの、声が出ない!!喉の奥から搾り出すように発せられたそのしゃがれ声に、スターバックスのお兄ちゃんもびっくりしてたみたいだったが、実際私の方がびっくりした。職場に行っても、みんなから「どうしたんだ!?」の嵐。病院だけに、ひどい風邪をひいているときは、仕事にくるべきじゃないので、「風邪ひいた」というわけにもいかず、「突然声が出なくなった」とだけ言っておいた。みんなからは「遊びすぎだ」なんて言われたけど。たまたま今週はシフトが「抗がん剤調合」のシフトだったので、病棟に行ったり、電話に出たりしないくて良かったから助かった。そして今日、声が出ない日2日目。どうやら、昨日よりは少しマシになっていたらしく、今日は職場のみんなから「おおっ!セクシー・ボイスだ!」の嵐。本当に少なくとも7~8人からは「セクシーな声だね」と言われた。「しゃがれ声=セクシー・ボイス」なんですかね?よく分かりません。薬剤師の一人からは「人生ずっと葉巻を吸い続けてきた年配の女性の声」とも言われました。もっとよく分かりませんが。旦那はまだマニトバ州にいるので、今週は一人暮らしです。なので、仕事が終わった後は一晩中誰とも話すことなく過ごしています。一人なので、友達に電話しておしゃべりでもしたいところなのですが、ここ2~3日はちょっと無理ですな。明日くらいには、治っているといいのだけど・・・。
2005.08.16
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昨日(カナダでは8月14日)は終戦記念日でしたね。今年は終戦60周年だったからか、例年よりも大きく取り上げられていたように思います。カナダ各地でも、戦争で亡くなった方たちを称える式典や行進が行われていました。今朝の新聞などでは、「VJ-DAY」という文字をよく目にしました。これは「Victory in Japan Day」の略です。つまりカナダでは、8月14日は日本に対しての勝利をお祝いする日なんですね。日本人としては、複雑な気持ちにならずにはいれませんが、「戦争の終結を祝う」という意味では同じかもしれません。日本とカナダの「終戦記念日」の大きな違いは、戦争で亡くなった方や、戦争からの生還者に対しての称え方だと思います。カナダでは、国の為に戦った人たちは今でも国の大英雄です。終戦記念日もそうでしたが、毎年11月の「Remembrance Day」(戦死者を記念する祝日)には、制服に沢山の勲章をつけた元兵士たちが集まって、大きな式典や行進が各地であります。戦争で戦った人たち(亡くなった方も、生還された方も)は皆から敬意を表され、その勇気や、国への忠誠心や、功績を称えられます。ちなみに、世界大戦で戦った元兵士たちは、今でも医療費(薬代も含む)はすべてタダです。でも日本で、日本の元兵士たちが(軍服ではないにしろ)制服に沢山の勲章を掲げて行進したらどうでしょう?なんだか異様ですよね。これは勝者と敗者の違いなのかもしれないけど、戦争で戦った人たちの称え方が、日本とカナダではとても違うように思えます。日本では、靖国神社参拝の是非が問われて久しいですよね。私には政治家がぞろぞろと仰々しく参拝するのが良いのか悪いのかは分かりませんが、戦争で亡くなった方を称えるという行為は、当たり前の行為だと思います。「国のため」という名目で、家族と離ればなれになり、戦地で戦った方たちの勇気と忠誠心を称えたいと思う気持ちは、万国共通なのではないでしょうか。海外に住まれてる方で、この「終戦記念日」に日本人として少し肩身の狭い思いをされた方もいると思います。私は、カナダ人も日本人も両方含め、戦地で戦った人たちは皆称えられるべきだと思います。自分の命を犠牲にして(または危険にさらして)、戦った人たちなのだから。それと同時に、「2度と繰り返さない」という誓いを忘れてはいけないと思います。残念ながら、世界中ではその後も沢山の戦争が起こり、今でも続いていますよね。「世界中から戦争を失くす」というのは理想主義で無理な話なのかもしれませんが、世界中で戦死する方や戦争の犠牲になる人々が少しでも減るように祈ってやみません。
2005.08.15
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今日マニトバ州からバンクーバーに帰ってきました。早速フリーページに「NEEPAWAの写真」として、載せてみました。マニトバ州に行った事無い方、「カナダにはこんな所もあるのか」と知っていただければ幸いです。行った事ある方、「懐かしい」と思っていただければ、これまた幸いです。久しぶりの旅行だったので、「旅行記」でも書きたいところですが、結婚式に行った以外、な~んにも大したことしてなくて、あまり書く事がないことに気付きました。なので、とりあえず写真だけ。
2005.08.13
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今日(8月5日)から9日間、昔私たちが住んでたマニトバ州に行ってきます!今回は、9日間の間に結婚式が2件と大忙し!フリーページで少しずつ紹介しているNEEPAWAにも行く予定です。写真撮ってきて、帰って来たら載せますね。なので、日記は8月13日あたりまでお休みします。帰って来たらまた更新するので、見捨てないでね♪それじゃ、行ってきま~す!
2005.08.05
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カナダで働いてる以上、「英語が母国語だったらどんなに楽だろう・・・」という思いは、いつまでも消えないと思う。でも今日初めて、職場で私の日本語が役に立つ出来事があった。いつもの様に仕事をしていると、他のテクニシャンの一人が私を探しに来た。なんでもドクターが日本語を話せるスタッフを緊急で探していると・・・。どうやら、抗がん剤投入している途中で、患者さんの具合がものすごく悪くなり、急きょドクターが呼ばれたらしいのだが、患者さんが日本人であまり英語を解さないので困っているとのこと。医療英語なんか通訳したことないので、「大丈夫かな・・・」とも思ったけど、何とか役に立てればと思い、とりあえず患者さんに会って見る事にした。会ってみると、患者さんはすごくフラフラ状態だったうえに、ドクターは早口で聞き取りにくい英語をしゃべる人だったので、コミュニケーションが取れなかったみたいだった。私が日本語を話し出すと、患者さんは少しびっくりしてたみたいだったけど、ものすごく安心してくれたみたいで、それが私にも伝わってきた。私には都合良い事に、ドクターの患者さんへの質問はほとんど薬関係のことだった。抗がん剤以外に服用している薬のことや、患者さんの持病のことなど。知っている病名と、知っている薬の名前ばかりだったので、あまり困ることなく通訳することができたと思う。正直、ちょっとホッとした。患者さんにもすごく感謝され、ドクターにも感謝されたので、なんだかすごく良い事をしたような気分になった。日本語を話せる自分が必要とされて、自分が誰かの役に立てたという事がすごく嬉しかった。普段、仕事をする上では英語が母国語じゃないことに少なからずコンプレックスを持ってる私なので、今日のように「他のスタッフにはできなかった事」を出来たのが嬉しかったのかもしれない。最初は「医療通訳なんて・・・」と思っていたけど、一度やってみると「また次も機会があればいいな」なんて思った私でした。
2005.08.04
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いつもコメントをくれてるサチから、「昨日もおとといもコメントを入れたけど、翌日には消えてるよ。なんで?」というメールが・・・。そういえば、最新の日記(7月31日分)は豪華(?)写真付きにもかかわらず、久々にコメントゼロだし(涙)、7月31日の日記を書いた後も、みんなその前日の7月30日の日記の方にコメント書き込んでくれてて、普段だったら最新の日記にコメントくれるのに「何でだろう・・・?」と思ってました。なので、ここ2~3日にコメントくれた方、もしかしたら私の日記に届いてないかもしれません。コメントを一番の楽しみにして日記を書いてるので、今日即行楽天にメールして直してくれ~とうったえておきました。これから先、またコメントが消えてるようだったら知らせて下さい。サチ、教えてくれてありがとうね。
2005.08.03
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